仁川空港発、ホノルル行きの国際便機内でバイオテロが発生。密室の空間で緊迫した大事件が発生する。
韓国発のパニックサスペンス映画である。
ソン・ガンホ、イ・ビョンホンと出演者も豪華で見応えがある。
ソン・ガンホは地上で犯人が隠している動機や事件解明を探る刑事、イ・ビョンホンは機内のパニックに対応する伝説のパイロットを演じている。
密室空間のウイルス感染と言えば、我々も今もまだ直近で危機感を覚えているのではないだろうか。
あの頃は飛行機もエレベーターもやはりちょっと気を遣っていた。今もまだ素手でエスカレーターのベルトを触ったり、電車の吊り革を握ることなどにまだ薄らと抵抗感を感じる時もある。
それが死に直結するウイルスなら尚更。
コロナ後の今だからこそ、多くの人たちにその恐ろしさが通じるパニック作品だった。
前半はとにかく機内でウイルスが蔓延するまでのスリリングな展開が描かれる。
犯人の男は前日のうちにバイオテロを起こすという犯罪予告動画をネットにあげていた。
男は空港のトイレで脇の下に傷を作ってその中へウイルス入りのカプセルを仕込むことで保安検査場を通過するのだ。
身体を傷付けて仕込むという手口がエグい。エグいからこそリアルである。
この男、一見すると普通の若い好青年といった感じなのだが、冒頭の搭乗カウンターでのスタッフへの対応から、人を見下した態度が見え隠れする。
自分は優秀な人間で、すべての愚かな人間たちを見下しているといった感じなのである。
その後、イ・ビョンホン演じるパク・ジェヒョクの娘スミンにしつこく話しかける。この親子が自分が搭乗する飛行機と同じ機体に乗ると気付き、死ぬ前の人間と会話をしておこうと興味本位で近付いている感じがする。話しかけ方が執拗で、程よく粘着質である。
かといって、目立って不審者でもない。非常にちょうど良い塩梅で気味が悪いのだ。
自分が感染して死ぬことを覚悟した上でこれだけのバイオテロを起こしているのだから、相当な動機があるはずだ。家族が航空会社に殺されたとか、自死に追い込まれたとか。
ところがそうではなく、ただ単純に飛行機をウイルスの実験場にすることで鬱積した自身の不遇感を晴らそうとしただけだったというのだから驚く。
徹頭徹尾、クズ野郎だったのである。
要するに人間を実験用マウスとしてしか見ていないわけだ。自分も含めて「この世界の人間はみんな死んじゃえばいい」的な破滅型の人間である。
ところが、世の中にはそういった危険な思想に追い込まれた人間も一定数いるようで、そんな無差別な動機によって何の罪もない人々が事件に巻き込まれるから、テロや犯罪行為は理不尽な悪事なのだと痛感する。
粉末状にしたウイルスをトイレで散布した犯人。
ウイルスはあっという間に機内にいた乗客へと感染し、乗務員を通じてコックピットにいる機長らへも感染してしまう。
男は秘密裏にウイルスの発症スピードを早くするマウス実験を繰り返しており、既にこのウイルスの感染力と発症力は脅威的な威力となっていたのだった。
やがて犯罪予告動画を受けて、地上での捜査を担当していたク・イノ刑事らの活動によって男の素性やウイルスの正体が判明。
次第にニュースに取り上げられるようになって機内にいる乗客も、今機内で何が起きているのかを知ることとなるのだ。
男は乗客たちによって確保されるも、既に機内でバイオテロは発生してしまっていた。
ウイルス感染が広がっていくと同時に、前半部分では操縦不能となった飛行機が猛スピードで落下していくシーンもあり、身体ごと投げ出される乗務員や恐怖に怯える乗客たちの悲鳴が恐ろしい、壮絶な墜落シーンもあった。
飛行機が苦手な人はこのシーンも含めて見るべきではないと断言しておきたい。
しかし、逆にそうではない人にとってこのシーンの緊迫感は圧巻である。逆立つ髪や天井に投げ出される乗務員など、墜落による強烈なGが感じられる凄まじいシーンとなっている。
感染した機体はハワイでアメリカからの着陸許可が下りずに引き返すこととなり、死者を増やしながら泣く泣く自国へと戻ることとなる。
国土交通大臣の説得によって、ようやく主犯の男がかつて勤めていた会社に隠匿されていたウイルスのワクチンを手に入れたにも関わらず、各国は非協力的なのだ。
着陸後すぐに治療を受けられると望みを抱いていた乗客たちは絶望感に包まれる。この閉鎖空間からはまだ逃れることはできない。帰路に着く間に感染し、あっという間に発症するリスクも非常に高い。
窓から機内に差し込む夕陽の光が、眩しいけれどもとても深い乗客たちの失意を感じさせた。
帰還中の飛行機ではキャプテンが死亡し、副操縦士も感染。
副操縦士によってこれ以上の航空は不能と判断されるも、日本への緊急着陸も容認されなかった。それでも無視して成田空港へ着陸しようとする副操縦士だったが、自衛隊が出動して威嚇射撃まで行われてしまい、飛行機は再び上空へと戻っていく。
たとえワクチンが見つかったとは言え、どこの国も変異した可能性のある未知のウイルスに慎重な姿勢を示していた。
政治家の会見を聞いて非人道的と思われるかもしれないが、韓国の国土交通大臣も「日本の主張も分かる」と言うように、変異したウイルスにワクチンの効果があるかどうかは不明で、いわばこの機体が着陸するためには致死率の高いウイルスそのものを受け入れる覚悟が必要なのだ。
未知のウイルスが蔓延した飛行機そのものが国家の安全を脅かす煙たい存在となってしまっているのである。
そのため、自国の韓国でも着陸に対して賛否が分かれてしまう。むしろ、否定派が優勢になるほどだ。反対派のデモ行進がソウル空港で行われ、飛行機は自国へ戻っても着陸許可が下りなかった。
他国へ行っても、自国へ戻っても、機内の乗客たちを見る目は決して温かいものではなかったのだ。
機内の生存者のみならず、家族や愛する人の帰りを空港で待っている被害者家族たちも、自国内での否定的な声にどれほど心を痛めただろう。
反対デモで空港を封鎖しようとする者、家族の帰還を待ち望む者、乗員乗客の無事を祈って国家間の調整に走る者……地上でも様々な思惑で彼らのことを見上げていた。
ウイルステロの主犯であったリュ・ジンソクはとっくに感染して死んでしまっていた。動機も浅はかで自己中心的。絶対的な悪人はこの男であると断言できる。それは間違いない。
しかし、機内にいる乗客乗務員は感染している可能性の高い自分たちが、他の人にウイルス感染させることへの罪悪感を感じ始めていく。
ウイルスの恐ろしさは、感染した人間がその瞬間から自分自身が静かな時限爆弾となり、他の人間に生命の危機を与える可能性があるということだと思う。
大切な家族や愛する人を危険に晒す可能性が高い。コロナ禍で陽性になって家族に移すまいと自宅で隔離生活をしたことのある我々なら、きっと分かるのではないだろうか。
ならばいっそのこと、自分たちでこのウイルスを封じ込めてしまおうと。機内の乗客たちは地上にいる家族たちへ別れの電話をかけ始める。電波の弱い上空から、彼らは地上にいる家族たちに丁寧に言葉を残す。
とても切ないシーンである。
本作で描きたいのは、やはりそこだと思う。
ウイルス感染を描いたパニックシーンも緊迫感があって良いのだが、抗ウイルス剤の効果が未確認の間、命の選択を迫られた国民と機内の乗客たちの複雑な心理描写が見どころなのだ。
保身のために自分たちの命を守るのか、それとも自分たちのリスクを受け入れて別の誰かの命を守るのか。
究極の選択を迫られた時、人は何を最優先に考えるのか。
自己犠牲の精神が尊いわけではなく、大切な人を守るために自分たちなりに考えた最良の選択を受け入れるまでの、思慮深い人間ならではの高度な判断が尊いのではないだろうか。
それはゲージに入れられた実験用マウスの感染とはまったく質が違う。違うのだ。
韓国中がKI501便の覚悟と別れの言葉を聞いて静かな沈黙に包まれる中、地上でもウイルス感染していたク・イノ刑事がワクチンの効果によって意識を取り戻すという奇跡が起きた。
ワクチンには効果がある。それはまだ確かな保証ではなかったが、ク・イノ刑事の捨て身の覚悟を目の当たりにした国土交通大臣はそこに一縷の望みを見出し、着陸許可を要請するのだ。
その後の燃料問題で墜落の危機についてはもうスリルはお腹いっぱいといった感じだったが、まぁ映画の最後だから盛り上げたいのは仕方ないだろう。
それに、それは過去にトラウマを抱えたパク・ジェヒョクの闘いでもあったのだ。
2020年にコロナが蔓延したあの時、どこかで同じように命の選択を迫られた人がいたかもしれない。
飛行機という大きな舞台ではないにしろ、家庭内や病院内で家族と「会わない」という選択をした人もいたのではないだろうか。
もちろん、その選択が絶対的に正しいとは言い切れない。そうではない選択をすることも正しい。また、会わせてもらえなかった人もいただろう。これもまたウイルスの恐ろしいところだ。
しかし、例えば「会わない」という苦渋の覚悟をした人がいたのであれば、その判断と思惑は尊いものだったと感じる。
きっと自分よりも大切な何かを守ろうとした故の選択だったと思うからだ。
それは心のある人間にしか成し得ない決断なのである。
本作で描かれる人間の思慮の深さに心が震えた。