• 「有事を想定する」のは、国防の第一歩ですが、何か?ー【琉球新報社説】キーン・ソード23 有事想定は認められない 他

 琉球新報の平和ボケ・安保白痴・軍事忌避・軍人差別は、以前からヒドいとは思っていた。が、ここまで「安保白痴」だと、ある種の「芸」の域に達している、と言えそうだ。

 「有事を想定しない演習」って、それこそ税金の無駄遣いであろうに、左様な発想ないし常識論さえ通用しないから、「狂気の沙汰」とも「常軌を逸している」とも、評しがたいよな。敢えて評するならば、「度し難い」と、言うべきか。
 
 ああ、この評価は、琉球新報が、少なくとも或程度の善意と自主性を以て自発的に平和ボケやら安保白痴やらを発症している、と考えた場合の評価、だ。

 「中国共産党侵略の尖兵であり、外患誘致である。」と考えた方が、納得もいくし、安全側だな。

  • (1)【琉球新報社説】キーン・ソード23 有事想定は認められない

 

キーン・ソード23 有事想定は認められない

 

 

https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1613587.html

 

2022年11月10日 05:00

社説

 

 

 自衛隊と米軍による日米共同統合演習「キーン・ソード23」が10日から本格的に始まる。特に沖縄を含む南西諸島では島しょ作戦を織り込んだ大規模訓練が計画される。

 

 77年前の沖縄戦で4人に1人が犠牲になった。「軍隊は住民を守らない」というのが沖縄戦の教訓だ。沖縄での有事を想定した訓練は認められない。強く抗議する。

 防衛省によると、キーン・ソードは、ほぼ2年に1度、国内各地の自衛隊や在日米軍施設で実施する日米最大規模の実動演習である。今回は自衛隊約2万6千人、米軍約1万人を動員し、英軍の艦艇やオーストラリア軍、カナダ軍の艦艇、航空機も加わる。中国を意識し、南西諸島を中心に運用能力の向上を図る。

 演習全体としては、グレーゾーンから武力攻撃事態に発展するまでを想定し、弾道ミサイル発射への対処や宇宙、サイバー、電磁波領域での作戦も訓練する。米軍からは宇宙軍も参加する。

 今回の訓練は実戦に即した最新鋭の16式機動戦闘車(MCV)を与那国町の公道で使用する計画だ。台湾に近い与那国島で日米が軍事演習を活発化させれば、米中対立の火種となる台湾情勢を刺激することになるだろう。

 防衛省関係者は「有事になった時に通ったことがない道を通る『ぶっつけ本番』では戦いにならない。飛行場から駐屯地まで実際に自走することに意味がある」と語り、与那国での訓練の目的を説明している。与那国での戦闘を想定しているかのような訓練は認められない。

 県内にある自衛隊、米軍の各施設に加え、8日にはチャーターした民間船舶(PFI船)で、民間の中城湾港に車両などの装備品と隊員らを運び込んだ。県内に運ばれた車両は、国道58号など一般道を使い、陸自那覇駐屯地などへ移動する様子が確認された。

 1945年1月、大本営は沖縄を日本防衛のための「前縁」と位置付け「極力敵ノ出血消耗ヲ図」る方針を決定した。沖縄戦は「本土決戦」に備えるための時間稼ぎだった。沖縄戦の教訓から県民は「人間の安全保障」を要求してきた。だが、日本は米軍との軍事一体化を強化し、尖閣や台湾有事を想定して自衛隊を南西諸島に重点配備している。台湾有事を想定して南西諸島に米軍の軍事拠点を設ける日米の新たな共同作戦計画が策定中だという。

 自国が攻撃されなくても戦争に参加する集団的自衛権を、安全保障関連法に基づき行使し自衛隊が後方支援などを行えば、必然的に自衛隊基地も攻撃対象となる。

 敵基地攻撃能力の保有を検討し防衛費大幅増額など、戦争に向けての地ならしが進んでいる。キーン・ソードは日米軍事一体化の訓練といえる。過去の大本営方針のように、沖縄が最前線(前縁)となり再び戦争に巻き込まれることは断じて認められない。

  • (2)【琉球新報社説】与那国で戦闘車走行 住民脅かす訓練中止せよ

 

 

https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1607614.html

2022年10月30日 05:00

社説

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 防衛省と米軍は11月中旬に実施する日米共同統合演習で、陸上自衛隊の「16式機動戦闘車(MCV)」を与那国空港から陸自与那国駐屯地までの公道で走らせる訓練を計画していることが判明した。実施すれば、県内の公道でのMCV使用は初めてだ。

 

 中国との間で台湾や南西諸島を巡る有事が起きた際にMCVを素早く島々に搬入することを想定している。島々での地上戦を見越した作戦だ。

 そうなると住民は守れるのか。いざ戦闘が始まると避難用の航空機や船舶の安全確保は困難だ。住民保護計画がままならないのに戦闘を前提とした訓練ばかりが先走っている。中国を刺激し、与那国が中国による攻撃の標的にされる恐れを増し、住民の命や生活を脅かす。非常に危険だ。訓練は中止すべきだ。

 計画は、陸上自衛隊西部方面隊のMCVを福岡県の築城基地から与那国空港に輸送機で運び、与那国駐屯地まで公道で走らせる訓練だ。MCVは105ミリ砲を搭載し、高い走行性を持つ陸自最新鋭の装輪装甲車で、火力と機動力を兼ね備えている。

 自衛隊はこれまでもMCVを中城湾港まで船で運んで公道を走らせることを計画してきたが回避した経緯がある。今回の演習でもMCVを中城湾港へ搬入する計画があったが、取りやめた。沖縄戦の地上戦体験に基づく反基地感情を踏まえ、武器や装備が多くの県民の目に触れる影響を慎重に判断したとみられる。

 実際に自衛隊統合演習で石垣市の石垣港や与那国町の祖納港など民間港を使って県内の反発を招いた経緯もある。しかし今回の演習では、中城湾港では配慮したが与那国町では実施するのは与那国軽視で許されない。中城湾港と同様、搬入計画を中止すべきだ。

 MCVを与那国町の公道で走らせる訓練に対し県は住民生活への影響を懸念している。玉城デニー知事は「住民の方々が不安になることがないよう、調整はしっかりとやってほしい」と述べた。

 中国や台湾情勢への刺激により、既に県民生活を脅かす事態が起きている。8月にペロシ米下院議長が中国の反発を無視し台湾を訪問。中国は対抗措置として台湾周辺で大規模な軍事演習を実施し、日本の排他的経済水域(EEZ)内の波照間島や与那国島周辺にも弾道ミサイルを落下させた。漁業者は軍事演習の頻発で出漁制限に追い込まれた。

 今年は日本と中国が日中共同声明に調印し国交が正常化してから50年の節目である。声明に基づき結ばれた日中平和条約第1条は「全ての紛争を平和的手段により解決し、武力または武力による威嚇に訴えないことを確認する」とうたっている。日中両政府はこの精神に立ち返るべきだ。

 日本政府がやるべきことは、米国との合同演習を激化させることではなく、米中の緊張緩和に向けた対話を促す外交努力である。
 

  • お答えしよう。政治家の国葬は、必要だ。-【朝日社説】政治家の国葬 是非から議論が必要だ &【毎日社説】政治家の国葬 「そもそも必要か】議論を

 「坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い。」ってヤツ、なのだろうか。朝日と毎日の社説が国葬不要論を掲げてやぁがる。

 無論、ココで「袈裟」に喩えているのは「国葬(就中、政治家の国葬)」で、「坊主」に喩えているのは、先頃国葬にふされた安倍元首相である。尚、安倍元首相に半世紀ほど先行して吉田茂元首相が国葬にふされており、斯様な「国葬不要論」は「吉田茂元首相の国葬に際しても、あって然るべきモノ」である・・・純粋な「国葬不要論」としては、な。

 だぁが、今次一連の安倍元首相国葬をめぐる議論の中でも、「安倍元首相の国葬を止めろ!!!」って主張は、両紙自身の社説を含めてかますびしかったモノの、「そもそも、国葬なるモノは不要である。」って「国葬不要論」は、殆ど聞いた覚え読んだ覚えが無い。それは、両紙が何本も掲げた「安倍元首相国葬反対社説(*1)」についても同様である(*2)。

 であると言うのに、今頃&今更、「国葬不要論社説」である。

 つまりは、下掲朝日&毎日社説は、ある種の「反アベ社説」と考えた方が良さそうだが・・・果たして、それだけ、だろうか。

 ①【朝日社説】政治家の国葬 是非から議論が必要だ 
 ②【毎日社説】政治家の国葬 「そもそも必要か」議論を

  • <注記>
  • (*1) その大半は、弊ブログ記事として掲載され、非難され、揶揄され、糾弾されている。 
  •  
  • (*2) 私(ZERO)が覚えて居るところでは、確かNHKの解説者として「我が国では、国葬は歴史的使命を果たし終えたと考えて居る」ってセンセイが登場した、ぐらい。尤もこのセンセイ、我が国に於ける国葬の歴史を解説してくれたが、「何故、我が国では国葬が歴史的使命を終えたのか?」については一切語らずじまい、だった。 
  •  私(ZERO)ナンざぁ、「国葬が歴史的使命を終えた状態/国家」ってのが、殆ど想像を絶するのだがね。
  •  「国として理想的な完成状態に至り、何人たりとも国葬に価するような大功をあげ得なくなった上、そんな理想状態が未来永劫続くと確信出来るため、"国葬が歴史的使命を果たした" と言える。」ってのが、ほぼ唯一「考えられる状態」なのだが、左様な「理想状態」が現実のモノになるとは一寸想像しがたいし、我が国の現状が左様な理想状態とは、もっと思えない。


 

  • (1)①【朝日社説】政治家の国葬 是非から議論が必要だ

  • ①【朝日社説】政治家の国葬 是非から議論が必要だ

https://www.asahi.com/articles/DA3S15463624.html?iref=pc_rensai_long_16_article

 

 

2022年11月3日 5時00分

 

安倍元首相の「国葬」=2022年9月27日、東京都千代田区の日本武道館

 

【1】 岸田首相が独断で決めた安倍元首相の「国葬」は、賛否両論が渦巻く中で行われ、社会の分断を印象づけて終わった。まずは、その検証と評価が不可欠で、今後に向けたルールづくりに取り組むというのなら、そもそも政治家を弔うのに国葬が妥当なのか、その是非から議論する必要がある。

 

【2】 国葬を巡り、衆院の議院運営委員会の下に設置された、与野党の代表者による協議会が始まった。政府の説明や有識者の意見を聞いたうえで、12月10日の国会会期末までに「一定の方向性」を出すという。政府も別途、検証を行うことにしており、首相は「一定のルール」を設ける意向を表明している。

 

【3】 想定されるのは、国会の関与である。首相は今回、「行政権の範囲内」だとして、野党を含む幅広い国民の理解を得る努力をしなかった。国葬そのものには賛同した日本維新の会も、この点を問題視し、議員立法で提出した国葬儀法案に、事前の国会承認と事後の国会報告を盛り込んでいる。

 

【4】 ただ、国会に諮れば、事足れりという問題ではない。

 

【5】 安倍氏の「国葬」への賛否が二分されたのは、その内政・外交に対する評価が割れたままであることに加え、説明責任の軽視といった政治姿勢や、森友・加計・桜を見る会などの「負の遺産」に対する批判があってのことだろう。銃撃事件を契機に、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)との密接な関係に焦点があたったことも影響したに違いない。

 

【6】 ことほどさように、政治家の評価は簡単ではなく、党派性を帯びることも避けがたい。与党を中心とした賛成多数で承認されたからといって、世論の分裂は隠せない。単に手続きをどうするかではなく、国葬とは何を目的とし、政治家が対象にふさわしいのか、根本から検討しなければならない。

 

【7】 国民の「内心の自由」を侵し、弔意を強制するようなものが認められないことは、いうまでもない。政府は今回、地方自治体や教育委員会などに対し、弔旗の掲揚などを求めることはしなかった。もっとも、これは国葬に対する世論の強い反発に押されてのことで、過去の首相経験者の国葬や合同葬では、関係機関などに弔意の表明を求める閣議了解が行われていることを忘れてはならない。

 

【8】 国葬を決めた身の首相としては、その是非には立ち入らず、ルールづくりにとどめたいのが本音だろう。しかし、数々の疑問や懸念に答えぬまま国葬を実施し、政治不信を高めた責任を自覚するなら、一からの議論を逃げてはいけない。

  • (2)②【毎日社説】政治家の国葬 「そもそも必要か」議論を

  • ②【毎日社説】政治家の国葬 「そもそも必要か」議論を

 

 

https://mainichi.jp/articles/20221030/ddm/005/070/087000c

 

注目の連載 

オピニオン

 

朝刊政治面

毎日新聞 2022/10/30 東京朝刊 814文字

 

【1】 安倍晋三元首相の「国葬」について、政府が検証作業に着手した。国会では、国葬のあり方を巡って、与野党の代表者による協議会が近く議論を始める。

 

【2】 今回の経緯などを徹底的に検証するのは当然だ。だが、今後も実施することを前提に議論を進めるべきではない。

 

【3】 「そもそも政治家の国葬が必要なのか」という、根本的な疑問に向き合うことから始めなければならない。

 

【4】 岸田文雄首相は国会に諮らないまま、実施を決めた。安倍氏をなぜ国葬とするのか、最後まで国民に十分な説明ができなかった。

 

【5】 国葬から1カ月以上が経過しても、疑念は解消していない。毎日新聞の10月下旬の世論調査では、「実施すべきではなかった」との意見が6割を占めている。

 

 

【6】 天皇と上皇の「大喪の礼」は法律に定めがある。しかし、政治家の国葬については明確な法的根拠がない。

 

【7】 政治家は本来、国葬にそぐわない。業績の評価が割れ、党派性を帯びることが避けられない。

 

【8】 戦後初となった1967年の吉田茂元首相の国葬に対しては、野党などから反発の声が上がった。このため、大平正芳氏以降の首相経験者が死去した際は、内閣と自民党による「合同葬」が主流となってきた。

 

【9】 安倍氏は、首相在任期間が歴代最長となった半面、強引な政治手法に加え、森友・加計学園や「桜を見る会」などの問題で批判を浴びた。死後に世界平和統一家庭連合(旧統一教会)との深い関わりが判明したことで、国葬反対論が広がった。

 

 

【10】 価値観の多様化が進む中、誰が国葬にふさわしいのか、国民的な合意を得ることは今後さらに困難になるだろう。

 

【11】 岸田首相は、国葬の対象者について「時の内閣が判断すべきだ」と主張している。国会審議のあり方などのルールを作ることも目指すという。

 

【12】 だが、形式的に手続きだけ整えても、政権が恣意(しい)的に運用する構図は変わらない。

 

【13】 政治家の国葬を巡る国民の分断が繰り返されてはならない。今回の教訓を生かすことこそが、政府と国会の責任である。

 

  • (3)抽出、上掲社説が掲げる「政治家の国葬が不要な理由」

 例によって、丸数字は社説掲載紙で①が朝日新聞、②が毎日新聞。その後の【】内数字がそのパラグラフ番号だ。

<理由1> 政治家の功績に普遍性はなく、罪過もあるから。①【5】【6】②【7】【9】


<理由2> 政治家の評価は政治的であるから。①【6】②【7】【10】


<理由3> 国民の内心の自由を侵す恐れがあるから。①【7】(*1)


<理由4> 法的に定められて居らず、国会にも諮らなかったから。②【4】【5】


<理由5> 政治家国葬をめぐる国論の分断は、あってはならないから。②【13】
 

  • <注記>
  • (*1) この<理由3>は、「曲解」の可能性無しとはしない。が、ココで態々「国民の内心の自由」を持ち出し、今次安倍元首相国葬での政府対応を引用しながら肯定せず、前回の吉田元首相国葬及びその他元首相の合同葬に際して出された「関係機関などに弔意の表明を求める閣議了解」を否定的に引用しているのだから、斯様な「国葬反対理由が、ある。」と判断した。
  •  「国葬ならぬ合同葬でも当該閣議了解は出されているのだから、当該閣議了解が"国民の内心の自由を侵害する恐れがある"と仮にしても、問題なのは当該閣議了解であって、国葬では無い。」のだが。
  •  一体何を、「忘れてはならない」のだろう、ねぇ。 

 

 

  • 1.抽出して、改めて呆れ果てている。お前ら、こんな屁理屈で「政治家の国葬を無くそう」って、図々しいにも、程があろう。

 政治家の国葬が何故必要か?」だと?「国に対する功績に報いるため。」だ。世界的に見れば、政治家に限らず「国に対する功績に報いるための国葬」ってのは、相応に普遍性があるようだ。
 米国の元大統領は、当人や遺族の反対が無い限り、民主党共和党に関わらず一律に、国葬にふされる。「合衆国大統領という大任を果たし、合衆国に貢献した。」という考え方、だろう。
 
 上掲②毎日社説が一寸だけ触れている通り(*1)、天皇陛下並びに上皇陛下が、我が国では「大喪の礼」として国葬にふされるのも、やはり「天皇並びに上皇という大任を果たし、我が国に貢献した。」という考え方、だろう。さしもの上掲朝日&毎日社説と雖も、我が国に於ける天皇陛下及び上皇陛下の国葬たる「大喪の礼」までは否定していない・・・「今の所は」だが。

 安倍元首相に「先行する」形で国葬にふされたエリザベス二世英国女王も、やはり「女王という大任を果たし、英国に貢献した。」という考え方であろう事に、一寸疑義の余地は無さそうだ。

 政治家や王族・皇族以外で言えば、歌手のオリビア・ニュートン・ジョンさんをオーストラリアが国葬にふすると決定したのも、記憶に新しいところだ。私(ZERO)でも名前を知って居るぐらいの世界的な歌手とは言え、「歌手が、国に貢献するのは、どれ程のことか?」には疑義を感じざるを得ないモノの、「オーストラリアが、歌手・オリビア・ニュートン・ジョンさんの同国に対する貢献に報いるために、国葬と決した。」というのには、矢っ張り一寸疑義の挟みようが無さそうだ。

 事ほど左様に、「国に対する功績に報いるための国葬」ってのは、相応に普遍性がある。朝日新聞と毎日新聞は認めずとも、「世界が認めている」と言っても、過言では無さそうだぞ。

  • <注記>
  • (*1) 寧ろ、「大喪の礼」として「法律に定められた国葬」の事例として引用され、「政治家の国葬は、法律に定められていない。」事を強調する手段とされている。 

 

  • <理由1> 政治家の功績に普遍性はなく、罪過もあるから。

  • ☆<理由2> 政治家の評価は政治的であるから。

 「国に対する功績に報いるための国葬」って、世界的には常識レベルと言えそうな原理原則に依って立つならば、「政治家の国葬に対する反対理由」の本家本元本丸は、上記の<理由1>と<理由2>であり、それ以外の理由は、ある意味「枝葉末節・些事・小物」である、と言えそうだ。また、上掲毎日&朝日社説が改めて触れている「モリカケ桜の類い」は上掲<理由1>を強調している。

 先ず<理由2>から行こうか。そもそも、「政治家の、政治家としての我が国に対する功績」は、「政治的なのが当たり前」で、「政治的でなかったら、奇蹟に近い。」であろう。
 更には、その「政治家としての功績を、国葬に価する、と評価する」事も「政治的であること」は一寸免れようがない。「引退した政治家で、出身政党が雲散霧消している。」なんてことでも無い限り、「政治家の、政治家としての我が国への功績を、国葬に価すると、評価する」事と、「その評価が政治的であること」とは一体不可分であろう。

 で、だ。根源的な問いになるのだが、「政治家としての功績が、国葬に価するという評価は、政治的である。」と言うことが、「政治家は、国葬にはしない」理由に、なるのだろうか?

 「国葬に価すると言う評価」が「政治的である」とほぼ同等に、「国葬に価しないと評価する」事もまた「政治的である」筈ではないか?

 「国葬にする/しない、と言う判断/評価が、政治的である。」として、「故に、政治家は全て国葬とはせず、国葬の”政治的中立”をはかるとするならば、それは、「政治家の功績を蔑ろにした、悪平等主義」ではないか?国葬そのものが、国民の法の前の平等に反しているとか言う主張(*1)(主として、憲法学者の説、らしい。流石は「半分(以上)気違い」だな。)にも、相通じるモノがあるが。

 言い替えようか。政治家が、政治家として、国葬に価する程の大功を為すと言うことは、「あり得る事」だろう。例えば、「戦争を勝利へと導いた(例 英国のウインストン・チャーチル)とか、逆に「戦争を美事に回避した(*2)」とか。
 左様な「政治家の大功」に対して、「その大功を為した政治家を、国葬にふすること」が、よし「政治的である」、例えば、「出身政党の選挙に有利に働く」としても、「国として、国葬に付することで、その大功に応える」事に比べたら、些事も良いところでは無いか。

 未来の「国葬にふされる者」=「我が国に対して大功を為す政治家」を涵養するためにも。信賞必罰は、国の基本であろうが。

 無論、それを「些事とは考えない」者も居ろうさ。だが、少なくとも、「些事と考える者(例えば、私(ZERO)だ。)」も居る以上、政治的だから、政治家は国葬禁止」というのは、少なくとも偏狭であろう。偏狂に、近いと思うぞ。

 <理由1>について言うならば、「人間の評価なんて、死後百年経たないと定まらない(それでも、定まらない、場合もある(*3)。)」と「罪過の無い人間など、居ない。」の二言で、大凡片付いて仕舞いそうだ。「死後百年経たねば評価は定まらず、罪過もあるに違いない、人間」の中から、「我が国に大功を為した」と認めたからこそ、「国葬にふする」のである。「評価が定まらない」のも、「罪過がある」」のも、人ならば当然であろう。

 従って、<理由1>「政治家の功績に普遍性はなく、罪過もあるから。」と言うのは、「政治家の国葬を禁じる理由」とは、ならない。

 ヒョッとして、百年、千年と時を経て、価値観が大きく変わり、「あの時、あんな政治家を国葬にするなんて、当時の日本人は何を考えて居たんだ!」って事に、ならぬとも限らないだろう。だが、今現在に生きる我等には、百年後・千年後の価値観なんて、判る訳も無い。我等は、我等の価値観で、我等の時代に於ける「政治家の大功を認め、国葬にふする」しか出来ないモノであり、その基準が「万古不易ではない」からとて、「如何なる政治家の大功をも、国葬に価するとは認めず(*4)、政治家の国葬を禁じる」なんてのは、本末転倒とは言わぬまでも、角を矯めて牛を殺そうって理論だろう。
 

  • <注記>
  • (*1) この主張に基づくならば、国葬はおろか、内閣葬も自民党葬も合同葬も県民葬も、「特別な葬儀」の殆どは「法の前の平等に違反する、日本国憲法違反」になりそうだ。
  •  ああ、社葬すら、危ういなぁ。 
  •  
  • (*2) 第二次大戦が欧州で勃発しなかったら、チェンバレン首相とかは、「戦争を美事に回避した」として国葬に価した、かも知れない。 
  •  
  • (*3) 例えば、「徳川家康の評価は、定まった。」だろうか?或いはもう一寸新しいところで、「乃木大将の評価は、定まった。」だろうか?
  •  特に後者は、「大半が大筋合意」と言うのさえ、無理がありそうだ。 
  •  
  • (*4) 「日本での国葬は、歴史的使命を終えた」説ってのは、この延長上にある、のだろう。 

 

  • (b)<理由3> 国民の内心の自由を侵す恐れがあるから。

 先行して突っ込みも入れているが、共産党なども唱えるこの「国葬反対理由」は、一見一聴「尤もらしい」が、実は「何を言っているのか、サッパリ判らない」のである。
 
 確か、日本共産党は安倍元首相国葬の当日に、(流石に国葬会場たる武道館では無かったが、都内で)国葬反対集会を開き、「国葬は内心の自由を侵害する」と抜かし、国葬会場での黙祷の時間にあわせて叫んだり楽器を鳴らしたりして「国葬反対を表明表現」していた。似たような事をした者は他にも居たし、国葬会場たる武道館付近にも居たそうだ。甚だしきに至っては、安倍元首相を銃撃し殺害したテロリスト山上に似せたコスプレーヤーまで、登場したそうだ。

 で、共産党委員長からテロリストコスプレーヤーまで、かくも「行動の自由」を保障され、「謳歌している」と言っても良い状態で、「共産党委員長やテロリストコスプレーヤーの内心の自由を、安倍元首相国葬が侵害している。」と主張出来るのは、一体どんなロジックなのか、私(ZERO)なんぞには全く想像出来ないし、理解の欠片も出来ない。「理解するヒント」すら、見出しがたい。

 そもそも、「弔意を強制する国葬」とか、「国民の内心の自由を侵害する国葬」なんてのは、「強制的に動員して国葬に参列させ、国葬対象(今回で言えば、安倍元首相だな。)の肖像写真の前で跪いて接吻させる(「踏み絵」の逆、だな。)」と言う、「北朝鮮か中共位でようやく出来そうな(ロシアですら、難しそうな)状態」ぐらいしか、私(ZERO)には想像しがたい。

 言い替えるならば、「国民の内心の自由を侵す恐れがあるから、政治家の国葬反対と言うのは、一見一聴「尤もらしい」が、我が国においては「タダのイチャモン」にしかならない。

 「内心の自由」というモノは、覚悟を決めた者に対しては、相当なことをしない限り「侵しがたい」モノである。一方で何しろ「内心・内面の話」であるから、「"国葬”って文字を見ただけ/読んだだけで、内心の自由が奪われるぅぅぅッl!!」って主張もまた、可能である。上掲毎日&朝日社説のように、な。
 
 で、だ。我が国で保障されるべき「内心の自由」がどの程度であるかには議論の余地が在りそうだが、少なくともそれは無制限無限大では無いだろうし、後者のような気違いに「内心の自由を保障する」モノでは無いだろうよ。(ってぇか、後者のような気違いに「内心の自由を保障する」って状態は、一寸想像を絶するんだが。)

  • (c)<理由4> 法的に定められて居らず、国会にも諮らなかったから。

 「吉田茂元首相国葬は、閣議決定のみで実施された。」し、「安倍元首相国葬は、国事行為の一つとして、閣議決定で実施した。」と言うのは、既に何度か記事にしたところ。国葬の費用を「閣議決定で支出出来る、予備費から支出した。」のも記事にした。吉田茂元首相国葬は、「全くナンの法的根拠が無くても、国葬実施出来た」実績であるし、安倍元首相国葬は「法的解釈の範疇で、国葬実施出来た」実績である。
 
 「それは”悪しき実績”で、法的に問題だ。」と言うならば、少なくとも吉田茂国葬の際に主張すべきであった、筈だ。国葬令の復活を求めるなり、「国葬の是非は国会で審議する」と閣議決定するなり、手はあったろう。
 左様な主張を少なくとも継続的に行わず、左様な手を取ることも無く、今次の安倍元首相国葬ににタダ「国葬反対」を唱えただけでその実施を阻止すら出来なかった、その同じ理由・根拠で、「政治家の国葬反対」も出来る=「政治家の国葬反対理由として有効である」なんて、何故思えるのかね?
 
 ああ、世論調査の結果で、「安倍元首相国葬は、実施すべきでは無かった。」ってのが6割だか7割だかの多数派だから、同じ理屈で騙せる国民は多かろうって、算段か。

 国民も、馬鹿にされたもんだな。

  • (d)<理由5> 政治家の国葬をめぐる国論の分断は、あってはならないから。

 今回抽出した「政治家の国葬反対理由」の中で、一番呆れ返ったのが、この毎日新聞が掲げた<理由5>「政治家の国葬をめぐる国論の分断は、あってはならないから。」である。

 国論の分断」?「国論の分断」??「国論の分断」だとぉ???あ・れ・が・かぁ???????!!!

 もとい、言い直そう。今次「安倍元首相の国葬」に対して、賛否両論があったのは事実だ。賛否両者の対立も、無かったとは言わないさ。だが、賛否デモ隊同士が「もめた」と言う事例すら、我が国では寡聞にして聞かない。

 第一、我が国は民主主義を標榜しており、言論の自由も思想信条の自由も保障している。賛否両論、あって当然であり、比率の程度は在れども「国論は分断されている」のが常態である。その賛否両論者同士が武力衝突して流血の事態にでも至らない限り、「国論の分断」なぞ、恐れるに足らない。否、寧ろ、「民主主義の健全性を証するモノ」として、歓迎すべきではないか。

 逆に、国論は常に統一不可分とされているべきだ!」って主張の恐ろしさを、一寸は考えてみてはどうか。

 大凡この世は、賛否両論あるのが当然。「無い」のは不自然或いは奇蹟言うモノだ。賛否の比率こそ様々だろうが、如何なる正論や理想論であろうとも、反論、反対論、否定論、非難批判等は、イチャモンや偏屈へそ曲がりを含めて、「ある」のが当然。「無い」のは極めて不自然であり、「無いはず」なんてのは、思い込み以外の何物でも無い。
 
 であるならば、大宰相たる吉田茂元首相や安倍晋三元首相の国葬に限らず、「政治家の国葬に対する反対論」は、あって当然。「無い」のは極めて不自然である。全国民レベルの洗脳思想統制でもしない限り、「政治家の国葬に対する反対論」は、今後もあるだろうし、「ある」のが当然。否、寧ろ、人が人であり、自由意志を持つ存在である限り、「あるべき」だろう。

 「国論の分断」を理由として、「政治家の国葬を禁じる」事が出来るのならば、ありとあらゆる施策政策は、禁じられるだろう(*1)。いや、寧ろ、「国論を分断しない」即ち「万人が誰一人例外なく賛成する(或いは、反対する)」施策政策なんて、何があるってんだよ。「核兵器廃絶」だって「貧困撲滅」だって「世界平和」だって、「誰一人例外なく賛成する」と思うのは、傲岸不遜というモノだぞ。

  • <注記>
  • (*1) そう言えば、昔々、美濃部ってバカ都知事が「反対者が一人でも居れば、橋は架けない。」とか抜かしていたな。毎日新聞とは、同類・同種のバカなのだろう。 


 

  • (e) 所で、「我が国では、政治家の国葬禁止」となると、我が国の国葬は「大喪の礼」だけになりそうだんだが。

  即ち、天皇陛下と上皇陛下以外は、「我が国では国葬にならない」って状態になるんだが、朝日新聞&毎日新聞は、それを是とするのかね?

 或いは・・・左様な状態に陥れた上で、「大喪の礼は、国民の平等を明記した日本国憲法違反だぁぁっ!」と、始める気だろうか。既に憲法学者共(の一部?)が始めている様に。

 だとすると、上掲朝日&毎日の「政治家国葬反対社説」は、「単なるアベガー社説」と、侮る訳には行かなくなる、な。
 

  • 言うだけなら、タダだからな。ー【朝日社説】平和首長会議 国境越えた核廃絶発信を

 有り体に言って、私(ZERO)は、核廃絶ジェンダー平等も「差別のない社会」も「貧困のない社会」も「冤罪のない社会」も、ハナっから「信用していない」どころか「胡散臭さ全開としか、思えない」。

 一見・一聴、「誰もが賛同し、異論も無さそう」とさえ思えるこれらの「お題目」であるが、「冤罪なんてのは、人が人である限り、免れようがない。」としか思えないし、「貧困」なんてのは、「財産なてものが出来て以来の"人類の宿敵"」だ。そうおいそれと「無くせる」訳が無いし、「無くそうとした結果の一つ」が「共産主義」と言う「壮大な社会実験にして人体実験」だ。「貧困を無くす方法」は、共産主義ばかりではないし、今後も新たなアイディアが出て来るのだろうが、「貧困なくせ!」のスローガンだけで無くせるほど柔な敵ではないし、「如何にして無くすか」が極めて重大である。(それは正に、共産主義の失敗が示している。)
 
 「差別行動」は制限できるかも知れないが、「差別思想を無くす」には、国家による思想統制が不可欠だろう(*1)。「差別のない社会」のために「国家による思想統制」なんて、少なくとも私(ZERO)は御免被る。

 「男が普通に妊娠出産するか、女は普通は妊娠出産しない」社会になら無い限り、「ジェンダーが平等な、訳が無い」。であると言うのに、給料が同一基準だとか、待遇が同一(*2)とした程度で、「ジェンダー平等」と抜かすのは、詐欺以外の何なのだろうか。また、私(ZERO)個人的には「男が普通に妊娠出産する社会」も、「女は普通は妊娠出産しない社会」も、デストピアとしか思えず、御免被る。前者には未だ超技術が必要で非現実的なのは、救いと言えば、救いだ。後者は「極端な人口抑制」やクローンないし試験管ベビーを含めた「出生の国家管理」が必要になろう。想像するだに、イヤな世界だな。

 で、核廃絶」だ。「核兵器のない世界」が「現状・現行の世界よりも、良い」と単純に「信仰出来てしまう」らしいのだから、実におめでたい限りだな。

 「核兵器のない世界」とは、「一国の核兵器保有国によって、全世界が征服されて仕舞いかねない世界」だ。少なくとも「無条件に、”現状・現行の世界よりも良い"とは、言えない」筈、なんだが・・・さぁって、朝日社説や「平和首長会議」とやらは、どう考えているのかねぇ。(前者は大方、察しはつくな。)
 

  • <注記>
  • (*1) それでも、無くせるかどうか怪しいものだが。全国民的強制洗脳で、ナントカ、って所だろう。 
  •  
  • (*2) って事は、女性に生理休暇は無い、か、男性に「生理休暇」を認める、筈だな。
  •  男性の「生理休暇」をどう言う基準で認めるのかは、実に興味深いが。 


 

  • (1)【朝日社説】平和首長会議 国境越えた核廃絶発信を

平和首長会議 国境超え核廃絶発信を

 

https://www.asahi.com/articles/DA3S15453444.html?iref=pc_rensai_long_16_article

 

 

2022年10月23日 5時00分

 

記念撮影する海外都市の代表者たち。核廃絶への思いを共有した=2022年10月20日午後0時33分、広島市中区の広島国際会議場、黒田陸離撮影

 

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 核保有国による核軍縮の取り組みが遅々として進まない一方で、ロシアがウクライナに侵略し「核の脅し」を重ねたことは、広島と長崎に続き核兵器が再び使われかねない現実を突きつけている。そうしたなか、自治体は市民により近い立場から、核廃絶に向けてどんな役割を果たせるのか。

 

 東西冷戦さなかの40年前、国連での広島市長の呼びかけで発足した平和首長会議が、10回目の総会を広島市で開いた。

 

 採択した「ヒロシマアピール」は「核戦争が勃発するリスクは最も高くなっている」と危機感を示し、「核兵器の脅威から人類が免れる唯一の方法は、『廃絶』しかない」と強調。核保有国が核不拡散条約(NPT)に定められた核軍縮の義務を果たすとともに、非核国が主導して発効した核兵器禁止条約を各国がこぞって批准することを求めた。

 

 首長会議には、米ロなど核保有国を含む166カ国・地域の8213都市が加盟する。核保有国とその同盟国が核抑止論にこだわるなか、国の境を超えて自治体が連帯し、核廃絶への原点に立ち返るよう訴えた。その意義は小さくない。

 

 ロシアのウクライナ侵略後、首長会議に加わる動きが欧州を中心に相次ぐ。全米市長会議は昨年の決議で、核禁条約を歓迎し核廃絶へ即時に行動するよう米政府に求めた。その際、首長会議の加盟市が大きな役割を果たした。自治体の存在感が増している現状を生かし、首長会議は活動を拡充させてほしい。

 

 重要なのは、市民社会と手を携えてメッセージを発していくことだろう。首長会議を支えてきたのは、広島と長崎の被爆者からの「二度と過ちを繰り返してはならない」との訴えだ。総会では、東京都多摩地域の26市が、戦争体験のアーカイブ事業や平和に関する学習で連携してきた歩みなど、内外の事例が紹介された。ネットワークを生かし、多様な試みを共有しつつ広げることを期待する。

 

 唯一の戦争被爆国である日本の果たすべき役割は大きい。

 

 平和首長会議への加盟は国内市区町村の99%超、1737に及ぶ。併せて開いた国内加盟都市の総会では、来年に予定される核禁条約第2回締約国会議へのオブザーバー参加と条約の署名・批准を日本政府に求める要請文を決めた。

 

 核軍縮に関する国際賢人会議が年内に、来春にはG7首脳会議が、ともに広島市で予定されている。一連の会議を主宰する岸田首相は、首長会議の訴えを真摯(しんし)に受け止め、核禁条約に背を向け続けている姿勢を一刻も早く改めるべきだ。

 

  • (2)自治体は、国防も国家安全保障も担っていない。そんな自治体の「核廃絶発言」は、「良い気なモノの、格好つけ」でしかない。

ああ米国の州知事となると、この限りではない、か。米国の州には州軍があって(無い州も、ある。)、些かなりとも国防の責を負っている。基本、予備役の軍人と二線級の装備からなる米国州軍だが、そこは「米国の二線級装備」であるから、大抵の正規軍に勝るとも劣らない装備だったりする。流石に核兵器は、州軍では扱わず、合衆国大統領の一元管理下にある、が。
 
 であるならば、章題にした通り、「自治体は、国家よりも市民に近い存在」だろうが、「米ロなど核保有国を含む166カ国・地域の8213都市が加盟」しようが、「(核保有国ではない日本の)国内市町村の99%超の1737が加盟」しようが、この平和首長会議なるモノは、各国の国防にも国家安全保障にも核兵器の保有および使用にも、何の権限も責任も有して居らず、「傍観者にして、第三者」なのである。

 なればこそ、

1>  「核兵器の脅威から人類が免れる唯一の方法は、『廃絶』しかない」と強調(*1)
2> 核保有国が核不拡散条約(NPT)に定められた核軍縮の義務を果たすとともに、
3> 非核国が主導して発効した核兵器禁止条約を各国がこぞって批准することを求めた。


と、実に無責任なパフォーマンスを、呑気に演じることも出来てしまう。それを賞賛絶賛して見せる、朝日新聞も、相当に脳天気だが、な。

 再度繰り返そう。「核兵器廃絶された世界」とは、普通に考えれば、「一国の核兵器保有国によって、全世界が支配されて仕舞いかねない世界」だ。その「一国の核兵器保有国となり、全世界を支配しよう。』なんて下心でも無い限り、「核兵器廃絶を無条件に推進し、礼賛絶賛する」なんてことは、出来ない筈だ。

 いや、もう一つ、可能性があったか。どうせ、核兵器廃絶なんて実現しない、と多寡を括った上での、純粋なパフォーマンスとしての『核廃絶発言』って可能性が。どうも、脳天気な「核廃絶宣言』なるモノを出したのが、「平和首長会議」なる各国地方自治体の首長の集まりであることからすると、この純粋なパフォーマンスとしての『核廃絶発言』って公算は、極めて大きそうだ。実に無責任な「格好つけ」であるな。
 
 ああ、そんな「純粋なパフォーマンスである公算大」な「平和首長会議の核廃絶発言」を、社説で取り上げて礼賛絶賛して見せて、「日本政府も見習え!」と言わんばかり(イヤ、ハッキリと、言っている、か。)の朝日新聞は、「その間抜けさや純粋な善意で、そうしている。」とは、考えるべきではないだろうな。
 

  • <注記>
  • (*1) 何を以て、左様な『核廃絶』状態を維持するつもりなのか? 
     
  • 不信はあれども、人身事故無し。-【沖縄タイムス社説】[オスプレイ配備10年]強行が政府不信広げた 【琉球新報社説】オスプレイ配備10年 普天間配備機の撤去を

  何しろ、オスプレイが沖縄の米軍基地に配備される前後の沖縄二紙の騒ぎったら、尋常では無かった。
 無論、こと国防であるとか安全保障であるとか米軍基地絡みとなると、「発狂して尋常では無くなる」のは、沖縄二紙のデフォルトなんだが、世界初の実用チルトローター機という画期的な新機軸を備えるとは言えたかだか「米軍新型輸送機」でしかないオスプレイに対して、危険な欠陥機」だの「未亡人製造機(*1)」だの「空飛ぶ棺桶(*2)だの、「非難対象が一軍用機種」だから良いモノの(*3)、コレが個人や企業や団体だったら立派な名誉毀損になりそうな罵詈雑言を並べ立てられた上、非人道的なレベルで利己的なことに基地周辺住民の沖縄県民の命を危険に曝すから、沖縄配備(だけ)反対」と公言断言され、「沖縄県民大会決議」なんて公式公的文書にまでなっているのである。

 ああ、「非人道的なレベルで利己的な、沖縄県民大会決議」を出したのは、「沖縄県民であって、沖縄二紙ではない」が、同決議を出すに当たって大いに「危険な欠陥機オスプレイ」と煽り立て、決議が出てからはその決議を礼賛絶賛しているのは、沖縄二紙だ。「非人道的なレベルで利己的な、沖縄県民大会決議」に対し、沖縄二紙の責任は、決して軽くは無かろう。

 ああ、諄いようだが解説しておこう。オスプレイは危険な欠陥機であり、基地周辺住民の沖縄県民の命を危険に曝すから、沖縄配備(だけ)反対」と明言断定断言している「沖縄県民大会決議」を、私(ZERO)が「非人道的なレベルで利己的」と断罪弾劾するのは、「危険な欠陥機オスプレイに対する対処法が、非人道的なレベルで利己的だから」だ。

 先ず、断言しておくべきだろうな。「オスプレイは、危険な欠陥機などではない。」と私は考えて居る。だが、「仮にオスプレイが危険な欠陥機」だとしたら、その危険に真っ先に曝され免れようが無いのは、「オスプレイが配備された基地の周辺住民」ではない。況んや、「オスプレイが配備された沖縄基地周辺の沖縄県民」では、もっと、ない。
 
 「欠陥機であるオスプレイ」の危険に真っ先に曝され、免れようが無いのは、そのオスプレイに搭乗し、操縦したり運ばれたりする将兵であり、沖縄米軍基地に配備されたオスプレイならば、それに搭乗する米軍将兵である。ああ、今は我が陸自にもオスプレイは配備されているから、オスプレイに搭乗する陸自将兵も、同じく「真っ先に欠陥機オスプレイの危険に曝され、免れようが無い」な。

 左様に「真面に考える」ならば、「危険な欠陥機オスプレイ」に対する「真っ当な対処」は、「オスプレイの沖縄(だけ)配備中止/撤回」な訳が無い。「オスプレイの飛行停止、運行中止」であり「オスプレイの欠陥除去」であり、それが適わないのならば「オスプレイの廃棄処分」を訴えるべきであり、コレは沖縄配備のオスプレイに限った話では無い、筈だ。

 であるというのに、当該「沖縄県民大会決議」と来たら、「危険な欠陥機オスプレイ」の危険を「基地周辺の沖縄県民に対する危険」としか捕らえず、考えず、当時でさえ既に沖縄県以外の米軍に配備されていたオスプレイに対し、沖縄配備反対」するだけ、なのである。
 コレは、字面文言は違えども、「沖縄配備だけ反対」であり、その意味するところはオスプレイに搭乗している米軍将兵(当時)の命も、沖縄以外のオスプレイ配備基地周辺住民の命も、知ったことではない。」という明言断言断定である。

 「非人道的なレベルで利己的」としか、評しようがあるまい。

 で、そんな「非人道的レベルの利己主義者である沖縄県民」に迎えられたオスプレイが、配備されて10年を経たそうだ。下掲するのは、「オスプレイ配備10周年を記念する、沖縄二紙の社説」である。さて、少なくとも10年前は「非人道的なレベルで利己的」であることを暴露した沖縄二紙は、今はどうなっているか・・・(読まなくても、大凡予想は付くな。)

  • <注記>

  • (*1) 因みに、航空機史上には、一時期「未亡人製造機」とあだ名されながら、後に傑作機として名を残した機種が、少なくとも2機種ある。第2次大戦中の双発中型爆撃機B-26 マローダーと、超音速戦闘機黎明期のセンチュリーシリーズの一つ、ロッキードF-104スターファイターだ。特に後者は、我が国でもライセンス生産されて航空自衛隊に配備され、我が国防空の一翼を担った他、西ドイツなどでもライセンス生産された、押しも押されもしそうにない傑作機に化けた。

  •  故に、「未亡人製造機」と呼ばれたからとて、絶望するのは気が早い、と言うべきだろう。 

  •  

  • (*2) この仇名も、先代がいたなぁ・・・第1次大戦機だった、気がする。 

  •  

  • (*3) 自由意志も明らかにはないし、口もきかないから、訴訟も起こさないだろうしな。 


 

  • (1)【沖縄タイムス社説】[オスプレイ配備10年]強行が政府不信広げた

  • 【沖縄タイムス社説】[オスプレイ配備10年]強行が政府不信広げた

 

 

 

https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1033820

 

2022年10月1日 12:29

 「空飛ぶ欠陥機」と呼ばれるMV22オスプレイが、「世界一危険」といわれる米軍普天間飛行場に配備されてから、きょうで10年になる。

 

 沖縄の民意を無視し続ける政権の姿勢が、政府不信を広げている。

 

 配備の約1カ月前の2012年9月9日、宜野湾海浜公園であった県民大会には、計画の即時撤回と普天間飛行場の閉鎖、撤去を求め、主催者発表で約10万1千人が集まった。県議会と全41市町村議会の反対決議を背景に、基地絡みの集会では復帰後、最大となった。

 

 普天間飛行場の返還合意の原点である「危険性の除去」に逆行する配備に、沖縄戦体験者から小さな子どもまで、赤いプラカードを掲げて「レッドカード」を突き付けた。保革の枠を超えた、まさに県民が一体となった訴えだった。

 

 あれから10年。この間、普天間所属のオスプレイは、その呼び名の通り重大事故を繰り返している。緊急着陸、部品落下、そして名護市安部の沖合への墜落事故…。配備後、飛行中に少なくともクラスAとされる10件の重大事故が発生している。

 

 「ドドドドドド」という不快な重低音に、慣れることはない。県民は日々の暮らしの中で、墜落の不安を抱えている。

 

 「これ以上の基地負担を断固として拒否する」と訴えた大会決議に、日米両政府は今も目を向けないままで不条理が続く。

 

■    ■

 

 日米両政府は普天間飛行場への配備に際し、飛行場への進入や出発経路は「できる限り学校や病院を含む人口密集地域上空を避ける」と規定した。騒音防止協定では深夜早朝(午後10時~翌午前6時)の飛行を「最小限に制限される」と定める。しかし、いずれも形骸化している。

 

 9月26日の日米合同委員会では、MV22が低空で飛行訓練することを合意した。10月18日までの期間中、沖縄を除く日本国内の住宅地の上空を避けた空域で実施するという。日米合意では、日本の航空法に準じ地上約150メートル以上で飛行すると明記しているが、今回はより低い約90メートル以上の空域での訓練になる。

 

 米軍は「運用上」の理由でさまざまな訓練を強行し、日本政府も追認してきた。なし崩し的に沖縄でも低空飛行が常態化する可能性がある。

 

 この10年であらわになったのは、日米合意の破綻だ。

 

■    ■

 

 MV22だけではない。米空軍の特殊作戦部隊は嘉手納基地に常駐しており、米空軍のCV22が訓練で度々飛来している。さらに、陸上自衛隊のオスプレイV22が沖縄で訓練する可能性もある。尖閣諸島を巡る問題や「台湾有事」を背景に、共同訓練などで日米の軍事一体化も加速する。

 

 復帰50年に合わせ本紙などが実施した県民意識調査では、基地問題で国が「沖縄の声を聞いていない」との回答が7割を超えた。

 

 オスプレイの強行配備を通して見えるのは、軍の論理や政府の都合で犠牲を背負わされる沖縄の姿だ。

  • (2)【琉球新報社説】オスプレイ配備10年 普天間配備機の撤去を

オスプレイ配備10年 普天間配備機の撤去を

 

 

https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1592830.html

 

2022年10月1日 05:00

社説

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 米海兵隊の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの普天間飛行場への配備から1日で10年となった。県内ではこの間、普天間配備のオスプレイは墜落や緊急着陸など17件の事故を起こしている。沖縄からの全機撤去を求める。

 

 さらには陸上自衛隊が運用するV22のオスプレイの訓練が県内で行われる可能性がある。これ以上の負担増は断じて認められない。

 開発段階から構造的な欠陥が指摘されてきた。県議会は反対を訴える抗議決議を3度にわたって可決するなど、総意として反対姿勢を示したが強行配備された。

 普天間のオスプレイは2016年12月に名護市安部で墜落、17年にも豪州で墜落し、18年には機体の一部を落下させるなど事故が相次いでいる。海兵隊のMVと構造や性能が同一である米空軍のCV22について米空軍はことし8月、不具合があるとして約1カ月にわたって飛行を停止した。欠陥機と言わざるを得ない。

 オスプレイが事故を起こすと、地元自治体や議会は当然のこととして民間地上空の飛行停止などを求めている。オスプレイ以外の米軍機にも共通しているが、県民の不安が拭い去られないまま米軍の裁量で飛行は再開される。

 つまりは県民の求めが一顧だにされない。その不安を増幅させるのは、日米の隠蔽(いんぺい)体質である。オスプレイの沖縄配備については1990年代から両政府が協議を続けてきたが、日本政府は国会で追及されてもひた隠しにしてきた。沖縄配備を認めたのは2010年になってからだ。

 CVの飛行停止について海兵隊はMVで同様の不具合を10年の段階で把握していた。12年の沖縄配備前のことだ。県民の命に関わる重大な問題が隠されたまま同機の運用が続けられてきた。空軍が運用を止めた間も海兵隊は飛行を続けた。

 普天間のオスプレイは危険なつり下げ訓練や那覇軍港への飛来など沖縄の空をわが物顔で飛び回っている。普天間所属以外にも米空軍、海軍のオスプレイが恒常的に飛来する。さらには陸上自衛隊が運用するV22について吉田圭秀陸上幕僚長は沖縄を含む南西諸島周辺で訓練を行う可能性があることを認めた。理解は得られまい。

 県民生活を脅かし、構造的、差別的とも言われる基地問題の根源の一つには主権国家であることが疑われるような日本政府の対米追従の姿勢があり、また一つには航空法など国内法の適用を免じる日米地位協定の欠陥がある。

 沖縄だけの問題ではない。普天間のMV22の低空飛行訓練が県外で実施される。沖縄の負担軽減の名目で、住宅地を避けると言うが、そのような飛行は不可能ではないか。欠陥機の飛行に理解は得られないはずだ。国民を危険にさらすオスプレイの普天間飛行場からの撤去と地位協定の抜本改定を強く訴える。

 

  • (3)予想通りの「非人道的なレベルの利己主義」ぶり


1> 配備後、飛行中に少なくともクラスAとされる10件の重大事故が発生している

を以て、

2> あれから10年。この間に普天間所属のオスプレイは、その呼び名の通り重大事故を繰り返している。

って断言しちまうんだから、スゴいよなぁ。クラスA事故ってのは、「損失百万ドル以上、ないし死者が出た事故」であり、事故の中では一番重大な事故なんだが、沖縄配備のオスプレイには事故死者が出た事故は無いから、この10件は全部「百万ドル以上の損失」ってだけである。その上、その「オスプレイ沖縄配備の10年間」に、「沖縄県民は、事故死者どころか、負傷者すら皆無」であることには、全く触れていない。

 大体、10年間に「クラスAの事故10件」って事は「毎年1件のクラスA重大事故」でしか無い。何度か繰り返しているが、「落ちない飛行機は、飛ばない飛行機だけ。」であり、実際に運用し飛行している飛行機には「墜落事故が後を絶たない」のは当たり前。逆に「墜落事故が後を絶った機体」なんてのは、無い。「飛行機が飛ぶ以上、墜落の危険は、常にある。」のであり、それは何もオスプレイにも米軍機にも軍用機にも限らない。民間機だって、旅客機だって、同じ事だ。
 
 だから、こうした「航空機の危険性」を評価する指標としてよく使われるのは「飛行時間あたりの事故件数」であり、更には「飛行時間あたりのクラスA(重大)事故件数」である。少なくとも後者について、米軍はその所属機の「飛行時間当たりクラスA事故件数」を公表しており、オスプレイのそれは決して高い価ではない。米軍機としては並であり、下手な民間航空会社よりも低いぐらい。「空飛ぶ欠陥機」などと、未だに沖縄二紙は平気で書いてくれるが、左様な根拠は最早過去のモノである。

 ま、そんなこと、言うだけ無駄なのだろうけどな。弊ブログでも取り上げた、平安名純代記者の署名記事「崩れた安全神話」だの、沖縄二紙が散々持ち上げた「オスプレイの専門家リボロ氏が指摘する、オスプレイの構造的欠陥」も、チョイと知識のある者(下手すると、中学生レベルだな・・・)から見れば与太記事も良い処。そんな「好都合な専門家」や「恣意的な与太記事」と同レベルで未だに「空飛ぶ欠陥機オスプレイ」とか明記断定しているんだから。

 「バカは死ななきゃ治らない」とは、この事だな。」

  • 朝日社説が「一見真面」は、要警戒。ー【朝日社説】ロケット開発 失敗を糧に前へ

 弊ブログを些かでも御覧になれば明白であろうが、私(ZERO)は「殆ど生まれながらの右翼」であり、アカ新聞たる朝日新聞とは、随分前から「水と油」と言うか、「不倶戴天の敵」とは言わぬまでも(イヤ、言うべきかな。)、「犬猿の仲」ではある。
 
 思い起こせば小学生の頃、「少年朝日年鑑」なる本で、自衛隊の装備品と大日本帝国陸海軍の装備品を比較して、自衛隊の兵器は大日本帝国陸海軍より強力だぁぁぁぁぁ!何のためにぃいぃ!!!!とフルカラーの挿絵込みで煽っていたのに感じた「違和感」から、私(ZERO)と朝日の「対立」は始まっていた。

 「第二次大戦も前半のレシプロ艦上戦闘機・零戦と、第二次大戦後でも第3世代となる超音速ジェット戦闘機F-4EJファントムⅡを比較して、”後者が前者よりも強力だ”なんてのは、意味が無い。」と気付くのは、小学生の私(ZERO)でも無理だった(*1)が、「小学生と雖も、ウカウカとは騙されなかった、小さな猜疑心」が、現在の「海よりも深く、山よりも高そうな」彼我の乖離対立に繋がったかと考えると、「三つ子の魂百までも」とは、正に至言であろう。

 だが、そんな「彼我の乖離対立」があればこそ、「珍しく、同意できる朝日社説」というのは実に貴重であり、特筆大書して記録しておく価値がありそうだ。

 と、思ったんだが・・・

  • <注記>
  • (*1) だが、高校生ともなれば、これぐらい気付く。「自衛隊の装備品と比べるべきは、大日本帝国陸海軍の装備品では無く、同時代他国の装備品である。」と。 


 

(1)【朝日社説】ロケット開発 失敗を糧に前へ

【朝日社説】ロケット開発 失敗を糧に前へ

ロケット開発 失敗を糧に前へ

 

 

https://www.asahi.com/articles/DA3S15445510.html?iref=pc_rensai_long_16_article

 

2022年10月15日 5時00分

 

打ち上げられたイプシロンロケット6号機。6分過ぎに機体の姿勢に異常が見つかり、指令破壊された=2022年10月12日午前9時50分、鹿児島県肝付町、朝日新聞社ヘリから、堀英治撮影

 

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 宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発するロケット「イプシロン」6号機の打ち上げが失敗に終わった。ロケットの姿勢に異常がみつかり、搭載した8基の人工衛星を軌道に投入できないと判断し、信号を送って意図的に破壊したという。

 

 現在、運用中の大型ロケット「H2A」が液体酸素と液体水素を燃料とするのに対して、固体燃料を用いているのがイプシロンの特徴だ。小型衛星ビジネスのなかでの市場獲得を目指し、短期間に低コストで打ち上げられるロケットとして2010年に開発が始まった。別の流れで開発が進んできたH2Aとともに、日本の「基幹ロケット」に位置づけられている。

 

 JAXAや文部科学省がさっそく対策本部をつくり原因の究明に乗り出している。設計にミスがあったのか、あるいは部品の製造に問題があったのか、まずは確実な原因解明と再発防止を求めたい。日本の宇宙開発への国際的な信頼性が問われる局面でもある。調査に客観性を持たせ、途中経過を随時公表するなどして説明責任を果たしていくことが欠かせない。

 

 国産ロケットの打ち上げ失敗は、03年のH2A6号機以来となる。このときには再開まで1年以上かかった。

 

 イプシロンはさらに改良したのち、来年度にベトナム向けの地球観測衛星を打ち上げる予定だった。民間に運用を移管する計画も進むが、影響は避けられそうにない。改良型のイプシロンは、H2Aの後継として準備が進む「H3」と、部品の一部が共通化される。H3の開発に影響はないのかも慎重に見極める必要がある。

 

 固体燃料ロケットは、その源流をたどると、1950年代に東京大学の糸川英夫教授が考案した鉛筆サイズの「ペンシルロケット」にさかのぼる。政府の宇宙基本計画でも「戦略的技術として重要」とされている。

 

 ただ、イプシロンは13年からまだ6回しか打ち上げられていない。経験を積み技術を完成させていく上であまりに少ない。10年に初めて打ち上げられた米スペースX社のロケットが、途中の失敗も含め既に200回近い経験を積み、商業ベースで活躍しているのとは対照的だ。

 

 宇宙を「戦闘領域」に位置づけるような世界の動きを受け、日本の宇宙開発も安全保障分野への傾斜を急速に強めている。そのしわ寄せが他の分野に及ばないかが心配だ。

 

 イプシロンも限られたコストで高い性能や多くの機能を追い求めるあまり、計画自体に無理がなかったか。失敗を糧に前に進むために、幅広い視野から検証する機会にもしたい。

 

  • (2)「矢っ張り朝日」で、一寸安心。

 

  • 1>  日本の宇宙開発も安全保障分野への傾斜を急速に強めている。
  • 2> そのしわ寄せが他の分野に及ばないかが心配だ。


・・・って、まるで今回のイプシロンロケット打ち上げ失敗が、「宇宙開発の安全保障への急速な傾斜のせい」と言わんばかり。流石に左様に断定断言はしていないが、「断定断言して責任を追及される様な真似はせず、印象操作で貶める。」手法こそ、老舗全国紙朝日の真骨頂。「従軍慰安婦強制連行説」でもお馴染みの手だ。

 左様な「邪推」をさっ引いても、「宇宙開発の、安全保障分野への傾斜」を牽制できるから、朝日にしてみれば「損はない」訳だ。

 なかなか、巧妙にして姑息であるな。

 上掲笹朝日社説の全体を通じての主張たる「イプシロンロケット打ち上げ失敗を糧として、宇宙開発は前進すべきだ。」ってのには、私(ZERO)も(珍しく)同意できる。なればこそ、態々ブログ記事に取り上げたのだ。

 だが、「宇宙開発の、安全保障への傾斜」が「他分野のしわ寄せ」にしかならないような、軍事蔑視・安全保障軽視には、全く同意できない。

 史上初の実用ロケットが、V-2弾道ミサイルであった史実・事実が端的に示す通り、「宇宙開発の、安全保障への傾斜」が「宇宙開発を促進し、他分野へも(しわ寄せでは無く、)波及する」ことだって、あるのだ。
 

  • 手前ぇら、何か忘れてねぇか?-【朝日社説】日豪安保協力 地域の安定につなげよ &【毎日社説】日豪の安保共同宣言 関係いかし地域の安定を

 日本の岸田首相とオーストラリアのアルバニージー首相が首脳会談し、新たな安全保障協力に関する共同宣言に署名した、そうである。

 下掲するのは、かかる事態を受けての朝日新聞と毎日新聞の社説、な・の・だ・が・・・

  • (1)【朝日社説】日豪安保協力 地域の安定につなげよ  

日豪安保協力 地域の安定につなげよ

 

 

https://www.asahi.com/articles/DA3S15455886.html?iref=pc_rensai_long_16_article

 

2022年10月26日 5時00分

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オーストラリア西部パースのキングスパークで22日、コアラを抱く岸田首相(右)とオーストラリアのアルバニージー首相=AP

 

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 東・南シナ海から南太平洋まで、海洋進出を強める中国に対し、民主主義、人権、法の支配といった価値観を共有する両国が、協力して臨むのは当然だ。力による現状変更を許さないのと同時に、対話や信頼醸成にも共に取り組み、地域の平和と安定に資する連携にしなければならない。

 

 岸田首相が先週末、豪州を訪れ、アルバニージー首相と会談し、新たな安全保障協力に関する共同宣言に署名した。07年に、当時の安倍、ハワード両首相が初の安保共同宣言に合意して以降、自衛隊と豪州軍が弾薬などを融通し合う「物品役務相互提供協定(ACSA)」や、共同訓練で相互訪問する際の手続きなどを定めた「円滑化協定」の締結など、両国はこの分野での協力を深めてきた。

 

 今回の宣言は「今後10年の羅針盤」とされ、「緊急事態に関して、相互に協議し、対応措置を検討する」と明記、自衛隊と豪州軍の相互運用性の更なる強化などが盛り込まれた。岸田首相は会見で「特定の国や地域を念頭に置いたものではない」と述べたが、中国が視野にあることは疑いようがない。

 

 ただ、中国と経済的な結びつきの強い国が多い東南アジア諸国連合(ASEAN)にしても、日米豪印4カ国による「QUAD(クアッド)」の枠組みに参加しつつも「非同盟」の伝統を持つインドにしても、多くの国が望むのは、中国との平和的な共存だろう。

 

 台頭する中国に対し、日本は「自由で開かれたインド太平洋」を掲げ、日米同盟を基軸に、豪州や欧州諸国とも安保面での協力を強めてきた。軍事的な対抗措置が突出して、かえって緊張を高めたり、地域に分断をもたらしたりするようでは元も子もない。日豪両国には外交努力を含む、バランスのとれた取り組みが求められる。

 

 多くの天然資源を輸入に頼る日本にとって、世界有数の資源大国、豪州との緊密な関係は欠かせない。ロシアによるウクライナ侵略や円安の影響で価格が高騰し、経済や暮らしを直撃している今はなおさらだ。両首脳がエネルギー分野でも協力を確認したことは歓迎できる。

 

 日本が輸入する液化天然ガス(LNG)の4割弱、燃料用の石炭の7割弱が豪州からだ。LNGをめぐっては、見送られたとはいえ、豪州では一時、国内向けを確保するため、輸出規制が検討された。ロシア極東の開発事業「サハリン2」からの調達が途絶え、国内需給が逼迫(ひっぱく)するリスクを抱える日本としては、今後も、豪州が安定供給の国際的な役割を果たし続けるよう、働きかける必要がある。

  • (2)【毎日社説】日豪の安保共同宣言 関係いかし地域の安定を

日豪の安保共同宣言 関係生かし地域の安定を

 

https://mainichi.jp/articles/20221027/ddm/005/070/087000c

 

 

注目の連載 

オピニオン

 

朝刊政治面

毎日新聞 2022/10/27 東京朝刊 English version 874文字

 「準同盟」と言われる関係を深化させ、地域に平和と安定をもたらすことが重要だ。

 

 日本とオーストラリアが安全保障共同宣言を15年ぶりに改定した。岸田文雄首相が先週、豪州西部パースを訪問し、アルバニージー首相との会談で署名した。

 

 両国の主権や地域の安全保障上の利益に影響を及ぼし得る「緊急事態」には、「相互に協議し、対応措置を検討する」と安保協力の強化を打ち出した。

 

 

 名指しはしていないが、念頭にあるのは、軍事的拡張を続け、経済的影響力を拡大する中国だ。

 

 日豪はともに米国の同盟国で、自由と民主主義の価値観を共有する。法の支配の普及を目指す「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」構想を推進し、「QUAD(クアッド)」という日米豪印4カ国の協力を積み上げてきた。

 

 2国間でも、安全保障面で関係強化が急ピッチで進む。海上自衛隊による豪軍艦艇の「武器等防護」の実施や、相手国の軍隊が活動する際の構成員の地位などを定める「円滑化協定」の署名だ。

 

 

 中国による南・東シナ海での現状変更の試みや、南太平洋の島しょ国への影響力拡大は、地域の安全保障にとって懸念材料だ。台湾海峡を巡る緊張も高まっている。

 

 豪州は中国への警戒感を強めている。2010年代後半には中国の情報機関による豪州への内政干渉疑惑があった。新型コロナウイルスの発生源の調査を巡って通商関係が冷え込んだ。

 

 

 多国間ネットワークの形成は必要だ。ただし、中国に対抗するあまり、不安定化を招くことがあってはならない。中国との対話にも同時に力を注ぐことが不可欠だ。

 

 安倍政権時代から日豪両国は、経済面でも、11カ国が参加する環太平洋パートナーシップ協定(TPP11)を主導するなど協力を加速させてきた。

 

 新安保宣言には、強靱(きょうじん)なサプライチェーンの構築など経済安全保障の促進も盛り込まれた。

 

 日本は液化天然ガス(LNG)の4割、石炭の7割を豪州から輸入する。ウクライナ危機で、エネルギーの安定確保の重要性が増す中、協力強化は時宜にかなう。

 

 岸田首相は、両国の強みを生かし合う関係を前進させるべきだ。

 

  • (3)所で、日豪安保協力が可能なのは、我が国に集団的自衛権の行使を(部分的ながら)認めた安保法があるお陰、なのだが。手前ぇら、何か言うのを忘れてないか?

 国家同士の安保協力には、本来、集団的自衛権の相互行使が不可欠である。集団的自衛権の相互行使があればこそ、相互防衛の信用と信頼が成立し、広範囲渡る安保協力が実現する。これが片務的な一方のみの集団的自衛権行使では、安保協力が「成立する」事さえ希であろう。チョイと考えれば、常識的とも言えそうなことだ。

 所が、その「常識的とも言えそうなこと」が全く通用しなかったのが、「安保法成立執行以前の我が国・日本」であった。なぁにしろ、憲法学者の先生方(*1)の大半はおろか、日本政府(歴代日本国首相の相当数(*2)含む)まで、我が国は、(国の基本的国権としての)集団的自衛権を有する。が、日本国憲法が集団的自衛権の行使を禁じているから、我が国は集団的自衛権を行使できない。と主張していいた、のだ。左様な主張が「大手を振って罷り通る」どころか、日本政府の公式公的見解でもあった、のだ。

 これに対して、「故に我が国は、日本国憲法を即刻改憲し、基本的国権たる集団的自衛権を行使できるようにしなければならない。」と結論づけるならば、未だロジックが通るのだが、そうはならずに、「我が国に集団的自衛権の行使を禁じる日本国憲法は素晴らしい(=変えてはならない!)」だったのだから、思い出すだに呆れ果てるような状態だった。左様な「呆れ果てるような状態」だったが故に、「安保協力」とはほぼ自動的に「唯一の同盟国たる米国との安保協力」に限定されていた。

 集団的自衛権を行使できないような欠陥国と同盟結ぼうなんて酔狂な国は、左様な状態に我が国をおいた責任の一端を担う(*3)米国ぐらいしか、なかったから、だ。

 そんな、「一寸韓国を笑えないような、半気違い状態」だった日本を、些かなりとも「正気に戻した」のが、「我が国の集団的自衛権行使を(一部なりとも)認めた、安保法」である。ある意味「解釈改憲」であり、それ故に、日本新聞業界の左半分をはじめとする「安保法反対キャンペーン」には、凄まじいモノがあった。日本が、戦争できる国になる!!!って非難は、それは、良い事どころか、当たり前だろう。って点を除けば「真面な非難(*4)」な方で、やれ、日本が戦争に巻き込まれる!(これもまあ、一面の事実だから、非難としてはマシな方。)」だの徴兵制になる!(このロジックは、今以て謎だ。が「マイナンバーカードを保険証と一体化して事実上の義務化すると、徴兵制になる。」よりは、まぁだ結びつきそうだ。)」だの、実に凄まじかった。
 アカ新聞ども大好きな瀬戸内寂徳という作家にして尼僧が、私の生涯で、今ほど戦争の危険を感じたことは無い!」と断定断言してしまったのも、忘れがたい。この人は結構なお歳で、大東亜戦争終結時には二十歳前の、「物心つく」どころか「多感なお年頃」だった人。その瀬戸内寂徳が「大東亜戦争戦時下よりも、安保法案審議に、戦争の危険を感じた。」と明言しているのであり・・・余程のオッチョコチョイか間抜けか気違い、としか思えなかったので、良く覚えている。

 閑話休題(それはさておき)

 我が国がこのたびオーストラリアと「日豪安保協力」を実現できるのも、突き詰めれば「我が国もまた、オーストラリアと同様に、集団的自衛権を行使できるから。」である。言い替えれば、「日豪安保協力は、ある意味、安保法のお陰」なのである。章題にした通りだ。

 で、だ。上掲社説で朝日も毎日も、日豪安保協力を、絶賛礼賛こそしていないが、肯定し、更なる期待をかけている、よなぁ。
 
 手前ぇら、「日豪安保協力を肯定する」前に、「日豪安保協力を可能とした、安保法に対して、手ぇついて謝るべき」じゃぁ、ねぇのかよ。
 

  • <注記>
  • (*1) 以前から書いているが、日本の憲法学者は「(少なくとも)半分は気違いだ。」と私(ZERO)は思っている。
  •  
  • (*2) その中には、第1次安倍政権時代の安倍首相(当時)を含む。 
  •  
  • (*3) 「一端を担う」ではあるが、「全責任を負う」訳では無い。「日本国に集団的自衛権の行使を認めない日本国憲法」を日本に強制したのは米国だが、そんな欠陥憲法を後生大事にして今に至るも隻言半句も改憲しない、出来ないのは、日本自身の責任である。 
  •  
  • (*4) 非難根拠たる「戦争できる国になる」と、「安保法」が論理的にチャンと結びついている、という意味で、「真面」である。
  •  「そもそも、非難になっていない」って、致命的欠点があるが。 
     
  • .キャプションから大嘘-【中央日報】韓国国防部長官「自衛艦旗と旭日旗は違う」発言が論争に

 「チョウセンジンは、息をする様に嘘を吐く。」なんて事を、俗に言う様だ。同様なことは、「支邦人は・・・」と言うのも聞いたこと/読んだことがあるので、ある種の「悪口の定型文」なのだろうが、それだけ「日本人が(基本的に、原則的に、)嘘を嫌う。」と言うことの「裏返し」でもあるのだろう。

 無論、日本にも、「嘘も方便」という言い回しがあるから、「日本人は、嘘を吐かない」などと断定断言する心算は、無い。事実、日本人の一人である私(ZERO)自身が、数多の嘘を吐いている/吐いたことがある。

 だが、経験上、「正直であることが一番」と言うのは基本原則と思えるし、「嘘を吐くことにより得られるメリット」は、「嘘を吐いたことに依るデメリット」よりも、小さかったり弱かったり長続きしなかったりすることが多い、とも感じている/知っているから、「無駄な不要な嘘は吐くまい」と、「吐く嘘は最小限に」と、考え、実践しようとしている。

 だが、まあ、先頃から「日本で開催される観艦式への参加を決めた韓国&韓国海軍」ってのは、実にチョウセンジンらしく「息をする様に嘘を吐く」様であり、そん点では報道機関たるはずの中央日報も同様である、らしい。

(1)【中央日報】韓国国防部長官「自衛艦旗と旭日旗は違う」発言が論争に

【中央日報】韓国国防部長官「自衛艦旗と旭日旗は違う」発言が論争に

韓国国防長官「自衛艦旗と旭日旗は違う」発言が論争に

 

https://japanese.joins.com/JArticle/297358?sectcode=220&servcode=200

 

 

? 中央日報/中央日報日本語版2022.11.03 15:1126 ?? ??

旭日旗(左)と自衛艦旗と(右)   ←このキャプションが、そもそも大嘘

 

 韓国海軍が今月6日の海上自衛隊観艦式に7年ぶりに出席することに関連し、数日間論争が続いている。国際慣例上の行事に参加する場合、韓国の将兵が旭日旗と同じようなデザインの自衛艦旗に敬礼しなければならないためだが、「自衛艦旗と旭日旗はデザインが違う」という軍当局の立場と「同じ旭日旗」という反論の立場が正面からぶつかっている。

 

 卓賢民(タク・ヒョンミン)元青瓦台(チョンワデ、旧大統領府)儀典秘書官は3日午前、フェイスブックに掲載した文で「2022年国防部は日本海軍旗として使われている旭日旗が旭日旗ではないとの主張をしている」とし「2018年韓国国防部は日本海軍が旭日旗を付けて観艦式に出席するといって青瓦台とともに対応方案を議論した。その間に日本海軍旗は変わっていない」と言及した。

 

 卓氏は「すでに日本報道機関と政府はこの旭日旗がその旭日旗だという立場」と主張した。あわせて国防部に対して「なぜ国家の立場がこのように軽くなったのか。なぜこのように嘆かわしくなったのか。今後政権が変われば国防部はこの旭日旗が再びその旭日旗というのだろうか。恥ずかしい。みじめなことこの上ない」と批判の矛先を向けた。

 

 

 

 また「尹錫悦(ユン・ソクヨル)政府はどうしても日本観艦式に出席すると判断した」としながら「あらゆることをこのような形のごり押し主張と弁解を並べれば、この政府の判断と主張を誰も信頼したり理解したりできなくなる。どうしてこの癖を直せないのか」と叱責した。

 

 最後に「観艦式の参加を放棄できないならば、他の解決法を悩んでみるよう勧める。国民の感情を考慮しながら『象徴』に対して悩めば答えを探すことができる。そのような努力をするようお願いする」と付け加えた。

 

 これに先立ち、李鐘燮(イ・ジョンソプ)国防部長官は先月31日の国会国防委員会全体会議で該当議の論争に対する質問を受けて「デザインは類似しているが赤色の円の位置が違う」とし、自衛艦旗と旭日旗は違うという趣旨で反論した。

 

李長官は「(自衛艦旗は)やや傾いている。形状は似たようなものに感じられるが、2つを横に並べてみれば違いがある。違う。だが現れるイメージ、その感じは似ていると見ることができる」と主張した。

 

 朴振(パク・ジン)外交部長官は論争に対して「前例と国際慣例を総合的に考慮して判断した」とし「盧武鉉(ノ・ムヒョン)政府では海上自衛隊艦艇が韓国海軍との親善行事のために自衛艦旗を掲揚した状態で仁川(インチョン)港に入港したことがある」と言及した。

 

  • (2)心底、気違い

 さて、記事本文の方は、何やら長々と「神学論争」を展開しているが、その出発点から誤っているのだから、話にも何にもなりはしない。

1> 旭日旗(左)と自衛艦旗(右)

と言う上掲記事のキャプションが、「巧妙な嘘」となっている。記事本文の方も「旭日旗」を「大日本帝国海軍軍艦旗」の意味で使っているが、この「旭日旗(左)」と銘打たれ、中央付近の赤い円が正に中央にあるこの旗は、一般名詞としての「旭日旗」ではあるが、「大日本帝国海軍軍艦旗ではない。」。

 何度か記事にした通り、海上自衛隊自衛艦旗は、寸分違わず「大日本帝国海軍軍艦旗のデザインをそのまま踏襲している」のであり、上掲記事の「自衛艦旗(右)」と銘打たれた右側の写真が、正真正銘掛け値無しの、海上自衛隊自衛艦旗であり、且つ、大日本帝国海軍軍艦旗でもある。

 であると言うのに・・・

2> 李鐘燮(イ・ジョンソプ)国防部部長は先月31日の国会国防委員会全体会議で
3> 該当議の論争に対する質問を受けて
4> 「デザインは類似しているが赤色の円の位置が違う」とし、
5> 自衛艦旗は旭日旗(筆者注:大日本帝国海軍軍艦旗)とは違うという主旨で反論した。

6> 李長官は「(自衛艦旗は)やや傾いている。形状は似た様なものに感じられるが、2つを横に並べてみれば違いがある
7> 違う。だが現れるイメージ、その感じは似ているとみることが出来る」と主張した。


・・・つまり、国防部長官(って事は、日本で言えば防衛大臣だ。)というご立派な肩書き持ったお偉いさんが(韓国)国会国防委員会全体会議って公式公的な場で、大日本帝国海軍軍艦旗と海上自衛隊自衛艦旗の「デザインは類似しているが、赤色の円の位置が違う」と言う大嘘をぶっこいている訳である。オマケにこれに対して、「海上自衛隊自衛艦旗は旭日旗で、日本軍工主義の象徴だ!!」とする韓国国会の先生方も、上掲記事を掲げる中央日報も、「赤色の円が中央にある、一般名詞としての旭日旗(だが、大日本帝国海軍軍艦旗ではない)」を、「大日本帝国海軍軍艦旗」だと、思い込んでいる(らしい)のである。

 大日本帝国海軍軍艦旗も、海上自衛隊自衛艦旗も、「我が国・日本の軍艦である」事を示す「我が国・日本のNational Ensign」である。「我が国・日本の軍艦である」事を示す以上、諸外国に周知されたものであり、秘密でも何でも無い。寧ろ「公知の事実」だ。即ち「この二つ
のNational Ensignを比較する」のは、別に難しいことではない。

 無論、大日本帝国海軍は解体されて70年以上を経て居り、「大日本帝国海軍軍艦であることを示す大日本帝国海軍軍艦旗」は見られなくなって久しいが・・・「日本軍国主義の象徴」とかナントか言ってこの十数年ほど大騒ぎし、放射線状の模様はおろか「螺旋階段を上から見た写真」すら「旭日旗ニダ!!日本軍国主義の象徴ニダ!!!!」と大騒ぎしてきた中央日報含む韓国人&韓国が、肝心要の大日本帝国海軍軍艦旗を、「赤色の円が中央にある、一般名詞としての旭日旗」と、誤解だか誤認だかしているってのは、一体お前らの頭の中は、記憶力は、どうなってやぁがるンだぁ?

 「韓国は、国を挙げての強請タカリで気違い揃いだ。」って私(ZERO)の「韓国観」は、益々補強されて居るぞ。

 

「歴史群像」誌2022年8月号付録 「青年学校 海軍知識」より。
 青少年向けに書かれた戦前の啓蒙書、らしい。右下に、海上自衛隊自衛艦旗と全く同じデザインの軍艦旗が描かれている。
 

  • 別に来なくて良いけどさ、嘘はいけないな。ー【ハンギョレ】韓国政府、7年ぶりに日本の海上自衛隊観艦式に海軍艦艇派遣へ

 「韓国は、国を挙げての強請タカリで、気違い揃いだ。」と言うのが、私(ZERO)の偽らざる「韓国観」である事は、何度も書いている通り。所謂「嫌韓」の一種であることは認めるが、極力感情は排して居る、と思っているし、何より「数多のニュースが、この私(ZERO)の”韓国観”を、裏付け裏書きし、補強してくれる。」モノだから、ちっとやそっとじゃぁ「修正」されそうにない。

 下掲するハンギョレ記事に登場する「韓国国防部」もまた、韓国は、国を挙げての強請タカリで、気違い揃いだ。」と言う「私(ZERO)の韓国観」を、裏付け裏書きし、補強してくれている、様だ。

  • (1)【ハンギョレ】韓国政府、7年ぶりに日本の海上自衛隊観艦式に海軍艦艇派遣へ

韓国政府、7年ぶりに日本の海上自衛隊観艦式に海軍艦艇派遣へ

https://news.yahoo.co.jp/articles/07d15d91df06f6e3bb31876283650a2cac4a6dda

https://www.hani.co.kr/arti/politics/defense/1064572.html

 

 

 

10/28(金) 6:49配信

 

ハンギョレ新聞

2015年、神奈川県の相模湾で日本の海上自衛隊の観艦式が行われている=ハンギョレ資料写真

 

 韓国政府は来月6日に神奈川県の相模湾で開かれる日本の海上自衛隊創設70周年記念国際観艦式に韓国海軍を派遣することにした。日本との安全保障協力の強化に対し政界から批判の声があがる中、政府は韓米日安保協力強化の流れを引き続き維持している。

 

 国防部は27日、資料を発表し、「国防部と海軍は来月6日に日本で開催される国際観艦式に海軍艦艇を派遣することを決めた」と明らかにした。

 

 韓国軍が日本の観艦式に参加するのは、朴槿恵(パク・クネ)政権時代の2015年以来7年ぶり。国防部は、日本主管の国際観艦式に海軍が2002年と2015年にわたり2回参加した事例があるうえ、国際観艦式と関連した国際慣例などを総合的に考慮して参加を決めたと説明した。

 

 これに先立ち、日本は今年1月、韓国など西太平洋地域の友好国海軍を国際観艦式に招請した。尹錫悦(ユン・ソクヨル)政権は8月から参加の可否を本格的に検討し始めたが、観艦式をわずか約10日後に控えた同日、国家安全保障会議(NSC)常任委員会での議論などを経て観艦式への参加を最終決定した。

 

 政府の決定が遅れたのは、行事を主催する海上自衛隊旗が太平洋戦争当時の日本軍旗(旭日旗)とほぼ同じであることが政界で議論になったためとみられる。国防部は、海上自衛隊旗が「旭日旗とは形が違う」とし、海上自衛隊旗が中国を含む国際社会で受け入れられている点も考慮したと説明した。

 

 最近、共に民主党は韓米日共同訓練などについて「親日国防」と批判した。このような批判の声にもかかわらず、政府が観艦式への参加を決めたのは、北朝鮮の核・ミサイル脅威に対抗して韓米日の安保協力を強化していくという意志を示すためとみられる。国防部も今回の観艦式への参加を発表する際、「最近、北朝鮮の相次ぐ挑発によって引き起こされた朝鮮半島周辺の厳しい安全保障状況を踏まえ、韓国海軍の今回の国際観艦式への参加が持つ安全保障上の含意を最優先に考慮した」と強調した。

 

 北韓大学院大学のキム・ドンヨプ教授はこうした動きについて「歴史問題などが解決されていない状況で、果たして韓米日安全保障協力の強化だけを切り離して考えられるのかを突き詰めて考えてみる必要がある」と指摘した。

 

 一方、政府は今回の観艦式に戦闘艦ではなく最新鋭の軍需支援艦「昭陽(ソヤン)艦」(1万トン級)を派遣する。昭陽艦は29日、慶尚南道鎮海(チンへ)港を出港し、来月1日、日本の横須賀港に入港する予定だ。さらに来月6日、国際観艦式の本行事に参加した後、参加国の艦艇と7日まで多国間共同訓練を行う。

 

シン・ヒョンチョル記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入:2022-10-28 02:48

https://www.hani.co.kr/arti/politics/defense/1064572.html 訳H.J

 

  • (2)> 国防部は、海上自衛隊旗が「旭日旗とは形が違う」とし・・・ 何でもかんでも「旭日旗ニダ!」とやっている内に、元の帝国海軍軍艦旗を忘れたらしい。

 何度も書いているし、一部では有名な話なんだが、大日本帝国海軍軍艦旗たる旭日旗と、我が海上自衛隊の海上自衛艦旗とは、寸分の狂いもなく全く同一のデザインであり、左様に規定されている。確か、旗の材質が、帝国海軍では麻だったが、海上自衛隊ではナイロンになっただけで、色味も形状も全く同一の旗である。この点、「同様に旭日旗」ではあるが、大日本帝国陸軍連隊旗とはデザインを変えている陸上自衛隊自衛隊旗とは、異なっている。陸海空三自衛隊の内、大日本帝国陸海軍の遺風を最も強く受け継いでいるのが海上自衛隊である、とする根拠の一つは、「全く同一のデザインである旭日旗を受け継いだ、海上自衛隊自衛艦旗」であろう。
 
 これも一部では有名な話だが、海上自衛隊が「旭日旗」を受け継ぐには、一幕のドラマがあった、とされる。


 諸兄ご承知の通り大東亜戦争が我が国の敗戦で終わって、大日本帝国陸海軍は解体された(*1)が、その後の朝鮮戦争勃発するなど、現実世界は「軍隊無き日本」なぞ許容すべくも無く、程なく警察予備隊が発足し、自衛隊と改称され、憲法に記載がなかろうが呼称が曖昧だろうが、紛れもない「日本軍」が復活した。新生日本海軍たる「海上自衛隊Japan Maritime Self Defence Force」が発足すると、「日本の軍艦である事を示すNational Ensign(一般名詞で言う"軍艦旗" )」が必要になった。国際法上各国の軍艦は、航行中は常に、停泊中は原則日の出から日の入りまで(*2)「軍艦である事を示すNational Ensign(一般名詞で言う"軍艦旗" )を掲げねばならない。」国旗で共用してしまう国もある(米国など)が、国旗とは別にNational Ensign(一般名詞で言う"軍艦旗" )を定める国(英国など)もある。


 戦後間もない頃ってのもあったろう。「新たに発足した海上自衛隊(であって、帝国海軍ではない。)」って気持ち・気概もあったのだろう。とある芸術家先生に「海上自衛隊のNational Ensign」を(新たに)デザインするように、お願いした。
 芸術家先生、相当に悩んだらしい。幾つか考えたが、どうもピンと来ないので、帝国海軍軍艦旗の詳細を教えてくれ、と言ったそうだ。当たり前だが帝国海軍軍艦旗の詳細は確りキッチリ決まっているので、それをお伝えしたところ、暫く経ってから芸術家先生、(多分、居住まいを正して)曰く、「旧海軍の軍艦旗は、黄金分割による形状、日章の大きさ、位置、光線の配合など本当に素晴らしいモノで、これ以上の図案は考えようもありません。そこで、旧海軍旗そのままの寸法で一枚描き上げました。これがお気に召さなければ、この仕事をご辞退させて頂きます。ご迷惑をおかけしてすみませんが、画家としての良心が許しませんので。」
 いやぁ、この芸術家先生は、偉かったと思うよ。大東亜戦争敗戦直後の話だし、適当なデザインで「お茶を濁す」事だって出来ただろうに、それを芸術家の良心、矜持、審美眼に従い、「帝国海軍軍艦旗の美しさ」を率直に認め、兜を脱いだんだから。
 
 それは兎も角、斯様な「ドラマ」を経て制定された海上自衛隊自衛艦旗は、正真正銘掛け値無し寸分の狂いもなく大日本帝国軍艦旗そのまま、なのでる。

 であると言うのに・・・

1>  国防部は、海上自衛隊旗(*3)が「旭日旗とは形が違う」とし、
2> 海上自衛隊旗が中国を含む国際社会で受け入れられている点も考慮したと説明した


・・・我が海自哨戒機に対する韓国海軍軍艦の射撃管制レーダー照射事件の時もそうだったが、韓国の国防部って「政府のお役人」が、こんな即座にバレる嘘(大日本帝国海軍軍艦旗も、海上自衛隊自衛艦旗も、秘密でも何でも無いどころか、"日本の軍艦である事を示すNational Ensign"として、広く世界中に公開周知されている(*4)。)を平気で吐くのだから・・・これは「強請タカリ」とは直接関係ないかも知れないが、「気違い揃い」とは、十分結びつこう。
 

  • <注記>
  • (*1) 急いで付け加えるならば、大日本帝国海軍掃海部隊は、引き続き機雷除去の任を続け、朝鮮戦争の際も仁川上陸作戦前の掃海に従事している。 
  •  
  • (*2) この基準は、勤務時間に相当する「8時から17時」とかでも可とされる。 
  •  
  • (*3) この表記が、既におかしい気がするんだが。陸上自衛隊は、かつての連隊旗に相当する旗を「陸上自衛隊旗」とするが、海上自衛隊はそのNational Ensignを「海上自衛艦旗」と呼称し、「海上自衛隊旗」というのは、一寸読んだ覚え聞いた覚えが無い。 
  •  
  • (*4)< そうでなければ、"日本の軍艦である事を示すNational Ensign"と、ならない。
  • 接点が、あったがどうした。馬鹿野郎。 山際大臣辞任、「事実上の更迭」 無理が通れば、道理が引っ込む。またバカがつけ上がるぞ。-【朝日社説】山際大臣辞任 首相の責任は重大だ 他

 有り体に言って、「統一教会」なんて似非宗教のチョウセンジン反日団体(*1)は、私(ZERO)も昔から大嫌いだ。霊感商法だの多額の「献金」だのの実被害が仮に無かったとしても、「似非宗教のチョウセンジン反日団体」ってだけで私(ZERO)が嫌うには十分な理由である。「勝共連合」などと名乗って「反北朝鮮・反共産主義」を標榜していた頃さえ嫌いだったのだから、北朝鮮ベッタリになった現在は、輪をかけて嫌いだ。何度も書いている通り、私(ZERO)は「殆ど生まれながらの右翼」であるから、な。

 だぁが、そんな「私(ZERO)も嫌いな統一教会」であっても、ペストやコレラの様な悪疫でも「エンガチョ」でも不可触賤民でもないし、左様に扱うべきでも無い。喩え「統一教会」が、日本や日本人を滅ぼすことを目的とした「悪の組織(*2)」で、破防法なり内乱罪なりで「統一教会の信者は全員逮捕の上、死刑に処すべき(*3)」であったとしても、「そんな悪の組織と、過去に接触があった。」と言うだけで、追及され糾弾され大臣辞職に追い込まれる様な罪、な訳が無い。それを、追及し糾弾し大臣辞職に追い込むというのは、正に魔女狩り魔女裁判並みの「差別」と言うべきだろう。

 であると言うのに、今の国会やらマスコミやらは、相変わらず「ワイドショー実演」に地道を上げて、左様な魔女狩り・魔女裁判を求めて止まず、「統一教会と過去に接触があった。」事と、精々が「その過去の接触を、即座に全部自白しなかった。」罪で、山際大臣を辞職へ追い込んだ、そうな。

 で、アカ新聞ども大喜びってのが、下掲社説だな。

 ①【朝日社説】山際大臣辞任 首相の責任は重大だ
 ②【毎日新聞社説】山際大臣辞任 遅きに失した首相の対応
 ③【東京新聞社説】山際大臣が辞任 教団と政治 究明続けよ
 ④【沖縄タイムス社説】[山際大臣更迭]首相の任命責任は残る
 ⑤【琉球新報社説】旧統一球会首相対応 被害者救済へぶれるな
 

  • <注記>
  • (*1) チョウセンジンの団体なんてデフォルトで反日なんだが。 
  •  
  • (*2) そんな「悪の組織」は、日本共産党とか、日弁連とか、日教組とか、他にも幾つかありそうだが。 
  •  
  • (*3) 急いでつけ加えると、破防法を適用されたところで、その破防法適用団体の構成員が死刑に処される可能性は、無い。
  •  内乱罪でさえ、死刑になる可能性があるのは首謀者だけ、だそうな。一連のオウム事件の裁判で、弁護側は「内乱罪の適用」を求め、以て「首謀者である麻原ショーコ-以外の死刑を免れよう」としたそうな。
  •  まぁったく、弁護士ってのは、「目的のためには手段を選ばない」連中だよなぁ。  




(1)①【朝日社説】山際大臣辞任 首相の責任は重大だ 

  • ①【朝日社説】山際大臣辞任 首相の責任は重大だ 

 

 

https://www.asahi.com/articles/DA3S15454837.html?iref=pc_rensai_long_16_article

 

2022年10月25日 5時00分

 

岸田首相に辞表を提出後、取材に応じる山際大志郎経済再生相=2022年10月24日、首相官邸、上田幸一撮影

 

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 閣僚としての資質を欠き、国民の信はとうに失われていたのに、かばい続けた岸田首相の責任は極めて重い。これで問題に区切りがつくと思ったら大間違いで、教団からの事実上の「政策協定」の働きかけも含め、一から調査をやり直し、ウミを出し切らなければ、信頼回復はおぼつかない。

 

 世界平和統一家庭連合(旧統一教会)との接点が次々と明らかになった山際大志郎経済再生相が、首相に辞表を提出した。外部から指摘されるたびに後追いで認め、記憶はあったが記録がなかったなど、ひとを食った釈明を繰り返してきた。不誠実きわまりなく、辞任は当然だ。

 

 これまでかたくなに拒んできた姿勢を一転したのは、衆参両院の予算委員会の質疑がきのう一段落したことを受け、今後の国会審議に影響を与えないためと語った。教団の活動にお墨付きを与えたことに対する真摯(しんし)な反省はうかがえず、一議員に戻ることで説明責任が軽くなるような発言も言語道断というほかない。

 

 首相は、山際氏から辞職の申し出があったので「了とした」と述べた。任命権者として、もっと早く更迭を決断すべきところを、最後まで受け身に終始した。これでは、教団と決別するという言明も、その覚悟が疑われる。

 

 党内基盤の弱い首相に、山際氏が所属する第3派閥の麻生派への配慮や、教団と深いつながりが取り沙汰される萩生田光一政調会長に波及することへの懸念があったとの指摘もある。「信頼と共感の政治」を掲げながら、そのような内向き志向の政権運営では、国民の支持は細るだけだ。

 

 自民党と教団との関係は広く深く、山際大臣さえ交代すれば不問に付されるようなものではない。教団が国政選挙の際に、自民党の衆参両院議員に署名を求めたという「推薦確認書」について、首相はきのうの予算委で、選挙支援の有無は党の「点検」結果に含まれており、改めて調べる考えがないことを明らかにした。

 

 実際の応援につながらなかったとしても、教団からの接触の全容を把握するには全議員への調査が不可欠ではないか。

 

 首相がここまで調べたのは自民党だけだと胸をはる「点検」にしても、あくまで自己申告であり、秘書らスタッフの受け入れは調べておらず、地方議員は対象外という不十分なものだ。教団と党をつなぐ要とみられる安倍元首相の果たした役割や、被害の拡大につながったとされる教団の名称変更の経緯などが解明されぬうちは、問題の幕引きなどないと知るべきだ。

(2)②【毎日新聞社説】山際大臣辞任 遅きに失した首相の対応

  • ②【毎日新聞社説】山際大臣辞任 遅きに失した首相の対応

 

 

https://mainichi.jp/articles/20221025/ddm/005/070/022000c

 

注目の連載 

オピニオン

 

朝刊政治面

毎日新聞 2022/10/25 東京朝刊 English version 853文字

 山際大志郎経済再生担当相が辞任した。世界平和統一家庭連合(旧統一教会)との接点が明るみに出るたびに説明を修正する姿勢が、批判を浴びていた。

 

 辞任は当然だ。しかし、遅きに失した対応で、かばい続けた岸田文雄首相の責任は大きい。

 

 山際氏は不誠実な対応を繰り返し、閣僚としての資質を欠いていたのは明らかだ。毎日新聞の直近の世論調査では「辞任すべきだ」が71%に上った。

 

 

 そもそも8月の内閣改造の際、首相は閣僚候補に教団との関係を明らかにするよう指示していた。ところが山際氏が接点を認めたのは、留任が決まった後である。

 

 本来ならこの時点で更迭すべきだった。ところが、首相は「説明責任を更に果たしてもらう」と繰り返し、きのうも国会で、交代は「全くない」と否定していた。

 

 

 一連の経過で浮き彫りになったのは、首相の決断力のなさと、危機管理対応の拙さだ。

 

 山際氏の釈明は支離滅裂だった。ネパールでの教団関連イベントへの参加が報じられると、「行った記憶はあるが、会議出席は覚えていない」と語った。

 

 また、教団トップとの面会については「マスコミから指摘されて、写真を見て、会ったことがある記憶と合致した」と追認した。

 

 

 先週の国会では「これから新しい事実などが出てくる可能性はある」と開き直った。きのうも「重要だと思わないことは覚えていない」と野党に反論し、反省の色が全く見えなかった。

 

 資質が疑われたのは、教団問題だけではない。7月の参院選の街頭演説で「野党から来る話は、我々政府は何一つ聞かない」と発言した。国民全体に奉仕する政府の要職に就く者として、非常識と言うほかない。

 

 

 新型コロナウイルス対応と、政権の看板政策「新しい資本主義」のとりまとめ役で、今週決定する新たな経済対策の策定にも当たっていた。このまま閣僚を続けていては、政策の信頼性さえ失われてしまうところだった。

 

 今後、教団との接点が発覚している他の政権幹部の進退にも波及する可能性がある。政権としてけじめをつけなければ、国民の不信は払拭(ふっしょく)されない。

 

  • ③【東京新聞社説】山際大臣が辞任 教団と政治 究明続けよ

 

 

https://www.tokyo-np.co.jp/article/210042?rct=editorial

 

2022年10月25日 07時55分

 

 旧統一教会(世界平和統一家庭連合)との接点が相次いで明らかになった山際大志郎経済再生担当相が辞任した。

 山際氏は八月の内閣改造の際、岸田文雄首相に教団との関係を説明せずに留任し、その後も新たな接点を指摘されるたびに追認するなど不誠実な対応は目に余る。閣僚辞任は遅きに失した。首相も当然、任命責任を免れまい。

 山際氏が辞表を提出し、首相が受理したのは、近く国会に提出される二〇二二年度第二次補正予算案の審議で、野党による山際氏追及が続けば、早期成立に支障が出るとの判断だろう。

 しかし、山際氏の辞任だけで自民党と教団との関係が清算されるわけではない。

 教団関連団体が国政選挙の際、自民党議員に教団の政策を推進するよう「推薦確認書」を示していたことが新たに明らかになったものの、首相は党の追加調査には慎重で、関係を指摘された議員に説明を促すにとどめる。

 各議員の自己申告による党の調査には限界がある。

 山際氏は二十四日の衆参予算委員会で、一九年に撮影され、新たに判明した教団トップの韓鶴子(ハンハクチャ)氏との記念写真の存在を認めつつ、撮影の詳細は「定かではない」と言い張った。こんな対応が繰り返されれば、政治に対する不信は募るばかりだろう。

 故安倍晋三元首相と教団との関係も解明されず、細田博之衆院議長は文書を二回公表しただけで、公の場での説明から逃げている。萩生田光一党政調会長も説明責任を果たしているとは言い難い。

 一五年の教団の名称変更についても、首相は「政治的な関与はなかった」と繰り返すばかりだ。

 旧統一教会を巡る問題の核心は国会議員や候補を選挙で支援する見返りに、教団が政府与党の政策決定に影響を及ぼしたのではないか、という点にある。

 教団の政治への影響力を完全に排除するには、双方の関係を徹底的に究明する必要がある。首相は指導力を発揮すべきだ。

 政府が教団の解散命令請求を視野に入れた調査や、霊感商法や高額献金対策に取り組むのは当然だが、徹底調査を怠るなら被害者救済の姿勢も疑問視されかねない。

 

  • ④【沖縄タイムス社説】[山際大臣更迭]首相の任命責任は残る

 

 

https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1046681

 

2022年10月26日 06:52

 

 最後まで後手後手の対応に国民の政治不信はさらに高まった。

 

 世界平和統一家庭連合(旧統一教会)との接点が次々発覚していた山際大志郎経済再生担当相が辞表を提出し、後任に後藤茂之前厚生労働相が就任した。事実上の更迭だ。

 

 山際氏は8月発足の第2次岸田内閣で経済再生相に留任した直後に「関連団体のイベントへの出席と会費支出が確認された」と言及。留任に当たり、こうした事実を岸田文雄首相に説明していなかったと述べた。

 

 その後も教団の会合への出席や講演、教団トップとの面会などが外部から相次ぎ指摘され、最終的に認める「後出し対応」を繰り返した。18日の衆院予算委員会では、今後も「新しい事実が出てくる可能性がある」と開き直りのような答弁をし、自ら説明する意思はないかのような姿勢まで見せた。

 

 本来、岸田首相は早期に山際氏更迭を決断すべきだったが、辞任直前の参院予算委答弁でも否定し続けた。

 

 経済再生相は、28日に取りまとめが予定される政府の総合経済対策などを担当する重要閣僚だ。首相とすれば、更迭による混乱を避けるため直前まで擁護の姿勢を示したのだろう。だが国民の政治不信を増幅した責任は免れない。

 

 辞任により山際氏は一国会議員に戻るとはいえ、説明責任がうやむやにされることがあってはならない。教団との関係を全て明らかにした上で、それがこれまでの政策形成に影響がなかったのか説明するべきである。

 

■    ■

 

 教団と自民党議員との不適切とされる関係は、山際氏だけに限らない。

 

 衆院議長就任に伴い党籍を離れているとはいえ、細田博之氏は関連団体の会合に出席したり、国政選挙での教団票の差配に関与したりしたのではないかとされる。

 

 死去した安倍晋三元首相にも同様の疑いがあるほか、萩生田光一党政調会長ら教団との接点を持ちながら十分に説明していない党役員や国会議員も少なくない。疑いは地方議員や市町村長にまで及んでいる。

 

 教団との関係は、党の政策立案や行政運営に本当に影響しなかったのか。

 

 山際氏の辞任でこうした疑念に幕を引くのは許されない。党総裁でもある首相は、国政レベルだけでなく地方の党組織に対しても指導力を発揮して実態の解明を進め、国民や住民の政治に対する信頼回復に努める必要がある。

 

■    ■

 

 教団の関連団体は、国政選挙の際、自民国会議員に、教団が掲げる政策を推進するよう求める「推薦確認書」を提示し署名を要求していた。首相は国会で「党の政策に影響があったとは思えない」と答弁し、この点でも実態の解明には消極的だ。

 

 首相は、教団側の霊感商法や高額献金による被害者救済の法整備を進める考えも示している。しかし自民党が抱える疑惑に目をそらしたまま被害者の信頼は得られない。

 

 教団解散命令請求の可能性にすら言及した首相の本気度が問われる。

 

  • ⑤【琉球新報社説】旧統一球会首相対応 被害者救済へぶれるな

 

 

https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1604836.html

 

2022年10月25日 05:00

社説

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 世界平和統一家庭連合(旧統一教会)を巡る問題で岸田文雄首相の対応のまずさが顕著になっている。教団側との接点が次々判明した山際大志郎経済再生担当相が責任を取って辞任した。首相の任命責任も問われる。国会では答弁を1日で変更した。

 

 岸田首相は、宗教法人法に基づく解散命令請求が認められる法令違反の要件に民法の不法行為は入らないとの解釈を示していたが「含まれる」と一転させた。刑法違反などを挙げるだけでは、解散命令請求の可能性を狭めかねないと判断したからだ。首相が国会答弁の内容を翌日に転換するのは異例だ。

 解散命令請求の可能性を狭めるとスムーズな被害者救済を妨げ、被害を助長する恐れもある。法解釈やそれに基づく解散命令請求を検討する際には、再発防止や被害者救済の視点も重要だ。岸田首相はそれをどれだけ考慮したか。被害者を救い、これ以上出さないという姿勢はぶれてはいけない。

 岸田首相は予算委で「行為の組織性、悪質性、継続性が明らかで、宗教法人法の要件に該当する場合、民法の不法行為は入り得る」と明言した。指揮、監督する人物や法人が問われる「使用者責任」も含まれるとの見方だ。「政府として考え方を整理した」と説明したが、野党は「朝令暮改だ」と批判した。

 解散命令請求を視野にした「質問権」行使に対する政府内の慎重論が当初の首相答弁に影響したのかもしれない。しかし、政府の電話相談窓口に9月末までで1700件以上の訴えが寄せられ、警察につないだ件数は約70件に上る。中には犯罪が疑われる相談もあったという。首相自ら「刑法をはじめとするさまざまな規範に抵触する可能性がある」との認識を示すほど被害は多岐にわたるとみられる。そもそも法解釈を刑法だけに狭めるべきではなかった。

 当初の首相答弁に野党は速やかな被害者救済につながらないと批判した。岸田首相は被害の訴えも踏まえ、野党の批判に応じた格好だ。岸田首相は被害者やその家族の立場に立って毅然とした態度でこの問題に取り組んでほしい。

 山際氏の辞任を巡っては、岸田首相による事実上の更迭とみられている。山際氏は「これから新しい事実が出てくる可能性がある」と国会で答弁したが、首相は野党の更迭要求を拒否し続けていた。

 しかし更迭へ態度を一転させた。政権運営へのリスクを避けたかったのだろうが、山際氏が教団側と実際にどのような関係にあったのか、内実は判然としない。うやむやにせず、徹底的に調べて明らかにすべきだ。辞任すればいいという問題ではない。

 一方、2015年の教団の名称変更や、政府・自民党の政策決定に教団が関与していなかったのかどうかについても、首相は明らかにしなければならない。

 

  • (6)> 政府・自民党の政策決定に教団が関与していなかったのかどうかについても、首相は明らかにしなければならない。    って、正に狂気の魔女狩りだな。

 「政府・自民党の政策決定に、統一教会が関与した」と妄想できるのは、気違いとチョウセンジンぐらいだろうぜ。

 大体、そんな政府・自民党の政策決定に関与する、黒幕・裏ボスなんて存在は、その存在だけで「前代未聞と言って良いぐらいの大スキャンダル」だ。そんな「大スキャンダル」が、モリカケスパ桜学術会議と一連の「出来損ないスキャンダル追及キャンペーン」の中で、欠片も出て来なかったと言うことは、「野党とマスコミの調査能力&追及能力の根源的欠如と無能」の証左であろう。

 イヤ、「政府・自民党の政策決定に関与する、黒幕・裏ボス」は、「巧みに隠蔽され、察知できなかった」と、仮にしたとしても(それでも、野党&マスコミの無能は、免れそうにないが。)、統一教会による実害である霊感商法だの多額の献金だのは、今次安倍元首相銃撃犯人の動機・背景を待つまでもなく、一部では知られていた事実・事象であり、殊更大仰に「マスコミや野党が取り上げなかった」だけであろう。
 
 それを、今頃今更「被害者救済」などと、どの口で抜かすんだよ。

 諄い様だが繰り返そうか。

 統一教会が「政府・自民党の政策決定に関与した」のならば、これは前代未聞と言えそうな大スキャンダルである。それを察知追及出来なかったマスコミと野党は、その「汚名を雪ぐ」ためにも、「統一教会が、政府・自民党の政策決定に関与した」事を、立証すべきである。
 
 印象操作や、「過去の接点」追及ではなく、立証だぞ。「接点があった」だの「政策が一致している」だのは、印象操作でしかない。

 その上で、左様な大スキャンダルを全く察知追及できなかった自らの無能を恥じて、謝罪すべきである。腹を切れとは言わないが、相応の態度は示すべきだろう。

 で、統一教会被害者の救済と公言できるのは、その先ではないのか?ついこの間まで、「統一教会の霊感商法も、多額の献金も、殆ど報じて来なかった。」反省と謝罪の上で、な。

 更に言えば、もし左様な「統一教会の、日本政府・自民党の政策決定への関与」が立証された、ならば・・・これはある種の「韓国の日本政府侵略であり、思想汚染である!」と断じることが出来そうである。日韓関係に悪影響を及ぼすどころか、開戦理由となり、「日韓開戦」さえ、あり得るだろう。それぐらいの大事(おおごと)である。マスコミも野党も、心して「徹底追及」すべきだぞ。

 

  • 「結論ありき」の「規模ありき」は、防衛費1%枠の方だろうが。ー【毎日社説】防衛力整備の議論 規模ありきにならぬよう 【東京社説】防衛有識者会議 結論ありきで論じるな

  来年度予算で防衛費が増えるってんで、毎日や東京新聞が、騒いでいるらしい。

  • (1)【毎日社説】防衛力整備の議論 規模ありきにならぬよう 

防衛力整備の議論 規模ありきにならぬよう

 

https://mainichi.jp/articles/20221009/ddm/005/070/099000c

 

 

 

朝刊政治面

毎日新聞 2022/10/9 東京朝刊 English version 815文字

 国際情勢が激変する中、日本はどのような防衛力を持つべきか。年末に予定される国家安全保障戦略などの改定に向け、政府内の議論が本格的に始まった。

 

 政府は外交・安保だけでなく、経済、科学技術の専門家らも加えた有識者会議を設置した。自民、公明両党の協議も並行して進められる。

 

 

 焦点は装備、金額、財源の三つだ。議論の結果は、来年度の防衛予算にも反映される。

 

 相手国がミサイルを発射する前に発射拠点などをたたく反撃能力(敵基地攻撃能力)の保有について、岸田文雄首相は「あらゆる選択肢を排除せず検討する」と説明してきた。

 

 憲法に基づく専守防衛との整合性が問われ、日本の防衛政策の大転換となりうる問題だ。透明かつ慎重な議論が不可欠である。

 

 

 政府・自民党内では、防衛費を国内総生産(GDP)比2%まで増額すべきだとの声も強い。2%は北大西洋条約機構(NATO)加盟国の目標水準だが、海上保安庁などの予算と合わせて達成する案も浮上している。

 

 防衛費は、明確な戦略の下にどんな装備が必要となるか、個別に積み上げて決めるのが筋だ。「規模ありき」に陥っては本末転倒である。

 

 

 裏付けとなる財源の確保には、国民の負担が避けられない。

 

 コロナ禍が収束せず、物価高が生活を直撃する経済状況では、増税に国民や企業の理解を得るのは容易でない。

 

 少子高齢化への対応が日本の優先課題となる中で、社会保障費などを削減して捻出するのは現実味を欠いている。

 

 

 自民党内には「国債で賄えばいい」との意見もあるが、長期債務残高は1000兆円を超えており、財政を一層悪化させかねない。

 

 そもそも防衛力整備は、政府が負担のあり方も含めた全体像を示した上で、国会などで幅広く議論すべき課題である。

 

 ところが、年末まで3カ月を切る時期に至っても、首相は「防衛力を抜本的に強化する」などと抽象論を繰り返している。

 

 形ばかりの議論で、国の将来を左右する重大な政策を決めることがあってはならない。

  • (2)【東京社説】防衛有識者会議 結論ありきで論じるな

防衛有識者会議 結論ありきで論じるな

 

 

https://www.tokyo-np.co.jp/article/206899?rct=editorial

 

2022年10月7日 06時44分

 

 政府が「国力としての防衛力を総合的に考える有識者会議」の初会合を九月三十日に開いた。敵基地攻撃能力の保有など個別の政策は主要議題とせず、予算が議論の中心となる見通しだ。

 

 年内に予定する「国家安全保障戦略」など三文書改定に向けた作業の一環で、数回の会合を経て十二月上旬にも提言をまとめる。

 

 自民党は防衛費を現在の国内総生産(GDP)比1%から五年以内に2%以上に増額するよう求めている。これを念頭に、有識者会議では、防衛省所管に限ってきた「防衛予算」の範囲を拡大する提言をまとめる方向だという。

 

 しかし「国力」という重い言葉を使いながら、短期間、結論ありきで議論を進める手法には疑問を抱かざるを得ない。日本周辺の国際情勢が厳しさを増していることは理解するが、数字ありきではなく、真に必要な装備や予算を積み上げ、国会論戦を通じて国民の理解を得るべきではないのか。

 

 岸田文雄政権の検討作業は、こうした視点を決定的に欠く。

 

 政府は三文書改定に向け、今年一月から有識者計五十二人に個別に意見聴取したが、主な意見が九月に匿名で公表されただけで議論の過程は明らかにされていない。

 

 安倍政権が二〇一三年に現行の安保戦略をまとめた際、有識者会議の議事要旨をその都度公開したことと比べても透明性を欠く。

 

 そもそも自民党が求める防衛費の倍増が適切か徹底議論の必要がある。なぜ倍増という数字だけが独り歩きするのか。日本と状況が異なる北大西洋条約機構(NATO)と比較しても意味はない。

 

 財政状況は厳しく、年間五兆円超の財源をどう確保するのか。大幅な増税や社会保障費の大幅削減は国民の理解を得られまい。「防衛国債」を野放図に発行すれば膨大な借金を後世に残すだけだ。

 

 国民の理解を要する安全保障政策は開かれた形での徹底した議論が必要だ。それができないなら三文書改定を急いではならない。

 

 有識者会議が、国民を顧みない岸田政権や自民党の目指す方向や手法にお墨付きを与えることにならないよう望みたい。

 

  • (3)防衛費の「対GDP比1%縛り(1%枠)」こそ、「規模ありき」の「結論ありき」であったろうが。

 防衛費の「対GDP比1%縛り(1%枠)」ってのは、もう30年以上昔に遡れる。何しろ閣議決定したのが1976年の三木内閣だったってんだから、半世紀近く前。その後「一応撤回」されたりもしているが、「事実上の防衛費上限」として君臨し続けて、今日に至っている。上掲の通りアカ新聞どもが非難して止まない、今次ウクライナ侵略を受けての「防衛費大幅拡大宣言」が出るまで、「防衛費1%枠」は「規模ありき」且つ「結論ありき」であり続けてきた。

 なればこそ、一部では、日本のGDPは、防衛費の百倍とする。」ってジョークがあったくらいだ。左様なジョークが出来るほどに、「防衛費1%枠」は厳然として存在し、存在感を放っていた。

 であると言うのに、今次「防衛費大幅拡大宣言」による「規模ありき」や「結論ありき」は、上掲の通り非難批判されるのだから、笑わせてくれる。「規模」は未だしも、「防衛費大幅拡大」って「結論」は、とうの昔に出て居ろうが。

 「規模ありき」且つ「結論ありき」であった「防衛費の対GDP比1%縛り」を「撤回している(と言うよりは、そんなモノは無かったかの如き扱いだが)」という点では、上掲毎日社説も東京社説も「評価すべき」かもしれない。

 が、長年「規模ありき」且つ「結論ありき」であった「防衛費の対GDP比1%縛り」に賛同し続けてきた両紙が、今次「防衛費増額」を、「規模ありきだぁ!」「結論ありきだぁ!」と非難するのは、理解しがたい。

 どうせ両紙のことだから、Jos某並みに「日本の防衛費は、少なければ少ない程良い。」ぐらいに思っているのだろうが、ならばその様に主張すべきであろうが。