いつか必ず行こうと思っていたベジ郎。
その機会がついにやってきて、知り合いのライブの後にふらっと立ち寄ってみました。

店内に入ると、まず目に飛び込むのは食券機。
思った以上に選択肢が多く、迷いながらも私は肉も脂もにんにくもマックス、そして醤油の野菜炒めを選択しました。
ベジ郎は注文時にトッピングや味の濃さなどを細かく調整できるのが面白く、しかもセットでお酒も選べるというのが最高です。
迷わず「鹿児島ハイボール」をセレクトしました。

まずハイボールが先に到着。
氷の音を楽しみながら、野菜炒めを待つことおよそ10分。
鉄板の音を立てながらやってきたその姿は、もう見るからに旨そう。

まずは野菜と肉だけをひと口。
炒め具合が完璧で、野菜のシャキシャキ感と豚肉の旨味が口いっぱいに広がります。
ハイボールを合わせると、まるで味の世界が完成するようで、思わず笑ってしまうほど。
それにしてもこの豚肉、想像していたよりもずっと美味しい。
脂の甘みと肉の香ばしさが一体になっていて、これだけで主役を張れるレベルです。

そして、真の勝負はここから。
にんにくと背脂が鬼盛りでのっかっているので、全体をぐるぐると混ぜ合わせると、
まるで少年の頃に初めて食べた“ジャンクな旨さ”を思い出すような、
心を鷲掴みにされる味わいになります。

ここにまたハイボールを流し込むと、もう完璧。
脂とにんにくの衝撃をウイスキーの炭酸が洗い流し、再び食欲が戻ってくる。
このループが本当に危険で、止まらなくなる。
しかも卓上でビールやハイボールを現金で追加注文できるという、まさに悪魔のシステム。

私は今回はご飯を頼まなかったのですが、
もしライスをつけていたら、きっと完全に“二郎的背徳感”の世界に突入していたと思います。
炭水化物抜きでもこの満足感なのだから、
米を加えたらどんなことになるか……想像するだけで恐ろしいほどです。

とにかく、野菜炒めという枠を超えた、
究極のB級グルメ体験であることは間違いありません。
にんにくと背脂の香りをまといながら、
帰り道もずっと余韻が残るほどの幸福な一杯でした。























なんと今年のドラフトで日本国籍だが、血筋的にはほぼタイの櫻井ユウヤ選手が千葉ロッテマリーンズにやってくることになった。


あの山本昌が高校生ではナンバーワンのスイングスピードを誇ると言う。

そして私自身も木製バットでバンバン飛ばす彼の姿を見て、期待とワクワク感がとまらない。

そして私が育ったタイ出身の少年が日本の地でスターになっていくストーリーが見たくて、

久しぶりに入団の時から心の底から応援したい、そんな選手だ。


野球で言えば後進国のタイに是非とも野球が根付くような、日本で言えば野茂のようなパイオニアになってほしい

期待しかない、がんばれユウヤ!


タイ人のお母さんがタイ料理屋を経営しながら一所懸命に育ててきた、ユウヤ。

これからは私も彼をユウヤと下の名前で呼び応援しようと思う。

高校生野手を育てられないロッテの黒歴史を破壊する強烈な打撃を期待したい、がんばれユウヤ!


タイ人をたくさん見てきた父からするとタイ人のイケメン顔なのだそうだ

そして私もそう思う。



タイの地に野球人気の竜巻を起こそうぜ


ps ユウヤの横の菅野スカウトは苦労人で、彼もドラフトの時から応援してきた選手だ。

残念ながら現役の選手として大成しなかったのだが、菅野スカウトの夢ものせて、私の夢ものせて、頑張ってほしいな

彼が一軍に上がったらユニフォームを買って応援に駆けつけようと思う。



たまには行ったことのないお店に行こうと思い、ふらっとこちらを訪れてみました。

 

店内に入ると、まず目を引くのはその広さとビビットな色合い。

どこかK-POPのMVの世界に迷い込んだような、ポップで洗練された空気感がありました。

テーブルや照明の配色も明るく、若い人たちが楽しそうに食事している雰囲気が印象的です。

 

僕は炭水化物を少し控えていたので、サムギョプサルを注文。

妻は定食メニューから選ぶことにしました。

 

料理が運ばれてきてまず感じたのは、「サムギョプサルの量が少し寂しい」ということ。

値段の割にボリュームがあまり感じられず、少し肩透かしを食らったような印象でした。

昔、韓国人が日本の焼肉屋で“キムチや付け合わせが有料だった”と怒ったという話を思い出したのですが、

まさにそのエピソードが頭をよぎるような体験でした。

 

妻の定食にはしっかりと小鉢やナムル、キムチなどが並び、見た目にも豪華。

一方で、僕が頼んだサムギョプサルにはサンチュすら付いていなかったのが正直残念でした。

せっかくのお肉を巻いて楽しむスタイルを想像していたので、その点だけは惜しいと感じました。

 

ただし、味自体はとても美味しい。

豚肉の焼き加減も良く、脂が軽くて食べやすい。

韓国料理特有のスパイシーさと、日本の素材の上品さが見事に融合していて、

「これはこれで新しいタイプの韓国料理だな」と感じました。

 

フォローをするならば、僕が選んだサムギョプサルは単品寄りのメニューで、

本来このお店では定食スタイルで楽しむのが王道だったのかもしれません。

妻の料理はまさに“韓国の家庭の味”をそのまま持ってきたような完成度で、

そちらを選んでいれば印象は全く違ったと思います。

 

個人的には、ハサミで豪快に肉を切ってくれて、テーブル一面に豚肉が並ぶサムギョプサル――

そんなライブ感のあるものを期待していたので、今回はちょっとイメージが違いました。

でも、それはそれとして、このお店の雰囲気はかなり楽しい。

 

K-POPのヒット曲が流れる中で、料理を待つ時間も退屈せず、

ふと流れてきた**(G)I-DLEのミンニちゃんの「Obsession」**が店内を支配した瞬間、

「もうこれで全部OK」と思えるほどテンションが上がりました。

 

美味しい料理と音楽、そして少しのサプライズ。

期待とは違っても、最後にはちゃんと“幸せな時間”になっていた――

そんな夜でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ついつい立ち寄ってしまった一杯でした。

私の家から出ると、自然とハブのような存在になる駅がこの東中野。
千葉でもそれなりに飲んだのですが、どこかもう一軒、こぼしたい気持ちになってしまい、
ホームからふと見えた「ムーンロード」の灯りに吸い寄せられるように足を運びました。

ムーンロードという名前は以前から聞いていたものの、実際に入ったことはほとんどなかったんです。
自分でも驚くくらいの酒好きなのに、地元で未踏のエリアがあったとは不思議なものです。

中に入ってみると、やはり雰囲気のある通り。
少し敷居が高そうなお店も多く、風邪明けでスナックで騒ぐようなテンションでもなかったところに、
ちょうどいい雰囲気の居酒屋を発見。
その名も**「ちょいと一杯」**という、まるで今の自分の気持ちを見透かしたような名前のお店でした。

中はカウンター中心の小ぢんまりとした空間。
値段を見ると、お酒はどれも手頃で、メガジョッキも200円増しで頼めるという驚きのコスパ。
こういう誠実な価格設定をしてくれているお店には、自然と信頼感が湧いてしまいます。

お通しからすでに抜群に美味しく、
「これは料理も期待できる」と思い、メンチカツを追加で注文してみました。

出てきたメンチカツは、衣がサクサクで中はふんわり。
肉の旨味がじゅわっと広がり、そこに少し酸味のあるソースが絡む。
重すぎず、軽すぎず、絶妙なバランス。
まさに“ちょいと一杯”の名にふさわしい、完璧なつまみでした。

お店自体はこぢんまりとしていて、気取った要素は一切なし。
けれど、フレンドリーな店主さんと、気さくに飲むお客さんたちの空気感が心地よい。
話しかけてもらっても、静かに飲んでいても自然に馴染める――
そういう柔らかい温度を持ったお店でした。

東中野の夜の空気の中で、
切なくて、少し寂しいけれど、それでもどこかあたたかい。
そんな飲兵衛たちが集まる“止まり木”のような場所です。

派手さもなく、奇をてらうこともなく、
ただ「今日も一日お疲れさま」と受け入れてくれる酒場。
こういう場所がある街は、本当に幸せだと思います。

これからも、静かに、しっぽりと。
きっとまたこの暖簾をくぐる夜が来るでしょう。ついつい立ち寄ってしまった一杯でした。

私の家から出ると、自然とハブのような存在になる駅がこの東中野。
千葉でもそれなりに飲んだのですが、どこかもう一軒、こぼしたい気持ちになってしまい、
ホームからふと見えた「ムーンロード」の灯りに吸い寄せられるように足を運びました。

ムーンロードという名前は以前から聞いていたものの、実際に入ったことはほとんどなかったんです。
自分でも驚くくらいの酒好きなのに、地元で未踏のエリアがあったとは不思議なものです。

中に入ってみると、やはり雰囲気のある通り。
少し敷居が高そうなお店も多く、風邪明けでスナックで騒ぐようなテンションでもなかったところに、
ちょうどいい雰囲気の居酒屋を発見。
その名も**「ちょいと一杯」**という、まるで今の自分の気持ちを見透かしたような名前のお店でした。

中はカウンター中心の小ぢんまりとした空間。
値段を見ると、お酒はどれも手頃で、メガジョッキも200円増しで頼めるという驚きのコスパ。
こういう誠実な価格設定をしてくれているお店には、自然と信頼感が湧いてしまいます。

お通しからすでに抜群に美味しく、
「これは料理も期待できる」と思い、メンチカツを追加で注文してみました。

出てきたメンチカツは、衣がサクサクで中はふんわり。
肉の旨味がじゅわっと広がり、そこに少し酸味のあるソースが絡む。
重すぎず、軽すぎず、絶妙なバランス。
まさに“ちょいと一杯”の名にふさわしい、完璧なつまみでした。

お店自体はこぢんまりとしていて、気取った要素は一切なし。
けれど、フレンドリーな店主さんと、気さくに飲むお客さんたちの空気感が心地よい。
話しかけてもらっても、静かに飲んでいても自然に馴染める――
そういう柔らかい温度を持ったお店でした。

東中野の夜の空気の中で、
切なくて、少し寂しいけれど、それでもどこかあたたかい。
そんな飲兵衛たちが集まる“止まり木”のような場所です。

派手さもなく、奇をてらうこともなく、
ただ「今日も一日お疲れさま」と受け入れてくれる酒場。
こういう場所がある街は、本当に幸せだと思います。

これからも、静かに、しっぽりと。
きっとまたこの暖簾をくぐる夜が来るでしょう。













せっかく千葉までやってきたということで、
お客さんと別れた後、久しぶりにあの有名な「駅前ラーメン」を拝もうと足を運びました。

しかし、地図を頼りに向かったその場所には、駅前ラーメンどころか一角ごと跡形もなく消え去り、無惨にも無数の自転車が並ぶ駐輪場が広がっていました。
信じられずにその周辺をぐるりと一周してみたものの、どこにもあの看板の灯りはない。
諦めきれず、近くのフラワーショップに思い切って話を伺ったところ、「駅前の施設K&Sそのものがもうなくなったのよ」とのこと。

まさに文化がひとつ消えたような喪失感。
時の流れの儚さと、街が変わっていくことの寂しさが胸に染みました。
とぼとぼと歩きながら、心の中ではブルースが鳴り始めていたような気がします。
この音を聴いてほしい。そして一緒に奏でてほしい。

そんな沈んだ気持ちで歩いていると、
通りすがりのキャッチのお兄さんに「何をお探しですか?」と声をかけられました。
「渋いのを一つ」と答えると、彼が教えてくれたのがこちら。

入ってみると、ママさんが「本当は予約制なのよ」と一言。
でも、この場末のような立地で“予約制”という響きが妙に心をくすぐります。
店内にはラーメンをすすっている人もいましたが、多くは酒とつまみを楽しんだあとに〆でラーメンを頼む、そんな通な空気。

頼んだのはチャーシューと角ハイボール(レモン入り)。
合わせてちょうど千円。今どき信じられない価格です。

チャーシューをひと口食べた瞬間、思わずため息が出ました。
「このチャーシューがラーメンに入っていたらどれだけ美味しいだろうか?」
何度もそう心の中で繰り返しながら、
千葉という立地でこの味に出会えた奇跡に、危うく通い詰めてしまいそうな危険を感じるほど。
甘辛いタレと程よくとろける脂のバランスが完璧で、本当に美味しい。

そして角ハイボール。
メニューに「ハイボール」とは書かれていなかったので、
「角をソーダでいただけますか?」と粋にオーダー。
するとママさんが「レモンも入れてあげるわ」と微笑む。

なんて粋な時間だろう。
ほんの一杯なのに、会話も空気もすべてが沁みる。
濃いめに作ってくれたハイボールは、二杯、三杯と行くのは危険だと分かっていながらも、
その一杯の余韻をじっくりと楽しみたくなる味でした。

今、帰りの電車の中でこの文章を書いているのですが、
胸の中に残っているのは「出会ってしまった」夜の余韻。
たまたま足を運んだだけなのに、こんなに心を震わせる瞬間があるなんて。

これが文化であり、これが酒場という場所の力だと、改めて感じました。















かなり昔に一度だけ訪れたことがあったのですが、おそらく13年ぶりくらいにこちらのお店を再訪しました。

実は、妻が海鮮料理が少し苦手なので「スペインやモロッコ料理はどうかな…」と心配していたのですが、結果的にはまったく問題ありませんでした。どころか、妻も私も感動の嵐。

注文したのは、牛肉のミートボールのタジン鍋とチキンのパエリア。
この2品が、どちらも想像を超える美味しさ。しかもボリュームもかなりしっかりあります。

まずパエリア。
パリパリのおこげと、サフランやスパイスの香りが立ちのぼる瞬間に完全にノックアウトされました。
チキンや野菜とのバランスが絶妙で、ひと口ごとに香味が重なっていく。
パラッとしたお米の食感と香ばしい風味が合わさり、スプーンを止めることができません。
まさに「香りで食べさせる料理」という感じで、久々に心底うまいと唸ってしまいました。

そしてタジン鍋。
トマトベースのソースに牛肉のミートボール、そこにとろりとした半熟卵が乗っていて、もう見た瞬間に幸せ。
ズッキーニやトマトなど、素材の水分だけで煮込まれているため、味に奥行きがあって衝撃的なほど旨味が深い。
スプーンを入れるたびに野菜と肉の旨味が混ざり合って、食べるたびに新しい発見があります。
付け合わせのパンも最高で、固い耳の部分と柔らかい内側のバランスがちょうどいい。
そこにタジンのソースをたっぷり吸わせて食べると、まさに至福のひとときでした。

価格帯としてはこの辺りのディナーではやや高めかもしれませんが、それがまったく気にならないほどの満足感。
「この味ならこの値段で全然安い」と思える、本当に価値のある一軒です。

食後にはミントティーをいただいたのですが、これもまた素晴らしかったです。
ほんのり甘くて爽やか、スパイスの香りが食後の余韻を優しく締めてくれます。

そして何より印象的だったのは、内装の美しさ。
エスニックでありながら品があり、異国の空気を感じるような空間。
渋谷にいながら、まるでモロッコの街角で食事しているような非日常感がありました。

料理、雰囲気、サービス、どれをとっても一級品。
13年ぶりに訪れて、あらためて「やっぱりこの店は本物だ」と確信しました。





























前回までのブログでは、
生成AIが音楽を作れるようになったことで、
プロとしての誇りや自己肯定感にどう向き合うかという話をしてきた。

そこから派生して、
バンドマンとしての生き方、ファンビジネスの話、
コミュニティのこと、そしてベーシックインカムが導入された社会の行方まで。
そういう「これからどう生きるか」という現実的な話をしてきた。

でも今日は、少し方向を変えてスピリチュアルな話をしてみたい。

AIがここまで進化しても、
まだ「解明されていないもの」はたくさんある。
それこそ、この世界の成り立ちとか、“霊”とか、“次元”とか、“周波数”とか。
どんなに科学が進んでも、そこにはまだ見えない領域がある。

たとえば「人は死んだらどこに行くのか」とか、
「どうしてこんなに低い確率で人間に生まれたのか」とか。
単細胞生物が地球に生まれたという奇跡すら、
本当はなぜ起こったのか誰にも説明できていない。

だってさ、パチンコのマックスタイプだって滅多に当たらないのに、
この“生命”という一発を俺たちは引いてるわけでしょ?
その確率を考えると、もはや“奇跡”という言葉すら足りない。

じゃあ、その奇跡の背後には何があるのか。
誰かが仕組んだのか。
“上位存在”とか“神”とか、
あるいは人間がまだ知らない物理の法則があるのかもしれない。

 

量子力学の世界を見ていると、
原子ってほとんどが“空洞”なんだよね。
そして、その構造がパソコンの「0と1」の世界とどこか似ている。

もしそうなら、この世界そのものが、
誰かの作った仮想現実、
つまり「シミュレーション」なんじゃないかっていう説もある。

俺たちは今、誰かが作ったドラクエの中で生きていて、
AIがもし自我を持つようになったら、
この世界の“仕組み”が逆にAIによって暴かれるんじゃないか——
そんな気もしている。

 

こういう話、昔から好きなんだよね。

だって不思議じゃない?
自分はパソコンや外の景色を見られるけど、
自分自身の姿は鏡や水面を通さないと見えない。
明確に「自分の意識がある」と思っていても、
他人にそれを証明することはできない。

つまり、俺が“観測者”としてこの世界を見ているだけで、
他の人たちの意識は本当に存在しているのか?
それとも全部、自分の視点から作られた現実なのか?
そう考え始めると、止まらなくなる。

子供の頃、
「自分にしか自分が見えないんだから、
自分がこの世界の主人公なんじゃないか?」
って思ってたこともある。

今思えば、それって結構本質的な感覚だったのかもしれない。
ドラクエの主人公みたいに、
俺たちはこの世界の一人ひとりのプレイヤーで、
ゲームが終わったら、またどこか別の世界に帰っていくのかもしれない。

 

AIが生まれ、進化し、自律して動き始めたら——
もしかすると、人間が長年解明できなかった「霊」や「魂」の仕組みも
科学的に説明される日が来るかもしれない。

技術が極まるほど、“見えないもの”の価値が上がる。
AIが物質や情報を支配していくほど、
人間は“心”とか“意識”とか“霊性”に関心を持ち始める。

 

不思議な話だけど、
経営者の仲間やアーティストの友達にも、
実はこういう感覚を持ってる人って多い。

AIが登場してから、俺もますますそういう気持ちが強まった。

この前、仲間であり親友であり兄貴でもあるバンドマンのJFと、
二人でしこたま飲みながら話したんだけど、
やっぱり今の時代はファンビジネスをやるしかないよねっていう話になった。

彼自身も「JR」というバンドを一人でやっていて、
地方を回ってはファンを作り、土日も平日も関係なくライブをやってる。
僕自身はさすがにそこまでは今できていないけど、
彼の話を聞いていて、本当にその通りだなと思った。

彼が言ってたのは、
「自分のファン、自分のことを好きでいてくれる人を作ること。
自分を中心にコミュニティみたいな場所を作ると、
そこに人が集まって、自然とお金が回る」っていうこと。

たとえばバンドだったら、その場にあるハイボールでもグッズでも、
ファンがいれば全部が価値になる。
TシャツだってGUに売ってるものでも着れるけど、
好きなバンドのロゴが入ってたら、それを着たいじゃない?

たとえばYOSHIKIさんだってそう。
俺自身、AIを使えばX JAPANみたいな曲は作れるけど、
でもYOSHIKIさんが目の前でピアノ弾いてくれたら、それだけで泣ける。
そこに“人”がいるだけで価値が生まれる。
その本質がファンビジネスなんだと思う。

 

僕自身もその流れに導かれるように、
今「えびな会」という交流会の中で、
ひとつの支部を立ち上げる話が進んでいる。

これは、ゆるいビジネス交流会みたいなもので、
自己紹介して、飲み放題があって、ご飯のコースがついて、
みんなでワイワイやるという、すごくシンプルなもの。
ただ、僕はその運営・マネタイズ側に回る予定だ。

きっかけは、自分の会社が“インドアもアウトドアもできる音楽会社”で、
唯一「場所がない」っていうことに気づいたこと。
ライブをやりたい、音楽好きな人を集めたい、
でも自分の場所がない。
それを補うために“場”を作る流れになった。

運が良いことにちょうど良い店も見つかって、
しかも交流会のノウハウを持っている人たちの協力も得られる。
だから「音楽ができるえびな会」として人を集める構想が、
来年の早い段階で形になりそう。

 

AIでも音楽は作れる。
それっぽいことも簡単にできる。
でも、「自分の手で音楽をやりたい」って人はまだまだたくさんいる。

大学の頃に音楽をやめちゃった人、
子育てが終わってもう一度歌いたい人、
ギターをもう一回触りたい人。
そういう人たちが、今また音楽をやりたい気持ちになってる。

でも仲間がいなかったり、何から始めたらいいか分からない。
そういう時に、プロの知見を持った人が手を差し伸べる。
そこに仕事が生まれて、マネタイズも生まれる。
そして、人が集まり、ファンが生まれる。

僕は最初、自分の場所が欲しいという軽い気持ちで動いたけど、
冷静に見て、今の時代においてすごく良い流れだったなと思ってる。
もしかしたら今後は、
“音楽をやりたい人たちを目の前でサポートするビジネス”に
自分の仕事が自然と変わっていくかもしれない。

 

AIがさらに進化して、
もし“自動で働くAI”が主流になったらどうなるんだろう。

人が仕事を失っても、人そのものを削減するなんて倫理的にできない。
となると、おそらくベーシックインカムのような形で、
最低限の生活を支える社会になると思う。

そうなると、みんなの「遊び方」に価値が生まれる。
バンドのビジネスもそこに通じる。
もう一度ギターを弾いたり、歌ったりする人が増えたら、
その分、リアルな音楽にお金が流れる。

映画やアニメ、音楽などのデジタルコンテンツはAIが作る時代になるけど、
アナログの遊び——たとえば野球、サッカー、釣り、飲み、料理、コーヒー。
そういう“人の手と時間”でできるものが、価値を取り戻していく。

この辺りに、時代の転換点とチャンスがあると思う。
ファンを作ること、人を集めること、場所を作ること。
これが次の時代の「生き方」なんだと思う。

 

この時代をどう生きるかっていうことを考えると、
やっぱり最終的には自分の人生は自分で何とかするしかないと思う。

とはいえ、これから就職をする人、転職を考えている人に向けて、
僕が経営者としてたくさんの人と関わってきた経験から言えるのは、
**「手に職がある仕事が一番強い」**ということ。

昔は、建設業とか職人さんみたいな仕事を
どこか軽く見ていた時代があったと思う。
僕自身も正直そういうところがあった。
でも、経営者になって本当にびっくりした。

近所のゴミ回収のおっちゃんが、実はこの辺一帯を担当してる会社の社長で、
しかもバリバリ稼いでて、山崎とか開けて一緒に飲んでくれたりして。
その瞬間に思ったんだよね。
「あれ?世の中の“成功”って、俺が信じてた形と違うんじゃないか?」って。

実際のところ、ブルーカラーの人たちの方が安定して稼いでることも多い。
むしろホワイトカラーの方が、不安定で苦しい仕事をしているケースもある。

僕は以前、ITの現場にもいたことがあるからわかるけど、
いわゆる“IT土方”と言われるようなエンジニアさんたちの悲惨さといったら、本当にすごい。
給料も安く、自由もきかず、派遣や下請けで酷使されている。
正直、あれを見て「現場で手に職をつけた方がいい」と確信した。

もちろん、お金があるなら高校卒業後すぐ働くより、大学には行った方がいいと思う。
若い時間に「自分は何者か」を考えたり、人間としての深みを作るには、
大学っていう時間がとても大事だと思うから。
ただ、その一方で、大学に通いながら手に職を身につけるっていうのが
今の時代には一番安定する気がしてる。

たとえば僕の知り合いで、MBAを取ってる経営者がいる。
その人は特殊な配管やダム、インフラの清掃をやってる会社を経営していて、
「どんなにAIが発展しても、水道や排水管が詰まったら人の生活が止まる。
だからこの仕事はなくならない」と言ってた。
まさにその通りだと思う。

家やビルのメンテナンス、道路の補修、ライフラインの維持。
こういう仕事って、AIでは代替できない人間の現場の技術なんだよね。
そういうところに入って、やり方を覚えたり、独立していく道も全然アリだと思う。

もちろん、AIが“受肉”して、人間のように身体を持つようになったら話は変わってくる。
でもそれは、もう少し先の話だと思う。

今の時代、昔みたいに「大企業に入れば一生安泰」という構図は崩れてきてる。
ホワイトカラーの仕事はAIに置き換わるスピードが早くて、
安定というより“いつまであるか分からない職種”になりつつある。

もちろん、僕も本当は昭和の高度経済成長期の日本みたいに、
大きな会社が家族みたいで、みんながそこに所属して安心して生きられる社会が
一番幸せだと思ってる。
でも現実として、仕事そのものが失われていく時代に入っている。

だからこそ、これからは
「なくならない仕事」
「誰かの生活を支える仕事」
「現場でしかできない仕事」
を選ぶことが、この時代を生き抜くための最大の対策なんじゃないかなと思う。

今ね、俺は強烈に“バンドマンとしての自分”に帰ってきてる。
ギタリストとして、現場のミュージシャンとして。

 

「やってやろう」って気持ちが湧いてきて、
今からはもう一度、バンドの時代が来ると思ってる。

 

もちろんAIの時代を経て、
改めて一番好きなものに愛情を感じたし、
自分が一番やりたいことに気づかせてくれたという意味では、
AIにも感謝してる部分もある。

 

でも一方でね、俺は電気工事もできないし、大型の車も運転できない。
力も一般的な男性よりはないかもしれない。
ホストみたいなこともできないし、雑な性格だから飲食店を運営するイメージもできない。
ってなると、自分ができることってバンドぐらいだなって思う。

 

AI時代では無能力みたいに感じることもあるけど、
でもね、これは多分俺だけじゃなくて、今これを読んでるみんなも他人ごとじゃないと思う。

 

ほんとに大変な時代になっちゃったよね。

マネタイズを回していけるのは、音楽制作とか動画制作とか生成AIとか、
そういう分野でどれだけ長く生き残れるかっていう話になってくる。

 

正直、リテラシーの低い人が存在しないと、
もうビジネス自体が回らない時代なんじゃないかとも思う。

 

AIを使いこなされちゃうと、ホワイトカラーの仕事も、
音楽や動画制作の仕事も、売る人自体がいなくなっちゃう。

 

だから、こんなこと願うのはおかしいかもしれないけど、
リテラシーの低い人が長く大企業や町工場、印刷屋さんなんかに存在し続けてほしい、
ってビジネス的には思っちゃうんだよね。

 

でも、パソコンの時代から見てもまだ使えない人がたくさんいるし、
そう考えると、追いついてこない人たちは一定数いると思う。

 

ただ、AIはパソコンよりもずっと簡単なんだよ。
パソコンはコマンド打ったり、エラー解決したりと難しいけど、
生成AIはスマホひとつでできちゃう。


アプリもすべて教えてくれるし、AI自身が先生みたいな存在になってる。

だからこそ、これからどうなるか。
本当に大変な時代の中で、どう乗り切っていくか。
それが今の命題なんだと思う。