さて、カコ編の解説の後編になる。
前回まででフィッグの登場まで解説した。
(3巻pp.86-88)
フィッグとの戦闘に入る前に、田中さんが日本軍のしたジアースの調査の話が入る。
(3巻pp.92-93)
このジアースを削れなかったという話なのだけれども、『マーズ』の中に似たような話がある。
(横山光輝『マーズ』5巻pp.16-17)
このシーンは何やかんやあって、この地球外生命体が作ったロボットであるガイア―を解体しようとしたけれども、テクノロジーに差があり過ぎて出来なかったというシーンになる。
僕は『ザ・ムーン』よりも『マーズ』の方が『ぼくらの』に与えた影響が大きいと考えているのだけれども、もしかしたら『ぼくらの』のジアースの調査が出来ないという話はここから来ているのかもしれない。
田中さんのモノローグが終わると、フィッグとの戦闘が始まる。
(3巻p.92)
敵の名前はフィッグと言って、意味するところはイチジクで、出典はおそらく『神話・伝承事典』のフィッグの項になる。
このことについては既にあのサイトで書いてしまったのだけれど、色々あれなので新たに書き直すことにする。
ただ、『神話・伝承事典』からの引用の部分はそのまま使えるので、そのままコピペすることにする。
長いよ。
「Fig イチジク
福音書には、季節外れに、イエスのために果実を実らせるのを拒んだため、イエスがイチジクの木を呪って、永遠に実がならないようにしたとある(『マタイによる福音書』11:13-22)。この話はおそらく、有名な女神ーシンボルに敵意を表わす意図があった。イチジクは、心臓の形をした葉が「女陰の伝統的形」を表しているために、つねに女性と見られていた。ローマ人は、角をはやした好色なヤギ神と、イチジクの木の女神、ユノ・カプロティナの合体と関連する「乱暴で奇妙な儀式」を祝う習慣があった。
イエスの好敵手である神、ミトラ Mithraも母性的イチジクの木に関わっていた。
(中略)
イチジクはインドーイラン系の共通の太母のシンボルであった。バビロニアのイシュタルも神聖なイチジクの木 Xicum(大地の中心にいる原始の母)、すなわち救世主タンムーズの守護女神の形になった。のちにコーランを著した父権制の著作者たちは、イシュタルの木を地球の裏側から下に向かって伸びるザックーム Zakkum(地獄の木)に変えた。
ドゥーシーと呼ばれる古代ゴール地方の神々は、中世ラテン語ではイチジクを食べる人 ficariiと書かれた。これは、イチジクもハスも女性の生殖器を象徴したことからみて、ホメロスの夢想家(lotus eater)と同じ意味であった。アングロ・サクソン語の fuckは ficus(イチジク)に由来した。今日まで、イタリア人は、中指をあげるのと同じように、「くたばれ」 fuck youを意味する軽蔑的な性的な合図を「イチジク-手」 mano in ficaでやる。「イチジク-手」は2本の指の間から突き出した親指によって形作られる。男根-女陰で、起源はオリエントであった。ヒンズー教では「イチジク-手」を聖なるムドラー(手振り)と呼び、ローマ人の家長たちはこの手振りを悪い魔力から身を守るために使ったと、オゥイディウスは言っている。しかし、キリスト教徒には「ひわいな手」 manus obsenus であった。
他の生殖器を表わすシンボルと同じく、昔ヴィーナスにとって神聖と考えられていた地の多くの品物と共に、イチジクは愛の御符の中に入れられることが多かった。
(後略)
(バーバラ・ウォーカー 『神話・伝承事典』 青木義孝他訳 大修館書店 1988年 pp.245-246)」
リンクの方も用意したので、そちらも確認したければどうぞ。(参考)
『神話・伝承事典』ではイチジクは女陰の暗喩として説明されている。
女陰ね。
子宮じゃないよ。
おそらく、その話はイチジクの断面図が女陰にそっくりだからという話だと思う。
女陰と言って伝わらないかもだけれど、女性の外性器とでも言えば良いのだろうか。
とりあえず見たほうが早い。
(http://kyushu-agri.com/fruit/ichijiku/)
『神話・伝承事典』の言及だと女性器としか書いてないのだけれど、まぁ実際にイチジクの断面図を見てみると、普通に外性器としての話だと僕は思ってしまう。
けれども、何だか鬼頭先生はイチジクを子宮の暗喩だと誤解したらしい。
何故そうと言えるかというと、『ぼくらの』本編で良く分からない描写があるからになる。
チズはフィッグとの戦闘で、フィッグをタコ殴りにしながら、ここが急所でしょ!と言って敵のコクピットを攻撃する。
(4巻p.33)
チズはフィッグを嫌な形と言って、その後急所を攻撃するわけだけれど、文脈としてフィッグを何らか女性器だと考えて、それが故にいやらしいと思ったと判断するのが妥当だと思う。
けれども、僕は個人的にどちらかというとイチジクは外性器としてのシンボルだと考えていて、外性器だとしたならば、急所の位置は分からない。
だけれど、チズは分かっている以上、鬼頭先生的にイチジクは子宮なのだと思う。
子宮なら、子供がいそうな所を攻撃するというのは非常に物語的に分かりやすい。
おそらく、鬼頭先生はイチジクを子宮だと考えているのだと思う。
外性器だと思うんだけどなぁ…。
『神話・伝承事典』では子宮という語は頻出していて、子宮という表記と女性器という表記が混在している以上、普通に子宮と女性器は分けて考えられていて、要するにフィッグの項で言う女性器というのは女陰というか、外性器の話なのだと思う。
ただ、そもそもとして『神話・伝承事典』が嘘八百なのであって、それを材料として創作する以上、事実どうであるかだなんてどうでもよくて、ただモチーフは『神話・伝承事典』に依っていますよ、で話は終わりになる。
それ以上はない。
・追記
チズがフィッグを殴りながら「やな形」と言っているけれども、ネット上でその事はフィッグが女性用の拷問器具である"苦悩の梨"の形をしているから、チズが言っているのはその話ではという発想があることを知る。
まぁともかく、実際に見てみることにする。
(WIkipedia「Pear of anguish」)
確かに、形状はフィッグと似ていて、フィッグのデザインの着想には影響を与えているかもしれない。
けれども、チズの苦悩は我が子を殺すことなのであって、拷問器具を見て「やな形」と発言するのは文脈的にチグハグしている。
フィッグが"苦悩の梨"で、急所がチズの気持ちの良い所だと言っていた人もいたけれども、チズが殴ったところは性感帯がありそうにもない場所になる。
(5巻pp.33-34)
この場所には胎児はいても、性感帯はない。
だから、フィッグという敵性存在のデザインに"苦悩の梨"は関係あったとしても、チズの発言には関係ないと思う。
…普通、女性用の拷問器具の名前や形なんて知らないんだよなぁ。
だからこの追記をする前に、その話がされてなかったのは仕方ないね…。(伏目)
追記以上。
さて。
この後、戦闘が始まる前に、避難を進めるためにカコに田中さんが指示を出したり、それを受けて背中を見せて逃げ始めたりするのだけれど、このカコの背中を見せるという行動はおそらく、敵の目にはビビっていると判断されるようなそれだと思う。
(3巻p.95)
そのあと敵は飛翔して、落下するという攻撃方法を取る。
(3巻p.96-97)
物理的な衝撃というのは、あてた方にもあたった方にも等しくダメージが発生する。
だから、本来的にはフィッグにもジアースにも等しくダメージは入っているはずなのだけれど、多分、ドラクエとかみたいに攻撃を仕掛けたほうにはダメージは入っていないというつもりで鬼頭先生は描いていると思う。
もし、等しくダメージが入るのだったら、凄まじい泥仕合になってしまうのであって、そういうことは想定していないと思う。
ちなみに、最後のコマでフィッグの光点の数が確認できる。
普通に考えて四勝している御様子。
強いのか弱いのか分からない…というよりは、強くも弱くもないというつもりで描いたのだと思う。
この後、国防軍がフィッグに攻撃を仕掛ける。
(3巻p.98-99)
国防軍は攻撃をして、効果ありと認識している。
(3巻p.102)
国防軍としては効果は弱くとも発揮しているという認識でいるらしい。
(4巻p.96)
設定上、効果がないはずなんだよなぁ。
(8巻p.160)
大本営発表なのだろうか。
旧日本軍辺りでは自爆兵器がいくつかあって、実際に戦場で運用されていた。
土掘ってそこに爆弾抱えて埋まって戦車が近づいたら起爆したり、爆弾に操縦席をつけて発射したり、船に爆弾を括り付けて敵の軍艦に突っ込んだりをやっていた。
何でそんなことをしたのだろうと思って色々考えたのだけれど、一つ分かりやすい言葉が出てきた。
こういうのを"ヤケクソ"と言います。
人間が乗っても命中率や効果は上昇しません。
結局、当時の文化では高潔なる人物は最後は自害して果てるという一つのテンプレートがあって、それを実行したがためにそうなったというか、乃木希典が殉死したこととかが遠因としてあると思う。
その特攻兵器の戦果についてなのだけれど、結局、人間的な情が色々酷いことをやってしまうと聞いた。
命を使ってまで突撃して、結果失敗したなんて報告は、人情が許さなかったらしくて、当たっても当たってなくても当たったと報告していたらしい。
ジアースにしたってあれだけ人死にと損害が出ていて、戦果がなかったという報告はしづらいから、そういう報告になっているのかもしれない。
それとも、この時点ではジャベリン戦で核兵器を使う予定はなかったのかねぇ。
ジャベリンで核兵器さえ無傷である描写が存在している以上、ジャベリン戦で核を使う予定があったなら、そういう話になってしまうとは思うのだけれど。
さもなければ攻撃でダメージが与えられていたと誤認識していたとしか言及できない。
まぁ一番可能性が高いのは、これを書いた時点では核でノーダメという話が頭の中にはなくて、兵器で攻撃しても多少のダメージは生じると描いてしまって、後々ジャベリン戦で核を使ったときに、この通常兵器でもダメージが通るという描写を自分でしたということをすっかり忘れて、核でダメージを食らわない敵を描いてしまったという話だと思う。
鬼頭先生だって人間だもの。
その後、国防軍はフィッグに攻撃を続けるのだけれど、その際にこんな意味不明なやり取りがある。
(3巻p.104)
"奇貨居くべし"という言葉が出てくる。
一応、欄外には「好機を逃してはいけないことを表現することわざ。」と書いてあるのだけれど、根本的に鬼頭先生は奇貨居くべしという言葉の意味を理解してないんだよな。
奇貨居くべしというのは古代中国の歴史書であり、僕の大好きな『史記』の「呂不韋列伝第二十五」が出典になる。
奇貨居くべしがどういう意味かというと、値が上がる見込みのある投資対象を見つけたら、それを確保したほうが良いという意味になる。
秦の始皇帝を知っている人もいると思う。
古代中国の王朝である秦という帝国を作った人がいて、その初代皇帝が始皇帝になる。
始めての皇帝だから、始皇帝。
彼は秦という国の王子として生まれて、即位後に当時あった諸国を滅ぼして中国で初めて統一王朝を作った。
まぁ統一王朝って言っても、今の中国の少し北東寄りの真ん中らへんの範囲しか支配していないのだけれど。
で、その始皇帝の父親にあたる人は、秦の王の息子だったのだけれど、敵国の趙に人質として出されていて、酷く軽んじて扱われていた。
その人を呂不韋という商人が見出して、彼に投資して母国の秦の王に据える援助をすることで、彼が王になった後に甘い汁を吸おうと画策して、成功したという話がある。
その際に、"奇貨居くべし"という言葉が出てくる。
「 子楚(引用者注:始皇帝の父親)は妾腹の子であり、他国に人質となっている身分だから、馬車や財産が豊かでないばかりか、日常生活も苦しむ不如意であった。たまたま呂不韋が商用で趙の都の邯鄲に行ったとき、子楚を見て哀れに思い、「これは奇貨だ。買い入れたほうが良かろう。」と子楚を訪ねて、「わたしは貴方の門戸を盛大にしてあげようかと思います。」と言った。
子楚は笑って、「まずきみの門戸を盛大にしたうえで、わたしの門戸を盛大にしてほしい」と言うと、「あなたはおわかりでないのです。私の門戸は、あなたの門戸が盛大になるにつれて盛大になるのです。」と言った。
子楚はその意味をさとって奥へと招じ入れ、対座して密談した。
(小竹文夫訳『世界文学大系 5B 史記』 筑摩書房 1962年 p.139) 」
"奇貨居くべし"という言葉はこのエピソードから来ている。
奇貨居くべしの"奇貨"は、要するに珍しい貨幣とか、価値のあるものという程度の意味になる。
それを見つけたら確保や投資をしよう、手元に置こうということ。
だから決して、攻撃のチャンスを見つけたら攻撃を緩めるな、という意味ではない。
鬼頭先生は辞書かなんかで"奇貨居くべし"という言葉を見つけたか、実際間違った用法で使われている"奇貨居くべし"という言葉を見て、それを使ってしまったのだと思う。
あくまで投資の話でしかないぞ。
まぁ『史記』の内容を知っている場合の方が少ないし、僕だって横山光輝先生の描いた漫画の『史記』から入ったし、些細なミスと言えば些細なミスなのだけれど、まぁ一応、解説記事なので。
この後、国防軍は攻撃を続けるけれども、フィッグから反撃を受けて那智が沈んでしまう。
(3巻p.112)
ここでデータリンクという言葉が出てくるのだけれど、一応ググったら、普通に軍隊が使う通信のことをデータリンクと呼ぶらしい。(参考)
そう…。
その次のページで登場する飛行機の機体?ユニット?の名前としてフィッシュケーキというものが出てくる。
(3巻p.113)
ググって確かめたら、あんのじょう、そういう料理で、イギリス料理らしい。
そう…。
この後、妙高であろう軍艦も沈んで、航空部隊が全滅する。
それを聞いたカコが無様に逃げ出す。
(3巻p.124-125)
それにしてもカコくんの表情が迫真だよなぁと思う。
それを見かねたキリエがカコに「足、速いよね」と言い、カコは逆上する。
(3巻p.126-128)
全体的な話の流れは分かるのだけれど、どういう意図でキリエはあんなこと言ったんでしょうね。
考えたのだけれど、一番妥当と言えるだろうのは、自分が殴られる結果になったとしても、とりあえずカコに逃げるのをやめさせて、人々を踏みつぶすのを妨げようとしたという所だと思う。
そのあと、マチがナイフでカコを殺害する。
(3巻p.131-134)
最後の方で、チズが言っているできるって言ったいうのは、このシーンのこと。
(3巻p.22-23)
おそらくこのシーンのことなのだけれど、別にできるとは言っていない。
もしかしたらなのだけれど、作中で描かれていないキリエとの会話の中でそのようなやり取りがあって、そこでキリエに「わたしは殺すことが出来る」って言ったのかもしれない。
けれど、先のチズはどう見てもカコに向かって言っているのであって、鬼頭先生の中で記憶の混乱があったのかもしれない。
カコを刺殺した後に、こういうやり取りがある。
(3巻p.137)
ここでチズはキリエのためではなくて、自分のためにやったと言っている。
キリエを助けるためにカコを刺殺したわけではなくて、カコが負けてしまうと自分の復讐が出来なくなるから、殺したのだと言っているのだと思う。
・追記
そうではなくてカコが歩きまわって人を殺すことによって、ジアースを大人たちに奪われることを懸念しての行動らしい。
キリエにしても、歩きまわることで死ぬ人を減らすためにキリエはカコにあのようなことを言ったという理解の方が正しいと思う。
詳しくは僕が書いたモジ編の解説参照のこと。
追記以上。
次のページで、一人足りなくなったと言った直後に、ウシロの表情のコマがある。
(3巻p.138)
これは…伏線だと思う。
ウシロは契約していないから、思うところがあって、こういうコマが存在していると考えられると思う。
ただ、次のセリフのための間として想定している可能性もある。
どっちだろうね。
分からないけれど。
ウシロはカナを使えばいいと言っているけれど、この時点でのウシロは割とマジでカナのことが嫌いだからという理由で、本気でカナを使えば良いと思っていると思う。
それを聞いたマチが「ウチの兄貴みたい…」って言っているけれど、こっちは間違いなく伏線になる。
おそらく、終盤のコエムシの性格は鬼頭先生の健康状態の改善によって丸くなっている。
この時の鬼頭先生の脳内のコエムシは、そういうことを言うような奴だったのだと思う。
そして、カコは死んで、パイロットはチズになる。
(3巻p.145-146)
頸動脈をナイフで切られたカコは即死した結果、ロボットの主導権はチズに移った模様。
昔、ガチ鬱期にグロ動画ばっかり見ていた時期が僕にはあるのだけれど、その時に得た知識と、このカコの即死の描写は相反しているということが僕の中で問題としてあった。
僕の記憶では、頸動脈を切断したところで即死はしないはずだった。
なので僕は、このことについてねっとりとした検証を行った。
「頸動脈 失血死」辺りでググると、こういうサイトが引っかかって、失血開始から数十秒で意識は遠のくし、本当に直ぐに死んでしまうと書いてある。
それは僕が映像で見た情報と違う。
ただ、その記憶は古い記憶なので、少し前にグロサイトに行って、ひたすらに頸動脈に致命傷を受けた人の動画を見続けていた。
なんで漫画の解説のためにこんなことしなくちゃいけないんだろう。って思いつつ。
結果分かったことがあって、頸動脈が切断されて失血が始まったところで、数分は確実に生きているし、別に意識も失わないということが再確認された。
結局、頸動脈切ったら数十秒で意識がなくなるだなんていうのは机上の空論で、実際に生きている人間を想定出来ていない。
先のリンクの内容だと、失血する速度からかなり早く血液が失われて、それが故に直ぐに意識を失ってしまうという話なのだけれど、人間がどういう挙動をするかを想定していない。
首を切られたなら、手でそこを押さえるし、顎を下げて傷口を押さえるような動作をする上に、アドレナリンは多量に分泌されるだろうから出血はその分勢いが失われる。
更には失血が続くにつれて出血する量も減っていくわけであって、即死レベルで死んでしまうということは起きないというのが実際らしい。
計算上より遥かに失血の速度は遅くて、普通に数分は明らかに意識を保った動きを人間はしていた。
だから、カコのそれにしたって、本当だったら数分間もがき苦しみ続けていなければならないわけであって、鬼頭先生は間違った知識を用いて漫画を描いてしまったというのが実際だと思う。
ただ、カコが床でのたうち回っている描写とか普通に見たくないから、あれで良かったと思う。
まぁ人間なんて爆弾で下半身吹っ飛んでもしばらく生きているし、古代中国の処刑方法で腰斬の刑とかあるのだけれど、腰の辺りで真二つに切断されてもそれでも暫くは生きていたと聞いたことがあるので、即死は脳を破壊されたりしない限りそうそう起きるものでもないらしい。
それと、頸動脈を切ったところでいくら即死はしないとは言っても、その外傷は致命的であって、もう助からないということは変わりがない。
病院で首を切りでもしない限り、救助までに失血死してしまうのであって、頸動脈を切ったら死ぬということは事実になる。
ただ、即死はしない。
加えて、ここについても事実に反している。
(3巻p.135)
ピピッ感じにチズの顔に血が飛んでいるけれど、これも実際は違う。
僕自身、確かそのように出ると何処かで読んだことがあるし、そもそもとして、昔の時代劇とか普通に出血の描写があったのだけれど、プシューって感じで出血していた。
それは実際的ではない。
実際はもっとドバッと出る。
手首の細い動脈あたりだとプシューって出るかもだけれど、実際はドバドバ出るという表現が一番近いと思う。
まぁグロサイト行って確かめるといいよ。
この記事の検証作業はあくまで『ぼくらの』の解説のためにしたのだけれど、得たものがないこともなかった。
僕は動画を見つつ、自分が興奮状態にあるということが把握できた。
手汗を感じて、脈動が早くなったり、軽い緊張状態に自分があると認めることが出来た。
おそらく、アドレナリンが分泌されていた。
これについて僕は進化論的に獲得された形質だと理解していて、人間はそのような場面で興奮した個体の方がより生き残れたのだろうと、この出来事から学ぶことが出来た。
更に、人間の脳は映像と実際の体験との区別が出来ていないこともこのことから分かった。
区別出来たら僕の脳がアドレナリンを分泌することはない。
他には、派手に事故ったり、処刑される人の周りに集まる人々について、その喚き散らす挙動が、以前僕が『サル学の現在』という出版されたのが1999年で全然現在ではない本で読んだ、同胞を殺して食う時のチンパンジーの描写とそっくりだった。
おそらく、チンパンジーと僕らが同じ生物だった頃から、あのように喚き散らす形で死を囲んでいたのだろうと僕は思った。
カコ編については以上になる。
僕は『ぼくらの』の解説をするにあたって、とりあえず目次を作って、『ぼくらの』の○○編の解説、というところだけ先に用意してから書いていた。
その時、どうせ書くことねぇだろうと思って、カコ編については「『ぼくらの』のカコ編およびチズ編の解説」と銘打って、カコ編とチズ編を一回で終わらせるつもりでいたのだけれど、蓋を開けてみたらカコ編だけで前編中編後編必要になった。
というかチズ編について、戦闘と回想ばっかで書くことがないと思ってたからそうしたのだけれど、ねぇ。
まぁしょうがないね。
では。