日本人は桑原さんが第4位に入賞して、二大会連続の入賞者となり、話題となったが、得点の詳細が公開された。今回は採点方法が変更され、次のラウンドに進ませるかどうかというYES/NO方式は廃止され、また、予選から本選の点数のスコアが最終結果に影響するので、全ラウンドで一定の水準だった人が有利であった。一次10%、二次20%、三次35%、ファイナル35%の比率であるので、特に三次とファイナルの比重が重要だった。ただこの結果にはかなり賛否両論であるが、数学的にみても、こんな大規模なコンクールで、完全に公平な採点方法などありえないので、これは一つの結果として受け入れるしかないと思う。

 

■詳細結果

 

スコアを見てみると、やはり審査員によって評価がかなり異なる。豊かな音楽性とか素晴らしい演奏とはいったものの、実際は個人の主観が入り込むものである。演奏は、奏者の精神状態やコンディションなどで左右されるが、それは聴き手も同様で、どの座席でどんな気分で座っていたのかによっても評価は変わる。音楽は刹那的な芸術であり、そもそも速度とかスコアといった、スポーツのような明確な基準はないのだ。

 

第三次予選の結果を眺めてみると、ファイナルに残れなったYang (Jack) Gaoに、審査委員長ギャリック・オールソン(ショパコンとブゾーニの優勝者)と、音楽学者のJohn Rinkは満点の25点をつけている。パレチニが18点、ヤブオンスキーとダンタイソンが17点と辛口だが、"ファイナルに残れなかったから悪い演奏だった"などということは到底言えない証左である。逆に、第三次予選の結果だけみると、第4位入賞の桑原さんの演奏には、満点をつけた人がいなかったりする(24点は2名おり、総合的には高評価である)。そして、第2位に入賞のケヴィン・チェンの演奏には、ヤブオンスキーが満点をつけて総じて高評価だが、なんとギャリック・オールソンは16点、エヴァ・ポブウォツカも18点とかなり厳しい採点である。これだけでも、いかに音楽の評価が分かれやすいかわかるだろう。別に順位などは音楽性の評価ではなく、たまたま選ばれた審査員の平均的な結果に過ぎないので、審査員が変われば結果も変わる。

 

そんな中で、Sir アンドラーシュ・シフの高松宮殿下記念世界文化賞受賞時のインタビューが話題になっている。Sir シフのコメントを下記の記事から引用しよう。

「演奏家はあくまで再創造者であり創造者は作曲家で神聖な存在です。作曲家に奉仕し自分を捧げるべきです。作曲家の指示に従わなければなりません。とはいえ、演奏家の個性が表れるものです。(中略)私にとってコンサートはエンターテインメントではありません。良い時間を過ごしてほしいですが、ショービジネスではないのです」

「コンクールは良くないものだと思います。音楽はスポーツではありません。芸術には計り知れない多くの要素があり、速さや距離などで数値化することができません。審査員の嗜好や感情が入り込んでしまうのです。私自身、ショパンの音楽は大好きですが、聴きすぎるのは健康に良くない。優勝した若者(エリック・ルー)のことは、彼がカーティス音楽院の学生のときに演奏を聴いたのでよく知っています。以前、彼はリーズで1位を獲ったと思いますが、なぜショパンコンクールに出なければいけないのか……そんなことを考えてしまいます」

「成熟していくプロセスがワインと音楽家は似ていると思うのです。ボトリングされてから1年のワインはまだ若く、熟成しなければいけない。10年、20年経ってから美味しくなるものもあります。 私が20歳のときに学んでいたべートーヴェンのソナタと、今日の演奏を比べると、全く違います。考え方が変わったわけではありませんが、私という人間が変わりました。それは、多くの経験を通して出会った人たちや様々な書籍から影響を受けて変わっていったのです。 若い音楽家に何か言えるとしたら、『ずっと練習しているのではだめだ』ということ。賢く練習をすれば、一日3時間で十分なはず。残りの時間で本を読み、美術館や博物館に行き、友人と触れ合い、自然に親しむ——これらすべてが音楽づくりに貢献していくのです」

 
Sir シフの音楽観に私は共感するが、やはり一方でビジネス的な側面も考えないと、音楽家は食べていけないという現実もあるものだ。Sir シフはコンクールを批判するが、彼自身もチャイコフスキーコンクール第4位の入賞者であり、その経歴がキャリアにつながったことは否定できない(なお、コンクール出場は国からの命令だったようであるが)。生存バイアスがあることは斟酌すべきだ。
 
ただ最近はコンクール入賞が自己目的化しているように感じられる。たくさんの入賞を重ねて、結果、コンサートピアニストとしては名前を聴かなくなったピアニストは枚挙にいとまがない。もちろん、教鞭をとっていらっしゃる方もいるが、音楽を深い次元に昇華して、ワインのように熟成を重ねる名演奏家がもっと多くてもいいのではないかと思わないでもない。技巧はコピーできてしまうが、年月を重ねた独自の音色や演奏の風合いはコピーできないのだ。