第1175作目・『めまい』 | 【発掘キネマ】〜オススメ映画でじっくり考察 ☆ネタバレあり☆

【発掘キネマ】〜オススメ映画でじっくり考察 ☆ネタバレあり☆

いつの時代も名作は色褪せません。
ジャンル、時代いっさい問わず、オススメ映画をピックアップ。
映画で人生を考察してみました。
【注意】
・ネタバレあり
・通番は個人的な指標です。
・解説、感想は個人の見解のため、ご理解下さい。

『めまい』

(1958年・アメリカ)

〈ジャンル〉サスペンス



~オススメ値~

★★★☆☆

・"めまいショット"を生み出した伝説的名作。

・ヒッチコック監督の計算され尽くした緻密な演出。

・亡霊を愛した男に訪れる驚愕のラスト。


(オススメ値の基準)

★1つ…一度は見たい

★2つ…良作だと思う

★3つ…ぜひ人にオススメしたい

★4つ…かなりオススメ!

★5つ…人生の一本、殿堂入り

〜オススメ対象外は月毎の「ざっと書き」にて紹介



〈〈以下、ネタバレ注意!!〉〉



《あらすじ》


『かつては刑事だったスコティは犯人を追う最中に同僚を目の前で転落死させてしまった事件がきっかけとなり、高所恐怖症に悩まされていた。ある日、友人エルスターの相談を受けたスコティは、彼の妻マデリンの奇行を調査することになる。マデリンは彼女の先祖であり、不幸な死を遂げたカルロッタの亡霊に導かれるように時折、自分の意思に反してあちこちへと出向いて行くのだ。ある日、尾行している目の前で海に投身自殺を図ったマデリンを救助したスコティ。その時から二人は恋に落ちてしまうのだが、マデリンはまたも導かれるようにカルロッタが自殺した教会の鐘楼へと向かっていくのだった。』


〜美貌の人妻の不思議な行動を追って発展するロマンスとサスペンスの名篇‼︎〜


《監督》アルフレッド・ヒッチコック

(「北北西に進路を取れ」「サイコ」「鳥」)

《脚本》アレック・コッペル、サミュエル・テイラー

《出演》ジェームズ・スチュワート、キム・ノヴァク、バーバラ・ベル・ゲデス、トム・ヘルモア、ほか



【愛の罠に"落ちる"高所恐怖症の男】

サスペンス映画界の巨匠といえば、『鳥』 『サイコ』などを手掛けたアルフレッド・ヒッチコック監督にほかならない。
ヒッチコック監督が今回手がけたサスペンスで映画に独特な非日常感を与えるキーワードが、まさに主人公スコティが抱える重度の高所恐怖症だろう。

高所恐怖症という主人公の弱みが事件の核心に大きく繋がり、そして様々な演出効果にも影響を及ぼす。
例えば、鐘楼の螺旋階段を登るスコティが階下を見下ろす際に使われた不思議な映像体験。
カメラを移動させると同時にズームを行うことで被写体の大きさは変えずに周囲だけがズームアップして広角になるという演出は「ドリー・ズーム」と呼ばれて本作以降の作品でも広く使われ始めるようになる。
別名"めまいショット"と呼ばれるこの手法は、ヒッチコック監督が高所恐怖症の患者の視点から見た空間の歪みを再現したものだ。
もっとも、鐘楼のシーンで垂直にドリー・ズームを行うには費用がかさむ。そのため、ヒッチコックは螺旋階段のミニチュアを作り、それを真横に倒して撮影したのだという。
さすがはサスペンス映画界の巨匠。"めまいショット"と呼ばれる手法を広く開拓しただけでなく、いきなり応用技まで組み込んだのだ。
今では恐怖や不安感、圧迫感を煽る効果的な演出方法として実写のみならず、アニメ等でも活用されている

↑この独特な映像技術が後に"めまいショット"と呼ばれる手法である。確かにホラードラマとかで何度か見たことがある。


さて、まずはそんな『めまい』のあらすじに触れておきたい。

主人公スコティは元刑事である。
彼はある事件の犯人を追っている際、目の前で同僚が転落死をしてしまうというショッキングな事故に遭遇。以来、高所恐怖症となってしまって刑事を辞めてしまった
ある日、学生時代の友人であるエルスターが現れて、スコティに妻の身辺調査の依頼をする。エルスターの話によると、彼の妻マデリンは日中、何かに意識を乗っ取られたかのように街を彷徨い、不審な行動が見られるのだという。
スコティが調査を始めると、マデリンは非常に美しい女性で、確かにエルスターの言う通り、何かに導かれるかのようにサンフランシスコの街中を彷徨うのだった。
調査を進めると、どうやらマデリンを導くのは彼女の曽祖母であり不幸な死を遂げたカルロッタのようで、彼女の髪型はカルロッタの自画像と同じ髪型になっていたのだ。

カルロッタの亡霊に導かれているのか?
不安を感じながら尾行を続けていたある日、マデリンはスコティの目の前で海に向かって投身自殺を図る
間一髪で救助したスコティはマデリンを自宅に連れ帰り、介抱する。その時、スコティとマデリンは知り合うこととなり、いつしか二人は恋に落ちてしまうのだった。
マデリンの不安定な精神状態が続いているため、スコティは彼女を救う手立てを探るべく、マデリンの夢に出てきたという教会へと向かう。
夢の中の体験を思い出し、少しでも回復に繋がればと願っていたスコティだったが、マデリンは突然、教会の鐘楼に導かれるように走って行く。
スコティも急いで追いかけるが、高所恐怖症のスコティには鐘楼の螺旋階段で目眩が生じてしまい、思うように足が進まない。
そうこうしているうちに、女の悲鳴が聞こえたかと思えば、スコティの目の前をマデリンが落下し、彼女は転落死してしまうのだった。

↑愛したマデリンは突如、カルロッタの亡霊に導かれるように転落死してしまった。


裁判ではマデリンの死は自殺と断定されるが、スコティの心身は衰弱しきっていた。
数年後、スコティは街中でマデリンそっくりの女性に出会う。ジュディと名乗るその女は、顔立ちはマデリンに似ているのだが、どことなく喋り方などの雰囲気が違う。
それでもスコティはまたジュディに会いたいと思い、彼女とのデートを約束した。

そんなスコティの後ろ姿を目にしながら、ジュディには秘めていた想いがあった。
ジュディはマデリン本人だったのだ。実は鐘楼での転落死は夫エルスターの計画した妻殺しの犯行計画だった。本当のマデリンは別におり、ジュディはエルスターに協力する形でマデリンになりすまし、スコティをその目撃者として巻き込んでいたのだ。
そして、カルロッタの亡霊に導かれたマデリンとしてジュディは鐘楼の螺旋階段を駆け上がり、先に待ち構えていたエルスターが意識を失っていた妻を突き落としたのである。

↑ジュディはやはりマデリンと同一人物であった。スコティがエルスターに呼ばれた時から犯行計画は始まっていたのだ。


そうとも知らないスコティはジュディに亡きマデリンの姿を重ねて、要求をエスカレートさせていく
マデリンと同じスーツを仕立て、髪色を変えさせて髪型もマデリンと同じ髪型に変えさせた。
スコティの歪んだ愛情を異常と感じながらも、ジュディは自身も密かに愛していたスコティに愛されるため、彼の要求に応えていく
しかし、スコティはマデリンが持っていたネックレスを見つけて、ジュディこそマデリンと同一人物であることを確信する。そこで、ジュディを再び教会へと連れ出し、鐘楼の上でジュディに真相を問い詰めた。
恐怖に押し潰されそうになったジュディは妻殺しの真実を認め、スコティを騙していたことを打ち明けた
その時、騒ぎを聞きつけて現れた修道女の影に動揺したジュディは足元を狂わせ、まるでマデリンと同様に鐘楼から転落死してしまった
スコティはそんな彼女の姿を見て驚き、立ち尽くすのだった。


【狂人の愛】

重厚なサスペンスの雰囲気で始まり、一度ならず二度までも驚かせる驚愕の映画である。

スコティがマデリンの乗った車を尾行していた時、大体サンフランシスコの急な下り坂を走ることが多かった。
そういう些細なシーンで無意識に「落ちる」感覚を植え付けているのも巧みであるし、不安感を煽る音楽の使い方や悪夢のシーンで描かれる激しい色づかいも潜在的な恐怖に訴えかけてくる。

また、ゴールデンゲートブリッジやパレス・オブ・ファインアーツ、急勾配の坂道など、およそ60年前のサンフランシスコの街並みを堪能することができるのも魅力的だ。
海の風が吹く港町の雰囲気を感じることができる。

↑サンフランシスコの当時の雰囲気を味わうことができる。所々の装飾にアジアンテイストが見られるのも港町っぽい。


ラストシーンの解釈については様々あろう。
スコティは亡きマデリンの姿をジュディに重ねることでマデリンを愛し続けた。目の前で愛する人を失ったショックが、スコティを精神不安定な状態にさせたのだ。
ジュディにマデリンの姿形を要求するというのも明らかに狂っている。このスコティの言動が女性蔑視と言われても仕方がない。普通の人にはまったく受け入れられない歪んだ愛の形だ。
だが、言うなれば、スコティはマデリンの亡霊を愛したのだ。
亡霊の美しさとそれに対する愛は年を取っても変わらない
それは真の永遠の愛なのだ。だからスコティの愛の対象は亡霊でなければならない

一方でジュディはマデリン殺害に加担したという罪を背負っていた。どんなに別人として暮らしていても、彼女がエルスターの妻殺しに協力した罪は消えない。
スコティと再会した後、ジュディは彼の愛を受けようと必死にマデリンになる努力をするのだが、よく考えてみてほしい。
自分が殺した女の姿形を再現して、その女になりきることほど不謹慎なことがあるだろうか

もちろんジュディもその罪の大きさは認識していたのだろう。最後は修道女が駆けつけてきた影に動揺して転落するのだが、罪人ジュディにはその影が悪魔か何かの姿に見えたに違いない。
ジュディ転落後、修道女は教会の鐘を懸命に鳴らす。死者への供養、哀悼の意味合いであろうが、スコティにはどう聞こえていただろう

スコティが愛した女は亡霊でなければならないのだ。
ジュディがマデリンと同一人物であることを知った時、スコティは「ジュディ(=自分が知るマデリン)は生きた女である」と知ってしまった
それはつまり、ジュディは年も取るし、本質的に言えばスコティが愛したマデリンという"永遠の愛を捧げた女性"とは全くの別人なのだ。
彼が実際に会っていた女性はジュディだったのかもしれない。しかし、スコティの脳内で仕上げられたマデリンという女はジュディではないのである。
ジュディが転落死した時、ジュディも、「スコティが会っていたマデリン」もこの世から消え去った。奇しくも、それはマデリンが転落した場所と同じ場所だったのだ。まるで亡霊に導かれるように。
そして、これでスコティは永遠に亡霊であるマデリンを愛することができるようになったのだ。
なぜなら、自分の中だけに存在する女性なのだから。

修道女の鐘は哀悼の鐘だったろう。
しかし、スコティにはその鐘の音が永遠に愛する人の誕生を祝福する鐘にも聞こえていたように見えた。


(128分)