大企業には学閥があるといわれるが、その学閥の源流を、各財閥(三菱・三井・住友・安田)の学卒者採用の歴史から概観するのが本書である。
前提知識であるが、当時の高等教育機関のシステムは現在とは大きく異なる。当初、学位授与ができるのは帝国大学に限られていたが、その後、1918年に旧制専門学校が公立及び私立の旧制大学へと移行した。本書は、財閥が採用した大卒(学卒者)の取り扱いとして、本書では帝国大に加えて高等学校・大学予科・専門学校等(以下、高等学校等)を大学として扱い整理している(今の区分だと高等師範学校も大学相当であるが教員養成のため本書の射程外である)。
ちなみに、用語に引きずられやすいが、いまの大学1年生(18~19歳)が、高等学校3年・大学予科3年・専門学校2年に該当するので、高等学校等といっても、いまでいうと大学1~2年生ぐらいの感覚である。当時の進学率からすれば相当なエリートである。ちなみに、戦後、1960年になっても大学進学率は8.2%であり、男性で13.7%だが、女性は2.5%しかないので、大学進学率が6割近い現在とは感覚がだいぶ違う。
それに感覚が違うといえば、帝国大への進学も現在とは異なる。昔は高等学校入学が難関であり、1940年当時の進学率は1%程度だった(旧制中学ですら7%程度の進学率だった)。ただ帝国大の定員は高等学校の定員数と大差なかったため、ほとんど無試験で入れたそうだ。当時はまだ農家等も多く、現代でいう中卒の学歴で働く人も多く、高等学校進学者は、それなりの家の人生まれが多かったと推察される。加えて言うと、華族は、学習院に無試験で入学でき、高等科までの進学が保証されていたが、1922年以降は学習院高等科を卒業した生徒は帝国大に入学する資格が与えられていた。故に帝国大卒の学歴は、階級と無縁ではなかった。
各社ごとに若干の差はあるが、やはり東京大学卒のシェアが大きく、そのほかは京都大や商科大もそれなりに多く、私立では慶応大の勢力が大きい。早稲田は慶応より少ないが、早稲田は政治学に注力していたので、経済・商学に力を入れていた慶応に比べると財界では勢力としては小さかった。戦後、商科大学(一橋大・神戸大・小樽商科大)はシェアが落ちたようであるが、商科大の区部がなくなり、各大学でも経済・商学・経営などを教えるようになったことで優位性が落ちたのではないかと思われる。
ただ面白いのは三井銀行の話である。あくまで当時であるが、三井銀行の常務取締役は東大・慶応と青学出身者の三分割だったそうだ。1899年以降の採用大学をみても、慶応がトップで、次いで東大で、この2校で半数を占めるが、続いて東京高商(一橋)、青学と続く。青学の採用者は当時は早稲田より多かったというのが意外である。ただ戦後になると事情も変わり、三井グループ全体で慶応出身者の割合が増加し、東大のシェアが低下し、高商閥は大幅減で、三井銀行特有の青学閥も霧散している。
戦後、一貫して慶應の勢いが強いが、これはやはり実学志向と経済学重視の校風によるものと、幼稚舎からあるため都心在住の富裕層の家庭の子女が多いためだろう。戦後に華族制が廃止されて、学習院は帝国大への無試験入学のルートを失ったので、優位性を失い、富裕層の子女が慶應に集まった影響もあるだろう。早稲田のほうは系属の初等部は2001年開設で歴史は浅く、郊外の国分寺にある。ただ母校の早稲田を擁護しておくと、政界・行政・文芸やジャーナリズム界隈等では早稲田のほうが強いので、校風によるものであり、財界では慶応が優勢という話である。
正直、各財閥での学閥自体はあまり興味がないが、全体的に歴史の流れとしてみると、面白い傾向があるものである。ただ正直、細かいデータが多く、また、正直、そこまで各財閥で大きく差がない(だいたい東大と慶應が強い)ので、そこまで面白みがなかったといえば、なかった。