• 「すずめ」 アニメ「すずめの戸締まり」主題歌


 新海誠ってのは、アニメ監督、なのだそうだ。イヤ、私(ZERO)は別にアニメファンではない(「好きなアニメ」なら、松本アニメはじめ幾つもあるが。基本的に、古いアニメばかりだ。)から、「新海誠監督のアニメ」として結構有名であるらしい「君の名は」「天気の子」等々、どれ一つとして「見た覚えが無い」。ああ、「アニメ映画を見に映画館へ行く」なんて、もう随分やっていないから、「新しいアニメ監督」なんて、知らないのが道理。知っていたら「奇蹟」とは言わぬまでも、相当な偶然だ。
 
 今回の「偶然」は、ラジオだ。新海誠の新たなアニメ映画「すずめの戸締まり」がこのたび目出度く封切られ、映画館で上映される(*1)と言うので、その宣伝を兼ねて(タイアップとかコラボとか言う奴か。平たく言えば「持ちつ持たれつ」ってこと、だろう。)新海誠監督と出演声優とを招いてインタビューするってラジオ番組を聴いたのが、きっかけだ。

 因みに、主題歌の歌詞にも関わりそうなので、アニメ「すずめの戸締まり」のあらすじを、ネタバレとならない様にラジオ番組で聞いた範囲で記すと・・・

  • <注記>
  • (*1) 最近は、斯様に正当正常に「映画館で上映されるのが、初公開」の映画やアニメばかりでも無いから、一寸したこと、ではある。


 

  • A. アニメ「すずめの戸締まり」

 主人公は、女子高生の「すずめ(*1)」。ある日、廃墟を探すイケメン大学生に出合う。彼を追って廃墟に入ったすずめは、不思議な扉を開いてしまう。実はこの扉は、廃墟に「発生する」魔法の扉で、開くと「向こう側」から災厄を招いてしまう。イケメン大学生はその「廃墟の扉」を閉じてカギをかけて廻る「閉じ師」。ウッカリその扉を開いてしまったすずめは、あれこれあって「子供用の椅子」にされてしまった(*2)イケメン大学生と共に、日本全国の「扉を閉じる」行脚を始める、事になる・・・

 

  • <注記>
  • (*1) 仇名ではなく、本名らしい。 
  •  
  • (*2) ウーン、「魔法」とは言え、実にシュールな状況だ。 


 ま、あらすじだけ紹介しても「何じゃそりゃ?」という所だろう。既に映画は公開されており、レビュー動画もYoutube等にアップされているから、これ以上はそちらを御覧になるか、映画そのものを御覧になるが良いだろう。
 
 先述の通り私(ZERO)は、「君の名は」「天気の子」も見たこと無いし(*1)新海誠なんて監督の名も「今回初めて意識した」ぐらいだから、この「映画宣伝ラジオ番組」も、さして期待もしてなかった、のだが・・・そのラジオ番組で、この「すずめの戸締まり 主題歌」を聞いて、正直「ぶっ飛んだ」。「度肝を抜かれた」と言っても良かろう。

 お聞きになれば判ろうが、この歌は極めて透明な美しい女声によるのだが、その初っ端「歌い出し」は、女声スキャットですら無く、ブレス「呼吸音」なのである。
 
 私(ZERO)は趣味として歌い、ステージにも(ソロではないが)上がったこともあるので、「ブレスとは、聴衆に聞かせないモノ」というある種「常識」というか「固定概念」があった。だから、歌の楽譜ってのは「ブレスのタイミング」が「V印」で表記されているし、表記されてはいるが「そのブレス記号のタイミングでブレスの音を聞かせる」ってのは「御法度」である。息が続かないときは、ブレス表記の無いところで「それこそ、誰にもバレない様に息をする(普通は、吸う)」。これを「カンニングブレス」略称「カンブレ」などと呼んだりするのである。

 であると言うのに、この歌は、その「ブレスを聴衆に聞かせる」所から始まり、歌の中でも「ワザとブレスを”聞かせて”いる」ところがある(としか思えない。特に、「この身一つ」と「じゃ足りない叫び」の間のブレスは。
 文法的には、普通は、「この身一つじゃ足りない叫び」というフレーズを、ブレスで切ったりはしない。)。ある意味「常識外れ」であり「異端的な歌い方」なのである。

 その「ブレスを(思いっきり)聞かせると言う、”異端的な歌い方”」で始まったこの曲は、その後、独特の魅力を持つ女声スキャットにと変じた後、更に間奏があってから、歌詞が、「本来の意味での歌」が始まる、のである。

  • <注記>
  • (*1) 序でに書けば、アニメ「すずめの戸締まり」自身も、未だに見ていない。「見ようかな?」って気には、なったが。 


 

C.「すずめ」 「すずめの戸締まり」主題歌 歌詞

   (筆者注:「(V)」で「聞こえる/聞かせているブレス」を示す。)

https://www.lyrical-nonsense.com/lyrics/radwimps/suzume-feat-toaka/

https://www.youtube.com/watch?v=Xs0Lxif1u9E

https://www.youtube.com/watch?v=2UQA_ejx3G8&t=1662s

 

 

 

 

 1> (V)君の中にある 赤と青き線

 2> (V)それらが結ばれるのは 心の臓

 

 3> (V)風の中でも負けないような声で

 4> (V)届ける言葉を今は育ててる

 

 5> (V)時はまくらぎ 風はにきはだ 星はうぶすな 人はかげろう

 

 6> なんで泣いてるのと聞かれ答えれる(V) 涙なんかじゃ

 7> 僕ら出逢えたことの意味にはまるで(V) 追いつかない

 

 8> この身ひとつ(V)じゃ足りない叫び

 

 9> (V)君の手に触れた時にだけ震えた(V) 心があったよ

10>  意味をいくつ越えれば僕らは辿り (V)つけるのかな

 

11>  愚かさでいい 醜さでいい

12>  (V)正しさのその先で (V)君と手を取りたい

 

13>  (V)思い出せない (V)大切な記憶

14>  (V)言葉にならない (V)ここにある想い

 

15>  (V)もしかしたら (V)もしかしたら

16>  (V)それだけでこの心はできてる

 

17>  (V)もしかしたら(V)もしかしたら

18>  (V)君に「気づいて」と今もその胸を

19>  (V)打ち鳴らす

 

6>  (V)なんで泣いてるのと聞かれ答えれる (V)涙なんかじゃ

7>  僕ら出逢えたことの意味にはまるで (V)追いつかない

 

8>  この身ひとつ(V)じゃ足りない叫び

 

9> (V)君の手に触れた時にだけ震えた (V)心があったよ

10> 意味をいくつ越えれば僕らは辿り (V)つけるのかな

 

11>  愚かさでいい (V)醜さでいい

12A> (V)正しさのその先で (V)君と生きてきたい

 

Source: https://www.lyrical-nonsense.com/lyri...

https://www.lyrical-nonsense.com/lyrics/radwimps/suzume-feat-toaka/

 

原曲

 

 

https://youtu.be/m2qWVjOtCCY

 

  • (1)不思議な歌詞

 端的に言って、(章題にした通り)「不思議な歌詞」である。一聴一見したところは「支離滅裂」と言っても良さそうだ。が、冒頭のスキャットと同様同種の「不思議な魅力」を持っている(様に思う)。
 

  • 1> (V)君の中にある 赤と青き線

  • 2> (V)それらが結ばれるのは 心の臓

 歌詞の歌い出しである君の中にある赤と青き線からして、いきなり意味不明だが、これは「心の臓」で「結ばれる」事から、「動脈(赤き線)と静脈(青き線)」であろうと、相応の確信を以て推測出来よう。つまりは「循環器系の話をしている。」と「理解出来る。」
 

  • 3> (V)風の中でも負けないような声で

  • 4> (V)届ける言葉を今は育てて

 だが、次のフレーズでは「風の中でも負けない」「言葉を育てている」そうで・・・「循環器系の話」は何処かへ行ってしまう。
 そこはまあ、「循環器系」は「血の巡り」であり、生命力や活力。知力の象徴とも言えるから、「言葉を育てる」エネルギー源となっている、或いは単に「生きとし、生きている事の象徴」と捉えれば、「筋は通る」気はする。
 一方で、「育てている言葉」には、後に登場する「思い出せない、大切な記憶」や「言葉にならない、ここにある想い」とも相通じるモノがありそうで、ひょっとすると「同一のモノを指している」とも考えられるから、どうもこの歌を通じて、歌われている人物は「言葉を育て」=「大切な記憶を思い出す」=「此処にある思いを、言葉にする」努力をしている、らしい。
 

  •  5> (V)時はまくらぎ 風はにきはだ 星はうぶすな 人はかげろう

 続くフレーズである「時はまくらぎ 風はにきはだ 星はうぶすな 人はかげろう」は、独立したフレーズで、背景説明・情景描写と考える位しか、解釈は無さそうだ。それにしても「謎」なフレーズで、記号を使って、「意味の解説」も含めて表して見ると、以下の様になろう。

 (1) 時 = 枕木        鉄道の軌道の土台を為す木(コンクリ製もあるよな)
 (2) 風 = にき肌     「にぎ肌」とも言う。柔肌の意味(と、今回初めて知った。)
 (3) 星 = 産土        その人の生まれた土地、またはその土地神(と、今回初めて知った。) 
 (4) 人 = 陽炎        陽光による大気の揺らぎ。昆虫の名。儚さの象徴(*1)

 如何したって。焦点が当たるのは、上記(4)「人=陽炎」だろう。冒頭の「循環系のイメージ」が無くとも、この歌の指している主体は(死者霊魂と言う可能性も含めて広義の)「人」なのだから。而して、「人」だけ、他の3つとは「異質」と思うのも、私一人ではなかろう。他の(1)~(3)「時、風、星」は、(4)「人」の「依って立つ土台」と考えると「通底するモノがある」と言えそうだ。「枕木、にき肌、産土」という「言い替え」も、そんな印象を幾らか強めている。
 但し、強力に、では無い。殊に、「風=にき肌」と言うのは、この二つを「結びつける」のも、「にき肌」を「人の依って立つ土台」と考えるのも、違和感は否めない。
 恐らく、その「違和感」は「狙ったモノ」であり、それ故に、上記(1)から(3)に「依って立っている人」は「陽炎」と、「儚いモノの象徴」にされ、「人の命の儚さを強調している」、様に思われる。歌い出しの1>~2>が「循環器系の話」で、人の生命・活力を描いていることとは、「対を為す」と見ても良かろう。

  • <注記>
  • (*1) 帝国海軍駆逐艦・陽炎級は、無関係だろう。多分。 

 

  • 6> なんで泣いてるのと聞かれ答えれる(V) 涙なんかじゃ

  • 7> 僕ら出逢えたことの意味にはまるで(V) 追いつかない

  • 8>  この身ひとつ(V)じゃ足りない叫び


 続くフレーズで、この歌の対象(仮に「歌の主人公」と呼ぶことにしようか。)は「泣いている」事が初めて明かされる。それもどうやら、「僕ら出逢えたことの意味」を重大視していることから、「再会ないし回向の意味・意義の大きさに感動しているから」らしい。
 さて、このフレーズを聞いたときに、私(ZERO)が「引っかかった」(「琴線に触れた」ではない。)のは、主として二点。一つは「答えれる」という、所謂「ら抜き言葉」であり、もう一つは前述した「この身ひとつ(V)じゃ足りない叫び」の、「普通ならこんな所で息継ぎはしない所で、盛大に聞こえるブレス”(V)”」である。

 「ら抜き言葉」の方は、或程度「致し方ない」のかも知れない。本来日本語の歌は「須く、正しい日本語であって欲しい。」と私(ZERO)なんぞは願うが、「正しくない日本語」の一つたる「ら抜き言葉」が、今や普及し一般化している、と言うのは、ある種の「実情」であろう。逆に「ら抜き言葉」を使うことで「強調する意図が在る」との解釈も、成立しそうだ・・・まあ、そうだとしても、正直、「気に入らない」が。
 
 「普通ならあり得ないブレス」と言うのは、「この身ひとつじゃ足りない叫び」というフレーズに対し、ブレスを入れるとしたら、文意からして「足りない」の前であって、「ひとつ」と「じゃ」を区切るブレスというのは「普通ならあり得ない」から。
 「当初は”この身ひとつで足りる”と考えて居たが、言い直して、考え直して、ブレスが入った」と言う解釈も一度は考えたが、その先の10>には「辿り(V)つけるのかな」とあり、「辿り」と「つける」の間の「ブレス(V)」は、言い直し/考え直しでは説明しがたい。

 そうすると、これは、「この身ひとつじゃ足りない」「辿りつける」を強調する意味で「妙なところにブレスを入れて、目立たせている」と解釈するのが、無難な様だ。
 
 確かに「目立って、強調されている」。だからこそ、ああだこうだと私(ZERO)の様な一視聴者(アニメの方は見てすら居ないが)が邪推を巡らす仕儀となっている。

  •  9> (V)君の手に触れた時にだけ震えた(V) 心があったよ

  • 10>  意味をいくつ越えれば僕らは辿り (V)つけるのかな

  • 11>  愚かさでいい 醜さでいい

  • 12>  (V)正しさのその先で (V)君と手を取りたい

  •  

  • 12A> (V)正しさのその先で (V)君と生きてきたい

 この9>~12>も、なかなか「難解」というか、「不思議な歌詞」になっている。どうも、この歌を通じて私(ZERO)がイメージするのは、この「歌の主人公」はアニメの方で「先輩閉じ師」たる「イケメン大学生(だったと思う)」の方で、この歌になっている「出会い」の相手は、「アニメの主人公たる、女子高生すずめ」で在る様に思われる。(まあ、斯様に思うのに、私自身が男性である事が、影響している可能性は、ある。つまりはある種の「自己中心主義」である可能性を、認めねばなるまい。

 まあ、先述の通り私(ZERO)はこのアニメ「すずめの戸締まり」を見ていないので、想像を巡らすというか、邪推を巡らした結果、でしかないのだが。

 さて、その解釈に立った上で、この9>~12>は、アニメの主人公たるすずめとの出会い、及び「出会えた運命」の価値を高らかに歌った上、ある種のプロポーズとも言えそうな、12>「君と手を取りたいで締めている上、同じフレーズを最後にもう一度繰り返して、最後の一文は12A>「君と生きてきたいと締めている。それも「正しさの先」であり、「幾つもの意味の先」でもあり、「醜かろうが、愚かだろうが、かまわない。」とも断言しているのだから、「相当な強さ」であることは、間違いなさそうだ。

 下世話な表現に換言するならば、「惚れてしまえば、痘痕(あばた)も靨(えくぼ)」って奴で、恋愛感情に基づく判断は、理非曲直も美醜も善悪も超越する、と宣言している・・・と、思われる。

 つまりは、「強烈な恋歌」であり、ある種「狂気」と言っても良さそうなぐらいだ。
 
 たぁだ、この「解釈」。果たしてアニメ「すずめの戸締まり」に即したモノかは、かなり疑問とせざるを得ない。イヤ、前述の通り私はこのアニメは見ていないのだが、断片的な情報からするとこの「歌の主人公」と私が想定した「イケメン大学生」は、アニメの比較的早い段階で「子供用の椅子」に変身させられてしまうし、相手に「強烈な恋愛感情」を抱いているのは、アニメ主人公の女子高生「すずめ」の方、と思われるから、である。

 そうで無ければ、幾ら「イケメン」とは言え、「この辺りに廃屋はないか?」なんて聞いてくる怪しい男の後を追って、廃屋の中まで踏み込む、なんて「ちょっと異常な行動」は、説明しがたい、だろう。

 

  • 13>  (V)思い出せない (V)大切な記憶

  • 14>  (V)言葉にならない (V)ここにある想い

  • 15>  (V)もしかしたら (V)もしかしたら

  • 16>  (V)それだけでこの心はできてる

  •  

  • 17>  (V)もしかしたら(V)もしかしたら

  • 18>  (V)君に「気づいて」と今もその胸を

  • 19>  (V)打ち鳴らす

  さて、この歌詞もなかなか「難解」である。何しろ、「心」が、(「もしかして」という限定詞付きながら)「思い出せない大切な記憶」と「言葉にならない大切な思い」だけで「出来ている」というのだから、先ず心穏やかでは居られない。その意味するところは、「己が心が、己では、判らない=思い出せない=言葉にならない」と言う事。ある種の精神異常とさえ、想定でき様。

 更には、どうもその「思い出せない大切な記憶」や「言葉にならない大切な思い」を、相手(私(ZERO)の想定では、女子高生すずめ)には「気付いて」と要求し、「今もその胸を打ち鳴らす」と言うのだから、これもかなり強い表現だ。「胸を叩く」通り越して「胸を打ち鳴らす」なのだから、「一寸したこと」と言うべきだろう。

 自分では判らない=思い出せない=言葉にならない「自分の心」に、相手には「気付いて欲しい」と言う、矛盾とは言わぬが、相当な「無茶ぶり」であろう。

 まあ、そんな「無茶ぶり」=「我が儘」も、「恋愛感情の一側面」では、ありそうだが。
 

  • (2)結論「強烈な恋歌」。その恋愛感情は、狂気に近い。

 先述した「惚れてしまえば、痘痕(あばた)も靨(えくぼ)」の喩えにも端的に表れている通り、基本的に恋愛感情ってのは強烈で強力なモノであり、傍から見たら「狂気に見える」どころか「狂気にしか見えない」事すら、ままありそうだ。なればこそ、恋愛というのは詩歌、文学、音楽、歌曲等々芸術の「万古不易」と言えそうなぐらいの「恰好の題材」である。流行歌・歌謡曲の大半は「恋歌である」って状況にも、それは現れていよう。(あ、戦時歌謡とか言うと、一寸毛色が違うのかもなぁ・・・私(ZERO)は芸能ネタには、トコトン疎いんでね。)

 今回取り上げた「すずめの戸締まり」主題歌は、劇場公開アニメの主題歌であり、ある種の「流行歌」でもある以上、「恋歌である」事は、異とするには足らないだろう。

 とは言え、その「愛の深さ/重さ/壮大さ」は、相当なモノの様であり、章題にした通り「狂気に近い」モノさえ感じる。

 と同時に、先述の通り、「他人の恋愛感情は、傍から見れば狂気そのもの」って事を、改めてこの「恋歌」を通じて、感じた次第である。
 
 あ、私(ZERO)自身の恋愛感情が、その例外であるなんて主張する心算は無いぞ。他人に自慢できる様な恋愛経験豊富な訳ではない・・・むしろ「経験値は相当に低い」と思われる私(ZERO)だが、「私(ZERO)自身の恋愛感情が、客観的に見たら狂気に見えるだろう。」事は、十分に予想し、理解も納得もして居るぞ。

 「人間なんて、そんなモノよ。」と、な。
 

  • 「分断」とは、笑止なり。-【朝日社説】「国葬」の検証 分断の禍根 浮き彫りに

 時々思うのだが、マスコミや新聞各社や左翼だの「人権派」だの(の一部?)は、思想/信条の自由だとか、表現/言論の自由だとかを、相当に恣意的に解釈してるンじゃぁ無かろうか?即ち、「都合の良いときだけ、思想/信条の自由や表現/言論の自由を主張するが、不都合なときにはそれらを軽視乃至無視、更には蹂躙して平気の平左という、ダブルスタンダードではないか?

 ジェンダーフリーだの同性婚だの夫婦別姓だのを主張する時は、「性の多様性」を強調礼賛絶賛する。性そのものは「ある種の嗜好ないし性癖」と言えそうだが、「ジェンダーフリー/同性婚/夫婦別姓賛成」は「思想/信条」の一つである。安倍元首相国葬に対しても、「内心の自由(これは、思想/信条の自由の一環だ)」を振りかざして反対していた、よな。

 で、左様に「好都合な思想/信条の自由」を主張していた朝日新聞が、報道機関(の筈)として「表現/言論の自由」の擁護者にして受益者である(筈の)朝日新聞が、こんな社説を掲げてやぁがる。

  • (1)【朝日社説】「国葬」の検証 分断の禍根 浮き彫りに

 

 

https://www.asahi.com/articles/DA3S15503258.html?iref=pc_rensai_long_16_article

 

2022年12月16日 5時00分

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写真・図版

安倍元首相の「国葬」=2022年9月27日、東京都千代田区の日本武道館、代表撮影

 

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 安倍元首相の「国葬」が世論の分断を招いたという基本認識は共有した。しかし、その法的根拠や政府の説明に対する評価、今後に向けた対象者のルール化などについては、様々な意見の羅列にとどまった。政治家を国葬で弔うことがはらむ、根本的な問題点が改めて浮き彫りになったといえる。

 

 衆院の議院運営委員会に設置され、安倍氏の国葬を検証していた与野党の代表者による協議会が、臨時国会の最終日に報告書を公表した。計5回にわたり、政府の説明や有識者の見解を非公開で聴き、意見交換をした概要をまとめた。

 

 冒頭、「基本的な認識」として、国葬は戦後、慣例の積み重ねがなく、国民の間で共通認識が醸成されていなかったことが、「世論の分断」につながったと総括した。

 

 確かに、首相経験者の国葬は55年前の吉田茂以来だった。しかし、賛否が二分されたのは、安倍氏の在任期間が憲政史上最長の8年8カ月に及ぶ一方で、その実績に対する評価が割れていたことの反映に他ならない。安倍氏の政治手法や、森友・加計・桜を見る会といった「負の遺産」に対する批判があったことも忘れてはならない。

 

 「国民の幅広い理解」を得るために、「国会による何らかの適切な関与が必要」という点では、おおむね一致したが、具体的な方法をめぐってはバラバラで、集約には程遠かった。

 

 国会の承認を要件とすべきだとの意見に対しては、故人の評価をめぐる議論が政治問題化するなどの懸念が示され、委員会などへの報告にとどめる、両院議長への報告・相談を経るなどの案も出たという。

 

 対象者の基準づくりについても、賛否が分かれた。国民の理解に資するという一方で、事前に設定するのは難しく、時の内閣が責任をもって判断すべきだとの両論が併記された。

 

 結局のところ、政治家の功績に対する評価は一様でなく、党派性が避けられないという問題に行きつく。報告書には、「政治家の国葬は認められない」「他の形式で故人を偲(しの)ぶ方法もある」との意見も記録されているが、そもそも国葬を行う目的は何か、政治家はふさわしいのかという大本の議論を避けたと言わざるを得ない。

 

 国会と並行して進めていた政府の検証結果はまだ出ていない。岸田首相は「一定のルール」を設ける意向を表明しているが、手順さえ定めれば問題が解消されるわけではない。独断で国葬を決めた深い反省に立って、国民の分断を二度と繰り返さない方策を打ち出せるかが問われる。

 

  • (2)アレが、問題視する様な「国民の分断」かよ。

 第一に、「安倍元首相国葬を巡る賛否両論」が「国論の分断」とするならば、その「分断」を再三煽り倒したのは、朝日はじめとするアカ新聞共であり、「国葬反対派」である。日本政府は安倍元首相国葬を決定し、これに私はじめとする国葬賛成派は賛同しているのだから、「国論を分断」する/できるのは、「国葬反対派」しか、あり得ない。
 で、再三「分断」を煽り倒して、何が今更「分断の禍根」だよ。マッチポンプも大概にしやがれ。

 第二に、「安倍元首相国葬を巡る賛否両論」は、果たして「国論の分断」として、問題視されるべきモノか?と言う、多大なる疑問・・・・・・と言うよりは、問題視なんかするか!ボケェェェッ!!」と言う、(かなり独断的であることを承知しつつの)断定・断言である。

 大体、この世の森羅万象ありとあらゆるモノには、賛否両論在って当然。無ければ奇蹟というもんだ。
 世界平和」とか「核兵器廃絶」とかの、「万民が賛同しそうで、異論は滅多に出なさそう」なモノであっても、反対論・否定論は「必ずある」と、私(ZERO)は主張するぞ。如何に王道正道を歩む綺麗事であっても、「反対論・否定論は、在る。」と考える事こそ正に「多様性を認める」と言うこと。邪悪な者や奇人変人やへそ曲がりまで、含めてこその「多様性」である。犯罪は取り締まり処罰されるべきだが、「邪悪である」だけでは、未遂罪にすら問われるべきでは無かろう。法律は、行動を律し罰するモノであって、思想を罰するモノでは無い(*1)。

 例えば、世界平和なんてのは、「万人が賛同し、反対する者は滅多に居そうにない」お題目だが、滅多には居ないが、(実は)反対する者は、居る。のである。だからこそ「戦争は始まるし、厳然として”ある”」。中共は台湾併合に武力行使する可能性を明言しているし、ロシアのプーチンはウクライナへ武力侵攻している。中共やプーチンが「世界平和」に、少なくとも「無条件で賛同しない」事は、明らかだろう。
 

 ま、中共の習近平やロシアのプーチンの内心・信条は「不明」であるから「世界平和」と何らかの折り合いを付けるなり詭弁を弄したりしていても、その「折り合い」や「詭弁」は、我々には判らない。そこへ行くと、小説「帰って来たヒトラー」の主人公・アドルフ・ヒトラーの内心は、小説だけに明白だ。この小説でアドルフ・ヒトラーは、20年に1度ぐらい、戦争がある方が良い。との説を唱えている。社会の緊張感維持とか、国家意識・国防意識の低下防止と言った利点がある、って事らしい。ある種の「暴論(*2)」ではあるが、「左様な考えを持つ者は、居る。」とは、認めるべきだ。

 「安倍元首相国葬」は「世界平和」ほどの圧倒的支持は得なかった、とは言えよう。だからこそ「賛否両論」である。だが、賛否双方のデモは在ったものの、賛否両派のデモ隊が武力衝突したと言う話も聞かなければ、一部なりとも暴徒と化したって話も聞かない。「平和的な賛否双方のデモがある」と言うのは、「言論・表現の自由と民主主義の健全な発露」であり、歓迎こそすれども、忌避すべきモノでも嫌悪すべきものでもあるまい。
 
 否、それどころか。「安倍元首相国葬の賛否両論」を「国民/国論の分断」と断定し、「国民/国論は、分断されるべきではない」=「国民/国論は、一つであるべきだって主張は、恐るべき「思想/信条の統一論」であり、正真正銘掛け値無しの「思想/信条の自由侵害」でもある。なぁにしろ朝日新聞は、上掲社説で「安倍元首相国葬を巡る賛否両論」を「分断の禍根と断定断言しているのだ。その背景にあるのは、恐らくは安倍元首相国葬は、一体一致した国民の猛反対で粉砕されるべきだった。」という、「60年安保反対闘争で叶わなかった、見果てぬ夢」であろう。

 Nutz!

 弊ブログを些かでも読まれれば明白であろうが、私(ZERO)は安倍元首相国葬に賛同し、これを賞賛さえしている。しかしながら、「我が国の国論・国民は、安倍元首相国葬賛成で一致団結して、異論・反対は認めない」なんて事は、毛頭考えて居ない。「我が国民が挙って安倍元首相を国葬で送ってくれれば、嬉しい。」という気持ちが、「無い」と言ったら嘘にはなるが、「そうあるべきだ。」とする主張には、(恐らくは、朝日新聞はじめとする「安倍元首相国葬反対派」以上に)反発し、反対する。

 日本国国葬の是非を決めるのは、日本国政府であり、日本国政府でしかない。吉田茂国葬も安倍晋三国葬も左様に実施された。
 それぞれの国葬に対して「国民の賛否が分かれた」とて、賛否両国民が武力衝突して内戦でも始めない限り、大した問題ではない。精々が、「日本国政府の支持率が落ちる」ぐらいのモノであり、「賛否が分かれる」のは「民主主義と言論の自由が健在である証左」でもある。
 
 賛否が分かれるのは、国民/国論の分断であり、許されない。と言う主張は、思想信条の自由と言論表現の自由の侵害であり、実に非民主的な全体主義である。

 賛否が分かれる様な国葬は、実施すべきではない。の方が、未だ尤もらしいが、有り体に言って「事なかれ主義」の「日和見のススメ」だ。実にみっともなくも女々しい、「卑怯者の主張」である。
 
 国民の全面的賛同が得られるに越したことはないが、得られなくてもその権限内で粛々と国葬を行うのも、また、政府の仕事の一つだろう。

 で、だ。読者諸兄に是非とも想起願いたいんだが、朝日新聞はじめとするアカ新聞どもと、少なくとも日本共産党は、安倍元首相国葬に対して「内心の自由を侵害する」として反対していた。特に共産党なんざぁ、安倍元首相国葬当日に、国葬会場からさして遠くない都内で「反対集会」を実施し、国葬での黙祷の時間に合わせて叫んだり楽器を鳴らしたりして「反対表明」し、それだけの「言論の自由」と「表現の自由」を自ら立証実証しながら、「国葬は、内心の自由を侵害する」と反対を叫んでいた。
 その「内心の自由を侵害するから(*3)、安倍元首相国葬反対」を主張していた朝日新聞が、上掲社説では「安倍元首相国葬は、国民/国論を分断した」と非難し、「国民/国論の統一・統合・画一化」を、主張しているのである。

 これを、ダブルスタンダードと言わずして、何と言おうか?せいぜいの所、「二重思考」としか、私(ZERO)には思えない。何か言い訳なり弁明なりの余地があるだろうか?

 「弁明の余地があった」としても、私(ZERO)には全く理解できない。上掲朝日社説を公言公開出来てしまう朝日新聞は、民主主義と思想・信条・言論・表現の自由の敵であり、且つダブルスタンダードないし二重思考を平気で適用している、としか、思えない。

 早い話が、朝日は矢っ張り、「我が敵」と言うことだ。
 

  • <注記>
  • (*1) 「思想警察」ったら、「真理省」共々、ジョージ・オーウエルが小説「1984」で描き出したデストピアのキーアイテムだ。 
  •  
  • (*2) 何しろ、ドイツ第3帝国総統であるアドルフ・ヒトラーだからねぇ。寺沢武一の漫画「コブラ」では、「射程距離千光年のレーザー砲衛星(って事は、最大射程で弾着するのは千年後・・・)を大量同時配備して、全宇宙を支配しようと目論だ(で、危うく成功しそうになった。)、アドルフ・ヒトラーだ。
  •  一方で、漫画「最後のレストラン」のアドルフ・ヒトラーは、エキセントリックなところはあるが、徹頭徹尾「善意の人」として描かれている。これはこれで、かなり画期的だと思うぞ。 
  •  
  • (*3) 反対理由は、こればかりではないが。 
  • 我が国が、受けた仕打ちを、忘れたか。ー【東京社説】ロシア戦争犯罪 市民生活標的にするな

 チョウセンジンは、往々にして「歴史を忘れるな」とか「歴史を鑑にしろ」とか抜かす。彼奴ら、戦後ある時期からハングル万能主義に陥り、漢字は殆ど読めなくなって(*1)ある時期(*2)以前の文書は、政府公式文書はおろか新聞雑誌から日記まで「専門家以外は読めない」歴史的半文盲状態となっているのに、「歴史を忘れるな」とか「歴史を鑑にしろ」とか抜かすんだから、最早ギャグである。

 だぁが、チョウセンジンの歴史的半文盲を、笑ってばかりも居られない、様だぞ。
 

  • <注記>
  • (*1) 辛うじて、自分の名前を書ける読めるだけ、らしい。項羽かよ。 
  •  
  • (*2) 北朝鮮は戦後即座にハングルのみにしてしまったが、韓国はある時期まで漢字とハングルの交ぜ書きにしていた。 


 

  • (1)【東京社説】ロシア戦争犯罪 市民生活標的にするな

ロシア戦争犯罪 市民生活標的にするな

 

 

https://www.tokyo-np.co.jp/article/217666

 

2022年12月3日 07時37分

 

 ウクライナ国民の戦意をくじく意図があるのだろう。ロシアがウクライナの電力インフラへの攻撃を続けている。市民生活を標的にした許し難い戦争犯罪である。

 ミサイルやドローンによる攻撃によってウクライナ全土で停電が起き、暖房や水道も止まった。

 

 政府は市民が暖をとったりスマートフォンの充電ができる避難所を全土に四千カ所以上設けた。水が通じている水飲み場には、大きなペットボトルを手にした市民が行列をつくっている。

 

 ロシアは医療機関への攻撃も続けている。世界保健機関(WHO)のクルーゲ欧州地域事務局長は先月、七百件余の施設が攻撃を受けたとして「第二次大戦後の欧州で医療機関に対する最大規模の攻撃だ」と非難した。

 

 停電、断水、それに医療機器や医薬品の不足で病院の機能は低下して集中治療室、人工呼吸器、保育器などの使用に支障を来し、満足な治療ができない状態が起きている。

 

 ウクライナの冬は厳しい。キーウの気温は既に氷点下だ。地域によっては氷点下二〇度に達する。新型コロナウイルスやインフルエンザの感染症の蔓延(まんえん)も懸念されるほか、WHOは約一千万人の市民がうつ病、心的外傷後ストレス障害(PTSD)などの心の病に脅かされていると危機感を募らす。

 

 先進七カ国(G7)と北大西洋条約機構(NATO)はそれぞれ外相会合を開き、ウクライナへの越冬支援を約束した。日本政府も国連機関を通じて発電機、太陽光で充電できる照明器具を送る。国際社会はウクライナの人道危機を見過ごしてはならない。支援を急ぐ必要がある。

 

 ロシアはウクライナに押し込まれ、南部では要衝のヘルソンから撤退を余儀なくされた。十月に本格化した電力インフラへの攻撃は、戦場での劣勢を挽回するためでもあろうが、民間施設への攻撃は国際人道法に違反する。

 

 一般市民を標的にするのは卑劣極まりない。あらゆる戦闘行為を中止して撤退することを重ねて要求する。

 

  • (2) 戦略爆撃も通商破壊も、ご存知ないか、忘却している、らしい。

 戦略爆撃とは、戦術爆撃の対語。軍隊・部隊・所謂「前線」を爆撃する戦術爆撃に対し、所謂「後方」である民間人・民間施設(工場、住宅、都市、鉄道・道路・電力網などの国家インフラ)を爆撃するのが戦略爆撃。大東亜戦争中にB-29爆撃機が、再三我が国土に対して実施した奴だ。広島、長崎への原爆投下も、正しく戦略爆撃の一環である。

 通商破壊とは、軍艦艇では無く「民間船舶」、特に輸送船・商船を狙って攻撃すること。「商船を狙う攻撃」だから「通商破壊」で、有名なところでは両大戦ともドイツの潜水艦・Uボートが実施した例だが、米海軍も第2次大戦では随分とやってっくれ、その犠牲となったのは我が商船隊である。


 即ち、我が国も第2次大戦中に再三通商破壊された、訳だ。

 戦略爆撃も、通商破壊も、市民生活を標的としている。それは、第2次大戦中、随分と盛大に我が国に対して為されたこと。左様な先の大戦=大東亜戦争という史実・事実を踏まえれば、「戦争が市民生活を標的にする」事はしばしばあることであり、事実・史実、我が国は盛大にこれをやられたのである。更に言えば、そんな「市民生活を標的にした戦争」は、大東亜戦争では戦争犯罪とされず、戦争犯罪を追及され一千五百人以上も刑死させらたのは、一方的に我が国であって、「市民生活を標的にする戦争」を実施した米国ではない/なかった事も、忘れてはなるまい。
 
 諄い様だが言い替えると、「大東亜戦争で我が国は、"市民"生活を標的とした戦争”たる戦略爆撃や通商破壊(*1)を、盛大にやられた。」のである。

 「戦略爆撃や通商破壊(や海上封鎖)は、第2次大戦当時は(未だ)戦争犯罪ではなかった。」とのロジックは、一応成立するだろう。第2次大戦に於ける戦略爆撃/通商破壊/海上封鎖の実施者たる米国が左様に主張するのは、理解出来る。

 だが、第2次大戦で、我が国にとっての大東亜戦争で、戦略爆撃・通商破壊・海上封鎖を喰らった我が国としては、

1> 民間施設への攻撃は国際人道法に違反する。
2> 一般市民を標的にするのは卑劣極まりない。


と憤るのも結構だが、「我が国が、戦略爆撃/通商破壊/海上封鎖を喰らった大東亜戦争」という史実/事実にも、言及あって然るべきでは無いのかね。

 どうもアカ新聞とか左翼とか言う奴原は、「戦争反対!」と抜かすばかりで、戦争というモノを舐めているし、戦史とか兵学とか軍事的知識とかを軽視ないし蔑視して、全く知ろうとも学ぼうともしないんだよね。
 本来、戦史も兵学も軍事的知識も、思想の左右なんぞには無関係で在り、共産党政権も赤軍も相応に「学んでいる」モノであり、重視重大視もしているんだがね。
 
 まあ、永久野党で、政権取れる目処も気概も無いが故の「お気楽さ」の現れ、って所かな。

 パヨクとは、気楽な稼業と、来たモンだ。 
 

  • <注記>
  • (*1) これに加えて、日本全国津々浦々の港にばらまかれた機雷による「海上封鎖」も、忘れるべきでは無いな。原爆投下で悪名高いボーイングB-29スーパーフォートレス爆撃機は、戦略爆撃で爆弾ばらまいたのみならず、海上封鎖でも機雷をばらまいている。 
     
  • バカは死ななきゃ治らない。死んで治ったバカも無い。ー【琉球新報社説】陸自第15旅団格上げ 外交努力を最優先せよ

 我が国土・皇土の南西方面を担当する、陸自・第15旅団を格上げし、新たに設立された、師団と旅団の中間単位たる「集団(*1)」になる(番号を踏襲して「第15集団」となるか、最初の「集団」として「第1集団」となる、のだろう。)との報道記事を読んだときには、「これにイチャモン付けて噛みつく奴も居るんだろうな。」と思ったが、どうやら琉球新報が、そうしたらしい。

 ま、予想されたこと、だけどな。

  • <注記>
  • (*1) 世界的、戦史的に「師団と旅団の中間」ってのは、なかなか例がない。一番近いのは、ソ連/ロシアの「増強連隊」だろうか。ああ、「独立旅団」とかも近いかな。
  •  ドイツの「カンプグルッペ(戦闘団)」ってのも、それに近いことがあるな。パイパー戦闘団とか、ベルケ重戦車連隊とか。 


 

  • (1)【琉球新報社説】陸自第15旅団格上げ 外交努力を最優先せよ

陸自第15旅団格上げ 外交努力を最優先せよ

 

 

https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1627267.html

 

2022年12月6日 06:00

 

 政府が、那覇市に司令部を置く陸上自衛隊第15旅団(約2500人)の規模を拡大し、事実上の師団への格上げを検討している。年内に改定される安全保障関連3文書に盛り込まれる見通しだ。米軍基地の過重な負担がある中での自衛隊増強に、玉城デニー知事は「過重な負担が増える」と懸念を示した。

 

 「台湾有事」をあおって、国会審議も地元自治体・住民への説明もほとんどないまま、南西諸島の軍事要塞(ようさい)化がどんどん進んでいる。軍拡を進めれば相手も対抗手段を取る。その結果、偶発的な軍事衝突の可能性が高まる。外交努力が最優先されるべきだ。

 南西諸島の部隊へのミサイル迎撃能力の付与を現行の4部隊から11に拡大する計画も判明した。空港や港湾を軍事利用できるよう機能強化する方針も示されている。先月実施された日米共同統合演習「キーン・ソード」では、最新鋭の機動戦闘車が与那国町の公道を初めて走った。

 長射程ミサイルの配備も計画されており、南西諸島が標的になり民間地や民間人が巻き込まれる危険はさらに高まる。民間を巻き込んで戦争準備が進む現状は、1945年の沖縄戦前夜と二重写しだ。

 与那国町ではミサイル攻撃を想定した住民避難訓練が内閣官房、消防庁、県、同町の合同主催で実施された。発射の11分後に上空を通過するという想定だ。有効な避難ができるとは到底思えない。那覇市でも来年1月に実施予定だ。糸数健一与那国町長は、訓練の意義を強調しつつ「間違ってもこの界隈(かいわい)で紛争を起こさないような外交努力をやってほしい」と述べた。

 先月、3年半ぶりに米中首脳会談が行われた。バイデン米大統領は、米国の「一つの中国」政策に変更はないと強調し、「中国による台湾侵攻の試みが差し迫っているとは思わない」と語った。両国の国防相の対面会談も行われ、来年初めには米のブリンケン国務長官が訪中する。危機の回避に向けて対話が継続することを期待したい。

 日中首脳会談も3年ぶりに行われた。防衛当局間の相互通報体制「海空連絡メカニズム」の柱となるホットラインの早期運用開始、外交・防衛当局高官による「安保対話」など意思疎通の強化で一致し、民間交流の活性化でも合意した。習氏は尖閣問題について「政治的知恵と責任感を持って食い違いを適切にコントロールするべきだ」と主張した。経済関係を維持しながら戦争を抑止することが双方にとって最大の国益だ。

 日本は中国側から「米国のお先棒担ぎ」に見えているという。米国の言うままに安全保障政策の大転換を図っている。その結果が沖縄戦の再来となることは断じてあってはならない。対米外交にこそ主体性を持って臨むべきだ。玉城県政も危機感を持って、米中との自治体外交に取り組むべき時ではないだろうか。

 

  • (2)ラインラントに英仏が約定通り兵を進めなかったことが、第2次世界大戦を惹起した史実を、知らないか。

 第1次大戦後、英仏独の条約により非武装地帯とされたラインラント。此処へドイツ軍が兵を進めて条約を破り、領有事実を軍事的/政治的に裏書きさせたのが「ラインラント進駐」である。斯様な事態には、英仏が軍を、兵を出す、事になっていたのだが、対独宥和策を取った英仏は出兵しなかった。これに味をしめたドイツ(第三帝国)は、今度はポーランドをソ連と分け取りにするポーランド侵攻を始め、目出度く第2次大戦を惹起した。
 それまで非武装地帯であったラインラントの、「基地負担」を考慮して英仏が兵を進めなかった、訳ではないが、英仏が兵を進めず、ドイツのラインラント進駐を「黙認」したことが、結果として第2次大戦、少なくとも「第2次欧州大戦」を惹起したのである。

 この時、英仏が約定通りにラインラントに兵を進めていたら、ドイツはラインラントに進駐させた兵を撤兵せざるを得なかったろう事は、当時「ドイツ軍の最高指揮官」であった総統・ヒトラーも認めている処だ。


 軍事的対抗手段が平和をもたらす事もある。逆に平和的手段が戦争をもたらすこともある。外交さえやっていれば、戦争にならない。」なんて考えるのは、「丸腰の者は撃たれない」と主張するJos某並みの気違いだけだろう。

 ま、琉球新報がJos某並みの気違いである可能性は、一応ある。完全なる善意に基づいて自主的に上掲社説を掲げている可能性が、あるにはある。

 全く期待すべきではない。左様な「期待」は、危険だ。

 琉球新報が、我が国に対し「核心的利益」なる侵略宣言を既に出している中共の、「日本侵略の尖兵」と化している、と考える方が、安全側である。
 
 「日本侵略の尖兵」が、日本侵略のお先棒を担ぐ様な、斯様な社説を堂々と掲げられるのだから、我が国の「言論の自由」は、この点では全く大したモノだ、と言うべきだな。

  • 防衛費、「規模ありき」だと、何が悪い?「1%」は「規模ありき」だった。-【朝日社説】首相2%指示 防衛費増 規模ありきだ 他

 岸田首相が防衛費の対GDP比率2%を指示したぁぁぁぁぁぁぁっ!!!ってんで、アカ新聞どもが大騒ぎしている、らしい。まあ、下掲するアカ新聞ども社説を見れば/読めば、自ずと明らかな所、であるな。

 いやぁ、安保法とか、機密保護法とか、チョイと前の、特に安倍晋三政権下での「アカ新聞ども大騒ぎ」が思い出されるねぇ。

 って事は、「アカ新聞大騒ぎ」ってのは、ある種の「吉兆」と、考えたくなるな。だが、「吉兆となる」か「ならぬ」かは、岸田首相次第、ってところが、大きそうだ。

①【朝日社説】首相2%指示 防衛費増 規模ありきだ
②【毎日社説】防衛費2%の首相指示 やはり「数字ありき」だった
③【東京社説】防衛費2%指示 倍増ありき再考求める

  • (1)①【朝日社説】首相2%指示 防衛費増 規模ありきだ

首相2%指示 防衛費増 規模ありきだ

 

 

https://www.asahi.com/articles/DA3S15488752.html?iref=pc_rensai_long_16_article

 

2022年11月30日 5時00分

 

 

防衛費に関する岸田首相の指示を受け、取材に応じる(左から)鈴木俊一財務相、浜田靖一防衛相=28日、首相官邸、瀬戸口翼撮影

 

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【1】 岸田首相が掲げる「防衛力の抜本的強化」は、内容、予算、財源をセットで決めるのではなかったのか。使途の具体的な説明がなく、財源の議論もこれからで、予算額だけ先に打ち上げるのでは、やはり「規模ありき」だったというほかない。

 

【2】 首相が、防衛費に関連経費を加えた安全保障関連予算を、2027年度に国内総生産(GDP)比2%とするよう、防衛・財務両大臣に指示した。

 

【3】 21年度の防衛費は補正を含めると6兆1千億円で、GDP比は1・09%。2%は約11兆円となり、防衛に資する研究開発や港湾などの公共インフラ整備の費用、海上保安庁予算や恩給費などを算入しても、兆円単位の大幅な増額になる。

 

【4】 2%はもともと、北大西洋条約機構(NATO)諸国の国防予算の目標だ。自民党は昨年の衆院選の公約に、この数値を「念頭」にした防衛力強化を掲げ、年末の安保3文書の改定に向けた今年5月の政府への提言にも盛り込んだ。

 

【5】 しかし、日本とNATO諸国では、安全保障環境も歴史的経緯も異なり、予算の仕組みも違う。社説はこれまで、着実な防衛力整備の必要性には理解を示しつつ、費用対効果を吟味し、真に必要な予算を積み上げるのが原則だと主張してきた。

 

【6】 この間、「3点セットで明らかにする」と、防衛力整備の水準への言及を避けてきた、首相の対応は不誠実だ。土壇場になって2%を追認したが、敵基地攻撃能力の保有について、まだ公式には結論が出ていないのに、長射程のミサイル導入を見込む予算の大幅増を決めるのは、順番が逆ではないか。

 

【7】 首相の指示は27年度時点の水準だけで、来年度から5年間に要する予算の総額は示されていない。一方で、他の歳出の見直しに最大限努力することを前提に、安定財源の確保が不可欠だとして、「歳出歳入両面での措置」を決めるとした。事実上、増税の検討を求めたものだ。

 

【8】 政府が設けた「国力としての防衛力を総合的に考える有識者会議」も、先日の報告書に、「幅広い税目による負担が必要」と明記している。

 

【9】 自民党内からは「増税反対」「国債で対応しろ」の大合唱が聞こえる。1千兆円を超す国の借金を抱えながら、さらに野放図に将来世代にツケを回そうというのは無責任きわまる。

 

【10】 ただ、身の丈を超えた負担増で、国民生活を疲弊させるようなことがあってはならない。また、いかなる増税も、国民の幅広い理解と協力が大前提である。国民への説明を後回しにする今の政権の進め方で、納得が得られるかは疑問である。

  • (2)②【毎日社説】防衛費2%の首相指示 やはり「数字ありき」だった

防衛費2%の首相指示 やはり「数字ありき」だった

 

 

https://mainichi.jp/articles/20221130/ddm/005/070/088000c

 

 

朝刊政治面

毎日新聞 2022/11/30 東京朝刊 English version 830文字

 

【1】 やはり「数字ありき」だったと言うほかない。議論と説明を尽くしてこなかった岸田文雄首相の責任は重い。

 

【2】 首相は防衛、財務両省に対し、防衛費などの関連予算を2027年度に国内総生産(GDP)比で2%まで増やすよう指示した。

 

 

【3】 1976年に定められた「1%枠」は、80年代に撤廃された後も防衛費の目安となってきた。今年度当初予算は約5兆4000億円(0・96%)だ。2%なら倍増の約11兆円となる。

 

【4】 従来の防衛費に加え、安全保障関連の研究開発、インフラ整備、サイバー、国際協力などの経費も合算して達成するという。

 

 

【5】 だが、内容を詰め切らないまま規模を決めてしまうのは問題だ。

 

【6】 そもそもGDP比2%は、北大西洋条約機構(NATO)加盟国の国防費目標である。自民党は、7月に死去した安倍晋三元首相を中心に、日本もならうべきだと要求してきた。

 

【7】 ただ、地理的条件などから、必要となる防衛力は異なるはずだ。単純な比較は成り立たない。

 

【8】 岸田首相はこれまで、あらかじめ数値目標を設けることを避け、「内容、予算、財源を一体で決める」「必要なものを積み上げる」と繰り返していた。ところが、年末の予算編成を控える今になって突然、前言を翻した。

 

 

【9】 予算規模ばかりが先行するのは本末転倒だ。個々の項目の金額が必要以上に膨張するなどの弊害が出かねない。

 

【10】 防衛省の来年度概算要求は過去最大の約5兆6000億円で、金額を示さない事項要求が多数に上っている。

 

 

【11】 5年後の「2%目標」を見据えて、予算を積むことが優先されれば、装備品の優先順位や費用対効果、コスト削減などの観点も抜け落ちる懸念が高まる。

 

【12】 しかし、そうした点が精査されたようには見受けられない。

 

【13】 憲法に基づき、軍事大国とはならず、専守防衛を堅持することが日本の基本方針だ。規模の論理が先走れば、それとの整合性もおろそかになりかねない。

 

【14】 予算の倍増は防衛政策の大転換に直結する。国民の理解を得る努力を欠いたまま、なし崩しに決めることは許されない。

  • (3)③【東京社説】防衛費2%指示 倍増ありき再考求める

防衛費2%指示 倍増ありき再考求める

 

 

https://www.tokyo-np.co.jp/article/216928?rct=editorial

 

2022年11月30日 06時48分

 

【1】 岸田文雄首相が、防衛費を関連予算と合わせて二〇二七年度に国内総生産(GDP)比2%に倍増させるよう関係閣僚に指示した。防衛力の抜本的強化のためとされるが、財源確保のための増税は避けられず、周辺情勢の安定に資するかも疑問だ。再考を求めたい。

 

【2】 首相は防衛費の在り方について「金額ありき」を否定し、内容、予算、財源を合わせて「具体的に国民の命を守るために何が必要なのかをしっかりと議論し、積み上げる」と繰り返してきた。

 

【3】 しかし、積み上げの議論が十分に行われたとは言い難い。

 

【4】 例えば、政府は中国や北朝鮮の軍備増強を踏まえ、他国の領域でミサイル発射を阻む敵基地攻撃能力(反撃能力)の保有に踏み切る方向だが、必要な装備や予算規模は具体的に示していない。

 

【5】 首相が自身の説明を翻して、防衛費増額の数値目標を設定したのは、与党自民党の要求をそのまま「丸のみ」したに等しい。

 

【6】 そもそも、日本の防衛費をGDP比「2%」とすることに、明確な根拠があるわけではない。

 

【7】 北大西洋条約機構(NATO)加盟国はGDP比2%を国防費の目標とするが、ロシアと地続きで相互に防衛義務を負う欧州各国と日本を同列に扱う必然性はない。

 

【8】 米国から防衛費の増額を求められた安倍晋三首相当時の自民党が打ち出した2%目標が独り歩きしているだけではないのか。

 

【9】 二二年度の防衛費は約五・四兆円でGDP比1%弱。2%に増やすには、仮に海上保安庁や研究開発、公共インフラ、サイバーなどを関連予算として合算しても、毎年五兆円以上が必要になる。

 

【10】 当面は国債発行や歳出改革で捻出するとしても、政府有識者会議は増税を提言している。自民党は直近の衆参両院選で増税を公約しておらず、国民理解のない「軍拡増税」など許されない。

 

【11】 日本が防衛費を倍増させれば、中国も軍事力拡充で対抗し、日本は際限なく防衛費を増やさざるを得なくなる。軍拡競争をあおり、地域の緊張を高める「安全保障のジレンマ」に陥りかねない。

 

【12】 戦後日本の平和国家としての歩みを踏み外しかねない防衛政策の大転換を、駆け込みで決めていいはずがない。国際情勢の変化に対応しつつ、国力に応じた抑制的な防衛力の整備に向けて国民的議論を重ねるべきである。

 

  • (4)抽出、防衛費が「2%の規模ありき」では悪い/いけない理由

 例によって、丸数字は出典元となった社説の新聞社。【】はそのパラグラフ番号だ。

 

  • <理由1> 「内容、予算、財源のセット」だった、筈だから。①【1】②【5】【8】【9】③【2】
  •  
  • <理由2> 「2%」と言うのはNATOの国防予算目標で、日本はNATOとは安全保障環境も歴史的経緯も異なり、予算の仕組みも違うから。①【4】【5】②【6】【7】③【6】【7】
  •  
  • <理由3> 費用対効果を吟味し、真に必要な予算を積み上げるのが原則だから。①【5】②【11】
  •  
  • <理由4> 敵基地攻撃能力に結論が出ない内に、長射程ミサイル導入予算を決めたから。①【6】
  •  
  • <理由5> 増税につながるから。①【7】【8】③【1】【10】
  •  
  • <理由6> 国債を財源とするのは、将来にツケを回すことになるから。①【9】
  •  
  • <理由7> 国民が納得しないだろうから。/国民理解の無い「軍拡増税」など許されないから。①【10】③【10】
  •  
  • <理由8> 憲法に基づき、軍事大国とはならず、専守防衛を堅持することが日本の基本方針だから。②【14】③【12】
  •  
  • <理由9> 防衛政策の大転換に直結するから。②【14】③【12】
  •  
  • <理由10> 周辺情勢の安定に資するか疑問だから。/軍拡競争につながるから。③【1】【11】
  •  
  • <理由11> 敵基地攻撃能力保有は決めたが、装備や予算は明示していないから。③【4】
  •  
  • <理由12> 首相が与党自民党の要求を「丸呑み」したに等しいから。③【5

 

  • (5)お前ら、国防や国家安全保障を、舐めてるだろう。

 真っ先に上掲社説を掲げている、朝日、毎日、東京新聞各社に、言うべきだろうな。「お前ら、国防とか、国家の安全保障とか言うモノを、舐めてるだろう。」と。

 国防とか、国家の安全保障と言うモノは、「戦争」と言う、国の存亡にも関わる一大事に直結しており、国防や国家安全保障上の失敗は、「国が滅びる」事さえあり得る「大事(おおごと)」である。孫子の昔から21世紀の今日に至るまで、「兵は凶事」なのである。

 「”兵は凶事”ならばこそ、防衛論議は慎重に。」ってのは、一つのロジックであるが、一方で「兵は拙速。忌むべきは巧遅」とも言うのだから、なかなか「兵=国防・軍事」はタダでさえ厄介だ。それこそ、妙な先入観や思い込みや偏見を排した、真摯で真剣な議論と思考、考察が必要なのである。

 だと言うのに・・・お前らが我が国の防衛費が”GDP比2%の規模ありき”であってはならぬ」とする理由が、上掲<理由1>~<理由12>とは・・・「我が国の戦後”平和教育”の成果」を見る、思いだな。
 
 あ、念のために言っておくが、私(ZERO)自身が「我が国の戦後”平和教育”」をしっかりキッチリ受けている。私(ZERO)自身が「我が国の戦後”平和教育”」の呪縛と頸木を免れ得たのは、幾つもの幸運のお陰もあるが、根源的なところは「健全なる自主自存した猜疑心」のお陰である。これが「無い」ないし「特定の対象(*1)に対しては無くなってしまう」と言うのは、ある種の「知性の欠如」だと思うぞ。

 さて、気を取り直して、上記で抽出した「アカ新聞各紙社説が、我が国の防衛費を、”GDP比2%の、規模ありき”であってはならぬ、とする理由」を、見て行こうか。

  • <注記>
  • (*1) 「平和」とか「反核兵器」とか 

 

  • 1.<理由1> 「内容、予算、財源のセット」だった、筈だから。①【1】②【5】【8】【9】③【2】

 端的に言って、この批判<理由1>は、前言を翻した」って批判でしかない。そりゃ為政者にして我が国の最高権力者たる日本国首相が「前言を翻す」ってのは、一寸したことではあるが、「ままあること」でもあろう。アカ新聞ども(特に沖縄二紙)が大好きな鳩山由紀夫なんざぁ、「前言翻しまくり」で「翻さなかった前言なんて、あったかぁ?」状態ではないか?

 ま、鳩山由紀夫は、鳩山由紀夫であるから、置くとしよう。

 「前言を翻した」事よりも罪が重く責められるべきは、「方針が首尾一貫しない」事だろう。”内容、予算、財源のセット”だった筈が、そうでは無くなったのだから、方針は首尾一貫していない。」と言うのが一つのロジックであることは認めるが、それは「方針」を、業と狭義に捉えている、様に思われる。謂わば、「言葉尻を捉えている」のでは、ないかな?

 言い替えようか。岸田首相はある時点から、「防衛費2%」を言い出し、打ち出した。その当初に「内容、予算、財源のセット」と言ったのも事実だが、戦略・大筋・目的はどう考えても「防衛費2%」であって、「内容、予算、財源のセット」はその際の一手法であり、戦術・細部・手段であろう。

 ならば、「内容、予算、財源のセットでは無くなった」のは、戦術変更ではあっても、戦略変更ではない。批判の対象たり得なくもないが、大した批判たり得ない。

 言い替えるならば、「防衛費2%」と言い出し、打ち出した時点で「既に(或程度)規模ありき」だったのであり、「内容、予算、財源のセット」ってのは、謂わば些事だ。
 
 それは、従来従前の、数十年間もの間我が国の防衛費を圧迫・矯正し続けてきた「防衛費1%枠」を想起すれば、自明とさえ思えるぞ。
 

  • 2.<理由2> 「2%」と言うのはNATOの国防予算目標で、日本はNATOとは安全保障環境も歴史的経緯も異なり、予算の仕組みも違うから。①【4】【5】②【6】【7】③【6】【7】


 <理由1>の解説で、ほぼ議論は尽きている様な気がするが、続けるとしよう。
 
 しかし、この<理由2>もヒドいな。「NATOと日本は、違う。」ってのは、少なくとも一面の真理で、この点には私(ZERO)も同意出来るが、NATOよりも我が国の方が安全だから、防衛費のGDP比率も低くて良いなんて主張には、全く同意出来ない。

 脅威対象であるロシアとNATOは地続きってのは事実だが、大半のNATO諸国はロシアと国境を接していない。只今正にロシアに侵略されているウクライナをはじめとする東欧諸国(の一部)が緩衝国となり、「ロシアの脅威を和らげている。」。
 緩衝国ったって、両大戦のベルギー(*1)を見れば明らかな通り、場合によっては「当てにならない」のだが、我が国と脅威対象国の間に「緩衝国がない」事は、NATO諸国よりも我が国の国防上の安全度を下げている。

 我が国が「四面海もて囲まれし」島国であることは、我が国防上の利点たり得る。海を越えて兵力を送る渡洋侵攻は、「軍事的には最難事」で、現代戦でこれに成功した実績があるのは、米国、日本、ちぃとオマケして英国(*2)位なのも事実。
 だが「軍事的に最難事」なのは、陸上兵力で渡洋侵攻する場合であり、航空機による空爆やミサイル攻撃には、海洋もさして役には立たない。

 何よりも、NATO諸国は、「NATO諸国が寄って集ってロシア一国に対峙する」だけで良いのに対し、我が国の脅威対象国は、ロシアに加えて「今や世界第2位の経済力」の中国と、経済はショボいが核恫喝しまくりの北朝鮮と、三国を我が国は相手にしなければならない。しかも、同盟国は、米国、台湾、殆ど当てに出来ない韓国ぐらい。インドやオーストラリアは、一寸遠い。

 即ち、我が国の安全保障環境は、NATO諸国よりも、悪い。のは、ほぼ自明である。それを、「ロシアと地続きのNATO諸国」と屁理屈付けて、「NATO諸国より我が国の方が安全だから、NATO諸国並みの防衛費2%は必要ない。」と言わんばかり(しかも、左様に明確に主張すらせず、暗示するばかり)なのは、詭弁であり、姑息である。

  • <注記>
  • (*1) 第1次大戦でも第2次大戦でも、ベルギーはドイツのフランスへの進撃路として蹂躙された。
  •  地理的に不幸な位置にあるとは言え、同じ手を立て続けに二度も喰うなよな。 
  •  
  • (*2) フォークランド紛争を、渡洋侵攻と見なして、だ。「渡洋」であることは間違いないが、派遣した兵力がショボいんだよねぇ。まあ、目的は達したのだけど。 


 

  • 3.<理由3> 費用対効果を吟味し、真に必要な予算を積み上げるのが原則だから。①【5】②【11】

 この<理由3>とされている「原則」は、凡そありとあらゆる予算について言えることであり、なればこそ「原則」たり得ている、と言えよう。それだけに「正統派」の「防衛費が『2%の規模ありき』では悪い/いけない理由」と言えそうであり、今回抽出した12の理由の中で『説得力のある点』では一二を争う、と言って良さそうだ。

 だが、その「原則」がしばしば破られる、のも事実であり、現実である。而して、従来従前の我が国の防衛費が「費用対効果を吟味し、真に必要な予算を積み上げた」モノであったとは、到底言えまい。部隊現場の隊長が自腹でトイレットペーパーを買っているとか、『共食い整備』とか言う事例は、従来従前の防衛費が少なくともローカルには「真に必要な予算では無かった。不足していた。」事を意味するし、その元凶が従来従前の「防衛費1%枠」であり、「防衛費が、『1%の規模ありき』であった。」事を、相当に強く示唆している。

 「艦対艦ミサイルの調達は、新造艦建造時に定数(普通の護衛艦は8発)にさえ足らない発数(6発)だけで、備蓄どころか定数搭載することも出来ない(*1)。」なんて、普通に考えれば「常軌を逸した」状態も「真に必要な防衛予算では無かった。不足していた。」証左であり、<理由3>の様な、ある意味「正論」を以て「防衛費を論じる」事は、到底出来ない
 
 従って、この<理由3>を以て「防衛費2%の規模ありき」に反対するのは、「我が国の防衛予算の実情を、全く顧みていない暴論」であり、「理想論」とか「書生論」とさえも、評しがたい、とすべきだろう。
 

  • <注記>
  • (*1) 退役した艦から下ろした発数だけは、「余剰」がある、のみ。 

 

 

  • 4.<理由4> 敵基地攻撃能力に結論が出ない内に、長射程ミサイル導入予算を決めたから。①【6】

  • <理由11> 敵基地攻撃能力保有は決めたが、装備や予算は明示していないから。③【4】

 朝日新聞と東京新聞の「主張が異なる」のは、別に異とするには足らないが、上記朝日が掲げる<理由4>と東京新聞が掲げる<理由11>には、矛盾が在る。
 <理由4>で朝日は、敵基地攻撃能力の保有が決まらない内に、長射程ミサイル予算を決めるとはケシカラン!と非難しているのに対し、<理由11>で東京新聞は、「装備や予算を明示しないで、敵基地攻撃能力保有を決めるとはケシカラン!と非難している。「長射程ミサイル予算を決めた」ならば「装備や予算は、自ずと決まった」筈なのに、である・・・ああ、「長射程ミサイル予算を決めたが、装備や予算は明示していない」って可能性が、「論理上存在しうる」気はするが、一寸想像を絶する。そんな状態に「今現在の我が国がある」とは、到底信じ難い。


 「敵基地攻撃能力保有を、決める/決めない」も、「長射程ミサイル予算を決める/決めない」も、日本政府の取りうるのは、どちらか一方しかない。「決める/決めない」を秘匿し、曖昧にすることは(一応)可能だろうが、そうだとしたら「日本政府が秘匿/曖昧にしている決定/未決定を、朝日も東京新聞も、断定した上で非難している」事になる。そりゃ、まあ、そんな状態では、「朝日と東京新聞の非難に、矛盾が生じる」のも無理はないが、両者の非難に「矛盾がある」という事実は、「政府が如何したって両紙は非難批判しただろう」事を、かなり強く示唆している(様に私(ZERO)には思われる)。

 それ即ち、<理由4>と<理由11>は、イチャモンでしかなく、論じるに足らない、と言うことだ。

 因みに現時点での私(ZERO)の認識は、「日本政府は、敵基地攻撃能力の保有を決定したが、長射程ミサイルの予算や数は、決めていない。」であり、非難としては東京新聞の<理由11>に「未だ理がある」とは思うのだが、「敵基地攻撃能力の保有を決めた瞬間に装備や数を明示する」ってのも相当無理があれば(*1)、「装備や数を明示しないことで、抑止力を高める」事もあり得るのだから、<理由11>は「そもそも事実誤認しているらしい<理由4>よりは、マシ」という、だけである。
 

  • <注記>
  • (*1) その為には、相当な事前検討が必要であり、そん事前検討が露見した日には、「敵基地攻撃能力を保有していないのに、敵基地攻撃能力を検討しているぅぅぅぅ!!」と東京新聞が騒いだことは、賭けても良いぐらいだ。 

 

  • 5.<理由5> 増税につながるから。①【7】【8】③【1】【10】

  • <理由6> 国債を財源とするのは、将来にツケを回すことになるから。①【9】

 <理由5>と<理由6>は、何れも金がないからという「上位概念」に集約出来よう。下世話な話だが、「無い袖は振れない」って奴だ。
 
 だが、頭を冷やして考えるが良いや。国が戦争に負けると言うことは、国が滅びると言うこと。「男は皆殺し。女は性奴隷。」ってのは、流石に「国際法違反」って事になったが(それだって、戦史からすればごく最近の話だ。)、類似した事象はロシアのウクライナ侵略でも発生している。「国が滅びる」とは、「国が戦争に負ける」とは、「男は皆殺し。女は性奴隷。」に準じた事象が、全国規模で生起する、と言うことだ。


 大東亜戦争に於ける我が国の敗戦は、「血が流されなかった」と言う点では「理想に近い敗戦」だったのである(*1)。アレが「敗戦」だと思うと間違えるぞ(*2)


 かてて加えて、住民虐殺ったら、「支邦特産」でこそ無いものの、「大陸名物」ではあるという歴史的背景と、既に数十年にわたって実施されている「反日教育」を考えるならば、「中国に対する日本の敗戦」は、「通州事件が21世紀の今日に日本全国規模で拡大再生される」可能性さえ、考慮すべき対象であろう。
 
 「敗戦」とは、実に、「恐ろしいモノ」なのである。

 更には、仮に敗戦に至らず、対中/対露/対北朝鮮戦争に日本が勝利、したとしても・・・惹起された戦争による被害というのは官民/軍民を問わず、大小の程度の差はあるかも知れないモノの、「必ず、ある」と考えねばならない。「勝利の美酒」なんて表現もあるが、大抵の勝利には多少なりとも「苦み」はあるのであり、その「苦み」は大東亜戦争後80年もの間、相応の平和を享受してきた我が国には特に強烈であろう。

 言い替えれば、「開戦に至らない」のが最善であり、「開戦して勝利」は、かなりギャップのある次点。「開戦して敗北」は、最悪。「百戦百勝は、善の善たる所に非ず。」とか、「戦わずして、勝つ」とかの、「孫子の教え」は、21世紀の我が国にも、有効有益である、と言うことだ。

 で、「開戦に至らせない」抑止力として、「開戦に至った場合、勝利する(可能性を高める)」実行力として、「軍備の拡張」は重要重大である。それは、「金が無いから、やらない/止めよう」なんて言えるほど、呑気なモノでは無い、のである。
 
 私(ZERO)ならば、断言するね。「我が国が経済的に滅んでしまうのは、困る。だが、『国が傾く』程度ならば、十分許容出来るから、軍備増強すべきである。それこそ正に、我等の代の、未来に対する責任である。」と。

 「軍艦造れぇぇぇぇぇぇ!!」樺山資紀(と、される。)

  • <注記>
  • (*1) 「流されなかった血」以外の部分では、日本国憲法の押しつけだとか、戦前戦中暗黒史観の洗脳とか、相当に「ヒドい」部分も多々あるが。 
  •  
  • (*2) ソ連軍が攻めて来たら、赤旗と白旗を持って、威厳ある降伏をするのが良い。って正真正銘掛け値無しの降伏主義者共(かつては、相応に居た)なんざぁ、「大東亜戦争の敗戦」が「普通の敗戦」と、勝手に思っているんだろうな。 
  •   まあ、ロシアのウクライナ侵略でも、「ウクライナ軍が抵抗するから、戦争が長引く。」とか「西欧諸国が武器援助するから、市民が犠牲になる。」とか抜かすやつばらは相当いるから。似たような発想なのだろうよ。

 

 

  • 6.<理由7> 国民が納得しないだろうから。/国民理解の無い「軍拡増税」など許されないから。①【10】③【10】


 この<理由7>の言っているのは、国民には、"防衛費2%"に納得して欲しくない。と言う、①朝日及び③東京新聞の「期待」であり、「願望」であろう。だが、その「希望」/「願望」が裏切られ、世論調査か何かで「国民の圧倒的多数が、『防衛費2%』や『防衛費増のための増税』を許容している」って結果が出たとしても、朝日や東京新聞は納得も理解もしないだろう事は、賭けても良いぐらいだ。

 言うなれば、この<理由7>は、「国民の名をかたってのイチャモン」だろうと、私(ZERO)は見ている。

 而して、「防衛費2%に国民が納得しない。」ならば、「国民を説得する」だけの話。今現在「防衛費2%に国民が納得しない。」としても、大した問題ではない。政治・政策は、世論調査結果ではない。不人気だろうが、為すべき政治・政策は為すこと事こそ、政治家の仕事であり、責務だ。

 言い替えるならば、朝日や東京新聞が、「防衛費2%に、国民が納得しない」事に期待し、賭けるのは勝手だが、「防衛費2%を、国民に納得させる」心算があれば、政府が「防衛費2%」を実施実行することに、何の問題も無い。その結果、支持率が下がろうが、次の選挙に大敗しようが、「防衛費2%」を実施実行は、出来る。

 否、その程度のリスクを負うだけの価値が、「防衛費2%」には、ある、と言うべきだ。
 

  • 7.<理由8> 憲法に基づき、軍事大国とはならず、専守防衛を堅持することが日本の基本方針だから。②【14】③【12】

  • <理由9> 防衛政策の大転換に直結するから。②【14】③【12】

 <理由8>と<理由9>は、詰まるところ、防衛政策の従来方針を変えるな。と言う主張である。

 が、「防衛政策の方針」も、「防衛政策」そのものも、政府の、内閣の所掌であり、その変更もまた然り。前内閣の方針や政策をそのまま踏襲するも、改変するも、大転換するも、覆すも、現政府=現内閣ならば可能であり、他の誰にも出来ないことである。

 憲法に基づき、軍事大国とならず、専守防衛を堅持すること」が、仮に「日本の基本方針であった」としても、それを更新し、変更し、大転換し、覆す権限が、現政府=現内閣にはあり、そうしたところで「国民投票にかける」必要も無い。ああ、憲法だけは「基づかねばならない」と言い得るが(・・・あ・の・憲法に、だがね。)、「専守防衛を止める」ぐらいは、造作も無いことだ。

 言い替えるならば、現政府=現内閣には、「防衛政策の方針を変える」権限があるのだから、「防衛費2%の規模ありき」とする事への反対理由として、<理由8>と<理由9>は、「反対理由として不適切である。」

 精々の所、「防衛費2%を規模ありきとするならば、防衛政策の方針変更を、明示明言すべきだ。」と、主張出来る程度である。
 

  • 8.<理由10> 周辺情勢の安定に資するか疑問だから。/軍拡競争につながるから。③【1】【11】

 ここまで来ると、「論外」の域に近づいてくる。「軍拡競争は、安全保障のジレンマだから、陥ってはならない。」とか、素面で平気で抜かす輩には事欠かないのだが・・・軍拡競争。結構ではないか。上等ではないか。軍拡競争にすら至らず、軍拡不戦敗になるより、余程マシだ。

 大体、軍拡競争したからこそ、「冷戦」は成立し、究極的に西側自由主義陣営が「冷戦に勝利した」という冷厳たる事実があるというのに、「軍拡競争に陥ってはならない」って主張出来てしまう人の頭の構造は、一体どうなっているのか。私(ZERO)の様な「異教徒」は、正気を疑うばかりである。

 軍拡競争、ひいては冷戦は、一方的に軍事的優位を取られる「軍拡競争の不戦敗」よりは安定しているし、我が国の利益である。
 
 軍拡競争、上等である。
 

  • 9.<理由12> 首相が与党自民党の要求を「丸呑み」したに等しいから。③【5】

 さて、どん尻に控えしこの東京新聞が挙げた「アカ新聞社説が、我が国の防衛費を”GDP比2%の、規模ありき”であってはならぬ、とする理由」<理由12>が、実のところ「私(ZERO)が一番呆れた理由」である。

 何しろ我が国では、議院内閣制であり、原則的に日本国首相は日本国会最大与党の党首(*1)である。現首相の岸田首相も例外では無く、最大与党・自民党の党首=総裁を兼任している。

 で、最大与党の党首でもある日本国首相が、その党首を務める最大与党の要求を「丸呑み」したら、非難されるのかね?????「非難されるべき」としたら、議院内閣制の否定では、無いのかね????

 「最大与党党首と、日本国首相とでは、立場が違う。」と言うことは、あり得る事だろう。「首相たるもの、党利党略よりも国益・国家戦略を優先すべきだ。」と言うのは、「その通り」と、私(ZERO)も同意しよう。だがそれならば、今回の「防衛費2%の総額ありき」が、どう「自民党の党利党略に沿っており、且つ、国益・国家戦略に反するか。」を、論証すべきであろう。
 
 と、ここまで書いて、漸く気が付いた。私(ZERO)は「防衛費2%総額ありき」が、我が国益・我が国家戦略に沿うモノと思っている。なればこそ、自民党の党利党略に沿おうが反しようが、「知ったことではない」のである。「日本国首相が、自民党の要求を丸呑みにする」のも、「些事だ」と思えるのは、その為だ。
 
 対して、上記<理由12>を掲げる③東京新聞は、前述の<理由11>の様な、私(ZERO)に言わせれば「実に奇妙なロジック」で、防衛費2%総額ありき」が我が国益・我が国家戦略に反するモノ、と信じ込んでいる。だから、<理由12>「自民党の党利党略に(のみ)沿っているから」と「日本国首相が日本国会最大与党=自民党の要求を丸呑みしている」と、「非難・批判」出来てしまう、らしい。

 なるほど、「思考の水平線を広げる」とは、こう言う事を言うのだな。矢っ張り異論・異説は「異端」と思えても、大切にしないといけないな。

 「森羅万象、皆我が師(たり得る)。」、改めて、肝に銘じよう。

  • <注記>
  • (*1) 例外は、村山富市・社民党党首首相ぐらい、だろう。 


 

  • 10.「防衛費1%枠」は、「総額ありき」で、なし崩しに決めたろうが。

 で、改めて想起願いたいんだが・・・我が国の防衛を長いこと呪縛し続けて来た「防衛費1%枠」なんてのは、「NATO諸国の国防予算基準」なんて参考値も無く、たぁだノリと雰囲気だけて決めつけやぁがって、そのまま「引きずられているだけ」だったろうが。それに対してアカ新聞どもは、「規模ありき」とも「金額ありき」とも言わず、寧ろそれに抵触しそうになると、大抵「大騒ぎ」して来やぁがった、ろうが。

 そんなアカ新聞どもが、「防衛費2%に反対」なのは、判ったよ。だが、その反対理由が「規模ありきだから。」ってのは、全く説得力を持たないぞ。

  • 負け犬、発狂-【琉球新報社説】敵基地攻撃能力60%賛成 危険性を冷静に考えよう

 世論調査の結果、「我が国が、敵基地攻撃能力を保有することに対し、賛成が60%居た」ってんで、琉球新報が発狂している。

 ま、バカがバカを晒しているのを見るのは、楽しいがね。

 

  • (1)【琉球新報社説】敵基地攻撃能力60%賛成 危険性を冷静に考えよう

敵基地攻撃能力60%賛成 危険性を冷静に考えよう

 

 

https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1623469.html

 

2022年11月29日 05:00

 

 

 共同通信の世論調査で、日本が敵基地攻撃能力(反撃能力)を持つことに賛成が60.8%に達し、反対は35.0%にとどまった。2月の同調査や7月の日本世論調査会の調査では拮抗(きっこう)していたが、一気に賛成が増え始めた。北朝鮮の相次ぐミサイル発射や「台湾有事」が取り沙汰される中で、周辺国に対する脅威感が高まっているのだろう。

 

 本紙は、敵基地攻撃能力保持は戦争を招く危険が大きいとして一貫して反対してきた。世論の動向に危機感を抱かざるを得ない。敵基地攻撃能力保持が戦争を止める力になるのか、冷静に慎重に考えることを呼びかけたい。

 

 敵基地攻撃能力保持は確実に「安全保障のジレンマ」を招く。軍拡競争には限りはなく、武器を突きつけ威嚇し合う中で偶発的に戦闘が始まり、エスカレーションしていく。軍拡のための財政負担も増大し続け、増税か他の予算の削減が迫られる。かつてそうして2度の世界大戦が起きた。歴史に学ぶべきだ。

 

 日本が戦後掲げ続けてきた専守防衛とは、飛来するミサイルを迎撃し、侵入してくる戦闘機や艦船を撃退することに徹し、相手領域への攻撃はしないというものだった。これが、相手に意図があり攻撃着手が分かれば、発射基地だけでなく指揮統制機能などの中枢も攻撃することになる。

 

 敵基地攻撃能力を保有すれば、相手はミサイル実験をやめるだろうか。また、実験なのか、演習なのか、攻撃なのか、瞬時に相手の意図を判断できるのだろうか。

 

 北朝鮮は、潜水艦からのミサイル発射実験も行ったし、列車を使っての移動発射実験もしている。ミサイルの100%迎撃が不可能であるのと同様、千発のミサイルがあっても相手の反撃を100%阻止することは困難だ。Jアラート(全国瞬時警報システム)が鳴った時には日本側は攻撃に出ているはずで、すぐ全面戦争になるだろう。さらに台湾と朝鮮半島のどちらかで有事が起きれば連動するとも指摘される。日本がその引き金を引いてはならない。

 

 もう一つ問題は、敵基地攻撃能力が日米軍事一体化の中で行使されることだ。情報の収集・分析も含めて、敵基地攻撃の判断を日本側が独自にすることは考えにくい。

 ウクライナの戦争から学ぶべきである。国内の原発にミサイルが1発でも着弾すれば、放射能汚染によって日本の半分が避難を強いられる可能性がある。核保有国に対する敵基地攻撃は、核戦争につながる危険をはらむ。ウクライナがロシア領内への攻撃を避けているのはロシアに核使用の口実を与えないためだ。敵基地攻撃は、核使用に至り世界大戦に発展しかねない。

 

 専守防衛に徹し、米国の戦争に加担すべきではない。脅威には外交で対応していくしかない。気候変動対策も待ったなしだ。戦争の準備をしている場合ではない。

 

  • (2)冷静になるべきは、琉球新報の方ではないかね?

 上掲琉球社説を一言で言えば、「気違い」だ。まあ、予想された通りだが。

 特に凄まじいのは、最後のパラグラフだろう。

1> 専守防衛に徹し、米国の戦争に加担すべきではない。
2> 脅威には外交で対応していくしかない。
3> 気候変動対策も待ったなしだ。
4> 戦争の準備をしている場合ではない。


 上記3>~4>が言っていることは、中国(*1)ロシア(*2)北朝鮮(*3)よりも、気候変動の方が脅威だ。である(*4)。しかも、上記2>が言っていることは、中国やロシアや北朝鮮に対しては、外交だけで対処しろ。である。他に解釈のしようがあろうか?
 上記1>は、婉曲表現ではあるが、ある意味「集団的自衛権の否定」であろう。そりゃ、安保法は集団的自衛権を容認しているから、違憲であり、破棄すべきだ。と、素面で真面目に主張出来てしまう琉球新報ならば、「集団的自衛権の否定」何ざぁおちゃのこサイサイ屁の河童だろうが、「集団的自衛権を行使出来ない国」とは「同盟として当てにならない国」と言うこと。そんな国と同盟を組めるのは、そんな状態にしたことに責任の一端がある米国ぐらいしかない。その上に「専守防衛に徹して米国の戦争に加担しない」同盟でしか無い日米同盟と、専守防衛に徹して外交だけやっていれば、脅威に対抗出来て、我が国の安全安泰を守れるなんて、何をどうしたら考えられるのか、私(ZERO)にはサッパリ判らない。
 
 いや、違うか。

 「日本は、専守防衛に徹し米国の戦争に加担せず、脅威には外交だけで当たるべきだ。」ってある種の「理想像」が先にあり、その結果我が国の安全安泰が脅かされようが、その結果国として滅ぼうが、「知ったことではない」のだろうさ。

 左様な状態で我が国の安全安泰が保障出来ると考えようが、我が国の安全安泰よりも左様な状態が優先されると考えようが、その様な「確信」は、「狂信」無いし「盲信」と呼ぶべきであろう。
 
 「米国ぐらいしか同盟国が無く、専守防衛に徹し(って事は、シーレーン防衛すら怪しい、って事だ。)、外交のみで脅威に対応していれば、我が国は安全安泰」という狂信盲信を、琉球新報が抱くのは勝手だ。

 だが、そんな琉球新報が抱く狂信盲信なんぞに、付き合って入られない。そんな「私(ZERO)の抱いた感想」を、或程度の日本国民が共有し、共感しているからこその、「敵基地攻撃能力に賛成60%」ではないのかな?

 少なくとも、私(ZERO)は、「そうであって欲しい」と希望するのだが、琉球新報も「左様な可能性」を考え、一度自ら省みては、どうかね。
 ま、無理だろうな。
 
 「異教徒」たる私(ZERO)は、完全なる善意に基づいて琉球新報が左様な狂信盲信を公言し、上掲社説として掲げているとは、信じないことにしている。
 
 「中共の日本侵略の手先となっている。」左様に考えておく方が、安全側であるから、な。

 ああ、「北朝鮮の日本弱体化策の先棒を担いでいる」って可能性もあるし、それを言うならば「日本弱体化策」を狙うモノは、相応にありそうではあるな。いずれにせよ、琉球新報がある意味「外患誘致の売国奴」であることは、免れそうに無いが。
 

  • <注記>
  • (*1) 我が国に対して「核心的利益」なる侵略宣言を出している。 
  •  
  • (*2) ウクライナで侵略戦争実施中であり、日本に対し同様の動きがあった、ってまことしやかな噂まである。 
  •  
  • (*3) 再三再四我が国に対して核恫喝を為している。 
  •  
  • (*4) 「戦争準備の否定」って暴論もあるんだが。国防とは、「次の戦争に負けない様に準備すること。」であるから、これは文字通り「国防そのものの否定」であり、ある種の敗北主義でもある。 
  • 古き骸を捨て、君は此処に蘇るべし。-【乗りものニュース】アメリカで飛行可能なゼロ戦が誕生!角型主翼の32型で空飛べるのは初

 タイトルに取った「古き骸(むくろ)を捨て、君は此処に蘇るべし。」と言うのは、古い邦画「魔界転生」のキャッチコピーだ。この映画、私(ZERO)は見ていないのだが、一時期随分と喧伝されたので、覚えている。何でも、天草の乱で死んだ天草四郎が地獄から蘇ってきて、その他の亡者と共に幕府転覆を企む。これに対して幕府側=体制側にして「生者の味方」となる柳生十兵衛が対峙・対決する、ってな話、らしい。天草四郎を(未だ若かった)沢田研二が演じ、柳生十兵衛を(やはり若かった)千葉真一が演じ、耳無し芳一宜しく経文だか呪文だかを書いた顔と眼帯(柳生十兵衛は隻眼=片目で有名)がインパクト大だったので、未だに覚えている。
 
 で、キャッチコピーとなっている「古き骸(むくろ)を捨て、君は此処に蘇るべし。」と言うのは、天草四郎が他の死者を蘇らせる呪文であった、と思う。「エロイム・エッサイム。我は、求め、訴えたり。」と続けた、と思うが、この辺りは水木しげるの漫画「千年王国」だか「悪魔くん」だかと、記憶が混同・混乱している可能性を否めず、一寸自信がない。

 それはさておき、そんな「古い邦画の、死者を蘇らせる呪文」を思い出したのは・・・米国で、我等が零式艦上戦闘機の32型が「復活した」ってニュースを知ったから、だ。
(1)【乗りものニュース】アメリカで飛行可能なゼロ戦が誕生!角型主翼の32型で空飛べるのは初

  • 【乗りものニュース】アメリカで飛行可能なゼロ戦が誕生!角型主翼の32型で空飛べるのは初

乗りものニュース編集部 の意見 - 11月18日

 

https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/e3-82-a2-e3-83-a1-e3-83-aa-e3-82-ab-e3-81-a7-e9-a3-9b-e8-a1-8c-e5-8f-af-e8-83-bd-e3-81-aa-e3-82-bc-e3-83-ad-e6-88-a6-e3-81-8c-e8-aa-95-e7-94-9f-ef-bc-81-e8-a7-92-e5-9e-8b-e4-b8-bb-e7-bf-bc-e3-81-ae32-e5-9e-8b-e3-81-a7-e7-a9-ba-e9-a3-9b-e3-81-b9-e3-82-8b-e3-8/ar-AA14eOjv

 

エンジンはP&W製の新品を搭載

 アメリカにある「MILITARY AVIATION MUSEUM(ミリタリー アビエーション ミュージアム)」は2022年11月11日、公式ツイッターで、コレクションに「A6M3 Zero」が加わったと発表しました。

 

「A6M3 Zero」とは第二次世界大戦中に旧日本海軍が使用した零式艦上戦闘機、通称「零戦(ゼロ戦)」の32型のことです。

 

【世界で唯一!】福岡県に残るレア機 修復した零戦32型

 

 

MILITARY AVIATION MUSEUMが取得した新造の零戦32型(画像:MILITARY AVIATION MUSEUM)。

MILITARY AVIATION MUSEUMが取得した新造の零戦32型(画像:MILITARY AVIATION MUSEUM)。

c 乗りものニュース 提供

 零戦32型は、各型合計で1万機以上が造られた零戦シリーズのなかで唯一、主翼端が角型のモデルです。ゆえに登場当初、アメリカ軍は別機種と認識しており、「Zeke」という零戦識別用のコードネームとは別に、32型にだけは「Hamp」という名称を付与していました。

 

 なお、生産数は343機とほかのタイプよりも少ないため、これまで現存する零戦32型は、福岡県筑前町の町立大刀洗平和記念館で展示・保管されている機体が世界で唯一といわれていました。

 

 今回、MILITARY AVIATION MUSEUMが取得した零戦32型は、ワシントン州エバレットのレジェンド・フライヤー社が、リバース・エンジニアリングで組み立てた新造機になります。リバース・エンジニアリングとは、現存する残骸などから部品ひとつひとつの形状や寸法を割り出し、新たな部材を複製し、それを組み立てて新製することです。

 

 第2次世界大戦中に製造された残存機をレストア(修復)したわけではないため、前出の大刀洗平和記念館に残る実機とは性格が異なるものの、新造機であるため飛行可能というメリットも有しています。

 

 説明によると、近いうちに大戦が終わってから最初となる飛行を行うとのこと。なお、エンジンについては、諸事情から取得しやすく整備部品なども豊富にあるプラット・アンド・ホイットニー(P&W)製の空冷星型エンジンを搭載しています。

 

  • (2)一寸解説、「二号零戦」こと「零戦32型」

 さて、釈迦に説法ってぇ向きもあろうが、念のため「零戦32型」を一寸解説しておこう。

 「零戦(れいせん/ぜろせん)」として有名な「零式艦上戦闘機」は、第二次大戦を通じて我が国の主力戦闘機であり(*1)、皇紀2600年(昭和15年 西暦1940年)に制式化された。その「皇紀年号の下二桁」を以て「零式」と命名された「艦上戦闘機」である。従って、「零式輸送機」や「零式水上観測機」の「零式」も同じ命名由来なので、これらとは「同期制式」ってことになる。

 因みに「皇紀2600年の下二桁」を「零式」と読むのは帝国海軍で、帝国陸軍(当時の日本に、空軍はない)では「百式」と読むので、「百式司令部偵察機」や「百式短機関銃」「百式重爆撃機 呑龍」も「実は同機制式」である。

 ヴァリエーションを示す「32型」という「二桁型番」は、帝国海軍独自のモノ(*2)で、「十の位が機体。一の位がエンジン」を表す。従って、「最初の生産型は11型」であり(*3)、これの翼端を畳める様にしたのが大戦前半の我が国主力戦闘機たる「零戦21型」。で、それに続く「32型」は「3番目の機体で、2番目のエンジン」を意味する。序でに書けば、大戦後半の我が国主力戦闘機(になってしまったの)は「零戦52型」である。

 で、「零戦32型」は、上掲記事にある通り、「翼端が四角い唯一の零戦」であり、我が国では「二号零戦」とも呼ばれた。それ以前の21型の「量翼端を四角く切り落として、翼幅と翼面積を減じた」様な形だった。11型と21型が「翼端を折りたためる」ぐらいの差違しか無く、翼端を伸ばした(普通の飛行状態の(*4))21型は11型と外見上の区別が難しいくらいだったから、21型と11型を纏めて「一号零戦」とし、32型を「二号零戦」と、我が軍では呼んでいた。上掲記事にもある通り、零戦の米側呼称は(ZEROってのもあるんだが・・・)Zeke(ジーク)であるのに対し、32型だけHampと呼ばれたのも、無理はない。因みに、32型より後の52型も63型も64型も「翼端は再び丸くなっている」と共に、やはりZekeと呼ばれている。

零戦21型の翼端折りたたみ

 前述の通り、単に翼端が四角いばかりでは無く、翼幅と翼面積を減じた32型は、速度向上と横転(ロール)速度向上に有利な翼平面形となっている。一方でこの翼平面形は、航続距離には不利で、事実、零戦32型は、長大な(当時の単発戦闘機としては奇蹟的とも言える)航続距離を誇った零戦21型よりも航続距離が短くなっている。

 第二次大戦頃の様な亜音速航空機の主翼端形状は、理想的な順に「楕円翼(スピットファイア、He111、零式水上観測機など)>翼端半円(零戦21型以前/52型以降、Me109F以降など)>翼端角型切り落とし(Me109E以前、Fw190、P-51)」とされている。零戦32型より後発の52型以降が「丸い翼端に戻った」のは、「より理想に近づけた」とも言えよう(*5)

 

零戦52型三面図

 それだけ、「翼端の四角い零戦32型」が「零戦の異端児」とも言えそうだな。

  • <注記>

  • (*1) 「後継機の開発に失敗した」側面も、無しとはしない。 

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  • (*2) 帝国陸軍では、「1型」「2型」「3型」と、「一桁型番」を使った。

  •  各型での武装のバリエーションを「甲乙丙丁・・・」をつけて表す(「52型丙」とか)のは、帝国陸海軍共通だったが。 

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  • (*3) 序でに書けば、「今の所唯一の国産旅客機」であるYS-11の「11」も同じ意味が込められていると言う。

  •  って事は、YS-11は「帝国海軍の命名法に準じた」って事になるな。帝国陸軍としては、少なからず面白く無さそうだ。 

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  • (*4) F-8クルセイダーみたいに盛大に畳める主翼では無く、「翼端だけ跳ね上げる」程度だから、多分、「翼端を畳んだ状態」でも「離陸は出来る」と思う・・・発艦は難しそうだが。我が国の空母には、カタパルトも無いしね。 

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  • (*5) 翼端の形は「理想からかけ離れた角型切り落とし」ながら、「究極のレシプロ戦闘機」とも呼ばれるP-51なんて例も、あるのだけれど。 

 

  • (3)リバースエンジニアリングの「善用」

1>  今回、MILITARY AVIATION MUSEUMが取得した零戦32型は、
2> ワシントン州エバレットのレジェンド・フライヤー社が、リバース・エンジニアリングで組み立てた新造機になります。
3> リバース・エンジニアリングとは、現存する残骸などから部品一つ一つの形状や寸法を割り出し、
4> 新たな部材を複製し、それを組
み立てて新製することです

 私(ZERO)としては、「後発企業が先行企業の設計・製造ノウハウを盗む方法」ってイメージが強かった「リバース・エンジニアリング」なのだが、なるほど、斯様な「歴史的遺物を復活させる」事にも利用・活用出来る訳だ。

 「目から鱗が落ちる思い」というと大袈裟だが、「科学技術自身に善悪無く、人の善用・悪用があるのみ。」との思いは強くした。下世話な言い方すれば、「バカとハサミは使い様」って所だろう。

 兎にも角にも、斯様な「リバース・エンジニアリングの善用」により、零式艦上戦闘機32型の「クローン」とも言うべき飛行可能な機体が誕生したことは、喜ばしい。

5>  なお、エンジンについては、諸事情から取得しやすく整備部品なども豊富にある 
6> プラット・アンド・ホイットニー(P&W)製の空冷星形エンジンを搭載しています。


って事で、エンジンはオリジナル(は、かなり無理がある。(*1))でもリバース・エンジニアリング品でも無く、米国製の現代製品となっており、「魂を米国に売ってしまった」状態な訳だが、「飛行可能な零戦32型」に免じて、これは許容すべきだろう。
 
 Now, Hump is Back!!!
 零戦32型、只今戦列復帰セリ!!!

  •  
  • <注記>
  • (*1) 確か一機だけ、オリジナルの栄エンジンで飛行可能な零戦が、あったと思うが・・・