表題通りのちょっとした解説を書いていく。
この記事はアニメ版のちょっとした解説しかしないけれど、原作の方の解説はねっとりと行っているので、それを読みたかったら目次の方へアクセスしてください。
以前、『ぼくらの』のドラムの解説の記事に、
「アニメ版の考察もやってくれよな~頼むよ~」
というコメントが来ていた。
僕はそれを読んで、絶対に考察なんてしてやるもんか、って思った。
貴方は僕に要求をして、貴方はそれを貪るだけで僕だけ労力を支払う。おかしいと思いませんか?貴方。
最近、何かを要求されると純粋に殺意が湧くということが分かってきた。
僕の作業が増えるようなコメントを貰うとイラっとする。
正直、そのコメントを貰ったときでさえ、僕がもしメロスだったら必ずかの邪智暴虐の王を除かなければならぬと決意するレベルだったのだけれど、それはそれとして、『ぼくらの』のアニメ版について、ちょっと補足しなければ分からないよなと思うようなところがあったので、それについて補足することにした。
ちょっとTwitterで、以下のようなことを言っている人がいた。
「ぼくらの。の監督は作品自体嫌いだったから改変してもせーフ理論
一理もない」
これを読んで僕は、確かに、そこの辺りの事情について、当時の状況を知らなかったらそう勘違いするよなぁと思ったので、そこの辺りについての補足をしようというのが今回の内容になります。
『ぼくらの』のアニメ版は、2007年に放映されて、その段階だと原作の方が放映開始時点でキリエ編までしか進んでおらず、アニメの方はキリエ編からオリジナル展開になっていて、そのオリジナル展開がボッコボコに叩かれていたという経緯がある。
そして、『ぼくらの』のアニメの監督は自身のブログで、「「ぼくらの」の監督は原作が嫌いです」と言ってしまったということがある。
いや、本当に言っていて、それは未だに残っている。(参考)
このことについて先の人は言っているのだけれど、僕はそれについて、事実と違うということを知っている。
いやまぁ、監督が原作嫌いだと公言して、オリジナル展開をアニメで披露したということは事実なのだけれど、少し誤解がある。
『ぼくらの』のアニメなんだけれど、GONZOというアニメ会社が作っている。
この意味について、当時のことを知らない人はまるで理解出来ないだろうので、この記事はそこについて補足のために書いています。
漫画が原作でGONZOがアニメ化した作品は当時結構あったのだけれど…うん。
別に『ぼくらの』だけでオリジナル展開をおっぱじめたわけではない。
『GANTZ』や『クロノクルセイド』、『瀬戸の花嫁』、『ハヤテのごとく!』とかでは、当然の権利のようにオリジナル展開が繰り広げられていた。
知らないけれど、『絶対可憐チルドレン』もそうなんじゃないだろうか。
当時の感覚としては、GONZOのアニメって言うことはそういうことだった。
GONZOと言えば、原作が往々にして台無しにされたアニメが作られていた。
アニメ化が決まって、制作会社がGONZOだと分かった時に、多くの人が落胆をするというのが当時の感覚だった。
正直、監督が駄目だったというよりは、GONZOが『ぼくらの』をアニメ化したのが駄目だった、というのが当時の感覚だったと思う。
オリジナル展開について言えば、僕は今のアニメを存じ上げないから今の事情とか知らないし、当時のアニメ事情にしたって別に詳しいわけではないのだけれど、結構オリジナル展開が頻出していたことをよく覚えている。
原作が途中までしか進んでいない場合、オリジナル展開で終わりを迎えるというパターンが非常に多くて、『シャーマンキング』とか『鋼の錬金術師』について言ってみても同じで、当時としては別に当たり前のことだったのだと思う。
どっちも見てないけれど。
だから、『ぼくらの』についても全く同じで、アニメ版の監督が原作が嫌いだからオリジナル展開になったわけではなくて、原作が途中の段階でアニメ化企画が生じた作品は、多くの場合オリジナル展開が行われたという事情があって、『ぼくらの』は当時の慣習に則ってオリジナル展開が開始したに過ぎなかった。
いつからそのようなものが減っていたのか、僕は知らないし、実際のところ興味もないのだけれど、当時としてはそれが当たり前であって、別に『ぼくらの』の監督が原作が嫌いだから一存でオリジナル展開に突入したのではなくて、普通に当時の慣例に従って、オリジナル展開に入っただけになる。
『ぼくらの』の場合は、そのオリジナル展開を作るにあたって、原作の子供たちがあまりにも可哀そうだから、救いのある内容にしたいという心持ちを語っただけで、監督自身に悪意があったわけではないのだと思う。
ただ、オリジナル展開は博打的で…というか、構造として問題がある。
結局、原作者の方は何年も何年も構想して、色々考えて担当と何度も相談して内容を作り上げるのだけれど、アニメ版の方はと言うと、急に仕事を渡されて、数か月で展開を考えて、完結させなければならなかったという事情がある。
どちらの方が面白い場合が多かっただろうか。
当然、付け焼刃のアニメ版よりも、原作の方が面白い場合の方が多かった。
なので、多くのオリジナル展開は原作よりつまらなくて、それが故にボッコボコに叩かれた。
『ぼくらの』の場合で言えば、更に監督が原作が嫌いだとか言ってしまったがために、ただでさえ原作に劣る展開だったという事情があって、それはもう燃え上がった。
逆に、原作よりオリジナル展開の方が面白かったという稀有なパターンもあって、『瀬戸の花嫁』辺りはそうらしい。
他には『GUNSLINGER GIRL』という漫画作品があって、これもアニメ化していて、しかも二回もアニメ化している。
ただ、一回目は原作者はノータッチで、二回目は原作者が介入した結果、一回目の方が二回目より評価が高かったという奇妙なことすら起きている。
僕は原作しか知らないし、原作にしたってキアーラが可愛い以上の記憶はないのだけれど、『GUNSLINGER GIRL』のファンの友達が言っていた。
なんか作者の介入したアニメの二期については、「原作者は原作をちゃんと読め」とか言われてたらしい。
だから、原作に忠実に、さもなくば原作者の意見を取り入れれば評価されるということもなくて、オリジナル展開の方が面白いと言われる場合さえある。
評価軸は面白いか面白くないかだけであって、『ぼくらの』について言えば、純粋に原作より面白くなかったからこそ、そういう話になっている。
例え、監督が原作が嫌いだと言ってしまったとしても、原作より面白い展開を作ることが出来れば、別にたたかれることはなかったと思う。
当時としてはアニメのオリジナル展開が別に珍しくなかったという事情について、それを知らずに『ぼくらの』のアニメ版の監督の話だけを聞いたとしたならば、先のような誤解をするよなと思って、その誤解を解くためにこの記事は存在している。
この記事はちょっとした解説だから、以上になる。
そもそもアニメ版について言えば、いきなり『ぼくらの』を渡されたアニメ版スタッフが数か月で適当に決めた内容なわけであって、僕は彼らのことを知らないし、興味もないし、アニメ見ないからアニメ的な話も分からないし、考察なんて出来るわけがない。
アニメなんて見ねぇよ。
この記事で挙げたアニメだってほぼほぼ見たことねぇよ。
Wikipediaと睨めっこしながら書いただけで、アニメのことなんて知らないよ。
昔の僕は漫画が好きだっただけで、今の僕はその漫画すらあんまり読んでいない。
それなのに、アニメの考察とか要求されても、「知らないよ」としか思わない。
大体さぁ、僕の書いてるのは考察じゃなくて解説でしょ?ほとんどの場合。
それなのに考察を要求された時点で、本気でイラっとしました。(小学生並みの感想)
ちゃんと僕の書いた内容を読んだ人は、ちゃんと解説って言っているから、あの人は読んでないって分かるし、読んでないって分かる上に要求されたらイラつくのは当たり前なんだよなぁ…。
要求するならもう読む記事がなくなった上で要求してもらいたいというか、僕としては他の記事読めよとしか思えないし、全部読んだ上で要求されてもあまりいい気分はしないのであって、それなのに読んでない上で要求されたら、その、ね…。
しょうがないね。
そんな感じの、アニメ版のちょっとした解説。
ナニモイウコトハナイ。
では。
・追記
唐突に思い出したから追記するのだけれど、アニメのオリジナル展開は本当に頻繁にあったらしくて『HELLSING』という作品でもオリジナル展開で放送されたらしい。
見てないけれど。
『HELLSING』に関しては作者がマジ切れしてて、アニメ化に際してもらったDVD全巻をまんだらけに売ったと平野耕太先生は言及している。
だから『ぼくらの』にしても当時としては別によくあるパターンとして後半オリジナル展開になったというか…今調べてみたら『HELLSING』もGONZOでアニメ化されてるじゃないか…(呆れ)。(参考)
結局、GONZOが漫画原作のアニメを作るというのはそういうことだったらしい。
作者がDVD全巻をまんだらけに売ったと公言した『HELLSING』より『ぼくらの』は相対的にマシな出来だったのではと個人的に思う。
まぁ『HELLSNG』は後に漫画版を完全にアニメにしたOVAが発売されているから、救いはあるのだけれど。