『ヴィンランド・サガ』の元ネタの解説 | 胙豆

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傲慢さに屠られ、その肉を空虚に捧げられる。

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書いていくことにする。

 

僕は去年の三月ごろに、『ヴィンランド・サガ』の元ネタの考察と題して一つ、考察記事のようなものを書いている。

 

なのだけれど、あの内容について、書いてからずっと酷い内容だと思っていて、あの内容は本当にどうかと思うので、新しく元ネタの記事を書くことを考えていた。

 

あの記事はちょっと趣味に走りすぎて専門的な話ばかりをしてしまって、読む人のことをあまり考えていない記事だったからね、しょうがないね。

 

『ヴィンランド・サガ』の原作たる『赤毛のエイリークのサガ』とか、『グリーンランド人のサガ』とかの話も一応あるけれど、道教とかの専門的な話があって、あの内容はあの内容で良いと思うけれど、小難しすぎたと思う。。(参考)

 

もう一つ『ヴィンランド・サガ』の話を書こうと考えたのは去年の5月頃で、今この文章はその次の年の2月に書いているけれど、なんでこんなに遅れたかと言えば、純粋に…めんどくさかったからになる。

 

2019年の後半とか『ヴィンランド・サガ』のアニメがやっていたのだから、そのころに記事を出せばアクセス数が稼げたかもしれないけれど、アクセス数が増えたところで僕に大したメリットはないのであって、「まぁいいや」という気持ちで書かないで来た。

 

嫌なことは後回しにするとあの日の僕は決めたからね、仕方ないね。

 

けれども、今回は『ヒストリエ』の解説記事とか『ぼくらの』の解説記事を書くのが嫌で、それを後回しにするために『ヴィンランド・サガ』の元ネタの解説を書くことにした。

 

とはいえ、大した内容になる予定がなくて、僕がおそらくこれが元ネタなのだろうと思った描写をただ上げていくだけの記事ですはい。

 

まず、あからさま過ぎて解説を入れる必要もないだろうと思うようなところからやっていく。

 

『ヴィンランド・サガ』の序盤にフランク人の指揮官としてジャバザという人物が出てくる。

 

(幸村誠『ヴィンランド・サガ』1巻p.71 以下は簡略な表記とする)

 

ここでこの太った口デカ男がジャバザと呼ばれている。

 

まぁなんつーか、『スター・ウォーズ』のジャバ・ザ・ハットが元ってことでいいと思う。

 

(https://starwars.disney.co.jp/character/jabba-the-hutt.htmlより、ジャバ・ザ・ハット)

 

『スター・ウォーズ』を見たことがあって、このジャバザという名前に気づけた人はまぁ、ジャバ・ザ・ハットが元だとすぐに分かっただろうけれども、こんな一コマだけのセリフは見逃すことも多いだろうし、そもそも『スター・ウォーズ』を誰しもが見ているとは限らないだろうので、一応の意味で書いておきます。

 

とはいえ、『ヴィンランド・サガ』に出てくるジャバザ将軍はどっちかと言うと、『北斗の拳』に出てくるゲイラが元だろうとは思うけれど。

 

(武論尊・原哲夫『北斗の拳』16巻p.152)

 

こいつの名前はゲイラって言って、息をするのもめんどくさいような人物だけれど、『スター・ウォーズ』のジャバ・ザ・ハットの性格はパッとしなくて、一方で『ヴィンランド・サガ』のジャバザ将軍とゲイラは性格が少し似ているので、普通にジャバザ将軍の元ネタはゲイラだと思う。

 

ジャバ・ザ・ハットは犯罪組織のボスで、ゲイラの方は小規模な軍隊の指揮官というか拠点の隊長で、ジャバザ将軍は小規模な軍隊の指揮官だから、ゲイラの方がイメージとしては近い。

 

まぁゲイラの元ネタもジャバ・ザ・ハットなので(参考)、"そこらへん"が元ネタということでいいと思う。

 

次に、どうやら幸村先生は岩明均先生の漫画が好きらしいという話がある。

 

『ヴィンランド・サガ』の作中のいくらかの描写について、おそらく岩明均先生の『寄生獣』や『ヒストリエ』に由来している様子がある。

 

まず、トールズはアシェラッドの軍団に襲撃された際、アシェラッドが敵の首領であると一目で見抜くというシーンがある。

 

(2巻pp.154-156)

 

トールズは一目でアシェラッドがボスだと見抜いて、周りがそれにざわついて、アシェラッドは何故そう思うとトールズに聞いている。

 

『寄生獣』では、主人公の新一が一目で敵のリーダーを見抜いて、周りがそれに動揺して、そのリーダーが新一になんでそう思うと聞くシーンがある。

 

(岩明均『寄生獣 完全版』3巻pp.121-122)

 

どちらも相手のボスを見抜くことで発言者が強キャラであるということを描写している。

 

一応、トールズの方は匂いだと言っていて、新一の方は強そうだという話で見抜いた理由は違うのだけれど、トールズにここで新一と全く同じことを言わせるのは普通にアレなので、そこのところは改変しているのだと思う。

 

次に、アシェラッドは仲間たちの裏切りのよって窮地に立たされて、けれども、お別れにと、これまでのことを振り返るようなことを言った後に、一言相手を驚かせる言葉を言って一転攻勢する場面がある。

 

(5巻pp.141-142)

 

一方で『寄生獣』にも裏切りによって囲まれて窮地に立たされて、お別れの言葉にこれまでのことを振り返るようなことを言った後に、一言相手を驚かす言葉をつぶやいて、そこから一転攻勢する場面がある。

 

(『寄生獣 完全版』6巻pp.85-88)

 

『ヴィンランド・サガ』にしても、『寄生獣』にしても、この後急に動き出して何をするかと言えばまず逃走で、『寄生獣』の方が発表が古いのだから、『ヴィンランド・サガ』のアシェラッドの先のシーンは『寄生獣』の田村玲子のそのシーンが元ということでいいと思う。

 

他にも岩明先生の漫画が元なのだろうという描写はあって、岩明先生の漫画のことが幸村先生は好きなのだと思う。

 

『寄生獣』は広く漫画家に好まれているようで、例えば『Gantz』にも『寄生獣』由来の描写はあるし、『HELLSHING』のおまけ漫画や『ドリフターズ』にも岩明先生の漫画由来の話があるし、『なるたる』という漫画の中にも『寄生獣』に由来する描写が存在しているし、『ラブやん』の作中に『寄生獣』のパロディ回がある。

 

『しゅーしゅくしゅ!』って漫画とかだと、作中で体内に居る寄生虫が「右手を見んな」と言うシーンがあるし、まぁ結構『寄生獣』は漫画家さんたちに読まれているらしい。

 

そして幸村先生は『寄生獣』が好きらしいということはそうなのだけれど、それだけではなくておそらく岩明均先生の『ヒストリエ』のことも好きである様子がある。

 

トルフィンは父親を殺された際に、以下のように叫んでいる。

 

(2巻p.223)

 

ここで「よくも!!〇〇を××たなァァアアッ!!」とトルフィンは叫んでいるけれど、『ヒストリエ』の主人公であるエウメネスも、父親を殺されたこととか踏まえた怒りを次のような形で吐き出している。

 

(岩明均『ヒストリエ』3巻p.20)

 

冷静に考えてみて、人間そこまで「よくも〇〇を××たなァ!」なんて普通叫ばないのであって、トルフィンもエウメネスも同じように子供で、同じように父親を殺されて「よくも〇〇を××たなァ!」と叫んでいて、且つ『ヒストリエ』の方が時系列的に先行しているのだから、『ヴィンランド・サガ』の先のトルフィンの怒りの叫びは『ヒストリエ』のエウメネスが元ということでいいと思う。

 

トルフィンは「よくも!!よくも」と言っていて、エウメネスも「よく…も よくも」と言っている。

 

(岩明均『ヒストリエ』3巻p.19)

 

そして、良く見るとトルフィンのポーズとかエウメネスの叫んでる時のポーズと似ている。

 

(2巻p.223)

 

(『ヒストリエ』3巻p.24)

 

腕の角度とかは違うけれど、前屈みで叫んでいるのは同じであって、トルフィンの叫びはエウメネスの叫びをイメージしているのかもしれない。

 

そして、このことは『ヒストリエ』の解説の時にも言及したけれど、『ヴィンランド・サガ』では物語全体を通して復讐は無意味だという話がされている。

 

(13巻pp.176)

 

一方で『ヒストリエ』においても復讐はくだらないという話になっている。

 

(『ヒストリエ』5巻p.96)

 

他には『ヒストリエ』の物語は現在→過去(幼少期)→冒頭の続きという物語の構成になっていて、『ヴィンランド・サガ』も同じ構成だし、どちらの主人公も物語の途中で奴隷身分になった後に、色々あって自由の身に戻っている。

 

この辺りももしかしたら岩明先生の漫画の描写が元になっているのかもしれない。

 

・追記

ガルムの槍についてなのだけれど、あの組み立て式で仕込みのある槍を僕はどっかで見たことがあるという強い既視感を覚えていた。

 

(19巻pp.132-133)

 

こういう槍をどっかで見たことあるなとずっと思っていたのだけれど、さっき、『ヒストリエ』に登場することを思い出した。

 

(『ヒストリエ』5巻p.130)

 

こういう風に『ヒストリエ』にも組み立て式の槍が登場するし、ガルムの槍は木にぶつかったときに分解したけれど、マケドニアの槍も木にぶつからないように分解して運ぶのだから、もしかしたらガルムの槍はこの辺りから着想を得ているのかもしれない。

 

とはいえ、マケドニアの槍は中に槍を仕込んではないのであって、確実にここから来ていると言える内容でもない。

 

追記以上。

 

そして、このことも『ヒストリエ』の時に言及したのだけれど、このように岩明先生の漫画の描写が『ヴィンランド・サガ』で見られる一方で、逆に『ヒストリエ』の中に『ヴィンランド・サガ』に由来するであろう描写が存在している。

 

『ヒストリエ』の11巻に次のような独白がある。

 

(『ヒストリエ』11巻p.142)

 

ここでエウメネスは「実はおれ王様のことがすんげぇ嫌いで」とか「その場で首をスパーー」と言っている。

 

おそらく、これは『ヴィンランド・サガ』の話なんだよな。

 

具体的にはアシェラッドがスヴェン王を殺したシーンです。

 

(8巻pp.65-68,76-77)

 

『ヒストリエ』でエウメネスはあのように言っていたけれど、それほど巷に王様の首をその場でスパーーっと斬って問題解決する物語が存在しているとは思えないし、アシェラッドは顔が気に入らない、遠回しに嫌いだと言って殺しているので、普通に『ヒストリエ』の先のセリフはこのスヴェン王の死のシーンの話だと思う。

 

実は大っ嫌いで云々はまぁ、「豚にも劣る暗愚なデーン人どもよ」のシーンということでいいと思う。

 

(5巻p.142)

 

岩明先生、『ヴィンランド・サガ』読んでるんですね…。

 

さて。

 

ここら辺まではまぁそうである可能性が高いような話なのだけれど、以下では少し信用度が低いような話を書いていく。

 

『ヴィンランド・サガ』ではトルケルにグズリーズが詰め寄るシーンがあるけれど、あれはおそらく『バキ』の梢が元だと思う。

 

グズリーズはトルケルという絶対に勝ち目のない相手に恋心が理由で殴りかかって色々言っているけれど、『バキ』にも同じように絶対に勝ち目のない相手に情愛が理由で蹴りかかって色々言う場面がある。

 

(22巻pp.180-181)

 

こういう風に殴りかかって行っているけれど、『バキ』では梢が花山を蹴っている。

 

(板垣恵介『バキ』13巻pp.69-74)

 

おそらく『ヴィンランド・サガ』の先の場面はこの梢が元だろうと思うけれど、梢に比べてグズリーズは可愛いなぁ…。

 

(同上)

 

引用しつつ思ったのだけれど、このポカポカするグズリーズを見下ろすトルケルは先の花山薫と結構構図が似ている。

 

(同上)

 

具体的に言えば背筋とか。

 

加えて、グズリーズは「アタシが相手になってやらァ」と言っているけれど、刃牙の作中に愛が故にそのように絶対に勝ち目のない相手に「あたしが相手だ!」と言って殴りかかるシーンがあるから、そのセリフはそこからなのかもしれない。

 

(板垣恵介『グラップラー刃牙』20巻pp.28-30)

 

確かなことは言えないのだけれど、なんとなく先の梢と朱沢江珠のこのシーンを足して二で割ったようなイメージで、グズリーズのポカポカは描かれたのではないのかなと思う。

 

個人的にここら辺が元ネタなんじゃないかなと思うけれども、他に刃牙に由来するような描写に覚えがないから、このことは何とも言えない。

 

最後に、これは時事ネタなのだけれど、このシーンについてがある。

 

(22巻pp.96-97)

 

これは映画の『シャイニング』のパロディですね。

 

(Amazonプライムビデオより)

 

僕はこの映画を見たことはないのだけれど、ちょうど先の引用のトールズのシーンが描かれる少し前に、ネット上でこのシャイニングのパロディが一時的に流行ったという時期があった。

 

pixivとかあんまり行かないから分からないのだけれど、twitter上でこの『シャイニング』の顔のパロディのイラストを幾たびか見たことがあって、なんかよう知らんけど流行っていたらしい。

 

多分、Amazonプライムビデオで見ることが出来たからだろうけれども。

 

おそらく、幸村先生もそういうところから『シャイニング』の存在を知って、トルケルでパロディを描くことにしたのだと思う。

 

トルケルは途中からネタキャラと化していて、そういう風なパロディをトルケルは良く演じている。

 

(19巻pp.90-91)

 

最後のトルケルの「元気があれば何でもできる!」ってセリフはどう考えても元プロレスラーにして元国会議員のアントニオ猪木のセリフであって、トルケルはこのようにコミカルなキャラクターに途中からなっている。

 

…アントニオ猪木の名言が元だなんて説明する必要あるのか?とも思うけれど、世代的にそろそろアントニオ猪木を知らない人も出てくるころで、若い人だとジャイアント馬場のことを知らない人も多いはずで、いずれこのトルケルのセリフも元ネタが行方不明になるのだから、一応の意味での補足です。

 

トルケルの話が続いたけれど、トルケルとガルムって血は繋がっているのだろうか。

 

(20巻p.106)

 

ここでアスゲートがガルムのことをトルケルの落しダネかもと言っているけれど、ガルムとトルケルの髪型ってそっくりなんだよな。

 

(20巻p.108)

 

一方でガルムの回想では一応トルケルではない父親が居る様子がある。

 

(22巻p.71)

 

ガルムの父親はガルムのことを自分の子だと思っていないらしくて、ガルムの父親がトルケルだという含みを持たせた描写になる。

 

…このような関係の親子の話は『ベルセルク』のロシーヌがそうだけれども、これもそこが元だったりするのだろうか。

 

どっちも回想の中でその話がされるから、その可能性はないではない。

 

それはともかく、実際のところトルケルとガルムの関係性については、『ヴィンランド・サガ』で描かれない限り分からない。

 

けれども、今現在アフタヌーンに掲載されている『ヴィンランド・サガ』だと、ギリシアの話すっ飛ばしてそろそろヴィンランドに出発しそうな話が描かれているから、ガルムの出自についての話が本編中で描かれるかどうかは分からない。

 

結局、『ヴィンランド・サガ』だとトールギルが何処かに旅立ったという話があるけれど、トールギルのその後を幸村先生が描くつもりにいるとはとても思えなくて、ガルムも同じような感じで特に本編中で拾われずに終わるような気がしてならない。

 

 

(14巻p.166)

 

トールギルは結局、農場に居たら問題があるし、さりとてクヌートの親衛隊に戻るのはトールギルの性格的に変な話だし、だからって行くあてなんて本編中で描かれていないから、このようにどっかに行ったという話で終わっているのだと思う。

 

『ワンピース』の考察とかだとこういうのまで伏線扱いだけれども、こういうのは伏線じゃないと思うんだよなぁ…。

 

そんな感じの『ヴィンランド・サガ』の元ネタの解説。

 

本来的に、『センゴク』の中で地面に耳を当てて敵軍を探るシーンがあって、時系列的には"耳"の登場より『センゴク』のそのシーンが描かれたのは先だから、『ヴィンランド・サガ』の耳の元ネタはこれなんじゃないかという話を書こうとしたけれど、他に『センゴク』由来っぽい描写も見つけられなかったし、僕が知らないだけであのように耳を地面に当てて敵を探る描写がある創作物があるかもしれないから、特に言及しないでおく。

 

(宮下英樹『センゴク』2巻p.148)

 

音探ってる人、耳に似てるんだよなぁ、髭とか。

 

あり得る可能性は、『センゴク』の宮下先生と『ヴィンランド・サガ』の幸村先生が共通の創作物からその発想を得たか、別途に思い付いたか、幸村先生が『センゴク』を読んだからというそれしか想定できないけれど、そのどれとも断言する材料があるわけでもない。

 

他には、船では行けないところを移動するために、船を人力で陸上輸送する描写が『ヴィンランド・サガ』にあって、そのような描写が『夢幻のごとく』って漫画に存在するのだけれど、これも同じように似たような発想が違う創作物に存在しているかもしれない。

 

とりあえずは以上になる。

 

どうですかね。

 

どうなんですかね…。

 

この内容だと表題に解説という言葉じゃなくて考察という言葉を据えたいけれど、前回考察という表現を使ってしまったので、やむなく解説という言葉を選ぶことにした。

 

まぁ"考察その2"とかでも良かったのだけれど、考察と解説の言葉遣いの差なんて僕にとっての問題でしかないから、適当に解説ということにした。

 

今後、『ヴィンランド・サガ』の何かを書くとしたならば、『グリーンランド人のサガ』とか『赤毛のエイリークのサガ』を読むしかないけれど、サガ文学のつまらなさはちょっと尋常ではないので、そういうことはしないから、これが『ヴィンランド・サガ』の最後の記事だと思う。

 

『ヒストリエ』の解説とか『ぼくらの』の解説とか書くことあるから、わざわざサガを読んで解説記事を書いたりはしないなぁ…って。

 

『ヴィンランド・サガ』は好きだけれど、サガ文学は嫌いだからね、しょうがないね。

 

そんな感じです。

 

では。

 

・追記

アシェラッドは王の間合いに既にいると言って王と衛兵たちを脅している。

 

(同上)

 

一方で横山光輝先生の『史記』でも王はいつでも殺せる距離にいると脅すシーンがある。

 

(横山光輝『史記』6巻pp.71-72)

 

王様の前に詰め寄って、剣を片手にもういつでも殺せる距離にいると恫喝して啖呵を切るという創作物はそれほど多くないのだから、『ヴィンランド・サガ』の先のシーンがこれが元という可能性はあるのだけれど、『寄生獣』や『バキ』と違って、こんな漫画読むか?ってくらいマイナーな漫画で、正直、アシェラッドの恫喝がこの『史記』の恫喝のシーンが元であるとは判断できないと思う。

 

普通こんな漫画読まないんだよなぁ…。

 

とはいえ、僕によるねっとりとした検証で、『ドリフターズ』とかの平野耕太先生はこの横山光輝先生の『史記』を読んでいて、『ドリフターズ』作中に『史記』に由来する描写が存在していると分かっているので(参考)、もしかしたら幸村先生もこの『史記』を読んでいるのかもしれない。

 

…。

 

いや、多分読んでないよなぁ…。

 

・追記2

ガルムは幼少の頃、遊んでいるときに相手の耳を食いちぎったという話がある。

 

(同上)

 

一方で幸村先生は『シグルイ』を読んでいる様子があるのだけれど、その『シグルイ』の中で、ガルムと同じように達人である伊良子清玄が幼少期に耳を食いちぎったという話が回想の中である。

 

(山口貴由『シグルイ』2巻p.96)

 

ガルムの特殊な槍術はおそらくは『シグルイ』由来で、あの技はこの伊良子清玄も用いていて、幸村先生は『シグルイ』を読んでいる様子があるのだから、多分、ガルムの回想は伊良子の話が元だと思う。

 

どっちも達人で、その強さは幼い頃からだったという話の流れで、相手の耳を引き千切るだけではなくて、同じように食いちぎっているのだから、ガルムのあの話の元は伊良子の先の引用である可能性はあると思う。

 

まぁガルムの続く幼くして大人を殺したという話は『バガボンド』あたりからだろうとは思う。

 

とはいえ、伊良子もこの後、幼くして大人を殺害しているのだけれども。

 

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