(´・ω・`)日記 -33ページ目

なんだかんだでもう10月も終わり。
私のいる街の街並もかなりきれいになってきた。
29日には、新しい市電も開通する。

一昨日は、マスターコースの人向けの歓迎会に参加。
お世話してくれる教授との初対面。
長い演説の後、部屋を変えて懇談会みたいなものになり、ふと目についたものは。。。

演説の内容が書かれた用紙だった。

読んでいるようには見えなかったけど、こういうものを使うのは世界中どこでも同じなんだと思った瞬間だった。

そして読んでいたのに読んでいないような素晴らしいスピーチをした教授のテクニックに感嘆。

そして昨日はお友達ザビーネのお誕生日会。
役に立つチェコ語という本を買って、素敵な包装紙を持っているというので包装は太郎に任せた。


実はこれがいけなかった。」

そしてザビーネに贈物を渡す時、鞄から取り出されたプレゼントを見てギョっとした。

よく言えば銀紙の包装。。。
実際には、ただのアルミホイル。
サンドイッチを包むアルミホイル。。。

こんな活用の仕方があっただなんて!

ザビーネも驚いたけど私も驚いた。

そうそう、ザビーネの新しい住人は活版印刷をして本を作る勉強をしているそう。いいなあ。
気が合ったので、今度二人でスケッチしにいくことにした。
楽しみだ。

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余談だけど。
昨日、5分しかかからないからと思って、自転車の灯をつけないでいたら、通りすがりのアル中に
"灯りつけろよ"って怒鳴られ、瓶を投げつけられた。

冬学期が始まって2週間。
思っていたよりコースの内容が大変。
日本でテキトーな勉強していたツケが本当に回ってきた。

今学期は自分の時間を充実させようと思っていたけれど、無理みたい。。。

取っている授業数は9個しかなくて、実際に少ないんだけど、

今回は講義だけではなく、企業と連携したゼミを取ったので本当に大変!


ゼミには入れたのもなんと私達マスター組み意外は点数のいい順からというシビアなもの。

確かに、企業相手にダメな学生を推薦したら大学の質も問われるものねぇ…

ドイツの6企業が、今直面している問題をテーマに6つのグループに分かれ、グループ毎に一つの企業がお世話してくれる。
(なんて変な日本語だろう)
私が担当する、というか私を担当する企業は。。。

ドイツテレコム。

日本にもあるドイツテレコム。

ドイツ版NTTかな。

うちの電話もテレコムだから調度いいって納得してみたけど…!
でも本当はルフトハンザに行きたかったんだよね。ルフトハンザの提供したテーマがよかった。
だけど、くじ引きで負けた。。。

ルフトハンザのお偉いさんと知り合えるチャンスだったのに。
もしかしたら飛行機割り引きしてくれたかも?

脈絡のない内容だけど、最近、Der Freie Willeを観ました。
定期的に婦女暴行を繰り返す男性の話。
彼の視点に立って展開する悲しい映画だけど、とてもいいので、

機会があったら是非みて見てみて下さい!

とうとう、新学期が始まってしまった。

マスターコースの人達とは先週の木曜日に顔合わせ、お茶まで飲んだ中(?)!!

なにしろ私達、今のところ、6人だけだから。。。

25人以上の応募者の中から選ばれたのは16人。
そのうち説明会に来たのは6人。


外部から3人、内部から3人といった具合。

(内部と言うのは、うちの大学にも学士が取れる学部が存在するからです)

今日は初めての講義"Wissenmanagement".
始まって5分でわかった。

来週からはここに来る必要ないってこと。

情報系(Informatik)向けである内容はチンプンカンプン。



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先週は誕生日でした。
祝ってくれた皆ありがとう。

彼の家族からは色々もらってしまった。
その中に洗いクマ、ペッツィーが!!

注)PDS((旧東ドイツの共産党である社会主義統一党(SED)の後継政党で「民主社会党」)のマスコットキャラクター

"ペッツィーは政治を洗ってキレイにするんだよ"
との説明の後、

"でも、政治をキレイにする前に、政治家の心を洗うほうが先なんだ!!"
って、ちょっと興奮気味の彼。

私の頭の中も洗ってほしい。。。

ドイツ統一記念日。

その一週間前くらいにハンガリーから西に行ける道が開け、多くのドイツ人が休暇をとって西に逃亡したそう。
西に行けるこの状態がいつまでもつかわからない不安定な状況をチャンスだとばかりに、車にあらゆるものを詰めこんで。
その何日か後に壁が崩壊することもわからずに。

私の彼の隣人は当時、マクデブルクの工場長で、多くの人がそうしたように、彼もその週の水曜から休暇を取って、週末に壁が崩壊し、そのまま帰って来ることはなかったそう。

壁の崩壊と混乱、そして多数の人々が逃亡し、工場も会社も休みを余儀なくされた。

壁の崩壊後、東ドイツで生き残った企業は本当に少ない。
西ドイツの企業に利用されたり、資本主義の荒波に飲まれ、倒産した会社も数少ない。

東ドイツに日系企業を誘致するプロジェクトの進行を切に願う。

これからは東独製品を選んで買おうっと。

金曜の夜、11時48分発の寝台列車でパリへ。
片道39ユーロの簡易ベットでの旅。

1コンパートメントにつき6人のベットが設けられているが、ちょっとした手違いの為にベットが5個しかなく、違う場所へ移動となった。幸いなことに、私達二人で一部屋占領でき、ちょっとリッチな気分。


初めて寝台列車に乗った連れは鉄道ファンなので、興奮して3時間しか眠れず、残りの時間は外を眺めたり、ドルトムントでベルリンからの列車接続の音を聞いたり、停まる駅をメモることに勤しんでいたらしい。

ほとんど番人状態…


一時間遅れて(やっぱり!)パリへ10時に到着。
コーヒーの高さに驚きつつを飲み、一休み。
一日券を買おうにも並ばなければいけなく、結局駅を離れたのは12時・・・
42番のバスで観光コースを一周。
凱旋門で降り、私たちもパチリ。凱旋門の公衆トイレは案外清潔で、それよりもお金もかからず、建築の古いトイレだったことに感動!


その後はビルの縦並ぶ、モダンなパリへ。
メトロでも行けたんだけれど、電車好きな相方のたっての希望で2階建て高速電車を利用した。
そんな私たちを待ち構えていたのは切符をコントロールする駅員さん。


マドモアゼル・・・


促されるままに、切符を見せると、ノンノンノンとのお声。
私たちの券の範囲外だったらしく、超過分を払うことになるのかと思いきや、超過分を通り越し、


罰金25ユーロ!


一人につき25ユーロのところを外国人なので二人で一人分でよいとの懐の広いようなお言葉・・・
だけど!
二人で70ユーロ位しか持ってきていない私たちには大ピンチ。どうしよう、と本当のことを話すと、そのコントロールしていた男の人、思慮深げに私たちを交互に見てこう言った。


英語がわからないので、同僚に替わります。


これでいいのか、フランス人!とものすごい突っ込みたい瞬間だった。
わからないなら始めから他の人に替わってよー、もうっ!でも挑戦することに意義がある、って言うしね。


結局、罰金は免れた。
パリはおっかない・・・


意気消沈したのもつかの間、再び元気を取り戻し、カメラ小僧のように写真を撮りまくり、帰りはきちんと切符を買って、ホテルにいったん荷物を置くことに。

一人38ユーロのこのホテル、結構オッケイ。
アプリコって名前らしい。


荷物を置いて、軽くなった体でノートルダム方面へ向かった。街をぶらぶら散策しながら、日の少し落ちる前にノートルダム寺院へ着いた。
ゴシック建築の多いパリは、やっぱり私の住んでいる東ドイツとは一味違う。
ヒトラーーに破壊されなくて、本当に良かった!!


行き先は内緒という彼についていった先はムーランルージュ。
日も暮れ、ネオンが映えてちょうど良い時間帯。
また写真をパチリと思いきや、あの有名な建物の前素通り。


なんでだろうか、との思いに対して
卑猥な場所なので長居は禁物とのこと。


もう、子供じゃないんですけどねぇ・・・


とこういうわけで一日目は終わり。
実は私3年前にもパリで開かれた年越しテゼコミュニティ(http://www.taize.fr/ )にポーランド枠で一週間参加し、全てのものは見てしまったいたんだよね。
ただ、当時は詰め込み方式の観光で、何がどの名称で、どういう経緯のものなのかわからなかったので、今回でちゃんと消化できた感じ。

そういえば、太郎の妹キャスティンとその妹の婚約者フランクはドイツ鉄道で働いている。

マリアおばさんの誕生日の後、私達は20分間電車で移動しなければならなかった。
たったの20分なのに、

6.5ユーロもする!

高い!高すぎるっ!
ってわけで、車掌さんが来た場合には払おうってことにしたら、フランク大激怒。

フランクとキャスティンはいいよぉ~。
だって、彼らドイツ鉄道の官僚に入るから、FREIKARTEという年に600ユーロの税金が課せられるどこでも乗り放題カードを持ってるんだもの・・・
600ユーロもそこまで痛くない給料だろうしさぁ。

おまけに、フランクと来たら、

”そういう行為はドイツ鉄道だけでなく、僕と君の妹を侮辱することになるんだ”だって。

火花が散った瞬間!

汚いし、遅れるし、サービス悪い電車に払いたくもないよっ、全ての人が働いていて君のように官僚部にいるわけじゃないっ
て抗議すると、

”でも僕の給料の48パーセントは差し引かれるんだ。 (かなりここ強調!)
半年働いて、残りの半年は国のためや失業者の為に働いてあげているようなもんだ。やってらんないよ。”

確かにやってらんないだろうけど、正直ビックリ。
フランクが勝者という立場でしか物事を見ていないことに驚いた。

ちなみにちゃんと払ったよ、波風立てても仕方ないし。
シュレスヴィヒ・ホルシュタインチケットが9時からしか使えない(なんで?)ので、9時発の電車でさらに北へ出発。

車窓からの風景は、他の列車のときよりさらにのどか。
外に広がる風景は、レンガ作りの家々と、牛やら羊。
レンツブルクに差し掛かるあたりに、かなり高い橋を渡っていくのだけれど、その橋下に広がるレンツブルクの可愛らしい町並み。

Syltは島だけれど、列車で行くことができる。
列車でしかいけないというほうが正しいかも。
車も列車で運ぶ羽目になる。

物価は高い高いと聞いていたけれど、そこまでじゃなかった。
残念ながら貧乏なので、魚パンは買えなかった。

ここも海岸にしかいなかったけれど、他にも探索してみる価値はありそう。

お年寄りが多いけれど、若い人も一見の価値あり。

帰りは6時間かけてブレーメンへ。
隣に座ったおばあさんたちのグループは、盛んに今までどこを旅してきたかをお喋りしてた。
こういうときに、東と西の差を感じる。

大抵、お金も時間も合って、優雅に日帰り旅行や海外旅行をするのって西の人達なんだよねえ…
複雑。

デンマークと国境を接し、バルト海に面した州シュレスヴィヒ・ホルシュタイン州の州都キールに行ってきた。
http://www.campus-germany.de/japanese/4.604.6.16.html

せっかく北ドイツにいるのだから、SYLTに行きたい、北ドイツを満喫しようということから始まったこの計画。

ブレーメンからSYLTに行くまで6時間、それならキールの従姉妹を訪ね、そこから行くことに。(2時間)

キール着いたときにはもう日も暮れる頃。
車でぐるりと街を回り、ある交差点に差し掛かったとき、

あ、あの家。あそこにこの前の爆弾テロリストが住んでたんだよって教えてくれた。電車に爆弾を仕掛けようとしたレバノン人が住んでた学生寮だった。

しかし、なぜまたキール?
海に面した街がレバノンの故郷と似ていたのかも?
そういえば、ドイツは兵をレバノンに派遣するそうですね。テロの標的になるかもしれないな。

翌日は月曜。
レンガつくりの町並みを散歩したけれど、キールはそれほど美しい町並みとはいえない。大きな2車線の道にコンクリート立てのデパート、家、立体駐車場…
これも第2次世界大戦で徹底的に破壊されてしまった結果。

午後からは海岸のあるキール港の向こう側にバスで45分かけて行った。
Laboeという場所。
http://www.laboe.de/portal_1000.htm

夜はアジア料理!
シュテフィの弟がコックなので、そんな大したものを作れない私には大変。

彼女たち、2年前に二人だけでデンマークで結婚したそう。
誰も呼ばないっていうのも気楽でいいかもしれない。

朝起きたら鍵がない。
会社も遅刻、アイケに電話したら彼がうっかり部屋に持ち込んだそう。
もー、Becksに勤めてるからってビール飲みすぎてんじゃん?

ところで、ベックスビールは日本でも有名?4年間ドイツにいるけど、ブレーメンが出生地だとは、アイケに会うまで知らなかった…

そんなこんなで始まった今日。

そして、

今まさに”賽は投げられた”の状態。

なんと、院に合格。ワーイ!

人数制限あるし、成績良くないし、おまけに応募枠は経営学科のものだったから、こんな事態ハッキリ言って予測していなかった。

おまけに志望動機の書き方は最悪。
こういう志望動機の書き方は×、まずここから落としていきましょうのターゲットに入るものだったしさ。
授業で習ったのにもかかわらず…

銀杏祭りに行って、お正月日本で過ごす予定だったのに。
友達と会う予定だったのに。
日本に今留学中のヨンやフランチー、ついでにトーマスと遊ぶ予定だった…
2月からベルリンでインターンシップして、9月にはまた今の会社で正社員として働く予定だった。
で、ちょっと経験を積んで、違うところに行くつもりだった。
しかも昨日良い返事しちゃったよー。
申し訳ない・・・ ラテン系のように明るく開き直れたらいいんだけど。

というわけで、多分帰らないよ。
大ぼら吹いた。

正直言って嬉しいのか嬉しくないのかわからない。
勉強は好き。
だけど、実際の仕事から、どうやったらこれできるんだろうとか、見積もりしたり、コーディネイトしたり、経理の勉強したりするものじゃないと長続きしない。

ま、ポジティブにいこーっと。
どうせテストに落ちて退学になるかもしれないしね。

まあ、人生とはなんか不思議なものよのう・・・

8日に研修終了!

朝行くと、朝食が用意されてた。

今日が最終日だから私のために、こんなに…と感動しかけたけれど、ただのミーティングだった…

(アットホームな会社なので、一緒に朝食とることも)

ちょっと自分に腹が立った瞬間でした。


惜しまれつつもお昼で切り上げ、その足で私の勉強する町へ。

終わってホッとして疲れが出たのか、着く頃には具合が悪く、着いてそうそう寝た。


でも、予定されてたプログラムは中断できない!!

なんせ3ヶ月も前から計画してたからね!


というわけで、土曜日にマクデブルクへ(また!)。

日曜日にマクデブルクの近くSTENDALの近くでマリアおばさんの80歳の誕生日パーティーになぜか部外者の私も参加し日本話で盛り上げた。

その後、彼の従姉妹シュテフィに拾ってもらい車でキールまで直行。


月曜はキール探索をし、キール近くの砂浜Laboeまで行った。夜は警察夫婦シュティと創作アジア料理をし、就寝。


火曜日は朝早くからデンマークと国境(島だからないけどね)を接するSYLTまで行き、ブレーメンに帰って来て、今に至る。 疲れた・・・ というわけで詳細はまた今度。


でも金曜日には夜行列車でパリまで行ってきます。