八王子に用事があり、その前に少し時間ができたので「せっかくだから八王子ラーメンを味わってみよう」と思い立ち、立ち寄ったお店です。

夕方17時ごろの訪問。店内にはやさしい雰囲気のママさんが一人で切り盛りされており、カウンター越しに迎えてくれる空気感が心地よく感じられました。注文は食券機ではなく、PayPayでの支払い。スマホを操作してすぐにオーダーが通り、ものの2分ほどでラーメンが目の前にやってきました。テンポの良さに驚きつつも、まずは見た目の澄んだスープの香りに期待が膨らみます。

スープは醤油ベース。輪郭のはっきりとした塩味がありながら、鶏の旨味とほんのりとした魚介の出汁が優しく包み込んでいます。飲み進めるごとに香りの奥行きが広がり、上品ながらも力強さのある味わい。みじん切りにされた玉ねぎが自然とレンゲに入ってくるのも八王子ラーメンならではで、甘みとコクを加えながら、時折シャキッとした食感がスープ全体を底上げしてくれます。

麺は中細のストレート。スープとの絡みがよく、しっかりと小麦の旨味を感じさせてくれます。時間が経ってものびにくく、最後まで食感が安定していたのも好印象です。トッピングはメンマの風味、ノリの香りがスープにアクセントを与え、全体を立体的に仕上げています。

チャーシューは厚みのある正身ながら、口に入れるとふわっと噛み切れる柔らかさ。脂の重さは少なく、肉の旨味がダイレクトに感じられる絶品でした。途中で卓上のホワイトペッパーを振りかけると、スープにピリッとした刺激が加わり、味わいにまた一段の変化が出ます。

正直に言えば、スープにほんの少しだけ物足りなさを感じる瞬間もありました。しかしそれは、むしろ求めすぎてしまった贅沢であるのかもしれません。全体の完成度は非常に高く、しっかりと八王子ラーメンらしさを堪能できました。

食べ終えて感じたのは「もっと知りたい」という気持ち。有名店にも足を運び、八王子ラーメンの奥深さをさらに探求してみたい。そんな気持ちにさせてくれる、美味しい一杯でした。

















自分の家族が歳をとっていく中、
そして日々SNSに触れていく中で、この世界は本当に危険な世界になってしまったと
ちょっと憂うような気持ちがある。

インターネットはともかくSNSは人類にはちょっと早かったんじゃないかなって私は思う。

今まで社会というのはよい意味で分断があって、
ちょっとしたカーストの分断で人がすみ分けられて、
ここ日本においては最低限の文化的生活が保障されている部分はあった。

しかしSNSによってそれが破壊されて、持つ者も持たざる者も
切れ者も切れない者も、若者も子供も、老人も一つの世界にぶち込まれる。
その中で今まで生まれなかった負の感情や誹謗中傷が生まれた。

大槻ケンヂさんはSNSは現代の呪いといったが、さすがオーケン、
この世界の本質を見抜き、天才的な言葉に置き換えている。

そして日本だけではなく世界中の悪党が、
日本の弱者や老人の財産を狙っている。
私の知り合いののほほんとした主婦や善意しか知らない老人のSNSは乗っ取りを受け、
彼ら彼女らの名誉や財産に傷がついている。

おそらく技術の進化の波に抗うことはできず、今後よりこういった事案は増え続けていくだろう。

どうしようもないともいえるが、
私は国、そして個人にできることはあると思う。

ナショナリストであれ、そして厳しくあれ。

世界というのは善人ばかりではない、むしろ悪党が跋扈している状況なのだから、
国というレベルでしっかりと対策し、不逞外国人に対して、
彼らがちびりあがるような恐怖を与えるべきだ。

そして個人は厳しくあれと思う。
これはネガティブであれとは別で、
関わってくる老若男女、あらゆる人に対し、はっきりとNOを突き付けてやることだ。
これは相手が目上である事は関係なく、
なんで私の目上の人、もしくはそう見えるような立場にその人はなれたのか?
バックボーンを見抜き、言うべきことをはっきり言うべきだ。

誰にでもいい顔をするというのはやさしさではなく、弱さである。


六本木のスタバにて少し時間をつぶさなくてはいけないので
ブログの書き溜めを続けている。
 
このブログが出る日は10月1日。
会社員だったころはちょうど半期が終わるというところで、
社長や役員が訓示のようなものをしたり、あとは自己評価の入力だったりがあった
 
今はただの一日というのがあるが、
そろそろ決算だったり、それに伴う税務の準備があるなぁと
そういうこともやらざるを得ない、自分事の痛みとしての実感を感じる日でもある。
弊社は前職と同じ、4月期初というところなので、10月がちょうど半分というのも同じだ。
 
税務はFreee会計というのを使っている。
守成クラブで知り合ったFreeeのアドバイザーの人に入ってもらっていて、
基本的に自分で請求書や領収書の管理をしている。
 
税理士は去年はいたのだが、私の無知であまりいい感じにできなかったこともあったので、
今回は基本的には自分でやるつもりでいる。
 
決算に関しては自分でやるか、それか決算専門の税理士₍そういう人もいる。₎に頼むつもりである。
 
手書きで書くと頭の中から出てくるブログのネタがちょっと違ったりする。
不思議である。
久しぶりに手書きでブログを書いてみようか。
毎日更新しているのはまさに音声入力とCHATGPTのおかげというのがすごくあり、
この忙しい中、AIのおかげで生活が成り立っていると心から思う。

一方でやっぱり全盛期に比べると文章は下手になっている気がする。
昔は食べログでも有料の記事でもブログでもすべてを手書きしていた。
今よりも構成力、文脈、そして表現はよかったなと思うし、
丁寧だったなと思う。

だけど、おそらく手書きでしっかりと入念に文章を作っていく時代は二度とこない。
来るとすればそれは文明が何かしらの理由で停滞を起こすか、
日本が侵略され、我々が奴隷にでもならない限りは。

一部の人のものであったAIは今や多くの人に共有され、
Facebookなどでは自分のフィギュアを誰もが作ったりしている。
みんながやるとやりたくなくなってしまう、僕みたいな性格の者はとたんにやりたくなくなるのだけどね。

脈略のないものとなってしまったが
ノマドで働くスターバックスで音声入力はできないので、
さくっと手書きをしてみた。

AIで数か月音声入力をしただけで文章を書くのがとても面倒くさい。




やあ、楽しかったな。
なんと僕の主催で飲み会を開いて――いや、正確には2回目かな――合計16名も集まってくれて、本当に幸せな気分だった。

コンサートもしっかり開催できて、なんとスペシャルゲストに大谷ゆり子先生が登場。

さらに一番盛り上がったのは、父が来てくれたことだった。僕と父が仲がいいことを、みんなが「羨ましいな」と言ってくれてね。

確かに普通の親子よりも距離が近いかもしれないけれど、もう何年もそれが当たり前になっているから、

僕や父、そして妻が心地よく過ごせているのなら、それでいいと思っている。

 

そしてコンサートは本当に良かった。
シンガーのKazzさんがGLAYやB’zを完璧に歌い切り、しかも僕も参加させてもらえた。会場はすごい盛り上がりだったよ。さらにYuko Hanedaさんと一緒に活動しているLOVETWINも素晴らしかった。

居酒屋でバリバリのハードロックをやるなんて、なかなかない体験だった。

 

最近の僕は「音楽はどこでもできる」「どんな場所でも周りをノックアウトできる」と思っていて、アコースティックじゃないとダメ、みたいな固定概念を新しい機材で塗り替えていきたいと考えている。今回もその工夫があって、会場の片山鳥肉店さんが素敵な機材を用意してくださり、僕もボーカルができた。次はボーカル用のアンプも買おうかな、なんて思っているところだ。

 

ボーカルが出せると、意外とどこでも演奏できる。その工夫を積み重ねれば、バーベキューでハードロックを演奏するなんていう企画も実現できそうだ。

もちろん最高の仲間と大きなステージを盛り上げるのもやりたいけれど、音楽は自由で、どんな場所でもできるというのがまた素晴らしい。その可能性を突き詰めることも大切だと思う。

 

飲み会自体も、料理が素晴らしく、お酒を自分たちで作れる仕組みもあって、かなり盛り上がった。

お店の協力、そして来てくれた皆さんの支えもあり、とてもいい会になった。

 

僕は大したことができない人間だけれど、人には本当に恵まれているし、いい人を引き寄せる不思議な力を持っているんだな、と改めて自覚した夜だった。

皆さんは矢沢永吉の新作を聴いただろうか。76歳にしてリリースされた 『I BELIEVE』 というアルバムだ。

これを聴いて感じたのは、単なる「感動」という陳腐な言葉では表せないものだった。そこには「生命」、「生きる」ということや「気合」、そして「本当のかっこよさ」が確かに込められていた。

1曲目の 「ウソがホントになるゲーム」 は特に衝撃的だ。今の日本や世界に漂う違和感や怒りのようなものを、ロックで一気にぶち破ってくれる。本当にかっこいい人だなと思った。

声もまだまだ元気だが、年齢を重ねた声の渋さがあって、それがまた最高にビートに乗っている。まさに現場でロックを続ける男の迫力であり、その姿に感動した。

いろんなスターがいなくなったり、元気をなくして引退してしまったりする中で、矢沢は円熟だけを手に入れ、世の中を達観するような高さの視点を持ちながらも、現実を真正面から撃ち抜くロックを鳴らし続けている。そのかっこよさは言葉では言い尽くせない。

ぜひこのアルバムは 頭から最後まで通して聴いてほしい。
そこには「生きるって何だろう」「生きることの大切さや深さ」「元気を出せ」「やってやろうぜ」といった強い気概が詰まっている。きっと矢沢自身も「まだまだこれからだ」と思っているに違いない。

自分の背中を見せ、自分の走る姿を見せ、周りを元気にさせていく。矢沢はそんな存在だとずっと思ってきたし、きっと多くの人がそう感じているだろう。本人もまた、その自覚を持って走り続けてきたのだと思う。

でも今回、この作品を聴いて強く感じたのは、今の彼が「俺の背中を使って飛んでみろ。俺がついているから大丈夫だ。俺もできるから、お前も大丈夫だ」という、人間として伴走してくれる温かさを伝えてくれているということだった。

リリースされたこと自体が嬉しいし、テレビやアワードで元気な姿を見せてくれるのもまた嬉しい。相変わらず、本当にかっこいい人だと思う。

 

38歳、永ちゃんの半分じゃないか、気合入れていこう!

 

矢沢永吉、35枚目のニューアルバム「I believe」 9月24日(水)発売! | ユニバーサル ミュージック合同会社のプレスリリース

気がつけば、もう9月が終わろうとしている。
あまりに早い。いや、早すぎる。昨日のことのように正月を迎えた気分でいるのに、もう年の3分の2が過ぎ去ってしまった。これは年を取ったせいなのか、それとも日々の細々とした出来事をこなしているうちに、時間が勝手に流れ去ってしまうからなのか。

 

不思議なのは、普段当たり前のように連絡をとっている人たちの大半が、実は今年になって初めて会った人たちだということだ。にもかかわらず、もう何年も一緒に過ごしてきたような錯覚がある。時間というのは本当に妙なものだ。

 

うちのモルモットが5歳になった。
平均寿命を超えようとしているが、相変わらず元気に走り回っている。ふと「もう5年経ったのか」と思う。モルを迎えた頃の自分は、出口の見えないサラリーマン生活のただ中にいて、ぬるま湯のようでありながらもどこか真綿で首を絞められるような焦燥感を抱えていた。その頃と比べれば、今は違う種類の痛みがあり、その分「生きている」という感覚が鋭くある。

 

日々いつも一緒にいるモルと過ごした5年で、世界は大きく揺れ動いてきた。安倍元総理の銃撃事件なんて、現代日本で起こるとは到底思えなかった。指先ひとつで文章や音楽が生まれるAIの進歩だって、5年前の自分には実感できなかっただろう。

自分の立場や付き合う人も90%以上変わってしまった。

モルが生まれた頃に付き合っていた人たちは、今どこで何をしているのだろう。あんなに近くにいて、飲みに行ったり語り合ったりしていたのに、気がつけば全て変わってしまった。

時間とは、なんとも不可思議なものだ。

伊豆方面へ移動中、おばあちゃんに会いに行く用事があり、久しぶりに高速道路を利用しました。その途中で立ち寄ったのが、鮎沢パーキングエリアにある「山小屋食堂」です。小さなお店ですが非常に充実しており、周囲に広がる山の景色を眺めると、まさにその名の通り山小屋のような雰囲気が漂っていました。

今回はテレビでも紹介された「にんにく生姜焼き」をいただきました。お肉はちょうど良い厚みのバラ肉で、にんにくの香りがしっかり効いており、醤油と生姜が合わさった味付けは期待を裏切らない美味しさです。脂の旨味と調味料のバランスが絶妙で、定食には豆腐やキャベツも添えられており、健康的な和食としての満足感もありました。まさに「こういうのがいいんだよ」と思わせる、王道の味わいでした。ご飯の量も多すぎず少なすぎず、ちょうど良い満腹感を得られたのも嬉しいポイントです。

さらに鯵の唐揚げもいただきました。丸ごと揚げられた鯵は骨までカリッと食べられ、噛むごとにカルシウムたっぷりの旨味が広がります。顎に少し負担を感じるほどの食べ応えでしたが、それも含めて満足感のある一品でした。

全体を通して、どこか田舎の食堂に立ち寄ったような温かみのある魅力を感じられるお店でした。私自身は頻繁にこの場所を訪れることはないかもしれませんが、再訪の機会があればぜひ他のメニューも味わってみたいと思います。





















なんだかんだで風邪でダラダラしている今も、結局やってしまうのは口述筆記。
「別のことやればいいじゃん」と思いながらも、やっぱり自分が喋り、自分が書き、自分が考えを言葉にする。
それ自体が僕にとって一番のメンタルヘルスであり、頭の中を整理する時間なんだろうなと思う。
 
今年になってすごく感じているのは、遠くへ行ってしまった人たちの存在。
僕にとってのロックスターやスーパースター。
「ああ、彼はもういないんだ」と思わされることが増えた。
 
一方で、人間関係もどんどん変わっていった。
数年前とは全く違う世界を生きているし、家族や身内を見ても、当たり前にいた人がいなくなり、元気だった人が元気じゃなくなる。
その現実には、どうしようもなく悲しさや寂しさを感じる。
 
でも同時に、「自分の番が来たんだな」という感覚も強くなった。
社会の主役はかつて親や上司、年上の誰かが担っていた。
僕はその背中におんぶされて生きていた。
けれど彼らが年を取り、前線から退いていく姿を見て、気づく。
今こそ僕ら同世代が社会の当事者として立たなければならない、と。
 
ロックの世界でも同じだ。
僕のスターはもうステージにいない。
かつて憧れたミュージシャンたちも引退していく。
じゃあ次は誰がやるんだ?
「当事者はお前だろ」と、時代に言われているような気がする。
 
ほぼふるさとの伊豆の家で、ただ何もせずに過ごしていた頃を懐かしく思うこともある。
でも、それはもう過去。
今は僕が、この時代の先頭に立つ番なんだ。