能登地震2024
近年、未知の原因により多発する地震災害。
特に今年の元旦に発生した大規模な地殻変動を
お忘れないでしょう。
中部の日本海に面した能登半島の北東、珠洲市が
被っていた地震でも最大の破壊が能登地震2024
災害による負傷者と死者、関連死する被災者が現在も
続いている嘆きの石川県北部エリアを紹介します。

遡ること1993年は、能登半島沖地震で震度5計測。
やはり季節が春先の2月7日に発生し被災しています。
平成19年、2007年の3月25日にも
平成19年能登半島地震が能登の各地に被害を残した。
概ね震度5クラスでも被害が深刻だったようです。
そんな珠洲市、既に2022年に震度6の地震を観測。
令和4年6月19日のことでした。
そして2023年5月5日に奥能登地震で震度が6強。
次第にマグニチュードも大きくカウントされる危険度、
その被害も忘れない厳重警戒の只中の令和6年元旦、
2024年1月1日、突如として震度7超えと津波が
襲来した残酷な災害が大勢の生命と財産を奪い去った。
不吉な周期が浮かぶ… 春先に集中する列島の巨大災害。
隠喩するかのような数字の符号に隠された意味?。
形而上学的な意味合いの不吉な偶発を分析が及ばず、
幾度も再建し、耐震化も進めるにも難しい土地柄。
国家規模で経済も低迷する現在に最悪の痛手を負う。
そんな備えを打ち砕く冷酷な元旦の惨劇を忘れない。
半年近い時間が過ぎていった能登半島の様子。
確かに大きな余震の発生も減ってはいますが、
どうしても諸事情により被災地は復興が遅れている。
避難し困窮した地元の人々が帰還しても無残な風景。
各地からインフラなど復旧作業に馳せ参じ、粛々と
働く人々には、国籍も異なる人材も多く働いている。
次第に浸潤する過労や精神の疲弊感が蝕む現地。
それでも故郷を諦めず奮闘する人々と支える支援者
が絶望的な状況を変えようと懸命に立ち向っています。
珠洲市内の市街地や住宅地の状況を記録した一部。

環境としては、近隣の能登ですが… 東西で気候など
微妙に印象が違った印象を感じました。
加賀の金沢から北上すれば、寒気も強まる能登半島。
それでも北西側の輪島は荒々しく、北東部の珠洲は
多少は穏やかな気候風土に思えました。
あの厳寒の時期に困難を極めた支援活動。
雪が消え、春が訪れても暗い意識が蔓延していた。
いまや例年より過剰な気温に苦しめられる現地。
目に見えず身体も精神も予想外に蓄積する疲労感、
作業の弊害となる暑さ、熱中症などが心配です。
平日で僅かな人々の動きもありましたが…
なるべく姿を撮影しない写真を提示してみました。
私が同じ立場なら、どうしたらいいか途方に暮れる。
どこまで歩いても瓦礫と化した家、地割れの道路。
これでも路上も含め相当に整理が進められた状態です。
亡くなって搬送された人、家族の安否に泣き叫ぶ女性。
うな垂れ、暗い廊下で絶望感から表情を失った老人。
担架で負傷者を運ぶ若い自衛官、水も電力も絶たれ
機能を失った自治体で職員たちが対応に追われ不眠で
働き続ける被災地の限界状況。
かつてない混乱と痛みに翻弄される市民が避難中に
信じ難い揺れが襲う1月の闇と相乗する地獄絵。
いまさら自分が体験したことなど不問とし、全ては
残さず忘却してあげたい想い。
悪夢より苛烈な重圧の記憶が消えても、被災した街
亡くなった人間の生活は二度と元に戻らない。
あれだけ多くの支援に参加した見知らぬ人材も帰還
した職場で医療や日常業務に励んでいるだろう。
被災後の暫くは、人口より上回る救援者が尽力した。
いまさらながら従事し災害対応に臨戦態勢の関係者
が真摯に手を添えてくれたことで救済された能登。
静かに暮らしていたお年寄りたちも人生で経験した
ことのない災害の悲しみを乗り越えられますように。
被災地でのことは、口外できない守秘義務ばかり。
こうした紹介写真を掲載するのも心苦しいのだが、
現実に… どうしようもないくらい悲壮感が漂う。
なんとか立ち上がり、復興を遂げて欲しいと願う。

























自らが籍を置く県下での巨大災害。
信じ難い半島の地殻隆起と破壊された生活環境。
日常を普段の場所に戻れる我々は幸運なのだろうか。
いまも事実上の無力に苛まれています。
あの時節は、平衡感覚の狂いからか地面が揺れる
錯覚を常時?感じていました。
現地は、水が無い、電力も燃料も物資も不足。
動ける限り参加し、仕事を継続し運び励ました。
とにかく、なんでも出来ることをやった気がする。
多府県から派遣された警官や自衛官の献身も凄い。
彼らも家族や職場を離れ、過酷な被災地に飛んだ。
いまも休息すら惜しみ、眠れぬ夜を闘っているはず。
人間の懊悩も嘆きも越え、誰かのために働く意志。
尊いことばかり経験したと思います。
災害後の市町村を遠くから眺めると点々と青い
シートで補修した応急処置済みの屋根など散在。
北陸の梅雨時期に県民の暮らしや健康が心配です。
崩壊が著しい区画を移動していくと、陥没や隆起で
地面が異常な勾配になり応急の修復された道路ばかり。
隣家が倒壊し、道路を封鎖していた場所も整理された。
かなりの面積が無数の努力で改善されてはいるんです。
つまり被災直後は、脱出不能の異常な経路だった。
これも救済の痕跡なんです、感謝したいですね。

表現しがたい苦しみの声と惨状の記憶に眠れない…
いつまでも意識から情景や声が頭の奥から消えない、
忘れることが微塵もなかった半年間だった。
私も貧弱な意識の人間なんですね反省。
近頃は、大いびきで眠ってるらしいです(笑)。
あまり人の役に立てたという記憶がありません。
もしも死んだら自分は地獄に落ちるでしょう。
だけど、そこに震災で亡くなった能登の人達が
誰ひとりとして… いないと確信していますよ。
ごめんね 何の役にも立てなくて…
誰かの命の代わりにもなってあげられなくて。
これからも日本中で災害は頻発する。
未曾有の危機が背中にせまっているかもしれない。
経験値と研鑽を続けることで、誰かを救い支えたい。
お互いの気持ちが見えないからこそありがたいものだ。
いまも各地で働いている皆さん。あんやとう。
相変らず水道事情も悪い場所が残っていますが、
どうか健康を保ってお励みください。
その献身に誰もが感謝しています。
彗星画廊☆写真集 HP
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真冬の稲妻は痺れるほど美しい光だ。
この震災の混乱と能登での活動が増加して・・・
そういえば今年は殆どカミナリを忘れていたなあ。
(金沢は雷が凄く多発するお気に入り)
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