前回の記事

 

-コロナワクチンは危険だぞい!-

 

 

・「科学」よりも「権威」を重視する日本社会

 

 

 

 

 

2021年6月29日号 『週刊SPA!』記事より

 

昨今のコロナ騒動の比でない、長野オリンピックの「インフルエンザ・パンデミック」に関しては、先週の『オドレら正気か』の放送にて、当時の日経新聞の記事をもとに、しっかりとしたエビデンスが提示されている。

 

 

 

この1年半、テレビに出てくる「専門家」やら政府の分科会やらの学者は、間違ったことしか行ってないのに、なぜみんないつまでもそんなやつらのいうことを聞くのか!?
テレビや政府などの「権力」によるオーソライズなんか信じるな!
『ゴーマニズム宣言』は「権力よ死ね!!」の言葉で始まった。
誰が本当に正しいことを言っているのか、その本質を見抜け!!

 

権力公認の「権威」を信じるな! - YouTube

 

ちなみに、マスコミで吠え散らかす自称専門家やコメンテーター連中は、こういうことを「一切放棄」している。

 

それでも彼らを信用(鵜呑み)するのかという話。

 

 

誰が言っているから「正しい」のでなく、物事は常に疑ってかからなければならない。

 

しっかり自分の頭で物事を考え、客観的なデータやリアルの実感をもとに推察を重ねれば、「コロナ禍」という“異常な状態”を即座に認識できるだろうし、先の記事の継続として「ワクチンファシズム」に対して、私は人権や民主主義の擁護のため・・・徹底したノーを突きつける。

 

これこそが「本当のリベラルの姿」ってもんだ。

 

昨日、経団連がワクチンパスポートの
早期活用についての提言を行った。
「集団免疫獲得までの間、感染の拡大を防ぎつつ、
社会活動を早期に回復に導く際に有効」なのが
デジタル形式のワクチンパスポートだとして、
導入や活用を推し進めよという。

驚いたのが国内での活用方法。
ワクチンパスポートの提示によって
会場やイベントへの入場時の要件の緩和、
さまざまなサービスやキャンペーンが受けられる
ようにしてはどうかという。

冗談じゃないよ!
じゃあ何か?
ワクチンを打てない人は何らかのサービスがあっても
受ける権利はないということか?

もちろん提言書には、次のようにも記されている。
「ワクチンを受けていない方、受けられない方への
差別や偏見、不利益な取り扱いに繋がらないよう、
合理的な配慮を行うことが不可欠である」


この合理的な配慮がどんなもんかと
【合理的と考えられる活用の事例】を見てみると、こんな具合。
※( )内は笹の心の声

・自らの意思とは関係なく、アレルギーなどの理由で
接種できない方に代替措置(検査による証明)を用意すること

(※結局、何かで証明させようとしていることには変わりない!
自らの意思で拒否する人はサービスを受ける権利なし!?)

・選択肢や代替案なしに、ワクチンの非接種を理由に、
会場やイベントへの入場や使用を断られる(排除される)ことが
ないようにすること

(これは全く意味がわからない。
合理的な活用例は「合理的な対策をとること」と
言っているだけに過ぎない)

結局のところ、ワクチンパスポートを導入したら、
差別や偏見を助長するのだ。
これを防ぐための合理的な活用方法などというものはない。
第一、パスポートが導入される前からすでに
同調圧力を伴った差別や偏見が医療現場などで
起きているではないか。

挙句に、アナログよりデジタルだとして、
こう綴っている。
「その際、プライバシーに配慮をした上で、
マイナンバーを軸に、個人のマイナポータルに
ワクチン接種履歴を連携できるようにすることが
求められる」


プライバシーに配慮したデジタルツールなどと
いうのはじつに欺瞞的、絵空事だと私は思っている。
すべてそれらはデータとして蓄積され、紐づけされ、
いつどこで誰が悪用するかわからない。
目先の便利さに心奪われて、プライバシー丸裸状態の
管理社会が出来上がってしまうのではないか?
(と考えるのが普通ではないか?)

ワクチン接種がコロナ終息とほとんどイコール、
ワクチン絶対”善”として綴られているこの提言書、
まさにワクチンファシズム。

 

経団連、ワクチンパスポートの提言 | ゴー宣ネット道場 (gosen-dojo.com)

 

 

製薬メーカーも安全を保証していない「治験段階」である、しかも今まで使われたことのない「遺伝子改変剤」であるワクチンを、大臣が何の根拠もなく「安全だ! 安全だ! 危険だというのはデマだ!」と叫びまくり、1日100万人ずつ接種者が増えている最中を見て、この国の病理はここまで来たのかと・・・、あらゆる集団がコロナ騒動で「馬脚を露す」姿を見て、オーソライズ(権威)の前では、自らが進んで火の玉になったあの頃を振り返り、いかにこの国が『歴史から何一つ学んでいなかった』ことを、ここにきて強く強く実感する。

 

 

このような状況下で、日和見な腰抜け連中と打って変わって、自らの職を賭して「命がけの言論活動」を繰り広げる小林よしのり氏に、彼自身とは歴史観や政治信条も違うが、「民主主義を運営する覚悟」については、半ばイデオロギーと化した人権を振りかざす、ポリコレ左翼連中のごっこ遊びを一挙に吹き飛ばす勢いで、私は心の底から感嘆と敬意を示したい。

 

 

『何で勉強しなきゃいけないの?※後半村限定』

 

拙ブログで、度々取り上げさせて頂いている室井康雄氏(アニメ私塾)のお話でも、歴史を勉強すれば・・・「今の騒動」が、昔の過ちとパッケージを変えただけの現象であり、とりわけ日本社会で優秀とされる集団「命令や指示が追いつかないほど、これらを忠実かつスピーディに実行する」という方式は、拙ブログでも取り上げた命令待機型の『日本軍の体質』と瓜二つで、これでは半永久に同じ敗北を繰り返すだけでしょう。

 

 

物事を大きく俯瞰したときに、その根源はもっと根深いモノであるということ。とりわけ日本人の権威主義的体質に関しては、幼少から地域(世間)や学校教育における『洗脳』が、組織に準じるより良き「人材」(会社に奉仕する材料)として、すべての価値判断の基準となっており、専門家や権威の『肩書』に異常に固執するのは、上述の「躾(しつけ)」が完璧に行き届いている結果でしょう。

 

 

 

2021年6月24日早苗月増大号 『週刊新潮』記事より

 

気休め程度に、尾身茂氏(分科会)のオーソライズを批判しつつも、無意味でおぞましい「マスク全体主義」“マナーの良さ”とすり替える週刊新潮も同罪だ。所詮は自分たちの他律的な「畜群根性」をひた隠すための煙巻きに過ぎない。

 

 

 

矛盾を矛盾と捉えることが出来ず、自らの破滅さえも厭わない、狂信的な「権威主義」と「従順性」は、長らく日本人を支配し続けている究極的な病理だ。

 

こうした根源を紐解くと、明治時代の学校教育(臣民洗脳)が、現在の制度の奥底で生き続けている歴史があり、そのルーツとなった福沢諭吉の亡霊が彷徨う日本社会に、この先未来永劫、光など当たるはずもないでしょう。。。

 

 

<参考資料>

 

・2021年6月29日号 『週刊SPA!』記事

 

・2021年6月24日早苗月増大号 『週刊新潮』記事

 

・ゴー宣ネット道場 『経団連、ワクチンパスポートの提言』記事(2021.6.25) 笹幸恵

 

・Youtube動画 『権力公認の「権威」を信じるな!』

 

・同 『何で勉強しなきゃいけないの?※後半村限定』

 

 

<ツイッター>

 

【歴史学を学ぶ大切さを伝えるブログ(ふーくん)】

 

https://twitter.com/XMfD0NhYN3uf6As

 

 

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