怖れ、自分責めから軽くなる
感覚を感じる禅タロットセッション

奈美です

〈プロフィール〉 










子供の言葉や行動に対して
悲しい
なんか辛い
心が痛い
と感じることがあった時に
ただ悲しいとか心が痛いだけではなくて…



・こんな親子関係であるということが恥ずかしい

・子供のこんな行動は隠したい、人に知られたくない

・いつになったら変わるのだろう、 もうずっとこうだから変わらないかもしれない

・子供をこんな風にしてしまったのは自分のせいだ、 自分が悪い

などの、たくさんの思いがくっついていることがあります。



ただ単に子供にひどい言葉を言われたとか
何か聞いてるのに答えてくれなかったとか
その時は
嫌だな
悲しい
心が痛い
と反応する、 感じるのは、その時のただの反応です。



でも
人にこういう状態を知られたくないとか
原因はこれだとか
未来はこうなる
というのは、くっついているものです
単純に反応したものではなくて 
自分の中にある思考の癖
昔の傷
こうに違いないという思い込み
未来を予想しちゃってる
など…
そのくっついているものが発動して、どんどん大きなネガティブとして感じてしまう。




単純に、ただ悲しいという反応ってあっていいですよね
だって子供のことが好きだから、嫌な態度をとられたら 単純に悲しいですよね
(好きでもなく愛してもいない他人だったら、何か言われたその時は嫌だけど、よく考えたらどうでもいいとも思える
でも大切な人だから気になります)
でもそこに、いろいろなものがくっついているから、その「悲しい」がどんどん大きくなって辛くなって、ずっと続いてしまいます。



そして、そのネガティブな思いの中でぐるぐるしている時って
何が何だかわからなくなってしまって、思い詰めてしまう
ただ「悲しい」にいろんなものがくっついてるという風に、客観的にはなかなかみれないですね。





私は子供の行動に対してすごく心が痛かったことがありましたが…
ただ心が痛いって感じるのはいいんだ
でも
こんな態度をとられるなんて 私は母親失格だ、恥ずかしい
とか
こんな態度をとられた自分がダメなんだ
自分がずっと子供を傷つけてきたんだ、ああ、なんてことをしたんだろう
私は子供をつくるべきではなかった
などなどの
かなり極端な思いを自分の 奥に持っているということがわかり
体感からそこを緩め、そのネガティブの枠から出ていくと…
単純に、ただ悲しい、だけが残って
もし悲しいを感じた時も、それが長引くことがなくなってきたのです
そして
ネガティブな感覚の枠の外に出た時は
観察するように客観的に自分をみれます
どう対応すればいいかなを考えることができたり
大きな視点、 違う視点から相手や状況をみることもできます
だからラクになれました。






怖れや自分責めを体感から緩めていく








チューリップ赤不登校、自分の中のネガティブが浮き彫りに


チューリップ黄これまでのネガティブ体験と、なんか違うの違和感から癒やしを探求してきた


チューリップ赤子供のことは自分の責任だ、 でっかい責任感の岩に押しつぶされそうに


チューリップ紫子供や相手を受け入れなきゃと、頑張って 踏ん張ってきて


チューリップオレンジ人間関係が辛い、 人が怖い、 失敗が怖い


チューリップ黄引きこもり、 肩にずっと何かを背負っている感じ