最近、1日1ページ読んで365日でわかるという本がシリーズ化されていろいろ出版されているが、初歩的な内容が多くあまり興味なかったが、保守系の論客の八幡和郎氏が世界史の本を書いていたので読んでみた。世界史というと大国の歴史を軸にまとめるので、どうしても小国の歴史が見落とされやすい。実際、学校で習う世界史は地域的な偏りがある。本書は一応、すべての国に触れているのがすごいところだ。おまけに最後のほうには建築・美術・映画・スポーツ・科学・経済などの歴史がコンパクトにまとめられている。社会人になって世界史を振り返りたいみたいな人にはお勧めだが、パラパラ概観していくので全く基礎知識がない場合は、もう少し分かりやすい導入本をおすすめする。

 

広大な内容をよく1冊にまとめたと感心してしまうが、誰よりもいろんなことを知っていなければならないという元官僚としての自負と、フランス留学で学んだ百科全書的な精神によるという。たしかにミシュランガイドのようにフランス人は網羅的に調べて知を体系化することが好きだ。ただ著者の主観的な表現も多く、そこは割り引いて読む必要がある。

 

とはいえ、もともとは国際政治・経済は大国中心であったが、昨今では小国の重要性も増している。金融セクターとしてはアジアではシンガポール、アラブではドバイ、欧州ではアイスランドやスイスが有力であるし、IT分野ではイスラエルやエストニアなども有力視されているが、どこも人口1000万人に満たない小国だ。国際政治経済におけるアクターの多様化により、従来的な大国中心の歴史観は見直されるべきだと思う。

 

次のような史実は、知らない人も多いかもしれない。正直、日本の歴史の授業は年号と用語の暗記大会でつまらない。通史で習うのもいいが、下記のようなトピックから、歴史的な背景を探っていく方がとっつきやすいと思っている。

 

ポルトガル王室は、ナポレオン侵攻から逃れるためにブラジルに移転していた。ゆえにリオデジャネイロは十数年の間、ポルトガルの首都だった。結局、ブラジルはクーデターで共和制に移行し、本国も革命が起きて共和制に移行して、ポルトガル王室は滅びた。

 

アルゼンチンは8回もデフォルトを経験し、現在でも経済が不安定であるが、20世紀前半においてはスペイン・イタリア・日本・カナダなどより一人当たり所得は高く富裕国だった。アルゲリッチ、バレンボイムなどの名音楽家を輩出しているのは当時の豊かさを物語っている。

 

・第二次世界大戦後において初の国家元首の来日は、エチオピアのハイレ・セラシエ1世であり、親日派の彼はエチオピア王族と黒田子爵令嬢との縁談を望んでいた(結実はせず)。エチオピアはイタリアを破った。なお、エチオピアにはソロモン王とシヴァの女王との伝説があり、古代キリスト教を源流とする独自のキリスト教(コプト教)が存在している。

 

ハワイはもともと独立国家だったが、ハワイ国王は日本と連携を強化し、米国の併合圧力に対抗しようとしたが、カイウラニ王女と日本の皇族である山階宮定麿王との政略結婚を望んでいた。結局、米国に配慮して明治天皇が断った。ハワイ王国の米国による併合には、大隈重信が強く抗議し、米国を驚かせたという。

 

・北欧のフィンランドというといまでこそ豊かな福祉国家というイメージだが、極寒の地で特に資源もないため弱小国で、スウェーデンに征服され、その後はロシアに支配され、大国の間の緩衝地帯として生き延びてきた歴史がある。

 

・北欧の福祉国家スウェーデンは、もともと北欧の覇権国を目指したが、ドイツやロシアに領土を奪われて、挙句にノルウェーが独立してしまった。ついでにいうと、ノルウェーは北海油田の発見でスウェーデンより豊かになる始末。現在のスウェーデン王朝は、ベルナドッテ朝であるが、始祖はナポレオン軍の元帥に上り詰めたフランスの平民。とはいえ、世界でも有数の富裕国には違いない。

 

スイスは手つかずの自然が残る美しい国というイメージだが、実際は手つかずの自然はほとんどない。山間部は軍施設が多数。三十年戦争に巻き込まれないために永世中立国化したが、同盟国がないため己の軍事力しか頼れないため徴兵はあるし、銃所有率も高いし、あらゆる施設に核シェルター有りで、国全体が軍事要塞状態。

 

フランス料理というといまでこそ高級で洗練されたイメージだが、もともとは手づかみで肉を食べるような粗野な食文化だった。それが当時、欧州で最先端をいっていたイタリア・メディチ家のカトリーヌ・ド・メディシスが、フランスにアンリ2世に輿入れする際に、洗練された食文化をフランスに持ち込んで根付いた。

 

カザフスタンの首都アスタナ、ナイジェリアの首都アブジャ、北マケドニアの首都スコピエ、などは日本人建築家が都市設計を手掛けている。アスタナは黒川紀章、他2つは丹下健三。日本は、建築界のノーベル賞ことプリツカー賞において受賞者数で米国と首位を争っている。

 

歴史教育というと革命だの戦争だの、物騒なビッグイベント重視だが、歴史とは社会・文化・経済・美術・音楽・スポーツなどの総体的な発展史であるべきだと思う。本書等を通じて歴史の多様な視座を学ぶことは有益だと思う。

 韓国の文在寅大統領は4日、バイデン米大統領と電話会談し、米国との同盟関係向上を約束した。韓国大統領府が発表した。文氏は会談後に出した声明で「米韓は常に団結し、朝鮮半島の平和に向けて取り組み、国際的な課題に対処する」とした。文氏はまた、新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)、気候変動、経済の両極化など世界的な課題が山積する中での「米国の帰還」を歓迎した。-- REUTERS

 

韓国がようやくバイデン新大統領で電話会談できたそうだ。外交では順序が極めて重要である。この順序が、その国が重視する国の順序と同視できるからだ。米国の場合は、第一に隣国、第二に欧州の主要同盟国、第三にアジアの主要同盟の順となっている。今回も米国時間23~27日の間に、カナダ、メキシコ、英国、ドイツ、フランス、ロシア、日本の順序で電話会談を行っている。ちなみに、韓国との電話会談は、おおむね日本の翌日から概ね6日以内が通例であったが、今回はそれを超える遅さである。

 

もともと韓国の報道を見ると、「50-30クラブ」(人口5000万人を超え一人当たり所得3万ドルをこえる国)であり、G7に肩を並べた、またはG7の1国のイタリアを超えたという意識が強く、ハンギョレ新聞はもはや日本に比肩したから日本と同日に電話会談かと囃し立てていたが、実際は1週間程のブランクが空けられた。これは26日に韓国が中国が会談を行ったことも悪影響しているとみられる。中国はわざわざ直前に会談を設けたようだが、外交ノウハウの蓄積がない韓国は呑気に応じて、米国には疎まれたという状況だが、おそらく文大統領は理解していないのだろう。

 

日本は両当事者間での合意だと韓国が反故にする可能性があるため、わざわざ第三者の米国を証人に慰安婦合意をした。バイデン氏はその日韓慰安婦合意の証人である。それであるのに文大統領は同合意を破棄した。当然、バイデン氏は韓国側から同合意を破棄したことは承知しているし、韓国が嘘をついたり、合意を破棄する国というのはよく知っているという。それゆえバイデン氏は、韓国はあくまで中国・ロシアの太平洋進出を防ぐ、米軍の拠点として重視するのみであり、それ以外の外交政策では韓国をないがしろにする可能性が高い。日本もなんだかんだと韓国を厚遇するのは、韓国がレッドゾーンに寝返ると、共産主義と資本主義の前線が対馬まで後退してしまうからだ。ここらへんの微妙な外交の温度差を、国際政治で重要なアクターではなかった韓国は知る由がない。

 

韓国の大国意識というのは「小中華思想」の反映である。朝鮮は中華文明を踏襲したが、肝心の明王朝は異民族に滅ぼされた。ゆえに中華文明を受け継ぐ朝鮮こそが華夷秩序においてトップと同視できるという妄想である。しかし、実際のところ国際的にみると、朝鮮半島には世界史的に重要な思想・文化・美術などは何もない。日本も大陸文化の影響は受けているが、島国ゆえに独自の発展を遂げて”日本的”なものを生み出してきた。それは大きく異なる。日本は中世において強国スペインすらも恐れて「皇帝」「帝国」とした軍事国家である。日本とは朝鮮では国に規模も実力も大きく異なる。

 

最近でも中国と韓国で、キムチの起源論争(LINK)が起きて、政府要人も言及する事態になっているが、中国からすれば朝鮮族は少数民族であるし(中国・延辺には朝鮮族が多く在住している)、実際、キムチの製法は日本から伝わった唐辛子と、中国の漬物の融合体であろう。現代キムチは韓国発かもしれないが、正直、その起源は中国と言われても仕方がない。華麗で魅力的な「高麗青磁」も中国の青磁の模倣であるし、グーテンベルク以前の金属活字と称するものも中国の活字技術を金属で模倣しただけである。大国の間の緩衝地帯だった朝鮮は何度も国土が焦土と化し、中国に隷従して生き残ってきた朝鮮には、独自の文化・芸術などを育む素地が乏しかったのである。地政学的に気の毒な環境にあったが、それは朝鮮半島の宿痾である。

 

本ブログでは何度も書くが、韓国は超急激な少子化に悩まされており、今年の出生率は0.9人を割り込み、2022年には出生率が0.8人も割り込むと予測されている。予測より悲観的に進展しており、人口は2050年頃には予測を上回り人口4000万人も割り込む可能性もあり、高齢化率も日本を追い抜くだろう。日本は貯蓄率が高かったので持ちこたえているが、韓国は年金制度も貧弱であるし、家計債務は世界トップクラスで、おまけにウォンは基軸通貨ですらない。韓国の国力は現在がピークなのである。韓国経済はバブルの様相を呈しており、この状態が長く続くかというと、あまり楽観はできないと思う。97年の通貨危機の再現にならないことを願うばかりだ。

電力のスポット市場価格の高騰により、市場連動型の料金プランを契約している場合には、皆様の電気料金にも影響が及ぶ可能性があります。電力・ガス取引監視等委員会では、各小売電気事業者に対し、消費者の皆様への適切な情報提供を要請しておりますので、電気料金の請求額や契約の切替え手続について御不明の点がある場合には、契約中の小売電気事業者にお問合せいただくなどして、契約内容をよく御確認ください。- 経産省

 

楽天モバイルは26日から電力・ガスの小売りサービスの新規契約を当面停止した。2020年末から続く電力の需給逼迫による卸市場の価格高騰で、調達に障害が生じているためだ。同社は新電力30位で、家庭などに限ると10位。販売電力の約8割が家庭向けで大都市圏に顧客が多い。卸価格の高騰は新電力の経営を直撃しており、他社にも波及する可能性がある。-日経新聞

 

JEPXのスポット市場価格は2020年12月の中旬から高騰しはじめ、現在でも終息する気配がない。これにより「市場価格連動型プラン」を契約している家庭は電気料金は信じられないぐらいはね上がるリスクがある。つまり、JEPXの市場価格に連動して従量料金の単価が決まるので、最近の市場価格の高騰が電気料金にそのまま反映されるのである。とはいえ、契約プランによるので大半の人には影響がないが、電力の小売りが自由化されたことで、新電力と「市場価格連動型プラン」を契約している人は契約内容を見直した方がいい。

 

電力自由化はあまり理解していない人が多いが、電力は発電して、送電して、それを売るという三段階に分けられるが、昨今自由化されたのは「売る」という小売りのところである。最近は「楽天でんき」やら「ソフトバンクでんき」やらがあるが、これらは小売り自由化により新規参入した勢力である。これにより従来他の業種だった会社が、電力サービスも提供できるようになり、自社サービスとあわせてより良いサービスを提供できるようになるのであり、消費者にとってはメリットが大きい。

 

ただあまり理解せずにいわれるがままに契約している人も多いのも事実で、「市場価格連動型プラン」はもともとはお得だったので契約してしまった人もいるのだろうが、今回の電力価格高騰で電気料金が数倍になっている例もあるようだ。新電力事業者も調達価格の高騰で、かなりダメージを負っているようで、「楽天でんき」が新規受付を停止したという。これが続く場合、体力のない新電力事業者は撤退を余儀なくされるだろう。

 

あまり報道されないが電力の使用率は90%を超えて大停電の寸前までいっている。なぜこうなったのかといえば、大雪による電力需要の高止まりに加えて、福島原発事故の影響で原発を止めたまま、石炭火力も「脱炭素」で削減したために、供給不安定なLNG(液化天然ガス)に偏重したためだ。原発反対派は、事故が起きた場合の被害を誇張するが、一方で、大停電となった場合の被害や、電気料金の高騰によってダメージを受ける企業や家庭には言及しないのは公平を失する。原発もダメ、火力発電もダメという人は、電力需要を緩和するため、自宅の電気は高額の設備投資をして太陽光発電でまかなって、雨や曇りの日は自分で自転車でもこいで発電したらいかがだろうか?

 

 

中国発の「儒教」により、苛斂誅求で残忍な統治が中国や朝鮮で行われたが、その始祖とされる孔子の「論語」を読んでみると、そのような苛烈な統治に関するような記述は一切ないという。孔子は偉大な思想家・哲学者と考えている人もいるが、実際のところ「論語」を読んでみると、孔子の考え方は一貫性がないし、哲学というほどにも体系化されていない。つまり、孔子は儒教の教祖ではないし、「至聖」や「聖人」と祀り上げられるような人ではなかったというのが著者の見立てである。孔子の「論語」が「四書五経」で聖典の一つに挙げられたり、「聖人」と敬うのは、後世の人々の思惑あってのことであるという。

 

儒教が中国において成立したのは、前漢の武帝の時代と推定されている。董仲舒の献策により諸子百家が排斥され、儒家の教説が国家教学となったのである。しかし、この時代は孔子の死後約300年が経過しており、孔子の生きた周王朝の時代とは社会情勢も当然異なっていた。孔子の思想がこれだけ時間的な隔たりをもって継承され体系化されたとはなかなか考えにくく、漢代の儒学者が権威付けのために昔の孔子の名を持ち出して、孔子とは異なった教学を体系化したと考える方が自然だという。

 

北宋時代には朱子学が誕生する。これは朱熹によって新しく再構築された儒教であるが、「天理」のために「人欲」は抑圧されても致し方がないという教理であった。これを輸入して仏教を弾圧し、朱子学を唯一の官学としたのが朝鮮半島の高麗である。結局、朝鮮伝統の礼節なども儒式にあらためて、儒教の一派である陽明学すらも弾圧して朱子学一辺倒の統治を行った。その結果、儀礼に固執することで社会の停滞を招くとともに、思想の多様性が失われて思想的な耐性の無さを招いた。不毛な教理に拘泥し近代化が遅れたのは朱子学の悪影響であろう。

 

日本も実は朱子学が隆したこともあるが、やはり日本の人間味あふれる豊かな社会には適合しなかったようで、朱子学者は次々と離反していった。伊藤仁斎は朱子学を「残忍酷薄」と切り捨て、「愛」を掲げて、非人間的な朱子学を排斥する。彼は孔子の言行録である「論語」を「最上至極宇宙第一の書」としているが、やはり彼は孔子の「論語」と、その後成立した儒教との相異に気が付いていた。伊藤仁斎は、伝統が綿々と受け継がれ、文化が爛熟した豊かな京都において育ったため、原理主義的で抑圧的な朱子学に相当な違和感を覚えたのだろう。孔子の言行は人間味があるが、その後、官学となった儒教は皇帝の権威の正当化や社会統治のための教学に過ぎず、非常に抑圧的で残忍な面もあり、それを見抜いたのだ。日本は思想的にも海外の影響は受けつつも、それを日本の風土に適合させる才があるようである。

 

著者の主張は簡潔であり、儒教と孔子は無関係であり、統治の正当化でしかない儒教ではなく、孔子の「論語」に立ち返ろうというものである。儒教を問わず、教祖とは全く違う教理になっていくのは東西問わずであり、キリスト教もカトリックの教理は、ペトロなどほとんどその後の解釈によって創作されたものであって、イエス・キリストの教えとは明らかに相いれないだろうと考えられるものも多い。聖地奪還のためにイスラム教徒を大量虐殺し、南米ではいくつもの王朝を滅ぼし、宣教したついでに世界各地に植民地をつくり現地人を奴隷化した。聖書のどこに侵略せよ、虐殺せよ、奴隷化しろと書かれているのか教えてほしい。妻帯禁止・禁酒・中絶禁止・同性愛禁止なども聖書には明確に書かれていない。

 

それに忘れ去られていた人が、後世に見直されて偉人とされることはよくある話で、音楽の父ことヨハン・セバスティアン・バッハは死後は暫く忘れられていた。メンデルスゾーンがバッハの「マタイ受難曲」を100年ぶりに演奏してバッハが再発見されたのである。モーツァルトも神童だったのは事実だが、就活には失敗して若くして亡くなった。当時は明らかに好敵手のサリエリのほうが社会的地位も人気も上だった。いったん忘れられた人が祀り上げれることはよくある話で孔子もその一人ということになろう。

 

本書を読んで、少し論語への興味がわいた。中国思想には疎いので、良い機会なので中国思想関連の本も読んでみようかと思う。良くも悪くも中国は大国であり、その国の思想を学ぶのは有益であろう。

 

 

在宅勤務が続いているが、今住んでいるところは手狭ゆえ引っ越しを検討中である。オフィスが縮小されたため在宅勤務が恒常化する予定であるので、通勤は度外視して在宅の快適さや住みたい街を基準に選ぶことができる。本書は副題にオリンピック後とあるがあまりオリンピックの話はフォーカスしていない。本書の視座は、働き方改革により、より自由な働き方が実現することで、より街に根をおろして生活できるようになるため、通勤に便利だからとか駅近などの重要性は下がり、街自体の魅力が重要になるだろう点にある。コロナで在宅勤務が一般化し、交通利便性という点は重要性が下がり、本書の指摘する「住む」「働く」「暮らす」により構成される「街」の魅力が急速に高まっている。非常に論は分かりやすく、また東京の23区の居住環境案内としても良い。オリンピックという副題にとらわれずに引っ越し検討中の人や不動産に興味ある人には手に取ってほしい本である。

 

高度成長期は、夫が働きに出て妻は専業主婦の家庭が多く、より良い住環境を求めて郊外の一戸建てが人気だった。しかし、最近では共働き世帯が増加したため、より交通利便性が高い都心エリアが人気になっている。また、共働き夫婦の場合は世帯年収が高いので、例えば、一人の稼ぎでは手が届かない湾岸エリアのタワマンなども候補に入ってくる。ただ著者はタワマンにはやや懐疑的で、工場跡地のように土壌がよくない場合や、住民同士の交流はなく街としての体をなしていない場合がほとんどで、また修繕費も高額になり今度の維持管理に不安があり、おまけに湾岸エリアは塩害も深刻で、高層階は強風で窓も開けられないし洗濯物も干せないなど制約が多いという。不動産投資としての購入や賃貸で一時的に住むのは良いかもしれないという。

 

実際、当方もタワマンに憧れるが、(買えないひがみもありつつも)実際のところいろいろ話を聞くと住みやすくはなさそうである。まず、通勤時間帯はエレベーターが行列で下に降りるのに十数分かかり、またタワマン1棟できるだけでも急激に人口が増加するが、駅や周辺施設のキャパをオーバーして混雑が酷いという。湾岸エリアは小学校不足が深刻だそうだ。武蔵小杉の場合は駅に行列ができて改札通るのに通勤時間帯は数十分待ちだったそうだ。当方も、通勤していた時は大手町のビルの高層階だったが、エレベーターでの移動はたしかにかなり面倒だった。あのストレスが日々の生活でも生じるのは辛いだろう。「高層階病」に悩まされる人も結構いるらしい。

 

それにしても昔はどこの沿線かにこだわる人が多かったそうだが、今は以前よりもどこの沿線かは重視されない。昔にもてはやされた沿線は混雑が酷く、また沿線住民が一気に高齢化してきており、また都心回帰で人気の沿線でも郊外エリアは人気が落ち活力が失われているという。また、相互乗り入れが増えたので、ハイソなイメージの東横線も副都心線に接続され、池袋を通過して埼玉の和光市までつながっている。利便性は向上したが、東横線の持っていたステータス性は薄れてしまった。沿線にこだわるメリットが減退しているのだ。また、これによっていままでは不便だった駅も利便性が上がっている。

 

人気だった街が世代交代せずに一気に高齢化して空き家だらけになることはしばしばある。典型なのが田園調布で、高さ制限でマンションなども建設できず、商業施設もないために不便であり、また土地が広過ぎて買い手もつかないという。世田谷区や大田区などではすでに空き家がかなり多いが、これから相続問題が深刻化するだろうといわれている。新規参入者はおらず人が出ていく一方でゴーストタウンまっしぐらだそうだ。一方で、大学の誘致に成功した中野や北千住は交通利便性も相まって人気の街に様変わりした。住民が新陳代謝しない街は廃れていく運命なのだ。

 

コロナがまだ終息を見せていないが、これから変異種が流行すれば来年ぐらいまで自粛が続くかもしれない。在宅勤務に慣れてしまうと、また満員電車で通勤するライフスタイルには戻れまい。在宅勤務が一般化することで、住む場所の自由度は格段に高まる。当方もいろいろな面から引っ越し先を検討中だが、本書は交通利便性の重要性は落ちているというが、しかし、都心部は娯楽が多いので都心エリアへのアクセスの良さは、通勤をおいておいても確保しておきたいところ。ただ交通利便性が良くて、在宅勤務のためにある程度の広さも必要で、さらに住環境が良いとなると賃料の問題が出てくる・・・。いやはや、住む場所選びは大変だ。