三つの明知はさて何処へ | 胙豆

胙豆

傲慢さに屠られ、その肉を空虚に捧げられる。

日記を更新する。

 

今回は原始仏教とジャイナ教について。

 

もうこの時点で読んでもらおうとか読む人に理解して貰おうとか言う気持ちが一切ないよなと思う。

 

この前書いた通り(参考)、ジャイナ教の聖典を買ったので少しずつ読んでいたのだけれども、日本に唯一存在するジャイナ教の聖典である『カルパ・スートラ』の部分訳を読み終えた。

 

読み終えて思ったことがいくらかあるので、そういうことについて色々書いていって、ついでに仏教の話もしていく。

 

まず、『カルパ・スートラ』を読んだ感想なのだけれども、これ読んでどうすんだよ…というのが素直な気持ちだった。

 

これは…古代インドの研究者以外にとって一体どんな価値があるんだ…というような内容だった。

 

ジャイナ教の始祖であるマハーヴィーラが凄いという話が荒唐無稽な方法で延々と続けられていて、この記述内容に用件がある御用事がイマイチ想定できなかった。

 

まぁそこの辺りにについては原始仏典も同じで、現在を生きる僕らの人生の示唆になるような記述なんて原始仏典には皆無になる。

 

土地も違うし人種も違うし、気候も違うし歴史も違う、何処かの誰かたちが書いたものである以上のことはなくて、基本的にその記述内容は現代日本人に適応できるそれではない。

 

まぁそれはともかく、この『カルパ・スートラ』は一応、設定としては紀元前300年ごろに書かれたという話なのだけれども(参考)、原始仏教のある程度のテキストに比べたら作られたのが新しい文章なのだろうなと思った。

 

まず、古代インドではヴェーダと呼ばれる三つから四つの聖典が存在していて、それを熟知している人が聖人であるという発想が存在してる。

 

原始仏典でも"三ヴェーダの達人"という言葉は成立の古い経典で見られて、まぁヴェーダを熟知している人としてヴェーダの達人という表現が存在している。

 

本来的に仏教はバラモン教の分派というかセクトというか、バラモン教の一派でしかなかったらしくて、成立の古そうないくらかのテキストは、バラモン教のウパニシャッドに書かれている内容をそのまま言及していたりしていて、そもそも自分たちはゴータマの弟子とはいえ、仏教徒であるという認識はなくて、ヴェーダの教えを教導するゴータマの教えを学ぶ集団が成立初期の仏教集団であった様子がある。

 

だから修行や学問をする目的はバラモン教の聖典であるヴェーダの習熟にあるのであって、それが故に、修行の到達者のことを"ヴェーダの達人"と呼ぶし、仏陀の教えを完遂したものを「三つの明知を得た」と言う。

 

ここで言う三つの明知は、『リグ・ヴェーダ』、『サーマ・ヴェーダ』、『ヤジュル・ヴェーダ』の三つのヴェーダに関する知識になる。

 

比較的成立が古いとされている『テーラガーター』という仏陀の弟子たちの告白録ではちょいちょい、「ゴータマの教えに従って三つの明知を得た」と言及されている。

 

仏教は本来的にヴェーダの習熟を修行や戒律、勉学によって成すことを目的にしていたらしい。

 

そのヴェーダの達人についてなのだけれども、『カルパ・スートラ』では四ヴェーダの達人という言葉が使われている。(鈴木重信訳『世界聖典全 耆那教聖典(全)』世界文庫刊行会 1920年p.105)

 

原始仏典である『スッタ・ニパータ』の翻訳者である中村元によれば、仏教の黎明期においてはヴェーダの内三つのものが重要であって、最後の一つである『アタルヴァ・ヴェーダ』は当時ではまだヴェーダとして認められていなかったという話らしい。

 

つまり、この『カルパ・スートラ』は結局、『アタルヴァ・ヴェーダ』がヴェーダの仲間入りをした後に書かれたテキストであって、仏教の初期のテキストに対して成立は相対的に見て成立の遅いものであると判断できる。

 

実際、紀元前後に書かれたとされる仏教の副読書である『金剛針論』(『ヴァジラスーチー』)では、三ヴェーダの達人とは言わずに四ヴェーダの達人という表現が用いられていて、時代が下ると三ヴェーダから四ヴェーダへと変異しているということが分かる。(中村元ほか訳『仏典Ⅰ古典世界文学6』『金剛針論』筑摩書房 1976年)

 

ジャイナ教の始祖は体裁の上では仏陀と同じくらいの時期を生きたという話なのだけれども、少なくとも『カルパ・スートラ』のその部分については相対的に新しい時代に書かれていて、マハーヴィーラという人物が一般的に言われているほど昔に生まれた人物なのかということには疑いがあると思う。

 

初期に成立したであろう仏典では三ヴェーダの達人になっていて、大乗のテキストでは四ヴェーダの達人なのだから、時系列的にこの『カルパ・スートラ』は初期の仏典より遅くに成立したとしか想定できない。

 

まぁそもそも、原始仏典に言及のあるジャイナ教の始祖と思しき人物の名前はニガンタ・ナータプッタ(ニガンタ派のナータプッタ)であって、マハーヴィーラという名称は登場しない所を見ると、原始仏典期にはまだマハーヴィーラという語彙はなかったのだと思う。

 

個人的にニガンタ・ナータプッタとマハーヴィーラを同一視する仏教学の見解は疑わしいと思っているけれども。

 

最初期のテキストは仏教の方が成立が早いとはいえ、仏典にしても数百年に渡って書き続けられていたらしくて、原始仏典の全てのテキストがジャイナ教より先行しているとはとても言えない。

 

『カルパ・スートラ』の記述で仏教と情報を共有しているそれがある。

 

『カルパ・スートラ』の記述の中で、ジャイナ教の始祖であるマハーヴィーラが最後に悟った人物であるという説話が存在している。

 

「そこに彼れはその生命・その神性・その神の内に生くべき存在の許されし限りを終わり、二十海量の長時を過ごしたりき。茲に贍部洲なる婆羅多國に降りて――時恰もこの劫輪下轉の期にありて、善々劫・善劫・善悪劫・及び悪善劫(劫は俱低、俱低海量に足らざるを四萬に千年なり)の大半は過ぎ去りただ僅に七十二年と八ヶ月半殘れる時、甘蔗族及び迦葉族の二十一悟者(尊者開津者)訶利及び喬答摩族の二悟者併せて二十四悟者の現はれし後――尊者苦行者大雄は悟達者の最終の人として、クンダ村の波羅門區に住めるコーダーラ族の波羅門牛授の妻なる、闍蘭陀羅耶那族の天喜妃の胎に入れり。(鈴木重信訳『世界聖典全 耆那教聖典(全)』世界文庫刊行会 1920年p.103)」

 

まぁなんて書いてあるか分かんなかっただろうけれども、マハーヴィーラが23人の聖人の後に続いて最後に聖人として誕生するために母体に宿ったという内容が書かれている。

 

一応、本文にはところどころフリガナは振ってあるのだけれども、古代インドを知らない人にとってはフリガナがあってもどうせ意味不明だし、古代インドを知っている人だったらフリガナは要らないだろうということで、フリガナは再現しなかった。

 

意訳すると、なんか凄い時間がたった後に、インドの南にイクシュ族とカッサパ族の21人の解脱者が出て、カーリー族とゴータマ族の2人の計24人が悟ったあとに、マハーヴィーラ最後の解脱者となるべく、母体に入ったと書いてある。

 

…引用文では21人+2人の計24人の解脱者が出た後に、マハーヴィーラが解脱者になったという足し算が出来てない記述になっているのだけれど、マジでそう書いてあって、意味分かんないから英語の『カルパ・スートラ』の該当の記述を確かめてみたら、マハーヴィーラの前の解脱者はしっかりと23人という話になっていた。

 

所謂一種の誤訳ですね…。

 

ぶち殺すぞ。

 

それはともかく、マハーヴィーラに先行して悟った23人の聖人たちについてなのだけれども、23人目はゴータマ族の人物と言及されている。

 

判然としないけれども、この23人目のゴータマ族の聖人はおそらく、ゴータマ・ブッダのことなのだろうと思う。

 

そうとするとそもそもとして、このテキストは仏教成立より後に書かれたし、書いている人も仏陀より後にマハーヴィーラが生まれたという想定なのだと思う。

 

まぁ結局、それぞれの単語に特に注釈はないし、副読書もないからはっきりとはしないのだけれども。

 

一方で、原始仏典の小部経典には『ブッダ・ヴァンサ』というそれがあって、そのテキストによれば仏陀は25番目に悟った人物であるという。(参考)

 

結局、これらのテキストはめいめい好き勝手に創作して出来ているのであって、どちらが先行しているのかはイマイチ判然としないけれども、片方が片方のテキストを読んで、それを材料にして自身の経典を書いているというのが実際らしく、『ブッダヴァンサ』の方には仏陀は光り輝く体を持つ云々書いてあって、成立が新しそうな印象を受ける。(参考)

 

まぁ僕はまだ『ブッダ・ヴァンサ』の冒頭しか読んでないから色々あれだけれども。

 

とはいえ、少なくとも原始仏典の成立の古いテキストでは三ヴェーダの達人になっていて、『カルパ・スートラ』では四ヴェーダの達人になっている以上、『アタルヴァ・ヴェーダ』が聖典入りした後に書かれた比較的成立の新しいテキストが『カルパ・スートラ』なのだと思う。

 

仏教にも仏陀の前に何人か聖人がいたという話があって、元々は7人の聖人が想定されている。(参考:『マハーパダーナ・スッタ』)

 

最初は7人だったけれども、後々増えて、『ブッダ・ヴァンサ』が書かれた頃には25人になっている。

 

7人の話と25人の話、どっちが先かだなんて実際分からないのだけれども、増えることがあっても減ることはないだろうと個人的に思うので、7人と書かれている『マハーパダーナ・スッタ』が相対的に成立が古くて、25人と書かれている『ブッダ・ヴァンサ』の方が成立が遅いのだと思う。

 

そういう所を考えると、『ブッダ・ヴァンサ』と共通の情報を持っている『カルパ・スートラ』は、原始仏典の中後期以降に成立したのかなと思う。

 

時間が経つと教義も色々変容していくようで、テキストの成立については書かれている内容でその相対的な新しさを理解するしかない。

 

前にも何処かに書いたけれども、元々、仏陀が王様として生まれて、東西南北の門でそれぞれ生老病死を見て、出家を決めたというエピソードが仏教にはあるけれども、元々は最初の解脱者であるヴィパッシンのエピソードであって、本来的に仏陀は王族として生まれたとかそう言う話はない。

 

だから、仏陀が王族で驕奢な暮らしをして云々言っているテキストは、比較的成立が新しいということが分かる。

 

個人的に仏教の始祖ゴータマはクシャトリア階級(王族階級)ではなくてバラモン階級(司祭階級)であっただろうと考えていて、そもそもゴータマという姓はバラモン階級のものになる。

 

実際問題として、仏教の成立に先行するバラモン教のテキストである『ブリハッドアーラニヤカ・ウパニシャッド』というテキストではゴータマという人物がバラモンとしてしっかり登場している。

 

…該当の記述を引用しようと思ったけれど、何言ってんか分かんねぇなこれ。

 

まぁとにかく持ってくる。

 

「ヴィデーハ国王、ジャナカは、多くの贈り物を伴う祭祀を行った。この祭祀に、クルおよびパンジャーラ地方から、多くのバラモンが集まってきた。

(中略)

「わたしは、それを知っている。ヤージニャヴァルキヤよ!もしも、お前が、その糸、および内部にあってコントロールするものを知らないで、バラモンの牛を駆り立てるならば、お前の頭は砕け散るであろう。」

「ガウタマよ!まことに、わたしは、その糸、および内部にあってコントロールするものを知っている。」

「わたしは知っている、わたしは知っている、と、もちろん、誰でも言うことが出来る。お前が知っている通りに語れ!」(湯田豊訳『ウパニシャッド 翻訳と解説』 『ブリハッドアーラニヤカ・ウパニシャッド』 大東出版社 2002年 pp.59-72)」

 

細かい話はさておき、そもそもゴータマ(Gautama)という姓はバラモン階級に属するものでしかなくて、少なくとも上記引用の『ブリハッドアーラニヤカ・ウパニシャッド』が書かれた時期のゴータマ族の人々はバラモン階級だったと理解出来る。

 

その名前を持った人物である仏教の創始者は、やはりバラモン階級であると判断したほうが妥当だと思う。

 

あとWikipediaの釈迦の記事だと、ゴータマさんはアンギラサ族出身だとか書いてあるけれども(参考)、それは間違いだと思う。

 

実際、原始仏典の中でゴータマさんのことを「アンギラサよ」と呼ぶシーンは『マハー・ヴァッガ』などにあるのだけれども、先の『ブリハッドアーラニヤカ・ウパニシャッド』の中で、尊称としてアンギラサという言葉が使われているシーンはあるし、原始仏典の中でゴータマさんをアンギラサ族扱いしているテキストに僕は出会ったことがない。

 

おそらく、Wikipediaの記述は文中に出てくる"アンギラサ"という言葉の意味が分からなくて調べた時に、アンギラサ族という司祭階級しか検出されなかったとかそういう事柄に由来する誤解だと思う。

 

実際はアンギラサという言葉は尊称としてあって、仏陀を褒めたたえるためにアンギラサという言葉を使ったに過ぎない場面だと思う。

 

とはいえ、アンギラサ族ではないとは思うけれども、ウパニシャッドにしっかりバラモンとしてゴータマという名前の人が出てくるし、ゴータマのことをクシャトリア階級だと言及するようなテキストは、ゴータマさんが相手の心を読んだり超能力を使うような比較的成立の新しいだろうテキストなので、そのような話がいつ頃から生じた情報なのかは分からないけれども、ゴータマさんは本来的にただのバラモン階級の修行者でしかないのだと思う。

 

そもそも、仏教の教義自体が数百年の間に徐々に成立したようで、成立の古そうなテキストでは修行の目的が死後天界に生まれることになっているものもある。

 

先に、三つの明知という、三ヴェーダについての知識を持つ人のことについて言及したけれども、三つの明知というのは三ヴェーダを良く知っているという意味合いともう一つ、宿命通、天眼通、漏尽通の三つのことだという言及もある。

 

宿命通とは今までの輪廻転生の経験のことを知り尽くすことで、

天眼通とは天界と地獄の両方を知ることで、

漏尽通は輪廻転生をもうしないで生を尽くした状態のことを言うらしい。(参考)

 

基本的に三つの明知といえばこの三つのことを言うのだけれども、一方で三ヴェーダの達人という意味合いで三つの明知という言葉を使っているテキストもある。(『テーヴィッジャ・スッタ』)

 

どうやら、三つの明知という言葉は長い歴史の中で意味が変わったようで、最初は三ヴェーダを悉く知り尽くすことを言っていたらしいのだけれども、後々、過去世と来世を知り尽くして、輪廻転生の輪から外れるというという事柄を指して"三つの明知"というようになったらしい。

 

『テーラガーター』という比較的成立の古い、仏陀の弟子の言行録を読んでいて、"三つの明知"という言葉が出てきたのだけれども、注釈が存在していなくて、調べてみたら、過去世と来世を知り尽くして、輪廻転生の輪から外れることを言って"三つの明知"だとするという説明が存在していた。

 

けれども、『テーラガーター』にある"三つの明知"という言葉の前後に、そのような過去世だとか来世だとかを知り尽くしたというような言葉はなくて、酷く懐疑的な目でその説明を見ていた。

 

前世と来世を知っているということが知恵だというのは分かるのだけれども、煩悩を滅ぼして生を尽くしたということが知恵だという話が理解しがたかった。

 

一方で、『テーヴィッジャ・スッタ』の中では三つの明知は三ヴェーダを知り尽くすこととして扱われているし、このテキストはバラモン階級の人たちが仏陀に教えを乞いに来て、そして仏陀もバラモン教の教えについてあれこれ言っている。

 

そして話の内容も煩瑣な学説はない。

 

元々仏教はバラモン教の分派でしかないというのは仏教学の見解であって、そうとするとこの『テーヴィッジャ・スッタ』はやはり成立が古いのだと思う。

 

だから三つの明知は本来的に三つのヴェーダを知り尽くしたという意味合いでしかなくて、後々、過去世やら来世やらという教説が生まれたのだと思う。

 

この『テーヴィッジャ・スッタ』ではさらに、修行の目標が死後天界に向かうことであるとしていて、そうとするとやはり、仏教は本来的に禁欲的な修行をして、天界に来世で生まれることを目指していた宗教なのだろうなと思う。

 

他にも『パーヤーシ・スッタ』という仏典でも、死後天界に生まれることを目的としているのだけれども、このテキストはあくまで仏弟子がメインではなくて、寄付する側の在俗信者がメインの話であって、『イティヴッタカ』というテキストには、優れた人物は天界に行き、更に優れた仏教徒は輪廻の輪から外れるという言及がある。

 

『パーヤーシ・スッタ』はアートマン(魂)の存在を前提としているから成立は古いのだろうけれども、そういう風に仏教徒を支える側は天国に行くという発想は所々であって、そういうところを考えると、必ずしも最初期の教義は天国に行くことを目的としていたと言及できないと考えていた。

 

けれども、『テーヴィッジャ・スッタ』では仏陀自身が神の領域である太陽と月との合一を目指していて、そうとすると仏教は本来的に死後天界に昇るという、バラモン教の教えを踏襲していた宗教だし、三つの明知も本来的には三ヴェーダついての知識なのだと思う。

 

実際、『テーラガーター』の中には仏教修行の末に天界に向かうということを目的としている仏弟子の話がある。

 

「 この世では、戒めこそよく学ぶべきことである。戒めを実行するならば、あらゆる幸福をもたらすからである。

 聡明な人は、三つの楽しみをもとめるならば、戒めをまもれ。――その三つとは、世の人々の称賛(名誉)と、財の獲得と、死後天上に楽しむことである。

(中村元訳『テーラガーター』 岩波文庫 1982年 p.133)」

 

このような言及はあるのだけれど、出家していない人への言葉という可能性もあった。

 

ただ、出家していない人が布施を出す以外で戒め(戒律)を守る必要があるのかという疑問があって、やっぱりこれは出家信者向けての言葉であって、最初期は死後に天国に行くために修行をしていたのではないかと勘繰っていた。

 

そして、『テーヴィッジャ・スッタ』を読んで、これから仏教に帰依するバラモン教徒も、そして仏陀自身も死後天界に向かうことを目的にしていて、更にこのテキストの三つの明知は、バラモン教の教えである三ヴェーダを熟知することであるというところを見るに、やっぱり仏教の始祖のゴータマさんは輪廻転生から外れることを目的とはしていなかったんだろうなと思う。

 

いつそのような発想が生まれたのかは判然としないけれども、ゴータマの頃の仏教は、アートマン(魂)は存在しないという教説なんてなかったし、輪廻転生の輪から外れる解脱なんて説いてなかったのだろうと思う。

 

仏教のテキストはいろんな人間が好き放題に自分の意見を仏陀の言葉として書いていて、テキスト間での差異と異同が甚だしい。

 

あるテキストにはバラモン階級、クシャトリア階級、ヴァイシャ階級、シュードラ階級は平等だ(『サーマンニャパラ・スッタ』など)、と書いてあって、あるテキストには仏陀の所属しているクシャトリア階級が至高だと書いてある。

 

クシャトリアが最も優れていると書かれているテキストのタイトルは失念してしまったけれども、前者のテキストを書いた人は卑しい身分が出自で、後者のテキストを書いた人はクシャトリア階級出身だったのだろうなとおぼろげに思う。

 

日本にある仏教は大乗仏教で、これはもう完全に後世の創作なのだけれども、それを言って日本の仏教は仏陀の教えではないという話を耳にすることがある。

 

けれども、原始仏典の時点で既に始祖ゴータマの教えなんて散逸してしまっているのだから、僕は仏教なんてものは等しくあれだと思っている。

 

最後に、仏教はかつて哲学だったという話についてがある。

 

これはね、嘘です。

 

原始仏典自体に煩瑣な学説はそんなに多くなくて、アートマン(魂)の有無についてと縁起説について、そして瞑想の諸段階についてくらいしか小難しい議論なくて、そういう哲学的な議論はあまり多くない。

 

けれども、どうやら小乗仏教ではそうではないらしくて、注釈の方には小難しい解釈が沢山残されているらしい。

 

だから、仏教が哲学だったとか意味わかんないことを言い出した人は、普通に小乗仏教の教説を見聞きしただけで、実際の小乗の注釈のない原始仏典のテキストは知らないのだと思う。

 

更に言えば、仏教がかつて哲学だったとか言っている人は、実際に原始仏典なんて読んだことないというのに、伝え聞いた話だけでイメージで語っているだけだと思う。

 

古代中国のテキストでもそうなのだけれども、注釈に書いてあることは基本的に事実であるという前提で物事が進む。

 

ただ、原始仏典の場合は本文自体にそれ程哲学的な要素はない。

 

『論語』とかも本文自体は素朴で、注釈の方に儒教的な解釈が山ほど書いてある。

 

僕は原始仏典について全然量を読めてないから全てのテキストがそうだとは言えないのだけれども、僕が読んだ少ない範囲では、仏陀or仏陀の教えスゲー!って話と、戒律の話しか基本的にない。

 

それは言い過ぎかもしれないけれども、変な話ばかりで哲学的な話は目立たない。

 

一方で大乗の経典はかなり哲学的な話に富んでいて、まぁテキストによると言えばそうなのだけれども、大乗仏教の方が遥かに哲学的になる。

 

かつて仏教は哲学だったとか、あーだこーだ言うのはいいけれども、言うのであれば読んだ上で言ってもらいたいなと思う。

 

まぁ僕自身、哲学について大学で勉強したとはいえ、碌に読んでないのにあーだこーだ言っているから人のことは言えないのだけれども。

 

哲学のテキストは根本的に使い道がないんだよなぁ…。

 

自分を大きく見せようとしたり、相手を幻惑させたり、マウンティングしようとするときにしか役に立たないんじゃないかなと個人的に思う。

 

カントやロックの認識論なんて科学的に間違っているのであって、そのようなものを覚えても使い道がないとしか…。

 

まぁいい。

 

他には仏教における禁酒の起源の話があったけれども、長くなり過ぎたのでこれくらい。

 

こんな内容どうするんだよ、って思うけれども、ここは日記だからこれで良いの、もう。

 

そんな感じ。

 

では。

 

・追記

ウパニシャッドの登場人物でバラモン階級の人物である、ウッダーラカ・アールニの姓はゴータマなんだよな。(湯田豊訳『ウパニシャッド 翻訳と解説』 大東出版社 2002年 p.149 p.633)」

 

このおっさんは一応、インドの哲学者だと最古の人物とされていて、話によれば紀元前8世紀に生きた人で、この人より古い哲学のおっさんは世界に存在していないと思う。(参考)

 

そのウッダーラカ・アールニの姓がゴータマで、彼はバラモン階級なのだから、ゴータマ姓は由緒正しいバラモンの名字なのだろうと思う。

 

日本語版のWikipediaにはこのおっさんの姓がゴータマとは書いていないけれども、英語版にはしっかりと言及があるから、疑わしかったら英語版の記事を読んでください。(参考)