それは、当時PC用・ネットワークプリンター類の業界で仕事をしていたが、日本国内における製品別、メーカー別の市場占有率等、正確なデータがなかった。毎年、日本事務機工業会から発表はされていたが、大手3~4社の決算短信などのデータとあわせるとつじつまが合わない。ましてや、当時の「デジタルカラー」の製品群に関しては、まだまだニッチ市場であった。
この状況で耕一は正確なデータが必要と考え自ら、情報を集める作業から始め、最終的には、日本のプリンターに関する市場データを纏め上げたのである。ちょうどタイミングよく本社主導のWorldWideMeetingがあったので、日本の報告書として提出する話になった。
ところが、報告してから2ヶ月ほどたって本社の故意にしている(日本人)人間から電話が入った。彼は「お前、なんかやばいことした?なんとなくやばい話になってるぞ」と・・・
耕一は、焦った。何もしていない。電話をくれた彼が調べたところによると、耕一の報告したデータは本社のMKGのトップが外部に依頼して調査した結果とされていて、そのデータを報告につかった耕一はとんでもない奴ということになっていた。
なんとも、はかばかしい話であるが、これを弁護・弁解するには相当な労力が必要となる。本来なら、考えもしない話である。
基本的に、この米国企業は、英語を話せない人間はNGどころか、プリンターエンジンの生産の殆どが日本ブランドであるにもかかわらず、日本人を根本的に軽蔑していた。社内でも、アジア系は立場が不利であった。いわゆる、差別に近い話である。
耕一は、裏切られた思いで、二度とその米国のMKGの担当とは話をしなかった。そして、決して米国本社に対して自信が関わった資料やファイルを渡すことはなかった。要は、売上達成して、結果だけを残せばいいのであった。(続)
あの時、あの一言がなかったら今までの自分はなかった。
人は自信を持つことは必要だが、それが過剰になると、慢心と驕りにかわる。誰でも思い当たることではないだろうか?かといって、自信を持たないことが言い訳ではない。人間のメンタリティは要はバランスでなかろうか?とても難解である。
ストレスや、外的要因で一瞬にして、そのバランスは崩れる。そんな時に、第三者の言葉がどういう形で入っていくかである。
通常は、誉められたり、激励されたりすると、心地よいものである。しかし、それではあまりその人間自身の進歩があるかどうか疑問である。逆に、耳に痛い話は不愉快である。それは、ある意味ネガティブな琴線に触れるからではなかろうか?要は、真実・本音だからである。
菊田は、耕一に後者の言葉を放ったのだ。そして、それを理解するに多少時間はかかったものの、未だにその時の記憶が鮮明に残っていた。
耕一は、菊田を訪問しこれまでの経緯と現状、これからどうすべきか?投げかけた。すると菊田は、
菊田「中澤さん、少しは角が取れたね?色々経験すると、成長するよね?」
耕一「はあ、しかし参りました。どうしたら良いのか?自分でも分からないんですよ」
菊田「中澤さんは、何がやりたいの?」
耕一「わからないんです。」
菊田「なら、焦らなくて良いんじゃないですか。今は、時間があるんだからゆっくり考えなさいよ。」
耕一「そうですね・・・また、おじゃましても良いですか?」
菊田「はい、いつでもどうぞ・・・」
耕一は、自宅に戻った。果たして、耕一はそのきっかけがつかめるのか???
自宅の一室で、深々とため息をついた。
「自分にとっての物事の意義付けは一体なんだろうか?要は、達成感が満たされることとは何なのか?・・・俗に言う幸せとは何?・・・その実態は何なのか?・・・」
答えは、自ら導き出すしかないのであった。
人は自信を持つことは必要だが、それが過剰になると、慢心と驕りにかわる。誰でも思い当たることではないだろうか?かといって、自信を持たないことが言い訳ではない。人間のメンタリティは要はバランスでなかろうか?とても難解である。
ストレスや、外的要因で一瞬にして、そのバランスは崩れる。そんな時に、第三者の言葉がどういう形で入っていくかである。
通常は、誉められたり、激励されたりすると、心地よいものである。しかし、それではあまりその人間自身の進歩があるかどうか疑問である。逆に、耳に痛い話は不愉快である。それは、ある意味ネガティブな琴線に触れるからではなかろうか?要は、真実・本音だからである。
菊田は、耕一に後者の言葉を放ったのだ。そして、それを理解するに多少時間はかかったものの、未だにその時の記憶が鮮明に残っていた。
耕一は、菊田を訪問しこれまでの経緯と現状、これからどうすべきか?投げかけた。すると菊田は、
菊田「中澤さん、少しは角が取れたね?色々経験すると、成長するよね?」
耕一「はあ、しかし参りました。どうしたら良いのか?自分でも分からないんですよ」
菊田「中澤さんは、何がやりたいの?」
耕一「わからないんです。」
菊田「なら、焦らなくて良いんじゃないですか。今は、時間があるんだからゆっくり考えなさいよ。」
耕一「そうですね・・・また、おじゃましても良いですか?」
菊田「はい、いつでもどうぞ・・・」
耕一は、自宅に戻った。果たして、耕一はそのきっかけがつかめるのか???
自宅の一室で、深々とため息をついた。
「自分にとっての物事の意義付けは一体なんだろうか?要は、達成感が満たされることとは何なのか?・・・俗に言う幸せとは何?・・・その実態は何なのか?・・・」
答えは、自ら導き出すしかないのであった。
「ギャンブル」それは、なんとなく不良っぽく聞こえる響きでもある。しかし、同だろうか?何事も、いつでも、それに該当しないだろうか?
例えば、初体験の物事は何でも該当する気がする。衣・食・住、旅行、仕事、趣味、・・・言い換えれば「決断/判断」という理解では飛躍しすぎだろうか?
ヒトは、他の動物と異なり「思考」することが出来る。これに呼応して「感情」が働く。人間においては「本能」が前面に出てしまうと「理性」なき事として扱われる。
この「ギャンブル」≒「決断/判断」は、人間にとって大変重要な事ではなかろうか?何事も、それに該当しないだろうか?
しばし耳にするのは、「選択と集中」とは言うものの、最後は「決断」である。
さて、ではこれを組織に置き換えてみよう。企業に限らず、全てのカテゴリーの組織において「決断/判断」は、更に重要である。事と場合によっては、転地が逆転する事さえある。その「ギャンブル」を仕切っているのがトップと呼ばれる「主導者(リーダー)」である。
このリーダーの能力は、誰にでもあるはずである。なぜなら人間は「決断」の連続でその存在を維持しているのだから・・・
ただ、多くの人間や、柵が絡み合うと、とても厄介な事になる。
そう、組織に隙間やキシミを感じたら、それは「ギャンブル」≒「決断/判断」がずれ始めているか、間違っていたか????いづれにしても、自身の「ギャンブル」の履歴は、正確に把握する事で、更なる勝率が上がるのではなかろうか?(笑)
例えば、初体験の物事は何でも該当する気がする。衣・食・住、旅行、仕事、趣味、・・・言い換えれば「決断/判断」という理解では飛躍しすぎだろうか?
ヒトは、他の動物と異なり「思考」することが出来る。これに呼応して「感情」が働く。人間においては「本能」が前面に出てしまうと「理性」なき事として扱われる。
この「ギャンブル」≒「決断/判断」は、人間にとって大変重要な事ではなかろうか?何事も、それに該当しないだろうか?
しばし耳にするのは、「選択と集中」とは言うものの、最後は「決断」である。
さて、ではこれを組織に置き換えてみよう。企業に限らず、全てのカテゴリーの組織において「決断/判断」は、更に重要である。事と場合によっては、転地が逆転する事さえある。その「ギャンブル」を仕切っているのがトップと呼ばれる「主導者(リーダー)」である。
このリーダーの能力は、誰にでもあるはずである。なぜなら人間は「決断」の連続でその存在を維持しているのだから・・・
ただ、多くの人間や、柵が絡み合うと、とても厄介な事になる。
そう、組織に隙間やキシミを感じたら、それは「ギャンブル」≒「決断/判断」がずれ始めているか、間違っていたか????いづれにしても、自身の「ギャンブル」の履歴は、正確に把握する事で、更なる勝率が上がるのではなかろうか?(笑)
元々、営業マンとして10年以上法人相手に、仕事をしていた耕一は、彼なりのやり方もあった。しかし、今は、売る物がないのである。材料や製品を売るわけではない。では、いたい「何を売るのか?いや、売る物など何もない。じゃ、何を目的に、面談をするのか?」
このスタート時点での何かを見極めるために、かつての恩師である菊田氏に連絡してみた。
この菊田氏は、以前大手の人材教育会社のトップインストラクターをしていた。耕一が27歳の時、当時在籍していた会社の命で「営業マンパワーアップセミナー」へ参加した。対象は、営業5年以上のいわゆるベテランの手前の人材である。この頃の耕一の記憶を少し、辿ろう・・・
これに参加した際に、耕一は一生忘れる事が出来ないほどの強烈な記憶があった。それは、参加初日の夜「おい、中澤、立て!」と菊田から怒鳴られた。耕一は、黙って立った。菊田は「貴様、何しにここへ来た?真剣に受講できないなら、今すぐ帰れ!」と・・・・耕一は、一瞬「まあ、しょうがない・・・」とだんまりを決め込んでいた。会社の命で来ている以上、途中退散はみっともない。そこで、その場は渋々「すみません。」と謝罪した。しかし耕一は「そこまで、言うならこのセミナーがいかほどのものか、試してやろう!」と全身の集中力を上げてその後、3日間を過ごした。
セミナーから戻った耕一は密かに、講習で教えられたプロセスを一つ一つ検証してみた。つまり、実践したわけである。1ヶ月ほど経った頃から、これまで訪問していた担当者からの電話が増えた。(当時は、携帯電話もなく、ましてやパソコンもない時代である。あったのはポケベルくらいだったが・・・)明らかに何かが変わり始めたことに気づいた。それは、電話の内容が相談事が多くなってきた事と相手の口調が明らかに好意的に感じた事である。
耕一は、不思議に思った。「なぜだろう????」すると、3ヶ月~半年と過ぎていった。その時振り返ってふと気づいた。それは、営業として売込成功率が明らかに上がっていた事であった。これは、扱っていた商品が生産向けの製品のために、採用までにそれ相応の時間がかかると同時に、案件を拾い上げるのも容易ではない。よって、面談での対話が大変重要である。先のセミナーでは「気づき」を最大のテーマにした対話における能力をシステマチックに学んだのではなかろうか?
人の心理は、言い換えれば「気分」そのものである。いかにして、こちら側の意向を伝え、理解してもらい、納得してもらうか?と同時に、いかに相手に本音を話させるか?ではなかろうか?これは、物を売るという行為に留まらず、「対話」としてその目的を果たすための基本的なプロセスではなかろうか?
そして、耕一は売込成功率(例:10件の新規採用売込みに対しての成約率)が6割、7割を上がっていくのを自身で体感したのであった。(続)
このスタート時点での何かを見極めるために、かつての恩師である菊田氏に連絡してみた。
この菊田氏は、以前大手の人材教育会社のトップインストラクターをしていた。耕一が27歳の時、当時在籍していた会社の命で「営業マンパワーアップセミナー」へ参加した。対象は、営業5年以上のいわゆるベテランの手前の人材である。この頃の耕一の記憶を少し、辿ろう・・・
これに参加した際に、耕一は一生忘れる事が出来ないほどの強烈な記憶があった。それは、参加初日の夜「おい、中澤、立て!」と菊田から怒鳴られた。耕一は、黙って立った。菊田は「貴様、何しにここへ来た?真剣に受講できないなら、今すぐ帰れ!」と・・・・耕一は、一瞬「まあ、しょうがない・・・」とだんまりを決め込んでいた。会社の命で来ている以上、途中退散はみっともない。そこで、その場は渋々「すみません。」と謝罪した。しかし耕一は「そこまで、言うならこのセミナーがいかほどのものか、試してやろう!」と全身の集中力を上げてその後、3日間を過ごした。
セミナーから戻った耕一は密かに、講習で教えられたプロセスを一つ一つ検証してみた。つまり、実践したわけである。1ヶ月ほど経った頃から、これまで訪問していた担当者からの電話が増えた。(当時は、携帯電話もなく、ましてやパソコンもない時代である。あったのはポケベルくらいだったが・・・)明らかに何かが変わり始めたことに気づいた。それは、電話の内容が相談事が多くなってきた事と相手の口調が明らかに好意的に感じた事である。
耕一は、不思議に思った。「なぜだろう????」すると、3ヶ月~半年と過ぎていった。その時振り返ってふと気づいた。それは、営業として売込成功率が明らかに上がっていた事であった。これは、扱っていた商品が生産向けの製品のために、採用までにそれ相応の時間がかかると同時に、案件を拾い上げるのも容易ではない。よって、面談での対話が大変重要である。先のセミナーでは「気づき」を最大のテーマにした対話における能力をシステマチックに学んだのではなかろうか?
人の心理は、言い換えれば「気分」そのものである。いかにして、こちら側の意向を伝え、理解してもらい、納得してもらうか?と同時に、いかに相手に本音を話させるか?ではなかろうか?これは、物を売るという行為に留まらず、「対話」としてその目的を果たすための基本的なプロセスではなかろうか?
そして、耕一は売込成功率(例:10件の新規採用売込みに対しての成約率)が6割、7割を上がっていくのを自身で体感したのであった。(続)
いつの間にか、スケジュールが詰まってしまう生活になっていた。
日本エンタープライズの人材斡旋、相互企画での幾つかの案件とそれ以外に、それまで面識のあった、コンサルティング会社、証券会社、ベンチャーキャピタル等々から、常時連絡が入るようになったのである。
自宅の一室を仕事部屋とし、深夜はパソコンに向かって長い時間を過ごすようになった。改めて、購入したばかりの自宅(マンション)で、「我が家」というものを実感したりした。
耕一は、「今後のために何かしら、知識若しくは、人脈を吸収しなければ・・・」と考えた。(続)
日本エンタープライズの人材斡旋、相互企画での幾つかの案件とそれ以外に、それまで面識のあった、コンサルティング会社、証券会社、ベンチャーキャピタル等々から、常時連絡が入るようになったのである。
自宅の一室を仕事部屋とし、深夜はパソコンに向かって長い時間を過ごすようになった。改めて、購入したばかりの自宅(マンション)で、「我が家」というものを実感したりした。
耕一は、「今後のために何かしら、知識若しくは、人脈を吸収しなければ・・・」と考えた。(続)
その話の中で、藤本氏がこれまでに別の会社の株式公開に関わり、それなりの実績があると言うことが分かった。更には、日本エンタープライズの職責はもう既に、過去の事として別途何か新しい方向を見出そうとしていた。この時点ではそれが何なのか?分からなかった。
これとは別に、耕一は自身の中で、今ひとつ整理がつかない気持ちが続いていた。これから何をどうすれば良いのか?そして、一体自分には何が出来るのか?自身の中に何も見出せないままでいた。「どうしよう?」そんな思いで、家族と共に北海道旅行に行った。
耕一の家族は、初めての経験でこれまでに無い贅沢な旅行を経験した。
しかし、耕一の空白は埋まることもなくただ、なんとなく時間が過ぎるような思いであった。
そんなある日、木場から電話があった。
「中澤さん、今何してる?忙しくなかったら、会おうよ?」と言ってきた。耕一は、その日の夕刻、都内のある場所で待ち合わせた。
木場は、先日の採血検査による予防医療ビジネスについて、真剣に進めたいと考えていた。そして、当然のことながらITも活用したビジネスモデルの構築に、中澤とタッグを組みたいと考えていた。
木場は、非常に勤勉な性格と高い学習能力を持ち、法律における資料も全て原文で読みこなし、一般の町弁にも劣らない能力を発揮した。これに対し、耕一は「どうする?」と自問自答しながらも、しばし木場のペースに付き合うこととした。それは、未だ自身の中に見出せぬものを手探りで探すかのように、自身で動くことを課したのである。
これとは別に、耕一は自身の中で、今ひとつ整理がつかない気持ちが続いていた。これから何をどうすれば良いのか?そして、一体自分には何が出来るのか?自身の中に何も見出せないままでいた。「どうしよう?」そんな思いで、家族と共に北海道旅行に行った。
耕一の家族は、初めての経験でこれまでに無い贅沢な旅行を経験した。
しかし、耕一の空白は埋まることもなくただ、なんとなく時間が過ぎるような思いであった。
そんなある日、木場から電話があった。
「中澤さん、今何してる?忙しくなかったら、会おうよ?」と言ってきた。耕一は、その日の夕刻、都内のある場所で待ち合わせた。
木場は、先日の採血検査による予防医療ビジネスについて、真剣に進めたいと考えていた。そして、当然のことながらITも活用したビジネスモデルの構築に、中澤とタッグを組みたいと考えていた。
木場は、非常に勤勉な性格と高い学習能力を持ち、法律における資料も全て原文で読みこなし、一般の町弁にも劣らない能力を発揮した。これに対し、耕一は「どうする?」と自問自答しながらも、しばし木場のペースに付き合うこととした。それは、未だ自身の中に見出せぬものを手探りで探すかのように、自身で動くことを課したのである。
先週、L社のH氏の裁判所での判決が下った。一方、N証券の問題は、刑事事件ではなく金融庁の指導の下、事なきを得ようとしている。
これら、経済スキャンダルに多いのは、「粉飾決算」か「横領・背任」であろう。前述の2件もまさに前者のようである。
但し、日本の場合はこれらの事件に関する責任度合いが、非常に軽い。特に、N証券の問題は、国民を軽蔑しているものの他ならない。こんな役立たずの連中に、ひとかけらでも税金が使われているとなると腹立たしくなる。
以前、知人のD証券の人間が「証券マンはインテリやくざだから!」とさも自慢げに豪語していた言葉を覚えている。それは、一般の事業会社を見下したような台詞にも聞こえた。そんな輩に、一般の経営者は騙されたり、裏切られたりしている。しかしながら、これらの「インテリやくざ」は、自己正当化を最優先とし、責任は決して負わない。「誠実さ」を偽装し、腹の中で舌を出しているのが普通である。
今回のN証券の問題は、全くもって腹立たしいのを超えて、憤りを感じ、N証券系のすべての言葉、人、関わるものを消去してしまいたい気分になる。かつて、Y証券は、一瞬のうちに崩壊させられ消去された。いったい、この国はどうなっているのか?どう、冷静に考えても許せない人間が群れをなして存在している。政治家・官庁の人間は、一番たちの悪い人種に思えてならない。怒りを表現するには言葉が足りないほどである。
情けない話だが、前述のD証券の人間と短期間だが仕事を共にした。これは、自身にとって大変な汚点である。その人間は、明らかに無能であった。しかし、自己弁護に長けていた事と、平気で嘘をつける人間だったことを知ったとき、見切りをつけた。個人レベルなら、その程度でいい・・・
N証券の問題は、奥が深いというより日本の将来を考えたときに、絶望さえ感じる。一般の事業会社で日々、働いている人々は、ある日突然、横から掠め摂られても、何も言えない、黙って従う・・・そんな日本の経済の仕組みなのか?
L社のH氏に関しては、このN証券と比較対照されているが、これもまた滑稽ではなかろうか?要は、いづれにしても「悪い事」を悪いと認めなくて済み、責任さえも簡単に回避できるニッポンの経済事情は、恥ずべき事ではなかろうか?
とにかくヤル気がなくなるのは私だけだろうか・・・・(続)
これら、経済スキャンダルに多いのは、「粉飾決算」か「横領・背任」であろう。前述の2件もまさに前者のようである。
但し、日本の場合はこれらの事件に関する責任度合いが、非常に軽い。特に、N証券の問題は、国民を軽蔑しているものの他ならない。こんな役立たずの連中に、ひとかけらでも税金が使われているとなると腹立たしくなる。
以前、知人のD証券の人間が「証券マンはインテリやくざだから!」とさも自慢げに豪語していた言葉を覚えている。それは、一般の事業会社を見下したような台詞にも聞こえた。そんな輩に、一般の経営者は騙されたり、裏切られたりしている。しかしながら、これらの「インテリやくざ」は、自己正当化を最優先とし、責任は決して負わない。「誠実さ」を偽装し、腹の中で舌を出しているのが普通である。
今回のN証券の問題は、全くもって腹立たしいのを超えて、憤りを感じ、N証券系のすべての言葉、人、関わるものを消去してしまいたい気分になる。かつて、Y証券は、一瞬のうちに崩壊させられ消去された。いったい、この国はどうなっているのか?どう、冷静に考えても許せない人間が群れをなして存在している。政治家・官庁の人間は、一番たちの悪い人種に思えてならない。怒りを表現するには言葉が足りないほどである。
情けない話だが、前述のD証券の人間と短期間だが仕事を共にした。これは、自身にとって大変な汚点である。その人間は、明らかに無能であった。しかし、自己弁護に長けていた事と、平気で嘘をつける人間だったことを知ったとき、見切りをつけた。個人レベルなら、その程度でいい・・・
N証券の問題は、奥が深いというより日本の将来を考えたときに、絶望さえ感じる。一般の事業会社で日々、働いている人々は、ある日突然、横から掠め摂られても、何も言えない、黙って従う・・・そんな日本の経済の仕組みなのか?
L社のH氏に関しては、このN証券と比較対照されているが、これもまた滑稽ではなかろうか?要は、いづれにしても「悪い事」を悪いと認めなくて済み、責任さえも簡単に回避できるニッポンの経済事情は、恥ずべき事ではなかろうか?
とにかくヤル気がなくなるのは私だけだろうか・・・・(続)
私の操作ミスか?
いや、ありえません。自宅から入れたのですが・・・・
意図的に、消去されたのかもしれません・・・
でも、めげません。
いや、ありえません。自宅から入れたのですが・・・・
意図的に、消去されたのかもしれません・・・
でも、めげません。
通常、人材紹介の紹介料は雇用した人材の年収の30~35%が相場であった。しかし、その状況下ではあまり高額な費用は請求しにくかった。ましてや、耕一は正式に人材紹介業の資格は持っていない。よって、万が一の場合も含め、次の条件で提示した。
1.紹介料は、雇用した人材の年収の15%を報酬とする。
2.雇用した人材が、任意の意思において退社した場合は、紹介料の50%を返金する。
この内容には、池田氏も驚いた様子であった。なぜならば、耕一自身がリスクも負う契約は、通常では考えられなかった。即座に、成約となり耕一は人材確保を始めた。
先ず、最初に確保したのは優先順位の高い要求であった管理本部総務部人事課長の空席を埋めることだった。しかし、耕一はどうしたものかと思案した。
そこで、ある時木場氏に相談した。すると「適任者が居るよ」との返答であった。早速その人材に会うこととなった。
渋谷の東急ホテルのロビーラウンジで待ち合わせた。木場の紹介で「田中さんです。」と紹介された。彼は、現在リキッドオーディオジャパンで人事・総務に在籍していた。しかしながら、ご存知の一件でその組織は崩壊寸前で、後ろ向きな仕事に追われているとその苦悩を田中から訴えられた。よって、耕一は今回の概要を説明し、紹介第一号として話を進めることに合意を得た。
1週間後、田中氏を池田氏に紹介した。その反応はすこぶる良く、即座に採用が決まった。続けて、営業・技術の人材要求があった。
営業・技術の人材はエイペックスジャパンの中から2名紹介した。これらも、問題なく採用が決定した。更に技術の人材2名は、田中氏からリキッドオーディオの人材をと言うことで、耕一が紹介したこととして、採用が決まった。結果、6ヶ月間で、5名もの人材紹介に紹介した。その紹介料は、それ相応の金額となった。
耕一は、紹介案件が成約した事以上に、元の自分のスタッフへの責任のほんの一部に手助けになった事が一番の救いだった。耕一は、営業人材としての小泉に「男の約束として・・・」と言い、腕時計の交換をした。耕一は、小泉に2年以内にその会社で、役員に這い上がるように激励した。(今でも、その人間関係は続いている。)
耕一は、この後幾人かエイペックスジャパンの人材を他社への転職に手を貸すこととなった。
耕一自身、一番感じたのは人間関係の重要さであった。例え短時間の付き合いでも、要は信頼関係がどう築かれているかである。不思議なことに、社長としての耕一であったころとはまた別に異なった人間関係を持つことが出来た。これらが、後々色んな意味合いを持ってくるとはこの時点では知る由もなかった。
1.紹介料は、雇用した人材の年収の15%を報酬とする。
2.雇用した人材が、任意の意思において退社した場合は、紹介料の50%を返金する。
この内容には、池田氏も驚いた様子であった。なぜならば、耕一自身がリスクも負う契約は、通常では考えられなかった。即座に、成約となり耕一は人材確保を始めた。
先ず、最初に確保したのは優先順位の高い要求であった管理本部総務部人事課長の空席を埋めることだった。しかし、耕一はどうしたものかと思案した。
そこで、ある時木場氏に相談した。すると「適任者が居るよ」との返答であった。早速その人材に会うこととなった。
渋谷の東急ホテルのロビーラウンジで待ち合わせた。木場の紹介で「田中さんです。」と紹介された。彼は、現在リキッドオーディオジャパンで人事・総務に在籍していた。しかしながら、ご存知の一件でその組織は崩壊寸前で、後ろ向きな仕事に追われているとその苦悩を田中から訴えられた。よって、耕一は今回の概要を説明し、紹介第一号として話を進めることに合意を得た。
1週間後、田中氏を池田氏に紹介した。その反応はすこぶる良く、即座に採用が決まった。続けて、営業・技術の人材要求があった。
営業・技術の人材はエイペックスジャパンの中から2名紹介した。これらも、問題なく採用が決定した。更に技術の人材2名は、田中氏からリキッドオーディオの人材をと言うことで、耕一が紹介したこととして、採用が決まった。結果、6ヶ月間で、5名もの人材紹介に紹介した。その紹介料は、それ相応の金額となった。
耕一は、紹介案件が成約した事以上に、元の自分のスタッフへの責任のほんの一部に手助けになった事が一番の救いだった。耕一は、営業人材としての小泉に「男の約束として・・・」と言い、腕時計の交換をした。耕一は、小泉に2年以内にその会社で、役員に這い上がるように激励した。(今でも、その人間関係は続いている。)
耕一は、この後幾人かエイペックスジャパンの人材を他社への転職に手を貸すこととなった。
耕一自身、一番感じたのは人間関係の重要さであった。例え短時間の付き合いでも、要は信頼関係がどう築かれているかである。不思議なことに、社長としての耕一であったころとはまた別に異なった人間関係を持つことが出来た。これらが、後々色んな意味合いを持ってくるとはこの時点では知る由もなかった。
最初、藤本氏と応接室で話をしていたが、後から池田部長が入ってきた。
池田「中澤さん、藤本さんの紹介と言うことで、お願いがあるんですがいいですか?」
耕一「何でしょうか?出来ることはお手伝いしますが・・・」
池田「実は、お恥ずかしい話ですが人材が足りないんですわ。それも、いい人材がね。営業と技術(ソフトウェア)でしっかりしたのが居なくて、困ってますんや。」
「正直、エイペックスジャパンに居た方々で、是非とも紹介・斡旋をお願いしたいんですわ。」
耕一「分かりました。それなら、数人、打診してみましょう。ところで、これは報酬はいただけますか?」
池田「もちろん、お支払いします。今の求人状況では全く、人材が集まらない。それに、業界も分かっていない第三者に頼んでも、あかんですわ!」
耕一「かしこまりました。出来るだけ早くご返事いたします。」
こうして、耕一は全くのフリーで日本エンタープライズと契約を交わすこととなった。平行して、相互企画とも雇用契約をすることとなった。
いつの間にか、実態はなんとも見えないがいつの間にか仕事をすることとなっていた。
耕一は、なんともすっきりしない気分であった。それは、エイペックスジャパンの件が大きな傷跡になって、なかなか自らの意思で行動することを恐れていた。
あくまでも、受身で請け負うならば、どんなことに対しても貢献しようと考えたのであった。
池田「中澤さん、藤本さんの紹介と言うことで、お願いがあるんですがいいですか?」
耕一「何でしょうか?出来ることはお手伝いしますが・・・」
池田「実は、お恥ずかしい話ですが人材が足りないんですわ。それも、いい人材がね。営業と技術(ソフトウェア)でしっかりしたのが居なくて、困ってますんや。」
「正直、エイペックスジャパンに居た方々で、是非とも紹介・斡旋をお願いしたいんですわ。」
耕一「分かりました。それなら、数人、打診してみましょう。ところで、これは報酬はいただけますか?」
池田「もちろん、お支払いします。今の求人状況では全く、人材が集まらない。それに、業界も分かっていない第三者に頼んでも、あかんですわ!」
耕一「かしこまりました。出来るだけ早くご返事いたします。」
こうして、耕一は全くのフリーで日本エンタープライズと契約を交わすこととなった。平行して、相互企画とも雇用契約をすることとなった。
いつの間にか、実態はなんとも見えないがいつの間にか仕事をすることとなっていた。
耕一は、なんともすっきりしない気分であった。それは、エイペックスジャパンの件が大きな傷跡になって、なかなか自らの意思で行動することを恐れていた。
あくまでも、受身で請け負うならば、どんなことに対しても貢献しようと考えたのであった。