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.改憲は、自衛隊発足以来の宿題だ。今までサボってきた、だけだろが。ー【東京社説】自民・立民W党首選 改憲の是非 勇ましく旗を振っても
「日本国憲法を守れ!変えるな!!!」って主張する人達が居る。「居る」のは事実だが、その主張やら議論やらったら、全く「聞くに堪えないモノばかり」と思えて来た、今日この頃である。
イヤ、「日本国憲法を守れ!変えるな!!!」って主張する人達が「圧倒的多数」だった頃には、その数の上に胡座をかいて、「日本国憲法が現状のままで良い」とする議論もロジックも「不要」だったのだろうが(*1)、私(ZERO)の様な「日本国憲法は、自虐自滅自殺の亡国クソ憲法だ。」ぐらいに思っている者も含めて「改憲乃至改憲容認派」が或程度増えた(様に思われる)というのに、「護憲派」乃至「現行日本国憲法擁護派」ってのは、殆どバカの一つ覚えの「日本国憲法を守れ!変えるな!!!」しか繰り返して言い無い(*2)。
「日本の憲法学者は、半分気違いだ。」とは以前から弊ブログで唱えている所だが、最近は「日本国憲法を変えるな!」って主張は、『私はバカです』と自白&主張しているようなモノ、と思えてきた・・・・然程、『日本国憲法擁護論』が虚無で虚偽で空虚で、肝心要と言って良い国防論や国家安全保障論、更には国家観と言ったモノを全く欠いて居り・・・驚くべき事に、殆ど『私(ZERO)の物心ついた頃からずっと欠いたまま」と思えてきたから、である。
「平和ボケ」とか「軍事忌避」とか「宗教上の理由」なんて高等高尚なモノでは無く、タダの間抜けで怠け者で低能なのではないか、と思えてきたから。
下掲する東京新聞社説なんてのは、そんな思いを一層強化してくれるな。
- <注記>
- (*1) それとて、随分な「知的怠慢」という誹りは免れないだろう。特に、憲法を専門に研究している(筈)の憲法学者としては、「学者失格」とさえ言えそうなほどの、知的怠慢だ。
- そんな「学者失格級の知的怠慢な憲法学者」は多い・・・と言うより、「そうではない憲法学者」って、誰か一人ぐらいは居るのか?状態。
- (*2) としか、私(ZERO)には思えない。
(1)【東京社説】自民・立民W党首選 改憲の是非 勇ましく旗を振っも
自民・立民W党首選 改憲の是非 勇ましく旗を振っても
https://www.tokyo-np.co.jp/article/354601?rct=editorial
2024年9月17日 07時34分
自民党総裁選では各候補が改憲に強い意欲を示す一方、立憲民主党代表選の候補から憲法に関する言及はほぼ聞かれない。改憲を必要とする切迫した政治状況には至っていないことを物語る。
そもそも自民にとって改憲が、よりよい暮らしを実現する手段でなく目的となってはいないか。
自民は総裁選に先立ち、憲法9条に自衛隊を明記することなどを柱とした論点整理をまとめた。退陣表明した岸田文雄首相(党総裁)は「一気呵成(かせい)に議論を進めなければならない」と、新総裁に取り組みを引き継ぐよう求めた。
自民は結党70年の節目に当たる来年、党是としてきた改憲の国会発議、国民投票まで進めることを目指す。改憲に慎重な総裁候補はおらず、党の論点整理を尊重する姿勢を示している。支持基盤である保守層へのアピールを重視する意味もあるのだろう。
ただ改憲発議には衆参それぞれ3分の2以上の賛成が必要。今後の国政選挙で、改憲に前向きな勢力が3分の2以上の議席を維持し続けられるか否かは分からない。
自民が改憲を実現したいのであれば、その必要性を丁寧に説き、改憲に慎重な野党の理解を得る努力も必要ではないか。
長く憲法論議に携わってきた関係者は「最初の改憲は必ず成功させなければならない。国民の理解が得られるテーマで発議する必要がある」と指摘する。
自民の主張に沿った改憲のために、否決を恐れず、国民投票を実施すべきだと訴える総裁候補もいるが、こうした独り善がりの姿勢が、世論を二分し、国民の分断を招くことを忘れるべきでない。
野党第1党の立民代表選の各候補は改憲ではなく、丁寧に議論して与野党で幅広い合意が形成される項目での改憲を目指す「論憲」を掲げる。憲法論議の基本は丁寧に議論する「熟議」にある。国会での熟議こそが、改憲の是非を国民投票で最終判断する有権者の理解を深めるのではないか。
衆参両院で改憲勢力が3分の2以上の議席を占めても、改憲に執念を燃やす党首が旗を振っても、改憲は実現しないのが現実だ。幅広い合意を欠き、独り善がりの議論を進めても結実しない。国会の憲法論議の歴史が教えている。
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(2)「護憲」なら、自衛隊抜きで国守れ。それが出来ると、論証しろよ。
章題のように問うたところで、ろくな答えは返って来そうに無い。何しろ、自衛隊発足以来70年もの間、「自衛隊抜きで、我が国の主権を守り、国民の生命財産を守り、国家安全を保証する方法」なんぞ、議論どころか思考したことすら「ほぼ無いだろう」と推定推測されるのが、「護憲」派とか「憲法擁護」論者である、と思えてならないから。
「憲法守って平和外交(*1)」とか、「憲法9条が最大の抑止力」とかの空念仏が出て来るか、沈黙に陥るか、話をそらすか、何れかだろう。
少なくとも沈黙や論点ずらし(*2)は、「自衛隊抜きで我が国の主権を守る方法」を「見出せない/説明できない/提案できない」と自覚/自認しているらしい分、最前者よりはマシ、ではあろうが。
もっと図々しいのになると、「その時は、自衛隊に守って貰う。」とか平然と抜かすから、恩知らずの厚顔無恥は底が抜けてやぁがる。日本国憲法に記載が無く、憲法上「存在しない」自衛隊に対し、「憲法に自衛隊を明記記載する改憲」には反対しておいて、一朝有事の際には自衛隊に頼る、と公言できてしまうのだから、凄まじい。日本共産党なんてのは、この口らしいが。
無論、章題にした設問は、上掲社説を掲げる東京新聞に対するモノでも在る。何しろ私(ZERO)も結構長いこと東京新聞社説をモニタ(少なくともタイトルぐらいは)しているが、「自衛隊抜きで我が国の主権を守る方法」は、トンと読んだ覚えが無い。
今まで再三、改憲議論どころか護憲議論さえサボり続けてきた「実績」を以て「改憲するな」と主張するとは、「護憲論」とか「憲法擁護論」ってのが、唯のバカで低能で無能で怠惰で間抜けであると、自供自白しているようなモノだな。
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<注記>
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(*1) コレは、日本共産党が主張している。日本共産党が、ってだけでも大笑いだが、「外交さえしていれば、戦争にはならない」ってのが、前提になっていることに気付きもしない。
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外交だけでは、終わらないから、戦争になる。戦争が、在る
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(*2) 「空念仏」は、最早論外だろう。救いようが無い。
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「推定有罪」には、付き合えない。ー【東京社説】虐殺朝鮮人追討 「負の歴史」伝えてこそ +1
私(ZERO)は、何度も書いている通り、「殆ど生まれながらの右翼」だ。それ故に、「左翼」たるアカ新聞とは「意見を異にする」事が多い・・・と言うより、「意見を異にする」のが「ほぼデフォルト状態」だな。
だが、「意見を異にする」のが「ほぼデフォルト状態」ならばこそ、アカ新聞の社説は「タイトルぐらいはチェックする」様にしているし、相応に(無料で、だが。)読んでいる。金出して購読している産経新聞の社説よりも、読んで居るぐらいだ。
なればこそ、弊ブログ記事の多くは、「アカ新聞社説を題材」にしており、大抵は非難否定批判している、のである。が・・・異論異説であるが故に、「有り難い」とも思っている。
異論異説は、己が、「思考の地平線」を拡大拡張延伸延翼する上で、役に立つ、こともあるからね。
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(1)【東京社説】虐殺朝鮮人追討 「負の歴史」伝えてこそ
虐殺朝鮮人追悼 「負の歴史」伝えてこそ
https://www.tokyo-np.co.jp/article/352268?rct=editorial
2024年9月5日 07時54分
関東大震災発生直後に虐殺された朝鮮人犠牲者の慰霊式に、自治体の首長が追悼文を送る動きが広がっている。「負の歴史」を教訓として後世に伝えるため、こうした取り組みを後押ししたい。
1923年9月1日の大震災直後、朝鮮人による暴動が起きたとのデマが拡大。各地で官憲や民間の自警団が朝鮮人らを殺害した。内閣府の中央防災会議が2009年にまとめた報告書によると犠牲者数は震災死者の「1~数%」。千~数千人に当たる計算だ。
大規模な殺りくとして記憶にとどめ、後世に伝える責任が、今を生きる私たちにはある。
千葉県の熊谷俊人知事は、1日に船橋市で開かれた民間式典に追悼文を送付。埼玉県の大野元裕知事も、4日にさいたま市で行われた民間式典=写真=に追悼文を送った。いずれも今回が初めてで、主催者から案内状を受け取ったことがきっかけだという。
一方、東京都の小池百合子知事は今年も、1日の墨田区での民間式典に追悼文を送らなかった。歴代都知事が1974年から続けていた追悼文の送付を、小池氏が2017年に取りやめた。
小池氏は「別の法要で全ての震災犠牲者を慰霊している」などと釈明するが、虐殺は家屋倒壊や火災による死と意味合いが違う。追悼文の送付中止は不適切だ。
小池氏は朝鮮人虐殺を巡り「さまざまな研究がある」と明言を避け続ける。虐殺が「なかった」とも「あった」とも言わない。
ドイツなどでは、ユダヤ人の大量殺りく(ホロコースト)を公に否定する行為を処罰対象とし、歴史の修正は許されない。
日本に同様の法律はなく、政府も近年、朝鮮人虐殺を巡り「記録が見当たらない」と事実認定を避ける見解を繰り返している。
受け止めがたい「負の歴史」でも、事実を把握し、後世に正しく伝えていくことが、過ちを再び起こさないためには欠かせない。
特に、選挙で選ばれた政治家には、その責任を強く自覚する必要がある。私たちメディアも、記憶や教訓を風化させないための報道を続けたい。
(2)【沖縄タイムス社説】大震災と朝鮮人虐殺 負の歴史を直視しよう
大震災と朝鮮人虐殺 負の歴史を直視しよう
2024/09/02 04:00沖縄タイムス
「防災の日」の1日、関東大震災のゆかりの地で、小規模ながら朝鮮人犠牲者を悼む式典が執り行われた。
防災の日は、1923年9月1日に発生した関東大震災の教訓を後世に伝え、防災意識を高めるために制定されたものである。
実際、各地で防災訓練や防災にまつわる行事が行われた。
防災の日に朝鮮人犠牲者の追悼式典が開かれたのには、深い理由がある。
関東大震災は、未曽有の被害をもたらした「天災」だった。戒厳令が敷かれ、デマや流言が拡散し、多くの朝鮮人らが自警団などによって虐殺された「人災」でもあった。
政府の中央防災会議は、2009年にまとめた報告書で「虐殺という表現が妥当する例が多かった」と明記した。
虐殺を裏付ける報告書や体験者の手記も数多く確認されており、専門家の中では「周知の事実」だと受け止められている。
だが、政府は今も「事実関係を把握できる記録が見当たらない」との姿勢に終始し、真相究明にも消極的だ。
小池百合子東京都知事も追悼式典に追悼文を送らなくなった。
この一件は、大震災という非常時に朝鮮人らの人権が侵害され、尊厳が奪われた深刻な事例である。
記録がないとの理由で頬かぶりすれば、国際社会の信頼を失うだけでなく、排外主義をも助長しかねない。
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大震災によって通信が途絶し、東京の新聞も一時発行機能を失った。
必要な情報を得る手段がないという情報空白の状況で、朝鮮人による破壊、殺害、略奪などのデマや流言が飛び交ったのである。
デマや流言は差別と偏見を養分にして増殖し、戒厳令の施行によって暴発した。
「流言が広まるなか、軍隊が出動し、全面的に治安の維持を担ったことで、あたかも本当に朝鮮人が暴動を起こす(起こした)かのような状態がつくり出された」のである。(藤野裕子著「民衆暴力」)
震災発生とともに各地に自警団が結成され、検問所を設けて、通行人をチェックした。
虐殺の背景にあるのは、震災の混乱に乗じて暴動を起こすのではないかという朝鮮人や中国人、社会主義者らに対する根深い警戒心だった。
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関東大震災時のデマ・流言は、情報の空白時に広がった。
スマホ一つであらゆる情報にアクセスできる情報過多の時代には、デマや流言も瞬時にして世界を駆け回る。
今年1月の能登半島地震では、ネット上に出現した虚偽情報によって救助が混乱した。巨大地震が発生すればデマや流言が拡散される可能性が高い。
その前提に立って、デマ・流言対策を防災対策の中に組み入れてはどうか。防災を担当する省庁の新設と合わせて提案したい。
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(3)慰安婦や徴用工は嘘とバレたから、関東大震災まで遡っての「負の歴史」かね?
ならば、元寇の際に元軍の手先となって我が国に攻め寄せ、正真正銘掛け値無しの住民虐殺をやった朝鮮人の「負の歴史」も、問われるべきであろうが、朝日や沖縄タイムスや朝鮮人が「問うている」とは、全く思えない・・・否。「問うていない」と、確信を持って言えるな。不都合なことは10年前の事でも、綺麗サッパリ忘却できてしまう様な、国を挙げての強請タカリの気違いが、チョウセンジンだ。
あ、彼奴らチョウセンジンが10年前まで旭日旗なんて問題視も話題にもしてなかったことや、元寇の際の日本人虐殺を忘却していることなんぞは、彼奴らの勝手だ。
問題は、我ら日本人が、日本が、どうするか、って事だ。
「負の歴史を直視する」のは良かろうさ。だが、その「直視」は、少なくとも「我が国、大日本帝国に対する推定無罪に基づいた、歴史的事実の検証」と表裏一対であるべきだ。検証を欠いた伝聞証拠や一方的な証言証人のみに、依るべきではない。
況んや、「我が国、大日本帝国、大日本帝国陸海軍に対する推定有罪に基づく」なんぞは、論外だ。
諄い様だが繰り返すぞ。大日本帝国は、日本であり、我が国だ。「大日本帝国の負の歴史」とは即ち「我が国・日本の負の歴史」でもあり、我らが先人の名誉と、我らの、我が国の名誉がかかっているのだから、「負の歴史」と雖も、否、「負の歴史」なればこそ、厳密且つ緻密な「歴史的事実の検証」が必要であり、不可欠である。
左様な「歴史的事実の検証」を実施するという点で、本来の意味でのジャーナリズム、メディアの責任は極めて入内重要なのである。が・・・トテモ期待デキナイ。
東京新聞にせよ、沖縄タイムスにせよ、「従軍慰安婦強制連行」や「徴用工強制労働」の一連の騒動の際に見せた様な「推定有罪に基づく”歴史的事実”の断定」するばかりであろう事は、賭けても良いぐらいだ。
即ち、章題にした通り、今次の「関東大震災に於ける朝鮮人虐殺の”負の歴史”直視」キャンペーンは、嘘とバレた「従軍慰安婦強制連行説」「徴用工強制労働説」の後釜・後継者・同じ穴の狢・三匹目の柳の下の泥鰌、だろうよ。