渋谷に用があり、渋谷フクラスへ寄ったのだが、想像以上にガラガラで驚いた。2019年竣工でまだ新しいビルだが、3階はテナントも撤収しており、閉鎖施設状態。東急不動産が運営しているが、歌舞伎町タワー、サクラステージ、東急プラザ銀座など外しまくっており、一等地で洒落たビルなのに人がいないという悲劇的な事態になっている。東急プラザ銀座も閑散としていたが、すでに香港系ファンドに売却されている。サクラステージも3月にいったがガラガラだった。

 

 

とにかく東急系の商業ビルは内装がギラギラしていて、落ち着かない。また、入口が分かりにくく、エスカレーターを登らないといけないので、フラッと入れない。回遊性を高めようとした結果、動線が分かりにくいので、目的地にたどり着くのに時間がかかり面倒。「大人をたのしめる渋谷へ」をコンセプトに、40代歳以上の中年からシニア層を顧客に狙ったそうだが、内装や入っているテナントが中年からシニア層向けではない。

 

混沌とした活気ある雑多な渋谷だからこそ街歩きが面白いのであって、小奇麗なデザインの商業ビルであれば渋谷でいく必要性がなく、買い物等であればデパートへ行く。都内に似たような施設が大量にあるので、もはや供給過剰だろう。洒落てギラギラした商業施設がコモディティ化している。インバウンド需要を狙ったようだが、こんな特徴がない作り物を観たい人は限られている。

 

渋谷フクラスの前が工事中ではあるが、渋谷駅まで遊歩道デッキでつながっている。2階にある入口を入って、半分がGMOのスペースがあるが、フラッと立ち寄って楽しめるスペースではない。商業施設も外国人向けで、日本人は2階だとみるところがないので、3階へと向かうが、3階はテナントがなくほぼ廃墟。結果、レストランエリアに用がないと、ビルから出て行ってしまう。

 

3階エリアは衝撃だろう。渋谷駅前の商業ビルとは思えない。

いよいよテナント撤退でフロア全体がリニューアル準備中に。

 

2019年竣工で、渋谷駅直結の商業ビルの3階とは思えない。文字通り廃墟である。

 

休日の夜のレストランエリアがこの閑散ぶりである。店は3~5割程度埋まっているが、全体的に寂しい。
 

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7階レストランエリアのエスカレーター付近。テナントはこの客の入りでは大赤字だろう。

 

渋谷の工事現場を一望できるエスカレーターホールだが、1~2名程度が外を観て去っていく。

 

ただ施設は綺麗で、空いているので、渋谷駅周辺でトイレに行きたくなったら、渋谷フクラスをおすすめしたい。また、レストランエリアも、入っている店は悪くないので、静かに食事したいのであれば、穴場だと思う。それにしても、渋谷フクラスという名前も覚えにくい。フクラスだかフクサスだか、分からなくなる。サクラステージともども近い将来に売却されるのだろう。

さて、先日、三菱一号館美術館で開催中の「ルノワール×セザンヌ モダンを拓いた2人の巨匠」へ行ってきた。

 

「本展は、フランス、パリのオランジュリー美術館が、ルノワールとセザンヌという2人の印象派・ポスト印象派の画家に初めて同時にフォーカスし、企画・監修をした世界巡回展です。ノワールの代表作《ピアノの前の少女たち》やセザンヌの代表作《画家の息子の肖像》をはじめとし、2人の巨匠による肖像画、静物画、風景画、そして、2人から影響を受けたピカソを加え52点の作品から、モダン・アートの原点を探ります。」(公式HP)

 

職人の息子として生まれ、明るく社交的な性格で、華やかな画風のルノワール。一方で、銀行家の家庭に生まれ、非社交的で、ユニークな造形を求めたセザンヌ。相対するようであるが、印象派・ポスト印象派の巨匠2人は、南仏プロヴァンスの地でともに芸術活動にいそしみ、そして、家族ぐるみで付き合いがあい、相互に影響を与えていた。そんな2人の関係性に迫りながら、2人の豊富な展示を堪能できる美術展だった。花瓶や果物というモチーフも、2人の作品を並べると、セザンヌとルノワールのそれぞれの個性が浮かび上がる。本当に上質な展示会だった。上流社会からのオーダーが多かったそうだが、この淡く明るいタッチが好まれたのだろう。個人的にもルノワールの華やかな画風は好きだ。

 

夏休みシーズンということで、混雑しているので、午前中の訪問をおすすめしたい。

 

 

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経済評論家で作家・ブロガーの池田信夫氏の一冊である。池田氏は、日本を支配する「空気」について関心を寄せており、「『空気』の構造」などですでに本を書いているが、本書はさらに磨きをかけてアップデートした日本の空気論を考える上での必読書になるだろう。丸山眞男や山本七平など、日本論は数多いが、なぜそうした日本文化が成立したのかという点について本書は深く掘り下げ、日本の歴史を再検証し、現代日本にもはびこる同町圧力について新しい視座を与えてくれる。興味深いのは、政治学、経済学、脳科学、進化心理学、歴史学、考古学などの様々な知見を総動員している点である。とてもユニークな日本論である。

 

そもそもホモサピエンスは、移動を繰り返していた期間が長く、我々の脳というのは移動社会に最適化されている。農耕のために定住するようになったという説があるが、最近の研究だと、これは逆であり、定住したので農耕を始めたという。なぜ定住するようになったかというと、諸説あるが、1万2000年前に温暖化したことにより、移動しなくても近くで食料が手に入るようになったからだという。ただ問題は、定住すると隣接する部族と争いが生じやすいので、ある程度の規模がないと集団を守れなが、大きくなり過ぎると内部対立が生じて分裂が生じてしまうことだ。そこで中規模の部族集団でまず定住するようになった。

 

しかし、定住すると、排泄物等を近くで処理することとなるが、感染症リスクが生じ、数百人程度の部族集団だと全滅してしまう。これの解決方法は、集団の規模的な拡大である。集団が大きくなることで、一部の人は免疫を獲得して生き残ることができるのだ。ただ規模が大きくなると、集団内の内紛をどう処理するかが問題となる。そこで善悪などの”感覚”を共通化し、裁定者や裁定方法が生まれていったと考えられる。この感覚を共通化する手段が民族特有の神話や宗教であり、裁定者はシャーマン等が務めた。ただ定住により、移動していた時とは異なり、脳への刺激が減ってしまう。そこで余剰のエネルギーを消費するために、音楽や芸能が生まれ、そうした活動にエネルギーを使い、また、定住でのストレスを緩和するために飲酒したり祝祭を催したと考えられる。それらは結束力を高めて紛争時の機動力を高める効果もあっただろう。こう考えてみると、定住が起点となり、様々な文化が発達したと考えられる。こうした定住社会では、トラブルを起こさずに、規範に従順な人が求められる。諸外国ではその後、数多の戦争によって伝統的な社会が編成され、法と契約に基づく近代社会が形成されたが、異民族の侵略等を受けず、平和だった日本では昔からの文化が現代にまで受け継がれている;つまり、集団の規範に従順であろうとし、また、対立やトラブルを避けるために意見表明を避け「空気」を読むことが求められる。

 

本書では天皇についても分析を行っている。中国のように面積が大きな国では、大規模な運河建設や、灌漑農業に大勢を動員するために、強大な権力を有する皇帝が必要であったが、日本では国土が山々や河で分断されていたので、小さな集落が散逸しており、これを集約する必要性も合理性もなく、中央集権国家は成立しなかった。各地域に国が乱立し、それらが徐々に統合され、1つの王朝にまとまり、そのトップが天皇となった。天皇の実在性が考古学的に疑いないのは15代目ぐらいからで、それまでの歴代天皇は100歳を軽く超える長寿の天皇がいたり実在性は疑わしい。ただ全くの作り話とも考えられないので、おそらくいくつかの王朝や王の物語を集約して、1人の天皇として編纂したのだろうと推察される。ただ日本では山々によって集落が分断されており、中央集権的に政治を行う必要性もなかったので、天皇はあくまでシンボルのような存在となり、実務権力は別の者(これが令外官である)が握った。日本では昔から精神的権威と実質的権力が分離していたのだ。これは武家が実質的な権力を掌握してからも続き、天皇が将軍を任命し、実際の統治は幕府が行った。日本は異民族に征服されることもなく、また、天皇は実質的権力を持たず権威を授ける象徴だったことで討伐する必要性がなかったため、現在まで続く、現存する最古の王朝となったのだ。

 

こうした権威と実権の分離こそが日本政治の特徴である。江戸時代になり、平和な世になると、商人が力をつけたが、商人は財力を持つが武力も権威もなかった。一方で武家は、武力はあるが権威も財力がなく、公家は権威はあるが財力と武力がなかった。この3つの権力構造の対立が日本社会の複雑さの要因である。現代では政治家が世襲化しているが、彼らは金も実務能力はないが官僚を動かす権威があり、官僚は薄給で権威はないが法令を運用し民間企業を指導することができるパワーがあり、民間企業は権威もパワーもないが財力はあるので、政治家に献金することで政治家を動かすことができる。「ジャンケン国家」との表現が紹介されているがその通りだと思う。これは様々な権力が淘汰されずに温存されてきた平和国家ゆえの事象だろう。

 

平和な江戸時代が終わり廃藩置県が行われたが、特に大きな反発はなかった。これは江戸時代で税率を上げると百姓一揆が起きるので、税金が上げられず、参勤交代の財政負担もあり、各藩は借金だらけだったので、廃藩する代わりに借金も中央政府が肩代わりしてくれるというので渡りに船だったのだ。また、天皇という存在は武士は知っていたので、そこまで抵抗がなかったと推察される。ただ明治政府は、欧州の国家元首のように天皇を位置づけたが、日本の伝統ではないため定着せず、戦後、象徴天皇となったが、本来あるべき日本の伝統に回帰したともいえる。

 

そんな明治政府は一方で近代的な軍隊を編成したが、しかし、内実はうまくまわっていなかったようである。西洋式の士官学校で学んだ上層部はトップダウンで組織を動かそうとするが、日本は徹底した現場主義であり、実態はボトムアップという矛盾ゆえ、組織は効率的に動かなかった。また、実戦経験がある武士から士官学校教育を受けたエリートに世代交代したことで、挫折しらずのエリートは失敗したといえず、また引き際の匙加減も分からず、無謀な作戦が実行されてしまった。結果的に第二次世界大戦は日本にとって悲劇的結末となった。

 

敗戦後、憲法改正され憲法9条が制定されたが、当時は特に大きな反発もなかったそうだ。これは自己の村や身内の安全を志向してきた日本の伝統であり、自衛はするが、他国の情勢には関知しない憲法9条は居心地がよかったのだと思う。安全保障は米国に依存し、国内の復興に注力することができた。押しつけ憲法論があるが、本当に憲法が不都合であれば、改憲するはずであり、政争の論点としても注目されないのは、どこまでいっても日本の平和の文化遺伝子にあっていたのだろう。こうした平和ボケの集団は、大陸国家では異民族の侵入により根絶やしにされるが、幸いなことに海という巨大な堀に囲まれ、国土の7割が山々に分断されて自然の要塞である日本はそうした異民族の侵入を受け付けなかったため、安定した平和社会が維持されてきたのだ。

 

本書では最後に面白い指摘をしている。現在、経済はグローバル化しており、富裕層やエリート層を中心にボーダーレスな移動が起きている。現在、裕福な国は、ドバイ・モナコ・リヒテンシュタイン・ルクセンブルク・シンガポールをはじめ都市国家であり、世界経済を動かすのは東京・ニューヨーク・パリ・ロンドンなどのメガシティである。シンガポールのような国では独裁的に政治が行われているが、嫌ならほかの国へ移住すればいいという。これは新しい取り組みなのではなく、人類のかつての生活スタイルであり、脳はそちらに最適化されており、1万2000年ぶりに定住社会の終わりとなるかもしれないという。いわれてみれば、すでに富裕層やエリート層ではそうなっている。これは近代国家の弱体化と都市国家の時代の到来をも意味しているように思われる。

 

 

私が登録しているチャンネルで社會部部長というものがある。地政学などの観点から政治や歴史等についてまとめているチャンネルであるが、運営者のプロフィールは明かされていない(おそらく個人でやっているか知らないが、大学院レベルの教育は少なくとも受けていると思う。独学でこの博学さだとしたら驚異的である。またはリサーチ担当と編集担当等で分かれておりチームで作成している可能性もある)。内容が非常に濃く勉強になるチャンネルであるのでおすすめしたい。実はこちらのチャンネル、本を出版しており、ベストセラーになっているので、読んでみた。発売早々に買ったが、あれこれ忙しくて結局、ようやく読み終わった(;´∀`)

 

地政学の入門書の入門書という位置づけと謙遜しているが、示唆に富んでおり、非常に勉強になるので、国際政治等に興味があればおすすめしたい。地政学は決定論や宿命論といわれることもあるが、そうではないという。日本が島国であるというのは前提であり、これは変更できない客観的事実であり、こうした現実を直視し、各国の政策決定において、地理的環境がどのような影響を与えるのかを考えることが地政学の与えてくれる視座である。人間は自由に考え動いていると思っているが、実際には重力という制約が前提にある。まさに地理的環境こそが国家にとっての重力なのである。

 

例えば、大陸国家は、海洋国家に比べて、対抗する軍事連合を形成される確率が歴史的に見て高い(過去500年のデータによると約2.7倍だそうだ)。なぜなら陸続きの強国は、移動がしやすいので、海洋国家よりも脅威となりえるからである。つまり、軍事力が世界最強のアメリカを恐れる国はあまりいないが、アメリカよりも数段も弱いにも関わらず、ロシアや中国が恐れられているのは、陸続きで移動が容易であるからだ。

 

目下ウクライナと戦争中のロシアは、国土が広いが、その国境の大半は平地であり、外敵の侵入が容易である。結果的に物理的に距離を確保しておかないと、国の中枢に外敵が侵攻できてしまう。ロシアは強い国と思われているが、実際は、何度も侵攻を受けて国土を蹂躙されてきた国であり、安全保障のトラウマが強い。そこでロシアは広い国土を志向し、安全のために外敵と物理的な距離を確保するために、緩衝地帯を欲している。その役割を果たしたのが東欧諸国である。ウクライナのNATO加盟に極端にロシアが反発し、ウクライナ侵攻まで行ったのは、NATOという国境を接するに危機感を持ったためだ。NATOの東方拡大により安全保障の危機が訪れるというのは、米シカゴ大のミアシャイマーが指摘していたが、欧米諸国は東方拡大を進めて今回のウクライナ危機を招いてしまった。これは善悪の問題ではなく、緩衝地帯を消滅させると有事を生じさせるという現実を示している。

 

そして現在、潜在覇権国として米国の地位を脅かすポテンシャルがあるのが中国であるが、中国が海洋進出を進めているのは、米国軍によって第一列島線の中に閉じ込められており、これを突破したいためである。実際、太平洋に出ようとする場合、日本・台湾・フィリピンなどの米国サイドの国が障壁となる。そして、中国は東南アジアへの進出も進めているが、これは、貿易量の6割がマラッカ海峡を通過するため、マラッカ海峡が封鎖された場合、中国経済にとっては喉を刺されるのと同じぐらいの打撃になりえるので、東南アジアに牽制しておきたいという意図である。もしマラッカ海峡が封鎖された場合に備え、ミャンマーから陸路での輸送ルートなどを確保するため、ミャンマーに中国が裏で介入している噂は根強いが実際に介入しているのだろう。

 

そしてこうした中国やロシアを封じ込めたいのがアメリカである。ロシアがアメリカを攻撃しようとすると、NATO諸国が存在するので、直接攻撃されることはない。また、中国がアメリカを攻撃しようとしても、日本・韓国・フィリピン・オーストラリアがアメリカの同盟国なのでこれが障壁となるのだ。そしてアメリカは東アジアにおいては韓国と日本の日米韓の連携が戦略上重要とみているが、なぜなら中国と有事の際は、日本は空軍の基地機能であるが、韓国は大陸への上陸拠点となるからだ。欧州ではイギリスとフランスがこれに当たる。大陸側に同盟国がないと、上陸拠点がないため軍事戦略上、制約が出てしまうからだ。

 

地理的な背景を踏まえて、各国の外交等をみると、たしかにそうだなとストンと落ちてくる。よく日本では国際政治を考える際に、思想対立・経済問題等がフィーチャーされるが、その根底にあるのは、地政学なのだと感じた。非常に分かりやすい一冊なので、おすすめである。ユーチューバーチャンネルは無料なのでこちらもおすすめしたい。本を読みよる気軽である。

暗号資産(仮想通貨)ビットコインは初めて11万2000ドルを突破し、最高値を更新した。大型株を中心にリスク資産が全般に上昇する中、ビットコインは一時3.1%上昇し11万2009ドルに達した。年初来上昇率は20%に近づいた。― ブルームバーグ

 

ビットコインが過去最高値をまた更新した。日本円だと1ビットコインが1700万円を超える。3年前は1ビットコイン300万円未満の価格だったことを考えると、5倍以上の価格上昇であり驚かされる。ビットコインの時価総額は、もはや銀の時価総額やGoogle親会社アルファベットの時価総額を上回る。世界第6位の資産である。

 

ビットコインはいまだに日本だと危ないというイメージが強いが、すでに小国であるがエルサルバドルやブータンなどの政府も保有している。米国でも州の政府準備金としてビットコインを認める法案を、テキサス州・ニューハンプシャー州が可決している。企業での保有も多く、米国自動車大手企業のテスラ社は1万ビットコイン以上(11,509 BTC )を保有し、日本の東証スタンダード上場企業のメタプラネット(12,345 BTC)も多量のBTCの保有企業である。これからますます大企業や政府レベルでの保有が相次げば、価格のボラティリティも抑制されるようになり、より安定したアセットになるだろう。

 

すでに米国では暗号資産を送金サービスに使用する動きなど実用化に向けて法案の整備等が進んでいるが、日本は後手にまわっている。暗号資産の覇権は米国が握るだろう。ビットコインは2100万枚が発行上限で、9割以上が採掘されており、残りは約110万枚程度である。半減期という供給制限の影響で、すべて採掘されるのは2140年と見込まれているが、ますます希少性が高まるので、価格はさらに上がるだろう。

 

米ヘッジファンド大手のARK Investmentは強気予想で2030年にビットコインは30万ドルから150万ドルに達する可能性があると予測している。1ドル = 150円の場合、4,500万円~2億2,500万円である。これまでの上昇率を踏まえれば、あり得ない話ではないし、大企業や政府レベルでの大量購入を考えると、これを上回る価格上昇もあり得ると想像する。

 

ビットコインは「21世紀のチューリップバブル」といわれたが、実際は「21世紀のデジタル・ゴールドラッシュ」である。