起業から、経営者へ、そして・・・ -10ページ目

起業から、経営者へ、そして・・・

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井田とのゴタゴタから2週間後・・・・耕一は、村井と面談していた・・・・
村井「中澤さん、本社が米国だと何かと大変だね・・・まあうちもうちで、典型的な日本企業で、ドンくさい組織だから、他人を評価できる立場ではないけど・・・」

耕一「・・・・」

井村「ところで、お宅の社長ともめたようですね。仕事は、これまでどおり進められますか?」

耕一「力不足ですいません・・・」

井村「そうですか・・・こちらの社内では大騒ぎですよ。」

耕一「大丈夫でしょうか?」

村井「まあ、薄々分かっていたことですから・・・・井田社長の弁解も見苦しいですね・・・・」

井村「ところで、CBという御社の競合を知っていますか?」

耕一「はい、社名は知っていますが・・・」

井村「今、そこが熱心に当社へ売り込みに来ているんですよ。」

耕一「それは、今の製品につなげるためにですか?今回のゴタゴタで、弊社の製品以外のもを採用するという事ですか?」

井村「いや、今回の件とは別に1年以上前からコンタクトしてきていたよ。既に3ヶ月前から検討はしていたのは事実です。また、今の製品に採用するのではなく、次機種への採用を考えようかな?と思っていますがね・・・」

耕一「いや、それは勘弁してください。この事を会社に報告せざる終えないし、そんなことをしたら、私は恐らくFierになります・・・・」

井村「なら、これから紹介する人物に会って見て下さい。」

耕一「はあ・・・その方は、どういう方ですか?」

井村「まあ、合えば分かりますから・・・・」そういって、電話番号のメモを耕一に渡した。

耕一は、そのメモを受け取ってから2日後・・・井村から紹介された人物に電話した。

耕一「突然ですみません。井村様から御紹介されました、中澤です。」

渋木「これはこれは、お電話有難うございます。お待ちしておりました。是非一度お会いしたいのですが本日は、いかがですか?」

耕一「はあ・・・分かりました。どちらにお伺いすればよろしいですか?」

渋木「夕方6時過ぎに、こちらからお電話差し上げます。都内であればどこでもよろしいですか?」

耕一「ハイ。分かりました。それでは・・・失礼します。」

随分と急な話であった。耕一は、『どんな相手?どんな話?』と思案し始めた。

オフィスに戻ると、再度、井田に呼ばれた。

井田「色々考えたんだが、辞表をだせ!3ヶ月猶予やるから、その間にこの会社から出て行け!」

突然の話であった。耕一は、一瞬全身の血が逆流するのを覚えたが、その後は冷静に「分かりました」と口にしただけだった。

その日の夕方、耕一は渋木と面談した。呼び出されたのは、銀座4丁目辺りの寿司屋であった。

渋木「はじめまして。お会いできてうれしいです。さあ、まずこちらに座って下さい。」と上座に通された。

耕一「こちらこそすいません。こんな形とは思ってもいなかったので・・・」

渋木「いきなりお話を進めるのもなんですが・・・私がCBジャパンの代表も務めております。村井さんからお聞きになっているか分かりませんが、既に御社の競合として日本で活動しております。」

耕一「・・・・そうですか、村井さんが私を紹介した理由が少し理解できました。」「しかし、私にとってどう係わりがあるのか?未だはっきりと分かりません。」

渋木「ハイ、その通りだと思います。単刀直入にいえば、当社へ来ていただきたいのです。先ほど、お渡しした名刺とは別に、本来これまでやってきた事業そのものがあります。そのために、1点集中がなかなか出来ないことと、業界の知識・経験が少ないため、現役の適任者を探しておりました。更には、マネージメントも含め、ある程度の人材を探しておりました。そこへ、村井さんが中澤さんを紹介していただいたというのが事実です。」

耕一「そうでしたか・・・」

数時間前に、自分の会社でクビを言い渡された直後である。耕一は、混乱していた。短絡的に、転職先が見つかったという事実だけ見れば、大変な幸運でもあるが、それ以上に自身の身の置き方を何も整理されてないまま、時間と物事だけが潜行しているようにも感じた。

耕一「突然のお話で、びっくりしています。本日は、話はこの時点で保留にさせて下さい。」そういい残し、丁寧にお礼を言い、その場を去った。

数日後、耕一は担当先の関係者にどう話をするべきか、悩んだ。とりあえず、後輩の下田を後任として担当替えのあいさつ回りをすることにした。
訪問先では、びっくりされることが多く、その度に耕一は頭を下げていた。ただし、退社することは一切口にしなかった。それは、耕一自身が本当に『自分がこの会社を辞める』気がしなかったのである。

耕一は、クライアントの本部担当の加治には、退社の件を言わざる終えなかった。すると加治の上司である中本課長が『ぜひ、うちに来てほしい』と言ってきたのである。耕一は、困惑した。自分は純粋に仕事をしていたはずであったが、なぜにこんなに状況が一転したのか?心の底から自身の行く末に不安を覚えた。


池部は、早速、新しい商売の準備を始めた。
自宅の公団住宅は、3Kの間取りで、当時子供が2人いた。上が5歳(男)、下が2歳(女)であった。

設立した会社は、自宅だったのでその1室が事務所と兼用であった。
度々、2~3人の立ち上げメンバーである池部の後輩が訪れ、深夜まで打合せして、杯を酌み交わしていた。
そんな時、2人の子供は、押入れを2段ベッドに見立てて、その中で寝ていたのである。

そんな、牧歌的な時代を経て、1年後、ようやく神田に10坪弱の事務所が持てるようになった。そのタイミングで、これまで池部を支援してきた後輩である2名(小田・杜末)が正式に、池部と同じ釜の飯を食うこととなった。

不思議なことに、当初の予想を上回る売上実績が出るとともに、仕入先メーカーとの交渉が以外にも進んだ。

そして、1年も経たないうちに神田の事務所は手狭になった。

池部の商売が順調に右肩上がりを示したのには、理由があった。

昭和のオイルショック以降、日本の産業は「ものづくり」の主流を繊維から電子機器へ大きくシフトし始めた。重電を中心とした大手電算六社はこぞって、半導体の製造に着手していた。それは、部品としてではなく自社製品の家電や電子機器の自己調達をメインとした流れであった。

元々、日本の産業の基本は、手先の器用さと勤勉さである。欧米の技術に追いつくべく、その進歩は加速していた。

池部が、目をつけたのはこの欧米の技術の橋渡しの一つとして、米国製の主流メーカーの半導体を扱うことであった。発展途上の市場においては、非常に需要があった。


朝から、緊張した面持ちの会議が続いていた。
出席者は、合計8名。

耕一のSE(SupportEnginieer)の金田とクライアント先の担当者6名(石田・村井・大和・佐川・丸田・陣川)。
テーブルの上には、電話会議用のスピーカーフォンがあった。

耕一「現在、懸案になっている残件について、前回の打合せからの進行状況を確認したいと思います。」

スピーカー向かって、声を出した。

佐川「リストを確認していただいたと思いますが、1ヵ月後のリリースを実現させるためには、重点残件の5項目がクリアしないと厳しい状況です。」
  「その内、3つは解決策が出たと認識していますが・・・」

(スピーカ)「確かに、ある程度は対策が立ったが、完全に対応するには4週間は必要です。」

村井「そんなスピード感では、リリースに間に合わない!明日からでもこちらに来て、一緒に進めてはどうなんだ?!」

(スピーカ)「それは、無理です。スケジュールの調整が間に合わない。むしろ、我々の提示した必要日数は、最短で検討した結果です。」

話し合いは、平行線の様相である。耕一は、困惑した。そもそも、この話合いの主旨は双方のビジネスを進めるための会議である。
朝8:20~大森のクライアントの会議室で、耕一の属する会社(本社:米国西海岸)の時間の都合に合わせて、緊急で開かれていた。
米国側の主張は、強固である。
一方、クライアント側も開発・生産計画の遅れなどで、後に引けない。こうなると、話合いは一向に進まない・・・・そうして、1時間が過ぎた・・・・

陣川「このままでは、時間の無駄になるね。一旦回線を切って電話会議を終わろう。」

そう言って、電話回線の切断と同時に米国との会議は終わった。

耕一「すいません。なかなか思うように進められなくて、申し訳ないです。」

石田「場合によっては、早々に本社に出向きましょうか?」

村井「気持ちは分かるが、今更その時間は無いだろう?」

金田「私どもで出来る限りの対応をしたいのですが・・・せめて、御社内でのQA(Qualithy Assuarance)チェックの工数を短縮すべく、お手伝いします。」

大和「そうですね。しかしながら、当方の社内ルール上、外部の方の協力にも限界があります。」

耕一「そうですか。やはり、当方でクリアすべき必要条件を消化することが絶対ですね。」

村井「その通り、重点残件は少なからずそちらのワークマターであり、当方ではどうすることも出来ない。」

金田「すいません・・・」

耕一「取り急ぎ、これから事務所に戻り次第、内部で検討の上、再度ご連絡差し上げます。」

そう言い残して、耕一と金田はクライアントの会議室を出た。2人の足取りは重かった・・・
1998年2月中旬の事であった。

当時、耕一は米国外資系企業に属していた。主な仕事は、米国で開発・製造された製品を、大手企業の関連製品との連携を採用してもらい、発売と同時に末端の営業現場も含め、国内での販売も含め全て管理することだった。
耕一の会社は、日本国内の業界大手3社を中心に、Misrosoft WindowsやAdobe PostScriptと並ぶ、IT業界でのポジションは大変強い製品であった。特徴的なのは、ソフトウェアだけでなく、ハードウェアも併せて製造・販売していた。

ソフトウェアは、WindRiver社のVX WorksOS上で動く特殊なサーバーアプリケーションであった。またハードウェアは、MIPS系のRISCチップ(T社製)とソフトウェアと連動する特殊チップセットを搭載したブラックボックス的なものだった。
一般的には、かなり特殊な製品として存在していたが、現在はその認知度はかなり向上している。

耕一と金田は、オフィスに戻る途中、暗い面持ちで電車の中にいた。

耕一「オフィスに戻っても、本社(米国)は夜だし・・・どうしようか?・・・」

金田「とりあえず、社長交えて報告と打合せしよう・・・」

耕一「そうですね・・・」


(1時間後・・・・)

耕一と金田は、社長の井田を前に、午前中の報告をした。

井田「状況は理解したが、次期製品のリリースの遅延は認められん。米国NSDAQでの株価にも影響が出る。理由はともかく、予定通りのリリースを進めるために、何でもやるんだ!」

金田「しかし、米国本社が動いてもらわねば、先に進めない状況にあります。この点に関しては我々は何も出来ない・・・」

井田「その言い訳は、通らない。全社的に、次期製品の日本市場投入への計画は変更不可能である。それぞれの優先順位は、C/X/Rの順と決まっている。しかし、新製品の基本仕様は変わらない。よって、なんとしても3社個別対応は二の次となる。特にRは、最後となる。」

耕一「それは、調整も利かないのですか?午前中のミーティングでは、我々側の残件が問い詰められています・・・」

井田「何を言っても、米国は簡単に聞き入れてくれない。理由は、WorldWIdeでのセールスにおいて、XやCに比べてRは最下位で、その差も大きい。つまり、優先順位は最後という事に変わりはない。」

耕一「・・・・・」

井田「何が何でも、予定通りのリリースをするんだ。もし、それが不可能ならば、責任を取ってもらう。」

耕一「分かりました。」

耕一は、理不尽な経営側の要求に呆れ果てた。既に、米国外資系企業においての経験値はある。しかし、これほど強固なまでの圧力を掛けられたのは初めてであった。
耕一の思いは『日本のIT(半導体含む)産業において、真のアーキテクチャーやオリジナルの技術力は、欧米と比べると低い部分もある。しかし、最終製品の仕上がりや信頼性は、世界一である。また、欧米の文化と日本の文化は、大きく異なるが本質的に人間というのは共通点があるのが当たり前である。特にこの業界は、技術や製品に対する共通認識が広く早い点では、たの業種・業界と異なりその進歩は特に早い。よって、自分の役割は欧米の得意分野と日本の良い文化の部分に関して、如何に折り合いをつけるか?』というものであった。

しかし、今は何をどうしても、歯向かう事も許されない状況である。果たして、どうするべきか?耕一は悩んだ・・・・

これまで、耕一はこの会社に入社した時、何も知らない、分からないままであった。後説によると、耕一の入社当時、業績が好調で何としても営業担当を入れるよう本社からの指示があった。もし、期限までに人員獲得が出来ない場合は、その年のインセンティブに響くとの事であった。
外資系というのは、日本企業とは異なるルールと文化があり、日本企業では理解できないことも多い。
そんな中、入社した耕一は、最初からR担当として「何でもOK」と、社長の井田から背中を押され、独自のやり方でR社の販売を開拓してきた。結果、入社当時、40台の旧製品在庫を負い、4,000万円/年間の売上しかなかった。(製品単価約280万円-)それが、1年間で12億円/年の売上に押し上げたのである。
それでも、XとCの売上には遠く及ばなかった。特にC社は、日本市場参入の立役者で、営業担当が居なくても年間50億円ほどの売上があった。X社は、日本市場ではなかなか採用されていなかったが、欧米での売上はNo.1であった。
つまり、R社の要求は例えクライアントであってもなかなか通らない状況であった。

翌日、耕一は、クライアントの別の担当者と面談していた。

耕一「いや~、なかなか厳しい状況です。正直、次期製品の国内での発売時期によっては、御社の競合との状況が更に厳しくなりそうです・・・」

(某氏)「それは、困るな。ようやく、中澤さんところの製品に関して社内的に動き始めたばかりなのに・・・」

耕一「そうですよね・・・」

耕一「もう少し何とかせねばと焦っているのですが・・・」

(某氏)「お願いしますね・・・」

耕一「はあ・・・」

それから、3日後、耕一は井田社長に呼ばれた。

井田「それで、状況に変化はあったのか?」

耕一「今のところ、先日の指示通りで進めていますが、リリース時期に関しては、先方も納得していません。」

井田「どうせ、C社に比べたらそんなに一気に売れないんだから、発売後にソフトの入れ替えをお前ら2人(耕一と金田)で何とかすればいいだろう?出張費くらい安いもんだ!」

耕一「はあ、その通りですが、当方の都合ばかりをのんでくれるとは思えません・・・」

井田「いままで、何をしてきたんだ?前期の売上は、前期の売上として、今期は、150%増の売上が必達なんだぞ!どうするんだ!」

耕一「・・・・」

井田「とにかく、他の奴等ではこの件はケリがつかない。何とかしてくれ!」

耕一「・・・・」

耕一は、デスクに戻った。

金田「どうだった?」

耕一「いや~頑として予定は決定みたいだね・・・」

金田「ふざけやがって・・・クライアントの顔見ないで、のうのうビジネス出来ている事自体、おかしいよ!」

耕一「そうは、言っても・・・会社の方針だからね・・・」

金田「ただ、クライアントの要求は最もな内容であることは確かだし、ベンダーとしてそれに沿ったものを提供するのも当たり前だよ。」

耕一「しかし、どうするよ?我々に出来ることってあるのかな?」

金田「・・・中澤さんなら、何か出来るという過度の期待もあるのは確かだね・・・」

耕一「・・・・」

耕一は、まさに「打つ手なし」の状態であった。翌日・・・

耕一の携帯が鳴った。

・・・「おはようございます。石田です。その後、何か進展はありましたか?」

耕一「いや、何も・・・すいません。」

石田「どうも、前に進まないようですね。昨日、会議の際に米国への訪問も必要かも知れません。」

耕一「はい、その件については確認してみます。」電話を切った。

耕一は、井田へ相談にいった。

井田「それで、米国本社へ行って、何をするんだ???」

耕一「仕様に関わる懸案項目の潰し込みです。」

井田「それは、向こう(米国)が受け入れないだろうな・・・」

耕一「なぜですか?」

井田「優先順位を、かえるつもりはないからだ。更に、その要求を受け入れたとして、一体売上の上乗せにどの程度貢献するんだ?」

耕一「・・・・・」

井田「とりあえず、断れ!C社が最優先だ!」

耕一は、黙ったままデスクに戻った。

耕一は、石田へ丁寧に先の電話への回答を電子メールで送った。ただ、1点この後大きな問題になる記載を除いては・・・・

『唯一、会社の方針と合わないのは技術・製品戦略ではなく、優先順位の点です。基本的に、弊社から提供するOEM製品に関して、分け隔てなく、様々なご要求に対応すべきですが、その点が異なるようです。よって、今回のご要求は、お応え出来ないのではなく、後回しになったという他ないと思われます。』

2日後、耕一は血相を変えた井田に呼ばれた。

井田「一体どういうことだ!こんなことを言った覚えはない!そかも、それが相手側から来るとは・・・どういうことだ!」
それから、井田は長々と売上が伸びない事、クライアントが言うう事を聞かないこと、その他全ての愚痴を耕一にぶちまけて、最後に『全て、貴様の責任だ!』と吐き捨てた。

耕一は、憤慨を覚えたが、我慢した。

その後、約1ヵ月後に耕一は、この会社を去ることとなった。



戦後の日本は、米国の傘下の元で類を見ない経済発展を遂げることとなったが・・・
戦前から続く基幹産業の一つとして繊維(生糸)があった。この流れからか・・・戦後しばらくは繊維産業が隆盛を誇った。化学繊維の出現で、アパレル業界は革新的に品質の改革・向上があったのは言うまでもない。

しかし、昭和50年のオイルショックで、その勢いは止まった。その後は、生産そのものを海外シフトの流れである。昨今は、その結果として、繊維業界は成り立っている。

そんな中、池部はあるものに目をつけたのであった。それは「半導体」である。

その当時「半導体」が電子立国としての基幹産業にまで発展をするとは、大半の一般人は想像していなかったと思われる。

しかし「産業の米」とも呼ばれ始めてその産業構造は未曾有の発展を遂げることとなる。


池部は、自分の模索が終わりつつあることを予見していた。

前職では、検査機器や小規模の生産設備機器を扱っていた。
その当時、課題は何であったか?現場の瑣末なことではなく、商売として何が納得いかなかったのか?・・・

設備機器は、最初の納品時の売上とその後のサポート・保守の売上構成である。よって、受注・売上には大波小波が形として現れる。

池部は、この形を脱した商売の形をイメージしていた。例えて言うなら、水や電気を扱う商売である。しかし、規制や既得権のまったくない、加えて成長率が見込める商売などあるのだろうか?・・・

それを、池部は見つけるのにはあまり時間はかからなかった・・・(続)


池部哲夫は、勤めていた会社を辞めてから、約5ヶ月が過ぎようとしていた・・・
池部は、これまで取引のあったクライアントや仕入先と毎日、会っていた。

池部はあるとき、つぶやいた・・・

「商売を始める為に必要なのは、何か?・・・」

「永続的に続けることが可能だろうか?・・・」

「会社の存在価値が、ほんとに持てるだろうか?」

彼は、焦ってはいなかった。ただ、信念だけは曲げるつもりはなかった。

池部は、会社を辞める際に、ある思いがあった。それは、これからの産業分野において、大きな変化と波が来るであろうと、予見していた・・・・

51年のオイルショック以降、戦後の日本経済は代表的な繊維・鉄鋼を中心として伸びてきた。しかし、まだ戦後の数十年の事である。その他の産業分野はまだまだ未成熟であった。

2009年の今現在からして思えば、市場経済成長や、新技術の発展はまだ未知の状態だったのかもしれない。・・・・(続)


波乱の幕開けの予感の2009年ですが・・・


今年の干支は、牛ということで巷では「我慢の年」という声も聞きます。

年明けも、殺伐としたニュースが多く聞かれます。また、政治・経済の状況も高配した様相を呈しています。

これまで「回想」で綴ってきたとは別に「ヒト(人間)」の視点でランダムに綴っていきたいと思います。

今回は「交代(変革)」ということで考えてみたいと思います。


政治・経済において、物事を仕切る為には「リーダー」の存在はきわめて重要です。この「リーダー」とは、いったいどういう定義なのでしょうか?
その資質といえば、一般的には「人間性」「カリスマ性」などといわれます。

しかし、優秀な経営者は、優秀なリーダーでしょうか?

以前、記しましたが「経営者」とは孤独な存在であります。しかし「リーダー」は、孤独であってはならないと考えます。

これまで、幾つかの企業を見てきましたが、経営者≠リーダー≠カリスマ性ではないと思います。新進気鋭のベンチャー企業のトップも例外なくそのように感じます。特に、個人の能力、評価だけをフォーカスするマスコミが多いことにも原因がありますが・・・

まずは、ある企業における「世代交代」について考えてみたいと思います。

起業した初代社長が、40歳を機にそれまで勤めていた会社を辞めて独立しました。それは、昭和59年のことでした。
起業した「池部 哲夫」は、それまで産業分野における機器の販売代理店で営業部長をしていました。
池部は、当時住んでいた公団住宅の一間をオフィス代わりにして、これまでの得意先へ訪問し、あいさつ回りをしていた。
池部は「何を扱い、何の商売をするか?」まだ、固めていなかったのである。

(続)


これまで、PartIIを綴ってきましたが、少々話の展開が、収拾つかない状況になりつつありますので・・・
PartIIは一旦、休止として中間が抜けるのですが、本来PartIIIとしての新章をスタートします。

「2004年11月、突然、耕一に懐かしい人物から電話が入った・・・・」から現在に至る現実に起こった、企業での様々な出来事の中で苦悩する耕一・・・

現実のサラリーマンが抱える悩みや、矛盾はとは・・・

新たに、前進しようとする耕一は、いかに?・・・・・

予告は、この辺で・・・(続)


M子がなぜ、耕一までに現金を要求してきたか???
ある意味では『人脈』の大きな勘違いでもある。

しかし、これは金融機関(特に旧体質の銀行・証券会社)の人間は当たり前の感覚のようである。

その感覚とは???

本来、金融機関は何を生業として、懐に利益が出るのか?ご存知の方も多いだろうが、金利と手数料がそれである。

金利は、貸付金に付随するものなので、理解はしやすいが・・・問題は『手数料』である。これには、事務手数料と呼ばれるものが一般的だが、怪しい類なのは『紹介手数料』である。
この紹介手数料には、様々な解釈が存在している。そもそも、『紹介』の言葉の定義だが・・・

基本的に、紹介者を通じて第三者(他人)同士が何らかの目的を果たした時に成立すべきであるが・・・何も成立しない場合も多い。更には、前述の第三者間で、目的が成立した場合、その時だけの謝礼としてどちらかが支払う事が当然と考える場合が多いと思うが、中には何も成立しない場合も「交通費・経費」と称して要求される場合や、その後も継続的に発生する利益に対してフィーが要求される場合など、様々である。

耕一は、幾度と無く様々な「紹介」を依頼された事がある。しかし、耕一自身は『紹介料』を要求するつもりは一度も無かった。偶然、大口の個人の不動産投資に関して口ぞえだけした事がある。しかも、声を掛けた相手は知人でもなく、あくまで第三者として、その話だけを繋いだ。結果、その不動産売買が成立し、まとまった金額が動いた。

耕一は、その結果を全く知らなかった。それは、その案件について責任は負いかねるというスタンスを持っていたからである。この話を持ち込んだ相手は、仁義として耕一に、礼を言ってきた。その際に、謝礼を渡された。わずか10万円ではあるが、耕一は多少驚いた・・・

今度は、立場が変わって耕一があるところに紹介を依頼した事がある。それは、あくまで、成功の有無は関係ないレベルでであった。
しかし、交通費や食事代を要求されたのであった。既に、この連載でも記した耕一の一番のクライアントであったHJPでも、執行役員であるH氏には毎月20万円を支払っていた。

つまり、紹介料とはある意味「賄賂」に限りなく近い性質も持つ。ここでのM子の要求は、耕一を自分がかつて勤めていたクラブに客として紹介して、私の売上に対して、ある一定の分率で、紹介料をせしめていたのであった。

なんとも、苦々しいと耕一は思った。

その筋の世界で長年、生きてきたのであれば、当たり前の事として片付けられるかもしれない。しかし、そういう感覚は耕一はあまり持ち合わせていなかった。

いったい、どういうことなのか?・・・・

釈然としない気持ちが数日続いた・・・(続)


耕一は、かなり厄介な事に巻き込まれることとなった・・・
ハイデルベルグジャパンの契約そのものは、執行役員であるH氏との人間関係に頼る事が多かった。これが、厄介ごとの火種となった。その火種は、H氏がかつて付き合っていた女性(銀座)がからんだ事であった。

H氏は、かつて勤務していた外資系企業にて海外での生活も長く、彼自身の家庭の問題も多少あった。そんな中、日本では別にその女性と同居していたのであった。
この女性、結構な曲者であった。銀座のクラブに長く務めていたこともあっていわゆる『男喰い』の類であった。

夜の世界の女性は、大きく2種存在する。1つは、スポンサーと呼ばれる男性をある程度数自分の客として抱えて、あまり個人的な恋愛感情が絡む深い付き合いを避け、自立型の女性。2つ目は、一定の気に入った男性が決まったら、着いて離れないで、依存していくタイプである。H氏の女性は後者であった。

耕一との接点をもたらしたのはその女性M子であったが、どういうわけか、2人の間柄は一旦、壊れたようであった。しかし、H氏は体裁を大変気にする性格で、別れてからも彼女に対する援助的な側面は維持していた。

そんな中、耕一が継続していた契約中に、その女性が月島に賃貸マンションを借りる事となった。その際に、水商売では審査が通らないとの事で、耕一の名義を貸して欲しいとの話があった。保証人はH氏。
耕一は、拒む事も出来ずH氏を信頼して、名義を貸したのである。
これが、厄介ごとの火種となった。

要はM子が、家賃を滞納し始めたのであった・・・

当然、催促は耕一の所に来た。最初は、直ぐに対応した事もありさして問題はなかった。しかし、M子はH氏との関係の直後から、別の電通の局次長の立場にある男性T氏と付き合い始めていた。

T氏は、年齢の割にはそれまで、女性経験も少なく、生真面目な性格のようであった。これをM子が毒牙にかけた形となった。
M子は、子供を作る計画を密かに立て、本当にシングルマザーとして妊娠してしまった。これにより、水商売に支障がきたし始めた。M子の経営するスナックには、客足は遠退き、経営が苦しくなった。

何とも馬鹿げた話である。当たり前のことなのだが・・・

結果、M子は金が回らなくなり始めた・・・このことは、H氏も全てを承知していたが、耕一の名義貸しの件と自らが保証人という事もあり、丸く治めるべく動いた。

ところが、M子は過去のH氏との関係を楯に金を要求してきたのであった。本来なら、T氏に頼るべきはずなのだが、恐るべき女性のカオス理論は、無茶苦茶であった。

さらに、耕一はM子の紹介で銀座のクラブのある店の常連となっていた・・・
このことも、M子にとってはカモの対象であった。耕一にも、現金を要求して来たのである。