• 要は「敵基地攻撃能力反対」ってだけ-【朝日社説】北朝鮮ミサイル 「瀬戸際」許さぬ結束を

 北朝鮮が今年に入って既に4回も実施しているミサイル発射に対し、これを非難し、日本政府に対応を求める社説を、朝日新聞が掲げている。
 だが、そこは「やっぱり朝日新聞」であるから、「日本政府に対応を求める」と言っても、ロクな事を求めやしない、のである。



【朝日社説】北朝鮮ミサイル 「瀬戸際」許さぬ結束を

  • 【朝日社説】北朝鮮ミサイル 「瀬戸際」許さぬ結束を

北朝鮮ミサイル 「瀬戸際」許さぬ結束を

 

  

 

 

   https://www.asahi.com/articles/DA3S15176399.htmliref=pc_rensai_long_16_article

 

2022年1月19日 5時00分

 

 愚かな行動を繰り返し、ただでさえ苦境に立つ現状を、自ら悪化させようというのか。

 

 北朝鮮は新年に入り、日本海に向けて弾道ミサイルを相次いで発射している。

 

 最初の2回は、音速の何倍もの速さで飛び、変則的な軌道で迎撃を難しくする「極超音速ミサイル」だと称している。その後、「戦術誘導弾」とするミサイルを立て続けに発射した。

 

 北朝鮮は昨年1月に開いた朝鮮労働党大会で、兵器システム開発の長期計画を示している。それに沿った行動であり、周辺国の安全に危害を与えていないと主張する。

 

 だが弾道ミサイルの発射は、明確な国連安保理決議違反である。たとえ落下が日本の排他的経済水域の外でも、航空機や船舶の被害が心配される。危険な行動を直ちにやめるべきだ。

 

 新型コロナへの警戒感から国境をほぼ封鎖してきた北朝鮮は最近、中国からの物資搬入を2年ぶりに再開した。困窮が長びき、背に腹は代えられぬということだろう。

 

 そんな状況にもかかわらず、危機感をあおって目先の状況を変えようという、いつもの瀬戸際戦術にあきれるばかりだ。

 

 国際社会は決して座視しない姿勢を結束して示す必要がある。しかし個別の外交事情が絡む歩調の乱れがめだつ。

 

 安保理は会合を開いても、ミサイル発射を非難する声明すら出せていない。中国とロシアが同意しないためだ。

 

 北京五輪を控えた中国は、事態を荒立てたくない思惑もあるだろう。だが、北朝鮮の最大の後ろ盾であることの責任を忘れてはならない。ロシアも、北朝鮮の最近のミサイルがロシア製と酷似している事実を重く受け止めるべきだ。

 

 日本政府は、米国や韓国と緊密な調整のもとで対応するのが最善だ。米国は独自の追加制裁を科しつつ、対話再開を北朝鮮に呼びかけている。

 

 韓国が求めていた朝鮮戦争の終戦宣言は事実上、立ち消えとなった。しかし、北朝鮮を対話に引き戻す努力を怠ってはならず、日米韓はもっと意思疎通を深めるべきだ。

 

 北朝鮮の挑発を受け、日本の一部政界では、敵対国の領土内を攻撃する能力を持とうという議論が活発化し、岸田首相も検討を表明している。

 

 北朝鮮のミサイルの性能水準は詳しく解明されておらず、攻撃能力の有効性をめぐっては専門家らから疑問が出ている。

 

 軍拡競争をエスカレートさせれば、地域の安全保障環境はさらに悪化するだろう。冷静かつ実効性のある安保外交政策を練るのが政府の務めである。


 

  • 「瀬戸際許さぬ」ならば、敵基地攻撃能力も選択肢の一つであろうに。

 北朝鮮に「瀬戸際許さぬ」ためには、「敵基地攻撃能力を持って抑止力とする」事も、「軍拡競争を辞さない覚悟」も、当然「あって然るべき選択肢」であるのに、

1>  軍拡競争をエスカレートさせれば、地域の安全保障環境はさらに悪化するだろう。
2> 冷静かつ実効性のある安保外交政策を練るのが政府の勤めである。


ってのが、上掲朝日社説の「結論」なのだから、笑わせてくれる。外交政策は未だしも(*1)、安保政策の基本は軍事力であるというのに、「敵基地攻撃能力」も「軍拡競争」も、殆ど「自動的に忌避・拒否」して否定した上で、冷静かつ実効性のある安保外交政策」を政府に要求するのだから、「言うだけならタダ」も良い処だ。

 脱原発とか二酸化炭素排出量削減とか核兵器廃絶とかもそうなんだが、どうしてこう朝日新聞はじめとするアカ新聞どもは、「到底実現しそうにないことも平気で政府には“実現しろ”と要求」出来てしまうんだろうね。それも大抵、具体案も方策も示さずに。(ま、どうせ具体策も方策も、「無い」ないし「そもそも存在しない」のだろうが。)
 
 ああ、そうか。「実現不可能なことを“実現しろ”と政府に要求」しておけば、「政府を攻撃し非難する理由には事欠かないから」か。つまりは、「政府批判という飯の種を仕込むための、政府に対する無理難題」って訳だ。序でにバカ野党共への援護射撃になるし、な。

 「政府に対する無理難題」でも、モリカケ桜学術会議の「出来損ないスキャンダル煽り」よりは未だマシではあるが、「建設的意見」と言うには程遠いな。

 「野党もマスコミも、その程度のシロモノ」と割り切ってしまえばそれまでだが、左様な「無理難題を政府に要求する」事が、朝日新聞自身の、ひいては新聞自体の価値を下げており、新聞が「売れなくなった」一因である、と言う可能性に、気付いていないのかな。

 ま、気付いていないならば、それはそれで「結構なこと」だ。

 また、「新聞が売れなくなった」のは事実だが、それが 「”無理難題を政府に要求する”事で、朝日新聞らが新聞の価値を下げた結果」であると言うのは、私(ZERO)の「推測」と言うより「願望・希望」である。それだけ(ヒョッとして)「国民が、賢くなった」のではないか、と言うね。
 であるからして、私(ZERO)としては、朝日新聞が斯様な「無理難題を政府に要求する」主張を続けて、ドンドン「自らの価値を貶め、そのまま忘却土へ直行する」事を、期待するぞ。


 


  • <注記>
  • (*1) 外交だって、「砲艦外交」という言葉が端的に示す通り、軍事力を利用・活用もする。外交力と軍事力は、本来「相反的」なモノでは無く、寧ろ「相補的」なモノである。
  •  外交は「弾丸を使わない戦争」とさえ言い得るのだから、当然だろう。 
  • 政府が介入したら、ストは無くなるのかぁ?-【朝鮮日報コラム】絶滅する「メード・イン・コリア」の自動車

 韓国の新聞=韓国紙ってのは、日本のアカ新聞に輪をかけて酷いようなのだが、そのヒドさが最も端的に表れるのが「寄稿記事」と「コラム」のように思われる。

 この内、「寄稿記事が酷い」のは、「直接的には韓国紙の責任では無い」と言い得るだろう。寄稿記事の文責は寄稿者にあり、寄稿者は(寄稿するぐらいだから)掲載された韓国紙の記者では無い。韓国紙の方針とは異なる寄稿であることも(一応)あり得る(*1)。まあ、当該韓国紙の方針に反しようが、寄稿としての記事を掲載した責任は、韓国紙にある、筈だが。

 一方「コラムが酷い」のは、全面的に掲載した韓国紙の責任だ。コラムを書いた記者も、推敲した(筈の)デスクなり編集長なりも、掲載韓国紙の記者なのだから。コラムに対する韓国紙の責任は、社説に対する程には重くは無かろうが、責任を有すること。他に責任を持って行きようが無いこと。何れも間違いようが無い。

 であるならば、下掲朝鮮日報コラムの文責は、朝鮮日報にある、訳だが・・・これが売り物として売られているとは、ねぇ。私(ZERO)はネット記事をタダで読むだけだから、まあ良いが、金出して朝鮮日報を購読している購読者は、どう思っているんだろうねぇ。

 

  • <注記>
  • (*1) 逆に、韓国紙の方針を代弁し、さらに強硬に主張する、って事もあるだろう。 




 

  • 【朝鮮日報コラム】絶滅する「メード・イン・コリア」の自動車

【コラム】絶滅する「メード・イン・コリア」の自動車

 

   http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2021/12/11/2021121180006.html

 

 米ゼネラルモーターズ(GM)が韓国工場を枯死させる作戦に突入したようだ。GMの社内ナンバー2であるスティーブ・キーファー社長が今月初めに訪韓し、韓国工場でも電気自動車(EV)を生産するのかと思ったところ、とんでもない期待外れだった。EVどころか生産台数の拡充すら約束せず、むしろ韓国で発売する新車を全て輸入販売に切り替える計画を明らかにした。

 

 韓国の富平、昌原にある韓国GMの工場は年60万台以上を生産する能力を持っているが、GMは工場に仕事を回さない形で半分以上の設備をさびつかせている。GMは2018年、韓国産業銀行から8000億ウォン(約775億円)の支援を受ける条件として、10年間工場の維持することを約束したが、この状況ならば、GMは約束の28年を迎えた段階で未練なく工場を撤退させるとみられる。

 

 釜山地域の経済を支えてきたルノーサムスンの立場も同様だ。ルノーグループは昨年9月にようやく欧州向けの「XM3」の生産を釜山工場に任せたが、生産台数はピーク時の半分にも満たない。そして、釜山工場をルノーグループの全世界の工場でも最も収益性が低いと名指しし、撤退可能性を暗示している。

 

 GMとルノーは外国企業だが、昌原、富平、釜山に組立工場を設け、それぞれの地域を支えてきた。工場に直接雇用された従業員と部品下請け会社の雇用だけで数十万人に上り、それを基盤として生計を立てる地域の零細事業者ははるかに多い。毎年数十万台の「メード・イン・コリア」の車が輸出され、韓国経済にかなりの利益をもたらしてきた。

 

 10年後にもこれら工場が地域を支えていられるだろうか。不幸にもそうではない可能性が高そうだ。GMとルノー本社の韓国工場に対する発言を見れば、あす工場の稼働を中断すると言ってもおかしくない。13年連続赤字の双竜自動車は再建が不透明で、韓国国内に米国のテスラ、リビアンのようなスタートアップが登場する兆しもない。最悪の場合、数年後には「メード・イン・コリア」の完成車を販売するメーカーは現代自動車グループだけになるかもしれない。

 

 全世界の道路を走る韓国車が減れば、真っ先に地域経済が崩壊する。工場が止まってしまえば、あらゆる努力をしてみたところで、過去の栄光を取り戻すのは容易ではない。我々はそれを過去に地域の基盤産業が没落した地域で目にしてきた。

 

 これまで外国企業が賃金の安い中国ではなく、韓国に工場を設置した理由は高い品質だった。「メード・イン・コリア」であれば信頼して購入するという世界の消費者が多かったため、生産コストの高さを覚悟し、韓国に工場を設けた。ところが、ストライキを定期的に繰り返す強硬な労組が高品質という韓国の競争力を覆い隠す事態となった。これまでGMとルノー本社は韓国工場に対し、収益性と生産性を高められるという事実を示すように求めてきた。しかし、韓国工場は毎回それを証明することに失敗した。

 

 まだ対策を講じる時間が残っている状況で、今度は韓国政府が積極的に取り組む番だ。韓国にも労組によるストライキがない工場を設けることができると全世界の企業にアピールしなければならない。ストライキを行わない労働者が高品質の自動車を生産するスマート工場のモデル団地をつくるとか、一定の従業員を雇用すれば、雇用形態を柔軟化する実験も検討に値する。

 

ヨン・ソンオク記者

 

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版


 

  • タイトル通りに「韓国政治同社絶滅の危機」を訴えるが、その対策は最終パラグラフにしか出て来ない。

 しかも、やっと出て来た「対策」が・・・政府が介入しろ」ってだけ。韓国政府だって「打ち出の小槌」や「魔法のランプ」を持っている訳じゃぁ無いだろうに。どうもチョウセンジンは国がナントカしろ/国なら(当然)ナントカできるって傾向が強いようだ。以前弊ブログ取り上げた寄稿記事では、「韓国の学校給食が高くて不味い」理由を縷々挙げた挙げ句に公費で賄えば、安くて美味くて健康的な学校給食になる。」と、ヌケヌケと抜かしていた(*1)のが、想起される。

 韓国政府が一体どんな法律に基づいてどう介入したら、「韓国にも労組によるストライキが無い工場を設けることが出来る」と「世界にアピール」出来るのか、上掲コラムを一読したぐらいではサッパリ判らなかった。何しろ、「滅亡しそうな韓国製自動車に対する対策」に触れているのは章題にした通り最後のパラグラフの以下の部分だけ、なのである。


1> ストライキを行わない労働者が高品質の自動車を生産するスマート工場のモデル団地をつくるとか。
2> 一定の従業員を雇用すれば、雇用形態を柔軟化する実験も検討に値する。


と、一応「2案」を挙げている、らしいのだが・・・まず「ストライキを行わない労働者が高品質の自動車を生産するスマート工場」なるモノが、既存の韓国自動車工場と何がどう違うのかサッパリ判らない。
 「ストライキを行わない労働者」からして大問題で、「スマート工場(*2)」なる「器」を幾ら立派にしても、今まで再三ストやって甘い汁吸ってきた韓国自動車工が、その「器」だけで「ストライキを行わない労働者」に変身するなんて想像すら出来ない。

 「新たな韓国車製造会社(ひょっとすると、国営?)を立ち上げ、労働者も入れ替える」って事なのか?或いはそこまで行かずとも「(既存の韓国車製造会社に)新たな労組を立ち上げる」必要がありそうだ。もう片方の案「雇用形態を柔軟化」ってのが「会社都合でクビにできる/しやすい労働者」を意味するならば、この新会社なり新労組の元で「ストした労働者はクビに出来る“実験”」で「ストライキを行わない労働者」を養成/育成/実現しろ、と言うことかも知れない・・・と言うより、少なくとも既存韓国車製造会社&既存労組では「ストライキを行わない労働者」なんて、数年なんて短期間では実現しないだろう。

 でまあ、新会社なり新労組なりの新体制で「スマート工場」なるモノを「モデル団地」にしたとして、だ。(此処までならば、政府が既存会社/既存労組との全面対立(*3)を覚悟すれば、可能だろう。)「ストライキを行わない労働者が高品質の自動車を生産する」実績というのは、その「スマート工場で実際に自動車を生産し、生産し続けないと、実証できない」のである。上掲コラムで縷々述べている通り「韓国製自動車を絶滅させないために、海外の自動車メーカーにアピールして海外設計自動車の韓国製造を勝ち取る」ために、である。


 って事は、少なくともこの「スマート工場」立ち上げ当初の製造車は、「韓国国内設計車」しかあり得ない。「既存会社に立ち上げた新労組」ならば、その既存会社の既存車種を製造すれば良いが、「新会社」では新たな(現在は全く無名の)新車を設計開発するか、既存韓国車製造会社の既存車種を「自社外生産」するしか無い・・・後者も「韓国政府が強権を発動すれば可能」ではあろうが、既存会社との対立は一層深まるだろうし、大体「当面海外では売れない(だからこそ、絶滅の危機にある)韓国車を韓国国内で売り捌き合う競争」に、必然的になる。韓国の公用車に全面的に「スマート工場製韓国車」を導入するのも、韓国市場から「韓国外製造車」を締め出す(ないし制限する)のも、「韓国政府が強権を発動すれば可能」ではあろうが、後者は国際問題にも、海外自動車メーカーとの関係悪化にも繋がろう。「海外の自動車メーカーにアピールして海外設計自動車の韓国製造を勝ち取る」ためには、少なくともマイナス要因だ。

 かてて加えて・・・新会社なり新労組なりの「スマート工場」で「スト無しの自動車製造」が軌道に乗った、として、そこで「高品質な韓国車」が製造されるかは、大いに疑問である。私(ZERO)自身が「韓国自動車会社やその労組では無く、その労働者自身、ひいては、韓国人のモノツクリ能力」に多大な疑問を抱いているのもあるが、既存会社や既存労組に依存できない「スマート工場の労働者」は、必然的に「熟練工が少なくなる」はずである。そうでなくても新工場や新体制に初期トラブルはつきものだ。


 さらには、その「スマート工場の実績」を「世界にアピール」するには、「スト無しに高品質な韓国車製造」実績を1年や2年積み重ねたぐらいでは、出来そうに無い。今まで再三ストをやっている韓国労働者ってイメージ(*4)の払拭をせねばならないんだから、先ず5年はかかるのではないか。「海外設計自動車の生産を始めた途端、ストを始めた」なんてことになったら目も当てられないから、GMやルノーに限らず海外自動車メーカーは「韓国内生産」を相当慎重に検討するだろう(検討するとして、だが。)

 これは、「スト無しに高品質な韓国車製造実績」で「5年」である。それに先立って新工場(先ず確実に新労組。ひょっとすると新会社。)設立、工場稼働開始、初期トラブル解決があり、製造期間中は製造数分だけの出荷も(基本的に)必要で、それだけ「売れないといけない」(*5)

 非常にザックリした概算ではあるが、短く見積もって8年。十年計画でも「実現は怪しい」と言うべきだろう。長くかかる程、製造期間も長くなって「外国ブランドではない韓国車を長い期間売り続けねばならなくなる」から、「時間をかければ解決する」問題ではない。普通に考えると「詰んでいる」だろう(*6)。

3>  未だ対策を講じる時間が残っている状況で、
4> 今度は韓国政府が積極的に取り組む番だ。


と、上掲朝鮮日報コラムの最終パラグラフは始まり、前述の「対策2案」を挙げている訳だが、随分悠長なことを言っていないか?

5> 米ゼネラルモーターズ(GM)が韓国工場を枯死させる作戦に突入したようだ。

と上掲コラム冒頭で述べ、ルノーの方は「明日工場の稼働を中断すると言ってもおかしくない」と記述するのに、だ。GM撤退が2028年期限だそうだから「未だ6年ある」ってのかも知れないが、「GM撤退すら、もう6年しかない」のに、だ。

 言い替えるならば、上掲朝鮮日報コラムを書いたヨン・ソンオク記者の「危機意識」と「時間間隔」。それに「ビジネス常識」には、相当深刻な疑念を抱かざるを得ず・・・殆ど「気違い」レベルとさえ言えよう。

 朝鮮日報は、韓国では有数の全国紙。そのコラムとコラム記者が、このレベルである。「韓国は、国を挙げての強請タカリで気違いだ。」って私(ZERO)の「韓国観」は、益々補強されるばかりだな。

 ああ、上掲朝鮮日報コラムには、「強請タカリ」要素は殆ど入っていないな。その点は、認めなければなるまい。
 

  • <注記>
  • (*1) 寄稿者は、学校給食業者だったと思う。つまり「学校給食が高くて不味い」責任を相応に負うはずのその人が、「国費/公費で学校給食を賄え。そうすれば全て解決。」と主張した、ある種の宣伝である。そりゃ、寄稿記事だから、「宣伝でも許される」のかも知れないが、今思い出しても酷い記事だったな。 
  •  
  • (*2) ってのは何かね。「仕事中もネット接続できる工場内Wifiを廃止した工場」のことかね? 
  •  
  • (*3) 韓国政府がそんな「全面対立を覚悟」出来るとは、全然思わないんだが。 
  •  
  • (*4) 既存会社の既存労組では「イメージ」ではなく実態/実像。 
  •  
  • (*5) 尚且つ、その工場稼働率=生産可能台数に対する生産実績の比率も、相応に高くないと「実績にならない」。
  •  あ、韓国の場合はそれら重要な統計指標の信頼性=捏造がないことも、問題になりそうだな。 
  •  
  • (*6) そもそも論で言うならば、「韓国製自動車を絶滅させないために、外国設計自動車の韓国生産を勝ち取ろう。」って時点で「敗色濃厚」なのであるが。「韓国設計自動車では、海外に売れない。」ってのが、前提になっている。 
     
  • スゴい寝言-【東京社説】年のはじめに考える 「仁心」を養う法こそ

 東京新聞の気違いぶりは、原発を、太陽光や風力などの再生可能エネルギーで代替することで、二酸化炭素排出量を減らそう。って主張を社説として堂々と掲げた(即ち、その様に社説担当記者が考え、推敲したデストも賛同した)時点で明々白々ではあるが、下掲社説はまた一段とぶっ飛んでやぁがるなぁ。

【東京社説】年のはじめに考える 「仁心」を養う法こそ

  • 【東京社説】年のはじめに考える 「仁心」を養う法こそ

  https://www.tokyo-np.co.jp/article/152637?rct=editorial

 

2022年1月6日 07時47分

 

 「生類憐(あわれ)みの令」といえば、江戸時代の「天下の悪法」として知られています。でも、本当に悪法だったのでしょうか。

 飼い犬が行方不明になったら一生懸命探せ、野良犬にも餌を与えよ?などから始まり、「きりぎりす松虫玉虫の類、慰めにも飼い申すまじき」と、昆虫の飼育までも禁じたお達しです。

 五代将軍・徳川綱吉が一六八五(貞享二)年から、亡くなるまでの二十四年間に出した法令の総称です。さみだれ式に百三十五回も出されたようです。熊や猪(いのしし)は追い払え、金魚は藤沢(神奈川県)遊行寺の池に放て…。そんなお触れもあります。

 この法令を研究した東京工業大教授の山室恭子氏が著した「黄門さまと犬公方」によれば、意外にも処罰件数は二十四年間で六十九件だけだそうです。下級武士への処罰が圧倒的に多く四十六件。町人は十五件、百姓(農民)は六件にすぎなかったようです。

 

◆生類憐みで慈悲心を

 死刑は十三件、流刑は十二件にとどまり、江戸からの追放が中心だったとか…。これも二十四年間の数字です。江戸中期の学者・新井白石の「折たく柴の記」にある「此事によりて罪かうぶれるもの、何十万といふ数をしらず」などの記述はどうやら眉唾もののようです。

 「取り締まりはごくゆるやかであった。たまさか罰せられるのは幕府の身内が主で(中略)死罪になるのはよほど悪質なケースか、もしくは見せしめに利用される場合に限られていた」(前掲書)

 法令の目的は「仁心の涵養(かんよう)」です。当時の史料にも記されています。人々の心の中に慈悲の心を養うことで世の中を治めようとしたと山室氏は考察します。

 実際に綱吉は困窮者の援助も行います。自ら「論語」や「中庸」など中国古典の講義を続けたことにも表れています。いわば理想高き教養人だったわけです。

 背景があります。戦国時代から江戸時代になっても殺伐たる空気に満ちていました。主人が家来を手討ちにしたり、刀の切れ味をみるため人を切ったり…。人々の話題も合戦話や刀のうんちく…。

 そんな世の中の改革が目的だったといいます。綱吉が亡くなったのは一七〇九年。その十三年後に書かれた古老の本には「近年は、悪事を働く者がおらぬのか、あるいは主人が慈悲深くなったのか、とんとなくなってしまったことよ」と記されます。若者の話題も浄瑠璃、三味線、役者の評判といった具合で、武道の話など全く消えてしまったというのです。

 

◆9条も民心を変えた

 「仁心の涵養」という「生類憐みの令」の目的は十分に達せられたとも評価できそうです。ならば悪法どころか、民衆の心まで慈悲に変えた立派な法令ではありませんか。江戸時代が約二百五十年も平和な時代であり続けたこととも、無縁ではないでしょう。

 さて、今年は終戦から七十七年になります。明治元年から終戦までも、ぴったり七十七年です。

 明治からは富国強兵の号令のもとに軍事力を高め、ほぼ間断なく内戦や外国との戦争に明け暮れた「戦争の時代」です。昭和前期の子どもたちも、戦闘機や軍艦に乗ることにあこがれた「軍国少年」として育ちました。

 戦後はむろん「平和の時代」です。もちろん日本国憲法九条が「戦争の放棄」を定めているためです。仮に好戦的な為政者が現れていたとしても、九条に手足を縛られ、戦争に踏み出せなかったでしょう。九条はまぎれもなく、戦争の時代を転換させ、戦後七十七年間を平和に保ちました。国民の心も平和主義を尊んでいます。

 これも「仁心の涵養」なのではないでしょうか。若者たちも勉学や音楽や映画、スポーツなどに励む心を養って育ちます。何やら江戸時代の古老が「若者の話題は歌舞音曲ばかり」と記したことと二重写しですね。

 ところが、昨今、憲法に縛られているはずの為政者たちが口々に「改憲」を言うようになりました。鎖を自らほどこうとするかのように…。当然ながら軍事も含まれます。まるで「戦争の時代」まがいの勇ましい議論もあります。

 近隣国の脅威を叫び、防衛費を積み上げ、敵基地攻撃論などを訴えています。狙いの焦点は、もちろん「九条改憲」でしょう。

 

◆歴史を転換する恐れ

 昨年の衆院選に続き、今年夏の参院選でも改憲勢力が三分の二を維持すれば、一気に改憲ムードも加速する可能性があります。

 終戦をはさみ、歴史のコンパスで「七十七年」の目盛りを回せば、今年は転換点になる恐れがあります。私たちに選択を迫る年になる、それを自覚したいものです。

 

  • 憲法変えちゃぁいけない教徒


 「憲法変えちゃぁいけない教」と言うのは、私(ZERO)が作った造語、の心算だ。元ネタはあるから、他でも誰かが思い付き、使っているかも知れない。
 
 元ネタとなったのは、いしいひさいちの漫画に登場した「借金返しちゃいけない教」だ。「返しちゃいけない。返せない。返さぬ者は、救われる。」というお題目だか呪文だかと共に登場する。平たく言って「借金を踏み倒すための口実」なんだが、主人公(だったと思う)はこの「借金返しちゃいけない教に入信した。」として、「宗教上の理由により、借りた金は返せない。」と主張する。なかなかシュールなギャグだが、秀逸でもあるので良く覚えている。
 
 で、これに準えるならば、「憲法変えちゃぁいけない教」とは、「(日本国憲法を)変えちゃいけない。変えられない。変えない者は救われる。」と呪文を唱えており、「日本国憲法は、今のままで良い/今のままが良い(=変えちゃぁいけない)。」と言う主義主張のこと、である。


 別に左様に主張しているだけならば、私(ZERO)だって「憲法変えちゃぁいけない教」などと揶揄したりはしないんだが、日本国憲法は、今のままで良い/今のままが良い理由/根拠」を全く説明しないか、説明したとしてもオッペケペーで、とても「常人には受け容れがたい」と思える/感じるからこそ、「胡散臭い新興宗教(と言うより、”邪教”に近いな。)」に準えて「憲法変えちゃぁいけない教」と呼び、左様な「ロクな根拠/理由も示さずに、タダ”日本国憲法を変えるな”と主張する者」を「憲法変えちゃぁいけない教徒」と揶揄し、嘲笑し、ある意味「罵倒」さえしているのである。

 だが一方で、異論異説は「己が思考の水平線を拡張する格好の機会」となる可能性がある。「憲法変えちゃぁいけない教徒」と揶揄し、嘲笑し、「罵倒」さえしても、「一体何がソンナろくでもない邪教(*1)を信じさせたのか?」には、少なからず興味がある。上掲東京社説には、その一端が垣間見える、様である。

 即ち、日本人の道徳教育、更には道徳の根源としての、日本国憲法(特に憲法9条)」という、思想ないし発想が、上掲東京社説には、ある。
 有り体に言って、「驚天動地」と言う程では無いが、少なからず「驚かされる」思想/発想である。
 上掲社説のタイトルからして「仁心」を養う法等と抜かしているのだから、十分予想できた事ではある。また、以前東京新聞はじめとして各紙が「教育勅語批判」に地道を上げていた頃、憲法学者の誰やらが「教育勅語は(日本国)憲法違反だ」と非難する序でに「自分の道徳は合憲だ」と訳のわからないこと抜かしていたのも覚えていたから、世の中には己が道徳・良心を、日本国憲法を基準に判断・判定する」って輩が居る、とは知っていた。だから、「驚天動地と言う程では無い」のである。

 だがその一方で、「己が道徳・良心を、日本国憲法を基準に判断・判定する」って輩の「(日本国)憲法観」には、あらためて驚かされる。私(ZERO)の様な「異教徒」に言わせれば、「たかが憲法」である。Constitutionってぐらいだから「国の形」を定めるモノではあり、「法律の親分」ではあろうが、「たかが憲法」如きが「国民の形・良心・倫理・道徳」を、掣肘してたまるモノかよ。

 仮にどんなに高尚高邁な道徳的理念が「憲法」として具現化していたとしても、それによって「国民の形・良心・倫理・道徳」を掣肘するというのは、凄まじい「内面の自由の国家統制」である。それこそ、小説「1984」の真理省張りの強権強制政治体制にほかなるまい。

 況んや、上掲東京社説が縷々述べる通り「「仁心」を養う法」なるモノは、あ・の・「憲法9条」であり、更には「平和を愛する諸国民」などと言うファンタジーに我が国の安全を依存してしまう「日本国憲法前文」である。キレイゴトで言えば「平和主義」とも言えるのかも知れないが、有り体に言って良いところ「平和ボケ」であり、端的に言えば「敗北主義」にして「外患誘致」の「売国行為」に他ならない。「国家的自殺・自滅主義」とも言い得よう。そう言う願望や欲望がある種の人間にあるのは事実だろうが、そう言うのは普通「気違い」と言う。本記事のタイトルを「スゴい寝言」としたのは、かかる「国家的自殺・自滅主義」を「日本人の道徳とし、国家統制しよう」と言う、凄まじい主張であるから、だ。

 有り体に言って、「話にならない」。

 日本国憲法前文や憲法9条に顕著な「平和主義」なるモノが、戦後日本人に与えた影響というのは認めなければなるまい。その意味で、「戦後日本人の”仁心”は、ある程度日本国憲法に育てられてしまった。」と言うことも、出来そうではある。


 だが、それ故にこそ、憲法9条及び日本国憲法前文は「変えるべき」なのである。事実・現実として我が国の国家の安全保障が自衛隊に代表される軍事力によって居ることを明確に認識すると共に、「国の形を定めるモノ」としての憲法に反映すべき、なのである。

 言い替えるならば、上掲東京新聞社説に顕著に現れている日本国憲法の“平和主義”が、日本人の道徳であるべき」という主張こそが、正に、日本国憲法を、特にその「平和主義」的なるモノを、変えるべきであり、打破すべきである、事を示しているのである。

 何故、と問われるならば、国家の安全保障の根幹は軍事力にあり、戦後80年近くに及び我が国の平和を維持し保持し支えてきたのは、「日本国憲法の平和主義」などというお為ごかしのお題目ではなく、自衛隊三軍と日米安保条約だから、である。

 

  • <注記>
  • (*1) 私(ZERO)から見ての。 




 

  • 「新しい日中関係」とは、冷戦であろう。ー【毎日社説】再生'22 国交50年の日中 歴史に学び新しい関係を

 福田赳夫の息子でやはり日本国首相となった福田康夫は、「お隣の嫌がる様なことは、やらないでしょう。」と、外交関係をご近所付き合いに準えて発言したことがある。確か、未だ日本国首相の座にあった頃ではなかろうか。

 斯様な間抜け極まりない発言は、福田康夫を「自民党ワースト首相(*1)」と認定するに十分な理由であろう。隣国同士だから、仲良くすべきだ。」とか、「外交=平和的手段であり、戦争=軍事的手段とは、対極のモノ」とか言う「お花畑的な脳天気外交感覚は、福田康夫やアカ新聞どもに限らず、相当程度「蔓延」しているようではあるが。

 無論、私(ZERO)が「隣国同士だから、仲良くすべきだ。」とか、「外交=平和的手段であり、戦争=軍事的手段とは、対極のモノ」とか言う考え方を、「お花畑的な脳天気外交感覚」と揶揄し非難し、「蔓延している」とまで貶めるのは、左様な考え方、外交感覚、外交観は、根本的に誤りであると考え、確信しているから。

 だが、まあ、私(ZERO)とは「宗教が異なる」ために「お花畑的な脳天気外交感覚」を有する(らしい)毎日新聞は、斯様な社説を掲げている。

  • <注記>
  • (*1) 因みに「戦後ワースト3の首相」は、鳩山由紀夫、菅直人、村山富市である。【強く断言】 




【毎日社説】再生'22 国交50年の日中 歴史に学び新しい関係を

  • 【毎日社説】再生'22 国交50年の日中 歴史に学び新しい関係

   

https://mainichi.jp/articles/20220110/ddm/005/070/013000c

 

毎日新聞 2022/1/10 東京朝刊 1663文字

 

 今年は日中国交正常化から50年を迎える。米ソ冷戦から米中対立へと国際情勢は様変わりし、日中は互恵関係をいかに立て直すかという試練に直面している。

 

 半世紀で国力は逆転した。国交正常化当時、日本の国内総生産(GDP)は中国の3倍だったが、現在は3分の1になっている。

 

 

 世界第2位の経済大国となった中国は一党支配体制に自信を深め、権益確保を最優先する強硬路線にかじを切った。

 

 習近平指導部は東シナ海や南シナ海で拡張主義的な動きを強める。軍備の増強が台湾海峡の緊張を高めた。米国主導の国際秩序に挑戦し、新疆ウイグル自治区や香港の人権問題に対する欧米の批判にも耳を貸そうとしない。

 

 米中の覇権争いは「新冷戦」とまで呼ばれている。

 

国力の逆転と深まる溝

 日中間でも沖縄県・尖閣諸島を巡る対立が先鋭化した。中国は昨年2月に施行した海警法で公船の権限を一方的に拡大した。日本周辺での軍事行動が後を絶たない。

 

 米英が北京冬季オリンピック・パラリンピックへの「外交的ボイコット」を表明すると、日本も政府高官を派遣しないと決めた。

 

 それでも、安定した関係を維持する重要性は変わらない。欧米とは異なり、中国と地理的に近く、経済関係も密接な日本には、大国との共存を目指す以外に選択肢はない。

 

 両国関係はこれまでも紆余(うよ)曲折を経ながら維持されてきた。

 

 国交正常化後、中国が改革・開放路線で世界に扉を開くと、日本は技術協力や政府開発援助(ODA)で支えた。1989年の天安門事件の際には、対中批判を強める欧米主要国と一線を画し、中国を孤立させるべきではないと説いた。2001年の世界貿易機関(WTO)加盟も後押しした。

 

 政治体制の異なる大国を国際秩序に取り込み、相互の利益を最大化する。それが日本にとっての死活問題だからだ。

 

 歴史認識問題などで00年代以降に政治的な対立が目立つようになっても、「戦略的互恵関係」の下で、経済を中心とする民間交流は拡大した。

 

 中国は日本にとって最大の貿易相手国であり、全体の4分の1を占める。米中対立や新型コロナウイルス流行の逆風の中でも対中輸出は伸びている。経済の結びつきは強まり、切り離せない状態だ。

 

 関係を下支えしてきたのは、歴史や文化的なつながりに基づく裾野の広い交流だった。

 

 国交正常化前の「ピンポン外交」がその象徴だ。71年に名古屋市で開かれた卓球の世界選手権で米中両国の選手が交流し、米中接近と日中の和解に道を開いた。

 

 当時の中国は文化大革命の混乱で鎖国状態にあったが、元卓球世界チャンピオンの故・荻村伊智朗氏が、親交のあった周恩来首相に直談判したことを契機に、中国チームの参加が実現した。

 

「小異残し大同」が原点

 半世紀を経て、日本は米中対立の最前線に立たされている。コロナ禍で人的往来がほぼ途絶え、かつて活発だった議員外交のパイプは細っている。「対抗」と「協力」のバランスを取ることが難しくなっている。

 

 意見の相違がある時こそ外交の出番だ。首脳外交を本格的に再開し、不信の連鎖に歯止めをかけなければならない。それが軍事的な緊張を緩和する安全弁にもなるはずだ。

 

 岸田文雄首相は「普遍的価値を共有する国々と連携しながら、中国に言うべきは言う」と対話にも意欲を見せている。問題は行動が伴うかどうかだ。

 

 自民党内には首相や外相による対話の必要性に異を唱える声もある。だが、対立している米中でさえ、したたかに対話を続けている。欧米との連携による抑止一辺倒ではなく、中国との意思疎通も図らねばならない。

 

 習指導部も対日関係を重視すると言うならば、日本周辺での挑発的な動きを自制すべきだ。言行不一致が続く限り、信頼関係を築くのは難しい。

 

 50年前の国交正常化交渉は、台湾や戦争責任の問題で何度も暗礁に乗り上げた。両国の政治指導者は「小異を残して大同につく」精神で最終的に合意にこぎ着けた。

 

 日中共同声明には体制に違いがあっても協力関係を築く重要性がうたわれている。新たな関係の構築に向け、原点に立ち戻る時だ。

  • 日韓関係もそうだが、隣国同士の関係が「友好的」とは限らない。寧ろ敵対的である方が、自然であろう。

 国境紛争はじめとする国家間の直接的対立は、隣国同士の方が生起しやすいと言うより、国境紛争は隣国同士の間にしか存在し得ない)し、国家間直接的対立の最たるモノである戦争は「隣国同士だからこそやりやすい」間に第三国があると「緩衝国」と言って「戦争はやりにくい」のである。無論「やりにくい」だけで「やらない/やれない」訳では無い(*1)

 況んや中共は、我が尖閣諸島及び沖縄に対し「核心的利益」なる「侵略宣言」を既に出している国であり、有り体に言って「敵国」である。輸出市場として魅力的であろうが、貿易関係が盛んであろうが、民間交流があろうが、「中国共産党一党独裁政権が、我が国に対し“侵略宣言”を出し、撤回していない」以上、「敵国である」事は紛れもない事実であり、この「中国共産党一党独裁政権が我が国に対し“侵略宣言”を出している」という事実は、50年前の「日中国交成立」時との決定的にして致命的な相違である。

 この相違があるが故に、上掲毎日社説の主張「日中国交成立時の50年前に立ち返り、あらためて日中友好を!」は、「虚しい」どころか「決定的に誤っている」と言わざるを得ない。

 タイトルにした通り、「新しい日中関係」とは、「冷戦」にしかなり得ない。「侵略宣言」を我が国に対して発するような「敵国」とは、それ以外の「新しい関係」は、無い。

 ああ、訂正する。もう一つ「新しい関係」があり得たな。それは即ち「冷戦」では無く「熱戦」であり、日中開戦ということだ。

 元軍ですら渡り損ねた日本海。渡れるモノなら、渡ってみるが宜しかろう。台湾海峡すら渡れぬ、人民解放軍如きが。

  • <注記>
  • (*1) 第1次大戦でも第2次大戦でも、ベルギーは「ドイツの対仏進撃路」とされて蹂躙された。確か第2次大戦の時は、開戦前に「ドイツ軍の領内通過」を(一応)打診され、「ベルギーは道ではない。国だ!」と大見得切ったそうだが、ほぼ「大見得切った」だけに終わっている。


 「同じ手を、それも30年と経たないうちに喰うなよ。」と突っ込みたくなるが、以て他山の石とすべき史実であろう。 
 

  • アカは死ななきゃ治らない。らしい。-【朝日社説】「安倍・管」後の政治 多様性と包摂 問われる実行

 左翼の特徴の一つは、トンデモナイ嘘をシレッと前提条件にする事。との説を、日本改革党党首・豊島区議会議員・沓沢氏は唱えている。沖縄二紙が墜落事故が後を絶たないオスプレイなどと書くのは、その一例だろう。
 
 いや、オスプレイに「墜落事故が後を絶たない」のは事実であるが、その事実を利用して「恰もオスプレイが欠陥機であるかの如く」印象づける「墜落事故が後を絶たない」って枕詞が「シレッと前提条件にされている」と言うべきか。


 一寸考えれば、ならば、”墜落事故が後を絶った”機体・機種を上げて見やがれ!(ソンナ機体・機種ハナイ)」と突っ込めて、斯様な「悪意ある宣伝」は看破できるのだが。この世には軍民問わず数多の航空機があるが、「墜落事故が後を絶った」機体・機種なんてのは、「無い」と断言出来る。

 即ち、航空機は一般的に、「墜落事故が後を絶たない」モノなのであり、オスプレイが特別な訳では無い。それを、「墜落事故が後を絶たないオスプレイ」と表記することで、「恰もオスプレイが欠陥機であるかの如く」印象づけるが、「墜落事故が後を絶たない」のは(理の当然ながら)事実である分、「罪は軽い」とも言えそうではある。

 朝日新聞も、アカという点では沖縄二紙と良い勝負だ。だから、こんな「トンデモナイ嘘」を、「シレッと前提条件にしている」らしい。

 

  • 【朝日社説】「安倍・管」後の政治 多様性と包摂 問われる実行

「安倍・菅」後の政治 多様性と包摂 問われる実行

 

  https://www.asahi.com/articles/DA3S15162548.html?iref=pc_rensai_long_16_article

 

2022年1月5日 5時00分

 

 

 「丁寧で寛容な政治」や「聞く力」を掲げる岸田首相の登場で、歯止めなく権力を行使し、異論を力で抑え付けた安倍・菅政治は後景に退いた感がある。

 

 ただ、与党は衆参両院で圧倒的多数を占めており、「数の力」で押し通せる構造に変わりはない。多様な国民を幅広く包摂する政治を本当に実現できるのか。政権を厳しくチェックすると同時に、少数派の声を届ける野党の役割も極めて重要だ。

 

 ■与党だけでは限界

 

 「再び自民党を国民政党に生まれ変わらせねばならない」

 

 首相は昨秋、党総裁に選出された直後、こう語った。菅前首相が新型コロナ対応で失った国民の信を取り戻したいという思いの表れだろう。

 

 国民政党。それは自民党が55年の結党時に定めた「党の性格」だ。「特定の階級、階層のみの利益を代表し、国内分裂を招く階級政党ではない」との宣言からは、その直前に左右統一で勢いを増した社会党への対抗意識がうかがえる。

 

 それから四半世紀たった78年、党員・党友が参加する初めての予備選挙を経て、大平首相が誕生した。ブレーンの一人、香山健一学習院大教授は党機関誌に「開かれた国民政党をめざす努力の総仕上げ」と自賛、自民党は「多様な立場を最大限に包容できる、幅広い、寛容な組織となれる」と解説した。

 

 大平氏が率いた派閥「宏池会」の現在の領袖(りょうしゅう)である岸田氏が、今また「国民政党」を掲げて支持の拡大に臨む。

 

 ただ、「総中流」といわれた日本社会は大きく変貌(へんぼう)し、格差は拡大、価値観の多様化も進んだ。働き方や家族の形もさまざま。一つの政党があらゆる立場の利害を代表することなど、そもそも難しかろう。

 

 「多様性の尊重」を繰り返す首相の本気度にも疑問符がつく。その象徴が選択的夫婦別姓の導入だ。先の衆院選の党首討論会では、次の通常国会への法案提出に、全党首の中で首相だけが賛成しなかった。

 

 男女共同参画への取り組みもしかり。先の衆院選で自民党の候補者に占める女性の割合は9・8%と、候補者男女均等法の目標にはるかに及ばなかった。

 

 ■事前審査の見直しを

 

 政権に行き過ぎがあれば歯止めをかけ、選挙に臨んでは有権者にもう一つの選択肢を示す。だが、野党の存在意義はそれだけではない。

 

 米国の政治学者で、民主政治研究の第一人者だったロバート・ダールは「野党は選挙権、議会制と並ぶ民主主義の三大発明の一つ」と評した。政権与党だけではくみ取れない多様な民意を、野党が政治の場に反映させることで、民主主義は安定するというわけだ。

 

 安倍・菅政権では、野党を敵視し、考え方の異なる者を排除するような言動が目立った。首相は多様性を包摂するための不可欠なパートナーとして野党を位置づけ、その意見や提案に真摯(しんし)に向き合う必要がある。

 

 そのためにも、政府が出す法案に対する与党の事前審査の慣行を見直してはどうか。

 

 与党が承認した法案には、所属議員に対し、賛成の党議拘束がかかる。これでは、提出時点で成立が決まったようなもので、野党が日程闘争に傾く原因にもなっている。政治家同士の議論を通じて、柔軟に修正ができるようになれば、国会での質疑も活性化するはずだ。

 

 ■参院選の持つ重み

 

 今年は夏に参院選が控える。衆院選は昨年10月に行われたばかりで、もし解散がなければ、その後3年間、補欠選挙を除く国政選挙はない。しばらく続く政治の土台を決める、極めて重い選択の機会となる。

 

 安倍政権では、選挙の際には国民の関心の高い経済政策を前面に押し出し、信を得た後で、特定秘密保護法や安全保障法制など、賛否の割れる法整備を強行することが繰り返された。国民に新たな負担を求めたり、リスクや副作用が想定されたりする政策については、選挙で堂々と国民に訴えるのが正道だ。

 

 一方で、安倍政権は、その安定した政治基盤を生かして、社会保障制度の再構築や抜本的な人口減少対策、財政の健全化といった難題に取り組むことはなかった。長期的な視点が求められる、これらの課題にどう対処するのか、首相は参院選で具体的なビジョンを有権者に示さねばならない。

 

 野党の責任も重い。とりわけ、体制を一新した立憲民主党にとっては、党再生に向けた試金石となる。衆院選での野党共闘は、期待した成果につながらなかったとはいえ、参院選の1人区では、前々回、前回と一定の結果を出している。冷静な分析を踏まえた新たな選挙協力の構築が不可欠だ。

 

 野党の力が弱ければ、政治から緊張感が失われ、多様な民意を包摂する政治にもつながらない。小さな声にも耳を傾け、政策への反映をめざす。有権者に認められる地道な努力を重ねるほか道はあるまい。


連載

  • >歯止め無く権力を行使し、異論を力で抑え付けた安倍・管政治 ・・・何、この断定断言。

>歯止め無く権力を行使し、異論を力で抑え付けた安倍・管政治

 「安倍・管政治」とやらが、「歯止め無く権力を行使し、異論を力で抑え付けた」のならば、その「抑え付けられた対象」には、朝日はじめとするアカ新聞どもバカ野党共も入りそうなモノだ。で、権力を行使され、抑え付けられた」のかね?トンと覚えが無いんだが。

 日本国首相は日本の最高権力者であるし、日本国首相が党首を務める政権与党(自民党)は「国会を牛耳っている」とも言えそうだが、歯止め無く権力を行使し、異論を力で抑え付ける」なんてことが、そもそも、可能なのかね?
 もしそれが可能であるならば、法体系も組織体制も「安倍・管政治」時代と殆ど変わらず、議席数で言えば「自公連立政権が強化された」とも言い得る岸田政権ならば、「さらに歯止め無く権力を行使し、異論を力で抑え付ける」事が可能な筈だが、左様な懸念を抱くこと無く、「岸田政権には期待」出来てしまう脳天気は、一体どこから来るのかね?

 大体、中共や北朝鮮ならいざ知らず、我が国において「歯止め無く権力を行使し、異論を力で抑え付けた」なんて事態は、我が国民主主義体制上の大問題である筈だ。左様な大問題に対し朝日が示した「反応」は、あ・の・モリカケ桜追求程度の「出来損ないスキャンダル追っかけ」ぐらい、な・の・か・ね?

 もし左様であるならば、「ジャーナリスト」なんて辞めてしまい、「社会の木鐸」とも口走ってはなるまい。ま、後者については、朝日なんぞは、とっくの昔に「辞めている」様ではあるが。

 或いは、日本国首相がが「歯止め無く権力を行使し、異論を力で抑え付け」ているのに対し、果敢にもモリカケ桜を追求し続けた、不屈のジャーナリスト魂、朝日新聞とでも、言いたいのかね?左様な「ジャーナリスト魂」を発揮するのならば、歯止め無く権力を行使し、異論を力で抑え付ける日本国首相」こそ報道し、糾弾するべきでは無いのかね。一体何時そんなことをやったんだ?
 
 あぁっ?!「学術会議問題」を「学問の自由の侵害」と非難して見せたのが、ヒョッとして「歯止め無く権力を行使し、異論を力で抑え付ける日本国首相」を報じ糾弾した事例、の心算なのかぁ?だとしたら、心底から呆れ返る他無いぞ。大体、学術会議問題には、安倍元首相は関係なかろうが。

 或いは・・・小林ナントカとか言う憲法学者共が「安倍首相(当時)を国家反逆罪で訴える!」とか言っていたことがあったが、あれがヒョッとして「歯止め無く権力を行使し、異論を力で抑え付ける、安倍政権(当時)に対する反旗」だったのかな?だとしたらその「反旗」は「力で抑え付けられた」のかね?

 いずれにせよ、「安倍・管政治」なるモノが「歯止め無く権力を行使し、異論を力で抑え付けた」ならば、「現・岸田政権がそれを継承しないように訴える」よりも先に、朝日新聞はじめとするマスコミ各紙(と夜盗共。もとい、野党共)は歯止め無く権力を行使し、異論を力で抑え付けた”安倍・管政治”なるモノを、報じ、検証し、糾弾するべき、であろうに。なぁにやっているんだか。

 

  • 全ての日本国憲法「擁護」論者に、その国家安全保障観を問う。

 世の憲法学者とやらの肩書きを持つお歴々をはじめとして、日本国憲法を変えるな!」と主張する日本国憲法「擁護」論者は、「枚挙に暇が無い」どころか「掃いて捨てる程在る」でも未だ不足なぐらい数多ある/居る。その相当部分は70年以上前の自衛隊発足以降も変わること無く「日本国憲法を変えるな!」と主張し続けている。
 
 ま、「自衛隊は憲法違反だから、無くせ!」と主張する者は、以前より減ったようではあるが、「日本国憲法には自衛隊の”じの字”すら記載がない」のは紛れもない事実であり、仮に「自衛隊は合憲である」としたとしても、「日本国憲法上、自衛隊は”存在しない”事になっている」のには、殆ど議論の余地は無さそうである。

 であるならば、「殆ど生まれながらの右翼」であり、自衛隊が憲法違反であるならば、変えるべきは憲法の方だ。」と高校時代から主張している私(ZERO)としては、「日本国憲法を変えるな!」と主張される「日本国憲法“擁護”論者」のお歴々に、是非ともその国家安全保障観に関し、お尋ねしたい義が在る。

 即ち、【Q】「自衛隊なしで、と言うことは自動的に日米安保条約もなしで、如何にして我が国の自主独立、主権、領土領海領空を守り、我が国民の生命財産を、守る心算なのか?」と。

 日本国憲法は、日本国の自主独立、主権、領土領海領空を守り、我が国民の生命財産を、守るモノでは無い!とすれば、斯様な設問は愚問ではあろう。だがそれならば、「日本国憲法は、日本国の自主独立、主権、領土領海領空、我が国民の生命財産を、守らない。」と明白に断言宣言した上で、左様な「自殺憲法」「自滅憲法」が「そのママで良い」と主張すべきであり、その理由も開示すべきであろう。【Case1】

 或いは、「日本国憲法は、日本国の自主独立、主権、領土領海領空、我が国民の生命財産を、守らない。だが、日本国憲法はそれで良い。それが良い。と主張すべきだろう。【Case2】

 或いは、社民党党首だった頃に福島瑞穂が断定断言した通り、「憲法9条が最大の抑止力」即ち、憲法9条さえあれば、日本国の自主独立、主権、領土領海領空、我が国民の生命財産を、守れる。」と、明言し主張すべきだろう。【Case3】

 私(Zero)が上記【Q】の様な設問をし、問いを発するのは、日本国憲法発布以来・・・・と言うとチョイと言い過ぎかも知れないが、少なくとも自衛隊発足以降、「日本国憲法には自衛隊の”じ”の字すら記載がない」にも関わらず(而して、実際に我が国に自衛隊が存在する、にも関わらず)、憲法を変えるな」と主張するヤツバラが「自衛隊なしで、と言うことは自動的に日米安保条約もなしで、我が国の自主独立、主権、領土領海領空を守り、我が国民の生命財産を、守る方法・手段」を論じ説明した例を殆ど知らず、唯一の例外が上記福島瑞穂社民党党首(当時)の「憲法9条が最大の抑止力」理論だけ、だから、だ。
 
 自衛隊発足以来既に70年以上の月日が経ち、この間日本には「憲法学会」というモノが曲がりなりにも存在し、存続して来たんだ。「日本国憲法の条文文言通りに、「自衛隊なしで、と言うことは自動的に日弁安保条約もなしで、我が国の自主独立、主権、領土領海領空を守り、我が国民の生命財産を、守る方法・手段」の一つや二つ、提案され論じられても良さそうなのだが、「憲法9条が最大の抑止力」理論以外は、寡聞にして聞いたことが無い。

 ひょっとしたら、憲法学に疎い理系人間である私(ZERO)が、「知らないだけ」かも知れないが。

  如何に.日本国憲法「擁護」論者諸君。
 

  • 考察「日本に”トラと呼ばれた兵器”が無い」理由

 先行記事「トラと呼ばれた兵器

 

 

」において縷々述べてきた通り、英語はじめとする西欧語圏には、「トラと呼ばれた兵器」が相当にある。対して同記事冒頭で述べた通り、日本語・日本軍・日本には「トラと呼ばれた兵器」が、トンと無い。これも同記事冒頭に述べた通り、「虎に関する故事諺」は日本語に相応にあり、そこに描出される「虎」が「危険」とか「恐ろしいモノ」の象徴である(らしい)のにも関わらず、だ。

 一つには、我が国では兵器・武器を、「強ければ/恐ろしければ、良い」と言うある意味「割り切った/開き直った」考え方を「良しとしない」乃至「忌避する」傾向があるから、では無かろうか。「強い/恐ろしいモノ」であっても、悪魔(F3H Demon戦闘機)とか邪教(F-101 Voodoo戦闘機)とか蛇毒(de Haviland DH.112 Venom戦闘機)なんて「禍々しい名前」を兵器・武器には付けない。


 兵器・武器が「強く、恐ろしいモノ」であり、ある意味「力の象徴」であるからこそ、そこに「正義」とか「神聖性」とかの「付加価値を求める」ネーミングとなる、のではなかろうか。二式戦闘機「鍾馗」は「悪鬼を退治した伝説的英雄の名」であるし、空母「瑞鶴」「瑞鳳」「祥鳳」は何れも「目出度い」という形容詞が付く。空母「翔鶴」もあるが・・・「鶴ならば、タダ飛翔しているだけでも目出度い」と考えることが出来そうだ。

 その点、虎では、「タダ居るだけでは、恐ろしく、強くはあっても、(日本語で)兵器の名と出来る程の神聖性やプラスイメージが無い(もしくは弱い)」と考えられる。「白虎」として(単に白いだけでは無く)聖獣ないし神様に「昇格」して、漸く部隊名「白虎隊」となる。「タダの虎では、(日本語では)兵器名とするには力量不足」と考えると、相応に合点がいく。

 さらにこの考え方を敷衍するならば・・・人名や都市名、州名などの地方自治体名が諸外国の兵器(主として軍艦だが、航空機にもある)には良くあるモノの、我が国では山や川、灘、島、岬等の「自然地形の名」を艦艇名にするが、県市区町村等の「人口地形の名」は原則的に艦艇名とはならない。「大和」や「武蔵」などの「旧国名」となって初めて艦艇名(それも、戦艦という当時主力艦と考えられた重要な艦艇名)となる。人名は、どんな偉人も軍人も艦艇名にはなっていない。

 斯様な現象は、「人や現役の人口地形名では、兵器名とする程の神聖性やプラスイメージが無い(または足らない)」と考えることが出来るし、「現在は(基本的に)使われない“旧国名”となって、初めて兵器名たり得る神聖性やプラスイメージを得る」と考えると合点がいく。「旧国名ならば、神聖なのか?」ってツッコミは入りそうだが、「旧国名が帯びるある種の郷愁は、神聖性たり得る。」と反論できよう。

 その一方で、日本語では、毘沙門天とか弓矢八幡とかの「武を司り、象徴する神の名」どころか「神の名を付けられた兵器がトンと無い」のも興味深い処である。「八百万の神」とまで言われ、便所の神様竈の神様もおわし、付喪神なんて「物品の擬神化」まで為される我が国で、だ。天皇陛下の権威を象徴する三種の神器の一つ「草薙剣」で、これ自体「ほぼ神様」であると言うのに、「神の名を冠された兵器・武器が無い」のは・・・半ば(以上)カンではあるが、「兵器・武器に対して一定の神聖性(ないしプラスイメージ)の付与を求めつつ、完全な(神の名をかたる程の)神聖性は認めない」という感性・感覚が、日本人ないし日本語にあるから(*1)では無かろうか。

 以上をまとめると・・・

① 日本では、兵器名にも一定の神聖性ないしプラスイメージを求める。その為、単に強い・恐ろしいだけでは、兵器名とはならない。「トラと呼ばれる兵器」が日本には無いのは、このためであろう。

 「破邪の剣」「破魔矢」はあっても、「破滅の大剣」はゲームぐらいにしか登場しない、らしい。

② 一方で日本では、兵器に「神の名を冠する」ほどの神聖性・プラスイメージは認めず、「神の名を冠する兵器」は、原則的に無い。

 ゲームや仮想戦記なんかには、ヤマトタケルなんて軍艦が登場してしまうが、やはり「空想上の産物」に留まる。

③ 日本では、自然地形や旧国名にも、兵器名たり得るだけの神聖性・プラスイメージが、既にある。

 既に艦艇名となっている天象地象なども、同様と考えられそうだ。海上保安庁の「ひめぎく」級巡視艇に見る「百を有に超す”○○かぜ”という風の名前」も、同様と考えられそうだ。

④ 日本では、人名や現役の人口地形名は、兵器名とするには力量不足=神聖性・プラスイメージが足らない

 まあ、歴史上の人物となると、例えば「卑弥呼」なんて兵器が無い理由を、上記④「人名だから神聖性不足」と考えるべきか上記②「神の名(に近い)から神聖性過剰」と考えるべきか、意見が分かれそうではあるが。 また、これらの原則からして、先述の「二式戦闘機 鍾馗」が微妙な位置にあることも否めない。「人名」と考えると上記④から兵器名として相応しくなく、「神様の名前」と考えると上記②からやはり相応しくない。「例外」と規定すべきか、「伝説上の人物」として「神と人の中間」と位置づけるべきか、やはり意見が分かれそうだ。

 無論、「日本人のネーミングセンス」が「時代と共に変遷する」可能性は、考えねばなるまい。上記で上げた兵器名や部隊名は「幕末から現代までのモノ」で、先行記事「トラと呼ばれた兵器」で取り上げたのも江戸時代ぐらいまでしか遡っていない。


 また、兵器・武器の持つ意味・意義・イメージも、時代の影響を大いに受けよう。それに伴って「日本の武器命名法」も変遷する可能性がある。

 更には、戦後自衛隊となってからは、帝国陸海軍程にはポピュラーネームを付けず(愛称、ぐらいはあるようだが・・・)西暦年号の末尾二桁を取って「○○式××」が多くなって、「兵器に命名する」機会は減っている。

 それでも、海自艦艇には固有の艦艇名が与えられ、その命名基準は大凡帝国海軍に準じている(潜水艦などの例外もあるが・・・)ため、上述の「日本人の日本語武器名のネーミングセンス」は、戦中戦前の大日本帝国時代と「大差は無い」様に思われる。

 従って、私が上記①から④の通り考察した「日本語における兵器名・武器名のネーミング原則」は、21世紀の今日にも未だ通用するモノである、と考えるが、如何なモノであろうか。

 

  • <注記>
  • (*1) 「日本語に、・・・・という感性・感覚がある。」って日本語が「変」だと言うことは承知している。左様な感性・感覚を有しているのは「日本人」の方であって「日本語では無い」というのが、論理的ではある。
  •  だが、その感性・感覚が宿っているのは、果たして「日本人」の方であろうか?それとも「日本語」の方であろうか?
  •  言い替えよう。私も含めて日本人に左様な感性・感覚が宿っているとするならば、それは日本人が日本語を先祖以来脈々と継承してきた結果、では無かろうか。
  •  左様な可能性に思い至り、敢えてこのような「変な日本語」を許容してみた。平たく言えば「感性・感覚の伝承」と言うのは、肉体的では無く精神的なモノであり、その媒体の相当部分は言語では無かろうか、という主張ないし提言である。 
  •  
  • トラと呼ばれた兵器

 令和4年・皇紀2682年・西暦2022年、明けましておめでとうございます。

 毎年のように書いているが、新年一発目の記事ぐらいは「縁起の良い」記事としたい。そこで「おめでたい」干支に因んだ兵器の話を記事にするのも、ほぼ毎年恒例になっている。未だ干支は一回りしていないモノだから、未だ「干支に因んだ兵器」って記事が書ける訳だ。

 「干支が一回りしてしまったら、どうしよう。」と、思わないでも無いが、まあ、書ける内は書くとしよう。
 
 で、今年は寅年で、干支は「トラ」となる。ネコ科の大型肉食獣であり、アジアに現存する最大の肉食獣。我が国には分布していないが、大陸や半島には分布しているモノだから、朝鮮征伐の際に「加藤清正公の虎退治」なんて故事(まあ、歴史的事実かは、疑義の余地がありそうだが、伝説・伝承としては、確かに存在する。)があるし、虎に因んだ言い回しとか比喩も日本語には多い。

「騎虎の勢い(無謀なほどの勇敢さ)」


「虎の尾を踏む(途轍もない危険を冒す)」


「虎穴には入らずんば虎児を得ず(High Risk High Return )」


「虎の子(非常に重要なモノ)」


「虎の巻(極秘重要書類)」等々。
 
 これらの「虎にまつわる言い回しや故事」が日本語に数多ある、と言うことは、「日本人にとっての虎」が「馴染みあるモノ」であることを示唆している。「馴染みがあるから、言い回し・故事が多い」のか、「言い回し・故事が多いから、馴染みがある」のかは、判然としない所はあるし、これら「言い回しや故事の中の虎」が「必ずしも実在の虎を意味しない(伝説上、伝承上、或いは極端には空想上のトラである)」のも事実であろうが。

 だがその一方で、「虎に因んだ兵器」ってのは、日本語、日本軍、日本史には、トンと覚えが無い。

 「虎徹」は名刀(日本刀)の銘だが、固有名詞(刀鍛冶の人名)だし、「マレーの虎」は山下奉文中将の異名。大東亜戦争劈頭で電撃的なマレー侵攻を実現し、「20世紀に此処を落とす軍隊は無い」とチャーチル英首相が豪語したシンガポール要塞を(20世紀も前半の内に)陥落させた山下中将の功績は、「虎」の名に恥じぬモノがあるが、(「怪傑ハリマオ」と同様に、)「人の仇名」だ。
 「白虎隊」は会津の少年士族で結成された部隊で、少年ながら対官軍戦の前線に投入された挙げ句、「会津城陥落」と誤認しての全員自決という悲劇も忘じがたいが、「部隊の名」である。そもそも「白虎」は四方の一つを守護する神獣であり・・・少なくとも「単なる白い虎(アルピノの虎)」ではない(*1)

 他方、英語でTiger(タイガー)、ドイツ語でも同じ綴りでティーゲルは、英語はじめとする西欧語では「兵器の名」として随分とポピュラーだ。

  • <注記>
  • (*1) 「白虎とは、果たして、虎か?」と言う、根源的な疑義も、なしとはしない。 
  • ☆1 虎よ虎よ ドイツ軍Ⅵ号重戦車ティーゲル(ファミリー)Ⅵ号E型 TigerⅠ/Ⅵ号B型 TigerⅡ/Jagd Tiger/Strum Tiger

 その代表例・典型例はドイツのⅥ号重戦車・ティーゲルだろう。

 第2次大戦の後半に登場し、特に対英米戦である西部戦線(*1)では「恐怖の的」とも言い得たティーゲル重戦車は、長砲身(*2)の88mm主砲と重装甲で知られる。その分、機動力が犠牲になったきらいはあるが、「重装甲・大火力化に伴う、重量増大(と機動力低下)」は、第2次大戦下で「恐竜的進化」を遂げた各国戦車にほぼ共通するものであり、Tigerシリーズに限った話では無い。


 原型となったTigerⅠは、戦後の西ドイツ軍主力戦車レオパルドⅡAV(*3)を彷彿とさせる垂直に切り立った円筒砲塔と車体が特徴。「避弾経始」を無視した重装甲と、対空砲を原型とする長砲身/高初速の56口径88mm主砲で、生産数/配備数こそ多くは無いものの、「独立重戦車大隊(ティーゲル大隊)」等として集中的に投入された際の威力は、伝説的でさえある。

 さらに、その発展型として大型化/重量化したTigerⅡは、同じく88mmながら71口径とさらに長砲身化/高初速化された上、こちらは5号中戦車パンテル系列の設計を受けて一定の避弾経始も取り入れ、「分厚い傾斜装甲」で、「鉄壁の防御」を誇った。


 しかしながら、そこは「恐竜的進化」とも言い得る第2次大戦下の戦車の進化(*4)と「大火力重装甲大好きなヒトラー」の圧力もあり、ティーゲル戦車ファミリーはさらに大火力・重装甲化(って事は、ほぼ例外なく重量増大&機動力低下を惹起する)する。「砲塔搭載をやめて単一の戦闘室とし、更なる大口径主砲を車体固定式に搭載する」対戦車自走砲化は、「突撃砲」とか「駆逐戦車」とか呼ばれて各国とも実施していたが(装甲は犠牲にした例外もあり。米軍の駆逐戦車なんかは、火力・機動力重視が基本だ。)、鬼のような重装甲・大火力を誇るTigerⅡを対戦車自走砲化した(上、さらに重装甲化した)のが、Jagd Tiger(狩りをする虎)である。主砲は実に128mm砲。対戦車砲としては当時のドイツでは最大口径。全世界的に見てもコレを上回るのソ連の152mm砲(KV-2やSU-152、ISU-152に搭載)ぐらいだろう。(ソ連のスターリン重戦車シリーズ等の122mm主砲が、コレに次ぐが。)

 更なる大火力化、と言うよりは「火力支援車両化」したのが、Strum Tiger(突撃する虎、かなぁ。)だろう。TigerⅡをベースとした車体に固定式に搭載したその主砲、実に38センチロケット臼砲。臼砲だけに対戦車戦闘は主眼では無く(初速が低いため、移動目標に対する命中率は期待し難い。)、「建物毎中にいる歩兵を(文字通り)ぶっ飛ばす」戦車。Ⅳ号戦車の車体をベースに15cm榴弾砲を搭載したブルムベアの拡大発展型、と言えそうだが・・・「拡大発展し過ぎだろ!」って突っ込みが入りそうだ。超超弩級戦艦(*5)級の大口径で、しかも太短いロケット臼砲だから、見た目のインパクトは大だ。

  • <注記>
  • (*1) ギリギリでアフリカ戦線の最後に「間に合った」筈だが。  
  •  
  • (*2) TigerⅠで56口径。TigerⅡでは71口径 
  •  
  • (*3) 通称「レオⅡ」も、戦後第3世代から第4世代に渡って改修改良が重ねられたが、此処では初期生産型を指す。 
  •  
  • (*4) 「最大装甲厚100mmは当たり前。200mm越えも結構居る」状態。コレに比肩しうるのは・・・「レシプロエンジンの高出力化」ぐらいか。零戦のエンジン1000馬力級は、当時としては標準的な戦闘機用レシプロエンジンだったが、大戦後半になると2千馬力は当たり前で、3千馬力なんて化け物も量産され、装備された。計画だけなら、5千馬力越えまであったかと。富嶽の4重星形エンジンが、それぐらい(の計画)だ。 
  •  
  • (*5) 弩級戦艦の主砲は12インチ=30センチ。超弩級戦艦は14インチ砲=36センチ砲であるから、38センチ=約15インチ砲は「超超弩級戦艦」級、と言い得る。
  •  史実の戦艦で38センチ砲ってのは、チョイと異端で、ビスマルク級の主砲ではあるが、14インチ砲の次は「普通は」16インチ砲であり、我が国で言うと長門級、となる。 

 

  • ☆2 アジアの虎 中華民国軍主力戦車 CM11勇虎(ユンフー)


 「ドイツ軍のタイガー戦車」が余りにも有名・メジャーで、その影に隠れて・・・どころか「そんな戦車あるの?」状態なぐらいにマイナーなのが、中華民国陸軍主力戦車CM11勇虎(ユンフー)である。「勇ましい虎」って名前だから、なかなか立派な名前だが、「中華民国陸軍の戦車」ってだけでもかなりマイナーな上に、「M60A3の車体にM48A5の105mm砲搭載型砲塔を乗せ、射撃指揮装置を更新した」戦車なので、「M60A3とそっくり」なのである。
M60A3 車体は同一


 と言っても、「知っている人」以外には何のことか判らないだろうが、M48もM60も米国開発の主力戦車で、遡れば第2次大戦中に開発されたM26パーシング中戦車を共通の先祖としている。M46、M47、M48は共に90mm砲搭載の戦後第1世代戦車として開発・配備され、これらに続いて105mm砲搭載の戦後第2世代戦車として開発されたのがM60であり・・・M46からM60まで一括りに「パットン」と呼ばれている上、M48とM60は外形も寸法もそっくりなのである。


 オマケに、先述の通りM48A5は105mm砲搭載の主砲強化型。この主砲はM60と同じモノだ。故に、M48A5の砲塔もM60そっくり。「軽い」そうなので、装甲厚は薄いようだが、装甲の厚さは外見からは判らない。
 であるならば、「M60A3の車体にM48A5の砲塔を乗せたCM11勇虎」が「M60A3とそっくり」なのは理の当然で、間違い探しレベルと言っても過言では無い。砲塔上部のキューポラ(車長用ハッチ兼展望塔)を変えているそうなので、この辺りが識別点ではあろうが、相当にマニアックな話だ。

 何故そんな変な戦車を中華民国が配備しているかというと、昨今特にかますびしい「米中関係」が影響している。
 
 中華民国陸軍には元々(90mm砲装備の)M48戦車を配備していたが、老朽化・陳腐化してきたので、次世代のM60(M60A3を含む)の購入を希望していた。が、当時の米中関係は「融和基調」であり、「中華民国へ(当時)高性能なM60戦車を輸出することは、米中関係を悪化させる可能性がある」と考えられ、M60戦車を(完成形で)中華民国へ輸出することを米国が認めなかった。

 このため、中華民国は、米国からM60A3の車体を輸入し(*1)米国の技術提携を受けて(*2)M48A5の砲塔を搭載し、射撃管制装置を改修した。この結果生まれたのがCM11勇虎で、米国名はM48Hと言い、「M48の最新型であって、M60ではありません」って名前になっている。まあ、実態は、「射撃管制装置は次の世代のM1エイブラムス並み」に更新・強化されている、らしいのだが。

 因みに、後の米中関係が「対立基調」となったこともあり、M60A3の対中華民国輸出が許可され、中華民国陸軍にはCM11勇虎とM60A3の両方を装備している。

 その後、CM11勇虎には爆発反応装甲を追加するなどのアップデートもなされており、部分的にはM60A3オリジナルを凌駕しているモノと推定される。また、CM11勇虎も開発・生産を通じて中華民国の技術向上につながった意味・意義も、決して小さくは無かろう。

 国内技術力が高ければ、国内で修理や改修できる範囲も広くなる。イスラエルのマガフの様に「魔改造された中華民国製パットン(*3)」が登場する日も、そう遠くないのかも知れない。
 もしそうなれば、その基礎を築いたのは、CM11勇虎(M48H)主力戦車である、と言うことになろう。

  • <注記>
  • (*1) 「車体なら、輸出しても良いのか?」ってツッコミを入れたくなるな。 
  •  
  • (*2) 「技術提携するのは、良いのかよ?」ってツッコミも入るな。 
  •  
  • (*3) 爆発反応装甲付きCM11勇虎に、既にその片鱗はある。 


 

  • ☆3 女王陛下の虎 英巡洋戦艦&巡洋艦 HMS Tiger(タイガー)

 斯様に「虎と呼ばれた兵器」として圧倒的にメジャーなのは「第2次大戦ドイツ軍のタイガー/ティーゲル戦車(シリーズ)」だが、虎は猛獣であり(西欧言語圏では)「力のシンボル」でもあるらしく、先述の通り兵器名前としてかなりメジャーで、イギリスの巡洋戦艦にHMS Tigerってのがある。


 知っている人以外は誰も知るまいが、「戦艦」ってのは絶滅艦種である。「絶滅危惧艦種」では無く、「絶滅艦種」だ。最後の戦艦・米国アイオワ級が湾岸戦争を花道として20世紀末に退役して以来、七つの海に「現役の戦艦」は存在しない。
 ロシアのキーロフ級がその大きさから「巡洋戦艦」と称される事もあるが(*1)、キーロフ級自体が既に1隻しか残っていない上、随分長いこと修理中状態である。

 であるならば、英巡洋戦艦HMS Tigerってのは、当然ながら「古いフネ」で、就役が第1次大戦初期の1914年。34センチ連装砲塔4基を主砲とし、最大速力28ノットで、後に「当時史上最大の海戦」となるユトランド沖海戦にも参加した。大戦間期の「海軍休日Naval Holiday」において、ロンドン軍縮条約の結果廃艦と決まり、解体の上売却されたと言う。

 だが、まあ、何しろ伝統があって昔は結構な数の艦艇を擁していた英海軍であるから、後の第2次大戦中に計画された軽巡洋艦にもHMS Tiger級と命名された。尤も、1番艦が就役したのは1945年11月と言うから第2次大戦には間に合わず、二番艦から四番艦までは大戦中に起工されながら戦後暫く放置された後、防空巡洋艦に設計変更されて1959年から1961年に就役。この設計変更された二番艦の艦名からTiger級と呼ばれる。一番艦が一寸可愛そうな気もするな。


 元々の軽巡としては6インチ(152mm)三連装砲塔三基だったのだが、防空巡洋艦としては主砲を6インチ(152mm)連装砲塔二基に減らし、その代わり対空・対水上の新型両用砲とした上、対空砲を新型の76mm連装砲塔三基に変更している。
 原設計が第二次大戦艦であるから仕方ない所ではあるが、対空砲主体の防空巡洋艦を戦後(それも、1960年にもなってから)就役させるってのは、かなり奇異な印象を受けるが・・・そこはイギリス人だから、かも知れない。複葉羽布張り雷撃機ソードフィッシュで、第2次大戦を「済ませてしまった」イギリス人だ。
 尤も、ネームシップのTigerを含む二隻は、就役から10年もしない1960年代後半にヘリコプター巡洋艦に改装され、主砲塔も高角砲塔も一基にした代わりにシーキャット対空ミサイルランチャ二基とヘリコプター4機を搭載している。我が国で言うDDH(ヘリコプター搭載護衛艦)の巡洋艦版のようなフネになっている。流石のイギリス人でも「対空砲主体の防空巡洋艦」は、無理だったようだ。

ヘリ巡タイガー級


 ネームシップのHMS Tigerは、同級の中で一番遅い1986年に除籍。就役から30年で除籍は、一寸早い方かも知れないが、「第2次大戦のお下がり」を1986年まで使い倒したのは、一寸したことでは無かろうか。

  • <注記>
  • (*1) 更には、排水量2万トン越えというリーデル級計画も「巡洋戦艦」とされる可能性はあるが。 


 

  • ☆4 ティーゲルでティーグルでティグレ。で、タイガーでもある。 仏独攻撃ヘリ EC665(HAP/HAC3G/PAH-2) Tiger(Tigre)


 諸兄ご承知のことと思うが、西欧諸国の言語は基本的にアルファベットで表記される(*1)上、「綴りも意味も同じ」って単語が幾つもある。Tiger(虎)ってのもそうで、英語でタイガー、独語でティーゲルである。これが仏語になると、末尾の二文字がひっくり返ってTigreでティーグル、西語(スペイン語)でティグレとなる他、同じ綴りでイタリア語やポルトガル語、果ては古英語の「虎」なんだ、そうだ。


 であるならば、フランス陸軍と西ドイツ陸軍(当時)が共同開発した攻撃ヘリ ユーロコプターEC665 (社内名称)Tigerは、フランス陸軍では「ティーグル」、ドイツ陸軍では「ティーゲル」と呼ばれている・・・のかも知れないが、フランスは偵察型と対戦車攻撃型を分けてHAPとHAC3Gと名付け、一方ドイツはPAH-2と命名。「それぞれ命名法にはその国なりの基準がある」のだろうけれども「ややこしい」事になっている。オマケにスペイン陸軍も採用しているから、「ティグレ」とも呼ばれていそうだ。さらには、オーストラリア陸軍も採用しているから「タイガー」でもあるのだろう(*2)


 タンデム復座で、メインロータ一つ+テイルロータの双発攻撃ヘリってのは、攻撃ヘリってジャンルを確立した米国ベル社のAH-1にも相通じる「攻撃ヘリとしてはオーソドックスな形態」だが、「各国のご要望にお応えしますぜ」ってのが売りで、機首下面の機関砲はフランス軍では採用したが、ドイツ軍では「反動が大きすぎる」として装備されていない。主要攻撃兵装とも言える対戦車ミサイルも、国に応じて変更できる、そうだ。
 そんな努力の甲斐あって、冷戦終結で発注数が減らされた仏独軍の代わりにスペインやオーストラリアに輸出された。

  • <注記>
  • (*1) ドイツ語のウムラウトとか、スペイン語の逆さ?とか、例外もあるが 
  •  
  • (*2) ヒョッとしてオーストラリア訛りでは、「タイガル」とかになるのかな。 

 

  • ☆4 グラマン猫族 米艦載戦闘機「グラマンキャッツ」 F7F TigercatとF11F Tiger/Fー11B Super Tiger

 グラマンって航空機会社は、今は統合されてしまって無くなってしまったが、戦前から戦中まで長いこと米海軍の艦載戦闘機を殆ど独占的に供給しており、特に戦時中の初期のF4FワイルドキャットとF6Fヘルキャットは我が国・我が軍にも「馴染みが深く」、「グラマン」と言えば「敵戦闘機の代名詞」とさえ言い得たぐらい。実際、艦載戦闘機は殆どグラマン戦闘機であるから、米空母機動部隊から発艦し、我が領土領空に飛来し機銃掃射していく機体は大抵グラマン(のF6F)。例外は、航続距離が長くてサイパンからなら日本本土に届く陸上戦闘機P-51マスタングと、一部艦載もされたチャンスボートF4Uコルセアぐらいだ。


 そのグラマン社は、「米海軍戦闘機御用達」で在るばかりで無く、その艦載戦闘機を片っ端から「猫呼ばわり」してしまう伝統があり、先述の戦時中ばかりで無く、戦後もF8Fベアキャット、F9Fパンサー/クーガー、F10Fジャガー(試作のみ)、F-14トムキャットなど「猫名前」が続いた。
レシプロ双発艦載戦闘機F7F
 F7F Tigercatもグラマン猫族の一つで、米海軍の艦載戦闘機。艦載戦闘機としてはかなり珍しい、レシプロ双発艦載戦闘機(*1)である。1943年末に量産開始して、約400機製造されたそうだが、大戦中に製造された数は少なく、実戦経験は無いそうだから、我が先人達がF7Fに撃たれたり爆撃されたり雷撃されたりはしていないそうだ【コレ重要】。


 とは言え、艦載機として当時としては非常に大型であり(*2)、艦上では運用しがたく、艦載機として運用されたのは(多分、他を以て代え難かった)夜間戦闘機型のみであり、昼間戦闘機型(*3)は海兵隊が陸上基地から運用した、と言う。

 

F11F Tiger辛うじて超音速艦載戦闘機
 更にはグラマン猫族の中で、ズバリTigerと命名されたのがF11Fで、後に命名法が変更されて「F-11」さらに「F-11A」となった。ジェット戦闘機の第2世代で、後退翼。超音速戦闘機を目指した、そうだが、海面上速度で約1200km/hと言うから、この速度だと(海面上では)音速を切っており、「高亜音速」。エンジンがJ65って非力なエンジンだったので、高高度を降下するとかの「条件付き超音速機」であったらしい。対抗馬とされたF-8Uカットラスが「ちゃんとした超音速戦闘機(と言うより、米海軍初の超音速艦載戦闘機)」となったため、少数生産/配備に留まったが、米海軍曲技飛行チームBlue Angelsの乗機となったためか、結構人気がある。
 で、そのF11F Tigerのエンジンを強力なJ79エンジンに換装し、機体形状も超音速向きに(*4)して「(今度こそ)ちゃんとした超音速戦闘機」にしたのがF11F-1(後にF-11B)Super Tiger。試作だけに終わってしまった機体だが、一時期「F-86の後継戦闘機として我が国が選定した」ことで有名だ。

 


 因みに、「F-86の後継戦闘機」として、最終的に我が国が選定したのは、F-104Jスターファイター。F11F-1と同じ(である上に、後のF-4EJファントムⅡとも同じ)J-79エンジンを搭載し、短く鋭い主翼とT字尾翼に細く尖った胴体のラジカルな形態で、「最後の有人戦闘機」とも呼ばれた傑作機(*5)。「F-86の後継戦闘機」としてF-104Jを選択したのは「結果的に大正解」だったのだが、「翼面荷重(機体質量を翼面積で割った値)の低さ(*6)」などではF-11B Super Tigerの方がF-104より優れていた。「一時期我が国の”次期主力戦闘機”に選定された」のは、そのため、もある。
  

  • <注記>
  • (*1) 多分、「レシプロ双発艦載戦闘機」ってのは、F7Fしかない。「レシプロ双発艦載機」に条件を緩和すれば、AJ-2サヴェッジとか、第2次大戦に無理矢理発艦させたB-25とか、他にもあるが。
  •  序でだが「ジェット双発艦載戦闘機」ならば、F-14トムキャット、F/A-18ホーネット、F-4ファントムなど、数多ある。 
  •  
  • (*2) まあ、当初からミッドウエイ級という当時最大の空母を想定していた、そうだが。 
  •  
  • (*3) 第2次大戦の戦闘機は、通常「昼間戦闘機」でしか無かったことは、明記すべきだろう。 
  •  
  • (*4) 「エリアルール」を適用して胴体に「くびれ」が出来たのが、顕著な所だろう。 
  • (*5) でも、一時期事故が(特に西ドイツ軍で)多発して、「Widow Maker未亡人製造機」とも呼ばれた。 
  •  
  • (*6) 旋回性能、運動性の高さを意味した・・・第2次大戦頃には、だが。


 

  • ☆5 帰って来た虎 米超音速ジェット戦闘機 ノースロップ F-5E TigerⅡ/RF-5E TigereyeとF-20 Tigershark

 米空軍の超音速ジェット戦闘機に、ノースロップF-5E TigerⅡと言うのがある。「Ⅱ」が付くのは、先代に当たる「Tiger」が、先述の通り「F11F(後にF-11A)」として先行しているから、だ。


 ノースロップF-5戦闘機は、かなりユニークな開発経緯を持つ。元々米海軍が大戦中に大量生産した小型の護衛空母向けに「小型軽量超音速戦闘機 兼 高等練習機」としてノースロップ社が自社開発していた機体。小型空母から発着艦できるように、小型軽量にして「戦闘機としてはショボ目」の機体だった。
 高等練習機としては首尾良く米空軍に採用されT-38タロンとなったが、米海軍が(発射プラットフォームに想定していた)小型の護衛空母を退役させてしまったため、行き場を失った形のF-5戦闘機は、輸出に期待せざるを得なくなった。

 時は冷戦華やかなりし頃。米ソ両大国の核兵器抱えての睨み合いは、同時にそれぞれの友好国に対する兵器供与合戦(と、代理戦争)であり、米国としては「ソ連が供給しているMig-17やMig-19より優れつつ、安価な(且つ、第一級の性能では無い)戦闘機」を供与兵器として欲しており、この要求にF-5戦闘機はピッタリだった。単座型F-5Aと練習機も兼ねた復座型のF-5Bは共に「Freedum Fighter自由の戦士」と名付けられ、(今は無き)南ベトナムや、タイ、韓国、中華民国、ギリシャ、ノルウエーなどに供与された。「自由主義/資本主義の尖兵」って訳だな。


 但し、レーダーどころか見越し計算式照準器さえ搭載しないF-5A/B Freedum Fighterでは、戦闘機として如何にもショボ過ぎ、ソ連の方が曲がりなりにもレーダーを搭載した超音速戦闘機Mig-21を供与し始めると、対抗できなくなった。

 そこで、「一線級の性能ではないが、F-5A/Bほどショボくは無く、安価な戦闘機」を米国は募集し、採用されたのがF-5A/Bの改良型F-5E/F。主な改良点は、①レーダーを搭載 ②エンジンを強化 ③空戦フラップの追加などで、先述の通り「TigerⅡ」と命名された。F-5A/B以上に多くの国に供与された上、スイス、韓国、中華民国ではライセンス生産もされた。


 また、ベトナム戦争終結=南ベトナム消滅に伴い行き場を失った(南ベトナムへ引き渡し損ねた)F-5E/Fは米軍に配備され、「機体サイズと抜群の運動性がMig-21に類似する」と言うことで仮想敵機(アグレッサー機)として長いこと使用された。日本での馴染みは余りないが、地味ながらも傑作機の一つ、と言えよう。
 

偵察機型RF-5E 機首にカメラ窓
 RF-5E Tigereyeは、機種記号の「RF」が示す通り、「戦闘機を改修した偵察機」であり、その名の通りF-5E TigerⅡの機首を延長し、機首に2門搭載した20mm機関砲(毎度おなじみのバルカン砲では無い)の片方を撤去してカメラを搭載した偵察機型。サウジアラビアや中華民国へ輸出された。但し、新造機は少なく、過半数は戦闘機型のF-5Eを改修した機体で、両方合わせても大した数では無い。まあ、偵察機が戦闘機より少数なのは、当たり前ではあるが。

 

F-5G転じてF-20となったTigershark. 目出度い紅白はノースロップカラーらしい。

 F-5戦闘機シリーズの成功体験からか、ノースロップ社が「3匹目のドジョウ」としてさらに発展させた改良型として自社開発したのがF-20で、当初は「F-5G」と呼称された。「一線級性能ではないが、安価」という意味を「F-5G」という名に込めたのだろう。
 とは言え、レーダーはさらに強化されてスパロー中射程空対空ミサイルの運用能力も(遂に)獲得し、新鋭エンジンにより双発から単発へ(搭載エンジンを二基から一基へ)変更しながら推力特性を向上し、特徴的な「水平方向に扁平なノーズ形状(*1)」にするなどして空力特性も向上した。操縦席にはHUD(ヘッドアップディスプレイ)が装備され、ディスプレイ表示を中心とした「グラスコクピット化」も実施した。つまり、「従来従前のF-5E/Fよりは、一線機に近づいた」訳だ。

正面上にHUD.その下左右にディスプレイ
 だが、原設計が戦後第2世代相当(F-5A/B)であるF-20で「3匹目のドジョウ」はやはり厳しかった。世代的に1世代新しいF-16が量産効果を発揮した上廉価版を出したため、F-20の売り物は「チャック・イエーガーが絶賛した運動性・操縦性」ぐらいしか無くなってしまった。結果、F-20の売り込みは多くの場合F-16(及び廉価版)に敗れ、採用する国は一国としてなかった。
 
 この辺りは「ノースロップ社の自社開発が、裏目に出た」というのも否めない。国費を投じられた開発ならば、国が試作機ぐらいは買うし、一定数配備する事もある。少数でも配備されれば「米軍御用達」って実績が出来る。ライバル(となってしまった)F-16が米空軍はじめとする数多の実績があるのだから、この「実績の無さ」は、かなりの痛手だろう。
 結局、生産されたF-20は3機のみ。その内2機はデモ飛行中に墜落しているから、現存するのは1機だけ、だ。
 
 正月早々、少々寂しい話になってしまったが、ノースロップ社はF-20の売り込み失敗にも倒産すること無く、それどころか1994年にはグラマン社を吸収合併してノースロップ・グラマン社となり、世界第4位の巨大兵器メーカーで、軍艦メーカーとしてはトップって大企業になっている、そうだ。

 であるならば、ノースロップ・グラマン社が誕生した今となってはF-5E/F TigerⅡも、RF-5E Tigereyeも、F-20 Tigersharkも、「グラマン猫族に加わった」と言うことも出来そうだ。

 「グラマン社が無くなっても、増え続けるグラマン猫族」恐るべしと言うべきか、「縁起が良い」と言うべきか。

 今年が我が国と読者諸兄にとって、良き歳であります様に。
 

  • <注記>
  • (*1) Tigershark(イタチ鮫)って名前の由来は、このノーズ形状による。多分。 

 

注) 今回引用した画像は、ウイキペディアからの転載

  • 無責任なのは、どちらかね?ー【琉球新報社説】安倍氏の台湾有事発言 無責任な言動やめよ

 いやぁ、沖縄二紙の軍人差別&軍事忌避が「平和ボケ」と同根である以上、軍事については「素人」どころか「白痴」同然、とは承知していたが、ここまで非道いとは、正直思わなかったぞ。



【琉球新報社説】安倍氏の台湾有事発言 無責任な言動はやめよ

  • 【琉球新報社説】安倍氏の台湾有事発言 無責任な言動はやめよ

   https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1441262.html

 

2021年12月18日 05:00

社説

 

【1】 安倍晋三元首相が「台湾有事は日本有事であり、日米同盟の有事でもある」と発言し、国際的な波紋を広げている。台湾と隣接し、広大な米軍基地があり、自衛隊基地が増強されている沖縄が戦場になることを想定するものであり、軍事力で他国を威嚇するあおり行為だ。沖縄県民として、このような危険極まりない無責任な言動は断じて受け入れられない。

 

【2】 安倍氏は1日、台湾のシンクタンクから招かれたオンラインの講演でこの発言をした。中国政府は直ちに猛反発したが、安倍氏は3日のインターネット番組で「はっきり考えを言うことが、衝突を防ぐことにつながる。これからも言うべきことは言う」と開き直った。

 

【3】 13日には、BS番組で「米艦に攻撃があった時には、集団的自衛権の行使もできる存立危機事態になる可能性がある」「ここで何か有事があれば、重要影響事態になるのは間違いない」と安全保障関連法に関連させて発言した。

 

【4】 同法は、放置すれば日本の安全に影響を与えると見なされる場合を「重要影響事態」と認定し、密接な関係にある他国が攻撃を受け日本の存立が脅かされる場合を「存立危機事態」とし、自衛隊が米軍に補給や防護などを行うとされている。いずれも定義があいまいで、危うさは免れない。

 

【5】 今年7月にも、麻生太郎副総理兼財務相(当時)が「台湾で大きな問題が起きれば、存立危機事態に関係すると言ってもおかしくない。日米で台湾を防衛しなければならない」「次は沖縄。そういうことを真剣に考えないといけない」と同趣旨の見解を示した。当然ながら、県内から厳しい批判の声が上がった。

 

【6】 今年4月、政府が台湾海峡有事が発生した際の自衛隊に関わる法運用を本格的に検討し始めたと報じられた。米中対立の激化や中国軍の海洋進出、中国国内の人権問題などを背景に、きな臭さが増している。だからこそ、軍事的衝突など起きないよう外交努力を尽くすことが、政治家が今なすべきことではないか。

 

【7】 集団的自衛権行使に道を開く安全保障関連法は憲法違反の法律である。2015年に、各界各層から巻き起こった厳しい批判、反対の声を無視して、強行採決を重ねた末に成立した。安倍氏は首相としてこの法律を成立させた張本人だ。

 

【8】 戦争準備の法律を作り、軍備を増強し、「敵国」を定めて威嚇、挑発を繰り返した先に何があるのかを、私たちは歴史の教訓として知っている。安倍氏の言動は、マッチポンプで戦争に突き進んでいるようにしか見えない。

 

【9】 台湾を論じる時に忘れてはならないことがある。台湾の未来を決めるのは台湾の人々自身であるということだ。他国が介入して戦火を招くようなことがあってはならない。台湾も沖縄も絶対に戦場にしてはならない。

 

  • 有り体に言って、「駄文」である。

 何しろ、社説としての主張・主題が、サッパリ出て来ない。「安倍元首相を批判している」事だけは、社説タイトルからして「明らか」であり、社説本文も「安倍元首相批判」という点では「一貫している」のだが…「無責任な言動やめよ」とタイトルで批判しながら、「批判対象となっている安倍元首相の言動」が列挙されるモノの、何がどう「無責任」なのかが、サッパリ判らない。
 
 多分、「安倍元首相の”台湾有事は日本有意”発言等の”無責任さ”」は、琉球新報社説記者にとっては「自明なこと」なのだろう。が、それは「同好の士」にしか通じない「自明の事実」だ。私(ZERO)のようなハナっから「琉球新報とは宗教が違う」異教徒には「何が無責任なのか」サッパリ判らない。

 「無責任」と批判されている「安倍元首相の言動」を、上掲琉球新報社説から抽出すると、以下のようになる。

1> 「台湾有事は日本有事であり、日米同盟の有事でもある」【パラグラフ1】

2> 「はっきり考えを言うことが、衝突を防ぐことにつながる。これからも言うべきことは言う」【パラグラフ3】

3> 「米艦に攻撃があった時には、集団的自衛権の行使もできる存立危機事態になる可能性がある」
4> 「ここで何か有事があれば、重要影響事態になるのは間違いない」【パラグラフ3】


 で、上記3>~4>が「安保法に基づいている」事に触れ、続いて麻生副首相の同趣旨の発言を批判対象に取り上げ、安保法は憲法違反であると、「違憲訴訟」こそ在るモノの「違憲判決」は確か一つも出ていない現在執行中の現行法を「憲法違反」と断定非難する。ここまで「非難一辺倒」であるが「安倍元首相の発言の、何処が何故無責任なのか」が、全く出て来ない。
 仮に安保法が「憲法違反」で今後「違憲判決」が続々出るとしても、現行法なのであるから、安倍元首相の発言も麻生副首相の発言も「現行法に則ったモノ」でしか無い。コレを違憲訴訟があり、今後違憲となる可能性がある」で「現行法を否定するとしたら、その方がよっぽど無責任だ。安倍元首相も麻生副首相も、首相&副首相として安保法の法案審議に携わったのだから、尚更である。安倍元首相も麻生副首相も、少なくとも「安保法案審議」当時は「安保法案を、違憲などとは考えて居なかった」筈なのだから。(今に至って、「違憲と考えるようになっていた」としたら、それも吃驚仰天だが。)
 
 「台湾有事を、日本有事と考える。」のは、日本自身の判断であり、安倍元首相はその首相在任当時はその重責を担っていた。かかる判断は「首相の独断でなせる」モノではあるまいが、自衛隊三軍の最高指揮官として「台湾有事を、日本有事と考える。」判断の最高・最終責任者は、首相しかあり得まい。今の安倍晋三氏は「元首相」だから、そんな重責は免れているが、一国民、一議員として「台湾有事を日本有事とするか否か」は考えるべき立場にあり、その立場表明は、普通に考えれば「言論の自由の一環」。逆に「無責任として非難する」のは「言論の自由の侵害」の恐れさえ、無いではなかろう。

 安保法は先述の通り「違憲訴訟」を起こされてはいるが、最高違憲違憲判決が出るまでは、「違憲とは断じ難い」筈である。少なくともそれまでは「執行中の現行法」なのであるから、現行法に則るのは欠伸も出ないぐらいに当たり前。
 
 従って、安倍元首相の発言も、麻生副首相の発言も、「無責任」と断定する根拠として「安保法の違憲性」というのは、成立しない。違憲訴訟のある安保法に則れというのは無責任」とするならば、自衛隊の存在を肯定するのも入隊するのも運用するのも、少なくとも一時期は「無責任」だった、筈だ。

 ラス前の【パラグラフ8】に至って、漸く、

5> 安倍氏の言動は、マッチポンプで戦争に突き進んでいるようにしか見えない。

と「アベ批判」が出て来て、どうやらコレが「無責任な言動」とする根拠であるらしい、と判る。
 
 ラス前のパラグラフに至るまで、「何が無責任なのかサッパリ判らない主張」は、その主張の賛否以前に「駄文」と断ぜられて然るべきだろう。

 而して、「新聞の公式公的な主張」である筈の社説が「駄文」と言うのは、新聞社としても言論人としても、誠に恥ずべき事、の筈だ。

 

  • 「駄文である」のもさることながら・・・

 無論、私(ZERO)は、上掲琉球新報社説を「駄文である」だけで非難する心算は、無い。「駄文である」上に、さらにその主張が、有り体に言って「しっちゃかめっちゃか」である。
 
 私たちは歴史の教訓として知っている。と、琉球新報は【パラグラフ8】でぬけぬけと抜かすが、随分と偏向した歴史知識・認識であるらしく、ラインラント進駐って歴史の教訓は、全く学んでいないらしい。
 大戦間期。ナチスドイツはラインラントに兵を進め、第1次大戦後非武装化されていた同地方を再武装化した。「連合国に対する敵対行為にして、世界平和を脅かす行為と見なす」と条約に明記されたラインラント再武装化に対し、英仏はじめとする連合国は、対抗して兵を進める事はしなかった。「外交により平和は保たれた」が、それは一時的な話。この成功体験に味をしめたナチスドイツは後にポーランドにも侵攻し、今度はちゃんと第2次大戦を惹起した。


 連合軍がしっかりキッチリラインラントに兵を出していたなら。或いは英仏の然るべき政治家(他の国では、一寸無理だな。)が然るべきタイミングで(「無責任」に)「ラインラント再武装化は、連合国有事となる。」と明言していたら。ドイツのラインラント進駐・再武装化や第2次大戦は、回避された可能性が、相応にある。

 「穏健穏便な外交政策」が、「結果的に戦争を惹起する」事があるのを。「軍事的な強硬策/強硬発言」が、「逆に戦争を抑止する」事があるのを。ラインラント進駐と第2次大戦という史実は、示している。

6> 軍事的な衝突など起きないよう外交努力を尽くすことが、政治家が今なすべきことではないか。【パラグラフ6】
 
 言うだけならばタダ。お為ごかしのキレイゴト。理想論ですらない書生論以下。ラインラント進駐と第2次大戦の史実は、「軍事的な衝突など起きないよう外交努力を尽くした」結果、世界大戦(それも、2回目)に突入したことを、示している。
 

  • 「戦争準備」は、国防の、抑止力の、基本ですが、何か?

 大東亜戦争や第2次大戦に至った道が如何様で在ろうとも、「国防」や「抑止力」の根幹本義は「戦争準備」に他ならない。戦争準備が準備万端であるからこそ、戦争抑止になる。「戦争準備の不完全」は、戦争誘因である。況んや「戦争準備をしない」なんてのは、論外だ。

 「戦争準備にならない軍事力」では、抑止力にならず、国防に資さない。良い処「軍事パレードのお飾り」になるだけの「虚仮威し」。否、「虚仮威しにすらならない」飾り物であり、税金の無駄だ。

 お花畑の平和ボケ。軍事的素人と言うよりは軍事的白痴なモノだから、そんな簡単なことも判らないし、理解しようとしない。

 その結果、上掲琉球新報社説最終パラグラフの様な、凄まじい言語矛盾にすら「気付かない」らしい。

7> 台湾の未来を決めるのは台湾の人々自身であるということだ。

 なればこそ、台湾ならざる「大陸の支邦人でしか無い」中国共産党政権如きに「台湾の未来を決めさせる」訳には行かない、道理であろう。

8> 他国が介入して戦火を招くようなことがあってはならない。

 台湾の自衛に我が国や米国が加勢するのは、「他国の介入」とは言い得ようが「戦火を招く」訳では無い。既に「中共の台湾侵攻/台湾の自衛」という時点で、戦端は開き、戦火は上がっている。僅か一文前の「台湾の未来を決めるのは、台湾の人々自身」とするための、自衛であり、加勢であり、「日米という他国の介入」であろうが。

 大体、「他国の介入で戦火を招く」のは「中共の台湾侵攻」の方であろうが。

9> 台湾も沖縄も絶対に戦場にしてはならない。

 一件カッコ良いこと/良いことを言っているようにも見えようが、言っていることが判っているのかね。僅か2文前で「台湾の未来を決めるのは、台湾の人々自身」と宣言しながら、絶対に戦場にしてはならない」とは「台湾有事への日米介入阻止」ばかりでは無く、台湾自身の自衛戦争さえ放棄しろ」との要求であり、ひいては沖縄自身の自衛戦争放棄宣言でさえ、あるのだぞ。

 「平和ボケ」なんて可愛らしい表現では追い付くまい。「丸腰の者は撃たれない」と平気で抜かしたJos某並みの、気違いだ。さもなければ「外患誘致の利敵行為なす売国奴」と言うべきか。

  • 社説としては駄文であり、主張としては「歴史に学んで」居らず、且つ主張そのものが言語矛盾を起こして居る。

 コレで、沖縄では沖縄タイムスと共に双璧をなす地方寡占新聞社の、公式公的な主張である社説である。問題視された安倍元首相の発言は一寸前のモノだから「大急ぎで社説にした」訳でも無さそうだ。

 で、この体たらく。

 「琉球新報社ってのは、バカが揃ってやぁガル。」のだろうか。だとしたら、「バカが揃った琉球新報社」と言うのは、報道機関として、ひいては社会の木鐸としては、かなり無責任だと思うぞ。

  • クマムシ生還は判ったが・・・【ITmedia News】”最強生物”クマムシ、量子ビットと量子もつれになる絶対零度・高真空に420時間さらされても生還

  何度か繰り返す通り私(ZERO)は理系の人間だが、学んだのは工学であり、社会人となってからも「古典的なニュートン力学で大半の用が足りる」世界に生きている。相対論や量子力学さえ直接には殆ど関わらない(リングレーザージャイロと、レーザー発振ぐらい、かなぁ・・・)モノだから、理論物理学とも最先端の物理学とも、チョイと縁が遠い。
 
 であるあるからして・・・斯様なニュースに接すると、些か面食らってしまう。

 

  • 【ITmedia News】”最強生物”クマムシ、量子ビットと量子もつれになる絶対零度・高真空に420時間さらされても生還

2021年12月18日 09時00分 公開

[井上輝一,ITmedia]

 

 宇宙空間などの極限環境でも生存できるといわれる微生物「クマムシ」と超電導量子ビットの間に、量子特有の現象である「量子もつれ」を観察した──こんな研究結果を、シンガポールなどの研究チームが論文投稿サイト「arXiv」で12月16日に公開した。量子もつれ状態を作るためにほぼ絶対零度まで冷やされたクマムシは、その後生命活動を再開したという。

 

 

基板(Substrate)の上に量子ビットとともに置かれるクマムシ(Tardigrade)(以下、arXivの論文より)

 量子もつれは複数の量子による特有の相関で、量子コンピュータの計算アルゴリズムにも重要な役割を果たす。量子的な現象は小さく冷たい物体でなければ観察が難しいことから、生物のような大きく複雑で熱い物体に、量子の性質は現れにくい。研究チームは、量子力学の立役者の一人であるニールス・ボーアが遺した「生物で量子実験を行うのは不可能」という主張に注目し、普通の生物では耐えられない環境でも生き続けるクマムシに白羽の矢を立てた。

 

 研究チームはまず、クマムシを「クリプトビオシス」と呼ばれる無代謝状態にした。2つの超電導量子ビットを用意し、その片方にはコンデンサーの間にクマムシを設置。10mK未満(0.01ケルビン、ほぼ絶対零度)まで冷やし、6×10^-6mbar(1気圧の約10億分の6)という高真空条件にしたところ、2つの量子ビットの間に量子もつれが観察され、クマムシ自体とも量子もつれ状態になったことを示せたという。

 

 

量子ビット回路のコンデンサーに挟まるクマムシ

 クマムシはほぼ絶対零度かつ高真空条件に420時間さらされたが、その後生命活動を再開した。これまでも、50mK・10~19mbarという極低温・真空環境である地球の衛星軌道から生還した事例はあったが、今回の実験ではこの記録より過酷な環境であってもクマムシが生き残れることが分かったとしている。

 

 

絶対零度から生還したクマムシ

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量子もつれ

 

 量子もつれ(りょうしもつれ、英: quantum entanglement)は、一般的に「量子多体系において現れる、古典確率では説明できない相関やそれに関わる現象」を漠然と指す用語である。しかし、量子情報理論においては、より限定的に「LOCC(局所量子操作及び古典通信)で増加しない多体間の相関」を表す用語である。後者は前者のある側面を緻密化したものであるが、捨象された部分も少なくない。例えば典型的な非局所効果であるベルの不等式の破れなどは後者の枠組みにはなじまない。

 

 どちらの意味においても、複合系の状態がそれを構成する個々の部分系の量子状態の積として表せないときにのみ、量子もつれは存在する(逆は必ずしも真ではない)。この複合系の状態をエンタングル状態という。量子もつれは、量子絡み合い(りょうしからみあい)、量子エンタングルメントまたは単にエンタングルメントともよばれる。


 

  • 「量子ビット間に量子もつれが観測された」ってのは、未だ判る。

>  2つの量子ビットの間に量子もつれが観察され、
> クマムシ自体とも量子もつれ状態になったことを示せた。


 量子ビットってのは、そもそも「量子もつれを起こし、観察するための”仕掛け”」だろうから、「量子もつれが観察される」のは、「予想されるし、理解できる」と思う。

 問題は、「クマムシ自体とも量子もつれ状態になった」ってのがどう言う状態で、どう観察されたか、だ。


 「量子もつれ」の用語解説に曰く、

> 量子多体系において、2個以上の量子が古典力学では説明できない相関を持つこと。

とあるから、「量子ビットA」と「量子ビットB」と「クマムシの量子」の3体の間に「古典力学では説明できない相関」が、三位一体説宜しく「観察された」ってこと、らしい、の・だ・が・・・
 
 「量子ビット」ってのは、極単純な、極端には「量子1個からなるデバイス」と考えられる(「そんな量子ビットを、どうやって作るか」は別問題だが。)。


 だが、クマムシは、微生物とは言え動物で、ウイルスのような「分子生物」と呼びたくなるような単純な作りでは無い、「体長は50マイクロメートルから1.7ミリメートルの微少な動物」とウイキペディアにもある通り、立派な多細胞生物であり・・・細胞も、細胞を構成する分子も、分子を構成する原子も、原子を構成する量子も、「複数」あり、最下位の構成要素である量子は「気の遠くなるほどの数がある」筈だ。

 従って「クマムシを構成する量子を観察する」ッたって、その外皮表面に限った(*1)としても、「観察対象となる量子は無数にある」筈だ。その「無数にあるクマムシを構成する量子の中から、幾つかを観察し、量子もつれ状態を確認する」と言うことが、本当に可能とは、一寸俄には信じがたい。

 更には、その実験の意図が、かなり怪しい。「ニールス・ボーアが遺した“生物で量子実験を行うのは不可能”という主張に反発した。」のだとしても、それは「非道く子供じみた反応」と思えてしまう。

 まあ、ねぇ。「”便器以外は何でも積める”と言われたA-1攻撃機に、本当に便器を積んで出撃し、投下した。」って事例も在るから、相通じる「ノリ」なのかも知れないが、「量子もつれ状態を観察できるような極限状態から、クマムシが生還した」ってことのインパクトに比べたら「クマムシ(の外皮?)の量子に量子もつれ状態が観察できた」って事象は、素人目には「些事としか思えない」・・・と言うより、コレが4月1日のニュースだったら「エイプリルフールのフェイクニュースだろう」と思える所だぞ。

 

  • <注記>
  • (*1) 何しろ事後に「生存を確認」するのだから、内部の量子を観察することは、出来なさそうだ。