フィンガー5近代映画特集号の記事を書きますね♪
今まで書いた、近代映画の記事は、
・玉元一家全員集合 (Part1~6)
良ければ、そちらもご覧ください。
今回は、
『ワンパク兄妹っていうけれど・・・・
ブレーンが話すフィンガー5の素顔』を書きます♪
4ページあるので、2回にわけて更新しますね。
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「いろんな方たちにお世話になりました。
が、何といっても一番お世話になったのは井岸さんです。
井岸さんがいらしゃらなかったら、今日のフィンガー5が誕生したかどうかは分かりません。
子供たちがアメリカ軍のキャンプに行ったときなど、楽器の積み下ろしまで手伝ってくださったんです。
音楽面では厳しいけれど、その他の面では本当の兄のように5人の面倒を見てくださいます。
私たちよりも5人については詳しいくらいです」
と語るのは、フィンガー5のお父さん。
そこで、5人のメンバーたちから“お兄ちゃん”としたわれているフィリップスレコードの井岸義則ディレクターから、5人の素顔などについて聞いてみることにしました。
「ぼくがあの5人兄妹たちに初めて会ったのは、昭和47年の4月でしたね」
当時、井岸さんはキングレコードになったばかりだったのです。
「あの頃、メンバーは『ベイビーブラザーズ』と名乗っていました。
ぼくは“もうベイビーって年じゃない。何か別の名前にしてください”とお母さんに言ったんですよ」
お母さんは“フィンガー5”という名前を考えました。
47年8月からこの名を使用しはじめたのです。
晃はスーパーマンだ!!
その年の暮れ、井岸ディレクターはキングからフィリップスに移りました。
「君たちどうする?と聞いたところ、
即座に“ぼくたちも一緒に連れていってください”という返事に、連れていくことにしました」
こうして、フィンガー5もまたキングからフィリップスへと移籍しました。
48年2月上旬のことでした。
「ぼくは彼らを日本のジャクソン5に育てようと考えたんです。
それまでのフィンガー5はどちらかといえば演奏グループでしたからね。
これを見せるグループにするため、しばらく楽器を捨てさせ踊りを習わせることにしました」
井岸ディレクターはキング時代からの知り合いである
『自由丘タレントスクール』に彼らを通わせることにしました。
また、それまで髪の毛の長かった大将のヘアスタイルをボーイッシュに変えたのもこの井岸ディレクターでした。
「キング時代には正男くんがボーカルを担当していたんですが、変声期になってボーイソプラノが出なくなったんです。
そしたら“さぁ、僕の番だ!”と晃くんがハッスルしましてね…」
そのアーちゃんですが、
「彼は気分屋で、レコーディングの時でも乗らないときはまるでダメなんです。
そのかわり乗り始めるとすごいんですね。
“しっかりやれよ!スーパーマンが今行くよ!”なんて兄妹にハッパをかけるんです。
間奏でのアドリブは全部晃くん自分で考え勝手にやってるんです。
“カムオン・カムオン”って合いの手が入っているのも、
レコーディングの時、乗りに乗った晃くんが自然とやったアドリブなんですよ」
ところが、そのアーちゃんがシュンとなってしまった事がありました。
「急にしょんぼりして元気がなくなって家に電話してみたところ、ご飯もろくに食べないというでしょう。心配しましたよ」
井岸ディレクターがいろいろ尋ねたところ、
やっとの事でその原因がわかりました。
「妙子ちゃんが単独でテレビドラマ『ボクのしあわせ』に出て、急にパッと人気がでたでしょう。
自分の方が人気があると信じていた晃くんにはそれがショックだったんですね。
兄妹でもライバル意識というか競争心があるもんなんですね」
そんな頃、フィンガー5は西武デパートのステージに出たことがあります。
「妙子ちゃんが涙を浮かべながらオルガンを弾いてるもんだから、“どうしたの?”ときいたところ、
“晃兄ちゃんがいじめるの”とのことでした」
アーちゃんのこの悩みは1週間ほど続いたそうです。
ついでに、井岸ディレクターに他の3人について語ってもらいました。
「一夫くんは名実ともにグループの育て親です。
が、少し長男のわがままな面があります。
光男くんは勉強家でよく教科書を手にスタジオに来ます。
それに大変な照れ屋というか純情家で、
女の子の話をするとポーッと赤くなります。
音楽的に一番鋭いのが正男くんですね」
厳しい踊りのレッスンに耐えた
「正男くんは大概の曲なら2回きくと、“楽譜はもういいよ”といいますからね。
いまは変声期が終わったばかりで声がまだふらついていますが、将来は立派なソロシンガーになるでしょう」
井岸ディレクターの話はまだつきません。
「3月5日に発売の新曲『学園天国』では、
掛け合いとタップとハーモニカを入れてみました。
『個人授業』『恋のダイヤル6700』とはまたちがったフィンガー5の魅力が出せたと思っています。
あのグループは5人ともそれぞれちがった個性を持っていますからね、それをうまく生かしながら、全体的に半歩ずつ前進してゆこうと思っています」
井岸ディレクターの音楽的レベルは、
これまでの3枚のシングル盤で見せた以上に高いものだそうです。
「といって、急にハイブローな曲を作っても、ファンがついてこれませんからね。
だから、バックコーラスを少し程度を高くするとかし、将来は楽しくって、音楽的にも高度なLP歌手に育てていきたいですね。
それには踊りにしてもその他の面でも、もっとしごかねばならないでしょうが・・・」
井岸ディレクターの口から踊りの話がでたので、
この辺で『自由丘タレントスクール』の牛丸謙先生に5人のことなど聞いてみることにしました。
「井岸さんに連れて来られて
私のところへ初めて来たのは47年の夏ごろだったと思います。
ちょうどキングで最後に出した『キディ・キディ・ラブ』の振りのために。
器用だけど、基本ができてないですからね。
で、井岸さんに言ったんです。
“踊りのレッスンを贅沢にさせてみませんか。
彼らのいい財産になりますよ”ってね。
とくに、日本のジャクソンを目指すのなら1時間や2時間ではとてもダメですからね。
踊りのイロハからじっくりやらないと。
あの5人兄妹が本格的に踊りのレッスンにここへ来るようになったのは、昨年の2月。
それから『個人授業』が出るまでの半年間、
週2回のレッスンを1回も休まずにやって来ました」
この『自由丘タレントスクール』は自由丘にあります。
「レッスンは夕方の5時から夜の8時までですが、
時には9時ぐらいまでやったこともありました。
上の子供たちは大きいから大してこたえなかったかもしれませんが、下のオチビさんたちにはきつかったと思います。
が、一度も泣き言を言わずに頑張り通しましたからね。
その根性は大したもんだと思いますよ」
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「うたものがたり」でも名前があがった
井岸義則さん。
フィンガー5になくてはならない存在なんですね。
それから、晃さんがテレビでも話していた
レコーディングで、
「調子が悪いと歌わない」という話、
本当だったんですね。
それから晃くん、
妙子ちゃんがドラマに出たのがショックで、
ご飯を1週間あまり口にしなかったという話、
可愛すぎやありませんか?
たかが、そんなことで・・・・とね←
それでは、次回もお楽しみに!
ワンパク兄妹っていうけれど・・・・ (続き)