起業から、経営者へ、そして・・・ -11ページ目

起業から、経営者へ、そして・・・

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耕一は、様々な付き合いを経験しつつも・・・
改めて、自身の法人の状況を見直してみた。

薄々は、感じていたが、中国・上海の件に絡んでから、芳しくない事は明白であった。

加えて、これまで1年かけて契約していた「ハイデルベルグジャパン」の契約が解除になった。この余波は、大きかった。毎月の売上の60%を占めていた。

加えて、他に派遣していた案件も、クライアント先での経営判断や組織改変の余波で、契約終了となった。

あっという間に、売上基板を支えていたものが無くなったのであった。

耕一の仕事の内容は、無形の物の販売、サービスの提供である。新たにクライアントとの契約をまとめるのは一朝一夕にはいかない。

徐々に、会社の財務状況も厳しさを呈してきた・・・

耕一は、新たな契約をまとめるべく、先のH社との話し合いに何度も出向いた。

しかしながら、厳しい状況は簡単には変わらなかった・・・・


『儲かるから・・・・』


この言葉の裏には、様々な思惑があるように思えた・・・


『・・・一口話に乗らないか????』

『・・・こいつを乗せて、上手く使ってやろう・・・』

『・・・少しでも、初期投資の資金を出させよう・・・』

『・・・上手くすれば、こいつが他の人間も集めるかも???』

『・・・騙し取ってやろう・・・』

『・・・一緒に、商売できたらいいかな???』

『・・・初めだけ上手く回して、後はこっちが儲かるように・・・』

『・・・何も知らない奴なら、騙しやすいかも・・・』

『・・・とにかく、稼動人員を増やしたいからさ・・・』

『・・・この商品なら、確実に利益を生めるけど、自ら動くのはメンドクサイから・・・』

『・・・他にもっと、いいアイデアがこいつから引き出せるかも・・・』

『・・・これが、ホントに儲かるかどうか?こいつの意見は???』


・・・・など、様々な思惑はヒトは決して、口にしない。なぜなら、誰しも最後は自分が『得したい』事だけは譲れないからであろう。

確かに、何事にも結果、もしくは成果としての何かしらの形か評価は得たい物である。それが、端的にどう表現するか?・・・『金』となる。
この事が、善悪の対象ではない。むしろ、それらに介在した『ヒト』が問題であり、まその『ヒトの感情』が厄介なものであるようにも考えられる。

耕一も、多くの無駄な時間を浪費していると感じつつも、人間関係を重視しているがゆえに、様々な話に付き合わされた。中でも一番多いのは『マルチ商法』の勧誘である。確かに、法的に悪ではない。しかし、その勧誘の際の説明の殆どは、『いかに儲かるか?』だけに終始している。販売する商品や、顧客に対しては、さして関心が無く、短期的(2~3年)サイクルで『ヒト』を巻き込むことにより、『得』をするだけの話である。

耕一は、純粋にマーケティング理論や現場での、実態・実務を重視していたので、散々勧誘されても、決してこの勧誘に乗る事は無かった。事実、勧誘した側は、その後半年以上経過してみると、勧誘の際のシナリオ通りにならない事が殆どであった。つまり、最初にどれだけ、『乗った』人々が居たかで、その後は継続しないのである。『マルチ』が果たして?ビジネスと認知され続けられるのか?
今では、『ネットワークビジネス』とその呼称を変えているが、仕掛けた側も、仕掛けられた側も『長続きしない』事を承知の上で、なぜに群がるのか?

耕一は、未だに解せないでいたのである・・・(続)


耕一は、焦りを感じながらも、楽観的ではあった・・・

少なからず、耕一の経営する法人の実態は、『コンサルタント』業である。

この業種は、特別な資格や法的規制等々は、ほとんど無い。設備投資もさほど必要ではない。一番は、ヒトに依存する「労働力」である。

一番のポイントは、顧客(クライアント)との接点である。通常の仕事とは異なり、「営業」が非常に難しいのである。ゆえに、人脈は大変重要である。しかし、ヒトとは悲しいかな「虚栄心」と「自尊心」がとても大切な生き物らしく、年を老えば、老うほど、その傾向が強い。始末が悪いのは、さも、自身が力のあるがごとく話を進めるふりをして。結果、何も出来ない場合や、更にはその人間関係が悪化することもある。

以前、ある先輩に「人間は、生きている間、その90%は人間関係に依存している。」と言われた。つくづく同感であった・・・

様々な話を請けて、その状況を把握する場合、相手の言葉をどの程度(割合)信頼できるか?確実性があるか?見極めるのが非常に難しい。

そんな中、耕一は、幾つもの話で「儲かるから・・・」と付き合わされる話も多かった。


耕一は、柴田氏との話が今ひとつ不透明であることに疑問を感じていた・・・
先に、柴田氏との話で、耕一の会社としての立ち位置をハッキリさせたかったのだが、どうも煙に巻かれたような話となったことに、多少苛立ちを感じ始めていた。


ビジネスは、利潤の追求であり損得でその話がきまる。一方、損得を実感させるために「夢」を語る事もある。しかし、現実は言動の裏づけと結果が表裏一体である。併せて「ヒト」の力は大きな経営資源であり且つ大きな割合を占める費用でもある。これらの折り合いが合わなければ、なかなか物事は進捗を望めない。
「タダほど高いものはない」と言うが、その裏側には常に「等価交換」の原則的観念があるのではないだろうか?


耕一は、改めて自身の経営する会社の状態を再点検した・・・

焦りが生じ始めた。それは・・・明らかに経営の見通しが不透明であることを実感したからである。現実問題、独立して3年目であったが結果として残せるようになったのは1年程度であった。当然、財務体質は貧弱のものであった・・・(続)



佐嶋は、それまで所属していた会社を一旦やめ、柴田氏の出入りする小さな事務所に通うようになった・・・

耕一は、折をみて柴田に、相談を持ちかけた・・・

耕一「柴田さん、今回の上海の件ですが、見通し的にいかがでしょうか?もし、順調のようであれば、当方の立ち居地もぼちぼち考えていただきたいと思うのですが・・・」

柴田「大丈夫だよ。リーシングの初期の契約金だけで3億円程度は見込める。それまでに、上海に新会社作って、その役員になってもらえるようにするから・・・今は、その為に日本企業のリーシングを手伝って欲しい。これから契約書やその締結までの交渉等々、かなりの仕事量だ。ここで、実績上げてもらえれば、無条件で役員で迎えるから・・・頼むよ・・・」

柴田は、全く持って耕一が運営している法人やそのわずかなスタッフのことは全く頭にない様子であった。あくまでも、耕一個人しか見ていなかったようである・・・しかし、銀座のオフィスで打合せするたびに本田女史の同席を求めてきた。

耕一と柴田が2人で飲んでいたときに、耕一がうっかり本田女史との関係をしゃべってしまった。下世話ではあるが、本田女史は男性を引き付ける事には、秀でていた事は確かである。しかし、これが後々厄介なことになるとは、予想だにしなかった。


耕一は、H社との契約と並行して・・・

中国・上海での案件も並行して進めていたが・・・・

柴田氏に佐島氏との打合せをアレンジしたものの、何か引っ掛かるものがあるのを消す事が出来ないままでいた。

佐島自身は、商業施設(店舗)コンサルタントとして、その実績は評価されることが多かったが所属していた会社そのものに、何かしらの違和感や不満があったのである。結果、佐島氏はこの上海案件を機に、自身のキャリアアップを考えるようになっていた。

佐島は、耕一にこれを好機(チャンス)と捕らえ、本腰を入れて上海の案件に取り組む意向を伝えた。

耕一は、困惑した。それは、自分がキッカケとなって佐島の言動に大きく影響した事に対して、一抹の不安を覚えてたからである。


その後・・・佐島を中心に、日本国内の大手アパレル関連企業との接触を進めていった。

大規模な商業施設の場合、通常の小さな店舗の賃貸借契約とは異なり、その施設へ入る事による相乗効果やコンクリフト(障害)が多くその調整は、大変なものである。今回の場合、1坪単位で、一定のルールを定め商業施設側(今回の場合は、大洋百貨店)と店子(参加企業)との調整を図る。

日本国内のデパートの場合、いわゆる単純な賃貸借契約ではなく、初期費用(敷金に相当する預かり金等々)とその店舗での売上に応じた一定の分率での上乗せ費用(いわゆる上納金)がある。この上納金が日本のデパートの場合、非常に割合が高い。例えば、10坪のデパート内の店舗の場合、東京都内のデパートだと店舗内装(Zonning)等々も含め、初期費用は1坪/500万円程度、月額売上金額の最低ラインと月額家賃を最低1坪3万円と定め、売上に応じて売上金額の60%を家賃とするのである。つまり、最低家賃が月額30万円かかり、それ以上に売上が好調の場合、月額家賃は、更に上乗せになるのである。これらをまとめてLeasing(リーシング)と呼ばれている。

これらの、細部にかかる条件は、多種多様で様々且つその調整は複雑である。


佐島は、これらをここ数年生業としていた。


耕一の、声に一同はしばし沈黙が続いた・・・
須藤「中澤さん、ここでチームの多数決をとる必要は無いと思うよ・・・リーダーは、あんただし、今後の継続についてどう判断するか?それは、一人一人の飼ってでもいいと思う・・・」

増田「そうやわ。今の時点での判断や意志は、誰も何も強制も拘束もできないやろうし・・・」

耕一「分かった。皆さんが同じ理解であれば、そのように進めます。とりあえず、私としては、H社の仕事の継続を狙っていきます。その際に、改めてご一緒できる方がいるのであれば、再度、契約書を交わしましょう。本日はこれで散会とします。」


数日後・・・

耕一は、KPMGの人間と面会した。

KPMGからは、2名出てきた。

KPMG-1「これは中澤さん、お元気でしたか?」

耕一「はい、おかげさまで・・・御社はその後いかがですか?・・・」

KPMG-2「いや、それが大変なんです。仕事量は増えるのですが・・・残業代も出ませんし、殆どボランティアみたいです。おまけに、医療法人の殆どは、負債を抱える赤字経営ですから・・・建て直し策も、尽きちゃってる場合が多くて・・・」

耕一「そうですか・・・本日は、当方で現在まとめている『電子カルテ市場』について、ご意見を賜りたく、見ていただきたいのですが・・・」

KPMG-1「ほう、それは面白そうですね。今、経営が苦しいのに、行政機関の指導で『電子カルテ』の導入を進めなければならないのが現状です。非常に厳しい市場環境です・・・」

耕一「はい、その通りのようです。我々は、『電子カルテ』を販売する立場から見ていますので、ある意味楽観的かもしれませんが、予想以上に、障壁が多いようですね。特に、日本医師会の存在は、よくも悪くも、大変厄介な存在ですね。要は、厚生労働省を通じて、組織票たる裏側を医師会が握っている。更には、臨床薬も製薬メーカー主導でなく、医師主導である為に、日本医師会そのものが、予想以上の力を持っているようです。」

KPMG-2「そうです。医師会に逆らえないので一般の医療免許保持者も、決まりきった事しかしない。治療レベルも下がりはしないが、上がったり発展はしない。加えて、学閥系の大規模病院は、更に官僚的ですよ。とにかく『教授』の力が全てですから・・・」

耕一「なるほどね・・・今の医療機関の制度にも問題があるのは、分かりました。それ以上に、『電子カルテ』の普及に関して一番のポイントは、設備投資回収ですよね?いわゆるこのシステムそのものへの医療報酬(ポイント)は、何も無いのですよね?強いて言えば、電子データでの医療報酬事務処理をした場合、若干、有利だと言う事・・・・」

KPMG-1「そうなんです。よってこの電子化の動きへは、分かっていても乗れない医療現場が大半です。・・・」

耕一「もし、乗れなかった場合は?・・・」

KPMG-1「その場合は、医療法人の存続に関わる場合もありますね・・・昔、地元の診療所や、行きつけのお医者さんってありましたけど・・・今、段々減ってますから・・・」

耕一は、話をしているうちに、暗く重たい気持ちになってきた。
本来、この仕事はもっと未来予想図的に希望が持てる方向にしたかったのだが・・・現実は、何とも・・・・

耕一は、持参した資料の裏打ちを確かめる事が出来て、H社への提出を進めることとした。


食事が済み、全員は再度顔を見合わせていた・・・

耕一「皆さん、色々ご意見はもっともです。しかし、現在の日本市場でのクライアントの意識、または日本企業文化の実態は、避けて通れません。そこで、本件を継続するに当たり、クライアントの意向を受け入れながら進めることについて、賛否を取りたいと思います。賛成の方は、挙手をお願いします・・・・」

一同は、一瞬沈黙した・・・・

耕一は、息を呑んだ・・・・


そして、耕一は喫煙が出来るビルの非常階段にいた・・・

そこへ・・・

須藤「中澤さん、実際どうよ?・・・あんたは、営業にかけてはこのメンバーの先鋒だからさ・・・」

耕一「・・・なんてこたえればいいのだろう?みんなの気持ちはよく理解できてるつもりだが・・・現実とのギャップはある。ただ、それがどうすべきか・・・」

須藤「あんたが、決めて進むなら誰も反対はしない。ただ、泥沼にはまらないように心配してるんだよ・・・」

耕一「・・・・・・」

須藤「皆、あんたを信頼している。だから、何でも言いたいことがいえる・・・」

耕一「・・・・・・」

耕一は、返す言葉が無かった・・・そして、2人は部屋に帰って食事を取った・・・(続)


耕一は、柴田との話を受けて、佐島に連絡した・・・

耕一「佐島さん、一応概略は話したけど、どう?・・・」

耕一は、改めて佐島に『太洋百貨』の上海の案件の話を説明した。

佐島「中澤さん、面白いですよね・・・ただ、幾つか不安はありますね・・・」

耕一「この話、どう関わるべきか?また、改めて柴田氏と打合せに同席する??」

佐島「いいですよ。再度、柴田氏と打合せしましょうか?」

耕一「そう?そっちに迷惑掛からないならいいけど・・・」

耕一は、あまり気乗りがしなかった。柴田氏の押しの強さが、ここにきて耕一には嫌悪感を感じていた・・・
しかし、佐島氏本人の意志は尊重した。なんとなくすっきりしない気分のまま、柴田氏に連絡をし、アレンジした。

話は変わるが、この頃から耕一は、築地にある小さなスナックの紹介で銀座のクラブに出入りしていた。それまで、耕一自身、銀座のクラブに行く事など想像もしていなかったが、なんとなく週に2~3回は通うほどの『常連』の類になっていた・・・