• アサクリ/弥助問題に於ける関西弁の美しさ付いての一考察ー「ちゃうやん弥助」を題材に。

 「アサクリ問題」と言うべきか、「弥助問題」と言うべきか(*1)、人気の一人称視点シューティングゲーム(で、ジャンルとしては良いのかな。)である「アサシン・クリード(略称 アサクリ)」の最新版(11月発売予定)である「アサシン・クリード・シャドウズ」が、日本の戦国時代を舞台にしたのは兎も角、主人公を「黒人の侍」弥助としたことに端を発する(*2)一連の「炎上問題」については、弊ブログは静観してきた(*3)。

 一応私(ZERO)なりに同問題の大まかな経緯を記すと、以下のようになろう。

①「アサシン・クリード」シリーズの最新作として「アサシン・クリード・シャドウズ」の情報が公開された。舞台は同シリーズ初の日本で、主人公(の片方)は黒人の侍・(*4)弥助とも発表された。

 因みに同シリーズは、緻密な歴史的背景を売り物としていた。

 

②黒人・弥助というのは「信長に仕えた黒人で、南蛮人が連れてきた」って事、ぐらいしか史実がなく、本能寺の変の後に明智方に捉えられたが無罪放免された、って記録ぐらいしかない。

 

③ 「黒人がサムライにして主人公」って設定には、当然なが否定的な反応もあった。これに対して同ソフト開発会社のUBIは、今までの同シリーズが「歴史に緻密」であった自信もあったのだろうが、「史実に忠実」「歴史を追体験」と主張したばかりか、「黒人侍が主人公」という設定を非難する者は「レイシスト(人種差別主義者)」とか「日本人のフリをしている白人」だとか、断定断言した。

 公平に言って、少なくとも前者は「暴言」とされるべきだろう。

 

④ 逆に「黒人侍・弥助」って設定を「史実である」と擁護・弁護する者も出てきた。弥助を題材に番組作ったNHK渡河、弥助を主人庫とした小説を書いて売り出した自称「弥助研究の第一人者」トーマス・ロック・リーなど、だ。

 しかしながら、トーマスの方は「黒人弥助=侍」説を支持支援するようにウイキペディアを書き換えたり、「戦国日本では、黒人奴隷を所有することが流行した」とか、更には「黒人奴隷は日本が発祥」というトンデモ説まで為していることが判明した。

 因みにこの人は、今でも日大の准教授である、らしい。 

 一方の「黒人侍・弥助」番組を作成・放映したNHKは、同番組のネット公開を、いまはしていないらしい。

 他にも、東大の岡准教授とか、NHK大河ドラマの歴史監修もしたとか言うセンセイとかが、「弥助=侍説」の支持・擁護に声を上げたが・・・まあ、「ネット民に忽ち反撃されて、敵前逃亡」って体だ。

 

⑤ そうこうする内に、11月の発売へ向けて次々と公開されるゲーム「アサシンクリード・シャドウズ」に、次々と「アラ」と言うか、おかしな所、法律上問題となりそうな箇所が発見され、特に著作権法や肖像権などの法律的問題は、当事者が声を上げるようになった。

 「アラ」は余りに多いのだが、「四季が一つの画面に混在している」と言えば、大凡判ろう。「戦国時代なのにトラロープやガードレールや軽トラがある」ってのも相当問題ではあるが、「関ヶ原鉄砲隊の旗指物をそのままゲームの画面に出して、関ヶ原鉄砲隊自身からの問い合わせを無視してなんの対応も見せなかった」事に比べれば、些事だろう。

 

⑥ 以上のような顛末を受けて、当該ゲーム及び、その製作会社を揶揄した歌が製作され、Youtube上で流行した。「弥助やないかい」を皮切りとした一連の歌と動画は、未だその発展後継型がネット上に散見されるし、先頃閉幕したパリ五輪とも結びついたモノも最近は多い様だ。

 

 

⑦ 所が、話は此処で終わらない。「弥助=侍」説を強烈に推し進めていてトーマス・ロックリーなる日大准教授先制は、「戦国時代の日本では、黒人奴隷を侍らせることが流行した。」と、「様だ。」など度婉曲表現を使いながらも唱えだし、これを擁護する者も現れた、ばかりか、「黒人奴隷は日本が発祥」という言説まで、少なくとも一部ではまことしやかに言われる始末となった。

 

⑧ 上記の様は経緯と無関係とは思えないのだが、「黒人侍・弥助」を主人公としたミュージカルだか演劇だかが、米国で進行中と言う話もある。

 それを「史実だ」とか「歴史を体験」だとか言わないならば、別に黒人である弥助を侍にしようが大名にしようが知ったことではないのだが、「日本で黒人奴隷が流行した」なんてトンデモ説を、「史実」とか「歴史的背景」とかにされては、黙っては居られないな。


 さて、前置きが長くなった。上掲の通り「黒人侍・弥助」を「史実」とか抜かすヤツバラに対する日本人の一つの反撃が、「弥助やないかい」はじめとする種々の歌と動画であり、今回特筆大書したい「ちゃうやん弥助」も、その一つである。

 歌詞は以下の通りである。

 

 

  • <注記>
  • (*1) 今や、「トーマス・ロック・リー問題」乃至「黒人奴隷日本発祥説問題」という方が、より正確かも知れない。 
  •  
  • (*2) 今となっては、「多寡がゲームの話」では済まなくなっている。 
  •  
  • (*3) まあ、弊ブログは大抵の問題に対して「静観」しているのだが。 
  •  
  • (*4) それも、美事な鎧兜を着けた「兜首」であり、相当な高い身分。足軽では到底済まない、出で立ち。 


 

  • (1)ちゃうやん弥助

 ちょぉ、待ってぇな弥助。思ってたのとちゃうねん。

 キミ、ちょっとぉちゃうねん。

 めっちゃ説明し辛い、めっちゃ複雑やねん。

 だけど、これはちゃうねん。

 だから、これは、フィクション。

 

 桜は、春に舞い散り、

 稲は、初夏に植える。

 ススキは、秋の月に映え、

 鶴は、雪原に舞う。

 ああ、美しきかな、日本の四季。(同時に存在すんな。)

 

 季語は、記号とちゃうねん。

 俳句は、季語無いと、あかんねん。

 

 武士が詠むのは、辞世の句。

 切腹で詠むのが、辞世の句。

 侍なら、常識。 (日本の常識。)

 

 ええで、ええで。弥助でええで。

 弥助おもろい。ロマンがあるね。

 主人公でも、まぁええわ。 Ah.

 

 ええで、ええで。皆まで言うな。

 トンデモおもろいネタにしたるわ。

 外国産(ゲーム)なら、しゃぁないわ。 Ah.

 

 タダ一つ。大事なことは。

 史実と言うな。調べもせずに。

 

 ちょぉ待ってな、弥助。思ったのとちゃうな。

 キミ全然ちゃうね。

 めっちゃ受け入れ難い。めっちゃ複雑やねん。

 やっぱ、これはちゃうねん。

 だから、これはフィクション。(はよ、言え。)

 

 虎ロープ、木に巻き付き、ガードレール映える。

 電柱も、こっそりと生え、軽トラも、戦国にある。

 ああ、確かなる日本の技。 (流石に無理がある。)

 

 無断使用、あかんよ? 文化盗用、ダメダメ!

 二条城に、東大寺、ワンピースに、関ヶ原。

 (UBIこそJustice。アホか。)

 

 あかん、あかん。弥助がヤバい。

 グレートサムライ。ロマンじゃ、済まへん。

 

 主人公とか、マジ、ヤバい。 Oh

 あかん、あかん。無茶苦茶言うな。

 トンデモ、笑えん。ネタでも、悪質。

 外国人が、書き換えた。 Oh

 

 タダ一つ、大事な事は。

 弥助を騙るな。お前の妄想で。

 

 ちょぉ待ってぇな、弥助。思ってたのとちゃうやん。

 キミちょっとちゃうやん。

 めっちゃ説明しづらい。めっちゃ複雑やねん。

 だけど、これは、ちゃうやん。

 だから、これは、フィクション。

 

 タダ一つ、大事なことは。

 史実と言うな。調べもせずに。

 

 タダ一つ、大事な事は。

 弥助を騙るな。お前の妄想で。

 

 ちょお待ってぇな、弥助。いや、史実とちゃうやん。

 キミ、全然ちやうやん。

 めっちゃ受け入れ難い。めっちゃ悲しいやん。

 絶対、これはちゃう!

 絶対、これはフィクション!

 絶対、これはフィクション!!

 絶対、これはフィクション!!! (はよ言え。)

 

  • (2)関西言葉の美しさ

 始めに告白しておくと、私(ZERO)自身は関東出身の板東武者であり、基本的に「標準語」である「東京言葉」を喋る人間である。地口は、「標準語」と言うよりは「江戸弁」のべらんめぇ調になるが、割と語学的影響を受けやすい性質らしく、海音寺潮五郎や大河ドラマや「ドリフターズ」のお陰で、「薩摩弁モード」を使うことも出来る、気がする。

 そんな訳であるから、京言葉や大阪弁の様な「関西訛り」は、私は使えない。多分、語尾を「アルヨ」にして「中国人」と称するレベルの「関西訛り」にしかならないだろう。

 なればこそ、と言うべきだろうな。「関西訛りは使えない」私(ZERO)であればこそ、上掲動画「ちゃうやん弥助」の「関西言葉の美しさ」に、殊の外惹かれるのである。また、その関西言葉なればこその、柔らかいイントネーションとイメージが上掲歌詞にある、事も感じられるのである。
 
 ま、そんなソフトなイメージに隠された、鋭いトゲも、感じないでは無いが、な。

 例えば・・・・上掲歌詞を、意味をなるたけ変えずに、「官僚的標準語」にしたら、こうなる、と考えると、「関西言葉の美しさ」は際立つのではないかな。

  • 1.違うな。弥助。(「ちゃうやん弥助」官僚的標準語Ver)

 待て、弥助。論外だ。

 貴様、それは無いぞ。

 曰く言い難く、複雑怪奇だが、

 論外であることに議論の余地無し。

 それは、虚構だ。

 

 桜は、春に舞い散り、

 稲は、初夏に植える。

 ススキは、秋の月に映え、

 鶴は、雪原に舞う。

 ああ、美しきかな、日本の四季。(同時に存在すべからず。)

 

 季語は、記号ではない。

 俳句は、季語が必須。

 

 武士が詠むのは、辞世の句。

 切腹で詠むのが、辞世の句。

 侍なら、常識。 (日本の常識。)

 

 まあ、まあ、弥助でも良かろう。

 弥助にはロマンがある。結構。

 主人公でも構わんさ。 Ah.

 

 良かろう、皆まで言うな。

 宣伝販促は任せろ。

 外国産(ゲーム)なら、致し方ない。 Ah.

 

 タダ一つ。大事なことは。

 史実と言うな。調べもせずに。

 

 イヤ待て、弥助。論外だ。

 全く話にならん。

 許容出来ん。複雑怪奇。

 やはり、これは無い。

 だから、これは虚構。(サッサと認めろ。)

 

 虎ロープ、木に巻き付き、ガードレール映える。

 電柱も、こっそりと生え、軽トラも、戦国にある。

 ああ、確かなる日本の技。 (流石に無理がある。)

 

 無断使用は厳禁。文化盗用、とんでもない!

 二条城に、東大寺、ワンピースに、関ヶ原。

 (UBIこそJustice。バカな。)

 

 注意、注意。弥助に警戒。

 グレートサムライ。ロマンじゃ、済まん。

 

 主人公とは、誠に如何。 Oh

 不可也。不可也。無茶苦茶也。

 笑い事ではない。冗談としても悪質。

 外国人が、書き換えた。 Oh

 

 タダ一つ、大事な事は。

 弥助を騙るな。お前の妄想で。

 

 イヤ待て、弥助。論外だ。

 全く話にならん。

 許容出来ん。複雑怪奇。

 やはり、これは無い。

 だから、これは虚構。(サッサと認めろ。)

 

 タダ一つ、大事なことは。

 史実と言うな。調べもせずに。

 

 タダ一つ、大事な事は。

 弥助を騙るな。お前の妄想で。

 

 イヤ待て、弥助。イヤ、史実と異なる。

 貴様、全く別人。

 許容出来ん。慚愧に絶えん。

 絶対、これは無い。

 絶対、これはフィクション!

 絶対、これはフィクション!!

 絶対、これはフィクション!!! (サッサと認めろ。)


 

  • 2.半ば(以上)予想されたことではあるが・・・

 「官僚的標準語」と言うよりは、「軍人的標準語」になった、気はするが・・・オリジナルの関西言葉と比べると、ゴツゴツしたお堅いイメージとなることは、伝わったのではないかな。
  
 斯様な「お国言葉」の違いもまた、「多様性」の一環である。敬語や、男言葉・女言葉、なんてのも、な。

 本件を巡る問題の中で、米国の大金持ち・イーロン・マスク氏が、「多様性は、芸術を殺す」と発言し、物議を醸している、そうだが、彼の言には一理も二理もありそうだぞ。

 パリ五輪もそうだが、「多様性」を強調し、推進し、ごり押しするヤツバラは、「多様性」と称する「一様性・一面性・画一化」を他者や社会や世界に強要するのだから、そりゃ、芸術も死のうというモノだ。

 大体、一人称単数を表す単語がほぼ一つしか無い言語(*1)を話す奴原に、多種多様な一人称単数語を使い分ける日本人・日本語話者(*2)>が、「多様性」について文句を付けられる筋合いなぞ、あるモノかよ。
 

  • <注記>
  • (*1) 英語ならI。独語ならIch。仏語では、Juか? 
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  • (*2) 私、我、ワシ、ウチ、余、小生、拙者、私、あたし、俺、オラ、ウラ、某(「それがし」。同じ字で「ぼう」だと、三人称。)、手前(「てまえ」。同じ字で「てめぇ」になると、二人称にもなる。)・・・広く使える一人称単数だけでもこんなにある。拙僧、小官、本官とか、職業を表すモノもある。