健康!
1月はアメリカから帰国後、2週間お客様滞在
2月はインフルエンザ、看病、ぶり返し熱、頭痛に悩まされ、
Zephyrは水いぼ。病院の先生に、「なぜもっと早く来ないの?」と言われ、ショック。
いやいや、行く元気も暇もなかったのだよ・・。
そしてカンボジア旅行、そしてGryphonの入院
年明けから忙しくて、体もそれについていかず、ボロボロ
でも!!!
今、すこぶる健康!
毎日が楽しくて仕方ありません!
健康って素晴らしいです
本当に。
外は暖かいし、Gryphonは鼻水たらしていないし、頭痛はしないし、熱はない!Zephyrのイボも消滅!
元気だと、お友達にも会いたくなって、お料理も凝りたくなって、ブログも書きたくなる
明日はお友達のホームパーティ
私はデザートとサラダを持っていく予定
イチゴのクラフティを作ろうと試作
う~~ん、美味しいけれどなんだか物足りない
イチゴの色もなんだか悪いし・・。
パンプディングに変句しよう!
明日は朝からヨガに行きま~す☆
作品
最近のZephyrの保育園での作品
ちょこちょこ、持ち帰ってきます
よそのお母さんはこういう作品どうしているんだろう??
私は・・・写真を撮ったらさようならしちゃう事もありますっ
保管していたらきりがないので!!
これはお正月 凧
Zephyrってなんでか、
髪の毛が必ずモヒカン
自分が赤ちゃんだったころを覚えているのかしら??
保育園
Gryphonの保育園が決まりました!
Zephyrと同じ保育園
これで送り迎えも各行事もダブる事なし!
とってもありがたいですっ・・・
Zephyrも大喜びでした☆
送り迎えでGryphonも先生たちを知っているし、
保育園の中も知っているし
色んな面で心強いです
おめでたいニュースがきてからの週末
Daddyがお出かけでいなかったので、
久しぶりに教会ミサに行こうと朝から出掛けたのに・・
まさかの黙想会。
ミサは14時から始まるとのこと・・!!
あぁああああ~~~
で・・
芦屋の大好きなパン屋さんでランチを買って、
近くの公園へ3人で行きました
Zephyrはまだ10時なのに、
ランチしよ~~とパンに一目散
公園でいっぱい遊んで、
美味しいパンを食べて
満足満足な3人でした
Gryphonは初めての靴での公園デビュー
滑り台デビュー
なかなか楽しんでおりました~
うんうん、ちゃんと保育園で遊べそうだ!
4月が楽しみです!
カンボジアの旅⑤
アンコールワットのあるシェムリアップから首都プノンペンへ
私が11年前にボランティアで出会った家族と会食
カンボジアへ行くたびに歓迎してくれますっ!
11年前日本語学校で出会った13歳くらい?だった少女が
今は日本で活躍するキャリアウーマンになっています
だから、今回は不在で会えず・・
でもご家族が歓迎してくれました!
昔は3台のバイクで(お姉さんとお兄さんも一緒に)後ろに乗っけてもらい
色んなところに連れて行ってもらいました
それが・・今回は
大きなバス?でホテルまで迎えに来てくれました!
10年の変化ってすごい!!
カンボジアのお父さんとお母さんはZephyrがお気に入り
でもね、Zephyrはお腹の具合が悪く、機嫌も悪く・・逃げ回ってた(>_<)
(体調不良で会食は欠席っ)
2年前はベビーシッターもしてもらうくらいZephyrは親しんでいたのに
でも、次はきっと覚えてる!
Gryphonがちょうど、Zephyrが前回あった時と同じ月齢だったので、
しかもそっくりなので、
皆、「???」って混乱していました(笑)
カンボジアの旅⑤
私が目を離しているすきに、
ここでZephyrはラーメン?のようなモノを食べ
ホテルに戻ってテレビを見ていたら突然
マーライオンのように噴射した!
もうびっくり!!!
本当にマーライオンやった
トイレに連れて行ってもゲボゲボ
でもすぐに回復
よかった~~
でも・・・ここでの処理後の手洗い?が甘かったか
飛沫感染?
たぶん、私は何かウィルスがうつったんだと思います
それがGryphonにもうつった
症状が一緒だったので・・・。
下痢にはならずに酷い嘔吐という症状
病院の先生も多分同じであろうと判断。
全ては私の管理不足・・
子供達に辛い思いをさせてしまい大反省です
大事にいたらなくて本当によかった
おまけ
シェムリアップでお世話になったトゥクトゥクのドライバー
旦那様のお友達からの推薦で今回お願いしました
英語も堪能で時間通り
観光も彼に任せて大正解でした!
カンボジアの旅④
カンボジアの旅③
カンボジアの旅①
カンボジアで思った事を徒然
カンボジアへ行ってきました。
旅のブログはまた別で書くとして…
旅の最後に私とGryphonは胃腸炎で嘔吐の連続でした。
私は空港&飛行機で10回以上嘔吐。黄色やら緑やら変な液体が1リットルくらい出てきました。
Gryphonは黄色の液体をタラタラと…。
帰国後、救急で病院へ行くと極度の脱水症状でGryphonは即入院。
息子の事を思うと自分の体調なんてすっ飛んでしまいました。
そしてひどい症状が治まり、清潔な白いベッドに横たわり、
完全看護に支えられ、安心しきっている我が子。
カンボジアでは毎回感じる事なんですが
賑やかな町の隅にいる貧しい人達の事が頭ん中を駆け巡りました。
清潔な病院個室に腰掛けていると余計に…
もしくは、子を生み母になったからなのかな。
障害を持った方を車椅子やリヤカーに乗せて、観光客にお金を求める人々。
夜、幼い子供達を人通り激しい路上に寝かせて、お金を求めるお母さん。
指のない幼い子の手を差し出し、お金を求めるお母さん。
今、目の前に横たわる我が子と路上に寝ているあの子達と何が違うのか
なんだなんだなんだなんだなんだ
罪悪感、いや違う。同情、違う。憐れみ、違う。
それらを感じることにも疑問を感じる。
自分が感じている気持ちというか、この心の渦巻きの落とし所がみつからない
違いを追及するのではなく、同じ人間という事を前提としてみたとき、一つの共通点が浮かんだ。
ただ私もあの母親も子供を生かすために必死だってこと。
そして、生きているってこと、育てるってこと。
そして、「何のために生きるのか」なんて愚問だなって思う。
生きているだけで価値がある、存在していることの尊さ。
以前知り合ったカメラの先生が言ってた。
癌で苦しんで亡くなった親父。その親父から最後に大きな事を学んだ。
「死ぬまで生きる」
最初聞いた時はあまり心に響かなかった。当たり前じゃないかと。
でも、今はその奥深さがわかるような気がする。
命を全うする大切さ。どんな環境でも、状況でも、体でも。命を全うする。
人間誰もが持っている使命。
そんなことを感じました。
ごちゃごちゃ考えずに、カンボジアでみたお母さんたちのように、
私も、この日本で、子供達を食べさせ、生かすために、がむしゃらに働こうと思う。
自分を削っても、自分の子供達には不自由なく成長させる。
数年前からカンボジアの支援開発地域の男の子のサポートをしています。
3歳だった坊やが今は6歳。
最近はしっかりとした絵を送ってくれます。
どうか彼が食べるモノに困らず、学校に行き、
病気の時は治療を受けられ、家族と一緒に笑顔で過ごせますように。
ささやかだけれど、私のお金が彼の命を大きく長くしていけれたら、
自己満足だけれど、私は救われる。
『何もかもはできないけれど、何かはできる。』
こんなスローガンの団体です。
私の「何か」はお金と手紙だけだけど、今の私にできる精一杯。それでいいんじゃないか。
独り言のブログでした・・。
旅のブログはまた別で書くとして…
旅の最後に私とGryphonは胃腸炎で嘔吐の連続でした。
私は空港&飛行機で10回以上嘔吐。黄色やら緑やら変な液体が1リットルくらい出てきました。
Gryphonは黄色の液体をタラタラと…。
帰国後、救急で病院へ行くと極度の脱水症状でGryphonは即入院。
息子の事を思うと自分の体調なんてすっ飛んでしまいました。
そしてひどい症状が治まり、清潔な白いベッドに横たわり、
完全看護に支えられ、安心しきっている我が子。
カンボジアでは毎回感じる事なんですが
賑やかな町の隅にいる貧しい人達の事が頭ん中を駆け巡りました。
清潔な病院個室に腰掛けていると余計に…
もしくは、子を生み母になったからなのかな。
障害を持った方を車椅子やリヤカーに乗せて、観光客にお金を求める人々。
夜、幼い子供達を人通り激しい路上に寝かせて、お金を求めるお母さん。
指のない幼い子の手を差し出し、お金を求めるお母さん。
今、目の前に横たわる我が子と路上に寝ているあの子達と何が違うのか
なんだなんだなんだなんだなんだ
罪悪感、いや違う。同情、違う。憐れみ、違う。
それらを感じることにも疑問を感じる。
自分が感じている気持ちというか、この心の渦巻きの落とし所がみつからない
違いを追及するのではなく、同じ人間という事を前提としてみたとき、一つの共通点が浮かんだ。
ただ私もあの母親も子供を生かすために必死だってこと。
そして、生きているってこと、育てるってこと。
そして、「何のために生きるのか」なんて愚問だなって思う。
生きているだけで価値がある、存在していることの尊さ。
以前知り合ったカメラの先生が言ってた。
癌で苦しんで亡くなった親父。その親父から最後に大きな事を学んだ。
「死ぬまで生きる」
最初聞いた時はあまり心に響かなかった。当たり前じゃないかと。
でも、今はその奥深さがわかるような気がする。
命を全うする大切さ。どんな環境でも、状況でも、体でも。命を全うする。
人間誰もが持っている使命。
そんなことを感じました。
ごちゃごちゃ考えずに、カンボジアでみたお母さんたちのように、
私も、この日本で、子供達を食べさせ、生かすために、がむしゃらに働こうと思う。
自分を削っても、自分の子供達には不自由なく成長させる。
数年前からカンボジアの支援開発地域の男の子のサポートをしています。
3歳だった坊やが今は6歳。
最近はしっかりとした絵を送ってくれます。
どうか彼が食べるモノに困らず、学校に行き、
病気の時は治療を受けられ、家族と一緒に笑顔で過ごせますように。
ささやかだけれど、私のお金が彼の命を大きく長くしていけれたら、
自己満足だけれど、私は救われる。
『何もかもはできないけれど、何かはできる。』
こんなスローガンの団体です。
私の「何か」はお金と手紙だけだけど、今の私にできる精一杯。それでいいんじゃないか。
独り言のブログでした・・。
































