こんな立民党の議席を50も増やすとは、日本国民は、馬鹿か。
奴らは、民主党政権時代って、美事な実績があるのを、もう忘れたか?
あの人、民主党政権が誕生し、鳩山由紀夫が日本国首相にして自衛隊三軍の最高指揮官に就任したときの、絶望感ったら、なかったぞ。
お陰で、民意というモノは、時に致命的な誤りを犯す事がある、と、実感痛感出来た がね。
こんな立民党の議席を50も増やすとは、日本国民は、馬鹿か。
奴らは、民主党政権時代って、美事な実績があるのを、もう忘れたか?
あの人、民主党政権が誕生し、鳩山由紀夫が日本国首相にして自衛隊三軍の最高指揮官に就任したときの、絶望感ったら、なかったぞ。
お陰で、民意というモノは、時に致命的な誤りを犯す事がある、と、実感痛感出来た がね。
マスコミの無責任は今に始まったことじやない、どころか、未来永劫続きそうだけど、この菅首相退陣に対する毎日社説も凄まじいな。
「無差別攻撃」。中々、インパクトのある言葉だな。
典型的な「無差別攻撃」は、第1次大戦下にドイツ帝国が宣言した「無制限潜水艦作戦」がそれだろう。潜水艦と言うモノは、水上艦に比べて索敵能力が低く、最大の利点は隠密性・秘匿性に在る。故に、発見したフネが軍艦なのか民間船舶なのか、敵国のモノか中立国のモノか、等を識別するのには手間も時間もかかり、その分自艦を危機に曝すことになる。
更には、艦内容積が極限まで切り詰められているので、捕虜や虜囚を監禁するってのが至難だ。従って、水上艦ならばやるような、「敵国の船舶を拿捕して、乗員乗客は虜囚とし、後に中立国で解放する」なんて芸当は、そうは出来ない。
そこで、在る海域区域に対して、「ここに入って来るフネは、片っ端から攻撃して沈めるぞ。」と宣言するのが、「無制限潜水艦作戦」。国際的には非難囂々の戦術(*1)だが、「片っ端から沈めるぞ!」だから、正に「無差別攻撃」だろう。
次いで思い出されるのは、第二次大戦下の米英軍による戦略爆撃(*2)である。「軍人・軍隊と軍事施設ではなく、民間人と民間施設を爆撃することで、国としての生産力・経済力・国力を削ぎ、戦争に勝つ」戦略爆撃は、「都市や工場、住宅地を狙った爆撃」であるから、「無差別とは言い難い」・・・・とは、一寸、「口が裂けても言えない」な。
大体、都市とか住宅地ったら、結構な大きさの目標であるし、此処に特に核兵器なんか使用するとなったら、「空中起爆させて、威力範囲を広げる」なんて事もするから、「精密」とも「狙っている」とも程遠い。やはり、「無差別攻撃」と言われるべきだろう。
言い替えるならば、成人男性や軍隊・軍人を「狙う」のでは無く、女子供や民間人を「お構いなしに攻撃する」から、「無差別攻撃」と呼ばれる/言われるべきなのであり、極端に言えば、「女子供や民間人だけを精密に狙う攻撃」もまた、その非道と卑劣さを非難批判されるべきである。その精密さが高いほど、「無差別攻撃」乃至それ以上の強い言葉で非難すべきであろう。
左様に考えるならば・・・下掲社説で朝日新聞社説が「無差別攻撃」とし、毎日社説が「許されぬ民間人殺傷」としている、今次の「イスラエルの手による」とされる「ポケベル爆弾攻撃」に対する批判非難は、「素直に聞けない」とか「違和感がある」程度のレベルでは無い、と、私(ZERO)には思われるのだが、如何だろうか。
(1)【朝日社説】ポケベル爆弾 緊張高める無差別攻撃
ポケベル爆弾 緊張高める無差別攻撃
https://www.asahi.com/articles/DA3S16040629.html?iref=pc_rensai_long_16_article
社説
2024年9月22日 5時00分
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写真・図版
9月19日、レバノンでポケベルの爆発によって死亡したイスラム教シーア派組織ヒズボラのメンバーの葬儀に出席する人々=ロイター
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市民が持ち歩く民生品が突如、兵器と化して一斉に爆発し、市民に襲いかかる。死傷者は数千人に及ぶ。まぎれもない無差別攻撃であり、国際人道法に背く卑劣な犯罪だ。
イスラエルの隣国レバノンで、イスラム教シーア派組織ヒズボラのメンバーらが携帯する通信機器のポケットベルが同時多発的に爆発した。翌日にもトランシーバー型の無線機が爆発し、死者は合わせて37人、負傷者は3千人を超えた。
ヒズボラは軍事部門とは別に民生部門を有し、レバノンの国政選挙に参加する政党でもある。通信機器を持つ者が戦闘員とは限らない。
いずれの機器も手に持って顔の近くで操作するタイプだけに、負傷者の多くが指や視力を失った。爆発は市場やレストランなどでも起き、周囲にいた子どもを含む大勢の一般市民にも被害が及んだ。痛ましい事態だ。
ポケベルには台湾の、トランシーバーには日本の企業の表記があったが、実際にこれらのメーカーが製造したかどうかは定かではない。
いずれにせよ、今や原材料の調達から消費者に製品が届くまで多くの国境を越える時代である。民生品の武器化は地域を問わず社会を不安にするだけではない。企業活動や国際物流の混乱や不信も招きかねない。爆発物が埋め込まれた過程などを関係の国・地域は連携して解明し、再発防止を図る必要がある。
懸念されるのは、中東で戦火がさらに広がることだ。
イスラエルは関与について沈黙しているが、ヒズボラはイスラエルによる宣戦布告だとして報復を明言した。
両者は日常的に国境をまたいで互いを攻撃しており、規模の拡大に歯止めがかからなくなる恐れがある。ヒズボラの後ろ盾のイランも態度を硬化させている。
武力の応酬が激化したのは、パレスチナ自治区ガザで昨年10月、イスラエルとイスラム組織ハマスの戦闘が始まってからだ。ヒズボラはハマス支援を表明し、ガザの戦火がやまない限り、レバノン国境の緊張も解消されまい。
だが、イスラエルのネタニヤフ政権は閣議でガザでの戦争の目的に「レバノン国境の安全確保」を加えた。数時間後にポケベル爆発があり、その後もレバノン領内への空爆を続けている。まるで戦線拡大を企図するかのようだ。
中東の情勢悪化もいとわず強硬路線に突き進むネタニヤフ政権を抑制し、ガザでの停戦を実現させるため、国際社会は外交的な圧力を強める必要がある。
(2)【毎日社説】レバノンで連日の爆発 民間人殺傷は許されない
レバノンで連日の爆発 民間人殺傷は許されない
https://mainichi.jp/articles/20240921/ddm/005/070/099000c
注目の連載
オピニオン
朝刊政治面
毎日新聞
2024/9/21 東京朝刊
840文字
負傷者を運ぶ救急隊員ら=レバノン南部で17日、AP
街中のにぎわいを爆音が引き裂き、叫び声が響いた。血だらけの負傷者が搬送され、野戦病院が設置される。さながら地獄絵だ。
レバノン各地で2日続けて、多数のポケットベルや無線機(トランシーバー)が爆発した。子どもを含む計30人以上が死亡し、負傷者は3000人を上回った。
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いずれの機器も、レバノンのイスラム教シーア派組織ヒズボラのメンバーが使用していた。暗号メッセージなどを受信した直後に爆発したという。
ヒズボラは今年に入り、ポケベルやトランシーバーを使用するようメンバーに命じていた。携帯電話は盗聴される危険や、位置情報が暗殺の実行に利用される可能性があるためだ。
指導者ナスララ師は一連の爆発について、イスラエルによる「宣戦布告だ」と述べ、「厳しく報復し、正当に処罰する」と宣言した。イスラエル政府はコメントを出していない。
国際人道法は戦闘員と非戦闘員を区別し、攻撃対象を戦闘員や軍事施設に限定するよう定める。
国連のレバノン特別調整官は声明で子どもが犠牲になった点に触れ、「市民を標的にしてはならない」と強調した。民間人の殺傷は許されない。
上掲朝日&毎日社説にもある通り、今回「イスラエルの手による攻撃」に使われたのは、「イスラム教シーア派組織ヒズボラのメンバーらが携帯する通信機器のポケットベル」(所謂ポケベル)に仕掛けられた爆弾である。「ポケベルが爆発する攻撃」であるが故に、「無差別攻撃」とか「許されぬ民間人殺傷」とか、非難批判されている、訳である。
だ・が・・・本当に、そうだろうか?
「ポケベル爆弾による攻撃」は、「無差別攻撃」で「許されぬ民間人殺傷」であろうか?
或いは、「それは本当に、”イスラエルによる攻撃”であろうか?」って事すら、疑義及び検証の対象から外すべきではないだろう。
先ず、「それは本当に、”イスラエルによる攻撃”であろうか?」については、「妥当な推論」と言うことが出来そうではある。何故ならば、今次攻撃の目標となったのが「イスラム教シーア派組織ヒズボラのメンバー」であることに加えて、本攻撃を実施する上で、
① 既存市販のポケベル内部に、十分な殺傷力の在る爆弾を仕掛ける(*1)のに必要な高度な技術と量産体制を有する。
② 「ポケベル爆弾」を、「ヒスボラのメンバー」に配布浸透させるだけの、高度な情報収集能力と謀略能力、ヒズボラとの「信頼関係」がある。
③ 頃合を見て、ポケベル爆弾を、相応の範囲で起爆させる、組織力と意志と実行力がある。
と言ったことが必要であり、そんじょそこらの犯罪組織やテロ組織では到底出来そうにない。イスラエルという主権国家、乃至それに準じた高度な組織にして初めて為せる業であり、(主権国家を背景としない)軍や情報部だとすると、相当デカい国(*2)のそれだろう。
些か「レトロ感が強い」ポケベルを、「ヒスボラのメンバー」が携帯携行しているのは、「一般的に普及したスマホなどとは異なり、ポケベルの位置は特定し難いから。」との報道が、一部にはある。基本、ポケベルなるモノは「受信一方で、発信しない」であろうから、「在りそうな話」ではある。
もしそうならば、今時ポケベルなんて使っている者は、「ヒズボラ乃至それに準じた組織のメンバーである疑いがある」・・・と言うのは、一寸言い過ぎだろうが、今次攻撃が「ヒズボラのメンバーが携帯するポケベルに仕掛けられた」のは、確からしい。
それは、「ヒズボラにポケベルを納入する業者が、イスラエル諜報部に乗っ取られていた」とか、「ヒズボラのポケベル在庫を、ポケベル爆弾にすり替えた」とか、いずれにせよ相当に時間をかけて(恐らくは、年単位。)入念に準備された攻撃、と言うことだ。
言い替えるならば、今次の「ポケベル爆弾攻撃」は、「ヒズボラのメンバーを狙い、狙い続けた攻撃」であり、「無差別攻撃」という批判非難は、不当であろう。
上掲朝日社説は、「ヒズボラのメンバーは戦闘員ばかりでは無く、民生委員も居る。」とか何とか屁理屈をこねているが、イスラエルからすれば、その「民生委員」も「同じ穴の狢」でしかなかろう。
無論、ポケベル爆弾が爆発すれば、巻き添えになる市民や女子供ってのも居るだろう。それにしたって「ポケベルとしてちゃんと機能するポケベル」に仕掛けられる爆薬なんざぁ多寡が知れている。砲撃や爆撃に比べれば、遙かに被害極限出来て居ように。
毎1> 国際人道法は戦闘員と非戦闘員を区別し、
毎2> 攻撃対象を戦闘員や軍事施設に限定するよう定める。
・・・大東亜戦争や第2次大戦って史実も、戦闘員よりも非戦闘員を攻撃し殺傷する事を目的とした戦略爆撃も、軍艦よりも商船を狙う通商破壊も、知らねぇのかよ。手前ぇは一体、幾つだよ?
戦闘員と非戦闘員の死傷者数がトントンだったのは、第1次大戦まで、それ以降の戦闘では、非戦闘員の死傷者数の方が多いのが普通だ。「国際人道法」なるモノは、その程度の実効性と実績しか無い。
寝惚けるなよ、毎日新聞。
【【【【【 警告! 】】】】】
警告する。本稿は、「片田舎のおっさん、剣聖になる」の漫画版6巻のネタバレを盛大に含むモノになる。従って、読者諸兄にあられては、本稿を読む前に、「片田舎のおっさん、剣聖になる」の漫画版6巻を、読まれることを、強くオススメする。
更に言うならば、「多寡が漫画で6巻」なのであるから、「片田舎のおっさん、剣聖になる」の漫画版を、全巻通読されることを、オススメする。
なお、ラフィ・アイレンテール嬢は、騎士シュプール共々、原作たる小説版には登場しない。従って、「原作の小説しか読んでいない」方も、漫画版を読むことを、強く推奨する。
本稿は、「片田舎のおっさん、剣聖になる」の漫画版6巻の、作品紹介では無い。(作品紹介は、先行記事にしている。)
繰り返す。作品紹介では無い。
本稿は、「片田舎のおっさん、剣聖になる」の漫画版6巻を題材に、そのメインヒロインと言うべきラフィ・アイレンテール嬢に対する一考察をまとめ、その魅力を語る、「読後感想文」である。
ラフィ・アイレンテール嬢は、一地方領主の娘であり、恐らくは一人娘である。年の頃は、二十歳前後、って所だろうか。薄い色の長いストレートの髪(色は、薄茶か・・・ピンクとか、かなぁ。アニメだと水色ってのもありそうだ。)を頭頂部でお団子状にまとめ、クリックリの大きな目と口が、その旺盛な好奇心とバイタリティを表現している(、様に思われる)。造詣としては、ロベリオ騎士団のムードメーカー、クルニに似ているのは、そのバイタリティが相通じるモノを持つから、か。
因みに、怪力ではない、らしい。別の力はあるが。
彼女は、先ず第一に「一行が魔物の襲撃を受け、瀕死の重傷を負ったシュプールの、第一発見者」であり、シュプールに剣の才を見出して自国領の衛兵にスカウトした「目利き」でもある。また、シュプールの剣が我流であることも見抜いており、相当程度の剣術の知識(と眼力)があったことを、伺わせる。
未だ成人前と思しき、小娘が、だ。「げに恐るべき」と言うべきだろう。
父親である領主によると、昔は身体が弱かったそうで、それが特に自国領の衛兵や、その訓練への興味と関心として結実した、そうなのであるが・・・イヤイヤ、そんな「生やさしいモノ」では無さそうだぞ。どれ程の領地か不明だが、「自国領の衛兵」を見ているだけで、そうそう「剣術の流派」が在る訳も無い。恐らくは、相当な兵法書、指南書、剣術書の類いを集めて買い与え、結果として「とんでもない英才教育」が為されていた、と、考えるべき、ではないか。
第一、後に「騎士狩り」としてその名を馳せ、魔剣・ゼノグレイブルを構えたおっさん=「片田舎の剣聖」=主人公・ベリル・ガーデナントと互角の勝負をしてしまうような超一流の剣士となるシュプールの「剣の才」を、野性のカンだか女の直感だかタダの偶然だか不明だが、「見抜いている」。自称(且つ一見)「大して強くもない」タダの「雇われ剣士」だったらしいシュプールに「剣の楽しさを(間接的に、かも知れないが。)教えている」という意味でも、「立派な剣術師匠」と言い得よう。
そればかりではない。シュプールの必殺技「ダラン・・・からのドバッ!(*1)」の考案者・提案者であり、「また、新技か?」とシュプールに(多分、呆れられながら)言われている所からすると、この手の「新必殺技」を(多分次から次へと)提案し、実践させていた、のでは無いかと想像出来る。その「的中率」がどれぐらいかは不明だが・・・「ダラン・・・からのドバッ!」が必殺の剣技となっているのだから、「下手な鉄砲も数撃ちゃ、当たる」でも、十分釣りが来よう。
即ち、些か邪推と妄想を巡らすならば、「嘗て身体が弱かった」ラフィ・アイレンテール嬢は、己が自由にならない自身の身体を、目と感覚と思考で補い、体系立てや理論付けのほどは不明だが、相応に再現性・実現性のある、「仮想剣術師範」というか「脳内剣術流派」というか、「自身の身体では再現出来ないが、教え、敏し、他人に剣技・剣術を教える」事は出来るレベルになっていた、のではなかろうか。
それこそ、「剣術道場を開いて、一流派の開祖となる」レベルに。
そうで無くとも「生活のために、仕方なく剣士をやっていた」シュプールを、「最近は、結構楽しい」を経て、遂にはロバリーに「あっち側」=「寝ても覚めても剣のことばかり考えて居る」境地に至らしめたのだから、少なくともシュプールにとっては「恩師にして、大師匠」であろう。
シュプールが、ラフィ様にスカウトされ、アイレンティール家だかアイレンティール領だかの衛兵(*1)となってから数年。ラフィ様の剣術指導宜しきもあったのだろう、(無論、そればかりでは無いだろうが。)。シュプールは衛兵隊長として、衛兵達を率いて近隣の魔物討伐などにも当たっていた。
在る魔物討伐の際、部下の衛兵の一人が瀕死の重傷を負った。何とか魔物は倒し、瀕死の部下も連れ帰ったが、このままでは死を待つばかり。
そこで・・・ラフィ様が、生まれて初めて「治癒魔法」を使って見せた。それも、瀕死の兵士を美事生還させるほどの、大魔法を。
因みにこの異世界では(ルーシー師団長の特別講義によると)、「魔法」というのはある種の自然現象で、それを系統立て理屈立てて人間が扱えるようにしたのが「魔術」。人間でも(魔物でも)魔法/魔術を扱える者は居るが、人間では相当に珍しく、ある種の「奇人」と言うよりは「超人」に限られる。主人公のベリル・ガーデナントが住むレベリオ王国では、「魔法を使える者」は「魔術師」として、保護され、育成され、厚遇されている、らしい。その保護育成機関の最たるモノが、ルーシー師団長率いる魔法師団である。
ラフィ様(と、シュプール)の不幸は、その住む場所がスフェン教を国教とするスフェンドヤードバニアであったこと、だろう。スフェン教では、少なくとも人間の使う魔法は「神の御業(みわざ)」=「奇跡」って事になっている(らしい)。
早い話、ルーシー師団長の言う「魔術」は、スフェン教では「奇跡」と言い替えられ、「スフェン教会の専売制になっている」らしい。
まぁったく、これだから宗教的制約とか、その上に胡座欠いてる宗教的権威(一般的な意味での”坊さん”)ってのは、鼻持ちならないんだよ。
そんなスフェン教の支配する土地で、瀕死の重症者を治癒してしまうと言う「大奇跡」を実施実現したラフィ様に、スフェン教会から「スカウト」(*2)がやって来る。「スフェン教徒(*3)としては、名誉なこと」の筈だが・・・ラフィ様は、断る。
その理由がふるっている。自分の奇跡を発揮し、怪我や病を治癒する対象を、教会が選定するのが気に入らない、と来た。「治療の相手は、自分で選ぶ。」と言う、ある種自由主義宣言でもあれば、ある意味独立宣言でもある・・・・親父さんのアイレンテール卿は、顔面蒼白の体だったが。
スフェン教会の「お誘い」を断った理由を語り、「旅の治癒士」として世界を巡る。そんな「夢」を語るラフィ様に、シュプールが(おそらくは、”思わず”。ひょっとすると、”無意識に”。)放った一言。「俺も行くよ。」
シュプール、それ、プロポーズ。
「あんた一人じゃ危なっかしいと思って」とか、「すまん、忘れてくれ。」とか、言ったところで、もう遅い。ラフィ様、これを見逃さず、まさかの、「私、シュプールと結婚します!」宣言。大口開けて「満面の笑み」のラフィ様と、文字通り「顔面蒼白」のシュプールってカットは、名場面名シーンが多い本作6巻でも、屈指のモノでは無かろうか。
「令嬢と平民が結婚など・・・」と、「身分の違い」を言い立てる侍女(多分)の「常識論」には、文字通り「そっぽを向いて」無視するラフィ様に、親父さんのアイレンテール卿の方は、「シュプールを正式に騎士に叙し、婿として迎えれば、問題あるまい。」って・・・親父さん、予想してたな。
然程に「衛兵隊長にまでなったシュプール」を信用信頼していた、と言うことでもある。
更には、父君のこの態度は、「既にラフィ様から根回しが済んでいた」可能性をも示唆していよう。もしそうならば・・・ラフィ様には剣術の才ばかりではなく、陰謀・策謀の才も、相応にあった、と言うことになる、かも知れない。
一見天真爛漫に見えて、否、一見天真爛漫に見せるからこそ、か。ラフィ様、スゲぇ。
唯、諸兄ご承知の通り(ご承知、の筈だよねぇ。)、この後ラフィ様とシュプールの運命は暗転する。正式に騎士と叙され、シュプールが晴れてラフィ様と結婚できる身分となった、その晩(*1)、アイレンテール邸は「賊」の襲撃を受ける。
シュプールの不明にして不覚は、この「賊共の蠢動」を察知しながら、それを単に「物取りの類い」と軽く見たこと、だろう。侵入者をいち早く抑えたモノの、「賊」はスフェン教会の手先であり、外部ばかりでは無く内部まで浸透していた。
更には、実に胸くそ悪いことに、賊=スフェン教会の目的は、「物取り」などでは勿論無く、「教会以外の奇跡の使い手」ラフィ様を「潰す」=「殺害する」ばかりですら無く、領主たるアイレンテール卿の殺害もある。これはもう、暗殺などでは無く、立派なテロであり、ある意味反乱。「アイレンテール領の、教会領地への併合」さえ、視野には入れていそうだ。
ラフィ様が、「教会の意に沿わない奇跡」を実践しそう/した、から。「異端」だとよ。
これだから、宗教的制約とか宗教的権威って奴ぁ・・・
結果、アイレンテール卿は死亡。シュプールも重傷を負いつつ、ラフィ様の元に駆け付けると、ラフィ様も瀕死の重傷と来た。
が、まだ息はある。「お前の”奇跡”なら、絶対に助かる!」、ラフィ様を励まし、鼓舞し、ラフィ様自身の傷を治癒させようとするシュプール。因みにラフィ様は、その「奇跡」を使うと、丸一日ぶっ倒れている程消耗する。
つまり、一度には、一日には、一人しか、治せない。救えない。
ラフィ様は、シュプールの制止を振り切り、自身では無く、シュプールの怪我の治癒に、その力を使う・・・・嘗ての彼女の言葉通り、「誰を助けるかは、私が決める。」を、実践実行して見せた、訳だ。
正に、有言実行。
かくして、ラフィ様はお亡くなりになり、代わりにシュプールがその身にラフィ様の魔力を宿し、それもあって超一流の剣士となったシュプールは、先ず「騎士狩り」として「仇」と言って良いスフェン教会騎士団を襲撃し、後にスフェン教会の悪行の片棒を担ぐことになり、主人公・ベリル・ガーデナントと対峙対決し、達人同士の死闘を繰り広げる・・・
しかし、しかし、だ。果たしてこれは「ペイ」するか?主人公・ベリル・ガーデナントが魔剣・ゼノグレイブルを構えてもなお対峙できる「悪役」を成立させるのに、ラフィ様を犠牲にし、シュプールを「覚醒」させる必要があった、と言うのは、一つのロジックではある。
エンタメとしては、娯楽としては、それは正しい。
だが、もし仮に、スフェンだか誰だか知らないが、この異世界を支配するのが全知全能の神であるならば、こんな理不尽且つ不条理極まりない「時間線」が「唯一無二」な訳が無い。「唯一無二」で、あってたまるか。
シュプールに、今少しの警戒心と猜疑心があったならば。ラフィ様が、スフェン教会の悪辣さと残虐さをもっと意識していたら。アイレンテール卿に今少しの「人の悪さ」「悪辣さ」があったなら・・・「違った時間線」があった筈であり、在るべきだろう。
そこでは、シュプールは「超一流の超人的剣士」ではないし、その身に「奇跡をまとう」事も無いだろう。それは、「片田舎のおっさん、剣聖となる」ほどには劇的でも無ければ、話として面白くも無い世界、かも知れないが・・・二人にとっては、より良き世界だった、のではないか。
レベリス王国、王都からは大分離れた片田舎。国境にも近いとある小さな村に、その剣術道場はある。古い農家を改造し、畜舎を稽古場とした俄作りの剣術道場を仕切るのは、数年前に他所から流れてきた、未だ若い夫婦だ。
無愛想な旦那と、社交好きで妙に気品のある嫁さん。余所者には何かと厳しく、時に辛辣な片田舎だが、二人は程なく村の一員として受け入れられ、その道場は、主として近隣の子供達の通う場所となった。
半分は、やたらに博識で話も上手い、嫁さんのお陰で、「内助の功」とか何とか村々では噂しているが、当人達は特に気にするでも無いようだ。
「ああ、俺が、当アイレンティール流剣術道場で、師範って事になっている、シュプールだ。
師範ったって、俺は口は下手だし、教えるのも苦手だ。手本・見本は見せるから、先ずは見て、真似して覚えろ。
剣理、体術って知識なら、こっちの、女房の方に聞いた方が早い。」
「はぁい、シュプールの女房の、ラフィでぇす。"ラフィお姉さん"って呼んでくれると嬉しいんだけど、何故か皆、大人は”お女将さん”、子供は”女先生”って呼ぶのよねえ。
私も”剣術の先生”って柄じゃないんだけど、古今東西、大抵の兵法書は読み通した知識と、この人には無い”口の上手さ”、じゃなかった、”説得力の強さ”で、皆さんに”剣の面白さ”を伝えられたら、って思うわ。
それに私たち、夫婦ですからねぇ。互いに補い合い、支え合わないとね。
知ってる?東の方の島国では、夫婦=男女のことを、”なりなりて、なり余りたるところあり”と、”なりなりて、なり足らざる所あり”って表現するそうよ・・・・」
「ばっ、バカ、ラフィっ!なんて話ぃ始めやぁがるんだ。この道場はご近所の子弟が集まる”教育の場”でも在るんだぞ。
手前ぇも"女先生"って呼ばれるぐらいだ。ちったぁ”教育者”としての自覚と、矜持を持って、だな・・・」
「なぁに赤面してるのよ、シュプール。私はタダ、”夫婦は互いに支え合い、補い合うモノだ。”って話をしているだけよ。立派な教育ですぅ。」
「あのぅ・・・両先生。そろそろ稽古、始めませんか。
夫婦漫才は、また今度で。」
「夫婦・・・」
「・・・漫才?!」
なお、この異世界に「夫婦漫才(めおとまんざい)」なる芸能があるかは不明だが、類似の芸能は在るモノ、と推定した。
「三河漫才」は、無いだろうが。
ラフィ様は身罷られた時点で、その物語りは幕を閉じる・・・生者としては。肉体としては。
諸兄ご承知の通り(ご承知、だよね。)ラフィ様の「最終思念」とも言うべきその魔力は、シュプールの肉体に宿り、シュプールを「騎士狩り」とし、最強クラスの剣士としている。
更に、折に触れ、機会ある毎にシュプールの脳裏に蘇り、時に実像・実体を伴う(かの様な)「ラフィ様の面影」は、「人は、肉体的死を以て死ぬのではない。生者に忘れられ、記憶から消えたときが、本当の死だ。」という言葉を想起させる。
言い替えれば、シュプールが生きており、その強烈な思いがある限り、ラフィ様もまたある意味「生きていた」と言うことである。
だが、それは同時に、「シュプールの死」は「ラフィ様の(今度こそ本当の)死」である事も意味する。
ならば、諸兄ご承知の通り(諄いようだが、ご承知、だよな。)本作で描かれる「シュプールの死」を以て、「ラフィ様は、今度こそ本当に死んだ」ことになる、のだろうか。
ラフィ様を記憶し、覚えている者も、最早少ない、乃至居ない、のは事実だろう。
が・・・私(ZERO)としては、その様に考えたくない。思いたくない。
お気づきだろうか。私も何度か読んで気が付いたのだが、シュプールの死の、今正に意識が途絶えんとする今際の際に、主人公・ベリル・ガーデナントが送った、「手向けの言葉」に。
「凄い剣だ・・・・本当に、もっと見ていたかった。」
この「決め科白」は、ラフィ様がシュプールに出会い、衛兵にスカウトした際の科白、「あなたの剣を見てみたい!」「もっと見てみたい!」に相通じる物が在る。恐らくは、作者の意図的な。
然り。ラフィ様が考案・提案し、シュプールが実現・実践した「凄い剣」の記憶がある限り、ラフィ様は未だ「死んでは居ない」のである。
「ダランから、ドバッ!(*1)」の記憶・伝説・伝承がある限り、ラフィ様は永遠不滅である。【強く断言】
こう言うクレーマーが大手を振ってまかり通る一因は、未だ根深い日本人の平和ボケと、それと表裏一対の安保白痴の軍事無知のため、だろうな。