韓国は1997年に経済破綻寸前に陥り、IMFに救済してもらったことがある。当時は国の大企業も倒産に追い込まれ、自殺者が激増するなど悲劇的な状態に陥った。本映画は、最悪の事態を回避すべく奮闘する韓国銀行の女性のチームリーダー、危機をチャンスと見て大きな賭けに出る金融アナリスト、何も知らずにただ政府の言うことを信じる町工場の経営者役の3点の視点から、国家破産寸前の韓国の悲惨な様子を描いている。

 

ちなみに、2008年にも通貨危機を起こしかけて日本が救済したが、韓国メディアは「恩着せがましい」と日本を罵り、経済危機を救済してもらったお礼に李明博大統領は竹島に上陸し、「日王(天皇陛下の意味)は跪いて謝罪しろ」と息巻いた。文大統領は経済が傾きながらも反日姿勢を崩していないが、韓国をここまで図に乗らせたのは、能天気な日本の政治家である。日本は「非韓三原則」(助けるな、教えるな、関わるな)を対韓外交の基本方針にすべきだ。

 

本作では、韓国の上級官僚とそれに癒着する財閥、IMFとその背後にいる米国を悪役として描いている。前者は韓国でも問題視されているが、救援しにきたIMFを敵役として描く”被害者面”には恐れ入る。米国が韓国の市場への介入を強めるためにIMFを通して改革を迫り、かつ韓国の庶民を見殺しにしたという描き方なのだ。当然、米国の意向も大きく影響したのだろうが、IMFが救済しなければ韓国は文字通り経済破綻してもっと悲惨な状態に陥っていただろう。主人公の女性の理想を求める正義感は韓国人にとっては心地よいのかもしれないが、個人的には「杜撰な経済政策して破産しかけといて、韓国に都合の良いようにしてくれというのは図々しくないか?」というのが率直な感想である。

 

意外なのが米国を敵役として描く点である。韓国では「易姓革命」の伝統で、前王朝・前政権・前宗主国の正当性は徹底的に否定される。文政権は親北・親中で、同盟国である米国への離反を繰り返しているが、韓国がこれから本格的にレッドゾーンに転じれば、否定されるのは同盟国だった米国の正統性である。日本の敗戦で韓国は独立し、現在では日本統治時代の正統性が一切合財否定されているが、米国も同じ憂き目にあうだろう。日本は慰安婦問題で叩かれているが、朝鮮戦争時は米軍向けの慰安所もあったから、慰安婦問題が延焼すれば米国も批判の対象になる - ライダイハン問題や米軍向けの慰安所等の問題を日本が支援して、日本の慰安婦問題を希薄化させる戦略はありだと思う。

 

本作で韓国らしいと思うのは、経済破綻寸前に至った国内事情は軽く触れるのみで、そこらへんの反省はなく、救済にきたIMF(そのバックの米国)にカモにされる韓国という構図を描く点だ。こうした韓国の被害者意識の強さは韓国らしいが、これは心理学でいうフレーミングで説明できる。フレーミングは、物事を認知する無意識的な認知の枠組みである。朝鮮半島では対外的には大国の圧迫を受け続け、さらに寒冷で痩せた土地の朝鮮半島は慢性的に貧困に苦しみ、加えて、儒教の序列意識故に庶民は悲惨な暮らしを強いられてきた。その結果、朝鮮人はすべてを被害者の視点で物事を認知してしまうのだ。IMFに助けてもらっても「裏に米国がいて韓国を食い物にしている」と認知してしまうし、日本が経済援助しても「韓国は被害者だから支援されて当然」「恩着せがましい」と理解するのだ。韓国ではキリスト教が根付いたが、これは「悲惨で惨めなのは選ばれた民族だからである」という同じく悲惨な歴史をたどったユダヤ人の選民思想と親和的だったからだ。これは長い歴史を通して民族にしみついた思考の習性でなかなか矯正はできない。

 

本作は韓国社会を知るにはちょうど良い。自分の落ち度はおいておいてIMFと米国を悪役に描いたり、破綻まっしぐらであるのに足の引っ張り合いをしたり(足の引っ張り合いして意思決定が出来ないのは朝鮮の伝統である - 映画「天命の城」でも描かれるが、追い詰められてるのに役人同士で足の引っ張り合いして意思決定が出来ずに迷走し、結局、朝鮮王は後の清皇帝に9回も地面に頭をこすりつけて土下座謝罪した)、大学の後輩という理由で財閥の御曹司に情報を漏洩したり(縁故主義・財閥支配 ; 上の地位の者は何やってもいいという儒教社会らしい)等、韓国社会の特徴をよく描いている。

 

現在、文政権で、経済政策・外交は滅茶苦茶で、かなり経済は傾いている。日本ボイコットの影響で、韓国の航空会社全社が赤字に転落し、アシアナ航空は売りに出され、韓国大手旅行会社も赤字に転落、LGディスプレイはフッ化水素を国産化したが不具合続出で100万台を破棄することになり、スト多発で自動車工場も減産を余儀なくされている。韓国はGSOMIA問題で米国から猛烈な圧力を受けているが、日本のせいだといって破棄を撤回する様子はない。徴用工訴訟で現金化が実行されれば日本から経済制裁される情勢だ。韓国経済の頼みの綱の中国経済は失速し、あげくにサード問題で中国から制裁を受けている。どう考えても韓国の未来は暗いが、文政権の支持率はまだ高い。このまま再び破綻まで突き進み、また米国のせいだ、日本のせいだといってデモ行進をする未来しか見えないが、「恨の文化」の韓国らしくて素敵だと思う。文政権は、初志貫徹で、親北路線を進み、レッドゾーン入りを実現してほしい。20年後には「国家が破産する日 リターンズ」が公開されるかもしれない。

 

台風で河の氾濫など大変なことになっているが、せっかくの3連休なので映画鑑賞してきた。観たのはタイ映画「ホームステイ ボクと僕の100日間」である。タイ映画といっても、原作は森絵都の「カラフル」。なお、AKB48の親戚のBNK48のチャープラン出演。原作をベースにしながら、現代のタイ・バンコクを舞台に、見事にストーリーを再構築している。やや前半は冗長で眠くなったが、後半の緊迫感は良い。CGを使った非日常的な映像表現もレベルが高い。東南アジアというと途上国のイメージが強いが、経済成長でどんどん近代化しており、最近は東南アジア映画の台頭も著しい。ディカプリオ主演の「ザ・ビーチ」(2000年公開)に出てきたバンコクの喧騒はもはや見る影もない(2年前にいってそう思った:記事)。なんせ2000年と比較してタイの一人当たりGDPは3倍以上に伸びている。
 

日本の小説が東南アジアで映画化されているというとちょっと意外な気もするが、日本の文化力の高さの証拠だろう。日本は人口規模が大きくインターナルな市場で間に合っていたので、海外への文化発信が弱かったが、人口減少の今日は海外への文化発信は重要性を持ってきている - 官製の"Cool Japan"は失敗してるけど。映画においても日本文化の影響をみることはたやすい。韓国映画「バーニング」は村上春樹の短編小説「納屋を焼く」がベースであり、スコセッシ監督の「沈黙」は遠藤周作原作、豪州映画「スリーピング・ビューティー」は川端康成原作、インドネシア映画「ザ・レイド 2」は日本のヤクザが登場し、世界的ヒット作品の「マトリックス」は「攻殻機動隊」がベースにあるし、「羊たちの沈黙」のハンニバル・レクターは若い日に日本人女性に大きな影響を受けた設定になっている。

 

高い技術力を誇る経済大国でありながら、高い文化力を誇る東洋のエキゾチックな国、日本。日本の海外戦略は自己を客観的にみることからだろう。東南アジアの日本の評価は高い(外務省-対日世論調査)。相対的に経済力が弱まる中、ソフトパワーの強化こそ日本の生き残る道だ。

 

 

当方はお酒だと、ビール・ワイン・日本酒が好きなのだが、正直、ワインは法外に高い値段のものも多いし、産地によっても品質にばらつきがあり、よく分からないところが多い。そこらへんは低廉なビールや、日本国内でほとんどが生産され、どれもある程度の品質が確保されている日本酒とは違う。ワインは欧州で文化が栄え、欧州の世界進出とともに世界にワイン文化が拡散していき、現在では日本・中国・チリ・オーストラリア・ニュージーランド・南アフリカなどでも生産されている。ワイン系の解説本はワインの些末な歴史をたどっていたり、ワインの銘柄をひたすらに紹介するものなど、ちょっとマニアックなものが多い。ワインについて真面目に調べたことはなかったが、たまたま本屋で立ち読みしたのだが、なかなかよさそうなので読んでみた。本書は、各地域のワイン文化、味わい、投機対象としてのワインなど幅広いトピックを程よいバランスで描写しており、なんとも充実した一冊になっている。また筆者はNYのオークション会社のクリスティーズのワイン部門でスペシャリストとして勤務し、現在はワインの会社経営ということもあって、ワインを熟知しているようで、説明に説得力がある。

 

ワインの発祥はジョージアなど諸説あるが、エジプト・ギリシャなどから楽しまれ、ローマ帝国期にヨーロッパにもワイン文化がもたらされた。フランスは厳格に品質管理を行い、絶対王政下において上流階級の嗜みとしてワイン文化が醸成され、現在においてもブランドワインとして世界的に認知されている。一方で、イタリアもワインの名産地だが、もともと王国が乱立し、その後も政治的混乱もあり品質管理などで統一した基準もなく、また、イタリア人のあっけらかんとした性格ゆえに、ワイン文化はフランスのように上流階級文化ではなく庶民文化として親しまれた。高級なフランスワイン、庶民的なイタリアワインというのは歴史的な背景があるという。スペインワインも名産地であるが、国内情勢が不安定で、名ワイナリーが少ないという。ドイツワインも名品が多いに世界的なブランドにはならなかったのは、ドイツ語のワイン名が長くて分かりにくかったからだという。

 

ワインに法外な値段が付くようになったのはやはりアメリカでワインが投機対象としてオークションにかけられるようになってからのようである。アメリカはもともと禁酒法があり、アルコールを禁止していたのに、いまではワインが投機対象になりカリフォルニアワイナリーはフランスの名ワイナリーに匹敵する水準にあるから、面白いものだ。しかし、リーマンショック以降にアメリカのマーケットは縮小し、現在急成長を続けているのは中国の市場である。中国の新富裕層は高級ワインを高額で競り落とし、寝かせて熟成はそっちのけで、湯水のように消費していっている。一方でオーストラリアのワイナリーの「イエローテイル」のようにカジュアルなワインが売り上げを伸ばすなど、ワイナリーも高級路線か、カジュアル路線かなど、マーケティングでしのぎを削っているという。ニュージーランドワインは、高級ワインもほとんどがコルクではなくスクリューキャップである。反発も多かったそうだが、実際は機能的に大差ないのでいまではスクリューキャップが受け入れられつつあるという。

 

ワインの味わいは繊細であり、空気に触れると香りも味も変わるので、注がれたワインをグラスの中でまわしただけで味わいが変わってしまうという。そう読むと本当か?と思ってしまうが、当方もやはりちゃんとしたレストランで飲んだ時、私かにワイングラスから流れえてくる芳醇な香りと、時間が経つにつれて変化する風味と香りに驚かされた記憶がある。ワインの奥深さをそのとき知ったのかもしれない。

 

本書はワインの歴史・ワインの産地別の性格からボトルの形からワイングラスのかたちという小さいトピックまでバランスよく扱っており、なんともバランスがいい。ワイン入門書の名所である。

 

アメリカで話題で、金獅子賞も受賞した「ジョーカー」を観てきた。本作はバットマンに登場するヴィラン(悪役)のジョーカーが誕生する秘話を描いている。正直、ハードルを上げて観たが、ストーリー構成、音楽、演技、カメラワーク全てが完璧で、とにかく非の打ち所がなかった。金獅子賞はヴェネツィア映画祭の最高賞で、イタリアの映画賞よろしく作家性・アート性を重視する傾向がある。アメコミ映画とは水と油のようだが、本作はアメコミを見事に昇華し、金獅子賞受賞も納得の次元に達している。本作を観た後では、もはやノーランの「ダークナイト」すら霞んでしまうほどの出来栄えだ。

バットマンシリーズは、主には正義の側からの視点で描かれるが、本作は社会に踏みつけられる弱者である主人公の視点からゴッサム(劇中の架空都市)を捉え、ジョーカー誕生のいきさつを描いている。映画は陰鬱とした雰囲気に一貫して包まれ、主人公が精神を病んでいく様には鳥肌がたった。主人公を演じたホアキン・フェニックスはとにかく天才的な演技で、何かが憑依しているようにすら思えた。

本国アメリカでは、ダークヒーローを正当化してとり、危険だとの指摘も多く、映画館では子供にみせないとか、本作に触発された犯罪の発生が懸念されている。ただ、社会的な影響も無視できないが、あくまで映画は映画として評価すべきだろう。そのような指摘が出るのは、本作が描くように、アメリカが社会が引き裂かれ、弱者が虐げられ、ダークヒーローの誕生を希求する土壌があるからに他ならない。批判が多いことが、本作の迫真性を証明している。

しかし、悪であるはずのジョーカーの暴力にどこかスカッとするのは、ジョーカーが不正義の犠牲者であるからだ。暴力は常に悪なのか?弱者は大人しく虐げられていればいいのか?暴力と嫌悪は連鎖するが、それを断ち切れない社会環境こそが問題ではないか?正気と狂気の境目は?本作は視聴者に様々な問いかけをしてくる。

ジョーカーが踊るシーンは狂気的であるのに美しい。常に醜美は紙一重だ。映画史に名を残す傑作に違いない。

かなり陰鬱として重苦しいので、そういうタイプの映画が嫌いな人には勧めない。全くバットマンシリーズが分からない人でも話は分かると思うが、バットマンシリーズがどんな作品かぐらいは分かっていた方が理解が進むだろう。

 

4.8 / 5.0

 

 

2019年ビジネス書大賞・山本七平賞等を受賞した本。通俗的なタイトルで忌避していたが、著者が新井紀子という一橋大法学部からイリノイ大学で数学を学んで数学者(国立情報学研究所でセンター長)になった学者であったので興味を持って読んでみたが、かなりの良書。AIが一体何をやっているのかを数式を用いずにわかりやすく解説している。

 

たまに「法務なんてすぐにAIに代替されるでしょ?」なんて言う人がいるが、はっきりいってそういう人は、AI(人工知能)についてほとんど何もわかっていない。私も企業法務にたずさわる労働者として、この作業をAIがなり代わるなんて、到底ありえないだろうと肌身に感じていたが、本書を読み、やっぱりそうかと確信に変わった。大半の人のイメージは「AIっていうのはどんどん人間の脳に近くなっていて、人間並みの思考力を手に入れるのも近い将来訪れる」なんて考えているが、実際は全然違うのだ。

 

まず、前提としてAIは機械である以上、計算しかできない。言語を二進法で記述して入力できても、その”意味”を理解することは出来ない。それゆえに、例えば、翻訳において、例えば、「私は長谷川と岡山に行った」という文章があれば、中学生でも「I went to Okayama with Hasegawa.」と訳せるが(長谷川は名字と普通は分かる)、しかし、AIからすれば「長谷川という場所と北海道という場所の2つを訪れた」と解釈し、「I went to Hasegawa and Okayama.」と翻訳してしまうのだ。

 

この新井氏は、実は東大合格を目指すAIの「東ロボくん」の開発者であるが、そのディープラーニングと統計手法を用いた東ロボくんでは、到底東大合格は不可能と判断し、中止している。とはいえ、模試では偏差値的には難関大合格クラスまでいっている。この結果はメディアでも報道されたが、このことから、AIは問題文と選択肢を理解したうえで、解いていると勘違いする人がいるが、全然違う(難関私大の問題を解いたわけでもない)。例えば歴史の問題では、問題文をとばして単に選択肢の正誤を、データベース(wikipedia)で検索してその正誤を判定しているに過ぎない。例えば、「1077年にカノッサの屈辱が起きた」という文章があれば、AIは、その単語を検索をかけて、年号と単語の共起度(文章において一緒に出てくる度合いのこと)から正誤を判定しているに過ぎないという - 問題を読まなくてもこれでも結構正答できてしまうというのが意外だが。

 

当然ながら文脈判断で解かざるを得ない問題については、前述のとおり、AIは意味を理解できないため解けない。AIは計算できないと答えが出せないのだ。また、「ディープラーニング(深層学習)」というと非常に有能なツールに思えるが、大学入試では過去問題や模試の問題のストックが少な過ぎてAIがディープラーニングするにはデータが足りな過ぎるという。仮にデータのストックが豊富にあっても、入試傾向が変われば対応できない。おまけに致命的なのが、最近は動画・画像技術が発達しているが、撮影する機材を最新型に取り換えた場合を考えてみると、人間が視認する限りでは「画像・映像が綺麗になったね」程度であるが、二進法で記述されたデータを読み込んでいる機械にとっては、全く別のデータベースになってしまうので、教師データ(ディープラーニングのベースとなるデータ)が無意味になってしまい、すべて作り直さないといけない。ちなみに、その教師データをつくれるのは人間だけだ。ちなみに、入試ではグラフや表問題が出るが、最近のOCR(光学文字認識)ですら、読み取りでエラーが頻発し、おまけに細かい条件などが加わるのでお手上げだったそうだ。あくまで教師データから一定の法則に基づいて計算することしかAIは出来ないのだ。

 

他にも、例えばAIが弁護士に成り代わるなんて予測があるが、弁護士が法的な判断を下す場合において、ただ杓子定規に条文を読んでいるだけではなく、まず事例を咀嚼して分析し、当事者とコミュニケーションし、かつ判例および社会常識・倫理などを踏まえて複合的に思考し判断を下すわけである。AIはそもそも条文を理解できないし、コミュニケーションはとれないし、社会常識・倫理も理解できない。せいぜい過去の類似した判例を探すぐらいしかできない。つまり、現状において弁護士に成り代わることなんてできないのだ。さらにいえば、例えば特定の人種を差別するような判例が蓄積されている場合、AIはそれを学習して判断してしまうのだ、人種差別的な判決が永遠に続いていてしまうことになる。道徳的なハンドリングはどこまでいっても人間が行うしかない。もちろん、判例調査だとかはAIでもできるが、あくまで法務において代替可能なのは一部である。

 

シンギュラリティ(技術的特異点)はあと30年後には来て、人間の思考に近いAIが誕生するなんていう人がいるが、著者はそんなものは来ないという。普通に考えればわかりそうなものだが、人間の思考がそもそもどういうメカニズムなのかも分かっておらず、わかったとしても、それを数学的にすべて記述できない限り、それをAIで再現することは不可能なのだ。

 

しかし、AIが人間の仕事を奪わないわけではない。少なくとも数学的に記述可能な仕事についてはAIで代替可能なのも事実である。与信審査はほとんど代替されてしまったし、銀行業務も徐々に代替されつつある。AIが出来ないコミュニケーションを用いる仕事に活路を見出すしかないが、わが国の数的な理解や読解力のレベルは、トップ層を除くと悲劇的だという。もしAIがこれから普及した場合、AIに代替されてしまった仕事の従事者は一時的に路頭に迷うだろう。AIの中身を理解しないAI楽観論も、AI脅威論も無益だ。

 

なお、個人的には何より衝撃的だったのが、米国ではAIのワトソン(IBM)は数千億単位で開発されたが、東ロボくんはたかだか3000万円の予算しかなかったという。米国なら優秀な技術者を1人雇って終わりだ(いや1人も雇えないかもしれない)。東ロボくんプロジェクトには、無給で研究者が参加してくれたそうだが、もはやお笑いである。どうやって日本の科学力を維持するのか、政治家はよく考えたほうがいいと切に思う。