さて、ドラマ「ダウントンアビー」で英国貴族の世界観にはまってしまい、イギリス貴族関連の本についつい手が伸びるのであるが、君塚直隆教授の新刊を読了。実は1か月以上前に読み終わっていたのだが、仕事が多忙でなかなかブログを書く気になれなかったのだが、ようやく時間が空いた。本書では、貴族の歴史的背景、爵位名の由来、著名な英国貴族などがコンパクトにまとまっており、導入本としても、趣味でさらりと読むにもちょうどよい内容とボリューム感である。

 

それにしても英国貴族は欧州でも別格らしいが、19世紀にイタリアには1万2000人、プロイセンに2万人、ロシアには100万人以上の貴族がいたそうだ。ロシアを基準に人口比でみると、英国は30万人の貴族がいてもいかしくないが、実際のところ爵位貴族は英国580人に過ぎず、貴族ではないが世襲爵位である准男爵保有者も856人に過ぎない。これは英国爵位は長子相続であるが、大陸欧州は爵位を複数人で保有するためである。例えば、デンマーク女王マルグレーテ2世が自身の男系子孫に与えたモンペザ伯爵位は10人が所有していたりする。

 

それにしても爵位名の由来が興味深かった。ローマ時代の軍司令官の"dux"が語源であり、これが有力な諸侯に成長していき、「公爵(Duke)」という爵位名となった。ノルマンコンクエストでイングランド王位を獲得したウィリアム一世は、フランスではノルマンディー公でもあったので、同格の爵位の「公爵位」を授与を躊躇していたようである。結果、エドワード三世が王太子にコーンウォール公爵位を授与した。そのため現在でもイングランド王位(現英連合王国王位)の相続人である最年長の男子が自動的に獲得する。公爵位は別格中の別格らしいが、実は英国元首相のチャーチルも大戦での功績からエリザベス女王が公爵位を贈りたいと申し出たそうだが断ったそうだ。チャーチルの実家はマールバラ公爵家であるが、彼は平民として天寿を全うしたかったようだ(なお、奥さんのクレメンタインは未亡人になった後に一代男爵となり貴族院議員になっていたりする)。公爵は二人称でお呼びする際も「Your Grace(閣下)」であり、侯爵未満の貴族の「Your Lordship(卿)」とは異なるなど別格の扱いである。

 

それにしても興味深いのは、英国では伯爵は「Count」「Earl」と2つの名称がある。前者はローマ時代の総督(comes)から来ているが、後者は、スカンジナビアの「総督(jarl)」が語源だそうだ。カヌート大王がイングランドに侵入し総督を任命したときにその用語が伝来し、なまって「Earl」となったそうである。男爵が語源が古く古代ギリシャのBaro(重労働)に由来するらしい。重労働に耐えられる一人前の男(転じて自立した自由人)という意味らしいが、こちらは中国の「男爵」の理由付けとも似ているのが興味深い。”Peers”も貴族という意味があるが、"Pares"(その地域の指導者層)というラテン語が由来のようだ。

 

それにしても一口に貴族といっても財産でもかなり差があったようだ。1870年代の公爵の所領は平均値で14万エーカーを超えていたが、次点の侯爵が4万8000エーカー、伯爵3万エーカー、子爵・男爵が1万4000エーカーという。公爵は別格ぶりがうかがえる。ちなみに、1万エーカーは坪数でいうとおよそ1224万坪で、東京ドームは865個も入る広さであり、下級貴族といえどもその広大な所領に驚かされる。規模感がつかみにくいが、だいたい1万4000エーカーは、東京の中央区・台東区・荒川区・千代田区・文京区・墨田区の6区と同じ程度の広さである。

 

ただあくまでこれは当時の話であり、その後、世界大戦で爵位の相続人が不在となり断絶した家や、労働による莫大な相続税で所領を手放したりなどして、財力を維持している貴族はかなり減少しているようである。また、政治権力についてもブレア政権において貴族院の世襲貴族は6割近かったものが1割程度にまで激減させられ、貴族の政治的な影響力も弱体化している。とはいえ、歴史の風雪に耐えた英国貴族制は今後も続くだろう。英国貴族に興味がある人にはぜひおすすめしたい一冊であった。

さて、多忙で土日も仕事したり静養で終わる日々が続いていたが、ようやく余裕が出てきたので美術展へ行ってきた。

 

まず、東京都美術館で開催の「デ・キリコ展」。ギリシャ生まれのイタリアの画家、彫刻家。形而上絵画派を興し、後のシュルレアリスムに大きな影響を与えた人物である。個人的にはシュルレアリスムがあまり好きではなく、その先鞭の画家ということで及び腰だったが、やはり食わず嫌いは良くないなと思った。美術展では、彼の作品に多様される古典やギリシャのモチーフが興味深い。彼の作風は年代ごとに違うが、バロックなど伝統的画風を基調とした作品には思わず目を奪われた。そしてルノワールなど時々のインスピレーションを得た画家の作風に影響を受けた作品などとても興味深く鑑賞させてもらった。彼は欧州各地を転々とし、様々な刺激の中で作品を創出したが、人間は相互作用の中で様々な創作活動を行う主体なのだと感じさせられた。

 

続いて東京国立近代美術館開催の「TRIO パリ・東京・大阪 モダンアート・コレクション」。パリ・東京・大阪という、独自の文化を育んできた世界的な三都市に立地する美術館の共同開催の美術展。三都市が持つ特有の都市の雰囲気が展示品に反映されて大変興味深かった。テーマやコンセプトによって章立てられているが、キュレーターの自由な発想で組まれた三大都市の美術館が提供する作品のトリオ展示は大変見事だった。キュレーターに拍手と最大限の賛辞を。実はあまり期待していなかったが、とても興味深く見せてもらった。特にデュフィの「電気の精」の幻想性と現代を帯びた作風と色彩は見事だった。

 

芸術に接したときの「わぁ」と思わず声が出るような感動というか感激というか、そういう感情は大切にしたいと思う。日常もふと気が付くと色彩が豊かで煌めいているが、せわしない生活の中では思い及ばない。美術館は、そうしたことにハッとさせてくれる重要な社会装置だと思う。

 

インド南部のタミル地方に実在したチョーラ朝がテーマの映画。王朝転覆を巡る陰謀と愛憎が渦巻く「Ponniyin Selvan (ポン二河の息子)」という1950年代に発表されたインドの伝説的歴史小説を映画化したもの。原作は5巻構成だったそうだ。映画版はパート1・2で分かれており、合計5.5時間の大作。ちなみに、私はパート1は見逃しており、2からの鑑賞。

一応、ざっくりとしたあらすじと人間相関図は眺めていったので、こういうことかな?と、ストーリーは追うことが出来た。歌のシーンは多いが踊りはなく、大河ドラマという感じ。バトルシーンを期待していたが、終盤で少しあるだけだった。しかし、雄弁なストーリーが面白く165分じっくり観てました。

ちなみに、インドは多民族・多言語国家で、本作はタミル語らしい。なお、本作のチョーラ朝は13世紀にパーンディヤ朝に滅ぼされ、そのパーンディヤ朝もヴィジャヤナガル王国に滅ぼされている。ここらへんの歴史背景も分かってみるとなお良かったかなと思う。

なお、本作を観た人は一様に、誰が誰だか分からなくなるし、名前が覚えられないというコメントがあるが、私も同じくだった。慣れない言語のお名前は覚えるのが難しく、服装が変わると誰が誰か分からなくなる(顔認識の人種効果というらしい)。ただ会話の内容的にこの人かな?と推測はつくので、ストーリーはある程度理解可能でした。

面白いのですが、意外とアクションなども控えめで愛憎渦巻く歴史絵巻でもうちょっとアクションとか、見どころがあったらよかったなと思った。個人的には「RRR」とか「バーフバリ」の方が好きでした。

 

★ 3.8 /5.0

 

 

 

第7代ウェストミンスター公爵ヒュー・グローヴナーは、25歳にして莫大な資産を相続し、当時、30歳以下の世代で世界1位の大富豪となった。英国では貴族がまだ公的に存在しており、世界で唯一、貴族院も有する国家である。相続税の問題もあり、世襲財産を保持し裕福な貴族も減っているが、ウェストミンスター公爵家は不動産投資等で巨万の富を築いた。この富の巨大さはその所領からも分かる。例えば、ウェストミンスター公爵が今回結婚式を行った公爵家のカントリーハウスのイートン・ホールの敷地面積は約44平方キロメートルであるが、これは東京都の中央区・千代田区・文京区・台東区の4区の全域よりも大きいのだ。さらにロンドンの一等地等にも土地を有している。そんなウェストミンスター公爵の総資産は、円安の影響もあるが約2兆円であるから度肝を抜かされる。英国内でも14位番目、40歳以下では第1位の大富豪である。英国王族とも遠縁にあたり、王族とも親しい間柄である。

 

さて、ヒュー・グローヴナー公の結婚相手のオリヴィア・ヘンソンはどのような人物だろうか。日本語のサイトだとあまり情報がない。父君は銀行家で、母方はC. Hoare & Co銀行の創設者のSir Richard Hoare(騎士爵を叙爵しているので敬称は”Sir”)の末裔だそうだ。母方の外曾祖母が、政治家オーガスタス・ハーヴィー卿の令嬢であるが、このハーヴィー卿の父君が第2代ブリストル侯爵で母君が第5代ラトランド公爵令嬢であり、母方から上級貴族の血筋を引き、公爵家と侯爵家の末裔といえる。さらに大叔父の結婚相手(後に離婚)がAnne Wignall(離婚しているがエブリー男爵夫人の称号を有した)であるが、Anne Wignallの最初のエブリー男爵の子供がフランシス・グローヴナー (第8代ウィルトン伯爵)となっているので、Anne Wignallを通してウィルトン伯爵家・グローヴナー家の遠縁にあたるようだ。自身の両親は爵位を保有しておらず、祖父母にも貴族はいないようであり、大学卒業後は民間企業で勤務していたというから、典型的な貴族の末裔のアッパーミドルクラスなのだろう。

 

英国上流階級の関係性を伺い知れるご結婚であった。

 

 

本日は東京オペラシティまでシャルル・リシャール=アムランさんのピアノリサイタルへ行ってきた。カナダ・ケベック州出身のピアニストである。ショパンコンクールで第2位に入賞し、ソナタ賞を受賞し時の人となった。ショパンコンクールではヤマハを弾いていたが、今回のリサイタルでもピアノはヤマハだった。コンクールではやはりエレガントでダイナミックな音のスタインウェイが好まれるが、ヤマハやカワイを選ぶピアニストも増えているのは日本人としては嬉しい限りだ。以前、カナダにいたときもリサイタルを聞いているが(LINK)、好きなピアニストなので再訪した。

 

本当にモーツァルトが珠玉。音がルビー、サファイア、エメラルドのように鮮やかに変化する。純白の真珠の煌めきのようでもある。音は角がなく弧を描くようになめらかな音響を形作る。本当に美しい。音の強弱のつけ方が特徴的で月並みさや単調さを回避して、良いスパイスになっている。伸びやかで穏やかな演奏にとにかくリラックスさせられる。ベートーヴェンの月光ソナタも素晴らしい。この標題は、詩人ルートヴィヒ・レルシュタープが、レルシュタープが、この曲の第1楽章について「スイスのルツェルン湖の月光の波に揺らぐ小舟のよう」と表現したことに由来するが、アムランさんの演奏は穏やかに揺蕩う湖の水面に反射する月光の揺らめき。

 

後半はショパンが続くが、こちらも滑らかな曲線の描く音響の造形美。ルバートで絶妙で、有機的に音を連ね生命力を感じる響き。ワルツの14番の非常に速いパッセージも無理がない。フレージングが絶妙で息苦しさがない。ショパンでも音色の変化が見事だが、ペダリングに工夫があるのではないかと思ったが、1階の後ろの方だったのでペダリングが見えなかったのが悔やまれる。ワルツは曲順が変更されているが、調の連なりを意識しているのだろう。

 

アンコールのノクターン嬰ハ短調 遺作は繊細に奏でるが、感傷的ではなく、音がとにかく澄んで彼方へと響く。ブラームスの6つの小品 op.118-2も極上。どこか達観した玄人の域に達しつつある。最後のアンコール曲は、ファリャの「恋は魔術師より演奏会用アレグロ」であるが、情熱と魅惑さのある曲風で、華やかにリサイタルを締めくくった。いや、ブラボー!

 

【曲目】

モーツァルト:ロンド ニ長調 K.485、ロンド イ短調 K.511、ロンド ヘ長調 K.494

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第14番 嬰ハ短調 op.27-2「月光」


ショパン:
演奏会用アレグロ イ長調 op.46
ワルツ 第14番ホ短調(遺作)
ワルツ 第3番イ短調 op.34-2
ワルツ 第4番ヘ長調 op.34-3「華麗なるワルツ」
ワルツ 第12番ヘ短調 op.70-2
ワルツ 第6番 変ニ長調 op.64-1「小犬のワルツ」
ワルツ 第7番 嬰ハ短調 op.64-2
ワルツ 第8番 変イ長調 op.64-3
ワルツ 第5番 変イ長調 op.42

 

アンコール

ショパン:ノクターン 嬰ハ短調 遺作

ブラームス:6つの小品 op.118-2

ファリャ:恋は魔術師より演奏会用アレグロ

 

(追伸)ただ曲目が人気曲が多かったこともあり、客層が良くなかったのが悔やまれる。のど飴とかの包み紙を開いているのだろうけど、ガサゴソうるさい(2~3か所から結構な音が継続的にした)。オペラシティは音がとても響くので勘弁してほしい。挙句に私の席のおじいちゃんは演奏中に話し始めるし・・・。クラシック音楽をお高く留まったものにする気はないけれど、演奏者への敬意をこめて、演奏中は可能な限り静かにしてほしい。生理現象の咳とかは仕方がないし、ちょっとした物音は仕方がないけど。。以前もパシャパシャ写真を撮り始める人とか、不自然なほどに大きな咳払いを続ける人とかいたけど、私がチケット代金を払い戻すので出ってほしかった。。