書いていくことにする。
この記事は以前書いた「『ドリフターズ』の元ネタのちょっとした解説」の記事(参考)に追記として書こうと思ったけれど、記事が内部的にキャパオーバーしてしまって追記できなくなったので、新しい記事にその追記したかった内容を書くことにして、ついでコメントで来た内容について、画像があった方が分かりやすいのでそのことについても書いていくことにする。
まず、平野先生は韓信について、おばあちゃんからおにぎりを貰っていたと言及している。
(5巻表紙裏)
このことについてなのだけれど、僕はふと、『史記』の韓信っておにぎり貰ったって書いてあったっけ?と思って調べてみた。
調べてみた結果、原作の『史記』では飯を食べさせてもらったと書いてあるけれど、おにぎりとは言及されていないことが分かった。
そこのところは実際読んでみた方が早い。
信ってのは韓信ね。
「 信が城下の淮水で釣りをしたところ、数人の老婆が水中で絮(わた)をさらしていた。一人の老婆が信の飢えているところを見て飯を食わせた。こうしたことが絮さらしの終わる日まで数十日つづいた。信は喜んで、その漂母(注:わたさらしの老婆の事)に、「わしは将来きっとお婆さんにたんまりとご恩返しをしよう」と言うと、老婆が怒って言った。「大の男が自分で身すぎできていないでいるから、わたしは王孫(わかだんな)を憐れんで、ご飯を進じたまでのこと、何の恩返しなどを望もう。」(司馬遷『世界文学大系 5B 史記』 小竹文夫他訳 筑摩書房1962年p.182 (注は引用者補足))」
あくまでご飯を食べさせてもらっていたとしか書いてなくて、別におにぎりとは書いていない。
実際、『史記』の原文を見てみても、"飯"とだけ書かれていておにぎりとは書いていない。(参考)
その場でお婆ちゃんたちが炊き出しをしていたかもしれなくて、おにぎりとは限らないし、当時は米を食べていたとは限らなくて、『礼記』という古代中国の儒教の聖典の中の「内則」というテキストの中に、当時の"飯"に分類される穀物の記述がある。
それを読む限り、黍や高粱(コーリャン)、米や粟、白黍や黄黍、麦や菰(コモ)が当時、"飯"として食されていた様子がある。(市原 享他訳『全釈漢文大系 13 礼記 中』 集英社 1977年 p.169)
菰というのいわゆる一種のワイルドライス(参考)で、まぁともかく"飯"と言ってもお米とは限らないというのは確実になる。
だから、米のような粘度を持っているとは限らなくて、おにぎりの形状に出来るとも限らないから、"飯"を貰っていたという表現だけでおにぎりと判断するのは早計になる。
まぁ原文は「諸母漂,有一母見信饑,飯信,竟漂數十日」で、「おばさんが何人か綿晒しをしていて、その中の一人が信(韓信)が飢えているのを見て、綿晒しが終わるまでの数十日、信に食事を与えた」と書いてあって、ここで言う"飯"は「食事を与える」という動詞で、主食としての飯の話をしているわけではないのだけれども。
・追記
『穆天子伝』と呼ばれる古代中国の良く分からない本を読んでいたら、"穄"というものが登場して、注釈によれば黍の一種で粘り気の無いものを言うらしい。(竹田晃他訳『中国古典小説選 1 穆天子伝・漢武故事・神異経・山海経他』『穆天子伝』 明治書院 2007年 pp.92-93)
一応、穀物でも粘りがないものがあることは知っていて、それがために先の内容は書いたけれど、特に穄は粘りがないそうなので、一応の意味で追記しておきます。
追記以上。
一方で、横山光輝先生の漫画版の『史記』ではおにぎりを貰っている。
(横山光輝『史記』11巻p.9)
まぁ飯を恵んでもらっていたと書いてあるのだから、深く考えずにおにぎりを分けてもらっていたと横山先生は理解したのだと思う。
『史記』の原文を見ても特に「山下清かおまえは」という感想は抱かないけれども、漫画版の『史記』を読んだらまぁ普通に山下清なので、やはり平野先生が読んだのは漫画版の『史記』ということでいいと思う。
(5巻表紙裏)
一応、山下清に説明を入れると昭和の画家で、知的障害があって、白シャツにズボンという特徴的な格好で日本中を旅して絵を描いて、彼の死後に彼を主人公としたドラマが放映されて、その中で「お、おにぎりが食べたいんだな」というセリフが有名だから、平野先生はそう書いている。
…どうでも良いのだけれど、韓信のイラスト自体もやはり、漫画版の『史記』のイメージが強いよなと思う。
鎧姿も横山先生が書く中国人だし、国士無双と書かれた旗も横山先生の描くそれに近い。
国士無双とか大元帥とか書いてあるけれど、それも漫画版の『史記』に言及がある。
(横山光輝『史記』11巻pp.43-46)
こういう風に国士無双という言葉が用いられていて、日本語でも国士無双という表現はあるけれど、国士無双という言葉はこの韓信から来ていて、具体的にこのやり取りが出典の言葉になる。
こういうところを読むと、『史記』って面白いよなと思う。
そして大元帥という言葉も漫画版の『史記』にある。
(同上p.47)
一応の意味で、原作の歴史書の『史記』を確かめたけれど、大元帥という表現はなかったから、やはり平野先生の情報源は漫画版の『史記』ということで確定的だと思う。
まぁ確かめたといっても、『史記』が全文載っている中国語のサイトに行って、F3キーを押して「元帥」って入れるだけの作業だから、大したことはしてないのだけれど。
こういう風に平野先生の古代中国の理解は漫画版の『史記』にあるわけだけれど、それに関連してこの前来たコメントについての話を持ってくる。
この前このようなコメントが来ていた。
煮られろについてbyりん
韓信の最後の「狡兎死して良狗烹られ、高鳥尽きて良弓蔵され」から来たのではないでしょうか?
これは僕が『ドリフターズ』の元ネタの解説の記事で、煮られろというのは煮殺すぞって意味だという話を追記で書いたことについてのコメントになる。
(5巻p.152)
この煮られろ!という言葉について、僕は『史記』では煮殺す刑罰があるからその文脈だとしたけれど、コメントではそっちではなくて、「狡兎死して良狗烹られ、高鳥尽きて良弓蔵され」という話からではないかということを指摘された。
まぁ応答でやはり刑罰の方がより妥当だろうと返事は書いたのだけれど、以下では改めて何故そうと言えるのかについて書いていくことにする。
まず、平野先生は漫画版の『史記』しか読んでいないのだから、漫画版の『史記』に出てくるそれが材料になっているということでいいと思う。
煮殺すって話も、狡兎云々という話も、どっちも漫画版で描かれているから、そのどちらがより妥当かを見ていくことにする。
まず、「狡兎死して良狗烹られ、高鳥尽きて良弓蔵され」という話はこの記事で先に言及した韓信のセリフになる。
韓信は実際、古代中国人が書いたなろう小説の主人公みたいな人物で、ホームレスから立身して連戦連勝して漢帝国の建国に大きな助力をした人物になる。
けれども、あまりに戦争が強すぎたために天下を平定した後に皇帝である劉邦に警戒されて、地位を剥奪されている。
その剥奪されるシーンで韓信は狡兎云々と言っている。
(同上『史記』13巻p.37)
一応、漫画版の『史記』にはこのようなシーンがあるから、サンジェルミ伯の「煮られろ!」というセリフがここからという可能性はある。
…どうでもいいけれども、狡兎云々という言葉自体は元々、韓信の言葉ではない。
韓信の時代の数百年前の越という国の范蠡(はんれい)という人のエピソードの中に、「狡兎死して走狗烹られ、高鳥尽きて良弓蔵(かく)る」という言葉が出てくる。
この范蠡さんは越という国を支えて、奴隷同然の扱いを君主のためにしたり、国力増強のために苦心したり色々して、結果として越という国は中華に覇を唱えるほどになったのだけれど、越の国の王様は横暴な人で、彼は苦労しているときは優秀だけれど、力をつけると暴慢になるタイプの人で、范蠡さんは暴慢になった君主を見限ってとっとと国を出たということになっている。
それに際して同僚に、「狡兎死して走狗烹られ、高鳥尽きて良弓蔵る」と言っていて、俺は煮られる前に逃げるけどお前どうすんの?と聞いた時の言葉が元になっている。
ちなみに、日本語で臥薪嘗胆というけれど、この臥薪嘗胆は范蠡が仕えた越の王様の若いころの苦労が由来になっている。
(同上『史記』2巻p.191)
まぁこの王様に仕えた范蠡が狡兎云々の言葉の元なのだけれど、漫画版の『史記』ではそこは漫画化されていないので、平野先生がその言葉を使うとしたならば、先の韓信の話が由来ということになる。
一方で刑罰としての煮殺すという表現は漫画版の『史記』で僕が把握している限り二回その描写がある。
(同上『史記』10巻pp.213-216)
この話と、以前追記で言及した酈食其のエピソードがある。
(同上『史記』12巻pp.88-89)
見て分かるように、どちらも怒りを買って煮殺されている。
結局、サンジェルミ伯は怒って煮られろ!と言っているわけであって、韓信の悲壮な弁明と、この怒りの末に煮られる話とどちらがより妥当かと言えば、やはり、刑罰としての煮殺すということの方がより妥当だと思う。
(同上)
まぁ韓信の話だとニュアンスがちょっと違ってくるから仕方ないね。
(同上)
という『ドリフターズ』の元ネタのちょっとした解説のちょっとした補足。
書いている方はそれなりに楽しかったけれども、古代中国に一切の関心がないような人にとってはクソ以下の内容だっただろうなぁと思う。
まぁどうしようもないね。
そんな感じです。
では。
・追記
この記事を作るときに想定していて書き忘れていたことがあったのでそのことについて書き足すことにする。
まず、『ドリフターズ』の信長は「であるか」と言う。
(6巻p.83)
『ドリフターズ』本編ではそんなに頻出の言葉ではないのだけれど、この世界には織田信長が口癖として「であるか」と言うような創作物が存在している。
それは大河ドラマの『利家とまつ』で、この大河ドラマは織田信長の家臣である前田利家とその妻が主人公のそれで、そこに出てくる織田信長は「であるか」とよく言っていた。(参考)
(Wikipedia「利家とまつ」より)
『利家とまつ』で信長は「であるか」とよく言っていて、それ以降の信長を描いた作品では信長が「であるか」というような場合がある。
例えば、『織田信奈の野望』でも「デアルカ」と言っていて、これも『利家とまつ』が元だと思う。
ゲームの『信長の野望 戦国立志伝』の帰蝶の嫁入りイベントでも信長は「で、あるか」と言っていて、まぁこの大河ドラマが理由で信長の口癖が「で、あるか」となっている創作物が結構ある。
『利家とまつ』は平均視聴率が20%という、現在では考えられない数字になっていて、まぁ五人に一人は毎週見ていた計算になって、平野先生は戦国武将が主人公の漫画を今現在描いているのだから戦国時代は好きだろうので、『ドリフターズ』の信長の口調は『利家とまつ』が元ということでいいと思う。
次に、平野先生はおまけ漫画で次のような内容に言及している。
最後に家久が京都に行ったとか明智光秀と会ったとか、信長が居眠りしていることを目撃したという話があるけれど、これはおそらく『センゴク権兵衛』の描写が由来だと思う。
この記事の本体というか元記事の方で、『センゴク』を平野先生が読んでいるだろうという話をしたけれど、この話は『センゴク権兵衛』に存在している。
(宮下英樹『センゴク権兵衛』6巻p.152)
坂本というのは京都の地名で、このように『センゴク』には京都で島津家久が明智光秀と会う描写が存在しているし、この時に信長が寝ていたという話をしている。
(同上p.157)
まぁこのことはWikipediaの島津家久の記事に言及があることではあるのだけれど、家久の息子が主人公の漫画を描いていて、その父親が出てくる漫画を読まないことはないだろうし、おまけ漫画で『センゴク権兵衛』で描写されている内容がそのまま言及されていて、且つ、『センゴク』の専門用語である高転びを信長自身が言及しているのだから、平野先生は『センゴク』を読んでいるということでいいと思う。
そうそう、表紙裏のおまけ漫画で"信長がシェフ"ってネタをやった時に信長の料理が「しょっぱい」だの云々の話がある。
(4巻表紙裏より)
ここで味付けがド田舎だの京風の味付けにしろだの書いてあるけれど、あれは多分、Wikipediaの織田信長の項が元だと思う。
…Wikipediaの記事を確認したら最新の記事ではその話は消されてるのか。
まぁ信憑性が薄い話だったし仕方ないね。
仕方がないから古いWikipediaの記事を適当に持ってくるけれど、信長の話の中に濃い料理を好んだという話があって、おそらく平野先生はこの記述を読んだのだと思う。
(Wikipedia「織田信長」2018年8月24日ver.)
ここまで類似していて関係性がないということは想定しがたいのであって、平野先生はこの記述を読んで上の描写をしたと考えて良いのかもしれない。
考えられる可能性は、平野先生がこの記述を読んだか、この[要出典]レベルの記述を書いた人と平野先生が共通の創作物を読んで、それぞれがWikipediaと『ドリフターズ』にその話を書くことになったというそれがせいぜいで、まぁ実際『ドリフターズ』のあの記述はWikipediaの古い記事が元だと思う。
もしかしたら『信長のシェフ』にその話があったかもしれないけれど、8巻くらいまでしか読んでないし、一回しか読んでないので良く分からない。
…この記事自体は『センゴク』の話をしたいがために拵えたのだけれど、『史記』とイチャイチャしてたら忘れてしまったというどうしようもない理由によって追記することになった。
書き終わった時に何か忘れてるということは強く思っていたし、本来的に想定していた文字量に届かなくて、けれども補足記事だから「まぁいいや」で済ませたのがこの記事を作った日の僕だった。
まぁしょうがないね。
・追記2
この記事を書いた時には知らなかったのだけれども、「で、あるか」という言葉と「高転び」という言葉に関しては、原初の出典はそれぞれ別にあるということが分かった。
「で、あるか」に関しては、どうやら『信長公記』に信長が言った言葉として言及されているらしい。
大河ドラマの『利家とまつ』では、その『信長公記』の記述を元に信長に「で、あるか」と頻繁に言わせていたというか、『信長公記』に僅かに登場する信長の台詞を、キャラクターの個性を出すために口癖として設定したという話で良いと思う。
次に、「高転び」という語はどうやら安国寺恵瓊の書状の中で信長に関する言及の中にある言葉らしい。
安国寺恵瓊という毛利家の家臣が、織田家はこのまま行ったら転覆すると書状で言及していて、おそらく、その事に言及している歴史本があって、『センゴク』に関しては、その情報から荒木村重は「高転び」という表現を用いた様子がある。
まぁ作中でも高転び云々と言っていた荒木村重に関して、あの考えは安国寺恵瓊に唆されたんだろうという話があったので、『センゴク』に関してはそういう話ということで良いと思う
(宮下英樹『センゴク 天正記』10巻p.62)
そういう風に原初の出典に関しては『利家とまつ』や『センゴク』ではなくて、更に元になった典拠があったらしい。
ただそうといえども、平野先生がその情報に触れたルートはまぁ、この記事と本体の記事で言及した内容で問題はないと思う。
安国寺恵瓊の書状の記述なんて普通は知らないし、普通は『信長公記』なんて読まないのであって、戦国時代の漫画を描いているならさておき、平野先生の漫画はそういう方向性ではないので、やはり、『利家とまつ』とか『センゴク』に『ドリフターズ』のあれらの描写は由来していると個人的に考えている。