こんばんは!生チョコぽん酢です。
明日は3月11日、東日本大震災から12年ですね。
「自殺の話題」について、いつか話しますと言いながら中々書く気になれず引っ張り続けていますが、ちょうどよい時期な気もするので、そろそろ書かせてもらいます。
かなり引っ張ったから楽しみにしている方もいらっしゃると思いますが、全然大した話ではないですからね。
あまり期待せずに読んでください。
そしてあまり感情を入れず、淡々と書いていきます。
私は今までで、数人の友人を自殺で亡くしました。
しかし、あの時期って何だったんだろうな。
東日本大震災の前後で、相次いで3人も自殺したので、今日はその話です。
急に周りから人がいなくなった異様な空気は、今でもなお私の心の中に薄い霧のように漂っています。
実は恋愛感情を抱いていた女性が自殺しました。
Mちゃんとは私がミュージシャンだった頃から友達です。
Mちゃんには私と共通の友人Nがいたから、私が20歳の誕生日に3人で旅行してくれたような間柄でした。
いわゆる男女の友情です。
でも過ごす時間が長くなっていくうちに、私が勝手に恋心を抱いてしまった感じなんですよね。
多分そのせいで自然に仲良し3人組は解散し、私対Mちゃんみたいな関係になっていきます。
でもMちゃんは私のミュージシャン仲間が好きだったので、俗に言う三角関係でした。
よくある話です。
それでズルズルと2人で会っては、Mちゃんの恋愛相談を聞いたり、微妙な友達関係を続けていました。
しかし段々と私も精神的にしんどくなってきてしまって。
いくら好きな女の子だからって、その子の恋愛相談を聞き続けるのって、結構きついんですよね。
真面目に聞かなくなっていき、次第に疎遠になってしまい。
そんなある日、共通の友人Nから電話が来て、Mちゃんが自殺したことを聞かされます。
NはMちゃんとは幼馴染で、ずっと仲良しでした。
しかし、しばらく連絡が取れない時期があり、Mちゃんが一人暮らしをするアパートの緊急連絡先になっているNに電話が来たそうです。
内容は確か管理人さん?がカギを開けるのに立ち会って欲しいとのことで。
アパートに着いたNは呼びかけしますが、一切応答はない。
扉をあけると部屋で首を吊ってたそうです。
2011年3月3日。
この日が自殺日だそうで、Mちゃんは数日後に訪れる東日本大震災を経験していません。
そういえば当時私が乗っていた車のナンバーは33で、Mちゃんも知っていましたが、この日を選んだのには理由があるのか偶然なのか、まぁ真相は不明ですね。
(このせいで私はしばらく3という数字に憑りつかれてしまいました)
遺書はちゃんと残っていました。
案の定恋愛絡みのことのようですね。
しかし、私は遺書を読むことができませんでした。
なぜかって?
この頃には音楽をやめていたのですが、当時Mちゃんが好きだったのって、私の仲間じゃないですか。
親御さんからしたら同類なんですね。
娘さんを恋愛絡みの自殺で亡くされた親御さんって、すごく変になるんですよ。
お葬式は男性出入り禁止。
お墓参りも男性禁止。
私からしたらただのとばっちりみたいなもので、ただただ好きだった女の子が自殺して、理由も教えてもらえず、お葬式にも行けず、お墓参りも一度も行けません。
Nに頼み込んでみても無駄で、そりゃそうですよね、勝手に人の家の墓を、勝手に人の家の方針を破ってまで教えられません。
あの虚無感は消えませんね。
ずっと、心の奥深くで残っています。
でも思うのが、生前もっと恋愛相談聞いてあげてればよかったのになって。
きっと、私にだから話したいけど中々話しづらいことがあったのかもしれません。
まぁタラレバ話ですけどね。
次は東日本大震災の後に、幼馴染が自殺しました(Mちゃんとは一切関係ないやつです)。
橋の上から東名高速道路にジャンプしたんですよ。
当時はニュースに出てて、まぁ某ニュースサイトのコメントでぼろくそに叩かれたものです。
確かに運転してたら上から人が降ってきて、轢き殺してしまった見ず知らずのドライバーさんは気の毒でしたけど(ごめんなさいね)。
自殺の原因は私も知りません。
でも進路のことで迷走していたようで、まだ学生だったんですよね。
優しいやつだったから、色々な悩みがあったのでしょう。
しかも場所が東名ですから、遊びや仕事でしょっちゅう通りますけど、今でも花が添えてあるんですよ。
多分お母さんが定期的に来ているんでしょうね。
幼馴染のこともMちゃんのことも、3.11が近くなるたびに、また東名を通る度に思い出すので、なんだかなって感じです。
って、書く為に思い出しているせいか、具合が悪くなってきたので、やっぱり思い出話はこのあたりにしておきます。
でも大体分かりましたでしょ。
聞いていて楽しい話ではないですしね。
以前この記事で3.11の頃は踏んだり蹴ったりだったことを書きましたが、実はそれに加えて上記のことがありました。
面白い世界ですよ。
話題が少し変わりますが、自殺しても自殺にカウントされないって知っていますか?
このようなネット上の噂話を耳にしたことがある方も多いのでは無いでしょうか。
これは半分事実です。
例えば幼馴染のケースでは、飛び降りをしたのですが、自殺になりませんでした。
しかし密室で首を吊ったMちゃんは、自殺になりました。
理由は色々ありますが、国が自殺者を隠したいから、という陰謀めいたものでは一切ないと、私は感じています。
1)事件の可能性がゼロではないから。
基本的に1%でも事件事故の可能性があれば自殺にはなりません。
後から何らかの証拠が出てくる可能性もあるので警察も責任を取れないからです。
なので怪しい自殺は全て変死という扱いになります。
日本の変死は大体年間で10万人くらいでしょうか。
日本の自殺者は認定されているだけでも世界ぶっちぎりの最多なんですね。
しかし、実際には変死の半分くらいは自殺だと考えられますから(国際基準ではそのように計算されます)
つまり年間の自殺者はこの時点で年間8万人ということ(公表されている自殺者数の数倍)。
さらに、まだ裏があります。
2)遺族の精神的な問題
残された遺族は、体裁的にも心理的にも相当なダメージが残ります。
他者に話す際の体裁が保てるように、基本的に自殺では無い方が良いのです。
3)金銭的な問題
自殺は生命保険がおりない場合があります。
保険がおりないと、残された家族は、迷惑しか残りません。
自殺の際に他人に迷惑をかけてしまった場合の慰謝料やら修繕費も全額自費になる場合があり、残された遺族に多大な迷惑をかけてしまうのですね。
なので、基本的に計画的に自殺する人というのは、樹海等で消息不明になったり、事故に見せかけた方法を取る人が多いのでしょう。
(他にも心当たりがありますが内容的にここでは書けませんのでコミュニティの方で書きます)
もうここまで話せば察しがつくと思います。
まとめるとこうです。
日本の自殺者は認定されているだけでも世界ぶっちぎりの最多。
しかし実際には(1)のケースでは変死になるので、おそらく半分くらいの自殺は変死扱いになっている。
日本の変死者数は年間10万人なので、この時点で年間の自殺者は実質8万人ということ。
更に(3)の場合は、行方不明者や交通事故死等になりますから、それらをさらに加えると
日本の自殺者って、本当は年間何人いるの?ってね。
すごい話です。
日本の社会で生きるということは、常に死と隣り合わせ。
だから私は時々言ってますでしょ。
生きているだけで偉いんだよって。
自己肯定感が低い日本人には特に言えることですが、ついつい理想を追い求めたり、至らない自分を卑下したりしまいがちですけど、
本来は生きているだけで、実は凄い事なんじゃないのかなと思うのです。
日本人はもっと気楽に生きていいと思います。
おわり
↓【オススメ商品記事】本や便利グッズ
↓その他のオススメ商品記事一覧はこちら