年はとってもこうはなりたくない ブログネタ:年はとってもこうはなりたくない 参加中
本文はここから

年齢とか関係なくカッコ悪いことは、カッコ悪いのであろう。
いつ、それがカッコ悪いのか??を気づくかは、人それぞれですが、
個人的にカッコ悪いと思うことを書いてみました。


自慢話をやたらとする。
・昔は悪かったとか。。
・昔はすごくモテたとか。。
・甲子園にでたことがあるとか。。

話すなら、現時点の自分のありのままを話しましょう!


他人(友達)の自慢をする
・俺の友達は、社長やっていて。。。
・芸能人の○○が友達だとか。。
・ハワイに別荘をもっている知人がいるとか。。

話すなら自分のことを話しましょう!


礼儀を知らない
・年上の方にタメ口を聞く
・行列に、無理やり横入りをする
・満員電車で新聞を読む。
・道路や駅で唾をはく。

みっともない事は止めましょう!


その他には、
・酒の席でやたらと愚痴をいう。
・人の悪口しかいわない。
・みんなで楽しく過ごしているのに、一人だけ暗い。
・電車の中で、携帯電話で大声で話す。
・やたらと食い物について批判する。
・ビニール傘をわざと棄てる。
・歩きタバコ。
・明らかに自分が悪いのに、なぜか、謝らない。
・何でも人のせいにする。
・昔話をやたらと懐かしむ。
・成果を自分だけのモノと思い込む。
・金にセコイ。
・こぼした物を拾わない。


その他にもいっぱいありますが、書いていて自分も気をつけようと
改めて思いました。。

長く働き続ける上で、一体何が必要なのかと最近考えているのですが、
一番の”モチベーション”、”やる気”というのは、人から必要とされているという
ことが一番大きいのではないかと感じます。


存在感や居場所など、自分がそこにいる必要性があるのか、ないのかで
随分気持ちも持ち方も違ってくるのではないかと思うのです。


どんなに”やる気”を維持しようと思っても、誰にも相手にされず、ただ一人で
頑張ったところで、焦燥感が生まれます。


誰にも認められなかったり、気づいてもらえなければ、いつしか”やる気”は
なくなるのでは、無いでしょうか。


どんなに意地を張っても、認めてくれる人、理解してくれる人がいないのであれば、
働く価値がないと思うかもしれません。


お金だけを稼ぐ生き方には限界がありますし、ストレスも溜まり易い。

そういう仕事の仕方では、良いサービスも生まれることはないでしょう。



つまり、どんなに自分が頑張ったと思っても、それを認めてくれる人がいなければ、
頑張る価値がないのと一緒なのだと。。。。


こんなに頑張っているのだから、いつしか認めてくれるだろうと思っていても、
結局、誰にも認められなかったということが、世の中では起こりえます。


価値を認めるのは、自分ではなく他人だからです。


主張や言い分なども、相手が認めてくれて初めて主張したことになる訳です。


精一杯頑張ったと思ったのに、報われないと感じてるいるなら、頑張り方が間違って
いるのか、他人がそれは価値があると認めていない可能性が高いのです。


どんな時でも、評価というのは、結局の所、他人が行うということは忘れてはいけない。


自分が、
 どんなに良いと思われている商品を売るにしても、
 面接のときに、自分のすごい経歴を語ったとしても、
 自分の魅力を好きな人にどんなにアピールしても、
 仕事の成果が同僚よりも、すごいことを上司にアピールしても、


結局、評価が他人がするので、それを認めて貰えなければ、頑張りが無駄になること
さえあります。


人間は、やはり一人では生きられないのだろうし、自分勝手なことはなかなか出来ない、
結局誰かが付きまとうのです。



それであれば、どうしたら価値のある、必要とされる間になるのかを考えると、

今後の自分の考え方も、それに対する行動も変わってくるのではないかと思うのです。


名古さん、プレゼントありがとうございます。


本日も仕事で忙しく疲れた気持ちを、

このプレゼントを拝見して、

すごく和みました。


本日も頑張れそうです。。



ドバイにも金融危機の影


世界一高いビル、世界一豪華なホテルなど「世界一」を冠する建築物を次々に登場させ、
21世紀に入って猛烈な勢いで発展を続けてきたドバイ。


中東の物流・金融センターとして、200に及ぶ国籍の労働者や投資家を引きつけてきた
このペルシャ湾岸の小さな首長国にも、金融危機の影は忍び寄っていた。


12月21日23時52分配信 読売新聞より記事を抜粋



今年の3月頃だったか、知り合いの社長がドバイで仕事を見つけたといって、

ちょくちょく視察に行っていたことを思い出す。



日本の高級食材をドバイに輸出するビジネスをやることになり、一緒にやらないかと

冗談交じりで何度か言われていたのですが、全く成功イメージがわかず、自社のビジネスモデルも

まだまだ言ったり来たりとフラフラしており、とてもじゃないけど、イメージのもてないモノに

投資するほど、余裕も、気持ちも無く、そんな話は笑い飛ばしていましたが。。。




そういえば、最近その社長とは大分ご無沙汰で、上手くいているのか、すぐに撤退したのか、

まだ頑張っているのか、わからない状況ですが、あの時にもし、手を出していたらどうなって

いたのだろうと少し考えます。



当然ながら、間違いなく私は自身は大損していたことでしょうが。



そういえば、同時期に中国でのビジネスの話とかいろいろとおいしい話があったりしましたが、

どうも、イメージがわかないものばかりで、いつも笑い飛ばしてましたが。。



私には、イメージが出来ないものに飛びつく程の勇気がないので、投資するなら自分が対等に

戦えるものでないと、難しいのだろうと(本当は、そこまでの資金がないからかもしれませんが)。




結局は、軸を何おいて働くべきなのか?ということが大切であり、


儲けと損は、常に対峙しており、どちらに転んでも受け入れられる器量がないと手を出さない方が


良いのでしょうね。

価値は誰が決めるのか。


私が起業したときに、弊社が提供するサービスは、常に顧客の視点で提供すべきで、
そのサービスを提供することで、顧客と一緒に成長できれば、それが一番の理想である
と考えていたが、実際に起業して、サービスを開始すると、否が応でも、企業側の視点

でサービスを提供してしまうことがある。


今更ながら、”価値”というのは、提供する側ではなく、お客様にとっての価値であり、
売り手側にとっての価値ではないのだ。


どうしても、商売をしているとプロダクトアウトの視点が強くなる。


企業側の都合(論理や思想、感性・思い入れ、技術など)を優先するやり方を取ってしまいがちで、
“作ってから売り方を考える方法”といえる。


これは、やはり企業にとっての体力(財力面・人材面・組織等)や経験値も含め、一流ではない
証なのでしょう。


頭の中では、購買者の視点、ニーズを重視しようと考えはいるが、なかなか現実にできない
もどかしさはあるわけです。


確かに、売り手側がこれだけ苦労したから、大変な思いをしたからといって、それが受け手側の顧客に
とって、意味がないものであれば、それは「価値」ではない。


手間を掛けて行うサービスが顧客にとって重要であれば、価値になるし、それを評価しない人にとっては
無意味だ、ということだ。

 
結局は、価値を決めるのは、顧客であるという、実にシンプルな考え方を忘れてしまう。


乱暴な言い方をしてしまえば、こちら側が”高い”、”サービスが未熟だ”と考えていても、顧客が
満足していれば、それは、価値になる。


どうしても、予想外に上手くいったり、簡単に成果が出てしまうものほど、これは、お客様が価値だと
思っていると勝手に決め付けてしまい、強引なやり方をしてしまうこともある。

それは、楽だからというのが一番あっている気がしますが。。。


本当は、顧客によってどういうものに価値を見出しているのか?というのは、それぞれ違うわけで、
顧客ごとにサービスを変えるか、○○な価値を感じてくれる顧客のみをターゲットにして商売を
するかのどちらしかない。


ただし、その価値とは具体的に何か?


大まかに考えると”人間の欲求・欲望”が一番わかりやすい。


例えば、
・長生きしたい、ラクをしたい、きれいになりたいという欲求
・社会に認められたい、ステータスが欲しいという欲求
・自分らしさ、やりがいが欲しいという欲求


これを実現できるものを提供できれば、製品・サービスに対してお金を払う。

つまりは、その価値に対しての対価を支払うのである。


もし、自分の提供しているサービスや商品が、人の欲求に当てはまらないのであれば、
価値がないということになる。


顧客が望んでいることを見極めることも大切だが、それをどういう形で提供すれば、
より価値を見出せるのかを考えないと、難しいのかもしれないと感じるのです。