書いていくことにする。
僕は平野耕太先生の漫画が…というよりも、平野先生の端々に見られる言動が好きで、twitterで平野先生のアカウントをフォローしているし、平野先生のブログも読めた範囲では全部読んでいる。
まぁもちろん漫画も好きなのだけれども。
昔は『HELLSING』の少佐の演説を暗唱できたのだけれども、今は八割くらいしか覚えていない。
衰えたものだよなと思う。
ともかく、そういうことがあるから、平野先生の漫画の作品の中にあるある程度の描写について元ネタが分かったり分からなったりしていて、ただその数はそんなに多くはないから、今回はちょっとした解説です。
まず、そもそも『ドリフターズ』の大枠の元ネタについてなのだけれども、英雄が召喚されて戦うというテンプレートはまぁ『Fate』からということで良いと思う。
今現在でいうと『Fate grand order』が一番あれだろうけれども、平野先生の場合世代的に、エロゲの『Fate』に着想を得ていると思う。
まぁ『HELLSING』の裏表紙で『Fate』の話してたしな。
(平野耕太『HELLSING』8巻裏表紙)
僕は『Fate』については遠坂が攻略対象のやつとカニファンしか見たことないから良く分からないのだけれども。
加えて、立身出世というかなんというか、一兵卒から一国の王になって覇を唱えるという『ドリフターズ』の物語の骨格については、成年向けのゲームである『うたわれるもの』や『ランス』シリーズが着想の元だと思う。
平野耕太先生自身、『ドリフターズ』の作者コメントで『戦国ランス』の話をしているし、確実にプレイしている。
(平野耕太『ドリフターズ』1巻袖 以下表記は簡略なものとする)
僕は『ランス』シリーズはプレイしたことがないのだけれども、『戦国ランス』は戦国時代っぽい世界で、天下を統一するようなゲームだということは知っている。
だから、『ドリフターズ』の物語に与えているものはあると思う。
同じように平野先生は『信長の野望』シリーズのヘビーユーザーで(参考)、『信長の野望』と同じようにコーエーが出している『太閤立志伝』もプレイしていて(参考)、この『太閤立志伝』は一兵卒から大名になって天下統一するようなゲームだから、そういうゲーム類が『ドリフターズ』の物語を形作っているところはあると思う。
それと『ドリフターズ』という名前自体は志村けんとかのザ・ドリフターズを意識したちょっとした諧謔だと思う。
物語全体についてはまぁそんなところだけれども、細かいところでおそらくここが元ネタなんだろうなと思える描写がある。
(4巻p.16)
空飛んで怪光線出して巨大化して、というのはおそらく何らかのゲームに元ネタがあるのだろうけれども、僕はゲームはあまりやらないので分からない。
『戦国無双』とか『戦国BASARA』とかの話なんですかね?
次の、この世界を魔界に変えたり、とかもゲームで何らかあるのだろうと思うけれども、初代の『鬼武者』とか『鬼武者2』とかそんな話じゃなかったっけとうろ覚えの記憶がある。
けれども、最後の真ッ二つでお茶たてたり、は『へうげもの』の信長の話だということは確かだと思う。
あの一連の描写、あまりにシュールだからね、仕方ないね。
(山田芳裕『へうげもの』2巻pp.218-220,3巻pp.1-9)
山田先生はクソ真面目にやってるんだろうけれども、あまりにシュールで平野先生がネタにするのは仕方がないと思う。
他にはドワーフについてでいくつかある。
まず、「むしゃぶるいがするのぅ」というセリフについて。
(6巻p.51)
これは大河ドラマの『風林火山』の庵原之政の「武者震いがするのう!」というセリフだと思う。(参考)
まぁ偶然被っただけかもしれないけれども、平野先生はニコニコ動画を見ていて(後述)、この「武者震いがするのう!」というネタについて知っていてもおかしくない。
そもそも平野先生の世代的に『風林火山』をリアルタイムで見ていた可能性は高くて、そうとするとやはり、「武者震いがするのう!」というセリフは『風林火山』が元だと思う。
ドワーフはこの後、くっつくタイプの爆弾を投げつけるのだけれど、これについても元ネタは見当がついている。
(6巻pp.53-55)
このくっ付くタイプ爆弾はおそらく、映画『プライベート・ライアン』に出てくる"くっつき爆弾"が元だと思う。
実際『プライベート・ライアン』には爆弾を靴下に入れてグリースを塗りたくって敵戦車に爆弾をくっつけるという場面が存在していて、平野先生は『プライベート・ライアン』を見ているっぽいから(参考)、この描写は『プライベート・ライアン』由来と考えていいと思う。
まぁ『プライベート・ライアン』の登場人物のアパムの話をしているから、見ているのだろうけれども。(参考)
実際、映画の中では物陰に隠れて機を伺って、やおら飛び出し戦車の死角から忍び寄って爆弾をつけるという方法が取られていて、『ドリフターズ』にしても死角に隠れてそういうことをしている。
(同上)
『プライベート・ライアン』は僕が一番好きな映画で、人生の中で最も見た映画だから、くっつき爆弾のことは印象に残っているのだけれど、まぁそんなに回数見なくても印象的な兵器だし、そんなにくっつくタイプの手作り爆弾の話が巷にありふれているとも思えないので、普通に『プライベート・ライアン』が元と考えても問題ないと思う。
次に、高転びというセリフがある。
(6巻p.193)
信長が天下取りの最中に本能寺の変に敗れて転落したことを高転びと言っているけれども、高転びって中々聞かないよね。
なのだけれども、創作物の中で「織田信長が天下取りに失敗する」という意味で"高転び"というセリフが使われているそれがある。
『センゴク 天正記』にそういうセリフがあって、おそらく、平野先生は『センゴク』を読んでいて、そこからこの信長のセリフが来ているのだと思う。
(宮下英樹『センゴク 天正記』10巻pp.57-61)
"高ころび"という言葉は本能寺の変が起きるまでに結構出てくる言葉であって、かなり印象深いそれになる。
おそらく、『ドリフターズ』の"高転び"もこの『センゴク』の話が元だと思う。
そもそも、『ドリフターズ』のおまけ漫画で、創作物で描写される明智光秀は真面目人間か変態かのどちらかだという話がある。
(6巻p.232)
確実に平野先生が読んでいるだろう『へうげもの』の明智光秀は真面目人間として描かれていて、『センゴク』の明智光秀は変態として描かれている。
『センゴク』で明智光秀が本能寺の変を起こした動機は、信長のことが好きすぎて、けれども愛してしまうと失ったときに耐えられないから愛せなくて、信長に対しての愛憎と自身にある獣性と理性の中でひたすら迷って、ふと自分が迷っているように信長も迷っているだろうということに気が付いて、その信長の迷いを断ち切るために殺すしか方法がないと理解し、信長のために本能寺の変を起こすという、ちょっと何言ってるか分からない理由だから、『センゴク』の明智光秀はまぁ変態に部類されると思うのだけれども、僕は他の明智光秀でこのような形で変態的に描写されている例を知らない。
『戦国無双』とか『戦国BASARA』とかそうなんですかね?(無知)
個人的に変態な明智光秀の例を他に知らなくて、『センゴク』の明智光秀は変態だし、作中で"高ころび"という言葉が出てくるところを考えると、平野先生は『センゴク』を読んでいるのだと思う。
ちなみに、『センゴク』なのだけれども、無印まではクッソ激烈につまらなくて、けれども大体天正記くらいから面白くなって、一統記からはクッソ激烈に面白いから僕は好きです。
次に、『ドリフターズ』作中で「荷がかちすぎる」という言葉がある。
(6巻p.174)
"荷がかちすぎる"ってあんまり使わないよね。
この言葉は漢字だと"荷が勝ちすぎる"と書くのだけれど、何故だか平野先生は平仮名でこの言葉を使っている。
"荷が勝ちすぎる"と書けば意味は分かるのに、何故か"荷がかちすぎる"という表現を用いているのだけれども、おそらく、平野先生は文字に書かれた形でこの表現と出会ったのではなくて、耳から聞く形でこの表現を覚えたのだと思う。
まぁ、目で見て文字で知った場合、"荷が勝ちすぎる"と書かない理由はないし、"勝ちすぎる"と覚えたのならば、漢字でその言葉を用いない理由もない。
とするとやはり、耳でその表現を聞いて覚えて、このシーンを描くことになったのだと思う。
そして、何処で聞いたかの検討は大体ついている。
平野耕太先生は『Civilaization5』という戦略ゲームのプレイヤーで、時々civ5の話をしている。(参考)
そのciv5のプレイ動画がニコニコ動画に存在していて、特に「モアイ経済」という動画が有名なのだけれども、その動画内に「荷が勝ちすぎる」というセリフが存在している。
平野先生がciv5やってて、一方でciv5のプレイ動画の中でその言葉があるだけだと『ドリフターズ』のセリフとの関係性は一切ないと考えたほうが良いけれども、平野先生はその「モアイ経済」の動画を見ている。(参考)
平野先生は機械化歩兵の状態でハカを踊る話をしているけれども、モアイ経済(7)の中でその話がされている。(参考)
とすると、平野先生はこの動画シリーズを見ているわけであって、その(7)を見ている以上、それ以前の動画も見ているという可能性が高くて、(6)の時に「荷が勝ちすぎる」と言っている。(参考)
実際、両者ともに敵に対して兵力が少ないことを言って荷が勝ちすぎるとしているから、確実なことは言えないけれども、多分、あのセリフはこのモアイ経済動画が元だと思うよ。
ちなみに、モアイ経済動画の時ではないのだけれども、同じ作者のciv4の動画であるスパイ経済の(10)の時に、「武者震いがするのう!」というネタがあるし、平野先生はciv4もプレイしているから(参考)、これについてもそこからという可能性はないではない。
まぁ実際のところは良く分からないのだけれども。
次に、韓信についてがある。
『ドリフターズ』の5巻の表紙裏に、エンズ候補として韓信という古代中国の武将が挙げられている。
(5巻表紙裏)
韓信についての端書きは史実通りというか、古代中国の歴史書である『史記』に書いてある通りなのだけれども、おそらく、この言及は横山光輝先生の漫画版『史記』に由来するそれだと思う。
韓信の事績は『史記』か『漢書』さもなければ、そういう歴史書を材料にした小説くらいにしか存在していないと思うけれども、冷静に考えて、漫画家が歴史書である『史記』や『漢書』を読むのか?ということがある。
僕は『史記』が好きで結構読んでいるのだけれども、正直、読むのは怠いしキツイ。
慣れてくればそこまで辛くはないのだけれども、文化の違いというか表現方法の違いというか、とにかく読んでいて疲れる内容の本が『史記』という歴史書になる。
そして、『史記』は堯舜といった中国の伝説上の王様の記述から始まっていて、韓信の事績については本当に後ろの方に書かれている。
韓信について書いてある"列伝"というパートから読み始めたと考えたとしても、中々難しいところがあって、『史記』の"列伝"は岩波文庫から出ていて、文庫本で五冊分の分量があって、韓信の記述はその三冊目にならないと出てこない。
そんなものをわざわざ読んでいるとは思えない。
だから読みやすい漫画版の横山光輝先生の『史記』を読んだのだろうと僕は思うし、平野先生が描いた韓信は微妙な顔をしているのだけれども、漫画版の『史記』では韓信の顔が冴えないそれだったと書かれている。
(横山光輝『史記』11巻p.6)
こういう風に容貌も見栄えしなかったと書いてあるのだけれども、実際の『史記』の韓信についてのテキストである「淮陰侯列伝」のこのシーンには韓信の容姿については特に言及がない。
「淮陰侯列伝」にはチャランポランだったということは書いてあっても、容貌が見栄えしないという言及はない。
「淮陰侯韓信は淮陰の人である。はじめまだ庶民であったころ、貧乏で放縦で、役人になろうにも推薦してもらえず、また生業をおさめて商売を営むことも出来ず、いつも他人の家に寄食し、とかく人から毛嫌いされていた。(司馬遷『世界文学大系 5B 史記』 小竹文夫他訳) 筑摩書房1962年p.182」
以後も別に容姿が劣っているという事柄についての言及はなくて、韓信の事績を考えたら、もっと凛々しい顔をしてしかるべきだと個人的に思う。
正直、韓信の人生はそのままなろうの小説に出来るほどのものであって、個人的に彼の事績については古代中国で書かれた小説や演劇に由来するもので、いくらなんでもあれはフィクションだと思う。
あんな人生を歩んだ人物はフィクション以外ではあり得ないと思う。
事実とするにはあまりに面白すぎる。
そんな人物なのだけれども、他の漂流者or廃棄物候補の人たちに比べて覇気のない顔をしているところを見ると、おそらく、顔が冴えなかったと書いてある横山光輝先生の『史記』に平野先生の韓信の理解があって、平野先生は漫画版の『史記』しか知らないのだろうと思う。
・追記
後々気付いたのだけれども、そもそも『史記』の本文には韓信の顔は優れていると言及がある。
「滕公は(韓信の)そのことばを奇とし、その面構えを壮として、罪を赦し斬ることをやめ、話し合ってみると大いに気に入ったので、参内して王に言上した。(同上p.183 引用文中の()は引用者が補足)」
"壮"ってのは勇ましいとかそんな意味です。
平野先生の韓信についての理解が歴史書『史記』のテキストにあったならば、描く面構えは勇ましくなければ道理に合わないわけであって、横山先生が何故容姿が優れなかったとしたのかは分からないけれども、平野先生の韓信のイメージは横山先生の漫画版に基づいているのだと思う。
追記以上。
漫画版の『史記』には原作の歴史書である『史記』に書かれていないことが当然の権利のように描かれていることも多い。
例えば、『史記』には漢帝国初代皇帝の劉邦の事績について書いてあるのだけれども、『ドリフターズ』にも劉邦についての言及がある。
(5巻p.152)
皆が「放っとけないわー」という感じでサポートして、最終的に帝国を作ったとあるけれども、このことは横山光輝先生の『史記』にも描かれている。
(横山光輝『史記』9巻p.129)
他には劉邦のファンが心配して遠巻きに劉邦を見守っている描写もある。
(同上9巻p.134)
最終的にこの劉邦という人物は帝国を作り上げる。
けれども、このような劉邦が皆に支えなきゃと思われているというような描写が漫画版にはある一方で、悲しいことに原作の『史記』には特にそのような描写はない。
まぁ僕が見逃しているだけなのかもしれないけれども、そのような言及は特に見当たらない。
ないものはないんだから仕方がない。
そういう所を考えると、やはり平野先生は横山光輝先生の漫画版『史記』の読者で、時々言及のある古代中国の話は普通に横山光輝先生の漫画を読んで得た知識なのだと思う。
ちなみに、『ドリフターズ』でオルテの首都を落とした後に、軍閥の指導者が急いで戻って、それに対して伏兵を置いて弓矢で暗殺するという描写があるけれども、これも漫画版『史記』に似たような描写がある。
(5巻pp.54-55)
国主が居なくなって、一番早く国に戻った人間が君主となるというようなシチュエーションが『史記』にはあって、漫画版でもそこは描かれていて、しかも伏兵を以て弓矢で暗殺しようとするところまで描写が重なっている。
(横山光輝『史記』1巻pp.72-73)
これはある国の君主が死んで、先代の子たちが競って帰国を急いだ時に、先手を打って暗殺しようとしたシーンになる。
『ドリフターズ』のシチュエーションとよく似ているし、何より、平野先生はこのシーンで「ジャーン ジャーン」という、いかにも横山光輝先生的な擬音を使っていて、多分普通に頭の中のイメージは『史記』のこのシーンだと思う。
(5巻p.56)
「ジャーン ジャーン」なんて横山光輝先生の漫画くらいでしか出てこないのであって、トータルで考えて、この描写は横山光輝先生の『史記』由来ということで良いと思う。
頭の中のイメージとして漠然と『史記』の先のシーンがあって、それを出力するに際して、横山光輝先生の漫画という印象に引っ張られて、「ジャーン ジャーン」と鳴らしているのだと思う。
最後に、本当に些細な描写なのだけれど、一つ多分これが元ネタなんだろうなと分かるシーンがあった。
(4巻p.151)
ここで銃を使って相手を殺したサン・ジェルミ伯の部下の軍人が、その殺害の容易さに汗を垂らしながら「こ……こりゃあ…」と言っている。
そして、『ヒストリエ』の中で、主人公であるエウメネスが立案した作戦を遂行している人物が、その殺害の容易さに汗を垂らしながら「こ……こりゃあ」と言っているシーンがある。
(岩明均『ヒストリエ』4巻pp.96-97)
平野先生は『HELLSING』の後書きで"ヒストリエの歌"を書くくらいなのだから、『ヒストリエ』の読者であって、そうとするとやはりこのことは『ヒストリエ』に由来していると考えて良いと思う。
(平野耕太『HELLSING』8巻p.230)
平野先生自身が意識してやったかどうかは別だし、実際のところそうなのかは分からないけれども、シチュエーションとセリフがあまりに似ているので、個人的にこれが元ネタということで良いと思う。
というかこのことに関しては偶然だと考える方が不合理だと思う。
これくらいかな。
全体的に僕自身はおそらくそうなのだろうと思うからそう書いたのだけれども、実際のところは分からないような話が多かったと自分でも思う。
何故かこの記事を作るのに二日かかったのだけれども、どうしてそんなに時間食ったのか自分でも良く分からない。
読む人は長くて十数分で読めるだろうけれども、作るのは数時間かかりましたね…。
漫画の解説を書くのに『史記』の該当箇所を確かめてりゃそりゃ、時間はかかるのかもしれない。
そんな感じです。
では。
・追記
創作物では明智光秀は真面目人間か変態のどちらかという話だから、軽く創作物での明智光秀をいくらか調べてみた。
すると、『戦国無双』の光秀は真面目人間だけれども、『戦国ランス』の光秀は変態だし、『戦国BASARA』の光秀も変態らしいということが分かった。
そういえば『信長の忍び』の明智光秀も真面目人間だし、平野先生の言う通りなのかもしれない。
…まぁそれ以上に、プレイしていないから確かなことは言えないとはいえ、『センゴク』の明智光秀が、時系列的にどうやら『戦国BASARA 3』の光秀が元ネタらしいということが分かって困惑しているけれども。
『戦国BASARA』の光秀は白髪だけれども、『センゴク』の光秀も途中から総白髪になるし、どっちも信長に対してヤンホモだし、矛盾する自己に悩みを持っている。
ゲームあんまりやらないからゲームが元ネタだと分かんないんだよなぁ…。
・追記2
気付いていたけれどこの記事を書く際に忘れていたことがあった。
信長は「パカラッてる」という表現を使っている。
(3巻p.205)
これは『ヒストリエ』が元ですね。
(岩明均『ヒストリエ』5巻p.208)
まぁ、だからと言って何があるということもないのだけれど。
・追記3
サンジェルミ伯爵が信長に「煮られろ!」と言っているシーンがある。
(5巻p.152)
これは少し補足しなければ分からないと思うので、補足しておく。
古代中国では煮殺すという刑罰があって、割とその方法で処刑は行われている。
(『史記』12巻pp.88-89)
こういう風に人間を煮殺すという刑罰が古代中国にある。
『史記』だと時々出て来て、劉邦の身代わりになった周苛という人が煮殺されたし、劉邦の父親も項羽に煮殺されそうになっていた。
漫画版の『史記』では煮殺す場合、王の怒りを買ったような場合しかないから、平野先生はそのような描写を読んで、サンジェルミ伯爵にあのようなことを言わせているのだと思う。
ちなみに、石川五右衛門は油で煮殺されたという話だけれど、古代中国でも煮殺す際には油を使う場合があったようで、そのことはこの古代中国の文化的伝統の延長線上にあって、秀吉は古例に倣ってそうしただけで、贅沢をしたわけではありません。それだけははっきりと真実を伝えたかった。
・追記4
…を書こうとしたけれど、内部処理的に40000字を越えて書けなくなったので、新しく記事を作った。(参考)
まぁ仕方ないね。