↑のつづき。

さて、
タケミカヅチを祀る建布都神社を後にして
次の神社へと向かう。


車で10分ほど走らせた。

徒歩なら40分以上かかっただろう。

ここは素直に文明のリキに感謝。






この素晴らしい景色。

鳥居の向こうには、
ワタシが最も大好きな
アノ神様が祀られている。


長い参道は
コンクリートで舗装されているが、
鳥居の位置から察するに
元々の境内はとても広大だったのだろう。


ついにたどり着いた。





拝殿。

延喜式内社 阿波郡
『事代主神社』

鎮座地 徳島県阿波市市場町伊月字宮ノ本
創建 不詳
祭神 事代主神社
通称 おっべっさん

かつては、代大明神とも称された。

地名の伊月(いつき)は、
この社を斎(いつく)ところに由来する。

境内は伊月農村公園として整備されている。



横から本殿。

屋根が朱(あか)いことの意味は
後日知ることになる。

とても重要だったのだ。


続いて境内の様子を。


『鎮守神社』


よくわからない祠も多い。

でもなんか好き。


『大住大明神』


『森壱岐神』

とても気になる。











阿波特有の五角形『地神塚』。

もちろんここにも建てられていた。

地神塚、好きなんですよね~。



さてさて、
阿波徳島の式内社『事代主神社』は二社。

ここ阿波市の事代主神社
勝浦町の事代主神社(生夷神社)。


この二社の祭神はもちろん
事代主神』なのだが、
実は、二社の事代主は別の神だったのだ。



八重地に程近い生夷神社の事代主は、
『積羽八重事代主命』
  (ツミハ ヤエ コトシロヌシ)


そして、

この阿波市市場町伊月(いつき)の事代主は、
『天事代虚事代
 玉籖入彦之事代主神』❗
  (アメニコトシロ ソラニコトシロ
   タマクシイリヒコイツノコトシロヌシ)

神功皇后の前に現れた事代主は
こちらの之事代主神である。


八重事代主神之事代主神は、
実は別の神だったのである。


そしてなんと、

八重地八重事代主神

伊月之事代主神は親子関係だった。



国立国会図書館のデジタルコレクション
『三輪叢書』の三輪高宮家系のページには
驚くべきことが書いてある。


それは、大物主事代主の論争に
終止符を打ってしまうほどの内容である。

初めてそれを知った時、
ワタシのこれまでの考察が
全て白紙になったことを今でも覚えている。


一部拝借致します↓
スサノオから始まる系図。
ご存知の通り、大国主には多くの神名があり、
和魂 大物主神』とある。

次に御子神のアジスキタカヒコネ。
今回はメインテーマではないので割愛します。


その次のページが
アジスキタカヒコネの兄弟
事代主なのだが↓
↑を初めて見た時の衝撃は忘れられない…


つまり、こんなことが書いてある↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
都美波八重事代主命
亦(また)の名を猿田彦神 大物主神
母 神屋楯比売命
大和國高市郡 宇奈提坐 事代主神
同、飛鳥坐 賀夜奈流美神
摂津國矢部郡 長田大神 これ也
~~~~~~~~~~~~~~~~~~

衝撃①

八重事代主命猿田彦神

同一神だった‼️


衝撃②

八重事代主命大物主神

同一神だった‼️


衝撃③

大物主神とは、

大国主命八重事代主命

総称だった‼️


衝撃④

事代主の子供にも

事代主がいた‼️



系図上、

都美波八重事代主命の子として書かれる

天事代主玉籖入彦命の記述↓

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

亦(また)の名を 事代主神 玉櫛彦命

母 三島溝杭耳命 女(娘)玉櫛比売命

大和國添上郡率川阿波神 これ也

~~~~~~~~~~~~~~~~~~


日本書紀や先代旧事本紀では、

八尋熊鰐となって

三島溝樴姫(玉櫛比売)の

もとに通った都美波八重事代主命。

その御子神が

天事代主玉籖入彦命(之事代主神)だった。


神名の『玉籖(タマクシ)』

玉櫛比売から継いだのである。

大物主にも、倭大物主𤭖命なる別名がありますね


そして、

奈良市最古の「えべっさん」として知られる
式内社 率川阿波神社の勧請元が、
この『事代主神社』だったのだ。
大神神社の境外摂社である
率川神社の境内社として鎮座していた。

率川神社の正式名称は、
率川坐大神御子神社

社名は、
大神神社の祭神の
御子神を祀る社を意味する。

大物主(事代主)の御子神を
祀っているのである。


また、
大物主を祀る神社と言えば

香川県仲多度郡町に鎮座する

金刀比羅宮(こんぴらさん)』。

「金刀比羅(こんぴら)」は
平(ことヒラ)とも書き、
代主(ことしろぬし)」に通じる。

『こんぴらさん』の由来は
インドのワニの神『クンビーラ』であり、
八重事代主もまた、「ワニ」になった。

極めつけは、
金刀比羅宮の奥宮
魂(イヅタマ)神社』。

祭神の『魂彦命』は、

都美波八重事代主命の御子神

之事代主神(天事代主玉籖入彦命)

なのではなかろうか。






『事代主』は世襲制(役職名)であり、

(少なくとも)二柱は存在した。


それが、

八重(ヤエ)』の事代主と

その御子神『厳(イツ)』の事代主。



そして、

大物主の正体もまた、

事代主』だった(可能性が高い)




そんな事代主の多くの后の中の

本后『阿波咩命(あわめ)』。


伊豆(イヅ)諸島『神津島』に

名神大社として祀られる女神である。


平安時代の歴史書『続日本後記』より↓

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

伊豆の国に言う。

賀茂郡に造作の島あり。

本の名を上津島(こうづしま)の名づく。

この島に座します阿波命

三島大社の本后なり。

又、物忌奈命阿波命の御子神なり

~~~~~~~~~~~~~~~~~~


そして、元々

阿波咩命が鎮座していた社こそが、

善入寺島』である。



事代主神社の社殿は、
あの土手の向こうの吉野川
日本最大の川中島『善入寺島』を向いている。

善入寺島は元々
粟嶋(アワシマ)』と呼ばれており、
その島名こそが『(阿波)国』の由来である。


大塚唯士氏が出版された「粟嶋史」には↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
武布津の神が出雲を平定して
天照大神に奉告するために
事代主命を道連れにして阿波に来た。

一行は讃岐の志度に上陸して
日開谷を過ぎて伊笠山付近に来た。

そのとき忌部族は高天族等の
不意の進入を咎めて小ぜり合があったが、
やがて忌部族天日鷲命
武布津神のために休息所を今の香美に建て
事代主命を自分の
阿波咩(あわめ)の館に迎えた。

本須賀(善入寺島)の
八條宮(現在の粟島神社)は、
阿波咩の遺蹟である。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

これが事実なら、とんでもない話だが、

一方で、
式内社の建布都神社事代主神社
そして善入寺島が程近い場所に有り、

事代主命阿波咩命

婚姻関係にあったという

静岡や伊豆(イヅ)諸島の伝承の裏付けにも

なりうるのだ。



この事代主神社の鎮座地は、

阿波市市場町伊月(イツ)なのだから。




ワタシが一番好きな
事代主を祀る神社。

最高でした。

ほんの少しだけだが、
古代の阿波、倭国の輪郭が
見えた気がした。

阿波市は最高ですよ皆さん❗

楽しすぎて、
行きたいところが多すぎて
困ってしまいます。



さてさて、
名残惜しくも阿波市とオサラバ。


阿波中央橋をから吉野川を渡り、
吉野川市へとたどり着いた。

次に参拝した神社ももちろん、


延喜式内社です❗



つづく。


ではまた❗





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