起業から、経営者へ、そして・・・ -29ページ目

起業から、経営者へ、そして・・・

スレッドの書き込み、楽しみにしています。

今朝は、朝から早くホテルを出て、「万里の長城」に初めて訪れた。

チャーターした車で約1時間半ほどで、そこへ着いた。(写真参照)

観光は、全くの予定外で、同行者と顔を見合わせながら、大変に驚いた。

まず、その「万里の長城」の迫力である。圧巻であった。2000年以上昔に2000年以上の歳月をかけて築かれたそれは、人間の英知の可能性を無限大だと言うことを諭させられる。些細なことで悩む自分が、本当に塵の一片にしか感じない。(写真参照)



初めての北京訪問だが、今回の旅ほど自身を考え直す機会は無いと考える。このブログでつづっている「回想」も、ここ暫く停滞しているが、様々な自身の内面の変化があるのも事実である。だが、やっと再開できそうです。

そこには、一人の男が座っていた。耕一と見た目は同じくらいの年齢だろうか?若く見えた。高柳と野村は「どうも、お久しぶり。」と声を掛けた。その男は振り返り「やあ、どうもどうも・・・」と3人を席に招いた。高柳が「中澤さん、こちらが村上さん。元、証券会社なんですが、今はコンサルタント中心に活動されています。今後の事も含め是非、ご紹介したくて・・・」耕一は「はじめまして」と名刺交換をした。一瞬、不思議に思った事があった。「この時代なのにEメールのアドレスがない。当然、携帯電話も記載されていない」名刺だった。



野村が「まあ、初めてですので乾杯」とグラスをかざした。それからは、ショートステージのライブが始まり、店内は騒がしかった。歌っていたのは、鶴田浩二の娘とのことだった。その後、数人の女性がこの4人の間に座り、それぞれの相手をし始めた。慣れていない耕一は、居心地が悪かった。隣に座った女性「洋子」が話しかけてきた。「ねえ、何のお仕事しているの?お若いのに社長さんなのね?」

「ええ、まあインターネット関連の仕事ですが・・・」耕一は答えた。すると「ねえ、今日はここ初めて?村上さんと同席する人は皆同じ匂いがするのに、中澤さんは違うわね?」耕一は、洋子の言葉の意味側からなった。そして耕一は「洋子さんは、この仕事が専門で長いの?」尋ねた。洋子は首を横に何度も振りながら「違うわよ。私は、チャンスを掴む為にここに居るの。」耕一は「何の事か理解できないな?どういうこと?」と聞き返した。すると洋子は「私も実は、半年ほど前に立ち上げた健康食品の会社の社長をしているの。当然、スタッフを持ってるわ。2人だけよ。でも、なかなか売上が予定通りに上がらないわ。給料払うのも大変だし・・・せめて自分の生活費くらいは会社に負担にならないようにと夜だけここで働いてるの。」耕一はびっくりした。自分が今まで考えていなかったからだ。ひたすら真っ直ぐ、自分の仕事にだけこだわってればいいと考えていたからだ。洋子は続けて「それにね、ここのお客さんって結構いい筋の人もいるわ。例えばこの席の村上さんもそうね。つまり、お金持ちが多いってことかな。だから、チャンスを見て私の会社のスポンサーを狙うの。絶対に枕営業はしないでね・・・」耕一は、洋子の瞳の奥の輝きを垣間見た。



それからしばらく雑談をして、午前前にはそれぞれに分かれてその夜は終わった。
私が、中国とのビジネスに関わるようになったのは、かれこれ4年ほど前からだった。最初は、店舗の開発に関わる大手百貨店の案件だったが、見事に裏切られた。

そして、二度目は某メーカーの日本での展開だった。これも、後ろ盾が虚構で全く駄目!

そして、三度目だが原材料・加工に関わるビジネスだが、どうやら今のところ裏切られては居ないが、なんとも理解しがたい。



かつての日本は、欧米から見て同じレベルだったのかz?否、そうでは無いと私は思う。日本社会では「信用」を非常に重んじ、商習慣も独特だが、基本的に真実ありきの考え方ではないか?非常に控えめで、堅実な民族性は、他の国とは異なる何かを含んでいる。よって、戦後の復興は、世界に類を見ないほどの成長した要因の一つではなかろうか?

中国は、日本と異なる食文化があり、大変興味をそそられる。とにかく、何でも食べてしまうのには驚く。あえて、写真は載せないが、ちょっと腰が引けてしまう。

また、今夜もどんなものがテーブルに並ぶやら・・・
北京に来ました。上海は何度か行っているのですが、今回はこのたびの後半が上海です。空港から、タクシーで数キロはなれた市街地のホテルから、中継ですよ!



季節は、今は秋。気温も心地よく非常に落ち着いた空気が流れています。

今回も、仕事ですが運良く、飛行機はビジネス(修学旅行の団体とかちあたって、移された。)で、ホテルでは予約をミスした理由で、エグゼクティブルームで、結構幸運のようです。ここ数回の海外出張では、珍しいです。ただ、ホテルはいつもの予算よりかなりオーバーしていますが・・・



また、週末をはさむ事もあって、今回は遠方に足を伸ばすことになっています。

今週は、トピックスで暫く、中国紀行をお届けします。この時期は、旅行には最適だと言うことを感じました。明日は、終日仕事の打合せですが、北京市内の写真でもお届けできればと思っております。それでは・・・
実は、仕事の関係で、売掛金の未回収に関して、少々厄介な問題の担当をしている。



元々、現在所属の企業の社員だった人間が、独立し、特約店契約を結び、商品を販売していた。ところが、この独立したK氏は、自己資金で会社を設立したのではなく、100%他人もしくは親会社の資本金で、作られた法人の代表となった。何だか、どこかで聞いたような話ではあるが・・・



問題の未回収に関してだが、単純に商品仕入代金を支払わないのだが、K氏の法人の財務一切の管理・権限を親会社が、握っていた実態が明らかとなった。よって、商法224条3項に基づき、法人格否認の事実に基づき、この親会社並びに、親会社の代表に未払い請求を起こし、結果、係争となっているのである。

私は、当事者窓口ではあるが、本件の商談には一切関知せぬ過去の履歴である。冷静にみて、主観的でもなく限りなく、客観的に本件を判断するが、単純に「K氏の親会社が商品仕入れ代金を支払えばすむことである。」と思うのだが・・・



人間とは、真にあさましきかな?状況や、立場、感情が折り重なると、筋論が全く理解できず、迷想し始めた思考回路で、まことに愚かな暴挙に出るのが人間か???はっきり言って、私が正義の味方的存在で、正邪の判断を下せるならば、理屈抜きに、Y/Nをはっきりさせると共に、「まあまあ・・・」と曖昧な、調整ごっこは決してしない。はっきりと、非を認めさせることが必要と考える。



本件のような事を起こす人間は、基本的に詐欺師的で常習性があると思われる。つまり、一生この性格が直らないので、制裁を加えるか、社会的に抹殺するしか道が無いのである。

いづれにしても、事の経緯が弁護士などから報告のあるたびに、体内の血液が逆流するほど、憤慨している。決着にどのくらい時間がかかるのか?私の所属する法人の利益を守るために、必ず早期決着を・・・



これを読まれた方、是非、ご意見を・・・

昨日と本日の分の原稿がとんでしまいました・・・・

とほほほほ・・・・・です。



今日は、掲載する気力がありません。

すいません。



明日には、また連載します・・・



このまま、ビールでも飲んじゃおうかな・・・どなたか一緒に飲みませんか?
耕一は、野村氏との面談をすることとなった。指定された場所は、後楽園ドームホテルのある韓国料理店だった。昼間、ランチミーティングとなったのである。

耕一はいつも通り企業紹介をした。野村氏は「まあ、ITのことはさておき、メインの株主のネクサスはどうですか?」と質問された。「いや特に当社と何か問題があるとは、感じていませんが・・・」と耕一は答えた。野村氏は「そうですか?いや、ただ光通信の関係もあって大変じゃないかと・・・御社の事業内容には興味を示している企業もあると思いますよ。非常にユニークだし・・・」なんとなく意味ありげである。野村氏は続けた。「来週、ある人と会食するから一緒に同席はどうですか?是非紹介したいんですが・・・」耕一は「分かりました。」とその場の話は終わった。



翌週(2000年11月中旬だったか???)赤坂の「やげんぼり」という店に呼ばれた。そこには、野村氏だけではなく、紹介者の高柳氏も同席していた。一種独特の空気が流れる店であった。野村、高柳のそれぞれが、他のテーブルの誰かと目で挨拶を交わしているのである。何だろうと思っていたら、高柳が「右隅置くのテーブルの左端の人が、自民党の○×△氏の政策秘書だよ。その横が、第一證券の課長かな?」と耳元でささやいた。耕一は「ふ~ん」と思いつつ、自分にあまり関係ないかなと思っていたが、次の瞬間、野村氏から話を切り出された。「中澤さん、エイペックスジャパンは、IPOしたいんだよね?それには、今の株主構成ではきついな。資金も必要だが、今のネクサスとの関係をどうするかだよ。この手の話は、IPOを目指すベンチャー企業では日常茶飯事の問題なんだが、どうだろう?これから紹介する人に相談してみては?・・・彼は、信頼できるよ。実績が凄いから。しかも、若いし、人脈が違うんだよ・・・」 耕一は「何を言われているのか、明快に理解できなかった。」ここでの野村氏の意図は2つある。一つは、エイペックスジャパンを親会社ネクサスから離れないか?否か?そして、二つ目はそのためにはある人物の支援を仰がないか?との事であった。耕一は困惑した。・・・それから、場所を変えることとなって3人は移動した。そこは地下に続く広いフロアの店、マリオネットだった。いわゆる高級クラブの類であった。



最近巷で、このCMやグッズをよく目にする。どうやら、キューピーの販促のようだが、実に耳に残るPR効果の高い販促だと感じる。

これほど、ブームを起こせるとは、誰も予想していなかったのではないか。

「キモかわいい」なる言葉まで、出てきて暫くは勢いが衰えないようである。
投資金には、何かしらの性格を持つ場合が多い。創業者の自己資金であれば、それは純粋に色はないし、どんな使い方をしても責任の所在ははっきりしている。



先に述べた第三者としての好ましい投資家は、純粋にその事業を支援してくれることとなるが、いきなりそんな都合のよい投資家を探し当てることは難しい。通常、なにかしらの紹介者がいたりする。この際に一番注意すべきは、紹介者である。これらの人種は、どこからか情報を集め、動物的嗅覚と鋭いギャンブル感のあるハンターのような人間がいる。それは、何かしらの紹介手数料を目当てにしている。



耕一も、さまざまな人間を紹介された。純粋であるがゆえに、言葉をそのまま理解して信用するところがあった。ある金融機関がらみで、高柳という個人のコンサルタントと知り合う機会があった。彼の情報量・ネットワークの広さには耕一も魅力を感じた。後々何が起こるかも予想すらできなかった・・・

高柳の紹介で、投資家として3者の人間を紹介された。

一人目は、鮎川氏である。彼は、某大手の自動車会社の創業者の直血であった。二人目は、大手印刷会社社長の野村氏である。最後にHSBC証券の丸田氏である。

鮎川氏とは、赤坂のアークヒルズのオフィスで面会することとなった。高柳と一緒にその部屋に入ると、もう一人坂口氏がそこにいた。坂口は、大手ファンドを預かる人物だと紹介された。耕一が一通りいつものように会社説明をすると、鮎川氏から別室へ通された。「これが、今力を入れている事業です。これからは、媒体を制するのと同時にインフラも取り込んでいく計画です。」それは、イギリスのスタジオをメインとし全世界にインターネットを使った24時間リアルタイム放送局であった。すでに、HSBCは100億円を投資していた。鮎川氏は「この事業と、中澤さんが提供するものとが融合できるのであれば、投資は惜しみませんよ。」といわれた。耕一は「わかりました。再度具体的にご提案できるように、2週間ほど時間ください。当社のデモも含めて、ご提案します。」との言葉を残し、その場は終わった。

次に、野村社長と面会した。この印刷会社は、日本でも指折りの証券印刷の実績を持つ会社であった。しかし、野村社長は娘婿で、実際の商売には直接手を下すタイプではなった。ここに、大きな落とし穴があった・・・しかし、気づいたときにはすでに遅かったが・・・
一般的な評論家のような物書きをするつもりはない。ただ、私の思考のおもむくままに、綴ってみたい。



よく、投資家とは?ということについて昨今の一般、経済誌などにいろいろと書かれているが、そのような周知のことは置いといて、これまで数人の自分にとっての投資家の方々について、心より感謝するとともに重々お詫びをしたい気持ちがありました。それは、これまで記してきた通り新規事業としてのベンチャー企業へのリスクや脇の甘さにもかかわらず、快く資金を投資していただいた。また、結果としてその期待におお応えできたのかどうか?

耕一自身が、唯一この先も含めて幸運だったのはこれらの投資家の方々が大変人間味のある方々だった事だろう。

よく、資本と経営の分離が叫ばれるが、現実的には大変難しく理想論とさえ思われる。よって、資本と経営が一体として創業者がその権限と責任を持つ事が、ある段階までは望ましいのかも知れない。若くて経験少ない経営者がどうすれば、育つか?よく、大手のコンサルタントや金融機関が、言葉巧みに近づく事が多いが、所詮それが彼らのビジネス。真の当事者意識を持って、同じ目線で悩める経営者を心から支えようという人間は、土台居ないと思ったほうがよい。そのほうが、裏切られた際にショックが少なくて済む。真の成功者は、一度は地獄を味わうか見るかもしれない。

耕一は資金不足で一番苦しみを感じたのは、スタッフの給与である。一人一人の裏側に居る家族の存在における「生活」がかかっている。エイペックスジャパンのような業種の場合、実態は労働集約型の人材依存型の企業である。精神面も含め、組織内の空気、人間関係は極めて重要でそれは誠に繊細である。ゆえに「人が大切」という言葉はよく耳にするが、個人的な価値観や感情の部分まで触れたり、摩擦があると、修復も難しい。こんな当たり前の話が、経営的視点では場合によってはリスクにもなりうる。



投資家は、このような事は本来一切関係ない。目的は、心から投資先の企業を支援するか、投資によるリターンを求めるかどちらかである。政治や市場動向などによる外部要因により、時間の流れに応じて資本経済の4番打者は常に変わる。こだわり続けて、時機を逃すとビジネスそのものが風化する。そうなってしまっては、投資家も離れ事業は停滞の一途を辿る。他力本願的に流行(ブーム)だけをあてにする事業は、継続性がない場合が多い。



耕一は、何の予備知識もなく「社長業」をしていたのであった。自分は、必ず勝者になれると信じて・・・