初めての方は、このブログを通して貫く基本概念である主観と客観との違いについての説明をしている以下の記事をご覧ください。

 

 主観と客観

 客観についての補足

 外国人には思い遣りがガチでないという事実

 優しさ(主観的)と思いやり(客観的)

 二種類の「正しさ」

 日本の常識は世界の非常識、日本の非常識は世界の常識

 

 戦後の歴史を紐解けば、吉田茂首相の初期の頃はいざ知らず、岸信介首相の頃から既に、憲法9条の改正はアンタッチャブルな(触れることができない)議題となっていた。憲法9条は改正するべきということを大臣が一言でも言えば、簡単に首が飛んだ。そういう、いわば暗い時代が、延々と続いて来た。

 

 今回、トランプ大統領の登場により北朝鮮を巡る情勢が一挙に緊張したこと、また、安倍政権が既に4年以上に渡り継続するなどの安定性を保っていること、さらにはマスコミや野党は相変わらずにしても、多くの国民の間でインターネットなどを通じた情報の共有がされていること、そのために安倍総理に対する理解や支持が、マスメディアの極度な偏向報道にも関わらず一定の数値を持っていることなどの複数の要素が絡み合って、安倍総理が憲法9条の改正について正式に言及しても内閣が吹っ飛ぶような状況にはなっていない。もちろん、安倍総理が、話を円滑にするために、また左翼陣営や既存のマスメディアや野党のヒステリックで感情的な反応を抑えるために、9条の1項と2項を残すことを提案したこともハレーションがある程度で収まっている原因であるし、また自衛隊に対する国民の理解や信頼が災害救助活動などを通じて、また北朝鮮の脅威の増大に伴って高まっていることも理由としてあげられる。

 

 何れにしても、一昔前なら、憲法9条の改正を口にしただけで大臣の首は吹っ飛んだし、ましてや内閣総理大臣であれば確実にその内閣は解散に追い込まれた話である。それが、曲がりなりにも話として世間で受け止められ、進められていることに、筆者まことに隔世の感を感じる。

 

 ここからは筆者の主観的願望であるが、国際状況と全くそぐわない、そればかりか日本と日本人と日本の領土をただいたずらに危険に晒す以外のなんの役割も果たさない憲法9条の1項と2項がめでたく憲法典から消え、アメリカやイギリスやドイツやフランスといった普通の先進国と同様の権利を自らが高らかに世界に宣言する国になって欲しいと思う。

 

 もちろん、これは筆者の主観的な意見であり願望であるので、読者の方々どう思われるかは各人の判断に委ねられる。

 

 今回もお読みいただき、ありがとうございます。

 


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