気力・体力・原子力 そして 政治経済

気力・体力・原子力 そして 政治経済

原子力と経済についてはうるさいですよ!
 (旧有閑爺いのブログ)

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 日本では「清貧」ということが美徳とされています。
 【貧しくとも「清く、正しく、美しく」生きることは可能だし、そうした生き方をすることは人として立派なことだ】、ということが「清貧」の具体像かと思います。
 そのことを私は否定しませんが、あまねく人へ勧めることだとも考えてはいません。しかしながら、この「清貧」を誰にでも押し付けてくるお節介な人はいるもので、迷惑なことだと感じます。

 実はこの「清貧」を国家のレベルでも行うべきと考える人が多くいて、そのことが日本の経済成長を阻んでいるのではないかと私は思っています。

 経済成長をするためには誰かが借金をして、それを付加価値購入に充てる必要があります。
 しかし、「清貧」を支持する人は「借金をして」ということを否定します。個人の借金を否定することはそれはそれで認められることでありますが、国家が借金をすることを絶対に否定してはなりません。
 むしろ不景気の時は国家が借金をして、それを付加価値購入の原資とすることを積極的に推し進めるよう政治家に求めるべきです。

 国家が借金をして、それを役人がラスベガスに持ち込んで博打をすることはありません。国家の借金は予算に組み込まれて正当な支出に充てられます。
 国家の支出は国民にわたり、結果として国民の所得となります。
 例えば国家の支出で軍艦を作れば、造船会社や武器製造会社に金がわたり、その会社の社員の給料となり、部品製造を行う会社に金がわたり、その会社の社員の給料となり、ということが順に起こります。
 実はこのことを突き詰めると、国家から支出された金は「給料」「減価償却費」「利益」「税」(つまり所得)に変じます。
 なお、原料は無料です。鉄で言えば、鉄鉱石は地球にあるものですので無料です。鉱山会社は鉄鉱石を掘り出したとき、「地球さんありがとう、これは鉄鉱石の代金です」と言って、金を地球に埋めたりはしません。

 結局、「政府の負債は国民の所得」ということが真実なのです。
 所得を増やしたいなら、国の借金は増やすべき、ということが真実です。

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 昭和の高度成長は、国・会社・個人が盛大に借金をして、それを需要に換えていたから実現したのです。

 国は郵貯・年金等の預金・積立金を全額借り入れていました。実は、郵貯の利率は銀行に比べて高かったので、国民の預金はほぼすべてが郵貯であり、市中銀行には預金は集まらなかったのです。銀行は歩積み両建てで見かけの預金はあったのですが、実質の預金はごくわずかであったのです。
 会社は自己資金などほとんどなく設備投資は借金で賄われたのです。当時は需要が拡大していたので、シェアを維持するためだけにでも増産が必要であり、設備投資は大々的に行われていたのです。投資資金は銀行が貸し出したのですが、銀行は預金を集められなかったので日本銀行からの借入金が充てられました。
 個人は高額消費財は月賦販売というものを利用していました。つまり月販会社というのは商品代金を貸し出す実質金貸しであって、個人は借り入れた商品代金を月々返済していったのです。
 私が初めて購入した中古自動車も月賦でした。その時商品代金を貸してくれたのは中古車販売会社と提携していた大手の市中銀行でした。私が振り出した約手を市中銀行が割り引くという形が取られたのです。

 つまり、昭和の高度成長は、国・会社・個人が借金漬けになっていたから実現したのであり、「清貧」と程遠い行動をしたから実現したのです。
 

 GDPは最終消費者が付加価値を購入するために投じた金の合計で計測されます。
 このことから言えることは、「金さえ使えば経済を拡大させることが出来る」ということです。つまり去年より今年多く金を使えば経済は拡大するのです。

 去年より多く今年金を使うためにせねばならないことが一つあります。それは誰かが借金をして、それを付加価値購入に充てるということです。稼いだ金をすべて使っても経済規模は維持できても拡大はしません。借金こそ経済拡大のための必要条件なのです。

 参院選が公示されましたが、経済政策に関して上記のことを明確に指摘し、そのことを政策として提示している有力候補者はいません。
 このままでは、日本が成長軌道に乗ることはなく、衰退の道を歩むことになるでしょう。

 私に残された日数は少なく、日本が再び経済拡大していく姿を見ることはないかもしれませんが、お若い方々は「GDPは使った金の合計」ということの意味することを吟味して、正しい経済政策を進め、「一億総中流」と言われた社会の再来を目指していただきたいと思います。
 

 少し前の話になるのですが、札幌地裁が北海道電力に対して泊原発の運転を差し止めを命じる判決を下しました。
 私はこの判決は、司法の技術事項に対する無知からくる傲慢がもたらしたものだと感じています。
 司法が技術事項に対して無知な連中の集団とまでは申しませんが、まず、原発は広義の意味では一度「運転」を始めると、廃炉が完了するまで「運転」を止めることは安全上不可能な設備であるということ全く理解していないことは確かです。
 PWR型原発は発電を停止しても、冷却設備・放射線モニタリング・非常用発電設備・換気空調設備等は「運転」していなければなりません。
 おそらくBWR型原発でもかなりの設備は運転状態としておく必要があると思います。
 運転を差し止めれば、使用済み核燃料が破損して核分裂生成物が外部に放出される危険性があります。

 次に津波に対する対策ですが、PWR型原発が運転状態にあるときに地震が起きれば、制御用地震計が地震を検知して核分裂反応を止め原子炉を動的停止状態とします。
 動的停止状態とは原子炉内の冷却材の温度・圧力を発電時と全く同じ状態に保っておくで、素早く再起動できるようにしておくことを言います。つまり止めるのは核分裂反応のみということです。この状態で津波の危険性が無いなら原子炉を再起動させて、発電を開始することになります。

 で、札幌地裁が指摘するように津波が防潮堤を超えて浸水してきたらどうなるかです。おそらく海水トレンチなどには浸水があるでしょうから、海水ポンプ・配管等は水没するでしょう。しかし水没で機能は損なわれることはありませんので、冷却機能は維持できると思います。
 じゃあ何が問題なのか?このことについて裁判所は何も述べていません。「浸水するからダメなのだ」とでも言うのでしょうか?

 原発で問題なのは事故時に核分裂生成物が外部に放出されることです。核分裂生成物が外部に放出される可能性のある事故とはLOCA(Loss Of Coolant Accident:冷却材喪失事故)であり、その事故は原発敷地内に海水が侵入すれば引き起こされるものではありません。
 原子炉に大穴が開くとか、冷却材管が破断するとかが無い限りあり得ません。しかもそうした事故でさえ抑え込むことが出来るというシステムになっています。
 また、海水系は冷却水として使用されているのですが、原子炉の冷却とには直接の関係はなく、原子炉を冷却する設備は蒸気発生器です。
 つまり、津波と放射性物質の外部漏洩とには直接の関係は一切ないのです。

 最後に判決の根拠とした「人格権」ですが、これはどんな法律に規定されているのでしょうか?
 「人格権」という権利は極めてあいまいであり、よくわからないものです。
 そして、裁判所はそうした権利を保障する機関でもありません。裁判所は法を破っているか守っているかを裁くところです。法を破っているなら量刑を科すことが出来ますが、刑の執行は行政が行うことであり、行政は裁量により赦免することだってあり得ます。

 北海道電力は原発運転に関して法を犯してはいません。「人格権」を言うなら法人たる北海道電力にも法人としての人格があります。
 北海道民に電力を安定的に供給するという使命を阻害されているのですから、人格を汚されているようなものです。

 「泊原発運転差し止め」という判決は、技術上の知見に無知で、一方的な偏った立場からの考えに基づいた傲慢な判決であると、私は強く感じました。