魚の河豚(ふぐ)のドキュメンタリー。想像以上にすっごい面白かった。ふぐ自体に興味がなくとも、料理とかが好きな人には、かなりおすすめ。ふぐの料理人から、研究者、流通業者、漁師やら業界関係者のインタビューを交えつつ、ふぐ調理師試験合格を目指す若者など、非常にバランスよく構成されたドキュメンタリー。

視聴者側の理解がしやすいように、ちょうどよい説明も挿入されており、勉強になる。テンポよく、音楽の使い方も絶妙!始終「へー!」と勉強になりっぱなしだった。ふぐ調理師試験合格を目指す若者がストーリーラインに入っていて、なんか応援してしまった。意外とふぐ業界といっても一枚岩ではなく、いろんな思惑とかがあるんだなというのも勉強になった。あまりふぐを食べる機会もないのだが、機会があればふぐ刺しを食べてみたい。

【勉強になった点】
・ふぐは様々な種類がいるが、食べられる種類は限られており、おまけに可食部は種類によってバラバラ。
・ふぐには青酸カリの数百〜1,000倍以上の強さの毒があり、治療薬はない。
・ふぐ食の歴史は長いが、近代化の中で禁止されたが、伊藤博文が下関の春帆楼で食べたふぐに感銘を受けて解禁させたという。
・ふぐは毒のある食べ物を食べて有毒化するので、無毒な餌で育ったふぐは無毒。肝も食べられるが、事故などの懸念からいまだ禁止されているが、解禁してもいいのではという意見も一定数ある。ただ事故のリスクに加えて、無毒なふぐについて肝などを食べることも解禁すると、ふぐ調理師の免許制も崩壊する懸念もあり反対意見も多い。
・毒は水溶性なので、肝や卵巣なども一定の処理をすれば食べられなくはないようで、地域によっては食しているところもあるようだが、完全な無毒化は無理なので死亡事故もある。

 

★ 4.2 / 5.0

 

人気アニメシリーズの「魔法少女まどか☆マギカ」の劇場版「叛逆の物語」の続編「ワルプルギスの廻天」を観てきた。タイトル的に子供向けのようであるが、内容は大人向け。劇場版は一見さんでは理解不可能。前作から時間が経っているので、予習してから臨むべきと思う。

アニメシリーズはまだ子供でもついていけたと思うが、劇場版は哲学的とすらいえ難解であり、正直、ストーリーを追うのが限界で、「どういうこと?」と考えながら観る必要がある。それが魅力的なのであるが。そして、劇団イヌカレーのコラージュなどを多用したゴシックテイストの可愛いがどこか不気味でグロテスクな映像が、もはやアート作品で素晴らしい。これだけアニメ作品が大量にあるのに、ストーリーにしても、映像にしても、まだ表現様式を開拓するとは、創造性に脱帽である。

さて、難解なストーリーであるが、前作までのストーリーと本作へのつながりの説明を説明すると次のとおりである。
自己犠牲によってまどかは多くの魔法少女を救ったが、それは一方でほむらにとって悲劇でもあった。ほむらは、自分が悪魔になってでも、まどかを取り戻してしまうが、それはほむらの自己満足に過ぎないのではないか。自己犠牲を選んだまどかの想いを無下にする行為だったのではないか。その問に応答するように、ほむらが悪魔となった新世界を舞台にしたのが本作「ワルプルギスの廻天」であり、このほむらが悪魔となった世界でも問題はあり、こうした中で、新たにまどかはどのような結論を出すのか?が話の見どころである。

本作では新キャラも登場するので、その位置付けがどういうものなのかの理解をしつつ、まどかとほむらの関係も考えつつ、ストーリーを追うので、まぁ、難易度が高い。正直、アニメ版で完成していたので、その後を描かなくても良かったのではないかと思うが、劇場版のおかげで、日本のアニメの水準は格段に上昇したなと思う。ストーリーだけではなく、映像表現のレベルとしても。それだけ観客に求められる水準も上がっているので、ついていくのが大変だ。100年後にはロシア文学やドイツ文学などと並んで、日本アニメ学が真剣に研究対象とされているのではないかとすら思う。

アニメの劇場版ポスターも、キャラクターデザインこそアニメであるが、上部が天や神を示し、下部が地獄・悪魔を示す古典宗教絵画の配置である。手を伸ばしているが、届かぬ手は、ミケランジェロの《アダムの創造》などにみられる。花が描かれているが、これは愛らしさの一方で、花は枯れるものという儚さを象徴しているようである。どこまでもアート作品のようだなと思う。


(ストーリー概略)
【アニメ版】
少女たちが願いと引き換えに魔女と闘う「魔法少女」となるが、実はその末路は、魔法少女自身が「魔女」になるというシステム。
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主人公のまどかがすべての魔女を生まれる前に消し去りたいという願いを叶え、「円環の理」となって世界システムを改変し、魔女が存在せず、魔 法少女が最後に救われる世界へ再構築。まどかは自己犠牲となり、全魔法少女を救済し、自身は人間としてはいなくなる。
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【劇場版:叛逆の物語】
まどかがいない世界で絶望したほむらは、インキュベーターの実験によって自身が魔女化する偽りの世界を創出
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「円環の理」としてまどかが迎えに来るものの、ほむらはその”人間としてのまどか”を、「円環の理」から離脱させて、再度、世界を改変してしまう。ほむらは自ら「悪魔」となり、まどかが普通の人間として暮らす歪んだ世界を作り上げてしまう。
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【劇場版:ワルプルギスの廻天】
まどかが普通の人間として暮らす世界で、ほむらは悪魔として君臨していたが、その日常を終わらせる存在が突如現れる。その日常を終わらせる存在とは・・・?
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さて、ほむらとまどかの結末は?

 

この結末については見解が分かれそうだが、鑑賞してぜひ自分なりに感想をもって楽しんでほしいと思う。

私が思うに、運命は変えられるが、宿命は変えられないということなのだと思う。

代表的な暗号資産(仮想通貨)であるビットコインの価格が急伸している。米東部時間21日未明には一時7万9450ドル近辺まで上昇した。週間での上昇ペースは2割強に及ぶ。週間の上昇率では約2年半ぶりの大きさを記録する勢いだ。基軸通貨ドルの価値が下落するなか、受け皿として仮想通貨を買う動きが優勢となっている。

 

暗号資産がまた急速に価格を上昇させ話題になっている。しかし、年初から下落基調であり、ここ数日の上昇程度では年初の価格には及ばず、最高値には程遠い。こうした価格の上昇に一喜一憂しても仕方がない。重要なのは、なぜこうした価格変動が起きたのかという点を理解しておくことであろう。

 

一つにはトランプ大統領が、暗号資産法案可決を議会に要請したことだ。また、暗号資産の業界関係者を集めて会合を行うなど、法案成立への本気度を見せている。ここには商品先物取引委員会のセリグ委員長、証券取引委員会(SEC)のアトキンス委員長も出席しており、また、かつてSECと訴訟でもめていたリップル社のブラッド・ガーリングハウスCEOも同席していた。もともとSECが訴訟を乱発して、米国の暗号資産業界は萎縮し停滞していたが、法的な枠組みが整備されれば、米国は暗号資産を牽引するだろう。今年度中の成立は未知数であるが、トランプ大統領はまだ2029年1月まで任期があるので、何らかの法整備は進捗するものと期待される。

 

ここまで暗号資産が注目される背景には、長期的な米ドルや法定通貨の価値に対する懸念もあるのではないか。米国の連邦政府債務が40兆ドル(約6300兆円)を超えたのだ。高齢化に伴う社会保障費の増加が続き、また、利払い費も増加しており年1兆規模である。債務の利息の支払いだけで、ドイツ連邦政府予算(約0.6兆ドル)を上回るといえば、その債務の巨大さが分かるだろうか。米国はデフォルトはなんとか回避するだろうが、結局、歳出削減や増税は政治的に困難なので、インフレをある程度は黙認し、「インフレ税」により債務を圧縮するのではないかという動きが出てもおかしくない。

 

ドルで資産をもっていても、インフレ(物価上昇)により、購買力は下がっていくのだ。米国の債務問題はいまのところ解決策がないので、借り換え等で対処しているが、いつまで続くのだろうか。こうしたときに価値保存手段として適しているのが、年間の新規供給が急増しにくい現物資産のゴールドや、発行量に上限がある暗号資産なのだ。ビットコインは発行量が2100万枚であり、法定通貨と異なり、中央銀行などが発行量を増やすことによって希薄化することがない。今後、インフレが加速した場合に、法定通貨は価値が棄損するかもしれないが、逆に暗号資産は価値を上昇させるかもしれない。短期的には上昇と下落が繰り返されるが、長期的なトレンドではビットコインの価値は上昇していくのではないかと期待できる。

 

ちなみに、最高値更新の期待を持っている投資家もいるかもしれないが、これまでの傾向を踏まえると、何等か新規の要因が生じない限り、最高値の更新はまだ先である。最高値の更新は過去のサイクルからすると、半減期から約1年~1年半後である。つまり、2028年4月中旬~下旬に半減期を迎え、2029年秋頃に最高値を更新するだろうと予測できる。ただすでに95.6%は採掘済みであり、残り4.4%しか追加の流入がないのだとすると、もしかしたら供給量の減少による価格上昇は限定的かもしれない。ただ前述のとおり法定通貨へのリスクヘッジとしての需要増加は価格の上昇要因となるだろう。2030年には100万ドル(1.6億円)に達するとの強気の予測もあるが、そのためには米株式市場全体の時価総額の約25%規模の資金流入が必要である。それは難しいので、現実的には40~50万ドル程度にとどまるのではないかと思う。日本は暗号資産が金融商品として取り扱われるようになることや、今後、米国政府のビットコイン購入などがあればありえない話ではない。まだまだこれからが本番なのである。

 

 

菊地 浩之氏の財閥・閨閥等の本をあれこれ読んでいるのであるが、財閥解体後にそれでは財閥系の企業はどうなったんだろうか?と気になって、その後の企業グループの展開についての本を読んでみた。企業の歴史はなかなか奥が深く面白い。

 

戦後のGHQの改革で、創業家が排他的に支配する財閥は解体されたが、いまだに三菱・三井・住友などを名を冠する企業は多い。もちろん、戦前のような財閥が復活したわけではなく、メインバンクを軸にグループ内で融資・取引・人的交流により、「企業集団」(親子関係などでつながった企業の縦のまとまり)や「企業グループ」(独立企業が、資本・取引・融資・人的関係などでつながった横のまとまり)が成立したのだ。なお、「ケイレツ」とは企業集団と企業グループを包括する概念だという。戦後、財閥解体で散り散りになった企業が再結集し、社長会などを定期的に開催し、同じ出自の企業同士がまとまっていきケイレツが形成されたのである。

 

三井・三菱・住友は旧財閥系で分かりやすいが、芙蓉・三和・一勧はなんだろうか。これは銀行を中心に戦後形成された企業集団のことであり、芙蓉グループは、安田・根津・浅野・大倉財閥等の系譜を引く企業と富士銀行(現:みずほ銀行)の融資系列である。本書は株の持ち合い等から企業集団を分析しているが、結論からいうと、メガバンが再編されたことで、三和・一勧はもはや企業集団としては存在しないと評すべきと結論付けている。

 

三和グループは、鴻池・山口・鈴木・岩井・久原財閥や、日窒・日産コンツェルン等の系譜を引く企業と旧三和銀行(現在の三菱UFJ銀行)の融資系列からなる企業集団だったが、東海銀行と合併してUFJ銀行となり、さらに東京三菱銀行に吸収合併されている。みどり会という旧三和系企業を中心とする人的・企業間ネットワークは残っているが、企業集団とはもはやいえない。一勧グループ(第一勧銀グループ)は、旧渋沢・旧古河・旧神戸川崎・旧鈴木商店系他の第一銀行取引先と勧銀十五社会他の日本勧業銀行取引先の融資系列からなる企業集団である。こちらは第一勧銀、富士銀行、日本興業銀行が統合し、みずほフィナンシャルグループになった結果、ほぼ消滅してしまった。

 

それにしても、三菱グループの社長たちが集う「金曜会」という会合がある(三井には「二木会」(第2木曜日に集まることから)、住友には「白水会」(創業家の屋号の泉を上下に分けたことに由来)がある)。メディアでは、あたかも社長会がグループの重要な意思決定を行っているように描かれるが、実際のところは、そこまで強制力があるようなものではなく、実際に社長会に出席していた人によると、ほとんど同窓会やサロン的な集まりという意見も多いようである。当然ながら会社間で株の持ち合いはあれども、それぞれ独立した決算なので、自社の事業優先とのことで、メディアで描かれるような非公開の会議で重要な企業方針が決まるというような陰謀論的な会議ではないようだ。

 

個別銘柄にも投資を考えているので、企業理解の一助として非常に参考になった一冊である。

 

 

大企業には学閥があるといわれるが、その学閥の源流を、各財閥(三菱・三井・住友・安田)の学卒者採用の歴史から概観するのが本書である。

 

前提知識であるが、当時の高等教育機関のシステムは現在とは大きく異なる。当初、学位授与ができるのは帝国大学に限られていたが、その後、1918年に旧制専門学校が公立及び私立の旧制大学へと移行した。本書は、財閥が採用した大卒(学卒者)の取り扱いとして、本書では帝国大に加えて高等学校・大学予科・専門学校等(以下、高等学校等)を大学として扱い整理している(今の区分だと高等師範学校も大学相当であるが教員養成のため本書の射程外である)。

 

ちなみに、用語に引きずられやすいが、いまの大学1年生(18~19歳)が、高等学校3年・大学予科3年・専門学校2年に該当するので、高等学校等といっても、いまでいうと大学1~2年生ぐらいの感覚である。当時の進学率からすれば相当なエリートである。ちなみに、戦後、1960年になっても大学進学率は8.2%であり、男性で13.7%だが、女性は2.5%しかないので、大学進学率が6割近い現在とは感覚がだいぶ違う。

 

それに感覚が違うといえば、帝国大への進学も現在とは異なる。昔は高等学校入学が難関であり、1940年当時の進学率は1%程度だった(旧制中学ですら7%程度の進学率だった)。ただ帝国大の定員は高等学校の定員数と大差なかったため、ほとんど無試験で入れたそうだ。当時はまだ農家等も多く、現代でいう中卒の学歴で働く人も多く、高等学校進学者は、それなりの家の人生まれが多かったと推察される。加えて言うと、華族は、学習院に無試験で入学でき、高等科までの進学が保証されていたが、1922年以降は学習院高等科を卒業した生徒は帝国大に入学する資格が与えられていた。故に帝国大卒の学歴は、階級と無縁ではなかった。

 

各社ごとに若干の差はあるが、やはり東京大学卒のシェアが大きく、そのほかは京都大や商科大もそれなりに多く、私立では慶応大の勢力が大きい。早稲田は慶応より少ないが、早稲田は政治学に注力していたので、経済・商学に力を入れていた慶応に比べると財界では勢力としては小さかった。戦後、商科大学(一橋大・神戸大・小樽商科大)はシェアが落ちたようであるが、商科大の区部がなくなり、各大学でも経済・商学・経営などを教えるようになったことで優位性が落ちたのではないかと思われる。

 

ただ面白いのは三井銀行の話である。あくまで当時であるが、三井銀行の常務取締役は東大・慶応と青学出身者の三分割だったそうだ。1899年以降の採用大学をみても、慶応がトップで、次いで東大で、この2校で半数を占めるが、続いて東京高商(一橋)、青学と続く。青学の採用者は当時は早稲田より多かったというのが意外である。ただ戦後になると事情も変わり、三井グループ全体で慶応出身者の割合が増加し、東大のシェアが低下し、高商閥は大幅減で、三井銀行特有の青学閥も霧散している。

 

戦後、一貫して慶應の勢いが強いが、これはやはり実学志向と経済学重視の校風によるものと、幼稚舎からあるため都心在住の富裕層の家庭の子女が多いためだろう。戦後に華族制が廃止されて、学習院は帝国大への無試験入学のルートを失ったので、優位性を失い、富裕層の子女が慶應に集まった影響もあるだろう。早稲田のほうは系属の初等部は2001年開設で歴史は浅く、郊外の国分寺にある。ただ母校の早稲田を擁護しておくと、政界・行政・文芸やジャーナリズム界隈等では早稲田のほうが強いので、校風によるものであり、財界では慶応が優勢という話である。

 

正直、各財閥での学閥自体はあまり興味がないが、全体的に歴史の流れとしてみると、面白い傾向があるものである。ただ正直、細かいデータが多く、また、正直、そこまで各財閥で大きく差がない(だいたい東大と慶應が強い)ので、そこまで面白みがなかったといえば、なかった。