本日は上野で開催の「コートールド美術館展」へ行ってきた。実業家コートールドのコレクションをベースにした美術館で、あまり貸出ししないらしいが、美術館が改装中のため来日することになったという。あまり美術館の知名度がないせいか、3連休だったが客足はそこまで多くなく、ゆったり観られた。しかし、ゴッホ・ゴーギャン・ルノワール・マネ・ピサロ・ブーダンなどラインナップは素晴らしかった。

 

当方の目当てはマネの「フォリー=ベルジェールのバー」。どこかうつろな女性と、その背後の鏡に映った当時パリで人気だったバーの様子がなんとも良い味を出している。生で初めて観たが結構大きく実際にモデルの女性と対峙しているかのような錯覚に陥る。また、ルノワールの「桟敷席」も今回の目玉の一つで、当時の社交界の様子を伝えている。後ろの男性が舞台ではなく観客席をオペラグラスで見渡しているのが何ともリアルで面白い。19世紀のパリの絵画は、こうした華やかなパリを描いた作品も多いが、また新技術の賜物の鉄道などを描いているものも散見される。しかし、そんな洗練された都市文化の発展とは裏腹に、そんな都市を逃避する者も多かった。自然豊かな郊外が人気になったため田舎を描く作品も多いが、さらにゴーギャンは理想郷を求めてタヒチに移住した。本美術展で展示されている「ネヴァーモア」はそんなタヒチの異国の様子が描かれている。ゴーギャンの絵は生命力とどこか神秘的な霊感を感じさせる。

 

全体的に印象派作品が中心なので淡くて鑑賞していてリラックスできた。充実した展示で印象派好きであればぜひ訪れたい。

久しぶりにピアノコンサートへ行ってきた。場所は紀尾井ホール。初めて紀尾井ホールいったが、そこまで大きなホールではなく、音の響きもちょうど良い。シャンデリアなどの内装も上品でよかった。ピアニストは英国を拠点とするフレディ・ケンプである。母親が日本人で、父親はドイツの巨匠ヴィルヘルム・ケンプの親類にあたるドイツ人らしい。チャイコフスキーコンクール第3位の実力派である。

 

曲目はオールショパンプログラム。前半が、バラード2番、スケルツォ2番、ノクターン8倍、アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズと、前半からかなり充実なラインナップ。後半は、バラード4番、スケルツォ4番、ノクターン17番、ポロネーズ6番と、大曲が並ぶ。アンコールは、カプースチンの8つの演奏会用練習曲7番とエチュード1番(op.10)。

 

youtubeで聴いて興味をもったので行ったのだが、やはり会場の受けもよく拍手がなかなか鳴りやまなかった。右手の軽やかな右手を、左手の芯のある響きで支える。安定した技巧、キレのあるテンポの緩急、ダイナミックさと抑制のほどよい調和により、演奏はなんともドラマチックだった。バラード2番、スケルツォ2番はとにかく構成から音の響きまで素晴らしかった。アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズの、前半のなめらかで抒情的な曲想と、ポロネーズのリズムを大切にしたどこかポーランドの素朴さを思わせるパートの対比が良かった。後半は、ノクターン17番の内省的な曲想で、会場をほっとつかせた。ポロネーズ6番はテンポが速かったが、音の処理が雑に聴こえてしまい、音の強弱も若干旋律性が腰砕けの感じになってしまったように思われるが、若干、好みの問題だろうか。アンコールではカプースチンのテイストの違う曲で会場を楽しませ、ラストはエチュード1番で軽快にまとめた。

 

なかなか良いコンサートだった。まだ40代前半。これからの円熟が楽しみだ。

 

 

当方が勤める会社でも「AI」関連のビジネスが出てきているので、AIについての本を読書してみた。あまり技術的な本だと読まないなぁと思って初心者向けの本を読んだが、かなーり初歩的な話で入り込みやすかった。ざっくりAIの話を理解する素地をつくるには良いと思うが、正直、物足りなさも残る一冊だった。

 

AI(人工知能)というと最近のワードに聞こえるが、第1次ブーム、第2次ブームがあり、いまは第3次ブームにあたるという。1960年代ぐらいからブームが起き、その後、一時的に停滞する冬の時期を経て、次のブームが訪れるということの繰り返しらしい。今の時代でいうAIはディープラーニングだという。過去の事例からいまある問題の答えを導くことは可能だが、そこにある意味を理解したり、文脈を理解するとかはできない。だから、よく人工知能が人類にとってかわるというのは、今までも繰り返されてきたが、メディアの誇張らしい。

 

よくAIが人類を超えるシンギュラリティは2045年頃という予想があるが、これは、各分野において、将棋であればAIの〇〇、医学であればAIの〇〇、判例調査であればAI〇〇というように、各特定の分野に特化したAIがその専門家を上回るであろうことを意味しており、全知全能の無欠のAIが誕生するわけでもなく、まして、そのAIがビジネスコストに見合って実用化されるわけでもないという。AI(人工知能)は、人間の脳を模倣しているとかいうのはAIの中身を知らない人の俗説らしい。実際は、AIは、現在の対象を被説明変数において、過去の事例を説明変数において重回帰分析しているだけで、人間の創造的な活動とは程遠い。将来的にできるようになるのかもしれないが、今のところSFの世界の話である。

 

AIの限界というのは今のところ何かと言えば、文字認識において、「1192年、鎌倉幕府成立」との手書きの文章があったとして、一見すると「7792年」のように見えても、人間が識別すれば、文脈的に1192年と読み取るが、AIだと文脈が分からないので、「1」を「7」と誤認してしまうという。形状からなんという文字に該当するかを過去の事例から判別しているだけで、文意の判断はまだつかないという。当然、AIは倫理・道徳的な判断もできないので、AIを裁判で活用するような場合、過去の判例として、ある人種を重く罰するような判例が多ければそれに基づいてAIは判断を下してしまうので、差別的な判決が固定化してしまう。だから、倫理・道徳的なところの妥当性判断はどうしても人間の眼が必要になる。法務系でいうと、定型的な契約書から問題点を抽出したり、類似の判例を調査することはできても、依頼者から事情を聞いて法的問題を判断したり、企業法務において営業部等から要望を聞いて契約書をドラフトしたり、契約審査において修正して相手方と折衝したり、まして代理人として出廷して答弁することは到底できない。

 

第三次ブームのAIといえど、あくまで得意分野と不得意分野は明白に分かれており、AIの登場で、人間の仕事がすべて奪われるなんてことはあり得ない。メガバンクが事務を自動化したことからリストラを敢行したが、これを「AIに仕事が奪われた!」とメディアは報じるが、マイナス金利で収益が悪化したので行うリストラを、AIのせいにしたに過ぎないという。AIで資産運用するサービスもあるが、三菱UFJフィナンシャル・グループが運営するMUFG Innovation Hubでは、短期的にはAIが勝っているが、長期的に見れば人間の運用のほうが優れているという。過去3年間において、人間による運用が7.88%のリターンだったのに対して、コンピュータによる運用のリターンは5.17%だったという。AIはあくまで過去のデータのディープラーニングなので、現在において適切な投資が可能か否かは別問題である。短期的には利益を出せても、市場の状況やルールの枠組みが変われば、全く成果を出せなくても全然不思議ではない。

 

著者が指摘するに、AIという言葉が一人歩きし過ぎているという。AIが何か分からずに、とりあえずAIと名のつくものに飛びつくのは愚かしい。企業も大学も数学・統計学に力を入れようと提唱しているが、まさにその通りだろう。基礎数学は高校でやるので、基礎統計学は、大学でも必修にすべきだと思う。AIでは中国が日本のはるか上をいっている。メディアは文系記者が多くて内容も分からずに抽象的でセンセーショナルな記事を書き散らかしている。日本の知的劣化を防ぐにも、本腰を入れて理系教育に心血を注ぐべきだが、新しい担当大臣が自己のHPがアクセス不能になっている理由も分からない現状(リンク)では、望み薄だろう。

7月の訪日外国人客、韓国は7.6%減 全体では過去最高 
日本政府観光局(JNTO)が21日発表した7月の訪日外国人客数(推計値)は、前年同月比5.6%増の299万1200人だった。単月としての過去最高を更新した。訪日客数が1カ月間で初めて100万人を超えた中国訪日客の大幅増が、全体の訪日客数増のけん引役となった。一方、日韓関係悪化の影響で、韓国からの訪日客数は前年同月比7.6%減と大幅に減少した。--
日経新聞

 

日本は2020年に訪日外国人を4000万人にする目標を立てているが、日韓関係の悪化で韓国からの旅行客が減少している。韓国側は日本の観光業へのダメージを与える意味で、報告のつもりかもしれないが日本にはあまりダメージが無い。高橋浩祐とかいうジャーナリストは「日韓関係の悪化で、安倍政権の観光立国宣言に暗雲垂れ込む」などと記事を書いている。韓国からの観光客の減少を強調する報道も多い。しかしながら、実際のところ、訪日観光客数は過去最高を更新している。先月も過去最高だったが、上半期は1663万人で過去最高だった。

 

そうというのも、韓国はたかだか5000万人の小国に過ぎない。中国は人口13億を超え、東南アジア(ASEAN)の人口も全体で6億人を超える。さらに、インドもまだ途上国とはいえ親日的な人口大国で13億以上の人口を有する。中・印・ASEANを合算すれば、世界人口の4割以上(32億人超)を占める巨大市場であり、おまけにアジア圏の大半は親日国ときている(日本は中国とも関係を改善しており、今日において狂信的な反日国は北朝鮮と韓国だけである)。韓国の観光客が減ろうが、他の諸外国からの観光客が増えれば全く問題ではない。実際、訪日外国人は、韓国からの訪日は減ったが、中国・ベトナム・米国・英国からの増加で韓国の減少分を埋め合わせるのにあまりあり、全体として増えたのだ。限りあるホテルなどのキャパシティが、単価が安い韓国人訪日客で占められていたのが、高単価の他の国からの観光客に置き換わることは全体としてメリットがある。

 

一方で、韓国の航空会社は軒並み株価が下落し、トータルで1兆3000億ウォンが消失。ドル箱路線の日本路線がキャンセルが相次いだのに加え、ウォン安での燃料調達価格も上がり、韓国の航空会社は軒並み赤字に転落。中国への就航を増やそうとしたが、中韓はサード問題で関係が悪化しており、中国は新規就航を無慈悲に通知し、韓国の航空会社は大打撃をこうむっている。文字通り「セルフ経済制裁」に陥っている。懸命に不買運動しているが、韓国の日本製品の大半は、日本企業と韓国企業の合弁が商品展開しているので、韓国企業にもダメージになっている。コリアンリスクに気が付いた日本企業が韓国市場から撤退すれば、現在でも若者の体感失業率が25%を超えているが、さらに悪化するだろう。

 

ウォン安も深刻で、1ドル=1220ウォンを超えたが、為替介入で現在はウォン安はやや是正されたものの、まだ防衛ラインを超えた水準だ。外貨準備金が底をつけば、もはやウォン安は止められなくなり、再び通貨危機になる懸念が強い。何よりそもそも日本はまだ韓国に報復措置はとっていない。ホワイト国から除外しただけでこの狼狽と混乱なので、旧朝鮮半島出身労働者の問題で、日本企業の財産が現金化されて日本政府が本腰を入れて経済制裁に踏み切った場合、韓国経済の破綻は確実だ。特に韓国は金融が脆弱であり、韓国の銀行が発行する「信用状」(=貿易用の小切手)は、日本の銀行が保証することで価値が保たれているが、これを中止したら、一気に韓国は金融危機に陥いる。日本は生殺与奪のカードを韓国にもっているのだ。

 

韓国に譲歩を繰り返してつけあがらせた歴代日本政権のせいでもあるが、現実問題として文政権は日本に何ら有効な外交カードはない。日本からの輸入品の検査を厳重にするなどの措置をとっているが嫌がらせ程度である。このまま意地を張っていたら、韓国経済は破綻する。シナリオとしてはこのまま経済破綻するか、文政権が倒れて次の政権で旧朝鮮半島出身労働者の問題が処理されるかだが、どうせ刑務所行きなら文政権は少しでも延命しようと前者を選ぶのではないだろうか。おまけに経済破綻すればやっぱり日本が悪いと日本にせいにできるから、文大統領の名誉は守られる。実利より理想を追求する朝鮮朱子学としては理想的な末路ではないだろうか。

 

 

著者の呉 善花は、韓国生まれだが、大学の時に来日し、現在は帰化している。もともと韓国の偏向教育を受けて反日だったが、日本に来てから様々な葛藤を経て知日派になり、現在は文筆家として活躍している。そんな日韓双方をよく知る著者が、韓国の性質を、儒教という側面から明らかにしている。

 

韓国は大陸の大国に翻弄された弱小国であり、時々の中国に栄えた王朝に隷従して生きていた。初の統一王朝の新羅のときには名字を中華風の一文字に改め(いまでも韓国の姓は一文字だ)、かと思うと高麗のときは元に支配されたので完全にモンゴル化し、元寇では日本侵略の一翼を担った(朝鮮は歴史的に日本に一方的に侵略されたというが嘘である - 元寇のほか「応永の外寇」でも対馬に侵略を試みている)。中国の華夷秩序では、中国こそ文明が最も発達した「中華」であり、中国から離れるほどに文明水準が下がる「夷狄」と考えている。しかし、李王朝のときに中華である明王朝は、夷狄である女真族(後の満州族)の後金(後の清王朝)に倒されてしまう。李王朝は明王朝を支持するが、ホンタイジに征伐され、9回も頭を地面にこすりつけて土下座して謝罪して、夷狄の清王朝の属国となる。ここで朝鮮は、中華が夷狄に滅ぼされるという大きな矛盾に直面するが、朝鮮は、中国が夷狄化した以上、朝鮮こそが中華文明の継承者であるということで自己を納得させたのだ(小中華思想の発端)。現実では夷狄に服従するが、精神的に小中華であるという、現実と精神の分離がここで生じる。高麗は仏教が栄えていたが、小中華である李朝は中国から伝わった儒学(朱子学)を尊び仏教を弾圧し朝鮮の伝統等を拝し、徹底的に社会改変を行った。そんな李朝が500年も続いたので、現在の朝鮮半島にもその精神が根付いており、李氏朝鮮こそが現在の朝鮮半島の精神的な基盤となっているという。

 

朝鮮の歴史観でいえば、遅れた不毛な土地の日本に文明を伝えてやったのに、その恩義を忘れて豊臣政権では朝鮮に浸出し、また20世紀に武力を背景に朝鮮半島を併合し、朝鮮半島を苦しめたということになる。朱子学は、理想を追求する「あるべき論」が強い強固な理念主義の思想であり(ともすれば空理空論なのだが)、それが朝鮮の思想的なバックボーンになっている。古墳や当時の人口の規模などをみても、文明の進んでいた朝鮮と、遅れた未開の日本という構図は実際には違うが、現実よりも、理想が重要なのだ。理想を求める思想的な姿勢が、「そうあるべきだ ⇒ そうに決まっている」という自分勝手な妄想にひた走り、ついに現実の方がおかしいと主張し始めるのだ。朝鮮では理想・理念が現実に優先する。

 

朱子学が色濃い朝鮮では、道徳を法よりも重んじる風潮があり、現在でも、詐欺・背任・横領などが日本の数百倍の規模で起きている。儒教では上下の秩序は説くが、横の連帯の観念は希薄で、それゆえ韓国では同僚・近隣トラブルが絶えず、人口は日本の4割程度なのに、訴訟件数は日本の6倍という多さである。儒教では家族を尊ぶ故に、李氏朝鮮の宮廷では各一族は不毛な権力争いを500年もしていた。李氏朝鮮は、部で足の引っ張り合いをして社会経済を停滞させただけだったのだ。国民性の問題なので良い・悪いという善悪論はなじまないが、日本人と全く違う感性を持っているのは確実である。

 

中国の影響が大きい朝鮮は、「天命思想」に基づき、王朝が徳を失うと易姓革命が起きて滅びると考える。滅んだ前王朝の正当性は一切が否定される。韓国では、大統領が代わると前政権に近かった高級官僚も一掃されるが、まさに王朝の交代なのだ。韓国大統領は全員が投獄・自殺・暗殺されるが、これは「王殺し」の伝統に由来する。天皇が2000年も続いてきた日本とはこれまた異なる。

 

儒学では、儒学者や文人が尊ばれるが、肉体労働の職人や芸能・芸術家は卑しい職業として見下された。李朝では21代国王は、武芸と芸術の才があるが学問が好きではない実の息子を米櫃に閉じ込めて殺している。それゆえに朝鮮半島には市民文化がほとんどなく、工芸レベルも極めて低く、芸術もせいぜい中国の模造品の白磁と青磁ぐらいである。それらも国力衰退で廃れてしまった。商業も卑しいとみなされたので、経済は発展せずに、李朝は極貧状態で人口もろくに増えず、悲惨な状況にあった。

 

韓国の博物館では日本統治時代の拷問の様子などを展示しているが、それらの刑罰は著者によれば、李朝時代に行われていた拷問だったという。李朝を倒した日本は悪者だから、これぐらいの悪行をやっていただろう、いややっていたに違いないというただの決めつけだが、韓国にとって歴史的事実よりも重要なのは理念である。現実はおいておいて、日本は悪役でなければならないのだ。当時、日本は西洋の法律を輸入した近代国家であり、国際的な評判の観点からもそのようなことを行っていたとは到底考えられないし、同じく日本統治下の台湾・パラオでは然様の話はないから韓国側の話のほとんどが作り話である。開化思想に共鳴し福澤諭吉に学んだ金玉均を凌遅刑という残虐な刑罰に処すなど、残酷な刑罰を行っていたのは前近代的な李氏朝鮮の方だった。ちなみに、金玉均の死体が残酷に解体され路上で晒し者にされたことに衝撃を受けて、福澤諭吉は「脱亜論」を著したのだった。ここら辺の歴史的文脈を無視して、福澤諭吉はアジア軽視論者などというのは無知蒙昧であろう。


極貧を極めた李氏朝鮮の一方で、日本は武家の政権が長く、商工業も発達して繁栄し、ハイカルチャーからサブカルチャーまで文化が爛熟し、文化的にも経済的にも大国になっていた。しかし、朝鮮からすれば、武人が支配し、卑しい職業が幅を利かせているという風に見える。結局、朝鮮は武人を蔑んだので軍隊が弱く他国に侵略されまくり、商工業が発達しなかったので極貧にとどまり、文化もろくにない不毛な土地だったわけだが、そんな現実よりも儒教的な理想を追求していたということが重要なのだ。

 

韓国の理念主義は整形文化にも垣間見えるという。つまり、理想像を追求することが是とされるので、現実が理想と違うなら(理想の顔と自分の顔が違うなら)、整形して現実を変えればいいという発想になる。朝鮮の美意識は、統一性・シンメトリーを好み、素材性の排除、造形における理念と形態合致を志向する。実際、朝鮮の青磁・白磁は表面がつるんとしていて、左右対称なものが多い。これは日本とは真逆である。日本の美意識では、素材を活かし、その物が持つ造形的な個性を尊ぶ。日本の茶碗などのごつごつした風体に味わいを感じるのはなんとも日本的感性なのだ。こうした理念的な完璧思考の挑戦と、あるがままを受け入れるという日本的な感性は全く相いれない。韓国では、こうした理念主義に立脚する美意識が、同じような整形顔の蔓延や芸術の多様化を阻害しているのだろう。ただ西洋音楽との相性は良いと思う。楽譜に書かれた音楽という理想の音色を追求するのは理念主義に合致している。実際、音楽コンクールで韓国人が活躍している。

 

この現実を直視しない姿勢は文大統領によく表れている。前大統領の朴の行った政策をことごとく否定し、反日政策で韓国経済の首を絞めているが、現実に負けても精神的に勝利するからいいのだと居直っている。こうした現実を直視しないで理念を追い求める理念主義こそが朝鮮思想なのである。日本と韓国は相いれないと割り切って、適度に付き合うのが良いだろう。徴用工問題を捏造して日本企業の財産を差し押さえる国と深いかかわりは結ぶことは不可能だ。資源も技術力もない人口5000万の小国だ。もうすぐ世界第1位の人口大国になるインド(人口13.5億人)や、6億人を超える市場のASEANとの関係強化の方が有益である。80年後に世界人口は100億人を超えるが、韓国は人口が2000万人を割る。騒がしい隣国は時間の経過とともに国際社会で存在感が薄れていってくれる。日本としては適度に距離を保って、関わらないのが合理的だろう。どうせ韓国の国力は現在がピークなのだ。