↑のつづき。

さて、金刀比羅神社の右奥にはさらに道がつづく。




祠があった。



さらなる階段を登る。

なんとか登りきる。


手水舎。


境内社。
左は稲荷、右は…  わかりかねます。




『忌部神社』にたどり着いた。



はにかむ狛犬。

角がある狛犬が好きです。




拝殿。

『忌部神社』

鎮座地 徳島県徳島市二軒屋町
創建 1892年
祭神 天日鷲命

割りと新しい神社かと思いきや、元々は延喜式神名帳に名神大社として名を連ねた式内社『阿波国麻殖郡 忌部神社』。

中世以降、兵火などにより所在が不明となった。

その後、吉野川市の忌部神社と、つるぎ町の五所神社が共に「こちらが式内社忌部神社だ」と主張。

論争をおさめるために、眉山中腹の現在地に新たな社地を定めた。

つまり、この忌部神社が式内社の「後継社」と云われる由縁である。




忌部氏に関連する神社が、皇室にとって重要だということに変わりはない。



阿波忌部については、↓に系図などを結構書いた。
忌部神社の祭神『天日鷲命』についても、以前沖縄との隠された繋がりを書いたとおり、
この神名もやはり、役職名。

天日鷲命は阿波忌部の祖。

「鷲」が社名に入る神社は、関東を中心に全国にあり、『安房国(現在の千葉県)』から開拓していった阿波忌部氏が、その勢力を伸ばしていったことがうかがえる。


安房国一宮『安房神社』の祭神は、
忌部が勢揃いで興味深い。

主祭神
天太玉命(あめのふとだまのみこと) - 忌部氏(斎部氏)祖神。

相殿神
天比理刀咩命(あめのひりとめのみこと)天太玉の后神。

●忌部五部神
櫛明玉命(くしあかるたまのみこと) 
 出雲忌部の祖。

天日鷲命(あめのひわしのみこと) 
 阿波忌部の祖。

彦狭知命(ひこさしりのみこと) 
 紀伊忌部の祖。

手置帆負命(たおきほおいのみこと) 
 讃岐忌部の祖。

天目一箇命(あめのまひとつのみこと) 
筑紫忌部・伊勢忌部の祖。

延喜式神名帳では『安房神社』。

『坐(います)』とわざわざ名につける意味は、
「元の地からやってきて、今はこの地にいますよ」だ。

安房神社の場合は、「阿波→安房にいます」。

社名に「坐」がつく場合は、注意しておこう。




「忌部」とは「ケガレを忌む」という意味。

忌部の祖である天太玉命は、天児屋命とともに古代の祭祀を司っていた。

天児屋命は中臣氏の祖。

天岩戸神話で活躍した天太玉命と天児屋命。

朝廷の祭祀を司る忌部氏と中臣氏の両氏だったが、後に中臣氏がその座を握ることとなる。


飛鳥時代の豪族『中臣鎌足』は、天智天皇から「藤原」の姓を賜り、翌日に死去した。

死ぬ間際に「中臣鎌足」は「藤原鎌足」となった。

そんな藤原鎌足の子には、『藤原不比等』がいる。


ご存知、古事記‐日本書紀のグランドデザイナーである。

記紀神話のカラクリには、こうした編纂者優位に描かれていることも、忘れるべからず。


また、中臣氏(藤原氏)は、自らの祖神『天児屋命』では飽きたらず、『建御雷神(タケミカヅチ)』をも中臣の系図に加えたとも言われている。


忌部氏は「斎部氏」とも書く。


国譲り神話には、タケミカヅチとその相方
『経津主神(フツヌシ)』が登場する。

フツヌシの別名は『主神(イワイヌシ)』。

「斎」の字があることから、斎部氏と関連している。


上の忌部氏系図でもわかるとおり、
彦命の子供には
『由布津主命(ユフツヌシ)』がいる。

安房(千葉)を開拓した『天富命』のことであり、

千葉県の下総国一宮『香取神宮』の祭神は
『経津主神(フツヌシ)』。


下総(シモウサ)国の「総(ウサ)」は
」の古語。


『経津主神(フツヌシ)』は忌部氏だったのだ。



忌部(いんべ)氏の「いん」は陰陽の『陰(いん)』という意味もあるだろう。


『陽』→太陽、日、火、左
『陰』→月、水、右

「いん」とは「月」を表すのだ。



阿波の別名は『オオゲツヒメ』。

『大月姫』である。



裏に回って本殿を眺める。


来た道と反対側には長い下りの階段。


灯籠には菊花紋章。

当然ですよ。

現在も、この令和の時代でさえ、天皇が即位する時におこなわれる大嘗祭には、忌部氏の末裔である
『三木家』が麻でつくる『麁服(あらたえ)』が用いられるのだ。


三木家のある美馬市木屋平字

「貢(みつぎ)」は「三つ木」。

「三日月(ミカヅキ)」にも繋がるかもしれない。


そして、この地の昔の地名は、

『大字三ツ木字ソラノチ』と呼ばれていた。


吉野川の西の方を、現在でも『ソラ』と呼び、
ソラの民とアマ(海)の民の合流地点を
「津」と呼んでいたのだそうな。


「津」とは繋ぐ存在。


だから、「津(つ)」は「~の」と同義語なのである。

(例)吉備彦=吉備彦  
  天神=天神  などですね。


こっちが表参道でしたか。

また、裏から入ってしまったようだ。


入り口付近には祇園社。


ここが忌部神社一の鳥居。



忌部神社楽しかった。

吉野川の方の忌部神社にもいつか行ってみたい。




有り難う御座いました。



さて、次に向かう神社もやはり、眉山周辺。





思い出して下さい。




アマテラスは左目、月読は右目から産まれました。




そして、ここは『眉山』。


眉(まゆ)』の山です❗


つづく。


ではまた❗





🌔おまけ




月と関連する忌部氏の末裔三木家。

三木は三人の木。




「三」+「人」+「木」=



』  になります(^ー^)



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