1. 呆れた呆れた「憲法擁護」論/護憲論ー【日刊SPA!】ロシアのウクライナ侵攻で浮上する「9条」議論の是非<法学者・小林節氏>

 憲法学者(の一部?)というのは、気違いじゃぁ無かろうか。と思うことが、今までにもままあったんだが、下掲日刊SPA!記事にご登場の小林節なるお方は、正にこの「思い」を裏書きしてくれる存在らしい。

 そう言えばこの人は、「森友文書問題」で、文書改竄の圧力をかけることは、一種の暴力である。」ってぶっ飛んだロジックで、安倍首相(当時)を国家反逆罪に問う!って息巻いていた御仁だ。「森友文書問題」の「文書改竄圧力に安倍首相(当時)が関与した」って証拠は現状皆無だと思うんだが(*1)、仮にその関与があったとしても、「現役の首相(当時)をその国に対する国家反逆罪に問うなんて、前代未聞どころか多分人類史上初なんだが、その後どうなったのだろうか。
 「反アベ」をほぼ唯一の売り物とする新党も立ち上げて、国政選挙に打って出たはずだが、そっちの方もどうなったのか、チョイと気になるな(こちらの方は、ウィキペディアに記述が在り、モノの美事に転けて、事実上解党した、そうだ。)。

  • <注記>
  • (*1) それどころか、「森友文書問題の文書改竄」によって、「安倍首相が関与して森友学園に対する不当不正な国有地廉売が隠蔽された」なんて事例/改竄箇所からして、皆無、なのだが。 


(1)【日刊SPA!】ロシアのウクライナ侵攻で浮上する「9条」議論の是非<法学者・小林?氏>

  • 【日刊SPA!】ロシアのウクライナ侵攻で浮上する「9条」議論の是非<法学者・小林節氏>

 

ロシアのウクライナ侵攻で浮上する「9条」議論の是非<法学者・小林節氏>

 

 

https://news.livedoor.com/article/detail/21929988/

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2022年4月1日 8時50分 日刊SPA!

ロシアのウクライナ侵攻で浮上する「9条」議論の是非<法学者・小林節氏>

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 ロシアがウクライナに軍事侵攻を始めた。21世紀の日本にいながらBBCやCNNを通して、1930年代のナチス・ヒトラーの蛮行を見ている気分になる。

 

◆9条は無意味か有益か?

 

 このプーチン大統領の侵略戦争の報に接して、左右両派から日本国憲法9条に関するコメントが出て来た。

 右派からは、「だから、9条を改正して、国防軍を保持して国防の意思をはっきり示すべきだ」等の意見が噴出した。

 左派は、「日本は9条による平和外交の重要性を世界に唱道すべきだ」等の主張を繰り返している。

 ただし、左派の方が一見して不利である。1990年にイラクのフセイン大統領がクウェートを侵略した際に、右派から左派に対して、「クウェートに憲法9条があったら侵略されなかったと言うのか?」という皮肉が向けられたが、今回も同様なことが言われた。それでも左派は、今回は、「平和の尊さ」を叫ぶ世界の世論に参加して各地の駅頭で声を上げ続けている。右派も、あらゆる手段を駆使してロシア軍をウクライナから退かせるべきだと主張し続けている。

 

 

◆9条の理解が一定ではない

 

 今の状況では9条改憲論に追い風が吹いて来そうである。

 しかし、40年以上も憲法論議に参加して来て、私は、左右の論者がそれぞれに「自分流」に9条を解釈して言い争っており?み合っていないもどかしさを感じて来た。

 そこでこの際、政府の公式の見解の意味を確認して、それが今の国際情勢に有効か否か? を検討することで、生産的な9条改憲論に寄与してみたい。

 

(1)1項は侵略戦争を禁止している

 9条1項は「国際紛争を解決する手段としての戦争」を放棄している。これは、1928年のパリ不戦条約以来の国際法の用語として「侵略戦争」の放棄を意味している。だから、この段階では「自衛戦争」は放棄していない。しかし、続く2項で一切の戦争を不能にしている。

 

(2)2項は戦力保持と交戦権を否認

 「戦争」は、国家間の武力闘争で、国際法の管轄である。そして、国際法上、合法な戦争とは、国家の交戦権の行使であり(つまり私戦〔犯罪〕ではなく)、正式な軍隊が遂行する闘争である。だから、自国の憲法で「陸海空軍その他の戦力」つまりいかなる名称であれ軍隊の類の保持を禁じ、かつ、交戦権の保持も認めていない以上、わが国は、たとえ「自衛」のためと言えども戦争はできないことになっている。

 

(3)それでも自衛権はある

 しかし、政府見解でも国際法上も、わが国には、(条文上の根拠が要らない自然権としての)自衛権はある。しかし、自衛のためだとしても、国際法の「戦争」は2項で禁じられているので、わが国は海外へ撃って出ることはできない。そこで自国の領域と公海上だけで「専守防衛」に徹することを義務づけられている。また、その担当機関は、軍隊であってはならないので、他国の軍隊ではあり得ない「警察比例の原則」が自衛隊法には明記されている。つまり、警察は強盗などの違法暴力を制圧するための限度を超えた実力を行使したらその違法性が問われるが、諸国の法制および国際法上、「軍隊」の武力行使にそのような「比例原則」は課されていない。

 だから、法律上、自衛隊は、軍隊ではなく、警察と海上保安庁の能力では対応できない場合に出動する、いわば軍隊の如き実力を持った「第二警察」である。警察ならば行政権(憲法65条)の一環で合憲である。

 

◆ウクライナに例えれば

 

 そこで、以上の様な特異な9条を今回のウクライナ情勢に例えてみれば、次の様になるであろう。

 まず、わが国は、国是として他国に対して侵略・自衛にかかわらず軍を向けることはないと宣明している、他国にとって極めて安全な国である。

 しかし同時に、わが軍が侵略の対象にされた場合には「専守防衛」に徹するとして、質の高い自衛隊を常設している。

 だから、今必要な事は、噛み合わず時間も手間もかかる改憲論議に突入するよりも、国民の防衛意識を高めることと、わが国の経済力・技術力・人材に相応しく防衛力を高めることではなかろうか。

 現に「話せば分かる」ではない軍事大国がわが国の周辺に複数も存在するのだから、急ぐべきである。

 

<初出:月刊日本4月号>

 

こばやしせつ●法学博士、弁護士。都立新宿高を経て慶應義塾大学法学部卒。ハーバード大法科大学院の客員研究員などを経て慶大教授。現在は名誉教授。著書に『 【決定版】白熱講義! 憲法改正 』(ワニ文庫)など

 

―[月刊日本]―

 

【月刊日本】

げっかんにっぽん●Twitter ID=@GekkanNippon。「日本の自立と再生を目指す、闘う言論誌」を標榜する保守系オピニオン誌。「左右」という偏狭な枠組みに囚われない硬派な論調とスタンスで知られる。

 

  • タダの敵前逃亡


 上掲記事の通り、結論が、我が国の国防は自衛隊に依存するのだから、改憲議論よりも自衛隊増強って、タダの敵前逃亡で、「論点ずらし」にすらなっていない。
 実は上掲記事、「結論を先に知ろう」と思って、記事の終わりの方を先に読んだんだ。そこに書いてあったのが「我が国の国防は自衛隊に依存するのだから、改憲議論よりも自衛隊増強」だったモノだから、「これは、小林節氏の記述では無く、日刊SPA!編集部が別につけた"オチ"かな。」と思って、頭っから読んだら・・・「小林節氏自身がつけた"結論"」と知り、改めて唖然としたと言うか、呆然としたというか、慄然としたと言うか・・・これが「慶應義塾大学法学部卒。ハーバード大法科大学院の客員教授などを経て慶大教授。現在は名誉教授」である「法学博士、弁護士」様の公言している「ご意見」である。辛うじて「憲法学者ではない」とは言えそうであるが、

1> 40年以上も憲法議論に参加して来て

と上掲記事の中にもある。上掲記事の中では「憲法擁護論」まで「踏み込んでは居ない(*1)」。

 しっかしまあ、「40年以上の憲法議論」の(現時点での)結論が、「改憲議論よりも自衛隊増強ってのも凄まじいが、その前段となる憲法9条の交戦権否定に抵触しない、”領土領空領海内の専守防衛に徹する軍隊ではない第2警察”による自衛って「戦力無き軍隊」以上の詭弁というのも、凄まじいな。

 端的に言って、「訳が判らない」。何だろうね、この人の「40年以上の憲法議論の結論」ってのは、その40年間、一体何をどうして来たんだろうか?

 気を取り直して、この小林節氏のとなえる「第2警察」論についての矛盾点と疑問点を列挙してみようか。

【Q1】 「自衛隊増強」を認めている以上、小林節氏は「自衛隊を認めている」はずである。であるならば、自衛隊を「領土領空領海内の専守防衛に徹する軍隊ではない第2警察」と、小林節氏は考えて居る。Yes or NO?

【Q2】【Q1】に対する答えが「Yes」であるならば、現行でもソマリア沖海賊対策へ派遣されて居る他、カンボジアなど数多の海外派遣実績を重ね、国際的には「日本軍」と認定されている自衛隊を、尚「領土領空領海の専守防衛に徹する軍隊ならぬ第2警察」と認識し、主張されるのか? Yes or No?

【Q3】【Q1】に対する答えが「Yes」であるならば、「軍隊ならぬ第2警察」にはハーグ陸戦協定が適用されず、実際の戦闘では捕虜として扱われず、テロリストないし犯罪者扱いされる公算大と考えられるが、それが「軍隊ならぬ第2警察」である自衛隊に対する処遇であるか? Yes or No?

【Q4】【Q1】に対する答えが「Yes」であるならば、「領土領空領海の専守防衛しか実施しない、軍隊ならぬ第2警察」たる自衛隊にはシーレーン防衛など不可能であるが、シーレーン防衛を放棄した海洋国にして貿易立国たる我が国の国民の生命財産をどの様にして守るというのか?単純な話、シーレーン防衛を放棄すると言うことは、完全なる海上封鎖を受けたも同然であり、大東亜戦争に於ける「飢餓作戦」が示す通り、我が国で餓死者が続出する事態も想定されるのだが、左様な状態を「我が国民の生命財産を守っている」と主張される心算か?

【Q5】【Q1】に対する答えが「No」であるならば、「第2警察ではない自衛隊の増強」を小林節氏が認め、推奨している理由・根拠は何か?「第2警察ではない自衛隊」は、奇妙奇天烈な「憲法9条に反しない、自然権に基づく交戦団体ないし第2警察」ではないのだから、これは自動的に「憲法違反」と言うことになる、筈では無いのか?
 繰り返すと、「第2警察ではない(=憲法9条違反である)自衛隊の増強」を小林節氏が認め、推奨している理由・根拠は何か?


【Q6】 「改憲議論を棚上げして、自衛隊を増強しよう。」という小林節氏の主張は、「自衛隊という厳然たる事実現実に対する、日本国憲法擁護論及び”9条守れ”の護憲論の、完全なる敗北」では無いのか?それ即ち、小林節氏の「40年以上の憲法論議」なるモノが、全く無駄で不毛で何の利益も効果も認められないと言う、敗北宣言以外の何物であるか?

 いやぁ、安保法成立以前の、「我が国には集団的自衛権はあるが、日本国憲法が集団的自衛権の行使を認めていないから、我が国は集団的自衛権を行使できない。」って「日本国政府公認(当時)の集団的自衛権論」ぶっ飛んでいたが(*2)憲法9条に抵触せず、自衛戦争は出来ないが領土領空領海の専守防衛だけは国の自然権として実施できる、軍隊ならぬ第2警察」論ってのは、その上を行くな。オマケに、小林?氏は「改憲議論よりも自衛隊増強」ってやぁがるンだから、厚顔無恥にも程があろうと言うモノだ。

 小林節氏は、「憲法学者ではない/ですらない」様ではあるが、「40年以上憲法論議に参加してきた法学者」先生がこの程度のシロモノとは。矢っ張り、「憲法学者は、気違いだ。」と、確信を強くするぞ。

 嗚呼、訂正しよう。

 「日本の憲法学者は、気違いだ。」と言うのが、多分、正しい表現だな。
 

  • <注記>
  • (*1) と言うより、「憲法擁護論を、隠蔽している」としか思えなかったんだが、ウイキペディアによるとこの人は「憲法9条変えろ。」と主張していたらしい。但し、「アベ政権での改憲議論は危険だ!」って「反アベ」故に「改憲反対していた」らしい。
  •  以前にも書いたが「どの政権下だろうと、改憲は改憲。A政権下では改憲議論するが、B政権下では議論しない。」と言うのは、訳がわからない。無論、安倍政権(第2次安倍内閣)から既に2代を経ていると言うのに、未だこの人が「憲法9条変えろ」と主張しているところは見たことが無い・・・と言うより、この人もまた(数多の憲法学者と同様)「憲法擁護論」だと、私(ZERO)は思っていたし、今も思っている。
  •  事実、上掲記事の中でも、「憲法9条は交戦権を否定しているが、自然権としての自衛権は当然あるのだから、領土領空旅海夏委の専守防衛だけ実施する、軍隊ではない”第2警察”による自衛は、憲法9条に抵触しない。」って奇妙奇天烈なロジックで「憲法9条を擁護し、その改憲を否定している」としか、思えんぞ。 
  •  
  • (*2) それって、「我が国には集団的自衛権が無い」のと、何が違うんだぁ?実質同じだろう!と、今でも思うぞ。
  •  まあ、そんな奇々怪々な「日本国政府公認の集団的自衛権論」の「お陰」で、「我が国の集団的自衛権が保存されたから、今(安保法執行以降)不完全ながらも集団的自衛権を行使できるんだ。」ってロジックは成立しそうだが、矢っ張り「国としての基本的国権である集団的自衛権を、行使させないと言う日本国憲法が、そもそも悪い。」って、断定断言しちまうぞ。 


 

  • 我が師(の一人)の魂に、平安あらんことを。-【毎日】英作家ジャック・ヒギンズさん死去 92歳「鷲は舞い降りた」

 「森羅万象、皆我が師」を、私(ZERO)は目標とし、実践しようと心掛けている。無論、「心掛けはするモノの、なかなか実践できていない」ことは、認めないといけないが。

 左様に心掛けていれば、自ずと「我が師」たる者は増えていくのが道理だが、「我が師たる作家」となると、なぁかなか居るものではない。「ノンフィクション作家」ないし「SF作家」にまで「延翼」すれば、未だ増えそうだ(*1)が、純然たる(フィクション)作家となると、先ずアリステア・マクリーンとジャック・ヒギンズぐらいしか思い当たらない。二人ともイギリス人だが、他意はない・・・筈だ(*2)。

 そんな「我が師たる作家」の一人、ジャック・ヒギンズ氏の訃報が、入ってきた。

  • <注記>
  • (*1) SF作家としてアイザック・アシモフとか、ノンフィクション作家として村松剛とか。 
  •  
  • (*2) 二人とも「冒険小説作家」であるのには、「他意がある」と認めざるを得ないな。何しろ私が読む小説と来たら、冒険・アクション(戦記含む)、SF、歴史・時代(戦史含む)、推理が殆どで、ファンタジーが少々、と言うところ。恋愛小説だのビジネス小説だのになると、「何か読んだこと、あったっけ?」状態だ。村上春樹とか、文学賞受賞作とか、話題の小説は、「話題の小説」と言うだけで、殆ど自動的に読む気が失せる。「昔読んだ直木賞受賞作品かなにかが、試しに斜め読みして、恐ろしく詰まらず、呆れ返った」記憶があるため、かも知れない。 
  •  

 

  • 【毎日】英作家ジャック・ヒギンズさん死去 92歳「鷲は舞い降りた」

 

 

https://mainichi.jp/articles/20220411/k00/00m/030/023000c

 

 英BBC放送などは10日までに、「鷲(わし)は舞い降りた」などの冒険小説で知られる英国の作家、ジャック・ヒギンズ(本名ヘンリー・パターソン)さんが居住地の英領ジャージー島で死去したと報じた。92歳。英出版社ハーパーコリンズ社が明らかにした。死亡日時や死因は不明。

 

ジャック・ヒギンズ氏=撮影年月日不詳、ハーパーコリンズ社提供・AP

c 毎日新聞 提供

ジャック・ヒギンズ氏=撮影年月日不詳、ハーパーコリンズ社提供・AP

 1929年、イングランド北部ニューカッスル・アポン・タイン生まれ。兵役を経験後、教師を経て作家に転身した。英首相チャーチルの拉致を試みるナチス・ドイツ部隊の冒険を描いた代表作「鷲は舞い降りた」(75年)は、戦後は悪役として描写されがちだったドイツの軍人を、苦悩する血の通った人間として描いた点が話題になった。

 

 他の代表作に北アイルランド紛争に絡む「死にゆく者への祈り」、海洋冒険小説の傑作とされる「脱出航路」など。

 

  • 「鷲は舞い降りた」「死にゆく者への祈り」「脱出航路」、皆読んだし、未だ持っている・・・筈だ。

 一頃、「ジャックヒギンズ作品の文庫本は、見つけたら必ず購入」って「見敵必殺」ドクトリンを実行していたこともあり、ヒギンズ作品(で、翻訳され文庫化されたモノ)は粗方読んだ気がするが、上掲記事で紹介された作品を読んだのも随分前だし、「ジャック・ヒギンズ師がつい先日までご存命」とは、ついぞ知らなかった。「不肖の弟子」と自戒・自省すべき所、かも知れない。

 私(ZERO)とジャック・ヒギンズとの出会いは、多分「映画化されていた(地上波放送でも見た、気がする)ために知っていた」、上掲記事見出しにもなっている「鷲は舞い降りた」が最初だろう。多分、アリステア・マクリーンの「荒鷲の要塞(これも、映画化されていたので、知っていた。)」と同時に文庫本で買った、気がする。

 ちなみのこの小説「鷲は舞い降りた」は、私(ZERO)の数少ない「一読必泣の書=読む度に涙を禁じ得ない本」である。

 

  • .原作に(基本的に)忠実な実写化・映画「鷲は舞い降りた」

 

https://www.youtube.com/watch?v=utUG73AhDKc

 

 

 「鷲は舞い降りた」の主人公・クルト・シュタイナー大佐は、歴戦の空挺部隊指揮官。とある事情(どんな事情かは、是非映画で御覧頂きたい)で「時間のかかる自殺」でしか無い「人間魚雷による半特攻作戦」メカジキ作戦(*1)を命じられていたが、「英国首相チャーチルを誘拐拉致する」特殊作戦のために、部下諸共召還され、ポーランド人義勇空挺隊に偽装して(*2)、チャーチル首相が休暇を過ごすと言う情報を得たイギリスの田舎町に潜入する・・・

 映画では、主人公・クルト・シュタイナー大佐を「優男」マイケル・ケインが演じ、現地で支援に当たるアイルランド人リーアム・でブリンを怪優ドナルド・サザーランド(*3)>が演じる(*4)。

 

 この映画の特徴は大きく二つだろう。一つは、章題にもした通り、「原作にかなり忠実に実写化されている」こと。このため、逆に「原作とは異なっている部分」が特に印象的だったりする。原作との違いで大きいのは、「本特殊作戦(チャーチル首相誘拐)に当たり、シュタイナー大佐と部下達が、ポーランド人義勇兵としての偽装の軍服の下にドイツ軍空挺部隊の正式な軍服を着込んでいる(*5)、理由」。原作ではこれも「理不尽な上層部からの命令」となっているが、映画では「ドイツ軍空挺部隊としての意地と矜持」で、かなり強引に上官たるマックス・ラドル大佐に「事後承認」させている。

 もう一つは、軍装品とか小道具に対する、こだわり、だ。結構有名なのが、「背景としてチョイと映る、ためだけに、本物の三号突撃砲戦車を借り出して撮影したこと」。態々博物館から借りて来たからか、鉄道貨車に偽装も何も無しの「裸の状態」で背景に納まっており、「マニア垂涎のシーン」と言っても、過言ではあるまい。私(ZERO)というマニアが断言しているのだから、間違いない。

 相前後して背景に映る「5号中戦車パンテルと思しき戦車」が入念に偽装されている(と言うより、偽装することで「偽物であること」を誤魔化し/誤魔化せている。)のとは、鮮やかな対比を見せている。

 

 この映画の名シーンとして特筆大書したいのは、義勇ポーランド人部隊と言う偽装がバレ、村の教会に籠城することを決めた後のシーンだ。「秘密の脱出路」がアイルランド人・リーアム・デブリンの活躍で発見され、これを受けて、「我々には、未だ。(任務である)チャーチル首相誘拐を遂行可能だぞ。」と楽観的に(”朗らかに”と言って良いぐらいに)告げる主人公・シュタイナー大佐に対し、部下のドイツ空挺隊員達は、「ですが、全員で脱出すれば、失敗します。」と反論する。

 

https://www.youtube.com/watch?v=2sASzlG3Is4

 

 

 「Very probably. Do You have a suggetstion ,Right?

    大いにあり得ることだな。何か妙案があるんだろ?違うか?」と楽しげに問う大佐に、部下は、

 

 「You go ,and We stay. 大佐お一人で行って下さい。

  我々は、可能な限り、此処を支えます。」

 

 流石に表情を変え、二の句が継げない体の大佐だが、別の部下(*6)がこともなげに言う。

 

 「援護射撃の開始は、30秒後で宜しいでしょうか。大佐殿。」

 

 これぞ、薩摩兵法で言う「捨てがまり」。我が身を捨て、犠牲とすることで、味方の撤退を援護する。部下達の覚悟と意気に感じた(と、私(ZERO)には思われる)大佐は、「Yes 宜しい」と短く答え、死地に残る部下達と今生の別れとなる敬礼を交わす、のである。

 

 映画のこのシーンも、小説を忠実に実写化しており、「ドイツの軍人を、苦悩する血の通った人間として描いた」と、上掲毎日記者でも評される所以である。上記シーンの一寸前の米軍レンジャー部隊との交渉で教会に閉じ込めた村人達を解放するシーン(*7)も、その前の「ポーランド人義勇部隊という偽装がバレる」シーンも、一寸後の「ブローニングM2 12.7mm車載機関銃の威力(*8)」共々、忘じ難いモノがある。

  •  
  • <注記>
  • (*1) 魚雷を2本上下に並べてくっつけ、上の方の魚雷にバイクの様な操縦席を付ける。操縦手は上の方の魚雷に潜水服を着てまたがって操縦し、目標である敵艦へ肉薄して、下の方の魚雷を発射する。
  •  サッサと退避しないと、目標に命中した魚雷の爆発が水中を圧力波として伝わり、攻撃した操縦手も巻き込む。 
  •  
  • (*2) シュタイナー大佐自身はネイティブ並みに英語ペラペラだが、部下の空挺隊員はそうは行かない。 
  •  
  • (*3) キーファー・サザーランドの親父で、「クローンじゃぁ無かろうか」ってぐらいにソックリ。無論、「クローンじゃ無かろうか」なのは、息子のキーファーの方だが。 
  •  
  • (*4) あと、登場シーンは少ないが、結構インパクト大なのが、ヒムラー秘密警察長官兼副総統を演じる名誘・ドナルド・プレザンス。シュタイナー大佐の直属の上司をアイパッチを着けて演じるロバート・デュパルも、渋い。 
  •  
  • (*5) ご丁寧に、ドイツ軍特有の鉄十字勲章までつけている。 
  •  
  • (*6) この人は、テレビシリーズ「0011ナポレオンソロ」で主人公ナポレオンソロ(ロバート・ボーン)の相棒であるロシア人・イリヤ・クリヤキンを演じた俳優だ。多分。 
  •  
  • (*7) 原作には、此処で「叔父さんは、どうしてドイツ軍なの?」って、名科白があるんだが、映画には無い。 
  •  
  • (*8) 建物粉砕 

 

  • .ヒギンズ作品の魅力

 映画化されると一寸判りにくいが、ジャック・ヒギンズ作品の魅力の一つは、「やたらに詳細で綿密な人物プロフィール」である。主人公のプロフィールが詳細なのは、「ままあること」ではあろうが、悪役・敵役・憎まれ役にも、相応のプロフィールが「書き込まれ」ており、これは、一寸映画化・実写化は難しい部分。またそのプロフィールが、色んな所で「意味を持って」居り、伏線ともなっていたりする。それが読者の「思い入れ」を深める効果も、ある(狙って、かどうかは、疑義の余地があるが。)。

 例えば、「裁きの日」の敵役に「東側諜報機関が雇う、拷問と洗脳の専門家」ヴァン・ビューレンってのが登場する。コイツの「憎たらしさ」と来たら、「その名を思い出すだけで、腸が煮えくり返る、気がする」レベル。「小説上の架空の人物」に対して、それほどの感情を私(ZERO)に抱かせるのは、ジャッ・ヒギンズの筆力と、その詳細綿密な人物プロフィールの為せる技であろう。

 一方で、その「裏返し」とでも言うべきか、「主人公の経歴がどれも似通っている/似通ってくる」と言うのも、否めない。ヒギンズ作品は第2次大戦から冷戦時代までのモノが多いのだが、「主人公の経歴が似通った」結果として「年齢を誤魔化して、徴兵年齢に達しないのに第2次大戦に従軍した」なんて(一寸無理のある)経歴になったりする。まあこれも、「一種のご愛嬌」だと、私(ZERO)は思っている。
 

  • 「我が師」たる資格

 尤も、「詳細綿密な人物プロフィール」が「登場人物への思い入れ」の十分条件ではないだろうし、これだけで「自動的に我が師となる」訳も無い。冒頭に述べた「森羅万象皆我が師」とは矛盾する様だが(それだけ「言うは易く、行うは難い。」と言うことでも、ある。)、「我が師と呼べる小説家」の小説には、「我が師と呼べるだけの"教え"」が、不可欠であろう。

 「小説によって得られる”教え”」とは、基本的に「登場人物の生き方/生き様」に他なるまい。事実、我が師と呼ぶジャック・ヒギンズ作品の登場人物達の生き方/生き様はには、多くの"教え"があり、その"教え"が我が琴線に触れるからこそ、「我が師」と呼ぶに至っている。
 
 例えば、「サンタマリア特命隊」の主人公・エメット・ケオーを取り上げよう。舞台は1922年と言うから戦間期のメキシコ。革命と粛正の嵐が吹き荒れるこの血で、主人公は「トリガーガードを削って早撃ちに特化したリボルバー(*1)」片手に、あれやこれやあって最後の戦いに「ラスボス」を倒した、後のシーンだ。

 この戦いで負傷したエメットは、「此処でこの銃を投げ捨てれば、物語は完結する。」と自覚(&自嘲?)しつつ、「それは、エメット・ケオーのやり方ではない。」とキッパリと否定し、負傷して不自由な手で愛用の(トリガーガードの無い)リボルバーに新たに弾を込めていく、ってところで、この小説は終わる。

  ここに至るまでは、「やたらにマシンガン射撃が上手い生臭神父( バイオリンケースの中にトンプソン短機関銃を隠し持ち、いざというときには颯爽とそれを取りだして、盛大にぶっ放す。 )」や「衝撃で口のきけなくなったヒロイン(*2)」との出会いとか、色々あるんだが、そこは端折って、この「ラストシーン」から、私(ZERO)が受けた「教え」を解説するならば・・・
 
 先ず、「生きろ」。それも「強く生きろ。」って強烈・強靱なメッセージであり、「強く生きる」ための「武器・武力の重要性・致命性」であろう。此処では「リボルバーへの銃弾再装填」と「リボルバーの放棄・投棄」との鮮明な対比として描かれている。「エメット・ケオーのやり方」と矮小化し、自嘲さえしているようだが、それは正に「普通のやり方」であり、「責任ある/責任感ある、男のやり方」である。ギャビン・ライアルの「深夜プラス1」主人公の決め科白「Cause, I'm Canton これが、俺流のやり方だ。」にも、通じるモノがあろう。
 
 即ち、私(ZERO)は、「サンタマリア特命隊のラストシーン」に、憲法9条なんて、役に立つかよ。」って「政治的メッセージ」を(も)読み取っているのである・・・まあ、「憲法9条信者」では、冒険小説の主人公は務まらんわなぁ。モブキャラとしてアッサリ殺されてお終い、だろう(*3)。

 ジャック・ヒギンズ作品は基本的に冒険小説であり、それ故に主人公は何らかの試練・逆境・危機に立たされ、それを何らかの形で「乗り越える」事になる。無論、そこは小説であり「都合の良い絵空事」であるから、試練・逆境・危機に主人公が押し潰されて敗退し、死亡ないし完全屈服する、なんてことは(基本的に)無い。

 その「試練・逆境・危機の超越」を、如何に、如何なる態度で実現するか、が一つの「冒険小説の主人公の見せ場」だ。ヒギンズ作品の主人公達は、多くの場合チョイと(或いは、大いに)斜に構えている、皮肉屋だ。エメット・ケオーは、「私は何事も、滅多に気にしない。」と言い切るし、リーアム・デブリン(*4)は、「この世は、万能の神様が作り上げたヘタな冗談事。」と断定・断言する。だが、その「シニカルな皮肉屋」が、何かの拍子で「ヘタな熱血漢も裸足で逃げ出す様な”熱さ”」を見せる。見せつけてくれる。
 
 その”熱さ”が、「我が師の教え」ともなれば、「ヒギンズ作品の魅力」ともなる。一種の「ギャップ萌え」とも、言えそうではあるな。

 先述した映画「鷲は舞い降りた」の「捨てがまり」シーンで言うならば、「教会に籠城(って事は、教会内に包囲された、ってことでもある)」という「逆境」に対し、(リーアム・デブリンが探り出した)「脱出路の発見」という朗報。「これで任務(チャーチル誘拐)は未だ継続できる。」と(楽しげ、と言いたくなる程、朗らかに(*5))宣言する主人公・シュタイナー大佐に対し、任務完遂のために死地への残留を提案する部下の空挺隊員達。それを受けて、脱出を決意し、今生の別れとなる経営を交わす、大佐と部下達。

 「未だ、死ぬと決まった訳ではない。
 だが、どうせ死ぬのなら、時と場所は、自分で選びたい。」


 「教会への籠城」に先立ち、教会内に居た村人達を解放した後、米レンジャー部隊隊長に対して決めた、シュタイナー大佐の科白が、実に良く「効いて」要る。ナンとも、「熱い」話では無いか。

 そんな数々の「教え」を小説として具現化した(ジャック・ヒギンズは、多作な作家としても知られている。)、ジャック・ヒギンズ師の訃報である。92歳という御長命を寿ぎながら、ご冥福をお祈りするばかりである。

  • <注記>

  • (*1) エンフィールド、だったかなぁ。「気をつけて。その銃はヘアトリガー(引き金が軽い銃)として有名だ。」と、当人も言っている。真似して、モデルガンのトリガーガードを削り落とした「エメット・ケオー・スペシャル」を作った、覚えがある。 

  • (*2) で、主人公の危機に、思わずその名を叫び、言葉を取り戻す。 

  • (*3) 「北斗の拳」に、そんなモブキャラが、居たなぁ。無論、拳王に瞬殺された。 

  • (*4) 「鷲は舞い降りた」では主人公シュタイナー大佐の助っ人的立場だが、彼を主人公にした作品も、ある。 

  • (*5) いやあ、マイケル・ケインの優男ぶりが、こう言う演技には、光るねぇ。 


 

  • 我が師の魂に平安のあらんことを

 而して、ジャック・ヒギンズやアリステア・マクリーンの「後を継ぐ者」が、あらんことを、祈ろう。

 冒険小説やスパイ小説は、ソ連邦崩壊=冷戦終結時に「絶滅を危惧された」ジャンルである。だが、別に東西冷戦が無くなったぐらいで、冒険やスパイの舞台が無くなった訳では無いし、何も今現在の現代社会を舞台にしなければならない理由も無い。時間軸方向にも空間軸方向にも、延翼の余地はあろうというモノだ。
 
 「冒険小説に対する需要が減り、売れず、利益が上がらない」となると、「職業としての冒険小説作家」は「昔より成立しがたい」のかも知れないが、一方でライトノベルやネット上の小説などで、「趣味として、ないし商売ならざる冒険小説」は、昔よりも成立しやすく、成功する可能性も上がっていそうだ。
 
 って事は、だ。理論上・理屈上、「私(ZERO)が、ジャック・ヒギンズの衣鉢を継ぐ冒険小説家となる/なれる」可能性も、「無い、では無い」と、言えそうだ・・・「言うだけならば」、だが。

 冒険小説(と思える作品)を書いた覚えは無いけれど、恋愛小説やビジネス小説よりは、まだ「書けそう」な気がするな。冒険小説的な作品ならば、書いているしな。

 だが、「ジャック・ヒギンズの衣鉢を継ぐ」となると・・・先ず、主人公のプロファイル作りから入るののかなぁ。出来るとしても、先は長そうだぞ。

  • .だから、その「平和憲法」を民意が否定しているんだろうが。-【琉球新報社説】「敵基地攻撃」賛意大勢 平和憲法逸脱許されない

 下掲するのは、琉球新報社説である。今日も今日とて「ロシア軍によると思われるウクライナの民間人虐殺」には頬かむりして、本日の「お題」は「敵基地攻撃能力」である。

 下掲社説及びタイトルにもある通り、「敵基地攻撃能力保有容認(と言うより、推奨)」が政府主催の有識者ヒアリングで大半を占めた上、世論調査結果では「過半数にこそ至らぬモノの、半数近い最大多数が敵基地攻撃能力保有に賛同した」と言う現状に対して、平和憲法守れ!敵基地攻撃能力許さん!!って主張だ。

 「発狂」としか言いようが無いな。或いは、「異論/異説に対する寛容の根源的欠如」か。
 

 

(1)【琉球新報社説】「敵基地攻撃」賛意大勢 平和憲法逸脱許されない

  • 【琉球新報社説】「敵基地攻撃」賛意大勢 平和憲法逸脱許されない

「敵基地攻撃」賛意大勢 平和憲法逸脱許されない

 

 

https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1497261.html

 

2022年4月6日 05:00

社説

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【1】 外交・安全保障政策の長期指針「国家安全保障戦略」などの改定を巡り、政府が実施した有識者ヒアリングでは相手国内でミサイル発射を阻止する「敵基地攻撃能力」保有を求める意見が大勢を占めた。

 

【2】 有識者は外交・防衛分野の高官OBが中心だ。「結論ありき」との批判は免れない。議事録も公開されておらず、検証ができない。戦後の安全保障政策を根底から転換しかねないにもかかわらず検討の在り方は極めてずさんである。

 

【3】 最たる問題は、能力保有を認めれば日本の安全保障の国是である「専守防衛」を転換し、平和憲法の理念を大きく逸脱することである。断じて容認できない。保有すれば核攻撃の標的になるリスクを一層高める。保有の問題点やリスクを詳細に検討し、主権者である国民に示すべきだ。

 

【4】 保有への動きは日米合作といえる。岸田文雄首相は1月、バイデン米大統領とのテレビ会談で、日本の防衛力強化に向け敵基地攻撃能力の保有を含め、あらゆる選択肢を検討すると述べ、支持を得た。

 

【5】 日本が「盾」で米国が「矛」という従来の日米同盟の役割分担は、能力保有により、日本が米国の「矛」に合流する。米国の戦争に巻き込まれる危険性が高まる。国民の命を米国に預けるような行為だ。

 

【6】 共同通信が2月に実施した世論調査では、能力保有に賛成は49.1%、反対は45.1%と賛否が二分した。保有がどのような危険を招くかについて国民的な議論がない一方、ロシアのウクライナ侵攻に乗じて保有をあおる空気になっていないか懸念される。

 

【7】 実際、安倍晋三元首相は講演で敵基地攻撃能力の対象を基地に限定せず「中枢を攻撃することも含むべきだ」と主張、来年度防衛費当初予算で約6兆円の確保を求めた。実弟の岸信夫防衛相は共同通信の取材に本年度予算からの大幅増に意欲を表明。中枢も含めて対象とする議論は「大切だ」と述べた。危険なのは、能力保有の延長線に米国の核兵器を日本に配備して共同運用する核共有論があるからだ。

 

【8】 核配備を考える前に、そもそも日本には50基以上の原発があり、そこを狙われるとすぐさま壊滅的被害を受けることを想像する必要がある。攻撃能力や核を保有すれば、相手からの激しい核攻撃にさらされる恐れがあり、むしろ安全性は格段に落ちる。

 

【9】 中でも沖縄は危険だ。米軍は沖縄を含む「第1列島線」に核弾頭が搭載可能な中距離ミサイル網の構築を狙う。長距離極超音速ミサイルなども2023年末までに配備可能という。宮古島の陸自のミサイルは改良が進む。いずれ敵基地を攻撃できるミサイルに改良されるとみられている。

 

【10】 沖縄はますます「標的の島」となる。決して再び戦場にしてはいけない。日本政府は軍備強化で相手国を刺激するのではなく、有事に発展しかねない火種を平時から取り除く外交努力に徹するべきだ(*1)。

 

  • <注記>
  • (*1) ロシア侵略下にあるウクライナが、「和平交渉の相手になっている」のは、ウクライナ軍とウクライナ人の奮闘努力と死闘のお陰であり、その「死闘」の相当部分は字義通りの「戦闘」であって「外交努力」ではない。
  •  「外交努力さえしていれば、外交は出来る。」等と、勘違いするンじゃぁ無いぞ。外交も戦争も、国益追求の手段で、表裏一対だ。 


 

  • 「改憲は、国民投票で決する」筈なのに、「民意は無視して、”平和憲法”守れ!」って、「憲法信仰」。


 上掲社説タイトルから十分予想された事だが・・・「一体何を言っているのか、一読ぐらいではサッパリ判らない」社説。ここまで「一読ぐらいではサッパリ判らない」社説も珍しい。チョウセン紙には良くあるんだが、琉球新報はチョウセン紙ではない。(多分。)

 だが、異論異説は「己が嗜好の水平線を広げる好機」たり得る。気を取り直して、上掲琉球新報社説の論旨・ロジックを追っていくことにしよう。

 【パラグラフ1】は、「政府の有識者ヒアリングで、敵基地攻撃能力保有論が大勢を占めた。」と言う事実報告。【パラグラフ2】はそのヒアリングでの「議事録が公開されないことに対する不満」だ。

1> 戦後の安全保障政策を根底から転換しかねないにもかかわらず検討の在り方は極めてずさんである。

等と、尤もらしく書いて入るが・・・開催されたのは「有識者ヒアリング」であり、有識者に参考意見を求める場。此処で「敵基地攻撃能力保有を決定した」訳でも無いのに、何が「検討の在り方は極めてずさん」なのだろうか。議事録非公開が不満とのことだが、自由闊達な議論には非公開のヒアリングの方が適するって考え方もあろうに。
 大体、戦後の安全保障政策」とやらは、ほぼ一貫して「専守防衛」なのだから、あらゆる「変化」は「根底から転換しかねない」に違いない。而して有識者ヒアリングで「従来従前通りの専守防衛論」しか出て来なかったら、それこそ「有識者ヒアリングの意味・意義が無い」事になるし、「有識者の見識自体」が問われることになろう。
 
 言い替えれば、「有識者ヒアリングでは、戦後安全保障政策を転換しかねない意見・提案が、あって当然。」なのであり、「それが無いのは、有識者ヒアリングの機能不全」なのである。
 
 であるならば、上掲琉球新報【パラグラフ2】「有識者会議議事録非公開への不満」は、単なるイチャモンでしか無い。そのイチャモンは、続く【パラグラフ3】で(一つの)頂点に達する。

2> (敵基地攻撃)能力保有を認めれば日本の安全保障の国是である「専守防衛」を転換し、
3> 平和憲法の理念を大きく逸脱することである。断じて容認できない。

 

・・・さて、「我が国に、成文化した”国是”なるモノは、無い。」とは、再三繰り返してきたことだが、それは置いたとしても、私(ZERO)が問いたいのは、上記3>にて「敵基地攻撃能力保有」に対して「平和憲法の理念を逸脱する」と判断し、「断じて容認できない」のは、「誰か?」と言うことである。上記2>~3>上掲社説【パラグラフ3】の「主語」は、誰か、何者か、と言う問いである。

 どう考えても、上掲琉球新報社説【パラグラフ3】の主語は、「琉球新報」自身である。別に琉球新報が「専守防衛は日本の国是」と考えようが、その考えに基づいて「敵基地攻撃能力保有は、平和憲法の理念を逸脱し、容認できない。」と主張しようが、勝手ではある。続く【パラグラフ4】で「日本の敵基地攻撃能力保有(検討)は、米国も了承済み」と報じ、ちょっと先の【パラグラフ6】で「世論調査の結果は、敵基地攻撃能力保有賛成が優勢」との事実も踏まえれば、「日米安保体制の相手国である米国も、日本国民も、”容認”している敵基地攻撃能力」に対して「断じて容認できない」と宣う琉球新報社様は、一体何様の心算なんだろうねぇ。

 【パラグラフ5】は、【パラグラフ4】「米国の容認」のオマケで、「従来は、"米国が矛。日本が盾。"だったのにぃぃぃぃ!」と言う、一種「米国に対する恨み節」でしか無い。大体、「米国が矛。日本が盾。」とされていた頃でも、「日本が敵基地保有能力を議論すること」自体は禁じられていた訳では無い、筈だ。「現在・現役の防衛方針が、招来の防衛方針変更議論を禁じるモノ」ではあるまいに・・・イヤ、十中八九、”平和主義”とか"専守防衛"とかの”日本国憲法に基づいた”従来従前の防衛方針は、将来の防衛方針変更議論を禁じるモノ」と、琉球新報は考えて居そうだな。

 だぁかぁらぁ、「憲法信者」とか「憲法教徒」とか、私(ZERO)は呼ぶし、揶揄するし、痛罵さえするんだぞ。左様、「憲法信者」とか「憲法教徒」と言うのは、貶し言葉であり、罵詈雑言に近い。私(ZERO)の感覚では、な。

 【パラグラフ7】は・・・安倍元首相は敵基地攻撃能力から更に敵中枢攻撃能力や核共有まで言及しているぅぅぅぅ!ますます許せん!である、らしい。一体琉球新報は、「言論の自由」とか「思想信条良心の自由」とか「自由闊達な議論」とか、更に遡って「異論・異説に対する寛容」ってのを、一体どう考えているんだろうねぇ。

 【パラグラフ8】に至っては、「発狂」の一語に尽きそうだ。先ず核共有よりも、敵の攻撃に対し脆弱な原発が危険で問題だ。と言い出す。核共有と原発防護は全く別の問題だ、と思う暇もあればこそ、

4> 攻撃能力や核を保有すれば、相手からの激しい核攻撃に晒される恐れがあり、むしろ安全性は格段に落ちる。

・・・軍備なんか持つから、戦争になる。」「攻撃力なんか持つから、攻撃される。と言う、傘なんか持つから、雨が降るんだ。」理論。昔からこう言う「安全保障上の白痴」は居る/居たンだけど、今でも居るんだねぇ。一頃よりは大部減った、と思ったんだがな。

 「我が国の原発を攻撃した国には、通常兵器の依る攻撃であろうとも、核報復を実施する。」と宣言する事で「原発攻撃を抑止する」って発想は、琉球新報には無さそうだ。それが必要で「日本国憲法違反」ならば、憲法を変えるだけの話。「国是に反する」ならば、国是だって変えるべき。「国是守って国が滅びる」なんてのは、本末転倒だ。

 【パラグラフ9】~【パラグラフ10】は、特に沖縄は危険だぁぁぁぁ!だが(*1)、その認識自体は「正しい」だろうな。何故か沖縄二紙はすっかり忘れているようだが、中共は我が領土たる(且つ、沖縄の一部である)尖閣諸島に対し「核心的利益」なる侵略宣言を既に為している。正に沖縄は、最前線だ。
 で、その最前線たる沖縄を、

5> 沖縄はますます「標的の島」となる。決して再び戦場にしてはいけない。

って「単なるかけ声」と、

6> 日本政府は軍備強化で相手国を刺激するのではなく、
7> 有事に発展しかねない火種を平時から取り除く外交努力に徹するべきだ。


と言う軍備増強しない外交努力」だけで、ナントカしろと日本政府に要求できてしまうのだから、図々しいったら無いな。

 外交は、弾丸を使わない戦争だ。
 戦争は、弾丸を使う外交だ。

 
 その事を幾許かでも理解していれば、「軍備増強しない外交努力」なるモノが如何に空虚な空論であるか、判りそうなモノだが・・・先ず、無理だろうな。琉球新報には。

 さて、以上の様に「発狂した」としか思えない様な琉球新報社説から、琉球新報社の思想/思考について(改めて)確認できることがあるな。即ち、琉球新報は、以下の様に考えて居る。

 ① 専守防衛は、日本の国是
 ② 日本国憲法は絶対不可侵の不磨の大典
 ③ 攻撃力を持つと、攻撃される


・・・ウン、矢っ張り気違いだ。他に一寸評しようが無い。特に上記③は致命的だな。「抑止力」とか「抑止論」ってのが、全く通用しないんだから。
 
 冷戦が冷戦のまま終わったのが何故なのか、琉球新報はどう考えてるんだろうねぇ。是非、じっくりとっくり聞かせて貰いたいぐらいだ。

 「"武"と言う字を見るが良い。"戈(ほこ)を止(とど)める"とある。
 "それ、抜くぞ。覚悟!"と見せながら、遂には抜かずに収める。
 これが”武術”と言うモノじゃ。」


 講談社の講談文庫「講談 猿飛佐助」第一話における、佐助の「忍術(*2)の師匠」たる戸沢白雲斎先生最初の教え、だ。この名科白に人生の早い段階で出会い、覚えておいたことは、「我が生涯屈指の幸運」ではないかと、思うことがあるぞ。
 
 逆に琉球新報社のお歴々は、斯様な名科白には出会わなかった(か、出会っても何ら得るモノがなかった、か。)のだろうな。ご愁傷様な事だ。

  • <注記>
  • (*1) 因みに沖縄電力は日本の大手電力会社の中で唯一「原発を持たない電力会社」だ。つい先刻「攻撃に対して脆弱な原発は危険だぁ!」って主張していたのだが、その危険に対しては「沖縄は日本で一番安全」なのである。
  •  ああ、攻撃されるのが日本の原発である場合は、な。 
  •  
  • (*2) そこは、「講談の忍術」であるから、大ガマをどこからともなく召喚したり、気合い一つで透明人間になったり、超能力も魔法も裸足で逃げ出しそうな荒唐無稽な術、なんだんが。 




 

  • ロシア軍のウクライナ虐殺と、アカ新聞各紙の社説

 有り体に言って、ロシア軍と言えば、「略奪と強姦」で悪名高いのである。第2次大戦下では「ソ連軍(*1)」として、西は東ベルリンから東は満州、樺太、北方領土まで席巻したロシア軍(*2)は、行く先々で「略奪と強姦」をほしいままにした。
 なればこそ、映画「氷雪の門」に描かれ、稚内に立つ「九人の乙女の碑」として後世に残されている樺太・真岡郵便局の交換手(*3)達は、真岡郵便局交換台を文字通りに「死守」し、最後はロシア兵の毒牙から免れるため、全員服毒自決して果てたのである。

 真岡郵便局の交換手達「九人の乙女」は服毒自決であるから、「戦争の悲劇」ではあっても「虐殺」とは呼べまい。だが、虐殺でもロシア軍は実績十分で、第2次大戦末期のスモレンスク近郊カティンの森にて、ポーランド軍将校ら二万人以上を虐殺して遺体を埋めている。

 かてて加えて、ロシア軍は「軍紀粛正ならざる」事でも有名である。「粛正ならざる軍紀」の意味するところは、カティンの森の様な「上官の命令に従って(*4)の組織的な虐殺・略奪・強姦」ばかりでは無く、下部組織や個人による「組織的ではないが、統制もされていない虐殺・略奪・強姦」も生起しうる/生起しやすい。と言うことだ。

 であるならば、ロシア軍が撤退したキーウ(キエフ)近郊で「ロシア軍が虐殺したと思しき遺体が多数発見された。」というニュースは、「想定内」とは言わないが、「或程度予想できた」事。このニュースに対しロシア政府が「虐殺への関与を否定」した上、「虐殺は、西側向けの捏造/プロパガンダ」と言わんばかりなのは、ある意味「想定内」であるな。

 因みに、カティンの森虐殺について、当時ソ連政府は「これはドイツ軍占領下にドイツ軍が虐殺したモノだ。」と反論だか弁明だかをしていたから、まあ、「歴史は繰り返す」って奴だな。

 さて、前置きが長くなったが、かかる「21世紀のカティンの森虐殺」を受けて、日本のアカ新聞どもも一斉に「ロシアの戦争犯罪非難」の社説を掲げている。

①【朝日社説】侵略の惨状 戦争犯罪を非難する
②【毎日社説】ウクライナ侵攻 首都近郊のの虐殺 露は独立調査受け入れを
③【東京新聞社説】キーウ州で虐殺 戦争犯罪を重ねるな
④【沖縄タイムス社説】[ブチャの惨状]おぞましい戦争犯罪だ
 

  • <注記>
  • (*1) その一部がウクライナ人であったのも事実だ。ソヴィエト連邦を構成する共和国で2番目に大きいのがウクライナで、1番目がロシアだった。 
  •  
  • (*2) ウクライナ人含む 
  •  
  • (*3) 「交換手」ってのも、死語だよねぇ。その昔電話は、電話口で交換台を呼び出し、交換台に就いた交換手が手動で電話回線を相手側へと接続していた。 
  •  
  • (*4) カティンの森虐殺については、当時の最高権力者スターリンの命令が出ている。 




(1)☆①【朝日社説】侵略の惨状 戦争犯罪を非難する

  • ☆①【朝日社説】侵略の惨状 戦争犯罪を非難する

  • 侵略の惨状 戦争犯罪を非難する

 

 

https://www.asahi.com/articles/DA3S15256759.html?iref=pc_rensai_long_16_article

 

2022年4月5日 5時00分

 

 おぞましい惨劇である。この残酷な侵略戦争の結果を断じて容認できない。国際機関による真相解明を進め、責任者を処罰しなければならない。

 

 ロシア軍が撤退したウクライナの首都キーウ(キエフ)近郊で、多くの遺体が見つかった。地元の住民らとみられ、現場の映像などが報じられている。

 

 ウクライナ当局によると、ブチャという町で少なくとも410人にのぼる。後ろ手に縛られていたり、地雷をしかけられたりしていた遺体もあった。

 

 ロシア政府は関与を否定しているが、そもそも彼らの侵攻で起きた戦禍である。これまでもロシア軍は病院や住民の避難所への攻撃を重ねてきた。

 

 今も戦闘が続く南部マリウポリでは、住民約5千人が死亡したとされる。今回は、ロシア軍の撤退した首都圏で、国際メディアが確認できたものだ。

 

 この現場を見るだけでも、ロシア軍が非武装の住民を非道に扱っている疑いは濃厚だ。東部や南部の激戦地域を含めた人道被害全体を考えると、国際法違反の戦争が生んだ「戦争犯罪」の規模は甚大であろう。

 

 国連事務総長は今回の報道に「衝撃を受けた」とし、停戦と責任追及を呼びかけた。すでに開戦以降、多くの国からの要請を受けて、国際刑事裁判所(ICC)が捜査を始めている。

 

 国連の常設機関である国際司法裁判所は3月に、軍事行動を中止するよう暫定的な命令を出している。こうした求めを侮蔑してきたロシアの独善は、強く非難されるべきだ。

 

 ロシア軍は首都圏の周辺から部隊を引いた一方、東部や南部での攻勢を強めている。首都の攻略に失敗したため、ロシア国境に近い地域での占領地を広げる狙いがあるのだろう。

 

 プーチン大統領は、ウクライナとの首脳会談にも応じていない。首都圏からの撤退の理由として「信頼醸成」や「停戦協議に向けた条件整備」が語られてきたが、即時停戦の意図はないことがはっきりしてきた。

 

 プーチン氏は、ロシアの最重要の祝日とされる5月9日の対ナチスドイツ戦勝記念日を意識しているとの見方が強い。その日にウクライナでの「勝利」を演出して国民の支持を強めたい思惑とみられている。

 

 仮にそうだとすれば、少なくとも今後1カ月以上の間、戦闘は続く。何の罪もない住民を巻き込む、さらなる戦争犯罪が繰り返される可能性が高い。

 

 プーチン氏は人道に反する蛮行をただちに中止し、停戦協議のテーブルに着くべきだ。その実現のために、日本を含む国際社会は、より実効的な追加制裁を科すほかあるまい。

 

  • ☆②【毎日社説】ウクライナ侵攻 首都近郊のの虐殺 露は独立調査受け入れを

  • ウクライナ侵攻 首都近郊の虐殺 露は独立調査受け入れを

 

 

 

https://mainichi.jp/articles/20220405/ddm/005/070/090000c

 

朝刊政治面

毎日新聞 2022/4/5 東京朝刊 English version 854文字

 ロシア軍に占領されていたウクライナの首都近郊ブチャで、市民とみられる遺体が多数見つかった。重大な人権侵害が起きた可能性がある。調査によって、真相を明らかにしなければならない。

 

 キーウ(キエフ)周辺からの露軍撤退後、現地に入ったジャーナリストなどが目撃した。ネット交流サービス(SNS)にも、路上に横たわる遺体の画像が投稿されている。

 

 

 ブチャ市長は280人を埋葬したと明らかにした。ウクライナ司法当局によると、殺害された民間人は400人を超える。実際の被害はより深刻だとの見方がある。

 

 ウクライナ政府側は露軍による虐殺だと主張し、欧米諸国や日本もロシアを批判している。

 

 一方、露国防省は民間人殺害を否定し、遺体の写真や映像について、「ウクライナ政府が西側メディア向けに用意した作り物だ」と反論している。

 

 

 欧州ではボスニア・ヘルツェゴビナ紛争中の1995年、イスラム教徒約8000人が犠牲になる「スレブレニツァ虐殺」が起きた。今回はそれ以来の大規模殺害になる可能性も指摘されている。

 

 20世紀前半に起きた2度の世界大戦では、多くの市民が命を落とした。その教訓から、国際社会は49年、ジュネーブ条約を改正し、戦時であっても民間人を攻撃対象とせず、捕虜を人道的に扱うことを決めた。

 

 

 しかし、ウクライナでは産科病院や、子どもが避難する劇場が空爆された。これらの行為は戦争犯罪に当たるとみられる。今回、組織的に民間人が大量に殺害されたとすれば、「人道に対する罪」に該当する疑いも出てくる。

 

 ウクライナ司法当局は住民の証言などを集め、実態の解明に乗り出す考えを表明している。ただ、一方の紛争当事者だけによる調査では客観性を欠き、ロシアが受け入れない恐れがある。

 

 

 国連のグテレス事務総長は声明で、「独立した調査」によって、惨劇を引き起こした責任の所在を明らかにするよう求めている。

 

 このままではジュネーブ条約が形骸化しかねない。民間人殺害を否定するのなら、ロシアは独立した国際機関による調査に同意し、積極的に協力すべきだ。

(3)☆③【東京新聞社説】キーウ州で虐殺 戦争犯罪を重ねるな

  • ③【東京新聞社説】キーウ州で虐殺 戦争犯罪を重ねるな

  • キーウ州で虐殺 戦争犯罪を重ねるな

 

 

https://www.tokyo-np.co.jp/article/169854?rct=editorial

 

2022年4月5日 08時15分

 

 その残虐行為を最も強い言葉で非難する。ロシア軍が撤退したウクライナのキーウ(キエフ)州で、多数の市民の遺体が見つかった。ロシア軍による虐殺の疑いが濃厚である。ロシアは度重なる戦争犯罪をやめて、停戦・撤退に応じるべきだ。

 待ちかねたウクライナ軍兵士に抱きつく住民がいる一方で、ロシアの軍用車両の残骸が散らばる路上には、横たわる遺体。後ろ手に縛られた遺体もある?。ショッキングな出来事に国際社会からはロシアへの非難が一斉に上がっている。ロシア国家の尊厳は地に落ちた。

 西側はロシアに追加制裁を科す構えだ。人道危機の広がりを食い止めるためにも、国際社会が一致してロシアへの圧力を強める必要がある。

 ロシアの非道ぶりは目に余る。ウクライナ南東部の港湾都市マリウポリでは、女性や子どもが避難していた劇場が空爆されたのをはじめ、無差別攻撃によって大半の建物が破壊された。ロシア軍によって強制的に連れ去られた住民もいる。

 非戦闘員への無差別攻撃や民間人の拉致は、国際人道法が禁じる戦争犯罪である。戦争犯罪を裁く国際刑事裁判所(ICC)は捜査を開始している。ロシアは虐殺事件の真相を明らかにすべきだ。

 ところが、ロシアは相も変わらず関与を否定している。ロシアの元軍人らが訴追されたウクライナ上空でのマレーシア航空機撃墜事件、国家ぐるみと認定されたソチ冬季五輪での大規模なドーピング不正でも、ロシアが非を認めたことはない。

 そんな倫理観が欠如したプーチン体制の体質も、軍の残虐行為を助長させているのではないか。

 ICCは個人の犯罪を裁くので、戦争犯罪にかかわった一線の兵士、それを命じた上官も訴追対象になる。

 加えて、軍の最高司令官であるプーチン大統領の責任も厳しく問われなければならない。ウクライナ侵攻自体が国際法違反である。侵攻を命じたプーチン氏への捜査も行われるべきだ。

 

  • ④【沖縄タイムス社説】[ブチャの惨状]おぞましい戦争犯罪だ

  • [ブチャの惨状]おぞましい戦争犯罪だ

 

 

https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/937678

 

2022年4月5日 07:52

 

 写真は、人の残虐性と破壊の限りを尽くした跡を映し出していた。

 

 ウクライナがロシアから奪還した首都キーウ郊外の都市ブチャで、民間人とみられる多数の遺体が見つかった。ロシアが侵攻を始めた2月24日以来、首都攻防の戦場になっていた。市民の殺害は国際人道法に反し、さらにジェノサイド(大量虐殺)条約違反の疑いも強まっている。

 

 ロシア軍撤収後に現地入りした各国メディアが惨状を伝えている。地下室では体の一部が切断された子どもの遺体もあったという。耳が切り取られ、歯が抜かれていた複数の遺体は、民間人が拷問された痕跡を示唆している。

 

 街中に地雷が仕掛けられ、爆弾は遺体にも付けられていた。ウクライナ政府は当面の間、市民に帰還しないよう呼びかけている。

 

 ウクライナのゼレンスキー大統領は交流サイト(SNS)で道路に放置された遺体の写真を公開。米CBSテレビで「これはジェノサイドであり、国家と民族の破壊だ」と激しく非難した。

 

 人口約4万人のブチャは約1カ月にわたりロシア軍の制圧下に置かれていた。しかしロシアは期間中、市民の被害は報告されていないと主張。「写真はウクライナ政府の挑発だ」としている。

 

 戦争犯罪は決して見過ごしてはならない。国際刑事裁判所は直ちにブチャで起こった犯罪を捜査すべきだ。長期にわたる困難な捜査になるだろうが、関係各国が粘り強く支えるべきだ。

 

■    ■

 

 ブチャを離れたロシア軍は、マリウポリを含む東部2州や南部での攻撃を強めている。

 

 中でも1カ月以上ロシアの攻撃が続いているマリウポリでは10万人以上が、水や食料がないまま市内に残っているとみられている。ロシアは1日、マリウポリに人道回廊を設定すると発表したが、避難はむしろロシア側に妨害されているとの情報もある。

 

 人道回廊の運用は停戦と一体でなければ難しい。国際社会は停戦の実現を急ぐとともに、住民避難の支援に力を注いでほしい。

 

 ウクライナからは現在、約410万人超が国外に脱出した。国内避難者を含めれば国民の4分の1に当たる1千万人を超える。

 

 戦況によって避難民はさらに増えるに違いない。周辺国だけでの対応は厳しく、受け入れの負担を国際社会で分担する必要もある。

 

■    ■

 

 日本も傍観は許されない。避難民の受け入れを大幅に拡大すべきだ。

 

 避難民の9割は女性や子どもで、国連は混乱に乗じて避難先での人身売買や性的搾取などの危険性が高まっているとして警戒を呼びかけた。避難先での安心安全を確保するため環境整備を急ぐべきだ。

 

 沖縄ではウクライナの現状を知り、かつての沖縄戦と重ね合わせて平和資料館などを訪れる親子や若い世代が増えている。沖縄にいてもできることはあると自覚したい。

 

 現地で苦しむ人々を支援するために、日本政府へ声を届けることも重要だ。

 

  • )アカ新聞どもも、[ロシアの戦争犯罪]を非難し、日本政府に「対露制裁の強化」を求める点で、大凡一致を見ているようだ。

 それ以外にも日本政府に対して「ウクライナ難民の受け入れ」とか「戦争犯罪追求への協力/支援」などを求める意見も散見される。

 まあ、主目標とも言うべき、特筆大書された「プーチンは停戦和平交渉の席につけ!」に比べると「小さな要求」ではあるが、その特筆大書された要求が「一番叶いそうにない」のも事実だろう。

 アカ新聞の相当数は国際刑事裁判所(ICC)に大いに期待をかけているようだが、多分左翼の大好きな「国連信仰」の延長なのだろう。が、その「国連信仰の総本山」とも言えそうな「国連安保理」がロシアの拒否権発動で「完全なる機能停止の脳死状態」なのである。安保理なんぞより遙かに新しいのが国際刑事裁判所(ICC)だが、「国や組織では無く、個人を訴追する」モノだから、現場の実行犯から最高指揮官たるプーチンまで「辿り着く」のは並大抵のことでは無く、未だ歴史深からぬ国際刑事裁判所(ICC)には「最高指揮官まで訴追が辿り着いた」実績も未だ無いようだ。
 国際刑事裁判所(ICC)が「プーチンを訴追し、有罪判決を下す」なんて事は、「全く期待できない」ぞ。

 一方その頃、琉球新報社説は・・・
 

  • ⑤【琉球新報社説】プラごみ新法施行 削減へ行動する一歩に

プラごみ新法施行 削減へ行動する一歩に

 

 

https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1496736.html

 

2022年4月5日 05:00

社説

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 使い捨てプラスチック製品の削減に向けた新法「プラスチック資源循環促進法」が4月から施行された。

 

 背景にはプラスチックごみによる海洋汚染の深刻化がある。政府は使い捨てプラスチックの排出量を2030年までに25%削減を目指す。事業者だけでなく私たち一人一人が、使い捨ての行動を変える第一歩としたい。

 海に流れ出たレジ袋などのプラごみが生物に被害を与えている。沖縄美ら海水族館は21年11月、沖縄本島周辺のウミガメの約20%がビニールなどの海洋ごみを誤食しているとの調査結果を発表した。最近では、プラスチック製の不織布マスクが新型コロナウイルス禍によって世界各地の海へ流出していることが報告されている。

 英ハル大などのチームは昨年4月、プラスチックごみなどが壊れてできる5ミリ以下の微小なマイクロプラスチック(微小プラ)が、世界各地の魚介類に含まれていたとの調査結果を発表した。

 微小プラは、ごみとして海に流れ込んだ包装容器などのプラスチック製品が紫外線や波の力で劣化し、壊れてできる。人間は食事を通じて1人当たり年間5万個を超える微小プラを摂取している恐れがあるという。シーフードを好んで食べる日本の摂取量は世界平均よりも多く最大13万個に及ぶと推定。専門家は「人の健康への影響を評価するべきだ」と指摘している。

 社会全体でプラスチックの使用量を減らしていくしかないのである。

 今月から施行されたプラスチック資源循環促進法は、前年度に計5トン以上の使い捨てプラ製品を提供した事業者に有料化や軽量化、代替素材への転換などを義務付ける。

 フォーク、スプーン、ナイフ、マドラー、ストロー、ヘアブラシ、くし、カミソリ、シャワーキャップ、歯ブラシ、ハンガー、衣類用カバーの12品目が対象となる。20年7月のレジ袋の有料化に続く取り組みだ。

 国際的な連携も始まっている。国連環境総会(UNEA)は今年3月、世界で増加し続けるプラスチックごみを規制するため、法的拘束力のある国際協定をつくるとの決議を採択した。プラごみを削減(発生抑制)すると同時に、海外で海洋流出の原因になりかねないプラごみの輸出を中止し、再利用を進めなければならない。

 プラスチック循環利用協会によると、19年のプラごみの総排出量は850万トン。うち85%が再利用されている。再利用が進んでいるように見えるが、実態はそうではない。

 その6割が、燃やして熱を利用する「熱回収(サーマルリサイクル)」である。石油から作られたプラスチックを燃やすと二酸化炭素が発生する。この方法では地球温暖化につながってしまう。熱回収以外の再利用を工夫する必要がある。

 

・・・遠く離れたウクライナの虐殺よりも、身近なプラゴミ、かね?まあ、それも、一つの考え方、ではあるがな。




歴史的補遺 『九人(くにん)の乙女』の物語  稚内観光情報HPより
https://www.city.wakkanai.hokkaido.jp/kanko/gaiyo_rekishi/9ninotome.html?msclkid=23892cdcb7b811eca0d18144e6e435bd

 

 

『九人(くにん)の乙女』の物語
 九人の乙女の碑の写真

 真岡町(現ホルムスク)は、人口約2万人で樺太西海岸南部に位置し、北海道の各港との定期船も絶えなかった平和な港町でした。
 日本領である南樺太は、ソ連領である北樺太とは北緯50度線をもってきっちりと一線を画されており、昭和16年(1941)太平洋戦争(第二次世界大戦)に突入することになりましたが、日ソ中立条約(領土不可侵・中立維持を約束した条約)が締結されていたこともあり、国境での紛争はほとんどありませんでした。

 ところが昭和20年(1945)2月に、米・英・ソの首脳によりヤルタ秘密協定が結ばれたこともあり、同年4月ソ連は日本に対して条約を一方的に破棄する旨を通告、対日戦に備えて満州や樺太、朝鮮の国境地区に兵力を集結しました。

 ヤルタ秘密協定は『ドイツが降伏し、ヨーロッパにおける戦争が終結したのち、2~3ヶ月後には南樺太をソ連に返還することを条件に、ソ連が日本に対する戦争に参加する』ということを約束したものでした。

 そして、昭和20年(1945)8月9日の朝、樺太国境警察がソ連軍の不意の攻撃を受け、40年間にわたる国境の静寂が破られたのです。
 ソ連軍による進撃・砲撃は、国境を接する町から次第にその範囲を拡げ戦況は悪化する一方で、樺太兵団は、中央国境を突破するソ連軍を側面から支援する部隊が真岡地区にも上陸するものと判断、この地区の守りを固めようと努力を続けていました。

 当時、真岡郵便局における電話交換業務は、市内・市外ともすべて女性交換職員による手動交換接続方式でしたが、特に戦時下における電話交換業務は国防用また緊急連絡用として重要な使命を担い日夜繁忙を極めていました。

 この非常事態に、老人、子供、女性、病人等を優先して島民の緊急疎開が開始されました。そして8月16日、上田・真岡郵便局長は上司から「女子職員は全員引き揚げるよう、そのため業務が一時停止しても止むを得ない」との命令を受けました。
 ほっと安心すると同時に、皆その知らせを喜んでくれるだろうと思っていた上田局長でしたが、意外な事に局員からは「全員、疎開せず局にとどまると血書嘆願する用意をしている」と告げられました。
 上田局長はソ連軍の進駐後起こるであろう悲惨な状況を話し説得したが応じてもらえなかったといいます。
 きっと彼女らは交換業務の重要性を認識し、その責任感・使命感を健気(けなげ)なほど感じていたからこそ、このような覚悟をしたものなのでしょう。友人や知人が次々と北海道へ向けて避難を始める中で、多くの女子職員が職場に踏みとどまり交換作業に従事していました。

 そして、迎えた8月20日の朝6時頃、真岡は身にまといつくような濃霧でした。霧の中にぼんやりと見える埠頭倉庫のトタン屋根は霧にぬれてにぶく光り、疎開する島民を北海道へ輸送する船や北部から難を逃れてきた漁船等がぎっしりと岸壁についていました。

 この霧の中をソ連船団は、真岡港に接近しつつありました。そして船団は湾の中央に進みそれぞれの部隊を上陸させ、船団が反転、退避するとこれを援護するため、上陸部隊の火器が一斉に火を吹き、たちまちにして真岡市街は戦火に包まれました。

 臨海地区を手中に収めたソ連軍は、続いて山の手に向かって戦線を拡大し、各所に砲撃による火の手が上がり、黒煙がようやく霧の流れた空を覆い、火の粉が風下一帯に降り注ぎました。
 最後の時が迫った恐怖から人々は裏山の芋畑やクマザサの茂る野をはうようにして尾根を越え、ある者は鉄道のレール伝いに逃げまどいました。

 真岡郵便局では早朝5時半過ぎ、真岡の北約8kmの幌泊から、「ソ連の軍艦が方向を変え、真岡に向かった」との連絡を受けた高石ミキ電話主事補が、仮眠中の宿直者全員を交換台に着席させ、関係方面への緊急連絡を行うとともに郵便局長にこの旨、電話で報告を行いました。
 郵便局は場所的にも戦火に巻き込まれる位置にあり、交換室にも弾丸が飛び込むなど、極めて短時間のうちに危機は身近に迫っていました。
 しかし、緊急を告げる電話回線を守り、避難する町民のため、またこれらの状況を各地に連絡するため、最後まで職務を遂行したのです。

 同じ樺太にある泊居郵便局長は、当日の状況をこう話しています。
 「午前6時30分頃、渡辺照さんが、『今、皆で自決します』と知らせてきたので『死んではいけない。絶対毒を飲んではいけない。生きるんだ。白いものはないか、手拭いでもいい、白い布を入口に出しておくんだ』と繰り返し説いたが及ばなかった。 ひときわ激しい銃砲声の中で、やっと『高石さんはもう死んでしまいました。交換台にも弾丸が飛んできた。もうどうにもなりません。局長さん、みなさん…、さようなら長くお世話になりました。おたっしゃで…。さようなら』という渡辺さんの声が聞き取れた。自分と居合わせた交換手達は声を上げて泣いた。誰かが、真岡と渡辺さんの名を呼んだが二度と応答はなかった」と語っています。

 高石さんの知らせで自らも郵便局にかけつける途中、腕に銃弾を受けてソ連兵に連行されてしまった真岡郵便局長は、数日後ソ連軍の将校の許可で局内に立ち入ることができました。
 その時の様子を、同局長は「9人は白っぽい制服にモンペをはいており、服装はみじんも乱れていなかった。また、交換台には生々しい数発の弾痕があった。さらに、睡眠薬の空き箱があったことは見苦しくないようにするため、睡眠薬を飲んだあと、青酸カリを飲んだのであろうが、息絶えるまで送話器に向かって呼びかけていたようだ。」と語っています。

 彼女達は、ブレストを耳にプラグを手に握りしめ、最後まで他局からの呼び出しに応ずるために交換台にしがみついたまま倒れていました。遺体の確認に立ち会ったソ連軍将校も、悲惨な室内の状況を目の前にして、胸で十字架をきって黙祷したといわれています。

 当日交換業務を行っていた9人の中で最年長だった高石ミキさんは、殉職の日の前日、北海道に疎開する母を港で見送った時、“いざとなったらこれがあるから大丈夫”と胸をたたいて見せました。それが青酸カリだと知った母親は、顔色を変えたといいます。それほど、明るくて物事をはきはき言う人でした。

 志賀晴代さんは、妹と2人で同じ職場に勤務しており、日頃から“いざというときは、自分が職場を死守するから、生きて内地に帰りなさい”と妹に言っていた責任感と気の強い人で、当日も非番にも関わらず、急を知って局に駆けつけた程で、交換技能も抜群の人でした。

 殉職した9名の交換手達はいずれも10代の後半から20代前半の若い女性達です。通信確保の任務を果たし、最後の言葉を残して9人の乙女達は、若き青春に訣別して行ったのです。

 彼女達の壮烈な最後は詩になり、小説になり、映画にもなって「九人の乙女」の悲しい物語として広く知られ、昭和38年(1963)には稚内公園内に彼女達の霊を慰め、その功績を永久に讃えるために『九人の乙女の碑』が建立されました。また、貴重な関係資料は、同公園内にある開基百年記念塔(北方記念館)に収められています。

お問い合わせ先
建設産業部観光交流課
稚内市中央3丁目13番15号
観光戦略グループ 0162-23-6468(直通) 連携推進グループ 0162-23-6272(直通)

  • .年中行事の「懸念表明」の虚しさ-【東京社説】安保法執行6年 9条の「たが」締め直す

 「安保法執行○年」って社説を、東京新聞は毎年のように掲げている。以前は朝日や毎日も似たような社説を掲げたモノだが、安保法執行6周年となる今年は今の所、東京新聞だけが社説に掲げているようだ(後に、琉球新報が「続いた」様だが。)。

 内容は、毎回毎年ほぼ同じだ。一言で言えば、懸念は更に深まったぁぁあ!で、安保法案審議の頃に再三吹聴された懸念である安保法のために日本は戦争に巻き込まれるぅぅぅ!とか安保法のために、日本でも徴兵制が執行されるぅぅぅぅ!!!(*1)とかが、更に深まったと主張するのが、「年中行事」と化している。

 が・・・どうも昨今の現実を見ると、今年はより一層「懸念は更に深まったぁぁぁ!」社説の、アホらしさ馬鹿らしさ虚しさ気違いぶりが、目立つよな。
 

  • <注記>
  • (*1) 南北朝鮮、中国、ロシアと、我が国の隣国は徴兵制揃いですが、何か? 




(1)【東京社説】安保法執行6年 9条の「たが」締め直す

  • 【東京社説】安保法執行6年 9条の「たが」締め直す

 

 

  https://www.tokyo-np.co.jp/article/168179?rct=editorial

2022年3月28日 07時04分

 

 安全保障関連法が施行されて二十九日で六年が経過する。自衛隊は冷戦終結後、海外に頻繁に派遣され、今では「敵基地攻撃能力の保有」や「核共有」まで議論されている。戦争放棄と戦力不保持の憲法九条は、戦後日本の「平和国家」の在り方そのものだ。緩んだ九条の「たが」をいま一度、締め直す必要がある。

 昨年十二月に公開された外交文書は、一九九〇年八月に始まった湾岸危機が自衛隊海外派遣の「起点」になったことを示す。

 同年九月二十九日、米ニューヨークで行われた海部俊樹首相とブッシュ(父)米大統領との日米首脳会談。会談内容を記録した極秘公電によると、ブッシュ氏は多国籍軍による対イラク攻撃を念頭に「日本がFORCES(自衛隊)を参加させる方途を検討中と承知している。有益であり、世界から評価される」と、日本に対しても軍事的な協力を求めた。

 

◆自衛隊広がる海外派遣

 海部氏は、武力の行使を禁じた憲法九条を守る必要があるとした上で「汗を流す協力をしたい」と自衛隊員の派遣に意欲を示した。

 海部政権が当初目指したのが、非軍事の別組織として国連平和協力隊を創設し、自衛隊員を参加させる案だった。根拠となる国連平和協力法案は世論の反発もあり廃案となったが、湾岸戦争終結後の九一年四月には海上自衛隊の掃海艇を機雷除去のためペルシャ湾に派遣した=写真、海自横須賀基地で本社ヘリ「おおづる」から。

 五四年の自衛隊創設以来初の海外派遣だった。

 中曽根内閣の官房長官として掃海艇派遣に反対した後藤田正晴氏は湾岸危機の際、海部氏に海外派遣が「アリの一穴になる」と忠告した。堤防は小さな穴から亀裂が広がりやがて崩壊する例えだ。

 湾岸戦争後、九二年に国連平和維持活動(PKO)協力法が制定されると、自衛隊は頻繁に海外派遣されるようになる。

 九七年に策定された新しい日米防衛協力のための指針(ガイドライン)と九九年制定の旧周辺事態法で、自衛隊の米軍に対する後方支援活動も合法化され、日本領域外での活動が可能になった。

 二〇〇三年のイラク戦争では、ブッシュ(子)政権の求めに応じて、イラクで人道支援や多国籍軍支援を行うイラク復興支援特別措置法、「テロとの戦い」ではインド洋で米軍などへの給油活動を行うテロ対策特措法が成立した。

 後藤田氏の懸念通り、自衛隊の活動地域は海外に広がり、役割も多岐にわたるようになったが、活動内容は「専守防衛」を逸脱しない範囲に限定されていた。武力の行使も、日本への急迫不正の侵害がある▽ほかに排除する適当な手段がない▽必要最小限度の実力行使にとどまる?との「三要件」に該当する場合に限られていた。

 これを根本から覆したのが、安倍晋三首相率いる政権だ。

 一四年には、長年の国会論議を通じて確立し、歴代内閣が継承してきた「集団的自衛権の行使」を憲法違反とする政府の憲法解釈を一内閣の判断で変更し、集団的自衛権の行使を可能とすることを閣議決定した。

 翌一五年には安保法の成立を強行し、外国同士の戦争への参加を可能にした。それまではPKOなどを除く自衛隊の海外派遣にはその都度、法律をつくる必要があったが、安保法により法整備を経ずに派遣できるようにもなった。

 湾岸危機で緩み始めた九条の「たが」は国際情勢の変化を名目にどんどん外れているように映る。

 安倍政権以降、防衛費は膨らみ続け、長射程ミサイルの導入計画が進む。ヘリコプター搭載型護衛艦は事実上空母化され、ステルス戦闘機の搭載が可能となる。

 

◆敵基地攻撃、核共有まで

 中国や北朝鮮のミサイル開発を受けて、長年、憲法違反とされてきた「敵基地攻撃能力の保有」検討を岸田文雄首相が言明。ロシアのウクライナ侵攻に伴い、米軍保有の核兵器を日本に配備して日米が共同運用する「核共有」を巡る議論も活発化している。

 ただ、九条の平和主義や、核兵器を「持たず、つくらず、持ち込ませず」という非核三原則は日本国民の血肉と化した国是であり、内外に多大な犠牲を強いた先の大戦の反省に基づく誓いだ。日本人の生き方そのものでもある。

 今、私たちが議論すべきは九条の「たが」を外して軍事力を強化することではなく、九条の精神に立ち返り、外交力を磨くことではないのか。安保法施行六年を、あらためて考える機会としたい。

 

  • 「安保法執行6年」は、「安保法の正しさ」と「憲法9条の無力さ」を、如実に示した「6年」であろうが。なぁにが「9条の「たが」締め直す」だよ。

 そもそも論ではあるが、日本国憲法を、特に憲法9条を、守れ。と主張するならば、我が自衛隊三軍については一切の記述が日本国憲法には「無い」のだから、自衛隊三軍無しで、当然ながら日米安保条約も無しで、我が国の主権・領土領海領空および我がが国民の生命財産を、守り保障する方法方策」を明確に提示する、義務があろう。

 ああ、タダの「憲法学者」ならば、そんな「義務」は免れるかも知れないな。憲法学者は「憲法を研究するだけ」だから、その憲法が如何に破滅的破壊的自殺的自滅的で「主権及び国民の生命財産を守らないモノ」であっても、「その憲法を擁護する憲法学者がその責任を取る」必要は無い、と主張できそうだ(*1)。

 だが、政治家は、違うだろう。政治家が「日本国憲法を、特に憲法9条を、守れ。」主張とするならば、その主張に従うと「我が国の主権・領土領海領空及び我が国民の生命財産を脅かす」様なことは、在ってはなるまい(*2)。故に左様な「日本国憲法(9条)擁護政治家」には、「自衛隊三軍無しで、当然ながら日米安保条約も無しで、我が国の主権・領土領海領空および我が国民の生命財産を、守り保障する方法方策」を明確に提示する、義務がある・・・・・・筈だが、そんな「義務を果たした/果たしている政治家」は、私(ZERO)の知る限りでは社民党ぐらいで、その社民党も憲法9条は最大の抑止力って箸にも棒にもかからない寝言によって、「当該義務を(辛うじて)果たしている」体たらくである。

 「箸にも棒にもかからない寝言」でも、「自衛隊三軍無しで、当然ながら日米安保条約も無しで、我が国の主権・領土領海領空および我が国民の生命財産を、守り保障する方法方策」を唱えている分、社民党は「日本国憲法(9条)擁護政治家」としては未だマシな方だ。それ以外の数多居る「護憲派」は、「日本国憲法(9条)擁護政治家」は無論のこと、アカ新聞各紙も憲法学会の過半を占めるという「護憲学者」の先生方も、自衛隊三軍無しで、当然ながら日米安保条約も無しで、我が国の主権・領土領海領空および我が国民の生命財産を、守り保障する方法方策」を議論し説明し説得しているところを、見たこと聞いたこと読んだことが、無い。
 
 政治家や、オピニオンリーダたらんとしている(筈の)新聞の「護憲派」からして、この始末だ。何れも「自衛隊三軍無しで、当然ながら日米安保条約も無しで、我が国の主権・領土領海領空および我が国民の生命財産を、守り保障する方法方策」を明確に提示する、義務があろうというのに。

 その義務を果たさない限り、端的に言って日本国憲法(特に9条)擁護論は、「議論として片手落ち」どころか、「そもそも、議論の俎上に載せるだけの価値が無いとさえ、言い得るだろう。ナニしろ、我が国の主権・領土領空領海および我が国民の生命財産が、かかっているのだから、な。

 ところが・・・上掲東京新聞社説もまた、「自衛隊三軍無しで、当然ながら日米安保条約も無しで、我が国の主権・領土領海領空および我が国民の生命財産を、守り保障する方法方策」を明確に提示する、義務を無視して、その方法方策には全く触れず、タダ日本国憲法(特に9条)を守れ!であり守ってさえ居れば、我が国の主権・領土領空領海及び我が国民の生命財産は、保障される。と言うことが前提となっている、か・・・「ハナっから、我が国の主権・領土領空領海と我が国民の生命財産を・守る気が無い」か、何れかだろう。

 そりゃ、我が国の日本国憲法は、その前文からして・我が国の安全を「平和を愛する諸国民」なんて虚構虚像に委託しちまってるんだけどさ。なればこそ日本国憲法は、欠陥憲法であり自滅憲法であり、サッサと改憲するべきモノであり、戦後この方80年も一言一句変更されずに「現存している」事こそが、「天下の奇観」と言うべきであろう。

 言い替えるならば、9条のたが」なるモノは、我が国の安全保障上有害無益であり、サッサと破壊し粉砕し「外す」べきモノ。それを「締め直す」なんぞ、論外である。

 それを「論外ではない」と主張するならば、諄いようだが、自衛隊三軍無しで、当然ながら日米安保条約も無しで、我が国の主権・領土領海領空および我が国民の生命財産を、守り保障する方法方策」を明確に提示するべきだ。
 
 如何に、東京新聞。その他の「護憲派」新聞・政治家・憲法学者諸君。
 

  • <注記>
  • (*1) こう言うのは普通、「曲学阿世の徒」と呼ばれるべきだと、思うんだがな。 
  •  
  • (*2) ハナっから売国奴の敗北主義者ならば、その限りではないが・・・敗北主義は未だしも、売国奴で政治家ってのは、大問題ではあるな。そんな売国奴を選挙で選んだ選挙民も、な。 

 

  • 我が国に、「成文化された国是」などと言うモノは、無い。【強く断言】

 「国是」とは、良く人口に膾炙する言葉。上記東京社説でも、

1> 九条の平和主義や、核兵器を「持たず、作らず、持ち込ませず」という非核三原則は日本国民の血肉と化した国是であり、
2> 内外に多大な犠牲を強いた先の大戦の反省に基づいた誓いだ。
3> 日本人の生き方そのものでもある。


として、平和主義」と「非核三原則」を「国是」と断定断言してしまうのだが・・・・頭ぁ冷やして答えろや。国是」ッてのは、誰が何時どんな手順で、ナニに基づいて「国是と定めた」のか?それは、何処にどう成文化されているのか?例えば例にされた非核三原則を「国是と定めた文書」は、何か?

 先ず何に基づいてを聞こうか。「国是」なんて文言は日本国憲法には無い(*1)し、「国是を定めた法律」やら「国是を定めた閣議決定」というのも、トンと覚えが無い。つまり、「国是なるモノの、法的根拠は、皆無である。」と、断言出来そうだ。

 「法的根拠皆無」なモノだから、国是を定める主体=誰が、国是を決めるのか?」も、その手順も、国是の変更修正撤回の手順も、無い。そもそも国是として制定されていない」以上、変更も修正も撤回も不可能にして無用だ。「自称"国是"」とは言い難そうだが、「俗称"国是"」が良いところだ。俗称止まりの「国是」が、どうしてそんなに「偉い」と思えるのかねぇ。
 
 で、だ。上掲東京社説がその「俗称"国是"」の例としてあげているのが(憲法)九条の平和主義」と「非核三原則」で、その上、日本国民の血肉と化した」「日本人の生き方そのものとまで、断言公言しているんだから、凄まじいな。

 私(ZERO)は日本人の端くれだが、私の血肉や私の生き方には「(憲法)九条の平和主義」も「非核三原則」も「無い」と断言出来るぞ。それを立証実証するのはチョイと困難かも知れないが、私は日本人にして、日本の独自核武装も、選択肢の一つとして検討対象から外しては居ない。と明言公言断言すれば、大凡事足りよう。斯様な日本人である私(ZERO)が厳然として存在する事自体が、「憲法九条の平和主義や非核三原則は、日本人の血肉でも生き方そのものでも無い」証拠となろう。
 大体、「憲法九条の平和主義」が「日本人の血肉で生き方そのもの」だったら、そもそも自衛隊が発足できる訳ないじゃぁないか。

 逆に、「憲法九条が未だ失効ないし改憲されないうちに、自衛隊が発足し、存続し、厳然として存在する」という事実は、「憲法九条の平和主義なるモノが、日本人の血肉にも生き方にもなっていない」という、証拠だろうが。

 「憲法九条の平和主義」や「非核三原則」が、「日本人の血肉となり、生き方そのもの」であって欲しいというのは、東京新聞の願望ではあろう。またひょっとすると当該社説を書いた東京新聞記者の「血肉」や「生き方そのもの」には(ひょっとしたら(*2))「既になっている」のかも、知れない。

 だが、それは、「東京新聞の願望、妄想」に止まる。私(ZERO)自身がその反証であることは先述の通り。更には日経世論調査結果で日本の核シェアリング(*3)を議論すべきだ」に九割近い賛成が集まったことも、その証左となろう。
 
 であるならば、上掲東京新聞社説は「東京新聞の願望、妄想」に基づく社説である。そりゃ東京新聞にだって願望や妄想があるのは「当たり前」だけどさ。その願望・妄想に基づいて新聞社としての公式公的な主張である社説を書き、公開してしまうってのは、相当な問題じゃぁ無いのかね?

  • <注記>
  • (*1) 無論「憲法九条」なり「平和主義」なりを「国是とする」なんて文言は、日本国憲法には無い。「非核三原則」を「国是とする」文言は、もっと無い。 
  •  
  • (*2) 実は、大いに怪しいのだが。「非核三原則が生き方そのもの」って、どんな「生き方」だよ。 
  •  
  • (*3) これは明らかに「核兵器を持ち込ませず」には反するし、「核兵器を使わない」にも確実に反する。 
     
  • 「時代よ。俺に付いて来い。」(イヤ、一遍言ってみたくて。)-【沖縄タイムス】核攻撃に耐える家庭用シェルター ウクライナ侵攻で日本の販売業者に問い合わせ急増 値段は?構造は?


 「シェルター」って言葉が、一般紙でも散見される様になったのは、北朝鮮の弾道ミサイル発射騒ぎ以降だろう。広義・一般的には「避難所」という意味だが、狭義には「対核攻撃防空壕」の意味。日本じゃ殆ど知られていないが、米ソ冷戦時代にも欧米諸国では相応に普及していたし、なればこそ「商品として売られて」も居た。

 そんな「狭義のシェルター」が、遂に「沖縄タイムス紙面にも登場した」のだから、これは一寸したニュースだろう。


(1)【沖縄タイムス】核攻撃に耐える家庭用シェルター ウクライナ侵攻で日本の販売業者に問い合わせ急増 値段は?構造は?

  • 【沖縄タイムス】核攻撃に耐える家庭用シェルター ウクライナ侵攻で日本の販売業者に問い合わせ急増 値段は?構造は?

https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/930283

 

 

2022年3月23日 05:19

 ロシアのウクライナ侵攻が激しさを増す中、日本国内では住宅向けシェルターの販売業者へ問い合わせが相次いでいる。ミサイルによる民間地の被害が伝わり、米軍や自衛隊の基地を多く抱える沖縄からの資料請求もある。販売業者は侵攻に反対しながら「身を守る準備も大切」と、行政が公共施設や住宅へのシェルター導入を支援する必要性を強調する。(社会部・銘苅一哲)

 

 

 

 輸入住宅を販売する「アンカーハウジング」(神奈川県)は2017年から住宅の地下に設置するシェルターを販売している。経営者の吉山和實さん(61)は「シェルターは厚さ6㍉の鋼鉄製で、オーダーメードで米国内の工場で製造している」と説明。価格は4人用が1500万円からで、それより多い人数のオーダーも受けている。

 

 17年から販売したのは15台。ウクライナ侵攻の後はすでに複数の受注があるという。吉山さんは「シェルターがこれまでよりはるかかに注目されている。ミサイルが日本に撃ち込まれたらどうなるのかと国民が危機感を感じている」と話す。

 

 住宅の耐震リフォームや防災グッズの販売を手掛ける「シェルター」(大阪府)は62年の創業時からシェルターの販売を続ける。

 

 社長の西本誠一郎さん(85)によると、厚さ30センチのコンクリートで造った約10平方メートルのシェルターを地下に設置する場合は、相場が800万~1千万円。4~5人が入れる鋼鉄製のシェルターを家の中に設置する場合は750万円ほどという。

 

 放射能汚染の対策として、180万~250万円の海外製の空気清浄機も販売する。西本さんは「核攻撃があった場合、爆心地から数キロ離れていても放射能汚染が懸念される」と説明する。

 

■基地を抱える沖縄からも

 実は同社では創業50年間で、製品は年に1~2台しか売れなかった。北朝鮮のミサイル問題を受けた17年ごろから年間20台ほどに増加。これまで売れた計130台は、ほとんどが空気清浄機で、設置型のシェルターは6台ほどという。

 

ウクライナ侵攻後は1日数件の問い合わせが続き、週末には北海道からショールームに足を運ぶ人もいるという。「沖縄からも3件の問い合わせがある。戦争をしたい人なんて一人もいないが、望んでいなくても戦争は起きてしまう」と、もしもの備えを説いた。

 

 東京で建築関係の工事を請け負いながら、5年前からシェルターの販売代理店となった武島良介さん(29)は、父が伊良部島出身。「島には祖父母が暮らしている。戦争になれば、米軍などの基地を抱える沖縄が狙われるのは、ウクライナを見れば明確だ」と話す。

 

 5年前は知人に「シェルター」の言葉を出すだけで笑われた。今はツイッターを通じて20件ほど問い合わせがあり、国民の安全への意識が変わったと実感する。「武力攻撃だけでなく地震や津波の対策でもシェルターは必要。行政はまず、学校など公共施設への設置に取り組んでほしい」と認知の高まりを望んだ。

 

■有害物質を除去できる換気機能

 「シェルター」(大阪府)が販売する地下設置型のシェルターについて、社長の西本誠一郎さんは「広島、長崎で使用されたような核兵器の攻撃があった場合、爆心地から2キロ離れた場所であれば耐えられる」と説明する。

 外部からの電気を通せるが、水はペットボトルなどを準備しておく必要がある。簡易のトイレやベッドを設置し、換気の際に有害物質を除去するフィルターを備えたモデルもあるという。

 

 また、同社のホームページ(HP)は「核攻撃があると地下の密閉された箱で何カ月も避難する認識があるが、避難は2週間が重要」と掲載する。

 

 爆風や熱線と同様に大きな脅威は放射線とし、その強さは時間と距離で減衰するため、2週間を外気に触れず過ごすことが重要としている。

 

  • 自慢じゃぁ無いが、「シェルター」なんて、中学の頃から知っていたぞ。

 私(ZERO)「殆ど産まれながらの右翼」であるが、事、国防とか安全保障とかに関する限りは「やたらにませたガキ」であったから、中学生の頃に「対核攻撃防空壕」たる「シェルター」の存在も、それが米ソはじめとする各国に相応に普及しており、スイスに至っては「新築戸建て住宅にはシェルターの設置を義務づけている」と言うことも、その為「スイスのシェルター収容人数は、全人口を上回っている。」事も、「第三次世界大戦後の人口大国は、スイスだ。」なんてブラックジョークも知っていた(最後者は、流石に中学時代ではない、が。)。

 シェルターの基本が「エアフィルター付きの地下壕」であることも、「流石に核の直撃には耐えられないが、少し離れれば大丈夫」な事も、その放射線遮蔽効果を主として大地による(即ち、地下壕であることによる)事も、「土か水1mで、透過放射線量は半減」という「非常に大雑把な放射線減衰率」も知っていた。
 後の海外旅行でスイスを訪れた際は、一般家庭にと泊めて貰った序でにその住宅に設置されたシェルターを見せて貰った(*1)。同旅行中にイギリスのロンドンの地下鉄駅で見た「出入り口直上に吊り下げられ、恐らくは電源が切れても自重で閉鎖できる分厚い防爆扉(*2)」共々、忘じがたい「欧州旅行の思い出」である。

 そんな「己が"先見の明"を誇る」のが、本稿の趣旨ではない。「日本の中学生としては、一寸したモノだろう。」とは言いたいが、シェルターという存在や普及や商品化は、別に秘密でも何でも無くて、「公共施設としてのシェルターがある」のは欧米諸国では「常識」レベル。公共シェルターを示す独特のマークがTVミステリドラマ(の最高傑作)「刑事コロンボ」の背景に写り込んだ事も覚えている。一世を風靡したと言っても良い人気漫画「北斗の拳」の冒頭は、(恐らくは米ソ両大国による)核戦争で、主人公・ケンシロウらがシェルターへ逃げ込んで核攻撃から助かる(*3)ってシーンもあった。

 言い替えれば、対核攻撃防空壕としてのシェルター」は、随分前から我が国でも「知る人ぞ知る」存在であり、北朝鮮の弾道ミサイル発射や今般のロシアのウクライナ侵略を待つまでも無く「知っていた」人は(私(ZERO)も含めて)相応に居る/居た、のである。

 左様な「対核攻撃防空壕としてのシェルター」を、三アカ新聞下っ端の沖縄タイムスが「記事として取り上げ、報じる」事は、ある意味「画期的」とも言えそうではある。が・・・「今頃/今更」感も、半端ないモノがあろう。

 「平和ボケ」ってのは、そう言うモノであるけどな。「とっくの昔に全人口以上のシェルタ収容能力を持っているスイス」って「外国の事例」を考えると、「やっとかよ。」と、言わざるを得まい。

  • <注記>
  • (*1) 入口たる防爆扉のOリングが、それまで見たことがない程に太くてゴツかった。 
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  • (*2) ロンドンの地下鉄は、第2次隊戦でも防空壕として使われた「実績」がある。 
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  • (*3) で、ケンシロウの次兄トキはシェルターへ入れず、死病を患ってしまう。「何故即死しなかった?」かを聞くのは、タブーなのだろう。