• 騎士・シュプールの物語ー漫画「片田舎のおっさん、剣聖になる 6」


 漫画「片田舎のおっさん、剣聖になる」、「小説の漫画化」という点で「一つの理想像である」ってのは、以前同小説&漫画を紹介した記事(*1)でも書いたところ。
 その「理想像」とした理由の一つは、小説に於けるキャラクター・登場人物を更に掘り下げ、小説には無いエピソードを追加・付加する事で、より深みや厚みのある人物像を造形している所にある、とした。また、原作とはアレコレ変えることでも人物像を深めている事も指摘した。ヘタすると「原作改変/改悪」ともなりかねないのだが、本漫画化は十分な許容範囲に納まっている、と思う(*2)。
 今回は、その延長上であり、漫画に登場する「原作(小説)には無い」乃至「原作(小説)ではモブキャラ扱いで名前すら不明乃至無いキャラ」が「受肉」し、具現化され、実質「参入参戦する新キャラ/追加キャラ」となっており、この「新キャラ」が為に、より一層この「話」=「片田舎のおっさん、剣聖となる」は面白く、興味深く、より深く心の琴線に触れている、って話である。
 
 って訳で、本記事も先行記事と同様に、「ネタばらしを盛大に含み、作品紹介では無い(適さない)」と、しようかとも考えたのだが・・・それは先回もやったな。今回はネタばらしは抑えて、先述の「小説にはない/登場せず、漫画で追加された”新キャラ”」を説明することで、本作の魅力並びに「本作が、如何に小説の漫画化として理想的であるか」を広く一般大衆に説明し、「説得」する記事としよう。

 早い話が、「ネタばらしは極限化/極小化」して、「より広い範囲の人に、”片田舎のおっさん、剣聖となる”に興味を持って貰い、読んでもらおう」という企画であり、試みである。
 
 Now We START. by名無し@映画「夕陽のガンマン」


 

  • <注記>
  • (*1) ベリル・ガーデナント氏の研究 「片田舎のおっさん、剣聖になる」
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  • https://ameblo.jp/zero21tiger/entry-12809400492.html?frm=theme 
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  • (*2) 「改変の結果が、改善向上になっている」と考えるから、ってのは、大きいが。 


 

  • (1)騎士・シュプール・アイレンテール


 タイトルにも取ったシュプールは、原作の小説には登場しない、「漫画化に伴う新/追加・キャラ」であり、この漫画の中では悪役である。それも、ラスボスではないがそれに近い「最強の敵」として登場する。
 何しろ、魔剣・ゼノ・グレイブルを装備したおっさん=「片田舎の剣聖」と、奇蹟を使いながらとは言え真っ当に切り結んでしまうのだから、「並みでは無い」どころではない。悪役=敵役であるにも関わらず、漫画第6巻の表紙を飾ってしまうのは、伊達ではないのである(*1)。
 先述の通り「漫画オリジナル」で原作(小説)には居ない「新キャラ」であるが、その登場は存外なくらいに早い。ミュイの姉の行方を求めて「宵闇のアジト」を粉砕した後(*2)、その後始末や捜索続行を騎士団や魔法師団に任せて、一人我が身の不甲斐なさを歎いていた酒場で、他の酔っ払いに絡まれていたのが、飲んだくれた状態のシュプールだった。
 その「絡み」が遂におっさんへ物理的影響を及ぼすに至って、おっさんが介入。その際に互いの剣技・剣術理論の高さを知って(*3)、酔っ払いを共同攻撃で撃沈した後、意気投合。描写は少ないが、どうもしこたま飲んだようだ。
 シュプールはシュプールで「元は平民だったが、認められて騎士になった」なんて昔話(*4)もしているから、初対面ながら相当に「胸襟を開いた関係」であった、と言えよう。
 
 お互いの、立場を知るまでは。

 紆余曲折あって、真剣で切り結ぶ敵対関係となりながら、シュプールらは一度は離脱に成功し、馬車で逃亡に移った、のが前巻まで。今・第6巻は、そこから、おっさんの方にも「思わぬ援軍」が現れて、騎馬による追跡が追いついた、って所から。 
 そこから一対一×三組の剣戟に入るのだが、「フィッセルの、最高の師匠二人に師事した者の意地」とか、「ロバリーの、そっち側/こっち側理論(*5)」とか、興味深いネタはすっ飛ばして、本番本命の「おっさんvsシュプール」に焦点を絞るとしよう。

 覆面で顔を隠していたシュプールだが、どうやら切り結ぶ内に「酒場で一緒に呑んだ仲」と気づいたらしいおっさん・ベリル・ガーデナントの問いかけ、「どうしてあんな男についている?それほどの腕があって。」に対し、シュプールは、その経緯を回想する・・・これがほぼ丸々一話分の「回想」で、しかも原作(小説)には無い「漫画化の追加部分」であり、「本第6巻の白眉」とも言える、部分である【強く断言】。

 

  • <注記>
  • (*1) 因みに、未だ6巻であるから、「表紙にする登場人物に困った」訳でも無い。主人公たるおっさん=ベリル・ガーデナント氏なんざぁ、1巻でも2巻でも表紙を務めている。 
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  • (*2) って、読んでいない人には何のことか判らないだろうが、勘弁して貰おう。「中味は、読んでのお楽しみ」だ。 
  •  
  • (*3) どうやって「知った」かは、読んでのお楽しみ。 
  •  
  • (*4) これって、後に明らかになるシュプールの過去からすると、相当に「深い」話で、初対面の相手にいきなり話すようなネタではない。
  •  それだけ「意気投合した」現れ、と考えられる。 
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  • (*5) と、「そっち側」に軽やかに駆けていくクルニ・・・・と、「そっち側」を量産している(らしい)「流石は片田舎の剣聖」おっさん、とか。 


 

  • (2)お姫様・ラフィ・アイレンテール

 「本第6巻の白眉」である「シュプールの回想シーン」では在るが、本稿はあくまでも「片田舎のおっさん、剣聖になる」の紹介であり、先述の通り「ネタばらしは極限」したい。未だ本作を読まない人に対する「ネタばらし」は、本作に対する侮辱で在るばかりで無く、未だ本作を読んでいない読書諸兄から本作を読む楽しみを、奪う、乃至大いに減じるモノだから、だ。

 であるならば、その回想シーンの中心であり肝であり核心(且つ、漫画化のみ登場の"新キャラ")であるラフィ・アイレンテール嬢についての情報も、特に肝心なところは隠匿せざるを得ない。

 とは言え、本第6巻の「メインヒロイン」とも言うべき「ラフィ様」に触れないでは、本稿は成立すまい。

 外観で言うと、頭頂部に「お団子」をまとめたロングストレートの髪型。目と口の大きさが、可愛さとバイタリティを象徴している様だ。とある領主の娘(恐らくは、一人娘)だが、その父親=領主も「一度決めたら聞かない」と呆れられ、諦められている、らしい。

 何しろ、シュプールの剣の才を見出し、スカウトし、「剣技の師匠」とは言い難いがヒントぐらいは出しているようだし、「剣の楽しさ」を教えたと言う点では、「立派な師匠」とも言い得そうだ。
 その上、シュプールにとっては命の恩人(それも、二回も・・・)にして、(少なくとも)婚約者であり、(ひょっとすると)伴侶・妻だ。そりゃ、大事な人、だわなぁ。

 そんな「大事な人の死」が、シュプールを「騎士狩り」にし、「あんな男につく」契機となった事が、この回想シーンでは語られる。

 ま、詳細は、「読んでのお楽しみ」だが。

 

  • (3)「ダラン・・・からの、ドバッ!」

 「おっさん」ことベリル・ガーデナントと、シュプールの死闘を描く第28話「おっさん、決着!」は、本第6巻の「クライマックス」と言い得よう。各自の「未来予想図」をハッチング背景のコマに描く手法で、互いの仕掛けや、技の掛け合い、腹の読み合いを表現し、迫力と緊張感溢れる「斬り合い」を表現している・・・これは、実際に読まないと判らないな。
 「未来予測」と「現実」とをカットバックでコマ割り静止画像で見せる(*1)「漫画」という表現形態/媒体の「凄みと深さ」を見せられる思いだった・・・・まあ、私(ZERO)が漫画やコミックに精通している訳ではない事は、お断りしないといけないが。

 これが初陣となる魔剣・ゼノ・グレイブル対「奇跡を込めた刺突剣」の死闘と決着、もさることながら、その過程・プロセスで、微かに笑みを浮かべる「おっさん」ベリル・ガーデナントと、それに気づいて、「ああ、楽しいな」と同意するシュプール、って「あっち側」同士の「やり取り」も、来るモノがある。が・・・

 仮面も防具も外して切り結ぶ二人を、ピクニックバスケット(*2)傍らに応援するラフィって「一枚絵」(恐らくは、イヤ、確実に、シュプールの幻想)も、来るモノがあるぞ。
 
 流石に、泣きはしないが(*3)。

  • <注記>
  • (*1) 「しか出来ない」訳でもあるが。 
  •  
  • (*2) っていうのだろうか。直径50cm程の藤編み駕籠のバスケットで、仲にサンドイッチとかオープンサンドとか入ってそうなヤツ。ナプキンらしい布がかかっているので中味は割らない。隣の瓶は、ワインかなぁ。 
  •  
  • (*3) 考えてみると、案外、漫画では泣かんな。「一読必泣の小説」も「一見必泣の映画」も、心当たりはあるが、「一読必泣の漫画」は、トンと覚えが無い。 


 

  • (4)「真に戦う者同士は、真の敵同士ではなく、友達だ。」ーマサイ族の諺( だったと思う。松本零士の教え、でもある。 )ー

「真に戦う者同士は、真の敵同士ではなく、友達だ。」ーマサイ族の諺(*1)

 二人の「決着」を以て、本第6巻は終了する(*2)・・・アレコレ後始末は残っているので、完了はしない。
 
 でまあ、物語であるから、主人公であるおっさん=ベリル・ガーデナントが「負けて殺されてお終い」って事もない。これも、ネタバレではあるまい。
 
 タダ、「一応の大団円」を迎えるには、未だもう1アクション2アクションあり、それは次巻のお楽しみでもあれば、これまた「原作の小説にはない、漫画化の追加部分」であり、「小説の漫画化の、一つの理想像」の一環でもある。イヤ、確かにストーリーに厚みと説得力を増している、が故に。

 ヒントは、「ミュイは、ミュイなりに、頑張っている。(*3)」という所。
 ミュイってのが誰で、何をする者か、ってのは、読んでのお楽しみだ。そう言えば、原作の小説では、主人公・ベリル・ガーデナントの・・・・オッと、ネタバレ禁止だな。

 以前にも書いたが、やはり「作品紹介」ってのは難しい。「ネタバレとならない範囲」でないと、読者の「読む楽しみ」を奪ってしまうが、一方でその読者に「興味を持ち、読んでもらいたい」からこその作品紹介だ。

 故に、斯様な歯切れも悪ければ、「原作や漫画を読んでいない人には、何を言っているのか判らない」であろう文書ともなる。ハッキリ言って、ある種の「駄文」であり、「駄文」とならざるを得ない。
 
 とは言うものの、「本稿が、何を言っているのか判る」為だけでも、漫画「片田舎のおっさん、剣聖となる」(乃至、原作の小説)は読む価値がある、と断言してしまおう。

 そう言えば、「剣聖の定義」が本第6巻の中で語られるのだが・・・・これって、既に「片田舎の剣聖」って異名を持つ(が、本第6巻で語られる「剣聖」の定義には、当てはまらなそうである。)おっさん=ベリル・ガーデナントの、今後=「剣聖へと至る道」を、ひょっとして、示唆しているのかな?

 だとしたら・・・ラフィ様(*4)、スゲぇ。
 

  • <注記>
  • (*1) だったと思う。松本零士の教え、でもある。 
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  • (*2) って事は、目次の各話タイトルから容易に想像できるから、「ネタバレ」ではない・・・ことにする。 
  •  
  • (*3) と、シュプールの密かな支援、か。 
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  • (*4) 本当に魅力的なキャラクターで、そりゃ、シュプールでも惚れる訳だわ。
  •  「ネタばらしあり」なら、「ラフィ様」だけで、一本記事が書けそうなぐらいだ。 


 

  • アサクリ/弥助問題に於ける関西弁の美しさ付いての一考察ー「ちゃうやん弥助」を題材に。

 「アサクリ問題」と言うべきか、「弥助問題」と言うべきか(*1)、人気の一人称視点シューティングゲーム(で、ジャンルとしては良いのかな。)である「アサシン・クリード(略称 アサクリ)」の最新版(11月発売予定)である「アサシン・クリード・シャドウズ」が、日本の戦国時代を舞台にしたのは兎も角、主人公を「黒人の侍」弥助としたことに端を発する(*2)一連の「炎上問題」については、弊ブログは静観してきた(*3)。

 一応私(ZERO)なりに同問題の大まかな経緯を記すと、以下のようになろう。

①「アサシン・クリード」シリーズの最新作として「アサシン・クリード・シャドウズ」の情報が公開された。舞台は同シリーズ初の日本で、主人公(の片方)は黒人の侍・(*4)弥助とも発表された。

 因みに同シリーズは、緻密な歴史的背景を売り物としていた。

 

②黒人・弥助というのは「信長に仕えた黒人で、南蛮人が連れてきた」って事、ぐらいしか史実がなく、本能寺の変の後に明智方に捉えられたが無罪放免された、って記録ぐらいしかない。

 

③ 「黒人がサムライにして主人公」って設定には、当然なが否定的な反応もあった。これに対して同ソフト開発会社のUBIは、今までの同シリーズが「歴史に緻密」であった自信もあったのだろうが、「史実に忠実」「歴史を追体験」と主張したばかりか、「黒人侍が主人公」という設定を非難する者は「レイシスト(人種差別主義者)」とか「日本人のフリをしている白人」だとか、断定断言した。

 公平に言って、少なくとも前者は「暴言」とされるべきだろう。

 

④ 逆に「黒人侍・弥助」って設定を「史実である」と擁護・弁護する者も出てきた。弥助を題材に番組作ったNHK渡河、弥助を主人庫とした小説を書いて売り出した自称「弥助研究の第一人者」トーマス・ロック・リーなど、だ。

 しかしながら、トーマスの方は「黒人弥助=侍」説を支持支援するようにウイキペディアを書き換えたり、「戦国日本では、黒人奴隷を所有することが流行した」とか、更には「黒人奴隷は日本が発祥」というトンデモ説まで為していることが判明した。

 因みにこの人は、今でも日大の准教授である、らしい。 

 一方の「黒人侍・弥助」番組を作成・放映したNHKは、同番組のネット公開を、いまはしていないらしい。

 他にも、東大の岡准教授とか、NHK大河ドラマの歴史監修もしたとか言うセンセイとかが、「弥助=侍説」の支持・擁護に声を上げたが・・・まあ、「ネット民に忽ち反撃されて、敵前逃亡」って体だ。

 

⑤ そうこうする内に、11月の発売へ向けて次々と公開されるゲーム「アサシンクリード・シャドウズ」に、次々と「アラ」と言うか、おかしな所、法律上問題となりそうな箇所が発見され、特に著作権法や肖像権などの法律的問題は、当事者が声を上げるようになった。

 「アラ」は余りに多いのだが、「四季が一つの画面に混在している」と言えば、大凡判ろう。「戦国時代なのにトラロープやガードレールや軽トラがある」ってのも相当問題ではあるが、「関ヶ原鉄砲隊の旗指物をそのままゲームの画面に出して、関ヶ原鉄砲隊自身からの問い合わせを無視してなんの対応も見せなかった」事に比べれば、些事だろう。

 

⑥ 以上のような顛末を受けて、当該ゲーム及び、その製作会社を揶揄した歌が製作され、Youtube上で流行した。「弥助やないかい」を皮切りとした一連の歌と動画は、未だその発展後継型がネット上に散見されるし、先頃閉幕したパリ五輪とも結びついたモノも最近は多い様だ。

 

 

⑦ 所が、話は此処で終わらない。「弥助=侍」説を強烈に推し進めていてトーマス・ロックリーなる日大准教授先制は、「戦国時代の日本では、黒人奴隷を侍らせることが流行した。」と、「様だ。」など度婉曲表現を使いながらも唱えだし、これを擁護する者も現れた、ばかりか、「黒人奴隷は日本が発祥」という言説まで、少なくとも一部ではまことしやかに言われる始末となった。

 

⑧ 上記の様は経緯と無関係とは思えないのだが、「黒人侍・弥助」を主人公としたミュージカルだか演劇だかが、米国で進行中と言う話もある。

 それを「史実だ」とか「歴史を体験」だとか言わないならば、別に黒人である弥助を侍にしようが大名にしようが知ったことではないのだが、「日本で黒人奴隷が流行した」なんてトンデモ説を、「史実」とか「歴史的背景」とかにされては、黙っては居られないな。


 さて、前置きが長くなった。上掲の通り「黒人侍・弥助」を「史実」とか抜かすヤツバラに対する日本人の一つの反撃が、「弥助やないかい」はじめとする種々の歌と動画であり、今回特筆大書したい「ちゃうやん弥助」も、その一つである。

 歌詞は以下の通りである。

 

 

  • <注記>
  • (*1) 今や、「トーマス・ロック・リー問題」乃至「黒人奴隷日本発祥説問題」という方が、より正確かも知れない。 
  •  
  • (*2) 今となっては、「多寡がゲームの話」では済まなくなっている。 
  •  
  • (*3) まあ、弊ブログは大抵の問題に対して「静観」しているのだが。 
  •  
  • (*4) それも、美事な鎧兜を着けた「兜首」であり、相当な高い身分。足軽では到底済まない、出で立ち。 


 

  • (1)ちゃうやん弥助

 ちょぉ、待ってぇな弥助。思ってたのとちゃうねん。

 キミ、ちょっとぉちゃうねん。

 めっちゃ説明し辛い、めっちゃ複雑やねん。

 だけど、これはちゃうねん。

 だから、これは、フィクション。

 

 桜は、春に舞い散り、

 稲は、初夏に植える。

 ススキは、秋の月に映え、

 鶴は、雪原に舞う。

 ああ、美しきかな、日本の四季。(同時に存在すんな。)

 

 季語は、記号とちゃうねん。

 俳句は、季語無いと、あかんねん。

 

 武士が詠むのは、辞世の句。

 切腹で詠むのが、辞世の句。

 侍なら、常識。 (日本の常識。)

 

 ええで、ええで。弥助でええで。

 弥助おもろい。ロマンがあるね。

 主人公でも、まぁええわ。 Ah.

 

 ええで、ええで。皆まで言うな。

 トンデモおもろいネタにしたるわ。

 外国産(ゲーム)なら、しゃぁないわ。 Ah.

 

 タダ一つ。大事なことは。

 史実と言うな。調べもせずに。

 

 ちょぉ待ってな、弥助。思ったのとちゃうな。

 キミ全然ちゃうね。

 めっちゃ受け入れ難い。めっちゃ複雑やねん。

 やっぱ、これはちゃうねん。

 だから、これはフィクション。(はよ、言え。)

 

 虎ロープ、木に巻き付き、ガードレール映える。

 電柱も、こっそりと生え、軽トラも、戦国にある。

 ああ、確かなる日本の技。 (流石に無理がある。)

 

 無断使用、あかんよ? 文化盗用、ダメダメ!

 二条城に、東大寺、ワンピースに、関ヶ原。

 (UBIこそJustice。アホか。)

 

 あかん、あかん。弥助がヤバい。

 グレートサムライ。ロマンじゃ、済まへん。

 

 主人公とか、マジ、ヤバい。 Oh

 あかん、あかん。無茶苦茶言うな。

 トンデモ、笑えん。ネタでも、悪質。

 外国人が、書き換えた。 Oh

 

 タダ一つ、大事な事は。

 弥助を騙るな。お前の妄想で。

 

 ちょぉ待ってぇな、弥助。思ってたのとちゃうやん。

 キミちょっとちゃうやん。

 めっちゃ説明しづらい。めっちゃ複雑やねん。

 だけど、これは、ちゃうやん。

 だから、これは、フィクション。

 

 タダ一つ、大事なことは。

 史実と言うな。調べもせずに。

 

 タダ一つ、大事な事は。

 弥助を騙るな。お前の妄想で。

 

 ちょお待ってぇな、弥助。いや、史実とちゃうやん。

 キミ、全然ちやうやん。

 めっちゃ受け入れ難い。めっちゃ悲しいやん。

 絶対、これはちゃう!

 絶対、これはフィクション!

 絶対、これはフィクション!!

 絶対、これはフィクション!!! (はよ言え。)

 

  • (2)関西言葉の美しさ

 始めに告白しておくと、私(ZERO)自身は関東出身の板東武者であり、基本的に「標準語」である「東京言葉」を喋る人間である。地口は、「標準語」と言うよりは「江戸弁」のべらんめぇ調になるが、割と語学的影響を受けやすい性質らしく、海音寺潮五郎や大河ドラマや「ドリフターズ」のお陰で、「薩摩弁モード」を使うことも出来る、気がする。

 そんな訳であるから、京言葉や大阪弁の様な「関西訛り」は、私は使えない。多分、語尾を「アルヨ」にして「中国人」と称するレベルの「関西訛り」にしかならないだろう。

 なればこそ、と言うべきだろうな。「関西訛りは使えない」私(ZERO)であればこそ、上掲動画「ちゃうやん弥助」の「関西言葉の美しさ」に、殊の外惹かれるのである。また、その関西言葉なればこその、柔らかいイントネーションとイメージが上掲歌詞にある、事も感じられるのである。
 
 ま、そんなソフトなイメージに隠された、鋭いトゲも、感じないでは無いが、な。

 例えば・・・・上掲歌詞を、意味をなるたけ変えずに、「官僚的標準語」にしたら、こうなる、と考えると、「関西言葉の美しさ」は際立つのではないかな。

  • 1.違うな。弥助。(「ちゃうやん弥助」官僚的標準語Ver)

 待て、弥助。論外だ。

 貴様、それは無いぞ。

 曰く言い難く、複雑怪奇だが、

 論外であることに議論の余地無し。

 それは、虚構だ。

 

 桜は、春に舞い散り、

 稲は、初夏に植える。

 ススキは、秋の月に映え、

 鶴は、雪原に舞う。

 ああ、美しきかな、日本の四季。(同時に存在すべからず。)

 

 季語は、記号ではない。

 俳句は、季語が必須。

 

 武士が詠むのは、辞世の句。

 切腹で詠むのが、辞世の句。

 侍なら、常識。 (日本の常識。)

 

 まあ、まあ、弥助でも良かろう。

 弥助にはロマンがある。結構。

 主人公でも構わんさ。 Ah.

 

 良かろう、皆まで言うな。

 宣伝販促は任せろ。

 外国産(ゲーム)なら、致し方ない。 Ah.

 

 タダ一つ。大事なことは。

 史実と言うな。調べもせずに。

 

 イヤ待て、弥助。論外だ。

 全く話にならん。

 許容出来ん。複雑怪奇。

 やはり、これは無い。

 だから、これは虚構。(サッサと認めろ。)

 

 虎ロープ、木に巻き付き、ガードレール映える。

 電柱も、こっそりと生え、軽トラも、戦国にある。

 ああ、確かなる日本の技。 (流石に無理がある。)

 

 無断使用は厳禁。文化盗用、とんでもない!

 二条城に、東大寺、ワンピースに、関ヶ原。

 (UBIこそJustice。バカな。)

 

 注意、注意。弥助に警戒。

 グレートサムライ。ロマンじゃ、済まん。

 

 主人公とは、誠に如何。 Oh

 不可也。不可也。無茶苦茶也。

 笑い事ではない。冗談としても悪質。

 外国人が、書き換えた。 Oh

 

 タダ一つ、大事な事は。

 弥助を騙るな。お前の妄想で。

 

 イヤ待て、弥助。論外だ。

 全く話にならん。

 許容出来ん。複雑怪奇。

 やはり、これは無い。

 だから、これは虚構。(サッサと認めろ。)

 

 タダ一つ、大事なことは。

 史実と言うな。調べもせずに。

 

 タダ一つ、大事な事は。

 弥助を騙るな。お前の妄想で。

 

 イヤ待て、弥助。イヤ、史実と異なる。

 貴様、全く別人。

 許容出来ん。慚愧に絶えん。

 絶対、これは無い。

 絶対、これはフィクション!

 絶対、これはフィクション!!

 絶対、これはフィクション!!! (サッサと認めろ。)


 

  • 2.半ば(以上)予想されたことではあるが・・・

 「官僚的標準語」と言うよりは、「軍人的標準語」になった、気はするが・・・オリジナルの関西言葉と比べると、ゴツゴツしたお堅いイメージとなることは、伝わったのではないかな。
  
 斯様な「お国言葉」の違いもまた、「多様性」の一環である。敬語や、男言葉・女言葉、なんてのも、な。

 本件を巡る問題の中で、米国の大金持ち・イーロン・マスク氏が、「多様性は、芸術を殺す」と発言し、物議を醸している、そうだが、彼の言には一理も二理もありそうだぞ。

 パリ五輪もそうだが、「多様性」を強調し、推進し、ごり押しするヤツバラは、「多様性」と称する「一様性・一面性・画一化」を他者や社会や世界に強要するのだから、そりゃ、芸術も死のうというモノだ。

 大体、一人称単数を表す単語がほぼ一つしか無い言語(*1)を話す奴原に、多種多様な一人称単数語を使い分ける日本人・日本語話者(*2)>が、「多様性」について文句を付けられる筋合いなぞ、あるモノかよ。
 

  • <注記>
  • (*1) 英語ならI。独語ならIch。仏語では、Juか? 
  •  
  • (*2) 私、我、ワシ、ウチ、余、小生、拙者、私、あたし、俺、オラ、ウラ、某(「それがし」。同じ字で「ぼう」だと、三人称。)、手前(「てまえ」。同じ字で「てめぇ」になると、二人称にもなる。)・・・広く使える一人称単数だけでもこんなにある。拙僧、小官、本官とか、職業を表すモノもある。 
     

 

 3年前の記事だが、今年も長崎市長がやらかしてくれたのは周知の通り。「式典を平穏に行う為」とか何とか屁理屈付けてイスラエル大使の平和式典への招待を中止した結果、主要各国代表の出席拒否をくらっている。

 仮に本当に「式典の平穏の為」のイスラエル大使招待中止ならば、それは、イスラエル大使の平和式典出席に反対する奴輩に膝を屈したと言う事。そんな奴輩には、今次ガザ紛争を引き起こしてイスラエル国民を虐殺略奪強姦拉致監禁し、拉致監禁は継続中のハマスを含む。虐殺略奪強姦が曲がりなりにも止んでいるのは、ハマスが被害者面出来るくらい旗色が悪いから、だ。

 そんなテロリスト犯罪者虐殺略奪強姦集団とその同調者に阿ってイスラエル大使招待中止しているのだから、そりゃ政治利用で、各国の出席拒否も当然だろう。

  • 映画「Zulu」 挿入歌 Men of Herlech

 マイケル・ケイン。金髪碧眼の優男。
 だが、戦争映画ファンである私(ZERO)は、「タダの優男ではない」マイケル・ケインをアレコレ知っている。映画「勝利への脱出」では「捕虜収容所のサッカー監督」を演じて、まあ「ヤサ男ぶり」が目立ったが、「国際諜報局 The IPCRESS File」では米国CIAとは一風も二風も異なる英国情報部員を演じているし、「鷲は舞い降りた The Eagle has landed」では「イギリス人との混血」って設定ながら「ドイツ(*1)特殊空挺部隊隊長を演じている。
 

 

 

 そんなマイケル・ケインが「タダの優男ではない」所を発揮する映画の一つが、ズール戦争 Zulu」である。

 

 

 

 時は19世紀末。「英国の平和 パックス・ブリタニカ」未だ華やかなりし頃(*2)。「太陽の没することのない」植民地帝国を築いていた大英帝国に対し、未だ近代化・火力化は半ばながら果敢にも挑んだアフリカのズール族との「ズール戦争」の一局面を描いたこの映画で、マイケル・ケインは「圧倒的多数と士気を誇るズール族に対し、砦に立て籠もる英軍の副官」を演じた。まあ場所がアフリカで19世紀の英軍正規兵(且つ、設定上貴族出身)なので、真っ赤な軍服に白いヘルメットと指揮官用(多分)の回転式拳銃で、泥まみれ血まみれになりながら獅子奮迅の活躍を見せている。

 この映画がケインの出世作になったってのも、頷けるモノがあるな。

 

 Mens of Herlechは、この映画の中で効果的に使われる挿入歌だが、元はウェールズのtraditional patriotic song 伝統的愛国歌、だそうだから、まあ民謡とか戦時歌謡とか言うのだろう。題材しているHerlech籠城戦ってのは実に15世紀の話だそうだから、Traditionalも良い処だ。

 

 動画では(音は良いが)一寸判りづらそうだが、このシーンは戦闘(今回は小さな教会だか救護所だかに立て籠もる100人程の兵で、半数は工兵)のクライマックスに近い所で使われる。
 隊伍を揃えて突撃に移る前に、独特のリズムと歌唱(と言うより、詠唱かな・・・)で突撃準備するズール族。塹壕、では無いがそれぞれの遮蔽物の影で銃(*3)を持って緊張して待つ英軍兵士達。そんな中で、「対抗手段」として歌われ出すのが、この挿入歌Men of Herlechである。
 
 今回歌詞を書き出して、翻訳し、その背景を知ると、随分と得心の行く事があった。上手い使い方しやぁがるなぁ。

 Welshmen will not yield! 
 ウエールズ人に敗北無し!

  • Meon of Herlech

 Men of Herlech,stop your dreaming、

 Can't you see theira spearpoints gleaming?

 See their Warrior penants streaming,

 To this battlefield.

 

 Men of Herlech stand ye steady,

 It can not be ever said ye

 For the battle were not ready,

 Werlshmen never yield!

 

 From the hills rebounding,

 Let this war cry sounding,

 Summon all at Cambria's call,

 The mighty force surrounding!

 Men of Herlech on to glory,

 This will ever be your story,

 Keep the burning words before ye,

 Welshmen will not yield!

 

 Men of Herlech,stop your dreaming, 

 Can't you see their spearpoints gleaming?

 ハーレックの男達よ、夢から覚めよ。

 奴らの槍先煌めくのが見えぬか。

 

 See their warrrior pennants streaming,

 To this battlefield.

 奴らの戦旗が怒濤となり、

 正にこの戦場へ流れ込むのを見よ。

 

 Men of Herlech stand ye steady,

 It can not be ever said ye

 For the battle were not ready,

 Welshmen never yield!

 ハーレックの男達よ、汝ら雄々しく立て。

 この戦に準備不足などと口が裂けても言うなよ。

 ウエールズ人に降伏無し!

 

 From the hills rebounding,

 Let this war cry sounding,

 Summon all at Cambria's call,

 The mighty force surrounding!

 丘々に木霊して、我らが雄叫びを響かせよ。

 カンブリアの呼び声で、辺りの全ての力を召喚せよ。

 

 Men of Herlech on to glory,

 This will ever be your story,

 ハーレックの男達よ、栄光は目前だ。

 この戦いは汝らの誉となろう。

 

 Keep this burning words before ye,

 Welshmen will not yield! 

 我らの熱き標語を穢すな。

 ウエールズ人に降伏無し!
 

  • <注記>
  • (*1) それも第二次大戦下だから、ナチスドイツ。 
  •  
  • (*2) って事は、帝国主義全盛期ってことだ。 


(*3) 薬莢式ではあるが、単発銃。本銃のガンアクションも、この映画の魅力の一つ。