経済評論家で作家・ブロガーの池田信夫氏の一冊である。池田氏は、日本を支配する「空気」について関心を寄せており、「『空気』の構造」などですでに本を書いているが、本書はさらに磨きをかけてアップデートした日本の空気論を考える上での必読書になるだろう。丸山眞男や山本七平など、日本論は数多いが、なぜそうした日本文化が成立したのかという点について本書は深く掘り下げ、日本の歴史を再検証し、現代日本にもはびこる同町圧力について新しい視座を与えてくれる。興味深いのは、政治学、経済学、脳科学、進化心理学、歴史学、考古学などの様々な知見を総動員している点である。とてもユニークな日本論である。
そもそもホモサピエンスは、移動を繰り返していた期間が長く、我々の脳というのは移動社会に最適化されている。農耕のために定住するようになったという説があるが、最近の研究だと、これは逆であり、定住したので農耕を始めたという。なぜ定住するようになったかというと、諸説あるが、1万2000年前に温暖化したことにより、移動しなくても近くで食料が手に入るようになったからだという。ただ問題は、定住すると隣接する部族と争いが生じやすいので、ある程度の規模がないと集団を守れなが、大きくなり過ぎると内部対立が生じて分裂が生じてしまうことだ。そこで中規模の部族集団でまず定住するようになった。
しかし、定住すると、排泄物等を近くで処理することとなるが、感染症リスクが生じ、数百人程度の部族集団だと全滅してしまう。これの解決方法は、集団の規模的な拡大である。集団が大きくなることで、一部の人は免疫を獲得して生き残ることができるのだ。ただ規模が大きくなると、集団内の内紛をどう処理するかが問題となる。そこで善悪などの”感覚”を共通化し、裁定者や裁定方法が生まれていったと考えられる。この感覚を共通化する手段が民族特有の神話や宗教であり、裁定者はシャーマン等が務めた。ただ定住により、移動していた時とは異なり、脳への刺激が減ってしまう。そこで余剰のエネルギーを消費するために、音楽や芸能が生まれ、そうした活動にエネルギーを使い、また、定住でのストレスを緩和するために飲酒したり祝祭を催したと考えられる。それらは結束力を高めて紛争時の機動力を高める効果もあっただろう。こう考えてみると、定住が起点となり、様々な文化が発達したと考えられる。こうした定住社会では、トラブルを起こさずに、規範に従順な人が求められる。諸外国ではその後、数多の戦争によって伝統的な社会が編成され、法と契約に基づく近代社会が形成されたが、異民族の侵略等を受けず、平和だった日本では昔からの文化が現代にまで受け継がれている;つまり、集団の規範に従順であろうとし、また、対立やトラブルを避けるために意見表明を避け「空気」を読むことが求められる。
本書では天皇についても分析を行っている。中国のように面積が大きな国では、大規模な運河建設や、灌漑農業に大勢を動員するために、強大な権力を有する皇帝が必要であったが、日本では国土が山々や河で分断されていたので、小さな集落が散逸しており、これを集約する必要性も合理性もなく、中央集権国家は成立しなかった。各地域に国が乱立し、それらが徐々に統合され、1つの王朝にまとまり、そのトップが天皇となった。天皇の実在性が考古学的に疑いないのは15代目ぐらいからで、それまでの歴代天皇は100歳を軽く超える長寿の天皇がいたり実在性は疑わしい。ただ全くの作り話とも考えられないので、おそらくいくつかの王朝や王の物語を集約して、1人の天皇として編纂したのだろうと推察される。ただ日本では山々によって集落が分断されており、中央集権的に政治を行う必要性もなかったので、天皇はあくまでシンボルのような存在となり、実務権力は別の者(これが令外官である)が握った。日本では昔から精神的権威と実質的権力が分離していたのだ。これは武家が実質的な権力を掌握してからも続き、天皇が将軍を任命し、実際の統治は幕府が行った。日本は異民族に征服されることもなく、また、天皇は実質的権力を持たず権威を授ける象徴だったことで討伐する必要性がなかったため、現在まで続く、現存する最古の王朝となったのだ。
こうした権威と実権の分離こそが日本政治の特徴である。江戸時代になり、平和な世になると、商人が力をつけたが、商人は財力を持つが武力も権威もなかった。一方で武家は、武力はあるが権威も財力がなく、公家は権威はあるが財力と武力がなかった。この3つの権力構造の対立が日本社会の複雑さの要因である。現代では政治家が世襲化しているが、彼らは金も実務能力はないが官僚を動かす権威があり、官僚は薄給で権威はないが法令を運用し民間企業を指導することができるパワーがあり、民間企業は権威もパワーもないが財力はあるので、政治家に献金することで政治家を動かすことができる。「ジャンケン国家」との表現が紹介されているがその通りだと思う。これは様々な権力が淘汰されずに温存されてきた平和国家ゆえの事象だろう。
平和な江戸時代が終わり廃藩置県が行われたが、特に大きな反発はなかった。これは江戸時代で税率を上げると百姓一揆が起きるので、税金が上げられず、参勤交代の財政負担もあり、各藩は借金だらけだったので、廃藩する代わりに借金も中央政府が肩代わりしてくれるというので渡りに船だったのだ。また、天皇という存在は武士は知っていたので、そこまで抵抗がなかったと推察される。ただ明治政府は、欧州の国家元首のように天皇を位置づけたが、日本の伝統ではないため定着せず、戦後、象徴天皇となったが、本来あるべき日本の伝統に回帰したともいえる。
そんな明治政府は一方で近代的な軍隊を編成したが、しかし、内実はうまくまわっていなかったようである。西洋式の士官学校で学んだ上層部はトップダウンで組織を動かそうとするが、日本は徹底した現場主義であり、実態はボトムアップという矛盾ゆえ、組織は効率的に動かなかった。また、実戦経験がある武士から士官学校教育を受けたエリートに世代交代したことで、挫折しらずのエリートは失敗したといえず、また引き際の匙加減も分からず、無謀な作戦が実行されてしまった。結果的に第二次世界大戦は日本にとって悲劇的結末となった。
敗戦後、憲法改正され憲法9条が制定されたが、当時は特に大きな反発もなかったそうだ。これは自己の村や身内の安全を志向してきた日本の伝統であり、自衛はするが、他国の情勢には関知しない憲法9条は居心地がよかったのだと思う。安全保障は米国に依存し、国内の復興に注力することができた。押しつけ憲法論があるが、本当に憲法が不都合であれば、改憲するはずであり、政争の論点としても注目されないのは、どこまでいっても日本の平和の文化遺伝子にあっていたのだろう。こうした平和ボケの集団は、大陸国家では異民族の侵入により根絶やしにされるが、幸いなことに海という巨大な堀に囲まれ、国土の7割が山々に分断されて自然の要塞である日本はそうした異民族の侵入を受け付けなかったため、安定した平和社会が維持されてきたのだ。
本書では最後に面白い指摘をしている。現在、経済はグローバル化しており、富裕層やエリート層を中心にボーダーレスな移動が起きている。現在、裕福な国は、ドバイ・モナコ・リヒテンシュタイン・ルクセンブルク・シンガポールをはじめ都市国家であり、世界経済を動かすのは東京・ニューヨーク・パリ・ロンドンなどのメガシティである。シンガポールのような国では独裁的に政治が行われているが、嫌ならほかの国へ移住すればいいという。これは新しい取り組みなのではなく、人類のかつての生活スタイルであり、脳はそちらに最適化されており、1万2000年ぶりに定住社会の終わりとなるかもしれないという。いわれてみれば、すでに富裕層やエリート層ではそうなっている。これは近代国家の弱体化と都市国家の時代の到来をも意味しているように思われる。