ヒッチコック監督による一風変わったミステリーであった。斬新でおもしろい!
主人公のジェフは骨折中の写真家である。自宅から一歩も動けないままおよそ6週間が経過していた。
季節は夏。うだるような暑さが続いている。まともにクーラーもない時代なので、ギプスで動けないジェフは窓を開けてご近所の様子を眺めることで退屈しのぎをしていた。
本作のおもしろい点の一つは、ずっと窓の向こうの住民たちが生活をしていることだ。
ジェフと恋人のリザが会話をしている向こう側で、向かいのマンションの住民が誰かと会話をしていたり、くつろいだりしているのが映っている。
実際に窓から見える向かいのアパートの景色はセットであるそうで、セリフの聞こえないシーンでも遠くで演技をしているそれは、まるで大きな舞台演劇を見ているかのようだ。
ピアノを弾いている作曲家、互いに隠し事をしているのか揉めている夫婦、朝から下着姿でダンスする若い女性、愛を求める孤独な中年女性……。
そして、この穏やかな日常にある日突然、事件が起こる。
夜中に女性の悲鳴。うとうとしていたジェフも目を覚まして、窓の外を見る。
どうやらいつも言い争いの耐えなかった夫婦の部屋で何かが起きた様子である。
その後、大きなカバンを持って雷雨の中なのに3回も自宅を出入りする夫。翌朝から姿が見えなくなる歪みあっていた寝たきりの妻。新聞紙に包むノコギリ包丁、そして運び出される大荷物。
まるで妻は殺され、死体はバラバラに切断されて運び出されたかのよう。ジェフは不審な夫の行動に事件性を感じ始めるのだ。
窓の向こうの住民たちは何やらそれぞれにストーリーを持って動いている。詳しい会話までは聞こえないが、住民たちは確かに生きていて、そこにもドラマがあるのだ。あくまでジェフ目線の推測的なドラマであることが肝心である。
「覗き」がスリリングで興味深くなってしまうのは、何が起きているのか分からない群像劇に自分なりのストーリーを持たせることができるからだろう。
想像力が掻き立てられるのだ。
何より、「裏窓」というタイトルが秀逸である。「表」の窓ではない。「裏」の窓なのである。
表通りに面しておらず、それはまるで人々の隠された日常生活や内面が覗き見えてしまうかのような窓なのである。
ジェフが目にした一連の夫の動きは不審な点ばかりであり、彼は妻の姿が見えなくなったことで、殺人事件が起こったのではないかと推測し始める。
ところが死体はないし、証拠もない。事件を解明しようにも自分は足が折れていて動けない。事件の間近まで近付くことは叶わず、別の誰かに協力してもらいながら、ゆっくりと謎を紐解いていくのである。
とても面白い構成だと思った。
ヒッチコックの発明だと思う。人間の持ち前の想像力を掻き立てる人間群像劇。
謎が発生し、不穏な要素が重なれば、そこにミステリーが生まれる。
改めて考えてみれば、ミステリーは起きた出来事に対して誰かが疑惑を持ち、不信感を持ち、事件として取り上げるからミステリー足り得るのだ。
他のジェフ以外の住民のように、起きた出来事に気付かなければ、ミステリーは発生し得ない。
見知らぬ女性が、ある夜から姿が見えなくなっているだけなのである。
物語を見聞きして事件を解決する安楽椅子探偵というジャンルもあるが、本作の場合、ジェフは思いがけず安楽椅子探偵となる。
ただ、本作がミステリーとして異色であるのは事件そのものが起きたかどうかも分からないという点なのだ。
ジェフを演じた
ジェームズ・スチュアートは他にも『
めまい』や『
知りすぎていた男』など
ヒッチコック監督作品に主演を重ねている名優である。
名タッグと言っても良いのだろう。
恋人リサ役を演じるのは、後のモナコ公妃となるグレース・ケリーである。彼女が出演する映画は初めて見たが、実に美しい女優であった。
本作のリサもそうであるように、一つ一つの所作や表情に気品がある。色気がある。なんとも麗しい。
名前だけは知っていたが、その人気も納得の名女優だったのだと感じる。
このリサと看護師のステラがジェフの推理を確信へと変えていく相棒役を担ってくれる。
女はお気に入りのカバンを自宅に置いて旅行になど行かない、宝飾品をカバンに入れたままにしないと女性目線での価値観を教えてくれるのだ。
極め付けは、結婚指輪は死ぬまで外すようなことはないという考えを持って、彼女が事件に巻き込まれた可能性が高いことをジェフに確信させていく。
すべて状況証拠に過ぎないため警察の友人は大して本腰を入れて動いてくれないのだが、リサとステラはジェフの推理を確かめようと動き出してくれるのだ。
ちなみに、本作ではミステリーと同時にジェフとリサの恋愛関係も描かれている。
リサはジェフと結婚することを望んでいるが、写真家のジェフはそれを望んでおらず、彼は理屈を並べて今の関係を維持しようとしていた。
外国を飛び回り、時には危険な場所へも行かなければならない写真家として、裕福な家庭に生まれ、上品で育ちの良いリサとどこまでも行動を共にすることはできないと考えているのだ。
ジェフもリサのことは愛しているのだが、育って来た環境の違いを感じてしまい、なかなか結婚に踏み込めずにいる。今の時代でも分からなくもないジェフの悩みである。
二人は考えのすれ違いを巡って度々口論になってしまいっていた。
ところが、事件を通してリサは思いがけない一面を見せ始めるから面白い。
足が骨折していたことが本作におけるジェフの最大の悩みだった。本来なら活動的なジェフが一番にソーワルドの家に忍び込んで証拠を押さえたかったはずだ。スクープは仕事にも直結する。
ところが、彼は今、窓際から動けずにいる。この足枷が非常に絶妙な制約要素である。
そこでジェフの足代わりになるのがリサだったのだ。
リサはソーワルドへの脅迫文を投函しに行ったり、何かが埋められたらしい花壇を掘り返したり、次第にジェフも心配するほど行動が大胆になっていく。
そして遂に留守中にソーワルドの自宅へと侵入し、男と鉢合わせしてしまうのだ。
この大胆かつ勇敢なリサの行動力にジェフの彼女への思いは完全に覆った。
彼女は思っていたような女性ではなかったのだ。高そうな服を着てハイヒールを履いていても、彼女の心は探究心に満ちていた。まさにジェフにお似合いの活動的な女性だったのである。
それもまたジェフの思い込みだったということだろう。
思い込みによって、人は人を決め付けてしまう。本当の姿は思いもがけない瞬間に垣間見えるということなのだ。
リサがソーワルドと鉢合わせしてから事件は急展開を迎える。
リサの助けを求める合図によってジェフが向かいの窓から覗き見していることがバレてしまい、ソーワルドが向かいに住むジェフの自宅へと侵入してくる。
不幸にもジェフは自宅の鍵をかけ忘れていた。
少しずつ廊下から近づいて来る足音が聞こえるのに、ジェフは骨折しているせいで思うように玄関まで向かえない。
この悪夢を見るかのようなもどかしさがヒッチコックらしい恐怖の演出である。
ソーワルドはついにジェフと対峙すると、リサが証拠として盗んだ結婚指輪を返すよう要求し、ジェフに危害を加えてくるのだ。
窓辺から落とされそうになっているところ、警察が駆けつけ、ジェフは下まで落下したもののなんとか一命を取り留めた。
ソーワルドは確保され、彼が隠したという"何か"が見つかったことも知らされる。
ところが本作の醍醐味は、ソーワルドが何を隠し、そして本当に事件があったのかどうかは最後まで描かれないということである。
警察に確保された後、シーンはソーワルドに部屋から落とされて今度は両足を骨折することになったジェフとそれを穏やかに看病するリサ、そして平穏に日常を過ごす住民たちが映される。そして、そのまま映画は幕を閉じるのだ。
真実が何だったのか、単なるジェフの勘違いだったのかは分からないままだ。
それは本作が徹頭徹尾、単なる「覗き見」による想像力が作り出した物語であるからなのだろう。
事実がどうであるかは関係ない。想像するだけで人々の日常はミステリーにもなるし、あるいは滑稽な勘違いコメディに過ぎなかったのかもしれない。
またはそれだけでは済まない話かもしれない。
ジェフは一方的にソーワルドを悪人だと決め付けていたが、ソーワルドがもしも病弱な妻を看病していた善人だっだ場合、彼の視点に立てばジェフとリサたちの行動はかなり悪質ではないか。
日がなプライベートを勝手に監視され、挙句に身に覚えのない脅迫文を送りつけ、留守中に自宅に不法侵入する始末。
指輪を盗まれ、ソーワルドとしては犯罪者を追い詰めて懲らしめようと思っていたのかもしれない。
深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いている。
ジェフによる覗き見趣味は、もしかすると悪質かつ犯罪に近い危険な行動だったのかもしれない。
実際の真実はどうだったのだろう。
そんな中、一つだけ気になるシーンが残った。
基本的にはジェフの視点でミステリー要素が進んでいくのだが、一度だけジェフが眠っている隙にソーワルドが動き出すシーンがあるのだ。
ジェフが女の悲鳴を聞いた夜、ソーワルドが何度もカバンを運び出した後、彼は顔の見えない女性を連れて部屋から出て行っていた。
ジェフはその瞬間、たまたま眠りに落ちてその場面を見ていなかった。もしも本当に事件があったとするならば、謎の女性との外出は犯行後の出来事だ。
あれは妻だったのか、あるいは別の女性だったのか。いずれにしてもおそらく部屋から連れて出て行った彼女が、駅までソーワルドが連れて行ったという目撃情報のある女性だったのだろう。
このシーンと目撃情報があるだけで、妻が生きている可能性もグンと高まっていたと思う。雷雨の深夜に動くとなると違和感があるが、もしかすると療養のため田舎の別の施設へ妻を送り届けていたのかもしれない。だが、それも真実は定かではない。
たったワンシーンも緻密に計算されていたように感じる。
「覗き見」一つで人間ドラマやミステリーの可能性を広げる本作の構成が素晴らしかった。