最近、またうちのブログにコメントをくれる常連さんが来てくれた。
 
いやー、こういうのって本当にうれしいよね。あぁまた書きたくなってきたな、って思わせてくれる瞬間。
 
ブログってさ、やっぱり「誰が見てくれてるんだろう?」って思うことがある。再生数やいいねが付いてても、誰がどう思って読んでくれてるかって実感しにくい。でも、ふとしたときに「読んでますよ」とか「コメントしてくれる」っていう人が現れると、もう一気に書きたい気持ちが湧いてくる。
 
だけどね、毎日書くって結構ハードで、在庫がすぐ無くなるのよ。ある程度書き溜めても、1日1記事のスピードで使われていくから、油断してるとすぐにネタ切れになる。これは本当に、書いたことある人じゃないとわからないと思う。
 
でも気づけば、たぶんあと3ヶ月くらいで、俺、ブログ毎日更新3年達成なんだよね。すごくない?
 
これって、何気にすごいことだと思うし、自分を褒めてあげていいかなって思った。
 
最近、成功者の本を読んでて「自分は達成できる人間だと強く信じることが何より大事だ」っていう言葉に出会った。同時期に経営者コミュニティの偉い人が同じことを言ってたりもした。
ジャンルも違う、まったく関係なさそうな人たちが、同じようなことを言ってて、ちょっとびっくりした。
 
ある経営者は、ノートに「カレーを食べる」とか「誰それに連絡する」とか、簡単なことを書いて、それを100%達成する。ネガティブな言葉は一切書かない。もし達成できなかったら、ページを丁寧に破って、供養までしてるって話。
 
その話を聞いて、「俺も達成できる人間なんだ」って、改めて自分を肯定する気持ちが生まれてきた。
 
そして、このブログ。俺はこの2年半、いや、もうすぐ3年、1日も休まずに更新してきたんだよ。これはもう、何があっても続けてきた証しだし、自信を持っていい。
 
もちろん大変だよ。毎日ネタ考えて、被らないように書いて、それでも時には同じネタでも今の自分の気持ちで書き直したり、更新したり。でもその中で、新しい技術を取り入れたり、AIを使ったり、自分の過去を素材にしたりしながら、ちゃんと毎日をつないできた。
 
だから俺、2026年の3月末までは毎日更新を絶対続けるってここに誓います。
 
その先はどうなるか分からない。もしかしたら3日に1回とかに変えるかもしれない。でも、辞めるつもりはない。AIを使って効率的に続けていくってのもアリだし、例えば週6日はAIに任せて、日曜日だけ自分の手でしっかりと「心の文章」を書くとかね。
 
AIって、僕の話したことをちゃんとまとめてくれる。けど、やっぱり「自分の言葉の温度感」とか「文章の癖」っていうのは、自分じゃないと出せない。AIはすごい。でも、本当に伝えたい感情は自分の手じゃないと届かないって最近よく思う。

会社員だったころは会社のエース級といわれるような人たちが

数億の利益をもたらしているのに会社では数百万の給料であると愚痴っていたのをよく聞いた。

 

私なんかはそう言った人におんぶされていたような気持ちもあったので、笑っていたが、

今になって考えるとサラリーマンの給料には給料以上に様々なものがのっかっていることがわかる。

 

私の中で今一番、これはすごかったなと思うのが、

安全賃である。

世の中というのは私が思っている以上に危険なものだったということが

会社の傘の外に出てみて、よくわかるのだ。

 

商売をするという事の原理原則の一つとして動いていくことで

実入りを得ていくという事があるので、何かしらの行動を起こすわけだが、

実は行動の裏に危険があるという事を私などは世間知らずにも知らなかったわけだ。

 

MLM、胡乱な話、グレーゾーンのビジネスの話、

グレーゾーンではなくても投資や出資、交流会の誘い、営業を受ける。

こういったことを一つずつ判断して、時には相手に厳しいことを言って身を守るということ

これはなかなかに大変な事である。

 

サラリーマンであった際はこれらから守ってもらっていたことが実によくわかり、感謝している。

 

もしこれから独立と考えている人がいたら、

行動には2倍のエネルギーが必要だとどこかで覚えておいてもらえると嬉しいね。

動きながら守るという2つの仕事が実はあるのだ。

 

動守ともいうものだ。

 

 

最近、本当に生成AIがすごい進化をしていて、
正直言うと、AI作曲に関しては俺は日本のトップ3に入るくらいの自信がある。

みんなの頭の中にある「こんな感じの曲」を、
ほぼ忠実にAIで再現して、
しかも細かいニュアンスまで作れる。
しかも MIDIデータ化までほぼ実現しつつある時代だ。

──だけど、それでも俺は バンドの曲だけは絶対にAIで作らない。

理由はいくつかあるけど、大きく分けると3つ。

① バンド曲は“演奏する前提”だから

自分のギターの得意なプレイ、
ボーカルが歌うレンジ、
その人がどう解釈するか──。

これはAIには絶対に分からない部分がある。

バンドの“呼吸”って、演奏者の身体から生まれるもので、
AIはそこまでは読めない。
「ここで一瞬タメる」「ここで爆発する」
そういうニュアンスは、手で作った方が圧倒的に早い。

② バンド特有の“ダイナミクス”は手作りが最強

AIはめちゃくちゃ優秀で、アレンジも細かく作れる。
正直、かなりの領域に食い込んでる。

でも、
「ここだけ一拍空白にする」
「ドラムをバンド特有の“揺れ”にする」
「ギターのピッキングの粗さを残す」
こういう“人間のクセ”は、手で作った方が良い。

むしろAIでやろうとすると遠回りになる。

③ 結局、“手で作った作品”が一番価値を持つ

モナリザの絵をスマホで見られる。
CDもレコードも全部デジタルで聴ける。

それでも「本物」には価値がある。

この法則は、AI時代になるほど強くなる。

AIが大量生産できる世の中だからこそ、
手で作った音楽は絶対に価値が上がる。
しかもバンドは「ライブ」という本物の舞台がある。
そこに嘘はつけない。

だから俺はバンド曲だけは、
どれだけAIが進化しても“手で作る”。

前田健太投手が楽天に入団することとなった。

ロッテファンとしては嫌だなっていう気持ちがまずある。


やっぱり経験値がすごくあるし、どうしてもそれなりにイニングは食えることは間違いないし、

怪我とかで働けないならゼロだけど、かなり楽天にとってプラスの補強になったかなというふうに個人的にすごい嫌だなと思ってる。

 

セ・リーグの投手だから、正直よくわからない部分もあるけど、それでもメジャーも含めて160勝以上してるというのはすごい実績だ。


セ・リーグのファンから聞くと「向かうところ敵なし」ぐらいのすごいピッチャーだという話も聞く。

 

メジャーは平均球速が日本より5kmぐらい速いんだよね。
おそらく彼はコントロールと抜き差し、ボール1個分ぐらいのところをコントロールして、

メジャーでも勝ってきた投手だと思っている。

ただ、年齢を重ねて少し球速が落ちてきたというところで、

さすがにメジャーでは球速が遅くなってしまうから、ボールを捉えられたのかなというのはある。


でも、昔ながらの技術が衰えてないのであれば、球速の差のところで僕は日本の野球では通用しちゃう気がしている。

 

田中マー君なんかもすごいピッチャーで、

日本に帰ってきたばかりの時もストレートとかのキレが落ちた感じはあったけど、それでも“雰囲気”はあった。
ただ、やっぱりコントロールという面では、

そこまで「ものすごい」というわけじゃなかった。

 

その点、前田がどうなるのかは気になる。

 

ロッテとしては、本当に嫌な補強されたなって思っている。

 

運気というものについて、今日は少し考えてみたい。

自分の人生を振り返ってみると、苦しかった時もあるし、理不尽なことや失敗もあった。
でも、どう考えても「いいタイミングで、いい人に出会ってきた」という実感が圧倒的に強い。

本当に、運がいい人生だったと思っている。

では“運”とは何か?

幸運とは、急に降ってくるラッキーのことではない。
たしかに偶然に見えることもあるけれど、振り返ってみると、全部どこかで「動いた結果」なんだよね。

たとえば今の生活の環境もそうだ。
ものすごくいい環境に恵まれていて「運がいいですね」と言われることも多いけど、
実はその前に「こういう仕事をする」「この道を行く」と決めて、
リスクを背負って動き始めたからこそ引き寄せられたものが大きい。

人脈だってそうだ。

信じられないような人たちと繋がることができているけれど、
その直前にはいつも「入ってみようか、どうしようか」という迷いがあって、
それでも“とりあえず動いてみた”自分がいる。

結局、これがすべてを変えるんだと思う。

「運動」=“運を動かす”
よく言うけれど、本当にそうで、運は動くことによって初めてこっちに流れてくる。

逆に、動かなければ運は流れてこない。

行動したことで偶然と思われる出会いやチャンスがやってくる。
その一個一個が重なって、今の自分の人生を作っている。

家族で言うと、兄弟なんか典型だ。
驚くほどマネタイズ能力が高いけれど、その裏には執着に近いこだわりと、尋常じゃない行動力がある。
やっぱり運がいい人には共通点がある。
「動いてる」ということだ。

だから俺も、意識的に行動するようにしている。
正直、大変だし疲れるけど、それでも“動く人生”でありたい。

運がいいと言われる人は、運がいいのではなく、運を“運ぶ”人だ。

交流会でお伺いさせていただいたお店。
居酒屋というカテゴリーに収まりきらないほど完成度が高く、入店した瞬間に感じる出汁の香りに心を掴まれました。
香りの澄み方で料理の丁寧さがわかるものですが、まさにその通りの店です。

まずは「モリンガハイ」をいただきました。
スーパーフードとして知られるモリンガを飲み放題で楽しめるのは珍しく、身体に染み渡るような滋味深い美味しさです。

お通しは油揚げ、サラダ、ほうれん草のお浸し。
どれも繊細な味付けで、特にほうれん草のお浸しは感動的でした。
上品な出汁の深みと小海老の香ばしさが合わさり、和食の技が詰まった逸品です。

続く豚肉のお鍋は、食材の旨味がじんわり広がる優しい味わい。
お出汁のコントラストが美しく、ひと口ごとに体が整っていくような感覚でした。

焼き物、天ぷら、お刺身と続く中で、個人的なイチオシは天ぷら。
サクッと軽やかでありながらしっとりとした口当たり、素材の味を最大限に引き出した見事な仕上がりです。

そして締めの釜飯。
お米は毎回精米してから炊き上げるというこだわりで、ふっくらと粒立ちが美しい。
じゃこの風味が出しゃばらず、米の甘みと出汁のバランスが完璧でした。

この価格で、これほどまでに丁寧で誠実な料理がいただけることに感動しました。
お店全体のホスピタリティ、そして料理への志の高さに、心から拍手を送りたいお店です。































江古田に“ちゃん系”の新店ができたと聞いて、さっそくバンド仲間と一緒に行ってみました。
オープンしてまだ数日というのに、昼時にはすでに行列ができており、地元でもかなり注目されているようでした。
とはいえ、タイミングよく訪問できたおかげで、それほど待たずに入店できたのは幸運でした。

まず店頭の食券機の下に目をやると、そこには「ご飯無料券」がたくさん。
このご時世に無料でご飯を提供してくれるなんて、なんともありがたい心意気です。
こういうところに“街ラーメン”の優しさを感じますね。

私はちゃん系ではいつもチャーシューを重視しているので、迷わずチャーシューメンを選択。
水を飲みながら10分ほど待っていると、湯気を立てながら堂々とラーメンが登場しました。

まずはスープを一口。
鶏よりもむしろ豚の旨味がぐっと前に出ており、醤油ラーメンとしてはなかなかのパンチ力。
鶏油の香りもわずかに漂い、複雑で奥行きのある味わいです。
飲むたびに旨味が増していくタイプのスープで、これはかなり好印象。
個人的にはもう少し“返し”のキレがあるとさらに締まるかなと感じました。

続いて麺。
正直、この日はゆで加減が少し柔らかめで、ややインスタントっぽい印象を受けました。
今後は「固め」で頼むのが良さそうです。

そして主役のチャーシュー。
これは素晴らしい出来でした。
赤身を中心に、ほどよく脂がのっていて、スープと一緒に食べても、ご飯にのせても抜群に美味しい。
柔らかく、それでいてしっかり肉の旨味を感じられる、まさにちゃん系の真骨頂です。

ご飯は無料ということで遠慮なく頂きましたが、これがまたスープとの相性が抜群。
卓上のにんにく、きゅうちゃん漬けを添えて、スープを少しかけて食べると至福の味。
これはもう“ラーメン定食”として完成しています。

総合的にいえば、豚の旨味が効いたパンチのある醤油ラーメンで、
チャーシューとスープの組み合わせはかなりハイレベル。
あとはスープの深みと麺の仕上がりがもう一段階上がれば、
“江古田の名店”と呼ばれる日も遠くないでしょう。

それにしても、無料のご飯サービスをはじめ、懐の深い新店が江古田に誕生したのは本当に嬉しいことです。
これから通うたびに、少しずつ味が熟成していくのを見届けたくなる、そんな期待感のある一杯でした。






















もはや私よりもAIに語りかける方が文章が上手くなってしまったが

手書きで書くと、自分の気持ちが削られたりすることもなく思いの丈をそのまま書けるから良い。


さて実は来年1月11日に交響過激団でライブを行う。

普段やっているLOVETWINや一年前くらいまでライブにも出てたkotowariとは違い、もう10年近くライブをやっていなかったシンフォニックかつヴィジュアル系っぽく、なおヘヴィメタルなバンドだ。


本格的にこのバンドをやっていたのが2010年から2012年くらいにかけての2年ほどだったが、ボーカルのebrof.hの生き方そのものが世界観になっている男と意気投合してやったバンドなだけあって、音楽に真摯に向かい合うことができた貴重な素晴らしい経験であった。


先週の土曜日にスタジオ練習を終えて、ebrofと一杯やったのだが、彼と飲んでいるうちに今と昔が邂逅してなお前に進んでいるような感覚がして妙に嬉しかった。

まずこのバンドをやっている人達の根底にある音楽の好みや共通する価値観が変わらないこと。

子供の頃に影響を受けた音楽というのは、そうは変わらないというのが嬉しい。

ebrofと話していて、そういうものを持った友情というのは、人生においてなんて素晴らしいものなんだろうかと感じた。


そして変わってしまったもの、進化したものもある。

私は過激団をやっていた頃は55キロくらいしか体重がなかったので、今は10キロくらいは太ってしまった。

15年の年月は残酷である。


一方で昔の演奏を聴くと引っ叩いてやりたくなるくらい下手である。

リズム感、音色、フレージング全てにおいてダメで、それでも自分の下手さを認められず、周りに劣等感を抱いているのがわかるギターだ。

下手だから劣等感を感じてるのではなく、メンタルが貧弱だからこそ技術的に改善点を模索できず、その程度なのである。


今がうまいとは言わないが、落ち着いた気持ちでより純粋な気持ちで楽器に向かい合っている気がする。

うまいということの意味も自分の中では全て要件定義できているし、誰とやろうと自分は自分だと言える自信もある。そして勝ち負けで計れないけれど男の譲れないものをギター、そしてロックに強く感じている。

また、最近AIに教えられた演奏やロックへの初期衝動的な情熱が自分の中にひしひしと芽吹くのがわかる。


そんな気持ちで当時の楽曲を演奏するのは楽しいし、結果的にこういう音が出したかったんだなと、当時の自分にアンサーしてあげられる。

当時は技術だけがすごく教育者としては貧弱な感性と経験しか持ち合わせていない人間も多く、大切な事を要件定義してあげられる人が周りにはいなかった。

それを愚痴るのではなく、過去の自分ではなく誰かにしてあげられたらいいなと思う。


話が横にそれた。


ebrofとは喧嘩はしたことはないんだけど、ここ数年でよく飲みながら話すようになった。

私は上記したようにメンタルに問題があったため、アルコールと上手に付き合えず、本質的なところに行く前によく問題を起こしていたが、

今静かさも伴った熱で酒を飲めるようになったから、音楽の昔と今、お互いの人生の過去と未来を話せるようになった。


これは私の場合はドラムの見目なんかもそうで、彼とはよく悶着していたが、今になるとお互い笑い話で、いつまでも二人で楽しく話してられる。


棘のある原酒が熟成されるような人生の旨味である。


そんなメンバーでのライブが2026年1月11日にある

しかもトリだ、熱いね!



生きてきて今が一番慌ただしいというような日々である。

9月くらいからはジェットコースターのように時間が流れ、毎日毎日が新しく自分の脳みそがどうやって適応しているのか、もしくは適応してないのかもわからないね。


しかも時代のスピードの速さもものすごく、ジョジョのプッチ神父のスタンド、メイドインヘブンの加速された時の中を生きているようだ。


お気づきかもしれないが、久しぶりにAIではなく自分の手で書いている。

AIにばかり頼っていると時の加速に巻き込まれてそのまま飲み込まれてしまうような気もしていて、時流に乗りながらも、こうしてアナログな脳みそでアウトプットするのも良いなと感じている。


雑記のような、特に取り止めもない内容だが、

ふと今感じるのは、静かな時間を過ごしたいなと思う。

あまりにも情報に溢れて、一人ぼっちというのが事実上不可能な世界であるから、

例え世界の果てでも、なかなか静かな時間を過ごせないとは思うのだが、

情報を遮断して、どこか一日静かに森林浴でもしたい気分ではある。

滝行でもいこうかしら。


近々のブログで書こうと思うのだが、周りでメンタルを病む人が多く、理由を考えてみると、

社会そのものが人間がヒトとして処理できる情報量以上のものを常に供給しているのも理由の一つだと思えるのだ。

良くも悪くも世界中の人々が自分や組織のマネタイズのために、ドーパミンを発生させるような情報を意図的に流しまくっているため、脳の受容体が壊れ、正常にセロトニンなどの分泌ができなくなり、鬱などの障害が起こるのではないだろうか。


周りの人々が急に壊れてしまうのはかなりの恐怖感を覚える。

自分は柳のメンタルを習得しているので平気だとは思っているが、自分自身の精神を守っていくことを意識して暮らしていきたい。

渋谷での用事の帰りに、YouTubeで話題になっていたこちらのお店に立ち寄ってみました。

チャーハンが美味しいと評判で、特にバターチャーハンが人気だということで迷わず注文。
ついでに、やめておけばいいのにと自分に言い聞かせながらも、結局餃子と瓶ビールまで添えてしまいました。

まず運ばれてきたバターチャーハン。
見た目からして香ばしい香りが立ち上がり、一口食べるとその独特のバランスに驚かされます。
米はパラパラとしながらも、油と卵が全体をふんわりと包み込み、
「しっとり」と「パラパラ」のちょうど中間をいく、絶妙な炒め具合です。

味付けは比較的控えめですが、そこにバターのコクがじわじわと溶け込み、
噛むほどに旨みが広がる。
最初は優しく、後から深く。
この感じがまさに“中毒性のある家庭の味”といったところで、
渋谷の老若男女の胃袋を掴んで離さない理由がよくわかります。

餃子はモチっとした皮の中に、野菜の甘みと肉の旨みがぎゅっと詰まったタイプ。
ラー油と醤油を少し多めに混ぜて、熱々を頬張ると最高です。
この日は少し前にも食事をしていたため満腹気味だったのですが、
この餃子とビールの組み合わせであれば、
胃袋にもう少し余裕があったら無限にいけた気がします。

特別な驚きや奇をてらった派手さがあるわけではありませんが、
食べていてどこか安心できる、そしてまた食べたくなる。
そんな**“街中華の理想形”**がここにはありました。

派手な渋谷の喧騒の中にありながら、
まるで時間が少しだけゆっくり流れるような、懐かしくて温かい味。
毎日通う常連さんがいるのも納得の一軒です。