カンボジアで思った事を徒然
カンボジアへ行ってきました。
旅のブログはまた別で書くとして…
旅の最後に私とGryphonは胃腸炎で嘔吐の連続でした。
私は空港&飛行機で10回以上嘔吐。黄色やら緑やら変な液体が1リットルくらい出てきました。
Gryphonは黄色の液体をタラタラと…。
帰国後、救急で病院へ行くと極度の脱水症状でGryphonは即入院。
息子の事を思うと自分の体調なんてすっ飛んでしまいました。
そしてひどい症状が治まり、清潔な白いベッドに横たわり、
完全看護に支えられ、安心しきっている我が子。
カンボジアでは毎回感じる事なんですが
賑やかな町の隅にいる貧しい人達の事が頭ん中を駆け巡りました。
清潔な病院個室に腰掛けていると余計に…
もしくは、子を生み母になったからなのかな。
障害を持った方を車椅子やリヤカーに乗せて、観光客にお金を求める人々。
夜、幼い子供達を人通り激しい路上に寝かせて、お金を求めるお母さん。
指のない幼い子の手を差し出し、お金を求めるお母さん。
今、目の前に横たわる我が子と路上に寝ているあの子達と何が違うのか
なんだなんだなんだなんだなんだ
罪悪感、いや違う。同情、違う。憐れみ、違う。
それらを感じることにも疑問を感じる。
自分が感じている気持ちというか、この心の渦巻きの落とし所がみつからない
違いを追及するのではなく、同じ人間という事を前提としてみたとき、一つの共通点が浮かんだ。
ただ私もあの母親も子供を生かすために必死だってこと。
そして、生きているってこと、育てるってこと。
そして、「何のために生きるのか」なんて愚問だなって思う。
生きているだけで価値がある、存在していることの尊さ。
以前知り合ったカメラの先生が言ってた。
癌で苦しんで亡くなった親父。その親父から最後に大きな事を学んだ。
「死ぬまで生きる」
最初聞いた時はあまり心に響かなかった。当たり前じゃないかと。
でも、今はその奥深さがわかるような気がする。
命を全うする大切さ。どんな環境でも、状況でも、体でも。命を全うする。
人間誰もが持っている使命。
そんなことを感じました。
ごちゃごちゃ考えずに、カンボジアでみたお母さんたちのように、
私も、この日本で、子供達を食べさせ、生かすために、がむしゃらに働こうと思う。
自分を削っても、自分の子供達には不自由なく成長させる。
数年前からカンボジアの支援開発地域の男の子のサポートをしています。
3歳だった坊やが今は6歳。
最近はしっかりとした絵を送ってくれます。
どうか彼が食べるモノに困らず、学校に行き、
病気の時は治療を受けられ、家族と一緒に笑顔で過ごせますように。
ささやかだけれど、私のお金が彼の命を大きく長くしていけれたら、
自己満足だけれど、私は救われる。
『何もかもはできないけれど、何かはできる。』
こんなスローガンの団体です。
私の「何か」はお金と手紙だけだけど、今の私にできる精一杯。それでいいんじゃないか。
独り言のブログでした・・。
旅のブログはまた別で書くとして…
旅の最後に私とGryphonは胃腸炎で嘔吐の連続でした。
私は空港&飛行機で10回以上嘔吐。黄色やら緑やら変な液体が1リットルくらい出てきました。
Gryphonは黄色の液体をタラタラと…。
帰国後、救急で病院へ行くと極度の脱水症状でGryphonは即入院。
息子の事を思うと自分の体調なんてすっ飛んでしまいました。
そしてひどい症状が治まり、清潔な白いベッドに横たわり、
完全看護に支えられ、安心しきっている我が子。
カンボジアでは毎回感じる事なんですが
賑やかな町の隅にいる貧しい人達の事が頭ん中を駆け巡りました。
清潔な病院個室に腰掛けていると余計に…
もしくは、子を生み母になったからなのかな。
障害を持った方を車椅子やリヤカーに乗せて、観光客にお金を求める人々。
夜、幼い子供達を人通り激しい路上に寝かせて、お金を求めるお母さん。
指のない幼い子の手を差し出し、お金を求めるお母さん。
今、目の前に横たわる我が子と路上に寝ているあの子達と何が違うのか
なんだなんだなんだなんだなんだ
罪悪感、いや違う。同情、違う。憐れみ、違う。
それらを感じることにも疑問を感じる。
自分が感じている気持ちというか、この心の渦巻きの落とし所がみつからない
違いを追及するのではなく、同じ人間という事を前提としてみたとき、一つの共通点が浮かんだ。
ただ私もあの母親も子供を生かすために必死だってこと。
そして、生きているってこと、育てるってこと。
そして、「何のために生きるのか」なんて愚問だなって思う。
生きているだけで価値がある、存在していることの尊さ。
以前知り合ったカメラの先生が言ってた。
癌で苦しんで亡くなった親父。その親父から最後に大きな事を学んだ。
「死ぬまで生きる」
最初聞いた時はあまり心に響かなかった。当たり前じゃないかと。
でも、今はその奥深さがわかるような気がする。
命を全うする大切さ。どんな環境でも、状況でも、体でも。命を全うする。
人間誰もが持っている使命。
そんなことを感じました。
ごちゃごちゃ考えずに、カンボジアでみたお母さんたちのように、
私も、この日本で、子供達を食べさせ、生かすために、がむしゃらに働こうと思う。
自分を削っても、自分の子供達には不自由なく成長させる。
数年前からカンボジアの支援開発地域の男の子のサポートをしています。
3歳だった坊やが今は6歳。
最近はしっかりとした絵を送ってくれます。
どうか彼が食べるモノに困らず、学校に行き、
病気の時は治療を受けられ、家族と一緒に笑顔で過ごせますように。
ささやかだけれど、私のお金が彼の命を大きく長くしていけれたら、
自己満足だけれど、私は救われる。
『何もかもはできないけれど、何かはできる。』
こんなスローガンの団体です。
私の「何か」はお金と手紙だけだけど、今の私にできる精一杯。それでいいんじゃないか。
独り言のブログでした・・。