菊池浩之氏の「日本の地方財閥30家」を読了。財閥家といえば三菱・三井・住友の三大財閥などが思い浮かぶかもしれない。しかし、全国区ではないが、地方には地元ではよく知られた企業グループが数多く存在する。著者は資産家と財閥を一応は区別しており、資産家のうち一定の基準(封鎖的な家族・同族支配や事業の多角性)を満たしたものが財閥になるそうだが、その境界は曖昧である。例えば、麻生太郎の実家の麻生家は、麻生財閥といわれているが、当時は石炭しか取り扱っていなかったので、戦後のGHQの財閥解体指令からは外れている(麻生グループ百年史)。そこで、本書では地方財界で無視しえない家系であれば、地方財閥として取り上げているとのことである。エリアごとに甲州財閥・江州財閥・中京財閥・九州財閥・阪神財閥として各エリアから数家を取り上げ、事業別に醤油・酢、農林水産、紡績・製糸、機械工業の産業から数家ずつ選出している。

 

ちなみに、本書の筋からは外れるが、麻生家の家系図が掲載されているので、眺めていたら興味深い事実が分かった。上皇陛下の長女の清子様の結婚相手は東京都職員の黒田慶樹氏であるが、黒田家自体は財閥でも華族でもない家柄だが、慶樹氏の叔父の奥さん(義叔母)は秋月子爵家出身で、義叔母の父の秋月種英子爵の先妻である秋月利武子氏は牧野伯爵の令嬢なのである。その二人の娘の結婚相手は日本医師会会長の武見太郎であり、その子供が衆議院議員の武見敬三である。そして秋月利武子氏の姉妹に雪子がおり、その雪子の結婚相手が吉田茂であり、その子孫に麻生太郎がいる。つまり、血のつながりはないものの、黒田慶樹氏は、義理の叔母の実家の秋月子爵家を通じて麻生家・武見家の遠縁にあたるようである。

 

本書で知ったのだが、財閥という言葉は、甲州財閥について初めて使われたようだ。甲州出身者には東武鉄道の根津家、富士急行の堀内家、阪急電鉄の小林家、松屋百貨店の古屋家など財界の重鎮が数多いことからその名がついた。なお、甲州には若尾家も若尾銀行等を経営し大資産家として君臨していたが、昭和金融恐慌で統廃合されてしまい、若尾家は戦前にすでに没落してしまったそうだ。山梨自体はさほど裕福な土地ではないので、東京に出て立身出世する人が多かったのだろうと推察される。一方で、お隣の静岡の出身者にはそうしたことは聴かない。幕府直轄領で海の幸と山の幸に恵まれた温暖な気候の静岡は競争意識が芽生えないのだろう。なお、本書では取り上げられていないが、静岡には鈴与財閥(現 鈴与グループ)がある。

 

関西でも同じようで、近江出身者は関西で活躍したことから江州財閥と呼ばれるそうだ。伊藤忠・丸紅の創業者の伊藤家がまさにそれである。伊藤忠・丸紅はもとは同じ会社だったが、財閥解体の中で分割されたのである。高島屋の飯田家(名前の由来は高島郡という地名である)も著名である。繊維や織物が強いが、麻の育成に適した土地で、近江商人がそれを京都・大阪に卸していたことから発展したようだ。中京財閥は5つの資産家がおり、伊藤家(松坂屋)、岡谷家(岡谷鋼機)、瀧家(タキヒヨー)、神野家・富田家(名古屋鉄道)の五家で五大財閥と呼ばれるようである。なお、ノリタケやNGK(日本ガイシ)、INAXなどの森村財閥は名古屋の財閥と勘違いされるが、東京の企業である。森村家はいまだに同族支配を続けているが、一方で松坂屋の伊藤家は社内クーデターで追い出されている。

 

九州財閥は、貝島家・麻生家・安川家の名が挙がっているが、いずれも炭鉱から事業を始めた財閥である。麻生財閥はその後、学校事業にも進出し、安川家は安川電機などに事業展開している。貝島家は、石油エネルギーへの転換の中で没落し、1976年には清算を余儀なくされ1社のみが地場中堅企業として存命しているにとどまっているそうだ。麻生財閥は政界に進出し、妹は皇族と結婚するなどなかなか戦略家である。阪神財閥は一般的に十七家が財閥家に上げられるが本書では阪神に根差す5つの家のみの紹介としている。岩井家、嘉納家、辰馬家、岡崎家、川西家である。

 

醤油と酢の事業分野からは、茂木家(キッコーマン)、浜口家(ヤマサ)、正田家(正田醤油分家に日清製粉がある)、中埜家(ミツカン酢)が挙がっている。なお、正田醤油が本家で、その三代目の孫が日清製粉を興し、その家から天皇家に嫁いだのが美智子陛下であるから、美智子陛下のご実家は正田醤油の正田家の分家ということになる。ミツカン酢の中埜家は跡取り問題でニュースになっていたが、創業家の中埜裕子が社長に就任している。

 

農林水産事業では、田辺家、諸戸家、本間家、中部家(マルハ)が挙げられている。本間家は山形の大地主で豪邸が残っている。マルハはニチロと経営統合し、マルハニチロになったが、いまでは商号変更しUmios株式会社と名を変えている。田辺家は島根、諸戸家は三重の山林王である。田辺家は田部長右衛門の名を襲名しており、現当主は25代目で、地元企業の社長等を務めているようで、地元の名士として君臨しているようだ。

 

紡績事業からは、大原家(クラレ)、片倉家(日東紡績)、坂口家(日本レイヨン)が出ている。大原家は倉敷で祖業をレーヨンとしていたので、クラレである。社会貢献に熱心で大原美術館などにその名をみることができる。片倉家は財閥解体で解散してしまった。坂口家は製糸業・銀行等を営んでいたが、戦後、ほとんどの事業は坂口家の手を離れている。しかし、資産管理会社の坂口合名を経営し、地元で一定の影響力を持っているそうだ。


機械工業事業からは、島津家(島津製作所)、中島家(中島飛行機、現スバル、富士重工)、服部家(セイコーとエプソングループ)が登場している。中島家といえば、GHQ指定の十大財閥に数えられて解体を強いられた財閥だが、実際のところ未完の財閥で実態としては三菱・三井・住友・安田等には及ばない財閥だった。しかし、飛行機等を製造していたことで、軍需産業解体の観点から徹底的に解体されてしまったのである。なお、創業者の孫の中島洋次郎は、防衛政務次官も務めた国会議員だったが汚職事件で有罪となり、次男が早世したショックも重なり自死されてしまった。服部家はセイコーの創業家であり、銀座のシンボル的な時計塔で知られる。服部家の豪邸は白金に残っているが、一般公開されていない。大京が500億円強で買収したそうだが、再開発の計画等は聞こえてこない。解体などされないといいなと思うが、固定資産税等や庭の維持管理費の負担も重いようで、どうなることやらである。

 

ダラダラと書いてしまったが、数多くの地方財閥を知れて良かった。名前だけ知っている企業の由来なども勉強になった。菊池氏の本はまだまだあるので、読み進めたい。

 

 

菊池浩之氏の「日本の15大同族企業」を読了。同族企業は明確な定義はないものの、創業家が多数の株を保有し、世襲で経営権を掌握している企業といって差し支えないだろう。ただ創業家の後継ぎが優秀とも限らず、また、会社の成長の中で創業家が力を失い、もはや同族企業とはいえない有名企業も数多い。専門経営者が、脱創業家を掲げて創業家が経営に関わらなくなったケースもあれば、社内クーデターで創業家が締め出されるケースもあれば、創業家とつかず離れずちょうどよい距離感を保っている企業もある。千差万別である。本書は、同族経営という観点から、有名企業の創業家との関わり方についてまとめている。

 

しかし、考えてみれば、民間企業は元国営企業でもない限り、創業者がいるはずであり、ゆえに当初はすべての企業は同族企業だったわけである。それが、相続のために株式売却したり、資本増強の中で持ち株割合が希薄化したり、後継ぎに恵まれずに、徐々に同族企業から非同族企業へとなっていくのが普通なのである。そう考えてみると、創業家が数代にわたって経営権を維持する企業のほうが稀有である。企業は最初は同族であるが、徐々に規模が大きくなると社会の公器となるのだ。

 

トヨタ自動車の場合、持ち株比率は高くないものの豊田家がいまだに影響力を及ぼしているが、それは後継ぎだからと甘やかさずに、難度の高い業務を与え、実力を冷静に評価し、周囲の理解を得つつ社長・会長へと昇格させたからだという。しかし、パナソニックは、松下幸之助の孫がパナソニックに入社した際に、経歴に傷がつかないように難度が低い業務を担当させたために経営の実力がつかず、最終的に副会長にとどまった。

 

大正製薬はいまだに創業家の上原家が大株主に名を連ね、社長を世襲しているが、これは稀なケースなのである。一方、鹿島建設は、創業家の鹿島家が大株主には名を連ねるものの、創業家を役員に据えることには興味がなく、社長は専門経営者が担っている。ブリジストンの石橋家も同様である。

 

出光興産はもともとは「家族主義」を掲げていたが、七代目が専門経営者に社長職を譲り、金融機関等の支持も取り付け株式上場を実現し、脱同族化に成功した。意図的に脱同族をはかった企業もあるが、一方、日本生命保険は跡取りが急死してしまい、専門経営者へ禅譲をせざるを得なくなったようなケースもある。これらはまだ穏便なほうだが、松坂屋にいたっては、社内クーデターのようなかたちで創業家が締め出され、第18代目になるはずだった長男は松坂屋への入社を禁止され三越に入社することとなったそうだ。東急電鉄・西武鉄道は二代目にこそ恵まれたが、三代目への継承を失敗している。

 

本書が書かれたのが、2010年であるが、その後も企業の世襲・創業家のお家騒動は跡が立たない。一番目立ったのは大塚家具だろう。創業家の長女の大塚久美子が父親と経営方針の違いから委任状争奪戦へと発展し、娘が勝利するが経営が悪化。ヤマダHDに買収されてしまった。父親は匠大塚を新たに創業し、事業を展開している。大戸屋のお家騒動も話題を集めた。創業者が死去したが、経営陣が創業者の残された妻と息子を冷遇し相続税の支払いのこともあり、妻と息子は株式をコロワイド社に売却したのだ。結局、大戸屋はコロワイド社に買収され、創業家を冷遇した窪田健一はコロワイドにより解任され、2026年に創業者の長男が大戸屋の社長に就任し、創業家の復権を果たしたのだ。

 

まさに企業にドラマありである。経済環境は変化するので、時代についていけない経営者では会社が倒産してしまう。時機にあった経営者に経営を任せるのが良いのかもしれないが、気が付いたら創業家は締め出されてしまうかもしれない。創業家が世襲してうまくいっている企業もいつまで続くのかは未知数である。創業家にも思いを馳せながら経済ニュースを眺めたい。

 

 

菊地浩之の「日本の15大財閥」を読了。「財閥と閨閥」を読んで菊池氏の本にはまっている。

 

 

そもそも財閥という用語は決まった定義がないようであるが、本書では、日本経営史の研究者である森川英正の「富豪の家族・同族の封建的な所有・支配下に成り立つ多角的事業体」がぴったりだという。複数の産業にまたがり企業グループを形成している三菱・三井・住友は財閥として異論なかろうが、パナソニックの松下家、トヨタ自動車の豊田家なども財閥とされることがある。

 

本書で扱う財閥は下記である。通常の15大財閥と異なり、重化学工業の財閥を除き、金融系の財閥を加えてバランスを取ったそうだ。鈴木財閥は、1927年に昭和金融恐慌のあおりを受け、破綻しているが、戦前ではGNPの1割を売り上げる巨大財閥だったので取り上げられている。恐慌や戦争を生き残った財閥も、GHQによる財閥解体などもあり、企業グループは再編されて現在にいたる。現在の企業グループを知るためには、財閥の歴史を知ることも重要である。

  • 三菱財閥・三菱グループ
  • 住友財閥・住友グループ
  • 三井財閥・三井グループ
  • 安田財閥・芙蓉グループ
  • 浅野財閥
  • 大倉財閥
  • 渋沢財閥・一勧グループ
  • 古河財閥・古河グループ
  • 薩州財閥(川崎造船財閥)・川崎グループ
  • 川崎金融財閥
  • 山口財閥・三和グループ
  • 鴻池財閥
  • 野村財閥
  • 旧鈴木財閥
  • 日産コンツェルン・春光(日産・日立)グループ
個人的には意外だったのが、住友というとゴリゴリした営業のイメージだったのだが、住友財閥の15代当主は清華家の徳大寺家出身の高貴な血統であり、住友家は皇胤となっている点である。かつて住友銀行といえば、「逃げの住友」というぐらいだったそうだが、安宅産業が倒産した際にメインバンクの責任の住友銀行は磯田一郎を中心に伊藤忠商事へ吸収合併させて救済したものの、不良債権等のおかげで業績が悪化したため、磯田がラガーマンよろしく「向こう傷を問わない」と、モーレツ営業に舵を切ったそうだ。結果、イトマン事件へとつながっていくのだが、そういった事情もあっての社風の変容のようである。なお、住友の白水会というのは、もとの屋号「泉屋」の泉を上下で分けたことに由来するが、泉としたのは住友に銅と金銀の分離技術を教えてくれたハックスレー氏の名前を、白水と当て字した経緯のようだ。住友のマークの井桁は、コンコンと湧き出る水を象徴している。
 
また、大倉財閥といえば、ホテルオークラでその名前は知られているが、あまりグループにまとまりがない印象だったが、実際、様々な産業に企業を持っていたが、脈絡がなかったようだ。創業者の大倉喜八郎が「初物食い狂」といわれるほど、新しい物好きだったためだそうだ。しかし、後継者の育成やグループをまとめる組織等に関心がなかったため、創業者の死後、グループの整理が行われた。大倉財閥の中核企業の大倉商事は1998年に自己破産しており、大倉グループは崩壊したと考えられているが、創業家は非上場企業(中央建物株式会社)を経営しており、また旧大倉財閥系企業の役員等に就任することで、一定の影響力を持っているようである。
 
一方、金融系の野村財閥は、全くグループとしての一体感は失われているようである。野村家はもともと両替商だったが、証券業をはじめ、緻密な企業調査で信用を得て事業を拡大。昭和の金融恐慌以後、藤田財閥系の企業を買収し、信託・保険分野にも進出。さらに南方事業にも手を出したが、敗戦で南方に持っていた農場などは接収されてしまった。財閥創業者の第二代野村徳七は1945年1月に亡くなってしまい、また、野村銀行は大和銀行に改称するがメインバンクとして中核的にグループをまとめるほどの規模ではなかったため、戦後、野村財閥系の企業はグループとして再結集することはなかったそうだ。なお、創業者の孫の野村文英は、野村殖産社長・野村證券取締役等を歴任したようである。
 
財閥も栄枯盛衰だなと思う。万事順調だったわけではない。昭和恐慌や敗戦からの財閥解体、高度成長期での企業グループ再編等、紆余曲折を経ての現在の企業グループなのだ。ただ脈々と企業の文化・歴史などは続いている。そんな日本企業の背景を知れる良書だった。

 

 

経営史学者・歴史家で菊地 浩之の新刊を読了。菊地氏は、國學院大學を卒業後に民間企業に勤めていたが、サラリーマンの傍らで企業の歴史(主に企業集団・企業系列)の研究を行い、著書を多数執筆している。市井の学者といえばそうかもしれないが、明治学院大非常勤講師を務め、また、「企業集団の形成と解体」で國學院大より経済学の博士号を取得している。

 

本書では日本の「10大財閥」の婚姻戦略から、いかに「閨閥(けいばつ)」(外戚(妻方の親類)を中心に形成された血縁や婚姻に基づく親族関係や共同体の意)を形成していったのか、そして戦後の財閥解体とその財閥家のその後を簡単に紹介している。明治~昭和初期に形成された日本の「財閥」「閨閥」は、その後、日本経済社会に影響を及ぼしており、非常に勉強になった。本書では、三菱・三井・住友の三大財閥に加え、安田・鮎川・野村・大倉・古河・中島・渋沢を十大財閥として紹介しているが、現在でも企業名にその名を聞くことも多いだろう。

 

閨閥の戦略は一様ではなく、貴族化を志向した三井家、優秀な婿を迎えた岩崎家、名門公家出身者を当主に迎えた住友家などバラバラだ。また、財閥家といっても、みなが事業に成功し、華麗な閨閥を築いたわけでもなく、戦前にほとんど崩壊した浅野財閥、企業も多数創立し子だくさんだったが財閥としてのまとまりはなかった渋沢財閥、閨閥形成ではいまいちな野村財閥、未完のまま解体された中島財閥など、財閥といっても多種多様である。

 

三大財閥だと、最も華やかな閨閥は三井財閥だろうか。六本家・五連家の三井十一家から成り、家系図には、大名華族・公家華族が並びなんとも華やかである。三井家は、財閥の経営にも関わっており、それが戦後に専門経営者から忌避され、脱創業家の機運を生んでしまったそうだ。三井財閥家出身で三井系の企業に入社しても役員になれないケースが相次いだそうだ。なお、安田財閥の創業者の安田善次郎は三井家の繁栄に憧れて、十数家の同族をつくり、グループ会社に頭取・役員として派遣して指揮させたが、結果的に創業家への反発を招き、財閥解体後の再結集の動きは一切起きなかった。創業家の子孫もせいぜい部長どまりだというから、憧れた三井家と同じ末路になったというのは興味深い。

 

一方、三菱財閥は財閥解体後にグループ再結集の動きが生まれ、現在でも”三菱”は企業グループを形成している。どちらかといえば、岩崎家は経営専門家とも良好な関係だったことに加え、第四代岩崎小弥太の影響も大きかったようだ。小弥太は、恥ずべきところは何もないと、GHQの指示に反発し、自発的な財閥解体を拒否していた。しかし、そのままでは三菱に厳しい処分が下ると考えた幣原首相(当時)が、大蔵大臣の渋沢敬三を向かわせ、自発的解体を説得したそうだ。小弥太は自発的な解体を承諾するが、その翌日に急死してしまう。この非業の死は、専門経営者達に三菱再結集の契機となったと本書では書いている。岩崎家の子孫は、三菱に入社しているようで、一定の敬意が払われているそうだ。

 

さらに興味深いのは住友財閥である。住友家15代当主の住友友純は、徳大寺家に生まれ住友家の養嗣子になった人物である。この友純が出た徳大寺家は五摂家に次ぐ清華家の家格の名門公家であり、父親は江戸時代に右大臣を務めた徳大寺公純(五摂家の鷹司輔煕の密子といわれている)、実兄は総理大臣も務めた公爵 西園寺公望、公爵 明治天皇の侍従長を務めた徳大寺実則である。友純は、東山天皇の男系7世子孫にあたるので、実は住友家は皇胤である。当然、公家出身なので商いにあまり興味を示さず、「君臨すれども統治せず」ということで、専門経営者との関係は良好だったようだ。戦後、住友の専門経営者達は、住友家の没落が後生物笑いにならぬようにいかに安泰を守れるかに苦心したそうだ。結果、現在でも創業家は敬愛されているようである。また、住友家の財産についても住友家評議員会が相談役として助言しているようである。

 

菊地氏はほかにも本を多数執筆しているので、読んでみようと思っている。最近、投資で個別銘柄をみているので、企業の歴史などは参考になる。

 

東京都美術館で開催中の「アンドリュー・ワイエス展」へ行ってきた。大戦後に注目を集めたポップアート等とは距離を置き、具象絵画を描き続けた20世紀アメリカを代表する画家である。アメリカ本国より日本でのほうが人気が高いといわれるが、実際、かなり混雑していた。単に現実を描写するのではなく、生と死、境界、時の流れや変化を感じさせるモチーフを用い、どこか思索的で、静寂でもの悲しげな雰囲気がある。日本の無常などの思想やわびさびなどの美的感覚に通じるところがあるのではないかと思う。1つ1つの作品に対峙すると、じーっとずっと見ていたくなるよな不思議な感覚になる画家である。素晴らしい展示会だった。