さて、行楽の秋ということで、水戸へ行ってきた。水戸というと、徳川御三家だった水戸徳川で有名だろう。水戸といえば水戸黄門も出てくるが、水戸の二代目藩主の徳川光圀のことである。”黄門”とは、水戸徳川の官職の中納言の唐名である。ちなみに、最後の征夷大将軍の徳川慶喜も水戸徳川家出身であり、弘道館で学んだ。水戸学といえば、明治維新において尊王攘夷思想という重要な学問的なバックグラウンドを担ったことでも有名である。実は御三家の中でも紀州・尾張よりも家格は下であったが、水戸徳川は参勤交代を免除され、江戸に常駐した定府大名であり、御三家の中で唯一、徳川宗家ではないが公爵に列している。
とはいえ、現在の水戸市は茨城県の県庁所在地とはいえ、人口26万人の中核市に過ぎない。栄枯盛衰を感じるところである。やはり政令指定都市と比べると、ワンサイズもツーサイズも小さな印象を受ける。ただ駅周辺は商業施設も充実しつつも、大きな混雑はなく、自然にも近く、とても住みやすそうな都市だった。正直、大都市へのアクセスが良いのであれば、快適に暮らすにはこれぐらいの都市の規模が最適解な気がする。
さて、駅に到着すると、水戸黄門の像がある。隣は助さん格さん。実際は全国歴訪の史実はないが、「大日本史」の編纂のために全国に使者をつかわしたので、そうしたイメージになったようである。助さん格さんは、「大日本史」の編纂に携わった、いまでいう学者である。
水戸城の大手門。2020年に復元されたもの。御三家とはいえ、水戸徳川家は参勤交代を行わない江戸定府の大名であり、居城として豪奢に整備されることはなく、比較的に質素だったようだ。天守閣もなく、また、建物は解体されたり、戦火にあいほとんど現存していない。
徳川斉昭。水戸藩の第9代藩主で、徳川慶喜の父。「日本三名園」のひとつとなる偕楽園を造園したり、藩校として弘道館を設立するなど、水戸の発展に寄与した。
こちらが弘道館であるが、水戸藩第9代藩主徳川斉昭が、1841年に開設した日本最大規模の藩校である。最後の将軍徳川慶喜もここで学んだ。戦火等で大半は焼け落ちているが、正門、正庁、至善堂は残存しており、国の重要文化財になっている。ただ日本最大の藩校だった割に、意外と建物はこじんまりとした印象だった。あくまで藩校に通えるのはごく一部だった。
内部だが、「尊攘」と掲げられている。武家ながら尊王攘夷思想になったのが興味深い。水戸学が明治維新における思想の下地になったのは違いがないが、一方で、徳川御三家の水戸藩は明治維新では重要な政治家を輩出できておらず、薩長土肥という田舎侍が大きな勢力となっている。そうというのも天狗党の乱など、内乱が起き、水戸藩は内部抗争で自滅してしまったからだ。
こちらは水戸東照宮である。意外と上野の東照宮と比較してもこじんまりとしていて、建物の装飾もプリント?のようで、意外と質素な印象だった。
茨城県立美術館の旧水海道小学校本館である。再建されたものだが、当時の擬洋風建築をいまに伝える。和と洋の意匠が調和している。水海道は、 現在の茨城県常総市だが、全国的主要都市というわけでもないにも関わらず、当時、田舎の方にまでこうした建築があることに驚かされる。
こちらは徳川ミュージアム展示の日本刀(撮影可)。水戸徳川の貴重な展示品に目を奪われるが、こじんまりしたミュージアムの割に入館料が2500円なのはなかなか高い・・・。私設でもあるし、維持管理のためには仕方がないにしても、なかなかの強気の価格設定だ。
こちらも徳川ミュージアムの展示品。当時としては非常に貴重な車を保有するなど、西洋かぶれといわれたそうだ。
こちら水戸駅ビルの蕎麦処のまち庵 で食べたランチ。秋の味覚の天ぷらが美味。
こちらは木内酒造が手掛ける茨城県産の銘柄豚を使ったとんかつを提供する「蔵+かつ」。これがなかなかの絶品。とんかつに納豆をあわせるのが水戸らしい。
木内酒造の常陸野ネストビール。クラフトビールとしては有名だが、とても飲みやすい。
やはり歴史散策は面白い。九州・四国はあまり行ったことないが、明治維新の歴史の深耕のためにも旅したいなと思う。