社宮司社(鎮大神社境内社):長野県上伊那郡辰野町澤底1856
日本最古の道祖神(沢底の道祖神):長野県上伊那郡辰野町澤底
御陵塚:長野県上伊那郡辰野町平出2360
石神(御社宮寺・耳塚様):長野県塩尻市北小野

ミシャグジについて初めて公に問題提起したのは柳田國男である。「石神問答」(明治43年)は、民俗学者の山中笑(共古)らとシャグジについてやり取りした書簡を集めたもので、「遠野物語」と同時期に出版されている。山中の石神説に端を発し、岐神(くなとのかみ)、道祖神、荒神、神籠石、猿田彦、地蔵、将軍塚、十三塚とさまざまな可能性に言及しているが、結論はない。柳田については、集落の境におかれる塞の神として考えていたようだ。爾来、ミシャグジについて様々な論考がある。

諏訪の考古学者、藤森栄一氏は、著書「諏訪大社」の中でこのように述べている。

神長官守矢氏の奉斎していた洩矢神は、ミシャグチと呼ばれる神々を統括している神で、ミシャグチは御社宮司、御左口神などいろいろな漢字が転用されている。むろん、記・紀に主役をつとめるような神ではなく、自分が死んで、その死骸から新しいさまざまな命をよみがえらせる ― 保食神・オオゲツヒメ、ときには豊受大神・猿田彦神・天鈿女命などのような表現をとる ― 自然神で、食物、生産または土地についての強い権限をもっていた。ミシャグチ神の祭祀は、いま多く廃祠となってしまったが、古くは、中部日本全体に広く分布していた。多くは一小単位の聚落、つまり村々の神で、村の台地の上や谷口などにあり、はじめは社殿をもたず、巨木、巨岩、尖った石、立石、棹などに降りてくるナイーブな自然神であったようである。さらに、このミシャグチ祭政を総括する位置にあったのが、大祝諏訪神の先住者であった洩矢神である。(出典*1)

ミシャグジについては前稿で紹介した今井野菊氏の踏査集成が知られ、後にも先にもこれ以上のものはないと思われる。その分布を地域別に見てみよう。

長野県 780社、東京都15社、栃木県3社、千葉県3社、奈良県4社、京都府3社、群馬県67社、埼玉県44社、神奈川県50社、山梨県160社、愛知県229社、静岡県233社、和歌山県4社、三重県140社、岐阜県116社、滋賀県228社、武蔵国(東京、埼玉、神奈川の一部)64社、その他「石神問答」に記載された諸国21社(踏査なし)、補遺として23社、計2,187社である。

これでも調査途上にあるとされている。数でいえばお膝元が多く、諏訪湖および天竜川、宮川流域を中心に南北に分布する。諏訪を離れると転訛して「さぐじ」「おしゃもじ」や「しゃごじ」となり、またその当て字も「御社宮司」や「御左口」から「三宮」「三狐」「石神」「大将軍」などと原形がわからないものとなっていく。東京だと練馬区の石神井という地名に痕跡を遺すが、現代に生きる我々にはもはやどんな神なのかすらわからない。

ミシャグジは古層の神として諏訪大社上社の神事に連なるばかりではなく、地霊への信仰でもあった。多くは樹木の下の小祠に石棒や石皿などを祀り、豊穣を願ったものだが、男根様の石棒を祀ることから明治以降は淫祠邪教と見做された。ミシャグジの上げ下げは神長官守屋氏が一子相伝で行ってきた秘法だが、先代で途絶したことも踏まえれば、今は地域の古老を除いて顧みる人は少ないのではないか。一方、スワニミズム(注)のように諏訪在住の民間研究者を中心とする活動によって、ここ数年で再び光が当たってきたように思う。郷土の歴史、民俗への想いや地域振興に向けた気概のみならず、東日本大震災を経た我々日本人の自然観や信仰感の変化に負うところも大きいのだろう。ミシャグジへの関心と昨今の縄文ブームは軌を一にしているのかもしれない。


鎮大神社

 

さて、辰野町澤底にある鎮大神社からはじめよう。創建は不詳。少彦名命を祀り、虫封じのご利益があるという。境内に社宮司の祠がある。案内板には明治41年(1908年)に村内の八社を当社境内に移したとある。神社合祀令に伴うものだろう。社宮司社は「ワゴより移す」と記されている。ワゴはこの神社の字名でもあるので、近隣にあったものを寄せたのだろう。沢底川沿いに1kmほど行ったところに日本最古と称する道祖神があり、石仏も多数並んでいる。元々はここに祀られていたのかもしれない。中沢新一氏の著書「精霊の王」ではこの社宮司の祠の中の石棒を紹介しているが、非公開で実見は叶わなかった。石棒がなければただの祠に過ぎない。


左:社宮司社

 

沢底の道祖神の森

 

日本最古の道祖神

 

気を取り直して御陵塚へ。ここはその名の通り当地氏族の古墳だが、塚の上にサワラの巨樹があり、ミシャグジの特徴をいまも伝えている。今井野菊氏の踏査集成には「県めぐりのたたえの木、上伊那のたたえ」との由緒が記されている。たたえ=湛とは、称木であり祭事の行われる場所である。諏訪上社大祝の代理、神使(おこう)は内県・小県・外県の各地域に出向き、廻湛(まわりたたえ)という神事を各地で行った。ミシャグジを降ろすため、鉄鐸を鉾にぶら下げて振り鳴らしたとされる。湛は三十ヶ所ほどあったというが、ここはその一つであろう。案内板には「平出地区に多数存在していたと思われる古墳は、御陵塚古墳をのぞきすべて開墾などにより破壊され、現存していない。この古墳が残ったのは、墳丘に祀られた中村姓の祝殿とその神木のサワラの巨樹のおかげと考えられる」とあった。


御陵塚古墳

 

 

 

続いて天竜川沿いを北上し、塩尻市北小野にある御社宮司に向かう。ここも「精霊の王」に取り上げられていたところだ。考古学者の藤森栄一氏によると北小野には昭和30年代に現存したミシャグジが三社あり、その内の一社にあたるという。「北から、まず、北小野川島所在の『しゃくじん』、これは小野氏の祝神で、扇状地は上の平を中心に、大きな中期縄文時代遺跡で、大場博士発掘の堂廻加曾利E式竪穴住居址もこのうちに含まれる。「しゃくじん」はこの台地を一望に見わたす山脚で、大きな鳥居の中に木柵をめぐらし、社殿はない。中に無頭の、丈80cmを越える縄文中期の大石棒が一本横たわっている。無論かつては立って祭られていたものであろう。小野氏は周知のように、いまの北小野の中心構成氏族である」。(出典*2)

 

古町公民館の前にある遊園地(といっても遊具が3つ4つある広場だが)に車を停め、目的地まで歩くことにする。途中に縄文遺跡の標識。堂の入住居跡とある。Google Mapを頼りにアプローチしたが、周囲は山裾の水田でぬかるんでおり、トレッキングシューズを履いていても足元が覚束ない。それどころか道がない。踏み跡すら見当たらないのである。ぬかるみにずぶずぶと足を取られるので、これ以上進むのは無理だ。山を巻くように回り込んだらどうかと右手に目を遣ると、どうやらそれらしい道があるのを見つけた。目印は畦に立つとても小さなソーラーパネルだ。ここから畦道を通って山に入って行く。しばらく進むと左手下方に鳥居を見つけた。ここだ。斜面を滑るように下る。

 

堂の入住居跡(縄文中期の遺跡)

 

田の畦に小さなソーラーパネルが立つ。この先を左へ。

 

 

 

朽ちかけた木の鳥居の後ろに杉の巨樹が二本聳えている。その下に木の柵が巡らされ、中に石棒が大小二つ、石の台座に据え付けられていた。右手前の木の標識には「石神 御社宮司   神体の石棒は、縄文中期(今から三~四千年前)のもの、昔は耳塚様といって耳病に霊験があると信仰が厚く、お椀の底へ穴をあけて柵などにつるしてあるのが見られたが今はない」とある。だが、柵には二つほど朽ちた椀がぶら下がっていた。石棒が二つとしたが、左のものは藤森氏のいう丈80cmのものだろう。右の小ぶりなものは石皿と言えなくもない。ミシャグジは石棒と石皿が対で祀られることがあり、陰陽で生産を祈願したとも解されるが、これが本来の祀り方なのだろうか。どこか道祖神のようでもある。

 

 

 

 

 

ここでは今どのような祈りが捧げられているのだろうか。北小野の古町の集落の誰か、小野氏の後裔が折々に参拝しているのだろうか。このミシャグジから歩いて十分弱のところに、信濃国二之宮の小野神社・矢彦神社が鎮座する。元は一つの神社であったが、領地争いに伴い、豊臣秀吉の裁定で南北の小野村に分割され、神社も同じく分かれて境内に二社が並んでいる。この両社の中間地点に神鉾(おぼこ)社という磐境がある。おそらく同社でもっとも重要な祭場だろう。石棒こそ立っていないものの、二本の樹木の間に木の柵を巡らしていること、鉄鐸を用いた神降ろしが行われていたことなど、その祀り方はミシャグジに似ており、諏訪大社上社に通ずる祭儀が行われていたことは間違いないものと思われる。小野氏の祝神とされるこの山裾の御社宮司社もこれに準ずる祀りを行っていたのではないだろうか。


神鉾社(小野神社・矢彦神社境内社)
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小野神社の鐸鉾。
12個の鉄鐸を結んだという。(出典*3)


諏訪から少し離れた地にあるミシャグジを巡ってみた。次稿では上社信仰圏の中心、茅野のミシャグジを訪ねてみることにする。

(2024年8月7日)

注)Suwa-Animism/スワニミズム
 

出典)
*1 藤森栄一「諏訪大社」中央公論美術出版 1975年
*2 藤森栄一「銅鐸」学生社 1997年
*3   小野神社の鐸鉾_公益財団法人 八十二文化財団「信州の文化財」
参考)
柳田國男「石神問答」柳田國男全集15所収 ちくま文庫 1990年
古部族研究会編「日本原初考 古代諏訪とミシャグジ祭政体の研究」人間社 2017年
中沢新一「精霊の王」講談社 2012年
スワニミズム第3号 2017年
スワニミズム第4号 2018年
拙稿「ミシャグジ」諏訪 洩矢神のこと(その2)
拙稿「二社をむすぶ磐座」信濃国二之宮_小野神社・矢彦神社