通常、人材紹介の紹介料は雇用した人材の年収の30~35%が相場であった。しかし、その状況下ではあまり高額な費用は請求しにくかった。ましてや、耕一は正式に人材紹介業の資格は持っていない。よって、万が一の場合も含め、次の条件で提示した。
1.紹介料は、雇用した人材の年収の15%を報酬とする。
2.雇用した人材が、任意の意思において退社した場合は、紹介料の50%を返金する。
この内容には、池田氏も驚いた様子であった。なぜならば、耕一自身がリスクも負う契約は、通常では考えられなかった。即座に、成約となり耕一は人材確保を始めた。
先ず、最初に確保したのは優先順位の高い要求であった管理本部総務部人事課長の空席を埋めることだった。しかし、耕一はどうしたものかと思案した。
そこで、ある時木場氏に相談した。すると「適任者が居るよ」との返答であった。早速その人材に会うこととなった。
渋谷の東急ホテルのロビーラウンジで待ち合わせた。木場の紹介で「田中さんです。」と紹介された。彼は、現在リキッドオーディオジャパンで人事・総務に在籍していた。しかしながら、ご存知の一件でその組織は崩壊寸前で、後ろ向きな仕事に追われているとその苦悩を田中から訴えられた。よって、耕一は今回の概要を説明し、紹介第一号として話を進めることに合意を得た。
1週間後、田中氏を池田氏に紹介した。その反応はすこぶる良く、即座に採用が決まった。続けて、営業・技術の人材要求があった。
営業・技術の人材はエイペックスジャパンの中から2名紹介した。これらも、問題なく採用が決定した。更に技術の人材2名は、田中氏からリキッドオーディオの人材をと言うことで、耕一が紹介したこととして、採用が決まった。結果、6ヶ月間で、5名もの人材紹介に紹介した。その紹介料は、それ相応の金額となった。
耕一は、紹介案件が成約した事以上に、元の自分のスタッフへの責任のほんの一部に手助けになった事が一番の救いだった。耕一は、営業人材としての小泉に「男の約束として・・・」と言い、腕時計の交換をした。耕一は、小泉に2年以内にその会社で、役員に這い上がるように激励した。(今でも、その人間関係は続いている。)
耕一は、この後幾人かエイペックスジャパンの人材を他社への転職に手を貸すこととなった。
耕一自身、一番感じたのは人間関係の重要さであった。例え短時間の付き合いでも、要は信頼関係がどう築かれているかである。不思議なことに、社長としての耕一であったころとはまた別に異なった人間関係を持つことが出来た。これらが、後々色んな意味合いを持ってくるとはこの時点では知る由もなかった。