経営者のわがままで経済・国力が地の底に | ずるずると道・郷・話を愛でる

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房総半島から栃木県北部を中心として、
街と街を結ぶ県道・国道・峠道を巡回しながら、
持続可能で成長する日本の未来の為に成すべき事を考えます。
日々の個人的な興味について書くこともあります。

並走する電車ですれ違って、なんも考えずに駅から飛び出して出会えるのか?!「君の名は。」より。

 

経営者に経済を任せる時代は過ぎ去りました!

 

新世紀のビッグブラザーへ

 

三橋氏によれば「ただのおじさん」ということらしい安倍首相の迷言「もはや国境や国籍にこだわる時代は過ぎ去りました」になぞらえていってみた。ただのおじさんである。普通の語感だと、ただのおじさんのやっていることだから、許してあげようよ、という雰囲気しか伝わらない。

しかし、それでは、この国は米国どころか中国にも蹂躙され搾取され、その結果文明どころかひもじい文化貧国に落ちてしまうのである。

 

彼も、結構言葉の使い方がおかしな人でもあるので、おそらくいいように解釈すれば、ただのおじさん、という言葉で言い表そうとしている性質は、イスラエルのアイヒマンのアイヒマンのように中間管理職の嫉妬深い出世欲にあふれたテクノクラートということなのかもしれない。常に勝ち馬に乗ろうとして、周りの力のありそうなものになびく。こんなのがリーダーをやっていたら、リーダーの率いる組織のためというよりはリーダ個人のために組織が振り回されることは必至なのである。そんなのを応援してしまっている、認知的不協和状態の日本国は、衰退という目標に対して驀進中である。それにもかかわらず、野党がどうのこうのとか、ただのおじさん、安倍以外にだれがいるとか言ってしまうあたり、自己保身が強くてもいいんだ!とただのおじさん首相にのっかっているだけの、悪人に過ぎない。悪人の方が多くなってしまった世の中が、放っておいてよくなるはずもないだろう。

 

安倍応援で日本自滅へ「国家戦略特区Blog」

 

後戻りできない、移民労働者の受け入れ、それは高度技能がどうのこうのという言い訳すら捨て去り、単純労働の奴隷的な労働者を相手国の人身売買ブローカーと結託して受け入れることを容認する、という人道的な問題だけでなく、受け入れた側の日本にとってもそのマイナスの効果はどうしようもないほどに大きいものである。こんな悪行、中国のスパイを堂々と入国させる方がまだわかりやすくてよいぐらいに思えるその所業を、現政権は初めて行っているのである。それが財界の要望だとか、中国との関係だとか、アメリカの圧力だとかそういうことはどうでもいいことなのである。守るべきことを認識しておればそれを跳ね返すことも時間をかけてできるはずである。そんな状況自体よりももっと恐ろしいことは、そういう現状認識もなく、へらへら笑いながらこの状況を加速させていくことである。ダムの決壊ではないが、どんなに軽い症状であってもそれが大災害につながる可能性を認識してなければ・・・その場のカネ欲しさに見て見ぬふりをしたり。目先の儲けのために入らぬ負担をかけ続けていたら、その破たんは思った以上に早く目の前に現れてくるのである。


 

このブログにリンクされている、森永卓郎の警告記事はまさにその危機を示すものである。

 

だが、安価な労働力が大量に流入すれば賃金は一気に下落する。一橋大学経済研究所所長の小塩隆士教授の試算では、単純労働の外国人労働者が100万人流入すれば、賃金は24%下落するという。  

 

当たり前のことだ。そもそも経済活動の源泉は、消費者による需要の拡大である。カネというシステムで回っている社会では、消費者が消費するためには金を持たなければならない。それは、何らかの労働の対価として賃金などの形でもらうもので、かつ、それを実物やサービスに交換する気が起こることからくるものである。金を増やすためだけに金を使うことが主流になってしまえば、カネに結びつく実体はどうでもよくなって、カネ自体の価値の議論になるだろうが、しょせんカネ自体は、システムの中のデータでしかない。それ自体には何の価値もないのである。それがいつでも交換できる商品やサービスが充実してのことである。しかも、それを供給する労働に対して、べつの商品やサービスが得られるぐらいの、賃金等が労働者にわたってこそ、それを消費することができるということである。

 

先進国といわれる国々は、消費者=労働者という構図で国内経済が大部分を占めることできるという自己完結の部分の大きな国ということもできた、だろう。最近は、そういう原則も守られなくなり、結果として、先進国であった国がその範疇から落ちぶれていくことになっている。

 

日本の経済成長は6,7割が内需である!とか言われていたのは、まさにそういうことからであった。

先進国になる前で経済成長していた発展途上国は、自国民が十分な消費ができない代わりに先進国の国民がその余裕で商品やサービスを輸入していた、というだけのことである。

 

先進国だった国々に、移民を入れることで賃金を抑制することで、自国民の賃金も同様に低下させるということは、今の経営には得が生じるが、少し先の未来においては、それを消費する消費者を殺していくことになるのである。貧民を増産することにしかならず、当然作った商品やサービスもそのままの価格では売れない。どんどん価格を下落させることになる。当然、賃金の低下にもつながっていくだろう。これが瞬間的に起こって均衡化することはなく、両方共がどんどん低下して、結局のところ、来年の経営判断においても後ろ向きの判断をせざるを得なくなる。…選択と集中という便利な言葉に乗っかって、これやめよう、あれやめよう、はやりだから、この会社買おう、カネがないから従業員の給料下げよう、首切ろう。そんな疲弊した空気で、買収した会社を統合させようなどという雰囲気もなく、せっかく買った会社も飼殺すだけでろくな相乗効果も挙げることなく、結局売却してしまうのである。その流れで失った事業のノウハウや従業員そのものや従業員の士気は計り知れないものがあるだろう。これでも、バランスシート的には、利益を上げてたりするのであるから一つの指標にこだわって、うまくいっている!ということの愚かしさもわかろうというものだろう。

 

あえて指標でものを語るのであれば、解決するべき問題は指標を上げることではなく、的確な指標を見つけてそれを改善していくことなのだ。そんなもの古典力学電磁気学のようにいつでも変わらぬ式でか語れるようなものでもない。

 

そういう間違った認識による判断の結果、労働者としての国民の収入が定常的に低くなっていく。それは国民全体で見ても購買能力の低下となっていくのだ。保守的に考えると、新しいものや大きな買い物を控えていくことになっていくだろう。ようするに、「無駄」を切り詰める方が賢いという状況になってしまうのである。やりくり主婦(主婦というよりは経営者か)がもてはやされるだけの世界は悲惨な世界なのである。

 

交通インフラの需要は増すばかり「うずらのブログ」

交通インフラは、何もないところあるいは弱いところを強化して作ることに意義がある部分も多い。何もないから作るのが無駄!という発想自体がインフラとは何ぞや、ということが分かっていないのである。儲かる儲からないという時計泥棒元大蔵官僚数式オタク高橋洋一的な発想を中心的にして語ってはいけないのである。

 

学者や大御所の有名人など実は霞を食って生きているような気になっているだろうが、残念ながらそういう人たちを保っているのも国であり社会である。橘なんとかとかホリエなんとかなどのようなリバタリアンなどと気取っている連中も、ただ乗りで社会のリソースをかすめ取っているだけである。かすめ取っている以上の新しいものを作ろうとしている部分があればそれは意味があることだろう。少なくとも、金もうけのことだけを吹聴している連中は、文字通り、寄生虫でしかなく、宿主である社会に恩恵をもたらさぬ害悪でしかないのだ。

 

ビーム技術とリニアコライダー気力・体力・原子力 そして 政治経済

 

もちろん、当たるも八卦当たらぬも八卦の、加速器による物理学の研究もそういうことではあるが、原理的に予測もつかない未来を作るには、そういう「無駄」を承知の好奇心に支えられた事柄を実行していくことが大事なのである。研究はその目的に到達することも大事化も知れないが実はそこに至るまでに作られていく関連の技術も思わぬものが生まれていくというところが面白い。要するに、やり続けることそのものが実は価値の高いことなのである。そのためには、やりくり主婦(経営者)が跋扈してしまう世の中ではどうしようもない、未来はないのである。