↑のつづき。
さて、前回の記事で、神社仏閣ランキングのトップブロガー毛利蘭子さんからコメントを頂き、
テンションが上がるとともに、ワタシも人並みに承認欲求のカタマリなのだな…と思い知った🤣
毛利蘭子さん、お忙しい中有難い御言葉を頂き、誠に有り難うございました。
さてさて、衝撃の天岩戸別八倉比売神社を後にしたワタシは、府中駅まで戻り徳島線に乗った。
佐古駅で高徳線に乗り換えて4駅、板東駅で下車。
板東駅からは徒歩で30分ほどは歩いただろうか。
(この日は本当によく歩きました)
そして…

大鳥居。
阿波国一宮『大麻比古神社』にたどり着いた。

この大鳥居を見ればわかる。
境内はきっと広い。
なにせ一の宮。

大鳥居の脇には、学問の神様。
『天神社』
祭神 菅原道真公

橋名は『祓川橋(はらえがわばし)』。
昔は、この川で禊をしてから参拝したのだそうな。
境内では、なんと猿が自由に遊び回っていた🤣
木から木に飛び移り、キーキー鳴きながら、まるで鬼ごっこをするように走り回る。
なんかほっこりした。
猿田彦の末裔か⁉️
…とも思ったがそれは早計というもの。
ぐーたら木延日記さんの素晴らしきブログや、
awa-otokoさん の素晴らしきブログにも、興味深いことが書いてあったので、参考にさせて頂いております。
awa-otokoさんが文献から紐解いた
「天日鷲命は世襲制説」は秀逸である。
様々な系譜の中から、面白いものを。
awa-otokoさんのブログに掲載される、上総忌部高山家に伝承されていた、忌部家系を表した写本にはこうあるのだそうな。
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神産巣日御祖大神の孫『天日鷲命』。
その子である
●『大麻比古命』は、
亦の名を『津咋見命』『津杭耳命』。
次に
●『天白羽鳥命』。
亦の名を『長白羽命』
次に
●『天羽雷雄命』。
亦の名を『武羽槌命』
この三柱は言苫比賣が生んだ子。
大麻比古命の次世代の系譜。
大麻比古命は磯根御氣比賣命を娶る。
千鹿江比賣命と由布津主命のニ柱が誕生。
千鹿江比賣は今千貝大明神是也。
由布津主命は又名を阿八別彦(アワワケヒコ)。
~~~~~~~~~~~~~~~~
これは衝撃的だった。
まず、阿波忌部氏が安房国(房総半島)を開拓し、さらに勢力をのばしたことは周知の事実。
安房国より北の常陸国も例外ではない。
大甕神社には前述した忌部高山家の系図に載る
『武羽槌命(タケハヅチ)』が祀られていた。
武羽槌命は、タケミカヅチとフツヌシでも敵わなかった『カガセオ』を退治し、常陸を平定させたのだ。
さらに、大甕神社から徒歩圏内の『泉神社』。
忌部の祖『天太玉命』の后神、
『天比理刀咩命』のことである。
そして、大麻比古命の子である
千鹿江比賣命と由布津主命のニ柱。
由布津主命が、その名のとおり香取神宮の祭神
『経津主(フツヌシ)』だとしたら。。
千鹿江比賣命は「鹿島神宮」の祭神
『武甕槌(タケミカヅチ)』の正体なのではなかろうか。
両神宮に統一するのは、地震を起こす大鯰魚を封印するための『要石』があること。
鹿島神宮の要石は凹形、香取神宮の要石は凸形で地上に一部だけを表し、深さ幾十尺とされている。
凸形が男神、そして凹形が女神を象徴することは、想像するに容易い。
この武神二神は、タケハヅチの甥や姪であったのだ。
元々、祭祀を司っていた「忌部氏」と「中臣氏」。
中臣氏は6世紀後半から7世紀初頭に祭祀制度の再編を行なっており、忌部氏は中臣氏の勢力に押された。
再編とはつまり、「塗り替えた」ということ。
中臣氏は平城京に春日大社が作られると、タケミカヅチを一族の氏神として勧請したとされるが、本来は忌部一族だったのかもしれない。
フツヌシは物部氏に関連すると言われているが、
タケミカヅチやフツヌシも『阿波人』の血統。
タケミカヅチの別名は建布都神。
「物部」と「忌部」。
この氏族は元々同族であるとも言われている。
二つ合わせて『物忌(ものいみ)』。
その意味は、ある期間中に、ある種の日常的な行為をひかえ、穢れを避けること。
そして、日常的な行為を避けることの意味は、自らの穢れを抑える面と、来訪神 (まれびと)などの神聖な存在に穢れを移さないためだという。
『来訪神』。
それは渡来の神を意味することは言うまでもないだろう。
元々祭祀を司っていた氏族は、渡来した氏族の為に「祭祀を控えさせられた」とも解釈できるのではなかろうか。。。
山形県の鳥海山(ちょうかいざん)に宿る、
『大物忌神(おおものいみのかみ)』は
『豊受大神』と同一視されており、
鳥海山は「とみやま」とも読める。
「トミ」は出雲や物部、
トミナガスネヒコやタケミナカタトミ、
そして阿波から安房へ行き開拓した
『天富命(アメノトミ)』などの「点」を
「線」で結ぶキーワードである。
大物忌神のルーツがどこにあるかは、今のワタシなら『阿波』と言うだろう。
豊受大神をオオゲツヒメと同一神という説は多く聞くが、それならばオオゲツヒメは「阿波の別名」という古事記の記述を知っていれば、まず始めに『阿波』に着目するのは、至極当然だと思うのですが…
そして、最も謎だと思うのが、
阿波忌部の祖『天日鷲命』の父神の存在。
父神の名は『天背男命(アメノセオ)』。
まるで『天香香背男(アメノカガセオ)』である。
カガセオの別名は『天津甕星』。
「天津(アマツ)」の神名から、元々は天孫族とも解釈出来る。
アメノセオとカガセオが同一神であった場合、
カガセオは天日鷲命の父ということになり、
つまり、阿波忌部の祖神となってしまう。
争ったはずのタケハヅチやタケミカヅチと、同族になってしまうのだ。
天津甕星と武甕槌神。
この構図は、東征をおこなった神武天皇と、それ以前から近畿を支配していたニギハヤヒの構図と重なる。
実は、四国にカガセオが祀られている神社は、
意外に多い。
例えば、徳島県海部郡『明現神社』の祭神も
『可可瀬男命(カガセオ)』。
徳島県那賀郡上那賀の『明現神社』にいたっては、
忌部氏の祖『天太玉』とともに祀られている。
高知県香美市には『本宮星神社』、
そして『星神社』が二社あり、
その三社の間を流れる川は、
『物部川』である。
「土佐」→「とさ」→「十三」→「トミ」。
こうなっては、物部氏と忌部氏を一度まとめなければ、これ以上前に進めないだろう。
ちなみに、これは『大麻比古神社』の記事です(笑)
当社の神紋『麻紋』は誰がどうみても六芒星。
もうひとつ、六芒星にしか見えないのが
『籠目紋』。
カゴメカゴメ。
天香具山(天籠山)は、元山は阿波徳島(倭)にあり、
後に奈良(大倭)に移った。
阿波忌部氏は、阿波(アワ)から安房(アワ)へ。
そして常陸国へ入っていった。
『甕(ミカ)』は、『亀』なのですよ皆さん。
結局、大麻比古についてはよくわからなくなってきたので、今をときめくchat GPTに「大麻比古とは❓️」と質問してみた。
その回答はコチラ↓
「大麻比古」とは、古代日本の神話・伝承に登場する神の一柱で、多くの記述が残されていないため、詳しいことは分かっていません。ただし、以下のような特徴的な伝承が残っています。
・大国主命の息子の一人である。
・大国主命によって、出雲国に赴き、神々を鎮めた。
・大麻比古が一角獣に乗っていたという伝承がある。
・出雲大社の本殿には、大麻比古が刻まれた彫刻がある。
以上のように、大麻比古については詳しいことは分かっていませんが、古代日本において重要な神の一人であることは確かです。
…余計わからなくなった🤣
つづく。
ではまた❗

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