中野剛志の”1%の裏切り”工作の、中身。(2) | よしくんのブログ ~愛する日本を守りたい~

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売国・安倍政権を糾弾!
アメリカは、資本家・グローバリストという王侯貴族の国家。
アメリカ、韓国、竹中平蔵、統一教会のために売国する、
安倍政権を批判します。
当初は、経済評論家・三橋貴明さんに期待しましたが、安倍政権の一味と解り、批判に転じました。

〇<つづき>

この中野剛志は、99%の真実、1%の裏切り、という工作員の可能性がある。

三橋貴明は95%の真実、5%の裏切り、という工作員だったが。

加筆。三橋貴明の5%の裏切りというのは、どんなに安倍政権を批判していても、”最後は”安倍政権に都合の良い誘導を行う。安倍政権に忠誠を誓っており、読者を煙にまくだけで、安倍政権の利益のために動く。三橋貴明がその馬脚を露すのは、”最後の局面”を中心にして、5%ほどです。

これに対し。

中野剛志の、99%の真実、1%の裏切りにおける、”1%の裏切り”とは何だろうか?

みなさん、解ります? 若い方々、解ります?

 

答え。

 

中野剛志の”1%の裏切り”とは、国民に諦めさせるという役割です。

 

まだ戦えるのに、戦いはこれからなのに、国民の戦う意思をくじけさせる。これが中野剛志という、”1%の裏切り”工作員の役目なのです。

お解りだろうか。

99%までは、中野剛志は国民の側にいるかのように偽りながら、実はそれはただの種まきであって、実は、これから国民が怒り、真の戦いが開幕するという段階で、冷や水を浴びせるのが、彼の工作員としての役割だったのだ。

無駄だ。諦めろ。勝てない。敗北を受け入れろ。

こうやって国民の戦う意思をくじけさせる。気持ちを折る。絶望させる。政治への意欲を無くさせる。

 

いいですか。勘違いしてはいけません。

中野剛志は悲観主義者ではありません。

敵の工作員でしょう。

 

大切なポイントは、99%までは、中野剛志は国民の側にいるかのように偽っていることです。

99%までは、かれは信頼にたる言論人を演じています。ですから国民は彼を信用します。チャンネル桜グループの豚どもとは違う。三橋貴明とかは、とっくに馬脚を露しており、奴の扇動に乗るのは馬鹿しかいません。しかし中野剛志は国民の側にいるように思わせた。だから、こやつの最後の1%の裏切りは最高レベルの効果を持つのです。

 

まあよくここまで偽ってきたものです。拍手ものです。工作員としては。

 

・私は常に”信じられる人物の、最後の1%での裏切り”は、想定し、心の準備はしていました。それを目の当たりにしたのです。

 

以下内容を書きます。

 

〇<最悪のタイミング>

移民法、水道民営化法。国民を一番鼓舞しなければならないタイミングで、やってはならないことをした。

毒薬を注入したのだ。

国民の怒りが頂点に達し、立ち上がらないと国が滅んでしまうという危機感が盛り上がった、そのタイミングで、中野剛志は無駄だ、諦めろと冷や水を浴びせたのだ。

 

戦略的にあり得ない最悪級の失敗だ。どのような言い訳も出来ない。

戦略的に全くあり得ない

スポーツで試合前に、負けるから、勝とうと思うなとアドバイスをする監督・コーチがいるだろうか。

いるだろうか?

いないよね。馬鹿じゃないんだから。

 

言い訳は出来ない。

売国行為だ。

 

〇<引き上げられるのか?>

すさまじくご丁寧な、”国民の叩き落し”だったわけだが。

もしこれを戯言で、いや、国民を𠮟咤激励するための”ショック療法”だったんですと、せせら笑いながら、言い訳をしたとしよう。

ショック療法。

馬鹿が。

 

よしんば、ショック療法だったとしよう。だったとしてやるよ。

 

ショック療法だったとすれば、ここまで丁寧な”国民の叩き落し”をやったのなら、

そのカウンターとして、”国民の引き上げ”をしないといけない。

国民の引き上げだ。

希望を与え、我々はまだ戦えると、鼓舞することだ。

怒りやら、やる気やら。

 

私はゾッとする。

中野剛志の丁寧な”国民の叩き落し”から、引き上げようと考えたら、ゾッとする。

とんでもない。普通は出来ない。

あなたがやれるか考えてみればいい。あなたは国民を引き上げることが出来るか?

モシさんでも無理だろう。私も普通だったら無理だ。ゾッとする。背筋が凍る。国民を救えないからだ。差し伸べる手立てを考え付かないからだ。普通は。

 

が私は出来る。頭が良いとか、切れるとかじゃない。

私には戦いの経験があるからだ。ツイッターでの。

そこで私は、激怒した頭を、無理やり冷ましつつ、冷静に冷酷に計算高く、戦略を構想し、それを実現する戦術を見つけ出し、戦術を具体化する銃弾を作り上げ、常にその戦略・戦術をも疑い、更に改良を施してきた。この経験がある。だから出来る。

 

だが。この経験をもって考えた時、中野剛志がやった”国民の叩き落し”から、引き上げようと考えたら、私の編み出した戦略も戦術も銃弾・武器も、そのすべてを詳細に説明しないと不可能だと思う。

つまり私に戦いの経験が無かったら、”国民の引き上げ”は、全く絶望的だと思う。

私はゾッとした。背筋が凍った。

 

つづく。もう少し書いてからにします。