2006年公開の日中韓合作の映画。観ようと思って放置していたがやっと鑑賞。紀元前370年頃、小国の梁国に趙国が攻め入ろうとしていた。そこに墨家である主人公が助けに入り、見事に敵を撃退するというのがラフなストーリー。

 

墨家は諸子百家の1つで、現代ではほとんど名を聞かないが、秦が中国を統一するまでは儒教に並ぶ思想だったという。「兼愛」と「非攻」が最大の特徴で、一部の人を愛するのではなく全ての人を広く愛し、防衛は否定しないが侵略は否定する。「尚賢」といい、貴賤に問わず賢い者を登用するという平等思想を持ち、儒家とは反対に葬礼は簡素にすべきという「節葬」を主張した。最近、墨家を見直す動きがあるという。

 

映画自体はチャンイーモーの「HERO」を想像していたが、正直、監督の技量不足。戦闘シーンは迫力が微妙だし、ストーリー展開もヘタクソ。前半は単調でつまらないし、後半の物語の転換の部分は唐突。墨家の思想も良くわからなかったし(墨家とはどういう思想だったんだろうと調べる気にもさせない)、登場人物の描き方も浅くて感情移入が出来ない。題材は悪くないので残念。

JNNが行った世論調査で、先月から今月にかけて新たに誕生した二つの政党のうち、立憲民主党の支持率が希望の党の支持率を上回ったことがわかりました。 安倍内閣の支持率は、先月より0.6ポイント上がり48.7%、不支持率は1.3ポイント下がり49.2%でした。拮抗していますが、4か月連続で不支持が支持を上回りました。各政党の支持率で最も高かったのは、自民党の32.8%ですが、次に高かったのは、立憲民主党の7.3%で、希望の党の5.2%を上回りました。続いて、公明党、共産党、日本維新の会、民進党、社民党、日本のこころ、自由党となっています。-- 毎日新聞

 

小池百合子は都民ファーストの会を率いて都議会では自民に圧勝した。しかし、国政ではそうはいかなそうである。小池百合子は「希望の党」の代表に就任し一時期は政権交代もうかがわせる勢いがあった。しかし、投票まで1週間をきったところで、支持率は急落し、ついに民進党の残党の立憲民進党を下回ってしまった。まさに民進党を裏切って希望の党に移った人は、わざわざ落選しに希望の党に移ったようなものだ。

 

小池百合子は都政で何の実績も残していないどころか、豊洲を滅茶苦茶にして、大損害を東京に与えている。国全体のGDPは増加しているにも関わらず、都民経済計算によれば、平成28年度の東京都の実質経済成長率は1.1%減少で、都内総生産も1兆円も減少する

 

小池百合子の希望の党に投票したら間違いなく日本の経済にはマイナスだ。ユリノミクスは、12のゼロを掲げているが、実現可能性は乏しいものばかりだ。アベノミクスでGDPは2.2%も増え、有効求人倍率も上がり、賃金も上昇傾向、訪日観光客も激増、株価も21年ぶりの高値だ。何が不満なのか?

 

小池百合子は投開票日にはパリに出張だという。他の都政の仕事はほっぽり出しているのになぜこの出張には向かうのか。国政に出ている党の代表が国内にいないのは無責任である。敗軍の将としてテレビに出たくないのだろう。

 

民進党側は再結集を呼びかけているので、希望の党で当選しても民進党に戻る輩もいることだろう。希望の党に投票するぐらいなら、立憲民進党にはじめから投票したほうがマシだ。希望の党は使い捨てで、選挙後は早々に解党が関の山だろう。

今年のノーベル文学賞はカズオ・イシグロだった。日本人の両親のもと、長崎に生まれるが、幼くして英国に移住し、現在は英国籍のイギリス人である。現在は日本語もほとんども話せないという。一時期ミュージシャンを目指すも文学者に転向し、本映画の同名の原作でブッカー賞を受賞した。「忘れられた巨人」でノーベル文学賞を受賞するに至る。彼の作品を読んだことはなくとも「わたしを離さないで」は映画化も、日本でドラマ化もされているので知っているだろう。

 

前から観ようと思っていたが、観そびれていた「日の名残り」をやっと鑑賞。舞台は1956年のイギリス。ある英国貴族につかえてきた老執事のスティーブンス。彼のつかえてきた館は、伯爵が亡くなり、アメリカ人の富豪に買い取られる。その富豪の勧めもあり、彼は短い旅に出る。そんな中、かつてつかえた敬愛するダーリントン卿、そのダーリントン卿の晩年の不遇、かつての同僚との関係、館で催されていた重要な会議など、20~30年前のことを回想していく。

 

英国貴族の館、美しい英国の風景など格調高い作品で、特にアンソニー・ホプキンスが品格ある執事として名演をみせている。執事というとただの召使いのように思う人もいるが、その中にも階級があり、ホプキンスはその一番上に位置している。イギリスなど貴族文化のあった国では、バトラー(執事)はちゃんとした職種として存在し、養成学校が現在でもあり、職業に対するプライドも高いという。

 

タイトルの「日の名残り」はいろいろな意味合いにとれる。スティーブンスには、同僚の女性がいたが、仕事に徹するあまり、彼女の好意に気が付かない(気が付かないようにしていた)。旅行のラスト、結婚し子供もいる彼女に再会するが、時間は戻らない。1日で最も夕日が良い時間だというスティーブンスは、夕陽が周囲をつつむなか桟橋で涙を流す。人生の晩年。それをタイトルはうまく言い得ている。また、敬愛し懸命ににつかえてきたダーリントン卿はナチスドイツに宥和的だったと批判され汚名の中で亡くなっていく。旅の中で彼はダーリントン卿の悪い評判を耳にするが、ダーリントン卿への敬意を捨てようとはしない - ダーリントン卿への敬意を捨てたのであれば、自分がしてきた仕事はなんだったのだろうか。ダーリントン卿は貴族としての名誉を重んじていた。かつて館での会議で、アメリカからの使者が、貴族的な紳士的な外交は時代遅れと主張していたが、それが想起される。結局、館もアメリカの富豪に買い取られてしまう。大英帝国の落日、貴族文化の凋落。そんな古き良き英国文化の衰退もタイトルから読み取れよう。

 

本当に上質な映画だった。イシグロがこれを書いたのが35歳だったとは信じがたい。それにしてもイシグロは日系だが、日本国籍のノーベル文学賞は2名しかいないが、候補者となると谷崎純一郎、三島由紀夫、西脇順三郎などがいた。翻訳等の問題もあって、受賞を逃したりしている。欧米の賞だから致し方がないのかもしれないが。村上春樹ももうそろそろ受賞してもいいのではないかと個人的には思う。

 

ロシア人の監督が、北朝鮮のドキュメンタリーを撮ろうとしたが、北朝鮮側から指導が入る。そこで、その監督はその演技指導の様子などを隠し撮りし、検閲を受ける前に、そのフィルムを外に持ち出す。そうして完成したのが、本作である。

 

本作では栄誉ある朝鮮少年団に所属するジンミちゃんという少女が主人公におかれ、彼女の日常の様子が映されている。しかし、彼女の親の職業、住まい、友人との会話など一切に演技指導が入り、何度も撮り直しをさせられる。北朝鮮における理想的な家族像を映し出すためだ。

 

ジンミちゃんは時折涙を流す。理由はよくわからない。自身の感情を表明できないことからくるストレスだろうか。本作は抑揚もなくただこの演出される北朝鮮の日常をたんたんと映すが、それが不気味さをかきたてる。北朝鮮の人は幼少期から国家に監視・管理され育つ。北朝鮮に関する悲惨な映像は多々ネットでも出回っているが、本作は悲惨な描写はない。本作が貴重なのは一少女が、独裁国家において、管理社会の一員になっていく過程を映している点である。北朝鮮の動きが活発な今日、注目に値すべき作品である。

国立新美術館安藤忠雄展に行ってきた。実のところ、私は建築家になりたかったので(理系が苦手で文系に進んだが)、安藤忠雄さんの展示会ということで楽しみにしていた。安藤忠雄さんはコンクリート打ちっぱなしの斬新な建築、従来の建築概念にとらわれない建築で注目されてきた。彼が稀有なのは、専門的な建築の教育を受けていない点である。工業高校卒で、プロボクサーライセンスを取得し、世界を放浪していたという異色の経歴である -- だからこそ、彼は既成概念に束縛されず自由なセンスで設計してこれたのだ。独学で建築士の免許を取得したのである。ちなみに、彼は高卒として史上初の東大教授・同大名誉教授になっている。
 
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展示会で最初に展示されているのは彼の世界放浪のマップである。建築とは実際に観て、感じてみないと分からないだろうと思い彼は旅立ったという。それは彼の建築に活かされていると思う。彼の建築は一見するとコンクリートで出来ており、単純な構成である。しかし、そこに踏み入れた瞬間の静謐な雰囲気というのは実際に行ってみないと分からない。こうした建築体験を重視する彼の建築は、実体験によるものだろう。

 

次の写真は今回の展示会にあわせて実寸大で再現された「光の教会」のレプリカである(本物は「茨木春日丘教会」である)。写真でみるとなんとことなく、綺麗だなという感じかもしれないが、実際にこの建築に入った瞬間に飛び込んでくる大きな光の十字架には、みな思わず感嘆の声が漏れる。また打ちっぱなしのコンクリートがプロテスタント的な禁欲性とも相性が良い。実際の教会では十字架にガラスがはめこまれているが、こちらのレプリカでははめ込まれていない。しかし、安藤はガラスははめこむのには反対だったという。半屋外の教会なんて珍しいからいいじゃないかと思ったらしいが、教会側が夏は暑いし冬は寒いのでやめてくれというのでガラスを埋め込んだという。無機質なコンクリートと、自然光から醸し出される神秘的な空間表現はさすがである。

 
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彼のコンクリート打ちっぱなしの建築には正直批判がないわけではない。遮熱性には乏しいし、コンクリートのひび割れの問題もあるし、彼の建築は生活導線が良くない。しかし、彼はそんなことは百も承知のようである。展示会で最初に展示されている「住吉の長屋」は、中庭が野外になっており、二階に行くには一度、外に出ないといけない。雨の日は傘をささないと上下階への移動が出来ないという不便なものである。しかし、機能性や室内の連続性はそこまで重要なのか?というのが彼の疑問である。不便ではあるが、その家の主はもう40年住み続けているという。部屋の移動に中庭を通らなければならないが、だからこそ四季の移ろいや天候を感じ取ることができるというものである。不便だからこそ「生」を感じるということもあるのではないか。利便性の喪失と引き換えに得られるものもあるのである。
 
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これは直島のインスタレーションである。直島は瀬戸内海に浮かぶ香川県の島である。本当にただの田舎の島であるが、今では35万人が訪れている。安藤忠雄建築だけではなく、草間弥生などのアートも堪能できる。
 
安藤忠雄は、日本はもとより海外での評価が高い。海外で手掛ける建築も多く、最近は中国からの依頼が多いという。日本を代表する世界的な建築家の安藤忠雄氏の展示会、教養としても訪問をおすすめする。ちなみに、開催されている国立新美術館は黒川記章の設計であるが、こちらも必見。
 
※写真は全て撮影許可あり。